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冒険者ギルド職員だって時として冒険する事もあるんだよ~ギルド事務長編~

作者: 若年寄


「この……戯けええええええぇぇぇぇいっ!」


 副ギルド長室から聞こえてきた怒鳴り声に思わず仕事の手を止めてしまった。

 否、私だけではない。ギルドの事務員も皆、手が止まっており、仕事を探したり各手続きをしていたりする冒険者達も何事かと顔を見合わせている。


「事務長? 今の声って副ギルド長でしたよね? あの人がここに来てから五年は経ちますけど、あんな怒鳴り声を出したのって初めてじゃないですか?」


 確かに普段はのほほんと女の子みたいな可愛い笑顔を振りまいている副ギルド長だけど、あの人は皆が思っているほど軟弱ではない。

 気弱なようで芯はしっかりしているし、仕事ぶりも十年以上事務員を務めている私ですら舌を巻くほどの事務処理能力を持っている。

 以前、ギルド長から聞いた話によると、副ギルド長はある事件を切っ掛けに怒りをなるべく抑えるようにしているらしい。それ故か、ギルド員がミスをしても表情を引き締めて注意をするだけで、怒鳴るということは極力しないように気を使っているのだそうだ。

 だからと云う訳でもないだろうけど、副ギルド長のことを嘗めてかかるギルド員も少なくはない。

丁度、現在副ギルド長室に呼び出しを受けているサラ=エモツィオンのように……


「おーおー、凄ェ迫力だな。普段、怒らない奴がいざ怒鳴るとなると気が引き締まるだろ?」


 副ギルド室から聞こえてくる罵声に、ギルド長も思わずご自分の執務室から出てこられたようだ。


「ま、そういう効果も期待してクーア君を副ギルド長に任命したンだけどよ」


 ギルド員からお茶を受け取ったギルド長は、楽しそうに笑いながらお茶を啜る。


「ここにいる事務員もついでに冒険者共もよーく覚えておけよ? クーア君は決して温厚でもヘタレでもねぇ。無用な軋轢を避ける為に大人の対応をしているだけであって、本来のクーア君はかなり気性が激しいンだぜ。あンまり嘗めてっと、魂抜かれてヒキガエルと入れ替えられるなンてありえるからな?」


 そんな魔女じゃあるまいし……

 顔を引きつらせている私達を余所にギルド長は副ギルド長室の扉を親指で指した。


「で、サラは何をやらかした? クーア君があれだけ頭に来てンだから相当だぞ?」


「どうやらBランクに相当する依頼が失敗に終わったそうなのですが……」


 私の説明にギルド長は眉をひそめて副ギルド長室へ目を向けた。


「それが何でサラが説教を受ける羽目になるンだよ? いや、失敗にも色々ある。何があったンだ?」


 そもそも依頼というのが、我らが聖都スチューデリアの国教たる星神教の大神殿から歴史のある貴重な神像が盗まれたことに端を発する。

 しかも神像を盗んだ賊というのが厄介で、昨今、巷を騒がせている怪盗フォッグ&ミストと名乗る二人組の腕利きであるという。

 大神殿におわす大僧正様直々に持ち込まれた依頼の内容は、事を大きくして信徒の不安を煽るわけにもいなかい。内密に神殿騎士を派遣して神像を奪還する事は不可能である為、有能にして勇敢なる冒険者達の手で早期解決をお願いしたい、というものだった。

 そこで冒険者ギルドはフォッグ&ミストが過去に行ってきた犯罪を総浚いしてデータを作成し、ただの一度も人を殺したり女性を犯したりした事がない事実から本件をBランクの依頼として募集をかけたという経緯があった。


「ギルドで募集した時点でもう秘密もクソもねぇだろ」


 ごもっともです。

 それでも守秘義務が生じる依頼であったし、神殿騎士が大っぴらに捜索をするよりは一般の方々に神像盗難を悟られずに済むのもまた事実でして。


「で、奪還に失敗したンか。けどよ? それが何でクーア君がぶちギレる原因になるンだよ? そりゃあ、大僧正の爺さん直々のご依頼だ。冒険者ギルドの威信にかけてもって気合が入ろうってモンだ。だが、そンな怒りを買う程の失敗たぁ思えねぇけどなァ」


 勿論、冒険者がいくら有能でも結局は人間である。失敗も少なくないだろう。

 しかし、依頼を持ち込む側も失敗のリスクを負うことを盛り込んでギルドと契約を交わしている。依頼のランクが高くなれは、それに見合うだけの報酬とリスクが生じるのは当然であろう。

 だからこそ、依頼人は依頼料の半分を契約料代わりにギルドに納め、残りの半金を依頼成功の時に冒険者へ支払うというシステムになっているのだ。

 つまり、今回のように怪盗から神像を奪い返すという依頼が失敗に終わったとしても、冒険者ギルドはたとえ星神教のトップである大僧正様といえども非難される事はない。

 もっとも当然のことながら、今後の依頼人からの信用に関わるので失敗をしないに越したことはないのは云うまでもないだろう。

 ギルド長と二人で訝しんでいると、不意に副ギルド長室の扉が開いた。


「兎に角、先方には僕が謝っておくから、サラちゃ……おっと、サラ=エモツィオンは家に帰りなさい。今日の夕方にも、一週間の謹慎を云い渡す通達が届くよう手配するから従うように……分かったね?」


「はい……」


 やや憔悴している様子だけど、変に逆らう素振りも見せずにサラは机の上を整理して、そのまま誰とも挨拶することなく帰宅の途に就いた。

 私とギルド長のそばを通る時でさえ無言のままだ。

 目上に対する行為ではないが私もギルド長もなんとなく声をかけづく小さな背中をただ見送った。

 それにしても驚いた。

 いつも笑顔を振りまいて、冒険者のみならず我々ギルド員にも癒しを提供してくれる副ギルド長があそこまで険しい表情を見せるなんて想像すらしたことがなかった。

 確かにギルド長のおっしゃるように、気が引き締まる思いだ。

 思わず副ギルド長の顔を見詰めていると、視線に気付いたのか副ギルド長の表情がいつも見せている、ほにゃっとした苦笑いに変わる。


「あ、恥ずかしいところを見せちゃいましたね、ギルド長。事務長も驚いたでしょ?」


「え、ええ、正直に云わせて頂ければ、らしくないかと……」


 すると副ギルド長は困った様子で頬を指で掻いた。


「らしくないか……でも、さっきの怒った僕も本物の僕だよ。本当は僕だって怒りたくないけど、叱る時は叱らないと相手の為にならないからね」


 確かに一理ある。

 それに今回の一件で、副ギルド長に嘗めた態度を取っていたギルド員もこれで副ギルド長の認識を改めたことだろう。


「しっかし、一週間の謹慎たぁ穏やかじゃねぇな? 一体全体どうしたってンだ?」


 ギルド長の疑問ももっともだ。

いくら大僧正様からのご依頼だからといってこれだけの罰を与えるなんて、それこそ副ギルド長らしくもない。

 すると宙にあった副ギルド長の体が床に接して、彼の表情が再び厳しいものとなった。


「本件において、サラ=エモツィオンはBランクに指定されていた依頼をCランクの冒険者二名に独断で許可を出し、結果、二人の冒険者はフォッグとミストの両名に返り討ちに遭ったとの事です」


 これは副ギルド長が怒るのも無理はない。

 事情を知っていれば私も一緒になってサラを叱責していただろう。

 冒険者と依頼のランクの差が成功率を落とすという事もあるが、下手をすれば冒険者の命にも関わってくるからだ。


「幸い、フォッグらは人殺しを好まない性分のようで、二人は装備を取り上げられ全裸にされたものの体には傷一つ無く、抱き合うように縛られてご丁寧に大神殿の前に転がされていたということです」


 つまり敵は、返り討ちにした冒険者達が大僧正様のご依頼によって派遣されたのだと既に察しているというわけか。


「依頼内容と冒険者のランクの差があったので尋問したところ、例の冒険者ですが近頃ではCランクの依頼では物足りなくなってきていた上に、新しい装備を買うお金を手っ取り早く稼ごうと報酬の額を見て、更にフォッグらが殺人を好まない事から彼らを侮り依頼の落札を申請……本来なら突っぱねるか、上に判断を仰ぐべきであったサラ=エモツィオンは件の二人とは同郷の幼友達であり実力を高く評価していた事から独断で申請を受理、依頼遂行の許可を与えたというのが顛末です」


 今回の罰は甘過ぎると思ったけど今のギルドは人手不足なので、と話を締めた副ギルド長に私は思わず唸ってしまっていた。

 状況が分かれば、一週間の謹慎は確かに甘い。甘いが冒険者ギルドの職員数を鑑みればその辺りが落としどころであったのだろう。


「他に減俸も考えたのですが、彼女の御両親は既に亡くなっており、養うべき病弱の弟さんがいるのでそれも断念しました。薬代を稼げなくなり、思い余って犯罪に手を出されてはそれこそ冒険者ギルドの不名誉となりますのでね」


「いや、英断だな。処分としては甘ェが、普段から嘗めきっていた相手にこっぴどく叱られたンだ。今頃ァテメェの仕出かした事の重大さが骨身に染みてるだろうよ」


 ギルド長の言葉に副ギルド長は再びふわふわと宙に浮かび上がると、私達と目線を合わせて微笑んだ。


「注意すべきところは僕の方からキツくお説教しておきましたので、お二人はサラちゃんを叱らないであげて下さいね。この上、ギルド長と事務長からお小言を云われてしまっては彼女が追い詰められてしまいますから」


 やはり基本的に副ギルド長は優しい人なのだと再認識できた瞬間だった。

 いや、人の上に立つべき人と云うべきか。

 普段は優しく部下に接していても、いざとなれば恨まれてでも云うべき事ははっきりと云う。部下に嫌われたくない一心で部下となあなあの関係になる上司よりは理想的な上司であろう。


「それと例の二人組ですが……まあ、若い女の子だからなんでしょうね。口を開けば、大勢の目がある中で裸にされて恥ずかしかっただの、お嫁に行けないだの、ばかりで反省の色が見えませんでしたが、フォッグとミストの容姿、戦闘能力の程度、仲間の有無など有益な情報をもたらしたので、今回に限り除名処分は避け、Dランクへの降格及び向後の依頼十件は依頼達成数にカウントしないという罰で済ませました」


 一見厳しいようだが今後、自力でCランクに返り咲き、更に上も目指せる土壌を残してあげているところが副ギルド長らしい。


「という訳ですから、午後から大神殿へ出張に行ってきますので、後の事は宜しくお願いしますね」


「おう、今日の分の書類は全部こっちでやっとくから心配しねぇで行ってこい。大僧正の爺さんにヨロシク云っといてくれ」


 了解です、と手を振って出掛ける準備をする副ギルド長に声をかけた。


「私も同行させて下さい。サラは私の直属の部下です。本来であればサラをきちんと教育できていなかった私も罰を受けるはずでした。それに只でさえ副ギルド長には憎まれ役をさせてしまった訳ですから、少しはお手伝いをさせて下さい」


私の言葉に副ギルド長は苦笑とも微笑みとも取れる微妙な笑顔を見せた。


「義理堅いなぁ……でも、確かに責任者が二人も顔を見せればマトゥーザ……いやさ大僧正の心証も少しは良くなるかも知れないね。じゃあ、僕は馬車の手配をするから事務長は中央通りにある甘味屋、パーラー・すちゅーでり屋に行って名物の極上鶏卵プリンを取りに行ってきて。大僧正はコレに目が無くてさ。人気商品だけど、予約してあるし、もうお金も払ってあるから僕の名前を出せば貰えるはずだよ」


 こういうところにそつが無いのだから恐れ入る。

 お詫びに行く前にちゃんと大僧正様の好物をリサーチしているのも流石だ。

 私はプリンの引換券を受け取ると、中央通りへ向かうのだった。









「おお、クーアよ。よう来た、よう来た。相変らずめんこいのぅ。小遣いやろうか?」


 好々爺の面相で副ギルド長の頭をわしわしと撫でる大僧正様に私は呆気に取られていた。

 今日、初めてお目文字したのだが、これほど気さくな方だとは思ってもみなかったのだ。

 お年を召してはいるが、肩幅が広くがっしりとしており、立ち振る舞いに隙を見出すことができない。

 しかし、顔だけを見れば、長い顎髭を撫でながら、ほふほふと笑っていらっしゃるので、そのギャップも私を戸惑わせている要因だ。

 聖都六華仙の一人として『水華仙』の称号を持ち、星神教のトップに君臨されていることから、厳しい方なのではと勝手に想像していた上に、今回の冒険者ギルドの失態から叱責を受けるのではと覚悟していた私は間抜け以外に云いようがない。


 と、ここで私達が教えを乞う星神教について簡単に説明したいと思う。

 星神教とは我らが聖都スチューデリアの国教であり、世界でも最大級の規模を誇る宗教の一つに数えられている。

 読んで字の如く、天空に輝く星の一つ一つが神であり、昼は太陽、夜には月と星々が我らの生活を見守って下さっているという考え方の宗教だ。

 信徒一人につき一つの星が守護神となって『宿命』を授け、我々はその『宿命』により夜の闇にも似た人生という名の試練を進んでいけるのだと、朝晩、神に祈りを捧げている。

 余談だが、神々は司っている『力』の性質によって、『獅子』『狼』『亀』『不死鳥』『虎』『龍』と六つのグループに分けられている。

 例えば私は『虎』の神々の一柱を守護神に戴いているが、『虎』の神々は『大地』と『豊穣』を司っており、その影響で地属性の魔法の資質を持っている。

 これを『宿星魔法』と云い、己の守護神が司る属性と同じ属性の魔法を遣えるようになるけど、一属性に特化しており他の属性が遣えないという欠点もある。

 少々話は逸れるが、副ギルド長は全ての属性の魔法を操れるけど、それは彼が森羅万象に宿る精霊の力を借りる『精霊魔法』の遣い手であるからだ。

 火属性の魔法が遣いたければ火の精霊、水属性ならば水の精霊と魔法ごとに異なる精霊と契約しなければいけないので手間がかかるものの汎用性が高い。

 また、中位、上位の魔法を遣いたければ、それなりの地位にいる精霊に認められて契約をしなければならない。つまり、才能のみならず、精霊からの試練によって知恵と勇気が試される事から、今では若手の『精霊魔法』の遣い手は減少傾向にある。

 対して『宿星魔法』は一点特化ではあるものの、本人の素質と努力次第では子供でも上位の魔法が遣えるようになるので、近頃では一属性一辺倒の魔法使いも珍しくないのだ。


 閑話休題。

 副ギルド長は大僧正様の手を払いのけると、溜息を一つ吐いた。


「はぁ……僕はもう食うに困らないだけの収入があるよ。むしろ僕達の方がお土産を渡さなきゃでしょ? はい、君の好きなパーラー・すちゅーでり屋の極上鶏卵プリン」


 風が吹き渡る爽やかな草原の如き鮮やかな緑色をした髪を、嵐が過ぎ去った叢へと変えられた副ギルド長は呆れた顔をしてお土産のプリンを大僧正様に手渡した。


「おお、おお! これがな、少ーしブランデーを垂らすとすこぶる旨くなるのぢゃ! 後に茶会催すで共に食そうぞ!」


「こら、破戒僧! 何、ナチュラルに酒瓶を取り出してるのさ?」


 って、副ギルド長? 何、ナチュラルに大僧正様にタメ口を利いているんですか!

