第19話:神楽坂の出張日記・前篇
ティラーの故郷、ピガン都市。
格付けは5等の辺境都市、主な産業は畜産業。
俺はルルトの改良版アーティファクトを使って壁の前に立つ。
「……このあたりか」
と地図を確認して懐にしまうと、ひょいと壁を飛び越えてそのまま着地する。
当然こんな形での都市に入るのは違法だが、俺の身分をそのまま告げるわけにはいかないし、辺境都市だから部外者はどうしても目立ってしまう、こうやっていつの間にか溶け込んでいたというやり方を避けたいし、それに今回は色々と正規な手続きを避けたい事情がある。
「はあ、のどかでいい空気だね」
とまあそんな思惑はさておき、所々に木々が生い茂り、風で音がするのがまたよし、鳥のさえずりが聞こえてくるこの感じがいいですなぁ。
とここで視線を遠くに移すと、遠目でもかなり丈夫で作らているであろう高い柵が見えた。
「あれがピガンのための柵か」
ここでいうピガンとは都市の名前ではない、ピガン都市が独自に生み出した畜産動物の名前であり、畜産動物の名前を都市の名前にしているのだ。
ピガン。
王国内では屈指の凶暴性を持つ草食動物であり、人も平気で襲う危険な動物。人間を含めた他種族に決して懐くことはなく、気を許すのは家族とつがいになる異性のみ。
だが肉が非常に美味であることは知られてはいるものの、その気性から家畜に適さないからたまに市場にまわると高値で取引されている。
それをビジネスと見た当時のピガン都市の住民が特許を取得して畜産業を始めた。
とはいえ、誰もが匙を投げるような凶暴性のピガン、その過程は試行錯誤よりも苦心惨憺という表現が正しいらしく、失敗を繰り返して繰り返してやっと安定して収穫することに成功したそうだ。
とはいえこれはまだ紙情報、まだついたばかり、何のために来たのかは考えて結論を出さないとな~っと。
(まあそれはまず置いておくとして、折角だからお決まりの観光でもするか、こうメジャーじゃない地元のちょっとした場所って好きなんだよね~、とはいえあの柵の中にだけは間違っても入らないようにしないとな)
と思いっきり伸びをした時だった。
ブフーー! ブフーー!
「ん?」
と鼻息荒い気配を感じたので隣を見ると、いきり立って滅茶苦茶殺気立った動物がいた。
「…………」
資料で見たから間違いない、こいつはピガンだ、んで角が生えているから雄ですね、これ。
「…………」
ちょっと待った、遠目に見える策って、ひょっとして。
「ギャアアアアア!! こっちが柵の中なのかい!!!」
思わず身構えてピガンと対峙する、身体強化の加護はかかっているから、勝てる……。
(ん? ちょっと待てよ、確かこういう畜産動物って立派な財産なんだよな、つまり返り討ちにすると立派な損害になるという訳で。しかもこっちが完全に不法侵入しているわけだよな、となれば逃げるしか……)
と思った時だった。
突然ピガンが目に見えて何かを嫌悪するかのような素振りを見せると、踵を返して一目散に逃げて行った。
あれれ、どうしたんだろうと、思った時、後ろに気配を感じて振り向くと。
「…………」
そこには憤怒の表情をした中年女性が立っていた。
●
「全く! ピガンはね! 今は発情期で一番気性が激しいんだよ! 草食動物なんて言っているけど凄い凶暴な動物なんだよ! 都市に入る時注意されたでしょ!? 何で立ち入ったの!? いいかい! 王国一の凶暴草食動物がピガン! 特に雄は人を簡単に殺せるぐらいの力を持っているんだよ! だから策の中に入る時は、ピガンの嫌いな匂いを詰めた匂い袋が無ければ襲われるんだよ! 分かった!?」
「すみません、本当にごめんなさい(涙)」
とあのまま柵の外に連れていかれて、説教をされている。おばちゃんはやれやれとばかりにため息をつく。
「もう、まあでも無事でよかったね、ピガンはね、決して自分の家族以外に懐くってことがないんだ、どうしても見たいのなら柵越しにしておきな」
「はい、ご迷惑おかけしました」
と何とか許してくれた、こう、面倒見のいい気のいいおばちゃんって感じだ。
「で、見かけない人だね、アンタは何処の人なの?」
「あ、はい、俺、旅行中なんですよ」
「旅行? ここに観光名所なんてないよ」
「観光もそうなんですけど、食べ歩きも趣味にしていてですね、聞いたんですよ、この都市の名前にもなっている家畜ピガンが凄い美味だって」
とここで話題を振る、さてどんな反応をするのかなと思ったが。
「……それ何処で聞いたんだい?」
ちょっと不審な目で見られた。
