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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

海食崖

作者: 武庫川燕

 水のきらめきも、岩にぶつかって弾ける水しぶきも見えない。

 見えるものはただ深く塗りつぶされた漆黒だ。

 寄せては返す高波のざわめきと、激しく岩にぶつかって砕ける水音だけが、この先に海が広がっているのだと教えてくれた。


 こんな風に、いつも正しい道を教えてくれる誰かが側にいてくれれば良かったのに。

 答案用紙に答えを書くみたいに、いつでも正しい答えが簡単に見つかるなら良かったのに。


 私には分からなかった。

 夏祭りの金魚すくいの楽しさも、綿あめのおいしさも。

 お母さんが嬉しそうに買ってくれたお面をどんな顔をして受け取ればよいのかも。


 きっと、そんなとき子供は笑うのだ。

 私にはたったそれだけのことが出来なかった。

 お面を買ってもらうという出来事が、喜びという感情の変化に至る過程が分からなかったから。

 いつでもそうだ。

 起こった出来事とあるべき感情の変化の間には果てしない距離があって、私にはその二つを繋いでいるものが理解できなかった。


 分からないなりに考えた。

 必死に他の子供たちの行動を観察して、何とか真似してみようと思った。

 例えば、ある男の子が道端にある石を見つけて石けりを始めたとき。

 それを見た他の男の子も、すぐにそれに混ざって石をけり始め、サッカーみたいに石を転がして楽しそうに笑った。

 その出来事から、私は学んだつもりだった。

 道端に石があるのを見つけたら、足で石を転がして楽しそうに笑えばよいのだということを。

 だけど、それは的外れなことだったらしい。

 どこがどう的外れなのか、いったい何が間違っていたのかは今になっても分からない。

 でも確かに間違っていたのだいうことだけは間もなく証明されることになった。


 ある日、私は友だち(という言葉で表すのは本当のところ適切ではないのかも知れない。友だちとは何なのか、そう呼ぶべきものなのだと私が勝手に勘違いをしていたのか、それは決して分からない)と一緒に帰る途中だった。

 道端に、こぶしより一回り小さいくらいの丸い石が転がっているのを見つけた。

 私はその石を軽く蹴り飛ばして笑ってみせた。

「あはははっ」

 でも、「友だち」は怪訝そうな顔をするだけで、その石を蹴ろうとはしなかった。

 不思議に思った私は

「どうしてこの石を蹴らないの?」

と聞いた。

 すると

「そんなことしても面白くないよ」

と返された。

 そんなはずはない。

 なにせ、この間出会った男の子たちは石を蹴っては楽しそうに笑っていたのだ。

 私は納得できなくて、つい強く追及した。

「どうして?楽しいはずだよ」

「面白くないったら面白くないの!」

 「友だち」は(おそらく)怒って、そのまま私を置いてずんずんと先に行ってしまった。

 それ以来、その子とは話すことも無く、なんとなく険悪なまま、いつしか会うこともなくなった。


 どうして彼女は石けりを楽しいと思わなかったのか、どうして私に怒ったのか。

 それは今でも分からない。

 一つだけ言えるのは、もしも私が石を蹴ることと楽しいと感じることとの間にある繋がりまで理解していたのならこんなことにはならなかったのかも知れないということだ。


 何かにつけてそうだ。

 出来事と感情の間を埋めるものが分からないから、私はいつでも反応に困って、他の人を真似してみて、失敗して……。

 その繰り返し。

 間違い続けた私が唯一間違えずにいられたのは答案用紙に向き合ったときだけだ。


 女一人、温泉地の最寄り駅から最終のバスに乗ってここまで来た。

 日本海に面した険しい崖の末端、吹きつける風は冷たく、キャミソール一枚の私からどんどんと体温を奪ってゆく。

 氷を押し当てられたみたいに手足がひりひりと痛む。


 早まるな。

 生きていればいくらでも道はある。


 ありきたりだけど、確かに正しいのかも知れない。

 でも、もう十分でしょう?

 何も特別なことじゃない。

 これから犯す間違いは、これまで数えきれないくらい繰り返してきた間違いのうちの一つに過ぎないのだから。

 これで最後、私はもう二度と間違えないのだから。


 風が止んだ。

 まるで時の流れが止まったかのように。

 ついにその刻が来たのだと悟る。


 私は、漆黒の闇へと続く最後の一歩を踏み出した。

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