 焦る私を尻目にお二人は笑顔と呆れ顔を交互に入れ替えながら談笑されている。


「ところで、今回の神像奪回を失敗した件、あれは完全に冒険者ギルドの不手際だった。これこの通り、申し訳ない!」


 にこやかにお互いの近況報告をしていた中で、不意を突くように勢いよく頭を下げた副ギルド長に大僧正様は目を丸くされていた。

 しかし、それが突然の謝罪のせいなのか、虫の触角のような長い髪飾りが鞭の如くしなって大僧正様のご尊顔を襲ったせいなのか、怖くて訊けない。


「おいおい、相手の虚を衝いて主導権を握ろうとする昔の悪い癖が出ておるぞ。何か昔に立ち返るような出来事があったかのぅ?」


「やっぱり、君に隠し事は無理だよね」


 心配そうに顔を覗き込む蒼い瞳に、副ギルド長はバツが悪そうに頭を掻いた。


「最近、人を守る為に人一人殺したよ。相手は聖帝陛下お抱えの密偵だった」


 何ですか、それ?

 副ギルド長が何故、聖帝陛下と事を構えたのか……否、何故、人を殺めなくてはならなかったのかを問おうとする私を遮るように、何かを叩くような音が重なる。

 見れば険しい表情を浮かべた大僧正様がブランデーの瓶を机の上に乗せていた。


「話せ! 愚僧も僧籍に身を置く者の一人ぢゃ。懺悔の一つくらいは聞いて進ぜよう」


 大僧正様自らが懺悔を聞いて下さるなんて、信徒として羨ましい限りだ。

 しかし、副ギルド長は珍しく嫌そうな顔をして首を横に振る。


「忘れたのかい? 僕は星神教徒じゃないよ。それどころか、あらゆる宗教を、神を嫌悪しているんだよ、僕は」


 あまりにも不敬なことを云う副ギルド長に私の血の気が引いていく。

 けれど、大僧正様は気分を害された様子を見せずにグラスを取り出した。


「知っておるよ。お主が神そのものを恨んでいるのは百も承知ぢゃ。だがな、懺悔とは本来、神仏に己の罪を告発して赦しを乞うものではない。心の内に秘めた罪を吐き出して楽になる為のシステムぢゃよ。それを救われたと勘違いしておるだけの話よ」


 な、何か聞いてはいけない事を聞いてしまったような気がする。

 大僧正様はグラスになみなみとブランデーを注ぐと副ギルド長の手に持たせた。


「呑め! 話さぬ内は謝罪を受け付けぬし、街へは帰さぬと左様に心得い!」


 副ギルド長はしばらくブランデーに映る自分の顔を睨んでいたが、大きく息を吐くと一気に煽った。









 全てを語り終えた副ギルド長に対して大僧正様はしばらく無言だった。

 無論、私も言葉が無い。

 まさか、聖都スチューデリアの頂点たる聖帝陛下がビェードニクル伯爵の領土を狙っていただなんて誰が想像出来ようか。

 確かにこれは自分の胸にしまっておくよりないだろう。

 未遂に終わったとはいえ、国家元首の陰謀を知ってしまい。それを阻止したギルド長と副ギルド長の心労が如何なるものなのか計り知れない。


「ふぅ……」


 今の溜息は誰のものだったのか。私か、副ギルド長か、大僧正様か、或いは三人ともだったのかも知れない。


「パテール……あの馬鹿者はいよいよ狂ったか? 若かりし頃は暗愚ながらも民の為に体を、命を張る立派な皇子ぢゃったがのぅ」


「まあ、美形だったし人からは愛されていたよね。それで何を勘違いしたのか、世の中の女はみんな俺のものって巫山戯たことも云ってたけど……」


 しばらくお二人とも暗く打ち沈んだ表情をされていたけど、ほぼ同時にグラスを空にして顔を上げた。


「そのうちパテールめには神罰が降ろう。それより気分はどうぢゃ?」


「最悪だよ。逆にあの密偵の顔が鮮明に頭の中に甦るし、パっつぁん……じゃなかった。陛下の悪口云ってたら、昔、妹を犯されかけた事まで思い出しちゃったじゃないか」


 聖帝陛下の過去の悪行までも聞かされて私の内心は穏やかではなかった。

 しかし、大僧正様はと云えば、身を乗り出してニヤリと笑っているではないか。


「あった。あったな、そんな事! あの時、妹殿を救出しに行ったクーアは怖かったぞ。パテールの奴、睾丸を片方引き抜かれて泣いて赦しを乞うておったからの」


「一応は皇族だからね。子孫を残せなくなったら一大事だって無意識のブレーキがかかっていたのかも知れないよ」


 見た目が可愛く、ほんわかとした雰囲気を持っている副ギルド長だけど、昔は皇族にすら容赦ない制裁を加える恐ろしい人だったようだ。

 それを思えば、サラを叱責していた時のあの迫力は、そんな情け無用の昔を思い出しかけていた影響もあったのだろうと推察できる。


「さて、僕はそろそろ行くよ」


 ふわりと浮かんだ副ギルド長に向けて大僧正様は驚いたように顔を上げた。

「何ぢゃ? これから茶会を開こうと思っておったのに。それに久しぶりに会ったのぢゃ。夕飯くらい食っていけ」


「気持ちは嬉しいけどね。もたもたしていたらフォッグ&ミストなんて漫才のコンビ名みたいな白浪(しらなみ:泥棒の別称)の思惑通りになっちゃうよ」


「おい、まさかお前さんが自ら神像を取り戻そうと云うのか?」


 副ギルド長はそれには答えず、ニッコリと私に向けて嗤ったので、不意を突かれた私の心臓はドキリと跳ね上がった。


「そもそもフォッグとミストがBランクに指定されているのが可笑しな話だったのさ。もしもの話なんてしたくないけど、仮にBランクの冒険者が神像奪還に派遣されても失敗していた公算が高いよ。いや、Aランク持ちでも二人や三人じゃ歯が立たないさ」


 え? 何? 一瞬、私の頭は何を云われたのか理解が追いつかなかった。


「フォッグとミストは盗賊ギルド・窃盗部門を統括する超一流の大泥棒だよ。僕もまさかそんな超大物が自ら動くとは思ってなかったし、怪盗フォッグ&ミスト関連の書類はギルド長が処理していて僕はノータッチだったから気付くのが遅れてしまったんだよ」


 盗賊ギルドとは世界各地に跋扈する盗賊達が結集し相互扶助を目的として作られた組織のことで、我々冒険者ギルドとは古くから対立している。

 犯罪者の集まりながら一丁前に様々な部門に分かれており、先程、副ギルド長が前述した窃盗を専門とする部門、詐欺師の部門、標的となる大店や貴族の屋敷などの調査を受け持つ部門、殺し屋を周旋する暗殺部門なんてものまで存在するのだ。


「そなたはフォッグ達のことを知っておったのか?」


「直接の面識は無いよ。けど、組織同士が長年対立してようと僕個人には付き合いのある気の置けない盗賊の友人もいるからね。そこから噂程度に聞いたことがあるってだけさ」


 だからね、と副ギルド長は手が隠れるほど長い袖の先から右手を出して、ご自分と私を交互に指差した。


「今回の一件は冒険者ギルドの完全な手落ちだって云ったのさ。なら、組織の幹部として責任を取らなくちゃなんだよ」


 副ギルド長の黒光りする無骨な手が私の頭の上に乗せられた。

 無骨と云っても筋骨隆々というのではない。普段は長い袖の中に隠されている副ギルド長の両腕には何故か蜈蚣の甲羅を思わせる意匠の手甲が嵌められている。

 趣味が悪いから外して欲しいと何度抗議したか覚えてないが、その度に苦笑と共に誤魔化されるのが常であった。


「僕はこれから情報を買いに行ってくるよ。居場所を変えている可能性は低いけど、念のためフォッグとミストの情報を出来る限り集めるのは悪くないからね」


「何故、逃げないと思うのですか?」


 すると副ギルド長は呆れたように顔を弛緩させて私の顔を見た。


「シャッテ? シャッテ=シュナイダー君? 状況分かってる? いつもの君だったらとっくに情報を纏めて策を練っているところだよ?」


 正直云って今の私の頭は使い物になっていない。

 次から次へと衝撃的な情報が流れてくるせいで脳が処理しきれていないのだ。

 副ギルド長の緑の瞳に間抜け面を晒す私の顔が映る。


「良いかい? 盗まれた神像は歴史的な価値はあるけど金銭的価値は無い」


「悪かったのぅ」


 大僧正様の憮然とした呟きに私は反応出来ずにいた。


「それでも下手な王宮より警備が厳重な大神殿から神像を盗んだ理由は、事件を表沙汰にしたくない星神教の思惑を想定して冒険者ギルドへ依頼がいくよう仕向ける為なんだよ」


 ここに至って漸く私の脳味噌がまともに働き出してくれた。


「怪盗フォッグ&ミストの名がここにきて重要になってくるのですね?」


「いかさま。盗賊ギルドの大幹部が自ら乗り出してきたんだ。彼らとしてはAランクの冒険者が討伐に来ると見越していただろうね。様々な窃盗事件で容易にアジトの割り出しを可能とした証拠をわざと残していったのもその一環だよ。ところが、やって来たのがあんな小物じゃフォッグ達も拍子抜けするやら情けないやらといった心持ちだったと思うよ」


 ああ、彼らの思惑は私達がBランクに指定してしまったのと、サラの独断でご破算になってしまった訳か。


「そこまでは良い。敵の本当の狙いが冒険者ギルドだというのも得心がいった」


 大僧正様は今回の事件で最も不可解な部分に触れられた。


「ぢゃが、それで奴らに何のメリットがある? Aランクの冒険者を片っ端から返り討ちにすることか? 違うぢゃろうなぁ。星神教か冒険者ギルドの権威を貶める為か? それも違うな。高ランクだろうと冒険者をちまちま倒したぐらいで屋台骨が揺らぐ我らではない。丸っきり動機が読めんのぢゃよ」


「けど、それを繰り返せば冒険者ギルドも星神教も本腰を入れるようになるだろうねぇ。事件が大袈裟になってくれば神殿騎士も動かざるを得ないだろうし、そうなれば軍隊は大袈裟としても警備兵の介入くらいは考えられるよ。何せ国教の総本山から神像を盗まれたんだから聖帝陛下としても心穏やかじゃ済まないだろうさ」


 そこまで聞いて、私の脳裏にある考えが浮かんだが、流石に有り得ないし、畏れ多いことなので口にするのも憚られた。


「そう、盗賊ギルドの真の狙いはこの国に住む人々の関心を神像争奪戦へ向け、尚且つスチューデリア城の警備を手薄にすることにあるんだろうね。ここの警備を抜くような恐るべき盗賊集団だ。隙間のできた宮殿に忍び込むなんて朝飯前なんじゃないかな?」


 私の考えを読んだかのように話を続ける副ギルド長に私は戦慄させられた。


「流石に目的が聖帝陛下の暗殺ではないと僕も思うけどね。そんなことをすれば、如何に屈強な盗賊達だろうと軍隊によって殲滅させられるって分かっているだろうさ」


 もし、本当に盗賊ギルドの目的が王宮であるとするならば、確かに一刻の猶予もならない。副ギルド長が自ら早期解決を図るのも当然の事と云える。


「それにしても神像は良かったなぁ。権威はあっても価値は無し。国が取り戻そうにも神像一つに軍隊を動かしたら逆に恥となるから派遣するにしても警備兵止まり。しかも聖帝陛下の耳に入る段階になるって事は、冒険者ギルドが一敗地に塗れている状況になっているはずだから、僕達を出し抜けると嬉々として兵を差し向けてくるだろうね」


 そう云えば、副ギルド長達は聖帝陛下の陰謀を一つ叩き潰しているのだった。

 ならばギルド長ですら梃摺る盗賊から、自分の手で神像を取り戻してあの一件の溜飲を下げようと考えても可笑しくはない。


「じゃ、そういう訳で、僕はそろそろ行くよ。マトゥーザも今度はゆっくり寄るから、その時は御夕飯よろしくね」


 そう云うや、副ギルド長は自らの影に沈み込むように消えていった。

 あまりの事に目を丸くする私に大僧正様はまるで子供のようにお腹を抱えて笑われた。


「影を媒介にして、影から影へと瞬時に移動する『影渡り』の秘術ぢゃよ。元々は魔族が操る魔法であったが、流石はクーア、とうに自分の物としておったか」


 私はいつ皿になった目を元に戻せるのだろうか。


「魔族ですか? 五十年前に地上へと現われて人々を恐怖に陥れた、あの?」


「そうぢゃ。クーアはな、五十年前、異世界より召喚された勇者を助け、魔王に戦いを挑み、魔界へと追い返した魔法使いだったのぢゃよ」


「副ギルド長が勇者様の仲間……って事は英雄じゃないですか!」


「そうなるのぅ」


 そうなるのぅ、って……


「かく云う愚僧も勇者パーティの一員だったのぢゃよ。あやつと愚僧は戦友、故に公式の場でない限りは五分の付き合いを続けておるのぢゃ」


 だからこそ副ギルド長は大僧正様にあれだけ気安い態度を取っていたのか。


「もっともクーアは初めから仲間だった訳ではなかった。お嬢ちゃん、確かシャッテと云ったかの?」


 お嬢ちゃんて、私はもう二十八歳なんですけど……


「愚僧やクーアから見れば十分お嬢ちゃんぢゃよ」


 快活に笑う大僧正様に私の頬が熱くなってきたのを感じた。


「話を戻そう。シャッテ殿はヘルト・ザーゲという書物を読んだことはあるかの?」


 ヘルト・ザーゲ。

 この世界の冒険者及び冒険者に憧れる者達にとって聖書に匹敵する物語だ。

 五十数年前、突如現われた魔王の侵攻に苦しめられていた人々によって最後の希望として異世界より召喚され、激戦に次ぐ激戦の末に魔王と魔族の軍勢を魔界へと追い返すことに成功した勇者様の冒険を、当時の日記や各地に残された伝説を元にして英雄譚にしたものである。

 幼い頃、父より買い与えられてから表紙が擦り切れるまで何度も夢中になって読み返し、寝る時も枕元に置いていたくらい大好きな物語だ。


「ならば話は早い。そなたはヘルト・ザーゲの第三巻と第四巻の内容を覚えておるかな?」


 当然です。

 この全二十五巻からなる壮大な物語を私は初めから最後まで諳んじてみせる自信がある。

 第一巻は魔王が現われ地上侵攻を始めてから、神官達が神託によって異世界より勇者様を召喚するまでが書かれた序章と、魔王が存在しない平和な世界からいきなり我らが世界へ召喚されて混乱の極みにあった勇者様が、周囲の説得と現在進行形で迫る魔界の軍団を目の当たりにした事で危機感と使命感に目覚め、神から与えられた聖剣を手に取って旅立つまでを書いた第一章が収められている。