「え? 何処っていうか、噂で聞いただけなので、ピガンって市場に滅多にまわらないけど、産地のここだったら食べられるって聞いたんです」
「ふーん、そんなものかね、確かにここでならピガンは食べられるけど、お兄さんはどれぐらいここにいるつもりなんだい?」
「1週間を予定しています」
「ほほう、泊まるところは決めてるの?」
「まだです、宿屋が無いのなら野宿でもしようかなって思ってたんですが、えーっと、宿屋かピガンを食べさせてくれる料理屋があれば教えて欲しいんですけど」
「んー、そうだね、まず宿屋というか、部外者が泊まる施設はあるけど旅行者には開放していなくてね、料理屋も地元民以外は使うような店じゃない。その代わり、私を含めたいくつかの家ではアンタみたいな旅行者に向けて副業で民宿をやっててね、というわけで、ちょっと営業をかけさせてもらっていいかい?」
「ほほう、伺います」
と俺の言葉におばちゃんはふふんと笑う。
「まず部屋は個室、3食飯付きで1週間だとこの値段になる、料金は前払いの代わりに追加料金は一切なし! ただ部屋は大事に使ってよ!」
「分かっておりますよ、ほほう、それにしても安いですな、ただその口ぶりだとピガンの肉は付いていないってことですよね?」
「まあね、産地とはいえ、ほとんどが外に卸す用だから祭りの日とか特別な日でしか振舞われないんだ。だから私達住民でも身内価格で部外で買うよりかは安いとはいえ、購入する必要がある、だけどね、実は身内価格と言えど安くはない」
「へー、そういうものなんですね」
「ピガンの肉は一番上等なのは出産前のメスでこれが別格扱い。ついで出産経験後のメス、次に成人前のオス、最後に成人後のオスになるんだけど、どうする?」
「うーーん、折角なので、その一番上等なのが食べたいんですけど」
「毎日は無理だね、最後の日の夜に1食が限度だ、後は成人後のオスにそれぞれ1食でどうだい?」
「分かりました! それだと料金はいかほどで?」
「パチパチと、これぐらい」
「お! 思ったよりも安いですな! お世話になりまーす!」
と財布から現金を払い契約成立、俺はこの民宿を拠点にして世話なることになった。
「さて、1週間だけどよろしくね! っと自己紹介が遅れたね、私は」
「ハイリ・ユダクト! 旦那のシナニマと一緒にこのピガン牧場の一員で切り盛りしているのよ! 旅人さんのお名前は?」
「飯田橋と言います、1週間お世話になります!」
「イイダバシ? 変わった名前だね、外国の人なんだね~、まあ何もないところだけど、楽しんでおくれよ!」
そう、俺が世話になったのは、ユダクト家、ティラーの実家だ。
●
次の日、早速ポテポテと歩きながらピガン都市内を見て回る。
今度こそ柵の外側を歩いているが、ピガンの姿は見えない。そして柵から都市の壁まではかなり遠い。
それもその筈、ピガン都市は都市面積のなんと8割が放牧地となっている。
これには理由があって、ピガンは女将さんが言ったとおり非常に凶暴な生き物であるが、非常に繊細であるため、いわゆる狭いところに押し込めてしまうとストレスで簡単に死んでしまうらしい、
凶暴なほど繊細か、人に通じるものがあるのかね、と思いながら歩く。
つまり環境を変えてしまうと駄目という結論に至ったことから、ピガンの生息地をそのまま放牧地として買い上げ利用する、つまり放牧地と言っても野生とほぼ変わりない。
そして都市民全員が畜産業に関わっており、都市全体で売り上げを上げて、利益を分配するという方式を取っている。プラスしてさっきのティラーの家のように、副業をして小銭を稼いでいるのだ。
その牧場地の運営の上で大事なのは2つ。
まず個体調査。
つまりこの放牧地の中に何頭いるのかの調査作業。この調査にはタキザ大尉も犯人の位置調査の為に使っていたウルリカ製の魔法探知機をピガンに取り付けて、個体数の調査をしている。
同時に都市の中で有志でピガンという生き物の生態研究も進めており、意外と多産であることが分かったことが追い風になっているそうだ。
そのために匂い袋を身に着け、1週間に一度地道に調査をしており、俺が巡り合ったのはその個体調査の為だったのだという。
そして当然に次は……。
というところで、柵に設けられた出入口、その前に10人弱の若い男達から中年の男までが完全武装をしており、物々しい雰囲気に包まれている。
「おー! アンタが、俺のところに来た旅行者さんだな!」
とその10人弱の中で隊長格らしき中年ぐらいの男性が話しかけてくる。
「俺はシナニマ・ユダクトだ! 1週間楽しんでいってくれよ!」
