第56話:覚悟の果てに
エンシラ王女が、先代国王夫妻の第一子として生を受けた時、既に王族は自分を含めて3人となっていた。
ラメタリア王国の王族の規定はシンプルだ、各当主筋の直系のみ、女性は婿を取ればそのまま王籍に残ることができる。
そして国民の支持を受けているラメタリア王国は王族が、どうして先細りの憂き目にあったかというのは、その指示を得る必要があるという背景から一夫多妻制を採用することができなかったからだ。
その規定をかいくぐるように、なんとか直系の数を減らさないように努力をしていたものの、先代王夫妻の2人まで減少し、夫妻に長く子供が生まれなかったことにより跡継ぎ問題がついに表面化する。
いよいよと国民が思った時にエンシラ王女、そして現国王であるゼストが生まれたため跡継ぎは何とかなったものの、このままでは王族が消滅してしまうことが現実問題として突きつけられた形となる。
本格的に制度改革が必要に迫られていたものの、ワドーマー宰相が歴史と伝統を守るべきというスタンスを貫くべきと主張する。
つまり跡継ぎ問題の解決時期がゼストが王になり妻をめとる時期になった時であるというもので、この時に国民が王国のための判断をするであると主張する。
よって現段階での判断は急速であり、国民の支持を第一にするべきだというものだ、そして王側も王の選定権が国民にあることが仇となり反論できない。
そして一番の致命傷は当時ゼスト王子が幼く、エンシラ王女が所謂お転婆姫であり政治には一切関心を持たなかった点である。
好き勝手に生きてきた彼女がその自身の立場に対して危機感を持ったのは、前国王が崩御し王子と自分が矢面に立たされた時だった。
本来であるのならば、王もまた貴族や民間の有力者達との繋がりはちゃんと持っていなければならなかったが、2人が全く持っていなかったのだ。
結果、国政の全てを知らなければならない最高意思決定者たる王は、そのためのパイプをワドーマー宰相に頼らざるを得ない状態となった。
こうして形だけの王が誕生したのだった。
形だけとはいえ王である以上、貴族たちは王に敬意を払うが、王族と貴族は権力集中による腐敗を防ぐために相互独立の関係にある、よって実益が絡めば敬意を払うだけで当然にワドーマー宰相側につくのだ。
国内に自分の味方はいない。このままでは王族が自分たちの代か、次の世代か、いずれにしても遠くない未来のうちに王族が消滅してしまう、王女はそう思った。
でも自分の声はどこにも届かない、そして今の状況が王の幼さと自分の政治無関心が招いたことは分かっている。
「だけどこのまま何もせず黙っている、これは王族の消滅を受け入れることよ」
エンシラ王女は自室で鏡をじっと見ながら写っている自分に言い放つと、
「ねえ、ばあや、正直に答えてほしいことがあるの」
傍で控えていた乳母に話しかける。
彼女は先代王妃からの世話人、自分にとっては祖母のような存在だ。
多数の使用人がいるも宰相とつながっている可能性も否定できない中、彼女にとって唯一心が許せる存在だ。
「なんでしょう?」
「はっきり言って、私の容姿はどれぐらいだと思う?」
王女の問いかけに優しく微笑む乳母。
「あらあら、もちろん綺麗ですよ、年を重ねるごとにますます」
「違うの、そういったことじゃないの」
「?」
「んーとね、はっきり言ってしまえばね」
鏡からくるりと振り向いて乳母と正対する。
「男受けするかって話よ」
王女の言葉に乳母は意味がよく呑み込めないようだったが、王女の次の言葉で理解した。
「フォスイット王子ときっかけを作りたいの」
「お、王女! それは!」
「私に残された道はこれしかないの!」
エンシラ王女の言葉に首を振る乳母。
「確かにフォスイット王子は同世代、ですが当主筋の相手に外国人、しかも属国の王家が政治目的以外で近づくのはシレーゼ・ディオユシル家とカモルア・ビトゥツェシア家の両家が許さないでしょう」
カモルア・ビトゥツェシア家。
原初の貴族、ウィズ王国外交担当、当主の爵位は伯爵、自分を含めた属国の有力者たちにとっての窓口だ。
「下手をすると両家の不興を買いかねません、王族はもとより原初の貴族の恐ろしさは王女も十分に承知している筈ですよ」
王族と頂点とする原初の貴族は恐ろしい、これは属国たちの有力者の普遍的事実である。
24門あった原初の貴族たちですらも施策によって締め出されながら生き残ったこの12門はワドーマー宰相をもって「切り崩し方が見つからない」と言っていいほどの強固なものだ。
故に王族と原初の貴族の不興は買ってはならない、不興というのは、ウィズ王国が国益に反する存在として認定されれば闇に葬られる。