 第二巻は元いた世界とは異なる文化に戸惑う勇者様の様子がユーモラスに描かれている前半部と、王宮から護衛として派遣されたものの、得体が知れぬと勇者様を認められない騎士達との軋轢を生々しくスリリングに書かれた後半部のギャップが読み手を戸惑わせる。

 しかも、その護衛として参加していた騎士の一人が若かりし頃の大僧正様であったというのだから驚きを隠せない。

 そしてラスト、魔族に与する豚面の亜人オークの集団が街を強襲するが、勇者様の機転によりオーク達を追い返したことで騎士達との和解の糸口が見出されて、読者は胸を撫で下ろす仕組みだ。

 勿論、実話が元になっているが、多かれ少なかれ脚色が混じっているだろうから実際にはもっと苦労されたであろう事は想像に難くない。

 そして大僧正様の示す第三巻は、時の聖帝が発令した魔女狩りによって起こる悲劇が話の根源にあった。


「くだらぬわい。待てど暮らせど魔族を退けられぬ事実に民衆の怒りが自分に向くのを恐れた聖帝が、魔王の眷属でありながらも心穏やかで人間に対して敵対感情が薄い魔女達に矛先が向くよう仕向けたのが魔女狩りの真相よ」


「大僧正様……もしかして怒っていらっしゃいますか?」


「ああ、怒るとも! アレが原因で死ななくてもよかった者が幾千、幾万と出たのだからのぅ。魔女狩りに遭った者は冤罪も含めて三万人にも及ぶ。否、冤罪と云えば魔女達とて罪は無かった! そして、その怨念が後に云うユームの魔女戦争を引き起こしたのぢゃ」


 魔女の谷と呼ばれる鳥も通わぬ死の谷にユームという名の魔女が暮らしている。

 彼女は聖都スチューデリアの大臣と恋に落ち、身分違いから結婚こそ出来なかったものの沢山の子供に恵まれ平和な日々を過ごしていた。

 しかし、平和な時間は長続きせず、彼女は魔女狩りのターゲットとなってしまう。

 子供達とその父親の命と引き替えに出頭を決意するユームだったが、その決意も虚しく、逆にユームを救わんと直談判をした大臣が聖帝の怒りに触れて処刑される。

 更には父と共に母親の助命を訴えていた長男と次男も縛り首にされてしまったことで魔女と残る子供達は聖都スチューデリアへの復讐を決意するのだった。


「その魔女ユームの三男こそがクーアだったのぢゃ」


「何ですって?」


 衝撃の事実に私はまともな思考が出来なくなってしまった。

 いや、今日はサラの一件からこっち、ずっと白昼夢を見ているかのようで自分自身が何とも頼りなく感じている。


「ヘルト・ザーゲでは復讐を決意しながらも、思いつく作戦に必ず穴があって失敗を繰り返す魔女一家と勇者の戦いがユーモアたっぷりに書かれておるが、実際は悲惨で酸鼻極まる凄まじい戦いであったわ」


 大僧正様のお話では、民衆から罵声と石礫をぶつけられながら首を絞められて死んでいく兄達を助ける事ができず、斬首され晒された父親の首すら風化するまで取り戻す事が出来なかった副ギルド長の怒りと絶望は母親以上であったという。

 確かにこれでは星神教に帰依することなんてできやしないだろう。

 むしろ嫌悪を抱くに留まっている副ギルド長に賛辞の言葉を贈りたいくらいだ。


「クーアは幼い頃から魔法の才能を開花させておってのぅ。いつも母親から魔法の手解きを受けていたそうぢゃ」


 魔女達の集会・サバトにも小さい頃から参加していた副ギルド長はユームの魔女仲間から猫可愛がりに可愛がられていたらしい。

 彼が普段から使っている『浮遊』の魔法も、魔女から伝授された箒で空を飛ぶ技術の応用であるという。


「恐ろしい事にサバトに出席していた魔王からも孫のように可愛がられていたそうでな。当時のクーアは魔王の事を、お菓子とおもちゃをくれる優しいお姉さん、と認識しておったそうぢゃよ」


 魔王は勇者様や聖職者を堕落させる為、見目麗しい両性具有の魔神の姿で現われると伝承に記されているが、幼かったクー坊(魔女達からの呼び名)にとっては、股間に自分と同じモノがある綺麗だけどちょっと変わったお姉さんでしかなかったそうだ。


「クーアは疾うに還暦から十年以上過ぎて生きておる訳ぢゃが、見ての通り幼く愛らしい姿のままでおる原因は、魔王から貰った魔界の菓子を食い、魔王より与えられたおもちゃ……実は魔界でも貴重な魔装具(魔王の為に作られた武具らしい)だったそうぢゃが、それで遊んだ影響らしい」


 そして副ギルド長の魔法の才能は、ユームの復讐戦争でも遺憾なく発揮されてしまう。

 幼きクーアは滅多に逢う事は叶わなかったが、逢えば自分を優しく抱き締め、時間が許す限り遊んでくれたり知識を授けたりしてくれた父を殺した聖帝だけではなく、自分を可愛がってくれた兄達に唾を吐きかけ縛り首にした民衆をも復讐の対象とした。

 まず幼きクーアは魔法で蝗を手懐けると、スチューデリア中の畑を襲わせて深刻な飢饉に陥らせたそうだ。

 ヘルト・ザーゲでは勇者様が聖剣の力で魔女ユームの魔力を断ち切って蝗を霧散させる事に成功しているが、実際は蝗の駆除までには至らず蝗害は続き、苦肉の策で官庫を開いてその年を凌いだに過ぎなかったらしい。

 次いで鼠を操って疫病を流行らせようとしたが、これは急に街から姿を消した鼠に不審を抱いた勇者様が蝗騒動を思い出して街を挙げての害獣駆除を提案、すぐに街の清掃が始まり、殺鼠剤が撒かれた事で未遂に終わった。

 その後、邪魔をしてくれた奴の顔を拝んでやろうと街へ乗り込んできた幼きクーアと勇者様は邂逅を果たす事になる。


「罪の無い魔女達を迫害し、裁判とは名ばかりのおぞましい拷問の末、火炙りにしてきた星神教の人面獣心けだもの共……今度はこちらが裁く番だよ」


 見た目こそ幼い子供だが、彼から放たれる濃厚な殺気に民衆はおろか百戦錬磨の護衛騎士達でさえ恐怖に身を竦ませたという。


「判決……スチューデリア人は全員死刑。地獄に堕ちた後、獄卒共から受ける呵責が慈悲深く感じられるほどの苦痛と恐怖を味わわせながらゆっくりと滅ぼしてあげるよ」


 私の知るほんわか副ギルド長からはとても想像できない言葉である。


「それと星神教に与する勇者様? 今なら見逃してあげるから、とっとと自分の世界へと還るんだね。退くも勇気、逃げるも勇気。君は勇者を名乗る者だ。真の勇気と偽物の勇気即ち無謀や蛮勇などとの区別がつくだろうと信じているよ」


 そう云い残して幼きクーアは夜陰に融けるように姿を消したそうだ。


「愚僧もその時、居合わせておったのぢゃがな。あの鮮やかなグリーンの瞳が夜の闇よりも昏く見えてのぅ。ぞっとしたのを覚えておるわい」


 こうして当時の話を聞かされると、副ギルド長の怒りの凄まじさが伝わってきて背筋が寒くなってくる。


「その後、魔女ユームと子供達は敗北を繰り返すようになるのぢゃが、その本当の理由は分かるかの?」


「ええ、物語では作戦に穴があっただけでしたが、実際は敢えて敗北を繰り返す事で勇者様達を勢いづかせて自分達の本拠地である魔女の谷へ誘導していったのですね」


 頷かれる大僧正様に私は、結局あのユーモラスな魔女一家との戦いは子供向けに書き換えられたフィクションであったのだと悟らざるを得なかった。

 しかも勇者様に敗北はしているものの、標的である魔女狩りの実行者や教会に魔女を売った密告者への復讐は確実に遂行していたそうである。それも魔女裁判すら比較にならない程に残酷で無慈悲な手段を用いて……


「全身を無数の毒蟲や蛞蝓に集られ喰い尽くされた差別主義者の尼僧、触れた途端に食べ物が腐る呪いをかけられた大食漢の密告人、人に与えた痛みが数倍となって自分に返ってくる体にされた拷問官など魔女狩りに携わった者は例外なく地獄に堕とされたわい」


 魔女を畏れるが故に行われた蛮行が逆に魔女の怒りに触れて自らの危難を招いた半世紀前のスチューデリア人……同情する気にすらならないのは、私が他国の出身だからであろうか?

 さて、物語も魔女一家を魔女の谷に追い詰めたところで第三巻が終了する。

 初めて読んだ時はドジな魔女達にクスクス笑っていたものだが、今となっては笑えなくなっていた。況してや当事者の一人が冒険者ギルドの仲間だと知ってしまっては……


「第四巻では本拠地に追い詰められたことで本気になった魔女ユームとの死闘が描かれておるが、実際は調子に乗った勇者、否、名声を得ようと勝手に同行してきたパテール皇子が油断して暢気に兵士に休憩を命じた隙を突かれ、思わぬ反撃を受けて浮き足立っただけの話なのぢゃがな」


 後はヘルト・ザーゲに書かれている通りの展開だった。

 渓谷に誘い込まれた勇者様と若かりし頃の聖帝陛下、パテール皇子の率いる兵士団がまず受けたのは無数の落石による歓迎であったという。少なくない兵士が石に足を取られ、巨岩に潰されていく中、今度は谷に棲むモンスターが襲いかかってきた。

 善戦するも陣形を乱された兵士達は次第に追い詰められて、ついに撤退する事になったのだが、ここにきて勢いに乗って進軍してきたツケを払わされることとなった。

 なんと狭い谷のせいで陣形が細長く伸ばされてしまっており、情報の伝達が末端まで届くのに時間がかかる他、薄くなった陣の脇腹をオークやゴブリン、オーガなどの伏兵に襲われる事態に陥ってしまう。

 谷の上から火矢を射かけられ、石が降り、モンスターが追ってくる状況では兵士も只の的と変わり果て、パテール皇子が這々の体で谷から脱出する事に成功したときには、五百いたはずの兵士は残り数名しか生き残っておらず、折角分かり合えそうだった護衛騎士達は大僧正様お一人を除いて全滅。そして、あろう事か勇者様は魔女一家に捕らえられてしまった。


「その頃、未熟だった勇者、否、我々ではクーアの人が持つには強大過ぎる魔力の前には為す術が無くてのぅ……巨大な火柱を起こす魔法と竜巻を操る魔法を組み合わせる事で編み出された、龍の如くうねる八本の炎を自在に使役するクーアオリジナルの殲滅戦用大魔法『ヤマタノオロチ』……神代の伝説にある怪物の名を冠した大魔法の殺傷力、破壊力の凄まじさは筆舌に尽くしがたく、勇者なんぞ聖剣ごと弾き飛ばされておったわい」


 大僧正様は当時を思い出されたのか、二の腕を抱いて震えてしまわれていた。


「勇者を救出しようにも、神の祝福を受けて対魔法防御力を高められた甲冑ごと護衛騎士達をムシケラの如く屠る魔法使いを相手にそれは不可能ぢゃった」


 当時、いくら使いこなせていなかったとしても神から賜った聖なる剣をものともしなかった副ギルド長……

 複数の、しかも属性の異なる魔法を組み合わせて強力な新魔法を作り上げる独創性といい、効率良く魔力を運用する技術といい、世界でもトップクラスの魔法使いと称えられる力量は既に半世紀以上も前から確立していたのか。

 さて、囚われの身となった勇者様だが、ヘルト・ザーゲではユーム達に復讐の虚しさを切実に訴え、後に改心させる伏線が張られるけど、実際では武器を取り上げられ、逃亡防止に裸にされて軟禁されていたらしい。


「勇者が女の子だったとは驚きだけどね。悪いけど容赦はしないよゥ。ま、家にある物なら何を食べても良いし、本も好きなだけお読みよ。ただし、家の外に出るのはオススメしないよゥ。オークやオーガどもは女なら種族なんて関係ないんだ。モンスターに純潔を散らされたくなけりゃ大人しくしていることさね」


 魔女はそう云い置いて勇者様の好きにさせていたそうだ。

 聖剣のない勇者など何するものぞ、と高を括ったか、勇者様の中に何かを見出したのかは分からない。


「それ以降クーアはな、文字通り素っ裸で堂々と食い物を喰らい、本を読んで寛ぐ女勇者と度々遭遇する事になったのぢゃ」


 勇者様とて理知を知らぬ子供ではないはずだが、人前で裸体を晒すことに羞恥を覚えている様子は全く見られなかったらしい。

 物語では膝裏まで届く髪は漆黒ながら日の光を受けて光沢を放ち、背は殿方にも見劣りするものではなく、目鼻立ちも卑しからず、その頭脳は明晰であったとある。

 つまり、才色兼備を絵に描いたような美少女であると説明されており、当時を振り返る大僧正様をして、希に見る美形だが、欠点は鷹のように鋭すぎる目付きぢゃ、と評価されていた。

 斯様に美しい少女が生まれたままの姿で魔女一家の団欒の場に普通に混ざるに至って、ついに折れた。


「悪かったから服を着とくれ。裸のまま一緒にカードゲームに興じられてはこっちが落ち着かないよゥ」


 ええ、魔女一家の方が……


「何だ? たったの五日ではないか。魔女にしては良心を咎めるのが早かろう」


 そう云って嗤う勇者様に魔女一家は、コノヤロウと思ったとか思わなかったとか。

 憤る家族を制して前に出たのは副ギルド長だった。


「嗤うって事は感情があるはず……恥ずかしくなかったの?」


 彼の疑問ももっともだけど、勇者様の答えは予想を遙かに超えたものであったという。


「元いた世界においては、物心着く前から常に人前で肌を晒しておったそうでな。今更、全裸にされたところで何も感じないし、何の拘束力も無いと嘯いたそうぢゃよ」


 なんと勇者様は母親の胎内から生まれた人間ではなかったのだ。

 とある国の軍隊が最強の兵士を量産する為、研究の末に創り上げた人造人間……錬金術でいうホムンクルスが勇者様の正体……

 私は初めて知らされた事実に、今度こそ打ちのめされてしまった。


「ヘルト・ザーゲに勇者の名が一度でも記された事があったか? 無かろう。それもそのはずぢゃ。あやつには名など無かった。強いて名乗るならば、Uシリーズ型番645が名前になるかと申しておったわい」