「飯田橋と言います、よろしくお願いします、あの、皆さんはもしや」
「ああ、待っていてくれよ、今からアンタに出すためのピガンを仕留めてくるからよ!」
「仕留めるって、家畜じゃないんですか?」
「知っていると思うがピガンは危険な生き物だからな、放牧地と言えば聞こえがいいが、実質野生と変わらない、んで狩りが終わらないと匂い袋をつけられないから、こうやって武装しているんだよ」
武装、という言葉で全員を見ると、それぞれに役割分担がちゃんと出来ている。やけに様になっているなと思ったら、人材育成の為に金をかけられないから、王国軍の任期制の兵士として軍に行き、そこで体力と戦闘力を身に着けてくる者もいるそうだ、なるほど、そういった利用方法もあるのか。
とはいえピガンの狩りは怪我を伴う危険な作業であることに変わりなく、黎明期には死者も出たそう、そして試行錯誤を進めてやっと収穫のマニュアルを作ったそうだ。
「あの、シナニマさん、無理かとは思うのですけど」
「悪いなお客人、見学は駄目だ、危険すぎる」
「分かりました」
という俺の言葉に頷くと、出入口の両脇に設置されている高台の見張り役が付近にピガンがいないことを確認した後出入口を解放、全員が勝鬨を上げて進軍を始めた。
「…………」
俺は、それを見届けて、そっと、認識疎外の効果を強くすると、柵を飛び越えて狩猟メンバーに混じって、そのまま出発したのだった。
●
獣肉を食べる。
日本でも先人の知恵と努力を重ねてシステム化に成功し、安定して肉が供給されているし、品種改良を重ねて味も美味くなった。
だが俺が見たピガン相手の収穫はまさにシナニマさんが言った「狩り」という表現がぴったりと言っていい程迫力のあるものだった。
隊列を組んで3分の1が外周警戒、3分の1がピガンの気を引き、残りが隙を見て仕留める。
仕留めた後は、すぐに匂い玉を割って安全を確保し、担いでその場を後にして、柵の外に向かって退避する。その間、生傷を負ってしまった人を救護役が手当てをする、軍の経験者がいるだけあって、テキパキとした素晴らしい動きだった。
俺は一足早く柵の外で待っていると、同じように見張り役が周囲にピガンがいないことを確認し、出入口を解放、狩猟隊がドサっとピガンを木製の板の上に乗せる。
「お客人に振舞うのがこのピガンだ、さて、これから捌くぜ、見てな」
とデカい包丁のような刃物を取り出すと、吊るして血抜きをする。血抜き終わると、関節に刃物をさっと入れると皮を剥ぎ、腹から内臓を取り出し大皿に分けると、ささっと肉を切っていく、ロールさんは作業をしながら俺に話しかける。
「飯田橋さん、知ってるかい? ピガンには利用できないところが無いってな、あまり知られてはいないが、剥いだ皮は上質の毛皮になり、角は万年筆他色々なものに使える、内臓ももちろん食べられるが、薬にも使える、後は血も美味で飲める」
と血抜きで溜まった杯に血が溜り、それがそのまま小さな杯に移すと差し出してくる。
「ただ唯一血の場合は保存がきかないのが難点だ、だが滋養強壮効果抜群、ここでしか飲めない逸品だぜ」
と差し出されて受け取ると、一気にぐいっと飲み干す。
「……あ、美味しい」
「だろ!? 俺もこれを飲んでかーちゃんと一発やって子供を授かったんだ! とびきり優秀な息子がな! 効力はお墨付きだぜ!!」
「はは……」
と生返事、これは別にお決まりの冗談に対してなんじゃなくて。
(グロい、気持ち悪い……)
うん、捌かれるピガンを見て眩暈がした、血を抜いたところとか、内臓をごっそりと出したところか倒れそうになった。だけど気持ち悪いとか言うのは音を上げたみたいでカッコ悪いから言えない、なんて小さなプライドを保ちつつ、自分のヘタレさを呪ったのだった。
ちなみに、その日の夜に食べたピガンの肉は、これが一番格下とは思えない程美味だった、霜降りにありがちな味は良いが胸焼けする感じもなく、赤身の筋っぽさや噛みにくさも無い。
不思議だよなぁ、こんな感じで俺も散々家畜の肉を美味い美味いと食べているのに、仕留められて捌かれるピガンに対して何故か可哀想だと思ってしまったのは、エゴなんだろうか、よくわからん。
(さて、明日から本番だな)
ピガンは十分に素晴らしい家畜だというのことは分かった。星付きのレストンランで供される肉よりもずっと美味かったし、これをビジネスとして活用するのはありだと思う。
だがそれは、商業にまるで素人の俺の、浅はかな意見だ。
それは、現在でも補助金を得ている状況から見ても、俺の見方は間違っていないと分かる。
次回は、19日か20日です。