それは滅多には起こらない、だが自分が生きている間だけでも属国の中で有力者が9人ほど行方不明、5人が落ちぶれている。
つまりウィズ王国が敵だと認識されれば相手はその時点で終わると言っていい。
「相手が警戒されるのはあくまでも当主筋だけの話、王女がウィズ王国の後ろ盾を得たいのならば、王族の直系が、原初の貴族の直系の方が」
「直系ではだめなの、組織力で君臨しているといえど、それはあくまでも「トップが国の重要ポストについている」からよ。だからこそ当主筋でなければならないの」
「王女、それは、その」
絞り出すような乳母の言葉に王女は頷く。
「短慮なのはわかっている、浅はかなのもね、だけどバックが無いのなら作る必要がある、そのためには起死回生の案が必要なの。だからばあや、私は今日から男に徹底的に媚びて媚びて、媚びまくってやる、だから男の好みを教えて欲しいの」
王女の言葉を受けて乳母も覚悟を決めたのだろう「何かあればこの老人の命をウィズ王国に差し出し下さいませ」と前置きしたうえでこう答えた。
「男の好みは千差万別ですが、男の理想を体現する人物はおります、今のエンシラ王女にならその人物を目標とするのがいいでしょう」
乳母の言葉に王女は誰の事かはすぐに思いつく。
「原初の貴族、シレーゼ・ディオユシル家の直系の1人、社交界において深窓の令嬢、上流の至宝と呼ばれるクォナ嬢です」
「クォナ嬢……」
当然王女は知っている。
彼女が現れるだけで男たちは色めき立ち、彼女に忠誠を誓う騎士となる。時代が違えば傾国の美女として歴史に名を残したと言われる人物だ。
ウィズ王国だけではなく、自国にも忠誠を誓った騎士が多い、彼女が来訪するとなるとその騎士たちがこぞって自主警備を申し出るから人手に困ることが無いのだ。
だが女の世界では彼女は激しく嫌われている。彼女に恋人を取られたという人物は山ほどいるし、彼女のせいで失恋した女も山ほどいる。
だがクォナに女たちは近づかない、迂闊に近づくと「クォナに嫉妬して粗探しをしようとしている」という男達から中傷を受ける可能性もあるからだ。
「なるほど……」
確かに見習うのならこれ以上ない相手だ。
「ばあや、ありがとう、覚悟が決まったわ」
●
クォナは孤児院運営の為に定期的にラメタリア王国に訪れている。
原初の貴族の直系が訪れるとなると国賓待遇となるため、出迎える側にも準備がいる、場合によってはラメタリア王国の都合に合わせてもらう形となるが、政治的立場が余り無いクォナであるがかなり優遇されていた。
それはワドーマー宰相の意志によるものだ。何故ならクォナはシレーゼ・ディオユシル家の現当主であるラエルから溺愛されている、クォナを優遇することにより、彼女を経由してラエルからの評価も上がるからだ。
ワドーマー宰相の意志が介在しているとはいえ、自分は王女であり同性であるからクォナに近づくのは容易であったし、
(男に媚びるなんて、誰だって出来ることだもの)
と思った王女は社交界でクォナと接触したが。
クォナとの差を痛感することになる。
その差というのは容姿という意味ではなく覚悟という意味でだ。
まずは挨拶がてら、基本的である外見をチェック、男受けするメイクは何だろうと思ったものの。
(メイクほとんどしてないの!?)
すっぴんとまではいわないが、それに近いのだ。仮にも年頃の女、上流の至宝と呼ばれる女がこれでいいのかと思ったが。
――「化粧の匂いがしないからいいよな!」
とは男性陣の弁、化粧の匂いがきついから駄目だという話をしていた。
続いて服装のチェック、どれだけのセンスを持っているのだろうと思ったが、デザインは意外とシンプル、というよりも色は白色系統のみで、似たような服しか着ていない。
女性陣から「あまり服を持っていない」と陰口をたたかれていて、色にしかこだわりが無いように見える、原初の貴族の直系ともあろう人物がやることなのか、はっきり言って。
(ダサい)
女にとって一番怖い同性からのダサいという言葉、自分だけではなく、それが女たちの評であるが……。
――「服装も控えめでさ、ゴテゴテしくないのがいいよな、白色がよく似合うよ!」
男たちはそもそも細かいデザインなんて全く見てないのが分かった。というか色にしか注目していない。
更に外見だけではなく、クォナは男と話すときはとにかく笑顔で余計なことは一切言わない、男が何を言って欲しいのか理解してその言葉を選択することができる。
そして王女にとって何より衝撃的だったのは。
(同性相手に一番油断しない)
以前手洗い場で偶然に遭遇した時の話、自分に対しても彼女は上流の至宝としての振る舞いを一切崩さなかった。むしろ社交界よりもより完璧に男の理想を体現しているなど、呆れるほどの徹底ぶりだ。
