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鶯の抵抗  作者: 梔虚月
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03 聞きしに勝る好青年

 私は応接室の上げ下げ窓から客室のある屋敷右手の裏側を覗き見た。

 黄金銃を盗み出したのが招待客だったのならば、一階を割り当てられた招待客は自室の窓から抜け出すことが可能だが、二階の招待客は掃き出し窓の外にあるベランダから、庭まで飛び降りなければならない。

 ベランダの柵から地面までの高さは三メートル程度あり、一階の招待客に気付かれずに飛び降りるのは困難で、そうだとしても部屋に戻る術がないように思われる。

 では吹き抜け階段になっている右の塔を使って抜け出せるかと言えば、塔にある明かり窓は嵌め殺しで、長方形の窓枠に人の抜けられる幅がない。

 署長の貞治は、二階客室の招待客に黄金銃を盗み出すのは不可能だから、兼久が盗んだ銃で政信暗殺を企てたと推理しているが、盗むことが不可能ならば、邸内に共犯者がいるのではないか。

「少佐は、彩子さんと身を固めたら退役して内地に戻るのかい」

 三徳は給仕に出された紅茶を一口飲むと、向かいのソファで物思いに耽っている私に聞いてきた。

「私は根っからの軍人なので、退役しても商売人が務まりませんよ」

「黒羽家と言えば、幕末に活躍した神戸藩士の出自でしたな。先代も欧州大戦に出兵されたとか――」

「帝国が先の戦争で主戦場だった欧州出兵を拒んでいれば、後方の小競り合いに参加しただけです。ですから、当家が血を好んでいるわけではありません。私は戦地において軍功が欲しいのではなく、軍属としての生き方しか知らないのです」

「少佐は、政信議員に気に入られているようですな。あの方は軍部との折り合いが悪いと聞いていたので、今回の婚約には驚きました」

 政信の支援を得られずに落選した三徳は、彼の娘を娶る私が政信に取り入った手段を聞きたいようだ。

 彼らの間柄を聞かされていない私は、軍属と距離を置いている貴院議員が少佐に彩子をくれてやる訳合いを知らないのだが、想像するに議員が帝都赴任中に上司の人柄を知ったからではないだろうか。

 黒羽武という男には、生まれ持っての色気というか人たらしの才があり、育ちの良さも手伝って人を食ったような態度にも愛嬌がある。

 洞察眼が優れていると評される私を以ても、飄々とした上司は底の知れない人物だった。

「口幅ったいですが、私の人柄ではないですか」

「政信議員は、少佐の人柄に惚れられた……人徳ですか? これは参りましたな。私では、得ようにも得ようがない」

 三徳が愛想笑いすると、妻の朱美が『貴方、少佐にからかわれているのよ』と、身も蓋もない苦言を呈する。

 私は自分(少佐)の話を他人事のように話す嫌いがあるのだが、そもそも上司も自分のことを客観的に紹介するので問題ないだろう。

「永岡優馬さん、ご同行願えますか」

 どうやら良夫の事情聴取が終わったようで、私服刑事の岩壁が優馬を呼び出しにきた。

 聴取を終えた実業家は、そのまま自室に戻ったらしく、部屋には私と榊原夫妻だけが残される。

 招待客で黄金銃を盗み出せるのが、一階の客室を宛てがわれた私と貞治、そして夫婦仲が上手くない彼らだけだ。

 議席の空きが欲しい榊原夫妻にとっては、黄金銃で政信が暗殺されても、兼久が黄金銃の暴発で亡くなっても、どっちを選んでも同じ結果になる。

 畦から行くも田から行くも同じであれば、兼久が政信を妻殺しの犯人だと恨んでいたのならば、盗んだ黄金銃を兼久に渡して唆せば、榊原夫妻の願いは成就するのだ。

 どちらに転んでも彼らには、願ってもいないことだろう。

「そう言えば昨夜、兼久が妻の事故で『政信議員を疑っていた』と言いましたね。今朝ほど転落事故の現場を見に行ったのですが、調書どおり大坪田貴子が一人で滝を見に行ったのなら、事件性があったとは考えられません」

