第38話:お伽噺の妖精
「おおーう!」
と風呂場ですっぽんぽんで仁王立ち、本日何回目か分からない感嘆のため息。
トルコのパムッカレを彷彿とさせるような美しき石灰棚、足だけつかると熱めの温泉、これもまた最高、なんといっても人が俺以外いないものいいなぁ。
自分も半分観光客として来ているくせに、人がいないのが最高なんて思うのは勝手だけど、そこは皆さん気持ちはわかっていただけると思う。
はぁ~極楽極楽、温泉のせせらぎを聞きながら、湯の中であえて泳がず「秘技! デスロール!」とか言いながらグルグル回る。
さて、こんな野郎が温泉の中ですっぽんぽんでグルグル回っているシーンなんてどうでもいいのは百も承知。
本来ならここで女性陣の後ろからエイと胸を揉み「きゃ~、誰某の胸っておっきいのね~」とかキャッキャウフフシーンを期待されるところであろう。
そして女性向け作品だったら、ここにイケメン達の裸がバーンと並んでいるのだろうけど、生憎俺しかいない、絵面的には極めて貧相であることも否定しない。
んで実際に大浴場なり温泉なりに行けばわかるが、よく風呂覗きイベントである「人が寄りかかっただけで倒れるような薄い仕切り」というものはなく、絶対に覗けない強固なつくりになっているのが現実である。
だがここの温泉は風呂に男女のそういった「境界線」が設けられていないのだ。
とはいえ当然覗けるわけがない、それどころか。
「…………」
目の前にあるのは石灰棚の壁、高さは普通に10メートルぐらいある。垂直の壁にとっかかりになるようなものがなく、あったとしても登れる技術なんてものはない。
んでその壁の上には。
「おーい、そっちの湯加減はどうなの?」
アイカが、ひょっこり顔だけ出して呼びかけてくる。
「覗くなよ、というか、女が覗きたい放題って、不公平じゃないか?」
そう仕切りがないから女からは覗きたい放題なのだ。
いやね、別に覗かれてもいいんだけどさ、そんな大層なモノでもないし、減るわけでもないし、でもなんかこう釈然としないんだよな。
「……クスクス、へー、男湯の方が広いんだ、景色もいいし、これは男女差別よね!」
男女差別らしい、こんな人権侵害がまかり通っているのに、というかなんで笑ったの、最初何で笑ったの。
まあいいだろう、覗けないのならしょうがない。元よりラッキースケベなど少ししか期待していないのだから。
そんな俺の顔を見てニヤリと急に笑うとひょいっと引っ込む。
「きゃー、レティシアの胸ってば大きくて形もいいのねー(棒)」
「ちょ、ちょっと! アイカさん!」
くっ、アイカめ、というかなんでお約束理解しているんだよ。それにしてもウィズよ、大きいのは知っていたが形もいいのか、メモメモ。
●
「いやぁ~、素晴らしい湯だったなぁ」
ホカホカのまま、風呂場を出て女子陣と合流、その際にウィズが俺から視線を逸らしながら胸を隠していたことにちょっとショックを受けたものの、アイカは笑いを堪えていた、くそう。
今日はもういい時間だ、この温泉から泊まる宿までは馬車で10分ほどに俺たちの拠点となる宿がある。今日はこのまま帰って飯を食べてぐっすりと寝るだけだ
全員が乗ったところで馬車を走らせる。蹄の音が小気味よく、その音を聞きながら景色を眺めている時、荷台に乗っていたウィズに話しかける。
「なあウィズ、話したいことがあるから、隣に来てくれないか?」
「え!? そ、その! みんなが見ている前ではちょっと!」
「違うから! 大丈夫だから! 少しは信じて!」
「そ、そうですよね、も、申し訳ありません……」
とおずおずと御者台の隣に座る、ふわりといい香りがした、ふん! 惑わされないぞ。
別に変な意味はない、聞きたいことは単純にアーキコバの物体のことだ。
「ウィズよ、アーキコバの物体のコーティングされているのは神の力なのか?」
「はい、間違いないですね、どの神によるものかは分かりませんが」
あっさりと認めるウィズ、俺は更に質問を続ける。
「ウルリカはウィズ王国誕生と同時に傘下に入ったと聞いたが、ラベリスク神とは?」
「面識はありません、覚えていないだけかもしれませんが」
神がお互いに全てを知るわけではないのは、ルルトとウィズの関係がそうだ。特に神がどれぐらいいるのかもわからないのだから。
「アーキコバの物体は人に解除可能とのことだが、どうなんだ?」
「机上の空論だと思います。鍵を作るためにはハーフでも4日かかるそうですが、アーキコバの物体の鍵穴は日に3回変化するそうです。つまり「使えない鍵を作ることが可能」というのが人に解除可能と判断していいのかどうか」