そしてクォナの悪い噂が流れないのもより男たちの評判に拍車をかける、何故か流れないかというと、流した本人が特定されて、その本人が評判を落とすから流せなくなるのだ。
これは1人で出来ることではない。
流した本人が特定されるのは、クォナの協力者であり友人である、側近の侍女3人組が犯人、この3人が脇をガッチリと固めている。
この3人組もただものではない。
侍女長のセレナの生家はシレーゼ・ディオユシル家直属の貴族一家、いわゆる腹心、父親はシレーゼ・ディオユシル家の中核におり、彼女の一番付き合いの長い幼馴染、クォナの原初の貴族としての動きに関する折衝業務の統括役。
シベリアは、亜人種のハーフであり彼女の生家もまた、同家の中核をなす魔法一家の第二夫人の娘。彼女の出生自体が家の魔法力の強化のために第二夫人に産ませたなんて言われているが、クォナの専属の医師として全幅の信用と信頼を置いている。
リコは、唯一の庶民出身だがこの子が一番の謎、修道院の武官課程の卒業者であることは分かるが、ある時期を境に退職してそのまま侍女についている。
何が謎かというと修道院卒業といえどシレーゼ・ディオユシル家と繋がりの持ちようがないという点だ。
その理由として原初の貴族には各家の汚れ役を担当する部署があると言われており、彼女がその担当の1人ではないかという情報もあるがそれも噂にすぎない。
そうやってクォナを研究する上でワドーマー宰相ですら切り崩せない原初の貴族の一端を知った王女、そして王女は乳母が言った「今の王女になら」って言葉の意味も同時に分かった。
彼女の振る舞い全ては男に媚びるといった単純なものではなく、別の執念の様なものを感じるのだ。
ひょっとしたら彼女もまた自分と一緒で悲壮な覚悟を決めて振舞っているのかもしれないと思うようになったのだ。
確かに真似るのなら彼女だ、王女はまずは格好から真似ることからはじめ、クォナの仕草、そして男性陣の評価を積極的に取り入れた。
悲壮感に似た彼女の覚悟は徐々に実を結ぶ、王女の社交界での評判を変わってきたのだ。
それは「女性らしくなってきた」というもの。遠巻きから見る紳士たちの目にも変化が感じ取れて、何回か声をもかけられるようになった。
自分に声がかかる理由として、クォナは高嶺の花だが自分は親しみやすいらしいという評判に失礼だと思いつつも、こうやって中傷を受けたことすらなかった、ということは準備は整ったと解釈していいだろう。
さて、準備は整った、いよいよ本格的にフォスイット王子と接触を開始する。
●
「あのさ、何で俺についてくるんだ?」
少しだけ面倒くさそうに話しかけてくる王子。
ここはラメタリア王国、ウィズ王国に無条件降伏した旧首都であり王城、ウィズ王国の初代国王リクス・バージシナを招き無血開城を果たした場所。
王族としての交流は幼いころからあるから、物理的に近づくだけなら外交として特段障害があるわけではない。
その外交を名目に、来国した王子に案内と称して王子についてきたのだ。最初は気にしないようにしていたみたいだが痺れを切らす形で聞いてきたのだ。
さあいよいよだ、王女は覚悟を決める。
「思えば幼いころから王子のことを知っているのに、あまり交流が無いなと思いまして、これを機に仲良くなたいと思っているんですよ」
笑顔で言う王女に王子の表情は晴れないままだ。
「……はあ? いいよ別に、属国だなんだというのはもう大昔の話だ。ラメタリア王国は友好国だよ、今回は王女の顔を立てる意味で一緒にいるが、元々俺は1人でこうやってブラブラするのが好きなの、無理をする必要はないぞ」
やはりそう解釈して返答くる。王子が女性に対して警戒心が強い、更に滅茶苦茶奥手であることは既に仕入れている。これぐらいは想定の上だ。
「あら、そんなこと言っていいんですか、私は専門家というほどではありませんが、少なくともここで何が起きたかについては一般人よりかは存じているつもりです。歴史に思いを馳せながら解説してさしあげますよ」
「む……」
自分の申し出にぴくっと震える王子、そう王子は所謂「馬鹿でガキな男の子」なのだ。そしてそういった男にはその馬鹿でガキな部分に理解を示してあげればいい。自分の弟であるゼストも同じだから助かった。
「んー、だけどなぁ、パグアクスとかが色々うるさいからなぁ」
と明らかに揺れている王子、なれば最後のとどめを刺す。
「我が国の禁書庫巡り付きでどうでしょう?」
「マジで!? わーい! やったー!」
と子供のようにばんざーいと大喜びの王子。
自分が特別になるためにはまずは差別化から、王子の好みは仕入れてある、別に捻る必要はない、何処にでもいる紳士たちのオーソドックス清楚系の愛嬌のある人物だ。