 榊原夫妻が兼久に強い殺意があったと知っていたのならば、私の仮説も成立するのだが、果たして口を割るだろうか。

「少佐は、知らんのだよ」

「何がです?」

「政信議員と兼久議員は、今のように仲違いするまで政党政治を支える同志だった。私なんかが二人に付け入る隙間は、これっぽっちもないほどね」

 三徳は親指と人差し指で輪っかを作ると、それを向かいの私に突き出した。

「それが貴子さんの亡くなる前日、この屋敷に集まった大勢の招待客を前にして、兼久議員と政信議員が胸ぐらを掴み合う喧嘩になってね。口論の理由は聞かなかったが、私が酒の勢いもあるだろうと仲裁に入ったんだよ」

「その翌日、貴子が転落死した。つまり兼久は、政信が宴席で恥をかかされた腹いせに妻を殺したと考えていたのですか」

「政信議員は、そんな短絡的な人間じゃないからね。兼久議員と口論したからって、彼の奥さんを崖から突き落とすような真似はしないよ。兼久議員がそう考えたなら、逆恨みだと太鼓判を押したって良い」

 私はソファに深く座り直すと、朱美の顔色を窺うが、とくに夫の三徳を軽口だと諌める様子もなければ、彼の言い分は周知の事実なのだろう。

「奥様も、そのように思われますか」

「ええ、逆恨みでしょうね。兼久さんが政信さんに憤ってらしたのは、その場にいた者なら見ていましたわ。でも当時、宴席の警備にいらしてた貞治さんが関係者のアリバイを調べたところ、疑わしい人がいなかったと結論を出しています」

「ではお二人は、貴子の転落死が事故で疑いがないと思われますか」

 榊原夫妻は、私の質問に顔を合わせている。

 彼らにとっては、改めて聞かれるまでもなく事故で決着している話であり、今さら何を言い出すのかと言ったところだ。

「いいえ、これは愚問でしたね」

 話を切り上げた私は、顎に拳を当てて応接室を再び見渡した。

 警察の調べでは、部屋そのものに仕掛けがなかったらしく、貴賓室で夕食の後片付けをしていた給仕は、祝宴の散会後に現場を訪ねる招待客がいなかったと証言している。

 しかし黄金銃は部屋から忽然と消えて、皆が寝静まった深夜、政信の執務室を訪問した兼久の手に握られていた。

 兼久は存外、開いていたドアから出て窓から侵入したのかも知れないが、長屋住まいの住込みが出入りするのは、厨房から渡り廊下で通じている勝手口だ。

 貴賓室と厨房を出入りしていた給仕に見つからず、勝手口から外に出るのは不可能だろう。

 そして屋敷の表玄関は、祝宴の散会時に内側から鍵で施錠されており、両開きの重い扉の鍵は政信が保管していたと記憶している。

 招待客に共犯者がいるのならば、一階に泊まっている榊原夫妻と署長の貞治しかあり得ないが、榊原夫妻はともかく、貞治には政信も兼久も殺害する動機が見当たらない。

 しかし昨夜の事件が、事故として処理された十年前の出来事に端を発していたのならば、大飯食らいの人の良さそうな署長だって、何らかの動機があるのかも知れない。

 署長は政信から黄金銃の盗難事件を内々に処理するように依頼されて、断る素振りも見せずに了承している。

 昨夜の調子で十年前の事件を事故として処理していたのならば――、私は警察関係者と言うことで、無意識に貞治を容疑者と疑っていなかったが、署長も祝宴に招待された一人だった。


 ※ ※ ※


 三十分も経たぬ頃、事情聴取を終えた優馬が私を呼びにきた。

 彼は自室に戻らず、長女の恵子と落ち合って今後のことを話し合うらしく、応接室で待っている私たちに恵子の所在を聞いてきた。

 実業家の良夫にしても彼にしても、貴院議員の兼久を暴発事故に見せかけて殺害する動機が見当たらなければ、屋敷に銃声が鳴り響いたとき、自室に籠もっていたことにも疑いようがない。

 だから警察の事情聴取も、短時間に切り上げられたのだろう。

「少佐、支えがいるのなら同行しましょうか」

「お言葉に甘えて、階段のところまでお願いしよう」

 私が立ち上がると、優馬が駆け寄って背中を支えてくれる。

 彼が好青年という評価には頷くところだが、兼久の甥であることを隠していた彼には裏がありそうだと感じる。

 人の善意に素直になれない私は、玄関ホールまで来ると、意地悪く質問を切り出した。

「優馬くんは、亡くなった兼久議員の甥だそうだね。叔母さんが十年前に亡くなったことも聞いているのだが、それが恵子さんとの交際を許されない訳合いなのかい?」

 優馬は無言のまま階段の下までくると、深いため息を吐いて肩を落とした。

()()()()()()()や叔母の事故のことは、少佐や良夫さんに隠していたわけじゃありません。彩子ちゃんの晴れの日に、わざわざ身内の不幸話で水を差すのが憚られただけです」