 勇者様の正体を知って衝撃を受けたのは私だけではなかった。

 幼きクーアですら、憎き勇者が過去、研究員達にその体を好き勝手に弄られていた事実に同情の念を覚えたほどであった。

 しかし、勇者様の方はあっけらかんと、お陰で並の努力では手に入らぬ強さと知恵を手に入れる事が出来た、と語ったという。


「しかし、そのような出会いのお二人がどうして共に魔王と戦うようになったのです? 況してや副ギルド長は魔王から下にも置かない可愛がられようだったのでしょう?」


 すると大僧正様は驚くべき事実を語られた。


「簡単なことぢゃ。魔女ユームと子供達の復讐は勇者の策によって成就したのぢゃからな」


「な、何ですって?」


 あろう事か、勇者様は生かさず殺さずの状態で足止めされていたパテール皇子の元へ帰還し、本国へ援軍を寄越すよう申請させ続け、逐次投入されるスチューデリア軍を、例の陣形を細長く引き延ばす策で繰り返し撃破されるよう仕向けた。

 中には谷の上に登って進軍しようと献策する者もいたが、谷の両サイドは鬱蒼とした森林に覆われており、森に入ったが最後、森の中での戦闘でゴブリンや魔女の手によってモンスターと化した植物などに勝てる道理もなく、瞬く間に殲滅させられてしまう。

 大軍を派遣しようにも狭い谷と深い森を攻めるには逆に不利となり、森を伐採し燃やそうとしても魔女ユームや幼きクーアの絶大な魔力によってあっと云う間に火を消し止められ、切られた木も一瞬にして修復されてしまう有り様であったそうだ。

 こうしてスチューデリア軍は勇者様と魔女によって徐々に追い詰められていった。

 そして、それと同時に恐るべき作戦が実行に移されていたのである。

 その頃になると、聖帝のおわすスチューデリア城の中には兵が殆ど残って折らず、宮廷魔道師でさえも魔女の谷へと派遣されて手薄の状態となっていた。

 それこそが勇者様の狙いであった。

 魔女ユームが聖帝陛下に呪殺の魔法を仕掛ける事に成功してしまったのだ。

 聖帝は日を追うごとに気持ちが苛立ち、周囲に当たり散らすようになっていった。

 次いで政務に身が入らなくなり、玉座に座り込んで呆ける日々を過ごした。

 更にはベッドから起き上がれなくなり、悪夢に魘されることが多くなったという。

 最後は、寝ては悪夢、覚めては幻覚に襲われるようになり、四六時中、誰かに謝り続けているような有り様であった。

 昼夜を問わず、恐怖に責め苛まれた聖帝はついに落命の日を迎える。

 遺命として、パテール皇子へは魔女の谷からの撤退を、側近達へは魔女狩りの廃止及び犠牲者とその親族への賠償を命じると、次の聖帝を指名する余力も無く息を引き取った。

 その死に顔は、妻や子供達でさえ目を背けるほど恐怖に歪んでいたそうだ。

 こうして魔女ユームは聖帝への復讐を果たし、後継者を指名しないまま聖帝が崩御したことで皇子達による熾烈な後継者争いが勃発。これによって官庫からは羽が生えたかのように金と食糧が消え失せ、更には先の蝗害から数年間、蝗が増え続ける事で飢饉が続き、聖都スチューデリアは暗黒の時代を迎えることとなる。

歴史上にポブレ=ビェードニクル伯爵が登場するまで、民衆は飢餓に喘ぐ事になるのだが、お陰で副ギルド長の怒りが収まったのだから皮肉なものだ。


「事実は小説より奇なり、と申しますが、まさか勇者様が魔女と手を組むなんて……」


 沈む私への返事は、私の頭へと載せられた大僧正様の大きく温かい掌だった。


「勇者はのぅ。召喚されたあの日、聖帝から命じられておったそうぢゃ。弱者を踏み躙る悪を討て、とな。魔女狩りは天下の悪法よ。勇者は聖帝の命を忠実に、見事に遂行した。そうは思わぬか?」


 大僧正様のお言葉に私の口元は何故か無意識の内に綻んでいた。


「それからぢゃな。勇者とクーアが連むようになったのは」


 お二人は互いに、『不良勇者』『男魔女』と罵り合いながらも離れる事はなかったという。

 しかし、如何に恩があろうと、大恩ある魔王の元を去ってまで勇者様に随行する理由には弱いような気がした。


「こればかりは愚僧の口からは云えぬて。どうしても知りたくば、クーアの心をお嬢ちゃんで占めれば良い。憎からず思っておるのぢゃろう? ん?」


 俄に私の頬が熱くなるのを感じた。

 確かに私はクーアさんを密かにお慕いしているけど、年齢が年齢だ。

 もっと云えば、クーアさんの見た目はどう頑張っても十歳前後、私が横にいるなど端から見れば犯罪以外の何物でもない。


「ま、色恋なんぞは当人達の問題ぢゃ。これ以上、愚僧がどうこう云えば罰が当たろう」


 なら、初めから云わないで欲しいですよ。


「ん? おお、いつの間にかこんな時刻か! 今から城下町に戻っては日が暮れよう。待っていなさい。馬車を呼んであげるよって」


 見れば、確かに窓からの光は紅いものとなっていた。

 大僧正様が部屋から出て行かれると、私は急に手持ち無沙汰になってしまう。


「しかし、クーアさんの心を私で占めるのと、彼が勇者様についた理由にどのような関係があるのだろう?」


「僕が何だって?」


「ふ? ふふふふふふふふふくくくくくくくくくく……ふくふくふくふく?」


 私の影からひょっこり顔を出したクーアさん、もとい副ギルド長のせいで、私の口から意味のある言葉を紡げなくなってしまった。


「ふふ、普段はクール&ビューティーで通している事務長がそこまで狼狽するなんてね。ちょっと驚き過ぎの気もするけどさ」


 私の醜態に副ギルド長は申し訳なさと可笑しさが同居した微笑みを見せた。

 いけない。先にも増して私の顔が熱を帯びてきている。

 ただ、この恥ずかしさがどういう種類のものなのかは自分でも分からなかった。


「ごめん、ごめん。笑ったりしちゃってさ。お詫びに最近、よく行くようになったお店で御夕飯を奢るよ

 副ギルド長が私の手を取ると、更に私の顔はヒートアップしていった。


「あはは。事務長の顔、夕陽のせいで真っ赤っかだよ」


 何ともベタな助かり方をしたものである。


「じゃあ、しっかり捕まっていてね」


なんと今度は私の体まで影の中へと沈んでいくではないか。


「お嬢ちゃん。すまぬが馬車が来るまで時間がかかるそうぢゃ。ただ待つのも暇ぢゃろう。一緒に晩飯でも……ありゃ? どこへ行ったのかの?」


 完全に影の中へ沈みきる直前に大僧正様のこんな声が聞こえたような気がした。









「で、だ。カルボナーラってのは元々炭焼き職人って意味でよ。何日も炭焼き小屋に篭もらにゃあならねぇ職人が保存の利く卵、ベーコン、チーズを使って調理したのが始まりって云われてンだ」


 何なんだ、この状況?

 副ギルド長オススメのパスタ屋、アルデンテで二人っきりのディナーを楽しんでいたら、いつの間にか、ベロンベロンに酔っ払ったギルド長が同席していた。

 しかも、何故かカルボナーラが載ったお皿を片手に講釈を打ち始める始末である。

 二人っきりのディナーを楽しんでいたのにだ。大事なことなので二回云わせて貰ったけど何か文句あるかしら?


「あの何故、ギルド長がここに?」


「何故って飯を食いに来たに決まってンだろがよ」


 うっ……この息の臭い、ビールとワインをちゃんぽんしているに違いない。

 悪酔いしているギルド長に私は負けじと食ってかかる。


「そうではなくて! この席は私と副ギルド長の席ですよ!」


「まま、そう怒らないでさ。食事は多い方が楽しいよ」


 憤る私を副ギルド長が宥めるが、それはそれで腹が立つものである。


「でもギルド長がそんなに酔われるなんて珍しいですね。いつもだったらウォッカでジンを割って呑んでも平気の平左なのに」


 それって割っていると云えるのですか?


「ああ、酔わねぇとやってらンねぇよ! クーア君が出張に行ってから聖帝のクソボケから呼び出しを受けてな。いくら俺が世間様に対して突っ張って見せても、国のトップから名指しで呼ばれちゃあ逆らうわけにもいかねぇさ!」


 今日、大僧正様から賜わったお話のせいで、若干なりとも皇族への心証を悪くしていた私はそれだけで嫌な予感を覚えるようになっていた。

 そういった予感に限って当たるというのは本当のようで、ギルド長の口からとんでもない事を知らされた。


「あンのエロジジイ! 例の神像奪還に失敗した二人組を侍らせて偉そうに踏ン反り返りやがってよ。あろう事か、国の宝を取り戻す重要な任務をこのような未熟な者達に押しつけるとは非情な者共よな。可哀想に、朕が手篤く慰めてやらねば、この未来ある二人の若者は心に深い傷を残すところであったぞって抜かしゃあがった!」


 なんと聖帝陛下は既に神像の奪還失敗をご存知だったのだ。

 しかも、それを出汁にギルド長を態々呼び寄せて痛罵を浴びせるとは……

 それにしても、手篤く慰める、か……それがどういう意味なのかは考えたくもない。


「それにしても腹が立つのはあの馬鹿二人だ! これから夜伽でもすンのかって問い詰めたくなるようなエロいナリしてジジイにしなだれかかってニタニタ嗤いやがって! どうせ一晩限りの遊びなのに後宮に入れると思っていやがるに違ェねぇ!」


 云うまでもなく情報源はあの二人であろう。

 二人が自発的に陛下に知らせたのか、はたまた呼び出されたのかは知らないけど、これは容易ならない事態になったと思って良い。


「で、パっつぁんは他に何て云ってきたのさ?」


 思わず漏れそうになった悲鳴を押しとどめた私は褒められても良いだろう。

 いつのものほほんとした笑顔と似ているようで全く違う。

 私は云いようのない恐怖に襲われて身動き一つ出来ない有り様だった。


「クーア君。いつだったか、俺の笑顔が怖いって云ったことがあったが、人の事ァ云えねぇンでないかい? いや、流石は男でありながら魔女の奥義を究め『魔女の王』と呼ばれるようになっただけはあるか」


「質問に答えてないよ? 後さ、君はどんな冒険者でも我が子のように可愛いって云っていたよね? なのにさ、今の君は、うら若き乙女の肌が嫌らしい年寄に穢されたというのに、そこについては何も触れてないよね? むしろ見下すってどういう事なのさ?」


 先程まで真っ赤になっていたギルド長の顔は真っ青を通り越して白くすらなっていた。

 現役時代、数々の伝説を残してきたギルド長も、世界最高レベルの魔法使いの静かな怒りを目の当たりにしては旗色が悪くなるらしい。

 いつもなら多少砕けながらも敬語を使っていた副ギルド長が、プライベートな時間とはいえギルド長に対して気安い口調で話すという事は、もしかして大僧正様がおっしゃったように昔の魔女一家の幼きクーアに立ち戻ってきているのではないのか?

 だが、私の危惧は杞憂であると伝えるかのように副ギルド長の微笑みは普段の愛らしいほにゃっとしたものに変わった。


「大丈夫。僕は二度と『魔女の王』にはならないよ。これでも僕は七十年以上生きているんだ。もう一部を見て全体を悪と見なす短慮は犯さないから安心して」


 副ギルド長が私の頭を撫でてくれる。

 それだけで私は母に抱かれる子供のように安心できた。

 ちなみに先程の一部と云うのはきっと、縛り首となったご兄弟に石を投げつけた民衆の事を指しているのだろう。


「むぅ……随分といい雰囲気じゃねぇか、お二人さん?」


 見ればギルド長が不機嫌そうに唸っていた。

 いい雰囲気は兎も角、部下に視界から追い出されては確かに面白くはないだろう。


「まあ、良いさね。クーア君も元に戻ったことだし、話も戻すとするさ」


 ギルド長から伝えられた陛下のお言葉は絶句させられるには十分な衝撃を伴っていた。


「聖后たっての願いであるからクーアを冒険者ギルドに下げ渡したが、このような大失態を犯す組織におってはかつての宮廷治療術師の名が泣こう。常ならば即刻クーアを返して貰うところであるが、猶予をくれてやるのもまた聖帝たる者の度量というものであろう。一週間である。一週間後のこの時間までに神像を取り戻し、大僧正殿を安堵させよ。さすれば此度の失態、目を瞑って進ずる」


 これには流石の私も沸々と怒りが湧いてきた。

 下げ渡すだの、返して貰うだの、副ギルド長は物ではないというのに!


「まあまあ、怒ったところで神像が返ってくるでもないし、ここはじっくり作戦でも練ろうよ。珍しくパっつぁんが一週間も猶予をくれたんだしさ。昔だったら明日、非道いときは夜明けまでにって無茶を云ってたよ」


 しかし、当の本人に宥められては矛を収めるしかないし、そもそも抜いた刃を向ける場所などどこにもなかったのである。


「まずは居場所だけど、例の二人が向かった所から移動はしてないだろうけど、一応、シヤンさんの仲間に探って貰ってる」


 どうやらここの主人であるシヤンという男は裏に回れば密偵の真似事をしているらしい。


「次にフォッグとミストの戦闘能力なんだけど、これは全くと云って良い程情報が無い」


「無いって、彼らの情報を得たからこそ二人は降格で済んだのでは?」


 すると副ギルド長は困ったように眉尻を下げた。


「降格で済ませる為に情報を得たって事にしたんだよ。一応、アジト周辺には一寸先も見えないほど深い霧に覆われていて、視界が利かない中、後ろから殴られた。あの霧こそその名の通りフォッグが術で操っていたに違いないって証言してるし、嘘じゃないさ」


 いや、本当に情報が全く無いじゃないですか。


「その辺の情報は僕に当てがあるから心配しなくても良いよ。ちなみに容姿だけど、これもさっぱり……二人とも顔中を包帯で巻いて隠していたそうだけど、声はハスキーながら高かったから女性だったのでは、と云っていたね。相手が女性だから何なのさって話だけどさ」


 ふぅむ。やはり大した情報は無かったか。

 これはいよいよ持って、腰を据えて事に当たらなければいけない。

 加えて、聖帝陛下がこの一件に絡んで副ギルド長の進退を賭けようと云うのだ。

 冒険者ギルドの面目を横へ退けたとしても失敗する訳にはいかなかった。


「ま、白浪さん達の情報が集まり次第、僕が出ますよ。初めはCランクだったのが、いきなり僕が出張るとなったら相手も意表を突かれると思いますしね」


 これは大僧正様にもお伝えした手筈であった。


「よし! こうなった以上は俺も出るぜ。生きた伝説と謳われた俺の実力、久々に悪党共に見せつけてやろうじゃねぇか!」


「何を馬鹿な事を云ってるんですよ。組織のツートップが揃って出て、双方共に何かあったら冒険者ギルドはどうなるんですか? 本作戦でのギルド長の役割は司令官となってギルド職員と冒険者達の指揮を取ることですよ。僕が乗り込んでいる間に、アジトから逃げ出した者を捕らえるとか、盗賊ギルドの本部へ報告しようとする間者を見つけて始末するとか、色々忙しいはずですからね」


 副ギルド長の言葉にギルド長はしばらく唸っていたけど、ついには頭をバリバリ掻きつつ溜息を盛大に吐いた。


「わーったよ。だがな、流石に単身で連中のアジトへ乗り込むことは許さねぇぞ? 敵が怪盗二人とは限らねぇし、どンな罠が仕掛けてあるか分かったモンじゃねぇからな」


 ギルド長を安心させるように副ギルド長は敢えて呆れ顔で返した。


「当たり前でしょう? 単身で魔界の城へ乗り込んで魔族の王子を倒すようなあーたと同様に思われては困りますよ。僕はか弱い魔法使いなんですから」


 か弱いという言葉の定義って何だろう?