●
こうやってきっかけを作った後、王子がラメタリア王国に来たとき、自分がウィズ王国に行った時、少しずつ少しずつ王子との交流を深めていった。
焦るな、焦っては駄目だ、辛抱強く自分の価値をアピールしなければいけない。何も妻になる必要は無いのだ。
(愛人にでもなれれば……)
そういった思惑があった。金と権力を持つ男の発想はどこも一緒、そしてその発想を利用する女も一緒、今までそういった男も女も軽蔑していたが、今自分が置かれている状況を鑑みれば、強かさを理解する。今の自分がやらなければならないことは都合のいい女を演じつづ、飽きられて捨てられないようにすることだ。
ここで幸運だったのは王子に近づく上で懸念されていたシレーゼ・ディオユシル家、カモルア・ビトゥツェシア家からの干渉がないことだ。
おそらく自分のことは感づいてはいるのだろうが、原初の貴族から見れば王子は上司、上司と仲がいいから様子見という結論を出しているのだろう。
その隙をついた甲斐はあった、王子への自分への気持ちの変化は感じ取れるようになった。
これについては自分の勘違いというのはありえない、何故なら。
「えっと!! 今日はいい天気ですね!!」
と絶叫するように話しかけて目が泳ぎまくり、キョドりまくりで話しかけてくるようになったからだ。
「え、ええ、いい天気ですね」
と返事をする、まあ室内だから天気なんてわからないけど。
「いい、いつまでいるんですか!」
「その、1週間ほど滞在予定です」
「そうですか! その、あのっ……」
「…………」
「…………」
「今日はいい天気だから! 散歩日和ですよ!」
「は、はい、えっと、あの、王子」
「そ、それじゃあ!」
とダッシュでこの場を去った。
「…………」
最初の方が普通に話せていたことを考えれば、色々とバレバレだった。あれがウィズ王国の王子、女に奥手にも限度があるだろうと思う。
自分と目すら合わせられなくなった次期国王であるフォスイット王子、あの王子の指先一つでと、消えた後姿を見ながら考える王女。
そしてついに、彼女の想いと苦労は成就する。
「自分に、愛を誓っていただければ……」
王子から愛の告白をされたのだ。
●
「やったわ! ばあや! ついに、ついに王子から愛を告白されたの!」
王子に愛の告白をされた数日後、ラメタリア王国に戻った王女は乳母に報告する。
「それは、おめでとうございます」
おめでとうございますと言いつつも表情は暗い乳母。
「しかもワドーマーから権力を取り戻すために私に協力してくれるという約束もしてくれたの! よかったやっと、やっとっ!」
言葉が紡げなくなり感無量という感じで涙ぐむ王女。
「ばあや、聞いて、王子はそのために神楽坂っていう、神と繋がりがある人物が知り合いにいて、ソイツが協力してくれるの、あんまりパッとしない感じで、噂じゃ無能だって話だけど、神の力が使えるのなら、もう勝ちは同然よ!」
興奮するが明らかに無理をしている王女に乳母は心が痛む、お転婆であったが、天真爛漫な女の子だったのだ。
「エンシラ王女」
「なに?」
「……ばあやは王女の幸せを願っております」
「ありがと、小さいころから貴方だけは私の味方だったわ」
「違います王女、自分に正直になってくださいませ」
「うん? わかってる、でも、ラメタリア王国の王族の血を受け継ぎ、繋ぐのは私とゼストの役割だもの」
「…………」
悲痛な表情の乳母、王女は今度は乳母を抱きしめる。
「でもね、ばあや、知ってる、アイツさ、私が権力目当てで近づいたなんて、絶対に気が付いていないもの。しかも女とまともに話せないのよ、いい年してさ。しかも男たちも傑作よね、ちょっと振る舞いを変えただけで、中身なんて変わってないのにさ、クォナのパクリだよ、気づけよってね、ああ、クォナが演技しているなんて思っていないから、分かるわけないか、馬鹿だから」
「…………」
「さて、今はその神楽坂が色々と準備をしているみたいだからさ、それが終われば再びウィズ王国に行ってくる、精一杯王子に媚びてくるよ、また留守をよろしくね」
「あの」
「何も言わないで」
「…………はい」
王女は鏡を見て、決意を決めた時からメイクも服装も何もかも変わった自分の姿をじっと見つめて決意を述べる。
「そう、これが一発逆転の策、ウィズ王国の王子、これ以上ない政治のカード、ワドーマーは私を舐めている、舐めているってことは油断しているってことよ。これに付け込むほかはないわ。ふん、何が愛を誓ってくれればよ、いくらでも誓ってあげる、この体だっていくらでもあげる、その代わり私の国をよろしく頼むわ、バカ王子」