やっぱりか、悪い言い方だが解除可能だというのはあくまで「餌」であるということで、本当の目的は「神の力であること」をアピールするのが目的だと言える。
「ウィズが中を調べようとしたらどうする?」
俺の問いかけにウィズは首を振る。
「壊すしかありませんね」
「鍵を作ることぐらいは造作も無いように見えるけど」
「んー、神の力と一口に言っても色々ありますから」
「そうなのか?」
俺の問いに答えたのは荷台からひょっこり顔を出したルルトだった。
「そうだよ、前に言わなかったっけ、君を選んだのはボクじゃなくて占いの神だってさ」
俺が選ばれた理由は占いの神に占ってもらい、俺が適任だという結果が出たから連れ着てきたそうだ。
「神楽坂様、そういえばそのアーキコバの物体の調査の件はどうなったのですか?」
「現状維持」
「現状維持?」
「素人の俺じゃ無理、んでウィズでもルルトでもどうしようもないって分かった。まあそれだけでも十分に収穫だけどね」
「収穫って、解決するアテはあるの?」
「んにゃ、でもまあ慰安旅行なんだから、その余興として挑戦する意味は十分にあると思う、俺も歴史に想いを馳せながら考えるとするさ、そう、これは」
「ちょっと神楽坂黙ってて、皆も!」
いいところだったのに、突然馬車から身を乗り出してきたのはアイカだった。
「何か聞こえない?」
「え?」
アイカの言葉で馬車を止めて耳を澄ませてみる。
ピィィィィィィ
確かに笛の音がこだまする、なんだこの音。
「私たちが使う笛の音よ」
アイカ曰く憲兵が所有する笛は、笛の吹き方によっていろいろな意味を持たせて意思疎通をするのだという。
俺達にはよくわからないが、断続的に聞こえてくる笛をアイカはじっと聞いている。
「……犯人追跡中、至急応援求む、か、音が聞こえるってことは近くにいるってことだから注意して」
緊張感をはらんだアイカの口調。
「分かった、憲兵の邪魔にならないように、早く宿に……」
と言った時だった。
「うわ!!」
俺の馬車の前に突然複数の人影が現れたと思うと地面に勢いよくたたきつけられて、慌てて手綱を引き絞り馬を止める。
危なかった、ひいてしまうところだった。
急な停車に何事かと残りの人物たちも顔を出し、俺は倒れて動かない人影に駆け寄る。
「お、おい! 大丈夫か!?」
御者台から駆け下りて倒れた人物に駆け寄り、声をかけると呻き声を上げて反応、脈もある、よかった失神しただけのようだ。
だけど……。
「憲兵……なんだよな?」
階級章は武官のそれだから間違いないが完全武装してる、こんな憲兵いるのか。
「その紋章は魔法特殊部隊の紋章よ、それよりも」
隣に立ったアイカは憲兵の方を向いていない、その視線を意味することを理解し、視線を移す。
俺達の目前には黒のローブに身を包んだ人影が立っていた。
「…………」
フードをかぶった男、だろうか。先ほどからこちらをじっと見ている。
もう一度倒れた憲兵に目をやる、アイカは特殊部隊と言っていた、口ぶりだと戦闘に特化した部隊なのだろう、それを複数人相手にあっさりと倒すか……。
「どうするの?」
アイカが問いかける。
「迷ってる、どうするかなあ」
結論から言えば倒すことは可能だ、だがここは居住区に近い場所だ。
「人目があるのがやっかいだし、夜中とはいえ、これだけ派手に騒ぐと……」
周りにある家の灯りがパッパッと点き、騒ぎを聞きつけたのか人の気配が少しづつ濃くなる。
「人が騒ぎ始めたな」
判断を迫られた時、その、憲兵達を襲った奴は、ふと俺達から視線を逸らして空を見上げたと思ったら。
次の瞬間、数十メートル跳躍してその場を後にしたのだった。
「…………」
呆然と取り残される俺達。
「……特徴が一致するからまさかとは思っていたが、あれが、お伽噺の妖精ってわけか」
「みたいだね、本当にいたんだ、で、逃げちゃったけどどうするの?」
と再び問いかけるのはアイカ。
「…………温泉」
「は?」
俺はアイカから視線を移す。
そこには既に多数の応援の憲兵達が駆けつけていた。
「おそらく、これからながーい事情聴取が待っている、だからそれが終わったらもう一度温泉、ぱーっと入って、今日は寝よう、どの道今日動いてもしょうがないし」
俺の言葉を聞いてアイカが呆れたようだった。
「あんたって本当に風呂とか温泉とか好きよね」
「フフン、日本人だからな」
次は21日か22日です。