「事務長? 何か云った?」


「いいえ、何も!」


 ああ、副ギルド長。可愛らしく小首を傾げないで下さい。

 傍目、犯罪でも構わないかなって思い始める自分が怖くなってくるので……


「フォッグ達のアジトへ乗り込むメンツも作戦を詰めながら決めていきますよ。もっとも僕が後衛なので必要とするのは前衛を数名くらいですかね?」


 それを聞いて、私の胸にある決意が宿る。


「そうだな。それじゃ、これ以上は良い案も出ないだろうから解散すっか。シヤン! 勘定だ!」


 テーブルの上にあった伝票を全部持っていくあたりがギルド長らしい。

 しかし、ギルド長の顔を潰すようで申し訳ないが、それは領収書だったりするのだ。


「なんだ? 随分、安いじゃねぇか?」


「そりゃ、そうでしょうよ。副ギルド長は入ってきた時にお金を払って、これで食べられる分のビールと肴をねっておっしゃるんですから」


 副ギルド長は共に食事をする者がいる場合、先にお金を払って食事を頼み、払った分までお酒をお代わりするようにしているそうだ。

 こうする事で予算オーバーは防げるし、何より酔いながらの支払いはトラブルになりかねないというのが副ギルド長の持論である。

 もっともお店によっては逆に嫌がられるので、常連となって気心の知れたお店に限るそうだけど。


「あっしら密偵を使う時もねぇ。こっちが何かを云う前に、これでみんなと呑んでよって金貨十枚、ぽんと下さるんでやすから、こちとらも身を粉にしようってもんでさ」


「さよか……じゃあ、俺は別の密偵を探すとするか」


 暗にギルド長が吝いと云わんばかりの亭主にギルド長はあっさりと背を向けた。

 これは彼も想定外のことだったようで、慌てたようにギルド長の足にしがみつく。


「そいつはちょいと水臭ェ話じゃ御座んせんか! あっしはギルド長の為ならいつだって火の中、水の中へ飛び込むと云ってるじゃねぇですかい。それをあっさり別の奴にすると云われたんじゃあまりにも情けねぇ」


 ああ、なるほど。

 ギルド長はああして腕は良いけどお金に五月蠅いあの密偵をいつもからかっているのだろう。

 ギルド員達とはまた違った信頼で結ばれたギルド長と密偵に私は自然と笑っていた。









 四日後。

 私は訓練場にて長年愛用してきた樫製の棍を振るっている。

 怪我が元で現役を退いてから早十年。自己鍛錬こそ欠かさなかったが、それでは現場に出るには心許ないので訓練場を利用して心身共に鍛え直しているところだった。

 あの日の翌朝、私は副ギルド長に談判して対怪盗パーティの一員に加えて頂いた。

 ギルドのみんなは驚いていたけど、副ギルド長は私の額に指を触れて魔力を流し、


「うん、怪我が原因で引退したって聞いていたけど、その傷も完治しているみたいだし、参加自体は歓迎するよ。ただし、ブランクだけはちゃんと埋めて貰わないと困るからね」


 と、念押しされたものの同行を許可して頂けた。

 それにしても流石は世界でも有数の治療術師、相手の体に魔力を流しただけで健康状態を知る事ができるとは……


「おら! 鍛錬中に考え事たァ余裕だな!」


「はぐっ! 申し訳ありません!」


 そして私の再修行に付き合って下さっているのがギルド長だった。

 何だかんだ云っても現役・退役も含め、ギルド最強である剣士直々に稽古をつけて頂くのはありがたいし畏れ多い事である。

 しかし、逆に云えばそれだけの事をしなければいけなかったのだ。


「さっさと立ちゃあがれ! 実戦じゃ休ませてくンねぇぞ!」


「は、はい!」


 まずはなんと云っても体力の衰えであろう。

 いくら自己鍛錬をしていると云っても、飽くまで趣味や健康法の域を出ていなかった私の体力は、加齢を考慮しても現役と比べもようもないほど衰えていたのだ。

 ついでに白状すれば、現役時代の防具を物置から引っ張り出して着てみたところ、お腹周りが苦しくなっていたのである。

 プロポーション、特に腰のくびれの維持には命をかけていたつもりだったけど、やはり事務職に就いてからの十年間はボディラインを崩すには十分な時間だったようだ。

 もっと白状すれば、何と云うか、若さ故だったと云うか、当時の防具とセットだった肌着はレオタード状だったのは良いとして、こんなのを着ていたのかと愕然とさせられるぐらい切れ込みがキツいハイレグだった上に、後ろに至ってはお尻が完全に見えていた。

 いや、昔から生きの良い、悪く云えば粋がった冒険者は総じて露出度の高い装備を好む傾向にあったのだ。それというのもガチガチに防御を固める事は自身の動きを妨げると考えられていたのもあるが、鎧の防御力に頼るのは未熟者、臆病者の証拠という風潮が冒険者達の間にあって、必要最低限の防具で戦う事が粋とされていた。

 御多分に漏れず現役時代の私もそうした流行りに乗って自分から防御力を落としていった愚か者の一人であり、エスカレートしていくうちに、この通り痴女の如き有り様を晒して世界中を肩で風を切って練り歩いていたのだ。

 そんじょそこらの男に負ける私ではなかったが、今にして思えば、よくも現役を退くまで無事でいられたものだと我ながら感心する。私が引退を決意する切っ掛けとなった大怪我を負わせた対戦相手が純粋に己を高める事に命を賭けるストイックな武芸者でなかったらあの後どうなっていたか背筋が凍る思いだ。

 とまれ、着てしまった以上、処理をすることになったのだが、これがまた情けない気持ちにさせられたのである。

 何の処理かですって? 察して頂戴……

 余談だけど、新しい防具は兎も角、戦闘用の肌着だけでも新調しようと思ったけど、どこの防具屋も仕立屋も予約がいっぱいで、とても怪盗のアジトへ乗り込むまでには間に合いそうもなかった事を明記しておく。


「何やってやがる! 攻撃が始まったのを見てから躱せる訳ねぇだろ! 構え、腕の振り、相手の目線、それらの情報を統合して予測を立てねぇと防御はできねぇよ!」


 次に自覚した衰えは、動体視力に始まり、敵の動作予測、状況把握能力、空間認識能力などなど戦闘に必要なスキルが物の見事に錆び付いていたことである。

 先程からギルド長の木剣の動きが読み切れないばかりか、切っ先だけを目で追い続け、敢えてばらまかれた小石に足と取られて躓くなど、およそ現役時代では考えられないミスを連発していた。


「テメェの棒術は「突き」「払い」「殴る」を組み合わせ、状況に合わせて変幻自在に姿を変えるのが極意だろうが!」


 ギルド長に云われるまでもなく、私は何度も攻撃パターンを変えて攻めるのだが、その悉くを弾き返され逆に撃ち込まれる始末だった。

 現役時代では千変万化する私の棒術に敵は翻弄され、気が付けば『幻惑』のシャッテと異名を取るまでになっていたのだが、今ではギルド長の木剣に私の方が翻弄されている。


「泣いてる暇あるか! テメェは親父さんから受け継いだ棒術を百姓武術と馬鹿にされンのが嫌で究めたンじゃねぇのか? それが今じゃ百姓武術どころか腰抜け武術だろうよ! 『幻惑』のシャッテが聞いて呆れらぁ!」


 私は溢れる涙を拭ってギルド長に打ちかかるが、とうとうギルド長は木剣を交えることなく無造作な前蹴りで迎撃し、私はそれをまともに受けて倒れ伏してしまう。


「やめだ、やめだ! これじゃいつまで経っても現役時代に近づきゃしねぇよ!」


 そして、ついにギルド長は匙を投げたのだった。


「テメェ、巫山戯るのも大概にしろよ? お前はいつから相手を気遣いながら戦えるほど強くなったンだ?」


「ど、どういう意味です? 衰えたと自覚しているからこそ稽古しているというのに……」


 意味が分からずギルド長に問うと、胸倉を掴まれ持ち上げられてしまった。


「自覚がねぇンじゃそれまでだな。今度の作戦は辞退しろ。この事は俺からクーア君に伝えておくから後の事は心配すンな」


 ギルド長が手を離すと、私は無様に尻餅をついた。


「寛猛自在……これで分からにゃあテメェはこれまでだ」


 ギルド長は木剣を肩に担ぐと、振り返る事無くギルドの事務所に入っていった。


「寛猛自在……この言葉の意味は……?」


 私は膝を抱えると子供のように泣きじゃくるのだった。









 翌日。

 私は昨日のショックから立ち直れずにいたものの、何とか書類を片付けていた。


「あの事務長? ここの決済が間違っているみたいなんですけど?」


 否、そうでもなかった。

 検算を頼んでいた部下が書類を遠慮がちに差し出してきた。

 いけない。これで今日は三回目のミスだ。


「事務長……今は大変な作戦を抱えて大変なのは分かりますが、お体が思わしくないようならお休みになられた方が宜しいのでは?」


「ありがとう。でも大丈夫よ。私だって人間なんだもの、失敗はするわよ」


 笑顔を作ったつもりだったけど、どうやら失敗に終わったらしい。

 私の顔を見た事務員が痛ましそうな顔をしていたからだ。


「副ギルド長、大丈夫ですかね? あの人が前線に赴くのでしょう? 強いと聞いてはいるのですが、どうにもあの見た目がねぇ……背丈は子供並だし、目こそツリ目勝ちだけど全体の作りは女の子っぽい柔和な童顔だし、そもそもあの人って治療術士でしょう? 本当に凄腕の戦闘員なんですかね?」


 そう、昨晩、ついに怪盗フォッグ&ミストの居場所が判明したのだ。

 やはり副ギルド長の予測通りアジトは変えていなかったのだが、周囲を覆っていた霧が俄に晴れ現われたのは、要塞というべき武装された砦だった。

 元々は没落貴族が捨てた屋敷を乗っ取ったものらしいのだが、今や窓という窓から大砲が顔を覗かせて、屈強な武装集団が守りを固めているらしい。

 ギルド長の見識では、フォッグとミストの名を出しているのにランクの低い冒険者を送り込んでくるような冒険者ギルドでは副ギルド長が読んだ思惑は通らないと踏んで実力行使に出たのだろうとのことだった。


「作戦放棄。聖帝陛下に軍の派遣を要請して。負けを認めて僕とギルド長が土下座すれば溜飲を下げると思うから、僕が王宮に連れ戻される心配はないよ」


 そうは云っていたけど、話に聞く限りではそのような保証はどこにもなかった。

 しかし軍が出るとなれば副ギルド長の安全は約束されたようなものだろう。

 そう安堵する私だったけど、午後になって凶報がもたらされるとは思いもよらなかった。


「邪魔するぞい」


 お昼休みも終わって、さあ、午後も頑張ろうという時にとんでもないゲストが現われた。


「だ、大僧正様? どうしてここへ? 護衛の方々は?」


 狼狽する私達への大僧正様のお返事は、


「喝っ!」


 というありがたいものだった。


「シャッテ=シュナイダー!」


「は、はいっ!」


 思わず私は直立不動の体勢で返事をする。


「愚か者め! クーアを見殺しにする気か!」


 大僧正様が何をおっしゃっているのか分からず私は呆然としてしまう。


「パテールの奴め。スチューデリア軍が来るまでの時間稼ぎをクーアに命じおった。軍隊が到着するまで盗賊共に悟られぬよう囮になれとよ!」


 何故、副ギルド長が? あの人は確かに絶大な魔力を持つ魔法使いだけど、百戦錬磨の武装した盗賊に囲まれては一溜まりもないはず。


「大方、ビェードニクル伯爵領での一件を根に持ってのことであろう。ギルド長には待機している冒険者達を下がらせるよう命じておる。表向きは軍が到着した後、戦闘の邪魔になると申しておるが、裏ではクーアの助太刀をさせまいと目論んでおるのぢゃろう」


 そ、そんな……副ギルド長が死ぬ?

 私は目の前が真っ暗になっていくのを感じた。


「戯けっ! 気をやっておる場合ではないわ! 良いか? お主は最早冒険者ではない。よって聖帝の命に従う謂われはない。そこが落としどころぢゃ! 実を申せば現役時代のお主を愚僧も存じておったのよ。昔は百姓武術と馬鹿にされておったが、今こそあの変幻自在の棒術が必要な時なのぢゃよ! あの外道共を成敗し、クーアを救えるのはお主だけぢゃ!」


 私だけが副ギルド長を救える?

 僅かに芽生えた希望だったけど、私はその芽を育てる事が出来ない。


「私の棒術はギルド長に見限られています。そんな腑抜けの私が副ギルド長を救うだなんて無理に決まっているじゃありませんか!」


 俯く私に大僧正様は怒るだろうか?