「なるほど、そういう訳合いなのか」

「だから良夫さんには事件の直後、あの男と私の関係を伝えましたし、少佐にも話すつもりでした。ただ、それが恵子さんとの交際が許されない理由なのか、ご両親の腹の内までわかりません」

 優馬の話はもっともであり、私が宴席前に彼とすれ違ったとき、玄関ホールには招待客が参集していた。

 立ち話の自己紹介で、いきなり十年前に屋敷で叔母の貴子が事故死していることや、義絶された兼久との縁戚関係を口にするのは憚られるだろう。

「失礼な質問で、気を悪くしたのなら謝るよ」

「いいえ、私から話さなかったのは申し訳ないです。少佐には、余計な気を使わせてしまった」

 優馬は階段を登りきると、私に頭を下げる。

 私は『失礼ついでに――』と前置きして、早々に立ち去ろうとする彼を呼び留めた。

「でも優馬くんは、高平家の援助で帝大まで進学したのだろう? 政信氏が恵子さんとの交際を拒む訳合いは、やはり彼と兼久の怨恨が原因ではないのかね」

「少佐は、私が彼を殺したと疑っているのですか。政信氏は叔母の死後、僕の面倒をみてくれましたが、彼の甥だった私が政治を志すとなれば気に食わないのでしょう。あの男が亡くなれば、私たちにとって有利にことが運ぶと思いました。でもね、あの男の死は政信氏を暗殺しようとした自業自得でしょう? 私が殺したわけじゃない」

 優馬はヤレヤレといった風に両手を腰に当てるのだが、私は『亡くなれば?』と、兼久が死んでくれれば都合が良いと考えていたのか、と追い討ちをかけてみる。

「そうですね。高平の家を追い出されたとき、恵子さんとの交際に反対される理由が他に思い当たりませんでした。ただ私が犯人なら、ピストルの暴発事故を装うなんて不確実な方法を用いません。私には犯行が発覚しない確実な、もっと上手い方法をいくらでも思いつきます」

「君が犯人なら、もっと上手い方法があったのかい」

「ええ、そういうことは考えたことがある――ということです。私は実行するような馬鹿な真似はしませんし、実行しても絶対ばれるようなヘマはしない」

 優馬は『もちろん、冗談です』と、神妙な顔の私を鼻で笑って肩を竦めた。

「なるほど。帝大生の君は、損得勘定も得意そうだ」

「そういう事です。政信氏に恵子さんとの交際を認めてもらうためには、あの男が邪魔者だったと認めます。でも私は、色々と計画しても実行するだけの勇気がないのです」

「優馬くんの考えたのは、どんな計画なんだい?」

 うつむき加減の優馬は『恵子さんを本当に愛していれば』と、呟いてから首を横に振る。

「それでも恵子さんを連れて逃げるような、恩を仇で返すような真似もできません。私は結局、彼女と駆け落ちする勇気がないだけかもしれません」

 優馬は長女の恵子との駆け落ちを計画したものの、高平家の援助を恩義に感じて裏切れないらしい。

 私は言葉のままに受入れたが、本音を言えば、高平家の財産が魅力的なのかと問い質したかった。

 それを口にすれば、心を閉ざしてしまうだろうと、本音は愛想笑いで誤魔化した。

「君は聞きしに勝る好青年で、ますます交際に反対される訳合いがわからないね」

「ありがとうございます……でも少佐は、なんで私と恵子さんのことを気にかけてくださるのですか」

「それは、君たちが上手く行くように応援したいからだよ」

「私と恵子さんの仲を応援ですか」

 二階客室の突き当りにある取調室に向かう私は振り返ると、優馬に小さく手を振った。

「私と彩子さんが結婚すれば、優馬くんは義理の兄になるのだよ。私が、君らを気にかけて当然ではないか」

 優馬たちの年頃は二十代半ばであれば、少佐とは親子ほど歳が離れているのだが、彩子の姉夫婦となれば彼らは義理の兄姉になる。

 岩壁の待っている取調室のドアを開けた私はいっその事、上司と彩子の縁談話を前に進めてやろうかと、そんな人の悪い思いつきにニヤリとした。

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