 しかし、私の頭の上に優しく乗せられた温もりにハッと顔を上げる。

 あの日のように大僧正様が微笑みながら私の頭を撫でて下されていた。


「お主は腑抜けてはおらぬ。現役から退き、戦いから離れた事でお主は優しさを手に入れたのぢゃ」


「優しさ?」


 大僧正様は力強く頷かれた。


「十代の頃のお主は棒術を天下一の武術にせんとギラギラしておった。それが悪いとは云わぬが、非情しか持ち合わせぬお主は危なっかしくて見てはおれんかった。しかし、今のお主は怪我で引退を余儀なくされた事で挫折を知り、人の心の痛みが分かるようになった。それがお主の優しさの根源にある」


 確かに父さんから伝授された棒術を天下に知らしめる野望が潰えた時は絶望したけど、それからは同じ絶望を知る者達の痛みが分かるようになっていた。

 現役時代の私は敵を只打ちのめす事しか頭に無かったのに……


「ぢゃが、その優しさがお主に無意識のブレーキをかけさせておるのもまた事実よ。ギルド長はきっと本気になって打ちかかる事が出来ぬお主が歯痒かったに違いない」


 そうだったのか。

 思えば、ギルド長は真剣に私の稽古に付き合ってくれていたのに、私は無意識とはいえ命中の寸前に勢いを殺すなんて武術家として無礼な事をしていたのだと思い至った。


「怖いか? 人を傷つけることが……」


「怖いです。大きな傷によって夢を打ち砕かれた私は……私の一撃で人の夢を破壊する事になるのではと恐ろしくなったのです」


「怖いか? クーアを、大切な人を失うことが……」


「怖いです。副ギルド長は只厳しく部下に接する私に、厳しいだけじゃ人はついてこない。けど優しすぎても堕落させると教えてくれました。あの人のお陰で私は恐れられるだけでなく慕われるようになりました」


 そこで私は漸くギルド長の言葉の意味を悟った。


「寛猛自在……そうか! ギルド長が何をおっしゃりたかったのか分かった!」


 そう、私が引退から最も衰えていたのは精神、心の在り方だったのだ。

 人は厳しすぎても付いて来ないように、優しさのみでも駄目なのだと副ギルド長から教わったのにその真意を、極意を得ることはなかった。


「人の貴賤を問わず優しくするのも美徳であるけれど……哀しいかな。その優しさに付け込むのもまた人。父さんの棒術はそんな外道から弱き人々を、そして自分をも守る為の武術だったに、名声を追い求めるあまり私はその極意を忘れていた」


「さて、お主はどうしたい? 何をすべきか?」


 決まっています。


「我が家に伝わる棒術をもって悪しき輩を粉砕し、守りたい人を救います!」


「迷いは去ったな。お主の大悟、この大僧正マトゥーザが見届けた!」


 私はスーツとスラックスを脱ぎ捨てる。

 未練がましく下に例の肌着を着けていたのが皮肉にも手間を省かせてくれた。


「事務長、行かれるのですね?」


 プロテクターを装着しながら私は頷く。


「ええ、やっぱり体調が悪いから早退させて貰うわね」


 ぶんと力強く棍を振るうと事務員達ばかりか、この場にいる冒険者達からも歓声が上がった。


「ほっほっほっほ……確かにお嬢ちゃん、もといシャッテ殿は病に罹っておる。どんな医者でもどれほどの名湯といえども治せぬ病にのう」


 大僧正様……やはりこの御方には敵わないみたいだ。


「さあ、行くか! 怪盗を名乗る外道共の元へ送って進ぜよう」


「はい! 今、行きます! 待っていて下さい、クーアさん!」


 私は現役時代でも感じ取ることがなかった躍動する肉体をはっきりと自覚した。









 大僧正様専用の馬車は六頭の馬が引くだけあって、怪盗フォッグ&ミストのアジトまであっという間に到着することができた。

 道の前方に陣幕を張っている冒険者ギルドの面々が見えたので一先ず合流する。


「ギルド長! クーアさんは?」


「シャッテか! 今更、何をし……どうやら昨日までのテメェとは違うようだな」


 ギルド長は今の私の変化に気付いたらしく、ニヤリと笑った。


「ここから二キロ先でクーア君が一人で戦っている。戦闘開始からまだ三十分しか経ってねぇが、多勢に無勢だ。いくら防御力の高い結界を張っているといってもそろそろヤバいかも知れねぇ」


 流石のギルド長の顔にも疲労と悔恨がはっきりと浮き上がっていた。

 本当は今すぐにでも助けに行きたいに違いないのに、聖帝陛下からの命令には逆らえない為、無力感も感じているのだろう。

 否、普段のギルド長なら、自分一人だけだったなら躊躇うことなくクーアさんを助けに行っているはずだ。

 しかし、相手はあの聖帝である。戦闘後にどんな難癖をつけてくるか分からない。

 下手をすれば国家に逆らったとしてその場にいる冒険者達にも累が及ぶ可能性がある。

 だからこそギルド長は冒険者達を守る為に血を吐くような思いで撤退命令を受け入れたのだろう。


「状況は理解できました。それではクーアさんの救出に向かいます。今の私は一介の武芸者。冒険者ではありませんから陛下の撤退命令を聞く道理がありませんからね」


 ギルド長は私の言葉に少し元気が出たらしい。


「ああ、頼ンだぜ。不甲斐ないボスで悪かったな。だが、云わせてくれ。必ず生きてクーア君と一緒に帰ってこい。どちらかが死ぬのは勿論、双方共に死ぬ事は絶対に許さねぇ。もし死にゃあがったら、地獄の果てまで追いかけてぶん殴ってやるからそう思えよ?」


 ギルド長らしい激励に私は笑顔で頷いた。


「事務長! これをお持ち下さい!」


 一人の青年が私に小さな筒のような物を手渡した。

 確か若いながらもAランクとして登録されている凄腕の火術遣いだったはず。


「これは我が一族秘伝の炸裂弾『スイートハニー』です。着火は不要。下から出ている紐を引き抜いてから五秒後に爆発する仕組みです。敵は大砲を持っています。撤退前、幸か不幸か敵の方から大砲を撃ってきたので自己防衛と称していくつか大砲を潰しましたが、まだ生き残っている物があるかもしれませんので」


 流石はAランクの冒険者だけあって自作出来る武器が違う。


「ありがとう。有事の際には遠慮無く使わせて貰うわ」


 私は懐に炸裂弾を押し込むと、クーアさん救出作戦を再開した。









「いた! あの竜巻からクーアさんの魔力を感じる!」


 戦場へ到着した私は大きな屋敷が半分以上焼け焦げ倒壊している様を見て戦闘の凄まじさを悟った。

 そうこうしている間に魔力の竜巻は勢力を弱め、徐々に小さくなっていく。


「へへ、手こずらせてくれたが、もう身を守る竜巻は起こせないようだな」


 竜巻が消え、肩で息をしているクーアさんを取り囲む盗賊達を見た私は、馬車から飛び降りて全力で駆けだした。

 我がシュナイダー流棒術が百姓武術と云われる所以は農夫の畑を耕す仕草や草を薙ぐ動作などをヒントに編み出されたところにある。

 得物の棍は約二メートル、それを全身でもって振り回す姿が正統の剣術を学んだ者達の目には滑稽に映るらしい。

 しかし、不細工な田舎武術と侮った剣士達のその悉くは脳天を割られてあえなくこの世を去る事となる。

 私は走りながら棍を横に構えると、今まさに剣を振り下ろさんとしている盗賊の胸へと先端を突き出した。

 踏み込みつつ突いた先端は盗賊の胸骨を粉砕し、心臓を破壊する威力があった。


「な……ん……」


 我が身に何が起こったのか分からないまま盗賊は絶命する。

 確かに気分の良いものではないが、今の私はクーアさんを守る使命感に突き動かされていた。


「弱者から金品を奪い、命を踏み躙り、婦女を犯す盗賊とクーアさんの命は比べようもなし。それに生きていても世の中の為にはならない。なればこそ、この『幻惑』のシャッテが成敗致す!」


「しゃらくせぇ!」


 剣を振り上げ迫る盗賊に対し、私は足下を払った。

 剣士同士の戦いにおいて足下を攻撃される事はまずない。

 故に無防備に足を砕かれ無様に転げ回ることになるのだ。


「や、野郎共! 一斉にかかるんだ!」


 左右から襲いかかってくる盗賊共に私は棍の中ほどを両手で支えて待ち受ける。


「死ねぇ!」


 一対多の状況こそが我が棒術の真骨頂!

 私は間合いを自在に伸ばしたり縮めたりしながら棍を振り回して盗賊共の脳天や横鬢、肩口を痛打していった。

 戦闘の終了を感じた頃、足下には四肢のいずれかを砕かれた盗賊達の呻き声と、割られた頭から血と脳漿を垂らしている者達の死の気配が渦巻いていた。


「事務長? ギルド長から今回の作戦から外れたって聞いていたけど……」


 盗賊達の返り血と自らの血で赤黒く染まった顔は、可愛らしいだけに余計凄惨な有り様だったが、表情を見る限り深刻な傷は負っていないようで安心した。


「副ギルド長……いいえ、クーアさん、ご無事で何よりでした」


 私はクーアさんを抱きしめる。愛しい想いを唯々込めて。


「ありがとう……大砲を使用不能にしたまでは良かったけど、多勢に無勢だったから守りに徹していても限度があってさ。魔力が尽きていたから助かったよ」


 抱擁を解くと、もうクーアさんには『浮遊』する力も無いのか地面へと座り込んだ。


「はは、いやはや、鋳造技術が進んだのか昔と比べて最近の大砲って頑丈だねぇ。連続して撃っても自壊しないし、炎系上位魔法の一発や二発じゃ砕けないんだもの。もう攻撃魔法よりも兵器が幅を利かせる時代が来たんだろうね……結局、館の方を破壊するのが手っ取り早いと判断してさ、ちょっと無理して魔力が尽きかけたところに増援が何度も現れてさっきの有様だよ。戦力の逐次投入は愚策というけど、今回に限って云えば有効だった」


 魔法使いの時代は終わりかな、と寂しげに笑うクーアさんに私は首を横に振った。


「少なくとも現代医術はまだ魔法からは後塵を拝します。クーアさんはまだまだ世界から必要とされますよ」


 むしろたった一人で一時間近くも戦闘を続けながら、敵にこれだけの痛手を与え、巨大な建造物をも破壊したクーアさんの戦闘能力の高さとそれだけの事をして漸く尽きた魔力の強大さは、流石は伝説に謳われるだけの魔法使いなのだと畏敬の念を覚える。

 そこで私は重要な事を思い出した。


「ところでフォッグとミストは? 神像は何処です?」


「少なくともフォッグと名乗った盗賊は倒したよ。ほら、あそこで石化して首が取れた女性がそうさ。けど、ミストの方には逃げられた。フォッグの首を持ってね。神像は……これからゆっくり探そう……壊れてなければ良いけど」


 クーアさんは半ば倒壊し、焼け焦げた屋敷を見渡しながら頬を引き攣らせたのだった。

 その時、多数の馬蹄が地面を踏み抜く音と馬の嘶きが近づいてくることに気付いた。


「やれやれ……漸く軍の到着か。本当にろくでもないんだから」


 夕闇迫る時刻でも砂塵が確認できるようになり、やがて銀色に輝く鎧を身に纏った騎士達が見えてきた。数は……ざっと百くらいか。


「あれ? なんか殺気立ってない? って云うか、僕達を目指してるよね? 斥候も出さずにどんどん来てるし……あれ? 抜刀してるのもいるよ?」


 あれよあれよという間に私達は騎士達に取り囲まれてしまった。


「魔女クーア! 神像強奪の首謀者め!」


 クーアさんが神像を盗むですって?

 一体全体、何をどう考えればそのような結論に行き着くのか理解に苦しむ。


「ふふふふふふ……」


 不気味な嗤い声に私は戦慄した。

 見ればクーアさんは今まで見せたことがない妖艶な笑みを浮かべているではないか。

 姿こそ幼い少年だが、その身からはサッキュバスの如く禍々しくも抗いがたい色香が滲み出ており、気を抜けば呑まれてしまいそうだった。


「今回の事件はさ。深い霧の中にいるかのようになかなか全体が見えなかったけど、漸く……漸く敵が見えてきたよ。いやはや僕も相当にお人好しだ。嗤っちゃうくらいにね」


 クーアさんの髪が風もないのにざわめき、見る見るうちに伸びて血でドス黒く染まったローブに絡まっていく。色も鮮やかなライトグリーンからダークグリーンへと変わり、さながら古城に絡みつく蔦のようだ。


「クーアさんの姿……まるで絵本の中に出てくる魔女のお城みたい……」


「無駄な抵抗はよせ! 大人しく捕縛されるのならば、聖帝陛下も慈悲を賜わるとの仰せだ。陛下のお心にお応えせよ。あの御方は罪人となった今も尚、貴様を友とおっしゃっているのだ。これ以上、陛下を哀しませてはならぬ」


 隊長格の男が口上を述べながら向けるサーベルの切っ先をクーアさんは無造作に掴む。


「き、貴様! 何をしている?」


「そう、友達だよ。出会ってから早半世紀、色々あったけど僕はパテールを友達だと思っていた。宮廷治療術師とは名ばかりで宮殿の地下に軟禁されていたのだって、ある意味、僕を守ってくれていると思えばこそ耐えられた」


 クーアさん?

 泣いていた。嗤いながらクーアさんはぽろぽろと涙を零していた。


「フォッグとミストは云っていたよ。『魔女の王』と戦うなんて聞いていない。割に合わないにも程があるってね。つまり、フォッグ達は雇われていたんだよ、何者かに……」


 クーアさんが掴んでいるサーベルが軋み、男は愕然とした表情で自分の手を見ていた。

 同様に周囲の騎士達も、何故か自分の足を掴んで揺すったり、剣の柄に手を掛け必死の形相で踏ん張ったりと、明らかに様子がおかしい。


「彼は分かっていたんだ。前段階でフォッグ達にせこい盗みをやらせていたのは依頼のランクを下げさせる為、星神教会が冒険者ギルドに依頼するのも想定の内。もしかしたら例の冒険者達も無謀な依頼を受けた時には既に彼の手がついていたのかも知れないね。そして、僕の性格を知っていたからこそ、僕が責任を取る為に出張ることを読んでいたんだ」


 そうだったのか。

 的は星神教でも冒険者ギルドでも、況してや王宮でもなかったのだ。

 初めから的に掛けられていたのはクーアさん。


「そしてクーアさんを狙っているのは……」


「聖帝パテール……五十有余年前、共に戦った戦友。戦後は、民衆が笑って暮らせる国作りを手伝ってくれ、と云いながら僕を軟禁し続けた男……」


「ひ、ヒイイイイィィィ! 手が、手が離れない?」


 隊長格の男が焦燥に駆られたように叫ぶと同時に騎士達の体がほのかに発光を始めた。


「悪いけど君達の魔力と精気を貰うよ。少し虫の居所が悪いから加減はできないけど、何、心配は要らない。精々十年か二十年そこら寿命が縮まるくらいだからさ……『エナジードレイン』!」


 騎士達の体から放たれている光が強まったかと思えば、それらは一斉に飛び出してクーアさんの体へと入っていった。

 光が収まると、後に残ったのは力無く倒れ伏す騎士団の姿があるばかりだ。

 かろうじて生きてはいるようだけど、兜の隙間から覗く肌はカサカサに渇き、目は落ち窪んでいるような有り様だった。


「男の身でも魔女は魔女。迂闊に怒らせると火傷じゃ済まないからね?」


 これが、かつて聖都スチューデリアを恐怖のどん底に陥れた『魔女の王』の力の片鱗か。

 この容赦の無さ故にクーアさんは怒りを抑えるようになったのだろう。

 しかし、私の心に去来するのは恐怖ではなく、憧憬にも似た熱いものだった。

 そこで、ふと疑問が湧いてきた。


「あのぅ、騎士達から魔力を奪えるのなら、どうして盗賊達からも魔力を奪いながら戦わなかったのですか? そうすればあそこまで追い込まれることもなかったでしょうに」


 するとクーアさんは気怠そうに顔をしかめたではないか。


「そう簡単にはいかないよ。魔力とはこれ即ち精神力。だから警戒している相手からは奪うことはできないし、況してや戦闘中なら尚更さ。発動中はこっちも無防備になるしね」


 なるほど、奪わなかったのではなく奪えなかったのか。確かに魔法の発動もかなり時間を掛けていたようだし、敵愾心を剥き出しにして次々と襲いかかってくる盗賊達から魔力を奪うのは無理というものだろう。


「この魔法の肝は、何と云っても相手の虚を衝いて心を空白にしてやることにあるんだ。だからさっきは突きつけられたサーベルを素手で掴んで見せる事で軽く驚かせて、後は足の裏を地面に吸い付かせ、剣を鞘の中に固定することで相手に恐怖を与える演出をしたってわけさ」


 クーアさんは肩を竦めながら続ける。


「僕が女だったら、裸になるなり誘惑するなり、もっと簡単に相手の心を乱せたんだけどね。実際、母様も、いくら時代が変わろうと色仕掛けが有効なのは変わらないって云ったものだよ」


 クーアさん曰く、数千人規模程度の軍ならば魔女が三人ばかり一晩裸踊りでもしてやれば、みんな骨抜きになって戦闘にならなくなってしまうのだそうな。


「流石は魔女……戦う前に勝つ事など造作もないのですね」


 と、珍しくクーアさんが意地悪げな笑みを浮かべていたことに気付いた。


「君も良く云うね。現役時代はその可愛いお尻で対戦相手の目を奪って勝利を得てきたと見たけど?」


 その言葉を受けて、私の顔が熱を帯びてくる。

 咄嗟にお尻を手で隠しながら私は思わず叫んでしまった。


「わ、私の棒術は本物です! それに今の発言はセクハラですよ!」


 しかし、クーアさんは愉快そうに笑うばかりだ。


「失敬、失敬。褒め言葉のつもりだったんだけど、やっぱり魔女と普通の人とでは感覚が違うのかもね。魔女は人から好色の目で見られてナンボだからさ」


 そういう意味では少年愛趣味の人の視線は心地が良いよ、と宣う。

 個性派揃いの冒険者ギルドの中にあって比較的常識人だと思っていたクーアさんもやはりどこか常人とは違うのかも知れない。と云うか、そういった視線を感じるのならば、私が時折、クーアさんのうなじやローブの胸元から覗く鎖骨に劣情を催し妄想に耽っているのを実は気付かれているのではないかと気が気では無いのだが……


「さあ、そろそろ行こうかな?」


 奪った騎士達の魔力が体に馴染んだとかで、クーアさんの体がやおら浮かび上がった。

 同時にクーアさんの髪が再び明るさを取り戻しローブから離れていく。


「エメラルス、お願いね。『スラッシュウインド』!」


 風の刃がクーアさんの髪を短く切り裂くが、元通りというよりはローブに絡まって癖がついたのか、所謂ゆるふわヘアとなって前にも増して可愛らしくなっているのはこの人の宿命なのだろうか。


「と云うか、エメラルス、いえ、エメラルス様ってまさか……?」


「うん。『風』と『運気』を司る『龍』の神々の筆頭だね。堕天使で魔界の副王やってる人の紹介で会ったことがあってね。以来、気に入られたのか、風属性の魔法を遣う時は消費する魔力が軽減されたし、どんな苦境でも土壇場で道が開ける悪運に恵まれるようになったんだよ。さっき君に助けられたようにね。そういう義理もあってさ。星神教は嫌いだけど、エメラルスだけにはたまにお酒や手料理を供物として奉納してたりするんだよね」


 何でこの人はそんなオソロシイ事をさらっと云えるのだろう?


「あの……シチュエーションが全然思い浮かばないのですが……」


「簡単に云うと昔、エメラルス配下の天使が何をとち狂ったのか、僕には世界の救い主を産む聖母としての宿命があると云ってしつこく付きまとってきてさ。僕は男だって云っても、なら天界の技術で女の子にして差し上げましょう、だよ?」


 クーアさんはげんなりとした顔となった。


「こりゃ話にならないと魔王様に相談したら同席されていた副王様が、そいつは知り合いかも知れん。堕天する前は自分もエメラルスに仕えていたから、その伝手から抗議してやろうって請け負ってくれてさ。で、お任せして次の日だよ。先方が会って詫びたいって申し入れてきたと副王様に呼ばれてのこのこと出向いたらいたんだよ、エメラルス……」


 いやいや、堕天使が未だ天界に伝手があるっておかしいでしょう?

 しかも人間相手に、部下の失態を謝罪しにわざわざ降臨される神様がどこの世界におわすと仰せなのですか、エメラルス様!


「あ、でも天界土産の銘菓・星サブレーと天界ひよこ饅頭はお茶と合ってて美味しかったよ。結構人気でなかなか買えないんだってさ。誰が買うんだって話だけどさ」


 もういいです。お腹いっぱいで胸焼けがしそうなので、後生ですからもうこの話題は終わりにして下さい。

 かつては勇者様の仲間であり、魔王の寵愛を受け、星神教を憎みながらも、その神の一柱を気安い感じで名前を呼ぶ……やはり大物なのだろう。見た目は小さいけど。


「それに見て? 切られた髪がいつの間にか消えているでしょ? 女の髪に宿る霊力は神様にとって良い供物になるみたいでね。僕の場合も男でありながら魔女である事から髪にかなりの霊力があるらしくて、髪が伸びると、ああしてエメラルスに切って貰うんだ」


 神様と持ちつ持たれつの仲の魔女か……差別主義に凝り固まった古い宗教家が聞いたら発狂しそうな話である。

 事実、私は胸焼けと胃もたれを同時に味わう事となったわけで……


「ところで先程の、行こうとは?」


 クーアさんはポンと手を叩くと、私に向き直る。


「ああ、事務長? 悪いけど帰ったらギルド長に辞職するって伝えてくれないかな? これから僕がする事は冒険者ギルドにとって不利益にしかならないからね」


 不利益……つまりクーアさんがこれからしようとしていることは……

 止めても意味は無いと悟った私は黙って頷いた。


「ありがとう。それじゃ達者でね」


 クーアさんが影の中に沈み込もうとするその一瞬を私は逃さなかった。


「事務長?」


 クーアさんが驚きの声をあげるが構わない。

 私は沈みゆくクーアさんから離れないようにきつくきつく抱き締めた。


「真面目一筋かと思ってたけど、魔女を騙すなんて中々やるね」


 クーアさんはいつもの、ほにゃっとした苦笑いを見せた。







 私は目の前に広がる光景を信じる事ができなかった。

 聖帝のおわすスチューデリア城の玉座の間で倒れている一人の老人。

 その顔はきょとんとしており、自分の身に何が起こったのか分かっていない様子だった。


「来て下さると思っておりました、伯父上」


 手に血刀を下げた銀の髪を持つ青年がクーアさんに対面して跪いた。


「君が殺したのかい?」


 クーアさんが老人を見下ろして問う。

 巻毛のかつらが外れて禿頭とくとうを晒しているがその顔に見覚えがある。

聖帝陛下その人だった。


「陛下は人の道を大きく外れてしまいました。大恩ある伯父上、我が国の財政を立て直す基盤を創り上げたビェードニクル伯爵に仇を為し、此度は国教たる星神教を辱める策を躊躇いなく実行するに至り、このままでは国が滅ぶと判断したのです」


 青年の言葉にクーアさんはやるせない想いを込めた溜息を吐いた。


「短慮をしたね。只でさえ君は魔女の血を引くってことで立場が危ういのに、これじゃ元老院の妖怪達を喜ばせるだけだよ?」


「伯父上が手を下しても政治屋達を喜ばせただけだと思われますが?」


「僕なら、僕が犯人なんじゃないかなと匂わせつつも証拠を残すヘマはしないよ」


 クーアさんを伯父上と呼ぶこの青年こそ、第一帝位継承者レオニール皇子であった。

 聖帝陛下の御正室、聖后陛下はなんとクーアさんの妹君であるのだそうだ。

 クーアさんは再び陛下の遺骸を見下ろすと憐れむような表情になる。


「なんて死に顔だい。かつて魔王様の軍勢と闘っていた頃は、自ら斬り込み隊長を買って出て、常に前線で僕や『不良勇者』を守って戦ってきたのに……まるで自分の死にすら気付いてないかのようにポカンと大口を開けて死ぬ奴があるかい」


 クーアさんは陛下の亡骸に膝枕をしてご尊顔に手を添えると、瞼と口を閉じた。


「これで少しはマシになったね。まったく……君には色々と云いたい事があったけど、五十年来の友達付き合いと死に免じてこれで勘弁してあげるよ」


 クーアさんが陛下の額に竹篦を喰らわせると、クーアさんの心が届いたのか、単に叩いた拍子なのか、陛下の表情が苦笑いにも似た形となった。


「笑って誤魔化す癖は死んでも直らないのか、君は?」


 クーアさんは乱暴にかつらを被せると、放るように陛下を床へ横たえた。


「間違っても冥王様を口説くんじゃないよ? 冥王様が美女のお姿で男の亡者を裁くのは、あの世へ旅立つに際して最後の煩悩を捨てられるかどうかの試練なんだからね? それで地獄に堕とされても助けに行ってやらないからそう思いな」


 両の掌を合わせて目を閉じると、クーアさんは静かに祈りの言葉を捧げる。


「冥王よ。今より参る愚かだが結局憎みきれなかった友に永遠の安息を……」


「クーアさん……」


 罠に掛けられ、命を奪われかけたというのにこの人は……


「それとパっつぁんの来世ですが、どうせなら女の子にでも転生させてやって下さい。あの女好きからすれば下手な地獄に堕とされるよりよっぽど良い薬になるでしょうから」


「クーアさん……」


 こういう所がいかにも魔女なんだなぁ、と思わずにはおれなかった。


「生まれ変わったパっつぁんが本当に女の子だったら前世の記憶を思い出させてからかってやろうかね?」


「よしましょうよ、趣味の悪い……」


 魔女さながらにケタケタ嗤うクーアさんを見ても、恋心が冷めないのだから私も大概であろうけどね。

 と、お互いに種類の違う笑顔を見せ合う私達に近づく気配があった。

 今まで沈黙していたレオニール皇子だ。

 きっと陛下を弔うクーアさんの邪魔をすまいとされていたのだろう。


「伯父上、この上は私に力をお貸し下さい。聖都スチューデリアを真の意味で立て直す為にも内務大臣の任に就いて私を支えて頂けませぬか? 我が国を食い物にせんとする元老院議員とそれらが推す暗愚な弟に対抗するには伯父上の知恵が必要なのです」


「断るよ。僕に政治家の素質は無い。それに僕はもうスチューデリアと付き合うのは懲り懲りだ。これからは魔女の谷に戻って隠居するさ。何、心配はいらない。僕と母様の二人が生活するくらいなら三十年は魔法の研究をしながら遊んで暮らせるだけの蓄えはあるし、いざという時はお金の稼ぎ方も心得ている。君を手伝わない代わりに、僕も君に面倒をかけるつもりはないよ」


 にべもないクーアさんにレオニール皇子は何とも云えない表情を浮かべた。

 しかし内心、穏やかではないのは私もだ。

 クーアさんが魔女の谷に引き籠もってしまえば二度と会うことは叶わないだろう。

 それは嫌だ。尊敬する上司であり、何よりもこの世の誰より愛しい人を失いたくない。


「伯父上のお父上、つまりお祖父様は公爵の地位にあると同時に大変に優れた内務大臣であったと聞き及んでいます。お祖母様の魔力を多分に受け継がれた伯父上ならば、きっとお祖父様の明晰な頭脳も引き継いでおられるはず」


「レオン、いやさ、レオニール皇子。その優れたお祖父様を殺しただけでは飽き足らず、公爵家を無慈悲に改易したのもまた君のお祖父様だよ」


 クーアさんの冷たい眼光にレオニード皇子はたじろいだ。

 が、次の瞬間、名案が浮かんだと云わんばかりの明るい表情を浮かべる。


「そ、そうだ! かつて改易された伯父上のご実家であるツァールトハイト家を再興させましょうぞ! 伯父上が新たな当主となり、公爵の地位に返り咲けば我が国は盤石なものとなりましょう!」


「この虚け者がッ!」


「ヒッ!」


 ああ、今ならクーアさんに一喝されたサラの気持ちが良く分かる。

 騎士達の魔力を奪い取った時の威圧感すら比べものにならない気迫は、レオニール皇子だけでなく後ろに控えている私さえも恐怖で身が竦む有り様なのだ。普段の勝ち気な言動とは裏腹にナイーブな面もあるサラの事、生きた心地がしなかっただろう。


「お……伯父上が……あの小柄な伯父上が巨大に見える……?」


 そう、魔女としての妖艶さではなく、唯々クーアさんの背中が大きく見えるのだ。

 この感じは私の遠い過去の記憶を呼び覚ます!


「父さん? そうだ! 今のクーアさんの背中は、私がずっと追いかけ続けていた偉大な師であり絶対的な信頼の象徴であった父さんの背中を思い出させる!」


「魔女と交わった家を再興させてなんとする! それこそ元老院議員にとって最上の餌ではないか! 況してや私は内縁の妻の子。妾腹ですらない! 実家も何もないのだよ! その私がツァールトハイト家の当主? 嗤わせるんじゃあない!」


 クーアさんはレオニール皇子の胸倉を掴んで持ち上げると、額がぶつからんばかりに顔を近づけた。


「それに貴公が今やらんとしているのは身内で自分の周囲を固める愚策中の愚策! 身内人事などしたら、いくら志が高かろうと、あっという間にまつりごとが腐敗するのが分からぬほど愚かなのか!」


 クーアさんが手を離すと、皇子はその場にヘナヘナと座り込んでしまった。


「まったく……お説教なんて柄じゃないのになぁ……どうせ、パっつぁんも癇癪を起こすばかりで叱った事なんてなかっただろうし、レクトゥールが心配する訳だよ」


「母上、否、聖后陛下が?」


「そ、レクトゥールは飽くまでお后様、政治に口出しする訳にもいかないしね。だから、折を見て君の甘ったれた考えを矯正してくれって頼まれていたんだよ」


 クーアさんは肩を竦めて私の方へと振り返った。


「けど、僕には子供がいないからさ。父様に叱られた時の事を思い出して真似てみたんだけど、どうだろう? あ、勿論、胸倉を掴まれた事なんてないから誤解しないでね」


「ええ、時には心を鬼にして我が子を叱る父親そのままでしたよ。先程のクーアさんの背中は確かに大きく見えて、私も父を思い出しました」


 本当に怖いと思う同時に父さんと故郷を懐かしく思い出させてくれたのだ、クーアさんの背中は。


「そう云われると面映ゆいな。そうか、僕も伊達に歳食っていたわけじゃないんだと知れて少しほっとしたよ」


 そう云って笑うクーアさんは、いつもの愛らしい彼に戻っていた。


「そういう訳だから、レオンもそろそろ自立して、自分で仲間を捜すんだね」


「伯父上……」


 項垂れるレオニール皇子を一瞥してから、クーアさんは頭を掻きつつ続けた。


「ただ、このまま去るのも後味が悪い……置き土産に君の立場を少し良くしてあげるよ」


 何故か私の頭上に目をやったクーアさんを訝しむ間もなかった。

 何者かが背後に降り立ち、私はたちまち拘束されてしまう。


「『男魔女』め! 私に気付いていたのか?」


 疲労と憎悪が込められた声から察するに中年の男のようだ。


「君も指折りの盗賊と謳われたのなら殺気くらい隠しなよ? 態々自分の居場所を教えているようなものさ」


 肩を竦めるクーアさんに背後の殺気が膨らんだ。


「悪党とて長年連れ添った恋女房を殺されて平気でいられる道理はない。フォッグの仇を討たせて貰うぞ、魔女よ!」


 恋女房? フォッグの仇?

 つまり、この男が怪盗の片割れのミスト?


「悪党ながらその心意気は天晴れだと云わせて貰おうかな」


「ふん! 仇に褒められたところで嬉しくもないわ!」


 一生の不覚……レオニール皇子の前で害意が無い事を示す為に棍を足下に置いていたのが仇となってしまったか。いくら宮殿の中とはいえ油断しすぎだ。


「ところでフォッグの首はどうしたのさ? 身に付けている様子は無いけど?」


「夫婦の契りを交わした時の約束でな。明朝には手下が盗賊ギルド本部を眼下に臨む丘の上に埋葬してくれている事だろう」


「意外とロマンチックな事をするね」


「惜け。日陰の世界に生きる身だからこそよ」


 成る程。大手を振ってお天道様の下で生きられないが故に、死した後くらいは日の当たる場所で眠りたいというわけか。


「それにしても、よくここまで忍び込めたね? って云うか、僕がここに来るって予想を立てられたのは凄いよ。君達とパテールの計画じゃ僕は今頃、軍に逮捕されていただろうからさ」


 クーアさんの疑問にミストは鼻で嗤った。


「貴様がここに来たのは想定外よ。私は偽りの契約を結んだ聖帝に制裁を加えにきたのだ」


 そう云えば、クーアさんが出張ったことに、話が違うと証言していたはずだ。

 今となっては契約内容を知っても意味はないが、彼らとしては契約に虚偽があったことこそが重要なのであろう。


「作戦では冒険者ギルドは完全撤退し、後に合流する親衛隊に我らは保護される手筈であったのだ。だが、間者からの報告では聖帝は貴様に戦闘を命じたとあった。つまり奴は初めから私達を貴様にぶつける為の捨駒にするつもりだったに違いない!」


 ミストは右手に握られたナイフが私の首筋に食い込む。


「しかし聖帝は既にそこにいる皇子に殺されていた。そこへ貴様が現われたという訳だ。

あまりに想定外のことが続いたが、逆に考えれば好都合! 本部への手土産に『魔女の王』の首を頂いて行こう!」


 どうやら私を人質にクーアさんの動きを封じ込めて斃す算段らしい。


「動くなよ? 皇子様も迂闊に人を呼ばない方が良い。今の状況を考えろ。今の貴様は父親殺しにして王殺しの大罪人だ」


「その通り。レオン、今は僕を信じて何もしないで」


 状況はかなりマズい。

 このままではクーアさんが殺されてしまう。

 その時、胸元にある感触に妙案が浮かんだ。


「いくら時代が変わろうと、か」


 偉大なる先人、魔女ユームの教えを有り難く実践させて貰うとしよう。


 私は体を拘束するミストの左腕を振りほどこうと藻掻くふりをして胸元に爪を当てた。


「おい! 暴れるな! 死にた……何っ!」


 私は肌着を斬り裂いて乳房を露出させる。

 キツかった肌着から解放されたせいか、大きく跳ね上がりながら初夏の夜気を引き裂く感触が場違いながら何とも心地良い。

 これでミストの注意を引くと同時に、挟まっていた切り札が零れたのをキャッチした。


「お疲れ様! 疲れた体には甘い物が一番よ!」


 緩んだ拘束を抜け出した私は、先程、冒険者がくれた『スイートハニー』をミストの口の中に押し込んで起爆用の紐を引く。


「クーアさん! 皇子! 伏せて!」


 私がクーアさんに駆け寄って押し倒すと同時に背後で爆発が起こる。

 衝撃が過ぎ去って振り返ると、上半身を失ったミストが倒れていた。

 想像を超えるグロテスクな光景に胃が持ち上がるような感覚に襲われるが、自分がやった事だと心の内で云い聞かせて何とか落ち着きを取り戻す。


「事務長もなかなか過激だね。爆弾もそうだけど、色仕掛けをするようなタイプには見えなかったからさ。ちょっと驚いたよ」


 流石は元治療術士と云うだけあって慣れているのか、この惨状を見てもクーアさんは平然と笑いながら私の乳房を指差したものだ。

 私としては手で胸を隠しながら曖昧に笑う事しかできない。

 咄嗟のこととは云え、男三人が見ている前で胸を曝け出したのだ。

 我ながらよくやってのけたものである。


「でも、丁度上手い具合に聖帝殺しの犯人が見つかったよ」


 クーアさんの見詰める先にはミストの下半身があった。

 レオニール皇子はそれでクーアさんが云わんとしている事を察したのか、困惑と驚愕の入り交じった表情を浮かべる。


「お、伯父上? いくら盗賊でも我が罪を着せるなど道理に反するのでは?」


「この程度で罪悪の意識を感じていたら国家元首は務まらないよ。ミストだって元はパテールを殺そうとしていた訳だからあながち嘘じゃないし、何より君以外の皇子が聖帝になってごらんよ? それこそこの国は元老院議員にむしゃぶりつかれて滅びてしまうよ」


 やはりクーアさんも政治の話になると相当ドライになるようだ。


「もし、気が晴れないって云うのなら、その残った下半身を丁寧に供養してやるんだね」


「承知致しました。出来得る限り手篤く葬りましょう」


 レオニール皇子がミストの遺骸に手を合わせ、許せ、と呟くのをクーアさんは満足げに見ていた。


「見張りの兵士もさ。賊の侵入をここまで許した挙句に大ボスを殺されたんだ。上手く恩を売れば味方になってくれるよ。同様に数こそ少ないだろうけど臣民の幸せを願う、心ある元老院議員を厚く遇していくとか、こういった積み重ねで味方を増やしていけば足場は盤石になると思うから頑張りなよ」


 クーアさんがいきなり私を抱き寄せたので、私はどぎまぎしてしまう。

 同時に遠くから大勢の足音が近づいてくるのが聞こえた。


「爆発から数分経ってようやくお出ましか。ホント、この国の兵は威張るだけで質が悪いよね。その辺の教育もしっかりしなよ? 『親』になるんだからさ」


 私達の体が影に沈んでいく。


「お、伯父上はどうしても私を手伝って下さらないのですか?」


「まだ云うか。甘えないでよ、四十六歳。僕はもう帝室とは関わらないの」


「わ、私は諦めませんからね!」


「あっそ」


 クーアさんがあっさり返すと同時に、私達は影の中に沈んでいった。









 気が付けば、私達は副ギルド長室にいた。

 先程のクーアさんの言葉を思い出した私は、どうしても問わずにはいられない。


「クーアさん、魔女の谷に帰るというのは本気なのですか?」


「まあねぇ、今回の件で色々と懲りたからさ。それに例の一件で人を殺めてからこっち、どうにも魔に与する者としての気性を抑えきれなくなってきているし、ここらが退き際かなとも思っていたんだよ」


 満月の光に照らされたクーアさんは、幻想的であると同時に儚くもあった。


「今後は君に副ギルド長を継いで貰うさ。君には人望もあるし、ギルド長からの信用も篤い。適任だと思うよ」


 私は胸の奥に湧き上がる想いを堪えきれずにクーアさんを抱き締めた。


「嫌です! 私はクーアさんが好きなんです! 私を置いて魔女の谷に行かないで下さい! もし、行くと云うのなら私も連れて行って下さい!」


 私の想いを伝えたはずなのに、クーアさんはあっさりと私の腕の中から消えた。

 机の影から現われたということは『影渡り』の応用であるらしい。


「嬉しいけど迷惑だよ。僕は魔女の血を引き、魔王様のご寵愛を受けた影響で老いが遠く寿命も恐ろしく長い。只の人間である君と一緒になっても先立たれるのがオチさ。それに見てくれの通り僕はまだ生殖器が未成熟でね。少なくとも君が生きている間に生殖能力を獲得出来るとは思えない。その意味は分かるよね? つまり僕には君と家庭を築く事が出来ないのさ」


 現役時代。仲間の死を看取ったのは一度や二度じゃない。

 しかし、何度経験しようとこの哀しみに慣れる事は無かった。

 況してやクーアさんはこれまでの長い人生でどれだけの友と死に別れたのか。

 しかも彼はこれから今までの何十倍もの人生を歩まなければならないのだ。

 たとえ私とクーアさんが結ばれても、それは気が遠くなるほど長い生涯の中での一瞬に過ぎず、彼の言葉を信じるのなら子供も望めないのだろう。

 しかし、だからといって、はい、そうですか、と諦めろだなんて残酷ではないか。


「勇者様はどうなのですか? 今でも尚、敬称で呼ぶ魔王を裏切ってまで勇者様についていったのは何故なんですか? 私と勇者様とでは何が違うというのです?」


 クーアさんは驚いた顔をしていたけど、一瞬だけ優しい、何かを思い出すかのような表情を浮かべた。


「ああ、マトゥーザから聞いたんだね。彼女はね、当時の聖帝を屠った後、僕達に云ったんだ。吾輩はこれから世界を征服する。貴様ら魔女は吾輩についてこいってね」


 どこの世界に自分が世界を支配するという勇者がいるのだろう。

 いや、この世界だ。しかも勇者様は異世界の戦闘用ホムンクルスだった。


「吾輩が世界を手中に収めた暁には人間と魔女を対等にしてやろう。優れた人種・魔女が見下されることはなくなるのだ。同時に魔女が人間を見下すこともない。見下すのは下に居る者がいて初めて心の安寧を得られる弱者の証明だからな」


 クーアさんはこの言葉にまず痺れたという。


「今まで魔女に尊厳なんて認められていなかったからね。しかも、その尊厳を認めつつ、尊厳があるからこそ人を見下すなとも云ってくれた。彼女が人造人間だなんて関係ない。僕はこれで胸を張って、魔女の一族であることに誇りがある、と云えるようになったのさ」


 そしてクーアさんへの最大の殺し文句がこれだった。


「吾輩を創造した科学者共が云うには、吾輩は理論上、老いも無く、永遠に進化し続けるのだそうだ。細胞分裂の繰り返しによる劣化及び癌化はなく、自己再生能力も不滅らしい。分かるか? 吾輩は貴様が望む限り、いつまでも一緒にいてやれる。不老長命は地獄だ。その地獄を一人で生きるのは辛かろう。吾輩で良ければ付き合ってやる」


 クーアさんは月を見上げて微笑んだ。


「嬉しかった! 全てを置いて生き続ける地獄を魔王様に告げられてから、僕は密かに泣いていたし、魔王様にもお恨み申し上げたよ。けど、彼女は一緒にその地獄を歩いてくれるって云ってくれたんだ。だから僕は必死になって生き続けた。パテールに騙されて宮殿の奥深くに押し込められても絶望することなく生きることができたんだ」


 クーアさんは勇者様のお言葉で救われていたのだ。

 永遠ともいえる長い生を歩む地獄を共に行こうと云われれば誰だって嬉しいだろう。

 だが、そこで疑問が残る。


「でも勇者様はいずこへ? ヘルト・ザーゲでは大団円を迎えた後、人々に惜しまれながらも元の世界へ帰られましたけど」


 途端にクーアさんの顔に侮蔑が浮かんだ。

 私に向けたものでないと分かってはいるけど、何だか胸がざわついて仕方が無かった。


「彼女は強かった。否、強すぎた。違うな、強くなりすぎた。理論上、際限なく進化するという彼女は、最終決戦において魔王様をも上回る身体能力を手に入れていたんだ」


 圧倒的な力で魔王を退けた勇者様は、その苛烈な性格と相俟って時の権力者達に恐れられていた。権力者達は勇者様を凱旋パレードに参加するよう要請し、そのコース上に罠を張ったという。


「召喚した勇者を元の世界へと還す魔方陣が敷かれていたのさ」


 クーアさんが察したときには遅かった。

 魔法が発動し、勇者様は馬車と馭者をも巻き込んで元の世界へと還されていった。

 彼らから何の労いの言葉もかけられずに……


「その時、彼女から思念による会話、所謂テレパシーが届いた。吾輩は必ずこの世界へと戻ってきて貴様との約束を果たす。だから貴様も短慮を起こすなってね」


 その後、クーアさん達勇者パーティはそれぞれ高い地位を与えられた。

 魔族撃退の褒美であるが、勇者様の処置について口を閉ざせ、という意味もあったのだ。


「あれ以来、僕は帝室と星神教の権力者達を信じられなく、違うな、許せなくなったよ。魔女の谷に戻って、魔女戦争再び、と思わなくもなかったけど彼女との約束を思い出して大人しくしていたって訳さ」


 クーアさんの人生は聖都スチューデリアと星神教の裏切りによって歪められていたのだ。

 しかし、私にとって重要なのはそこではない。


「クーアさんは寿命云々の前に勇者様への想いがあったのですね」


「うん、だから、ごめん。僕は君の想いに応えられない」


「謝らないで下さい。それよりも」


 私は隠していた胸から手をどけた。

 するとクーアさんは警戒したのか眉根を寄せて睨みつけてきた。


「何のつもりさ? 僕に、魔女に色仕掛けなんて通用するとでも?」


 違いますよ。

 これは身も心も裸になって私の意思を告白するという決意の表れです。


「それでも私はクーアさんにアタックを続けるつもりです。寿命とか勇者様への想いとか関係ないんです。それで諦められるのなら人間は恋なんてできませんよ」


 私はしゃがんでクーアさんと真っ直ぐ目を合わせる。


「いくら引退を表明しても、引き継ぎには時間がかかります。クーアさんもいきなり姿を消すなんて無責任で不義理なことはできないでしょう?」


「うん、まあ、君が自信を持って副ギルド長の仕事を出来るようにはするつもりだよ」


「ですから、クーアさんが納得して冒険者ギルドを去れないようにするつもりです」


 私の言葉の真意が掴めなかったのか、クーアさんの目付きが鋭くなる。


「何それ? わざと仕事を覚えないってこと?」


「違います。引き継ぎまでに心残りを作るのです。例えば……私とか?」


 初めはキョトンとしていたクーアさんだったけど、次第に口元が弛み、喉からくつくつと笑い声が漏れ出した。


「あははは。事務長って普段は堅物なのにこういう時、無茶苦茶云うんだ。良いよ。僕の五十年以上に渡る想いに勝てるものならかかっておいで」


「ええ、そのつもりです」


 私はクーアさんを抱き寄せると、この世に生まれてから二十八年、後生大事に取っておいたファーストキスを捧げたのだった。


掲載するか否か迷った続編ですが、折角なのでやはり投稿してしまいました。

前回、副ギルド長であるクーアが主人公でしたが今回は事務長のシャッテが主人公です。

視点が移った事でクーアの容姿も描写できたのが良かったですね。

まさかクーア視点で自分の事を「可愛らしい」だの「凜々しい」だの書けませんものね(苦笑)

今回でクーアの過去や五十年前にあった勇者と魔王との戦いも書きましたが、今後があるとしたらこれらを背景にギルド職員や聖都六華仙を絡めて展開すると思います。

個人的にはポブレ伯爵を主人公に何か書きたいところです。

それでは、時間が取れて、それを執筆に当てられたらまたお会いしましょう。


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