第17話:兄妹喧嘩
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一番最初に生まれた男子を次期当主とする。
これは原初の貴族が守るべき絶対法則。
人よりも決まりを上位に置く、最大最強国家を支えるこの徹底した覚悟は偉大の系譜に名を連ねる人物全員に叩きこまれ、直系という次期当主に最も近い位置にいる1人として幼いころから自分のこととして見ていた。
原初の貴族の直系として、国家で一番の嫌われ役、恨まれ役を担い、それを完遂してきた我が家のことを誇りに思っていたし、自分の能力に自負もあった。
無論そんな綺麗事だけではなく、もし自分が兄より先に生まれた男だったら、という思いは抱いたことはないと言えば嘘になるが、今はもう納得している。
だからこそ、原初の貴族の家名が及ばない場所で力を発揮したいと考えていた。
ウルティミス・マルス連合都市。
セルカ街長の能力は噂以上で、人柄もよく、自分を妹のように可愛がってくれた。それは他のメンバーも同様で、女子会を何回も開き人柄に触れることも出来た。
その絆は、あの情を優先するフォスイット王子が仲間に選んだことを十分に納得できるものであった。
フォスイット王子は、よく言えば優しく、悪く言えば甘く、だけど不思議なカリスマの様なものを持っていて、指示するのは少数派だがその分熱烈に支持されている。
その王子に認められた神楽坂イザナミ、今回の首席監督生であり、自分の先輩。
本人は必死で否定していたが、王子に友人としてはもちろん対等な仲間として認められていることは分かっていた。
自分の兄と不仲であり、その理由を言動から理解し、自分の父親の後ろ盾の件でもしやと思い、クォナとの付き合い、王子との付き合い、それにまつわる出来事で神楽坂が関わっているだろうということは当たりぐらいはつく。
とはいえ、アンポンタンというセルカ街長含めた女性陣の評価は全くもってそのとおりで、あれは自分に無関心だと本気で思ったらしく、まさか本当に放置されるとは思わなかった。
まあ確かに先輩ではなくセルカに興味があるとは言ったが、普通はもっと気にするものではないのか、自分のことを直系として全く意識していないのは驚いた。
そして自分の横にいた兄から送り込まれたスパイであるティラーの存在。
すぐに彼がスパイであると気づいたし、その意図も理解する。
「…………」
元より兄の行動には直系として頭を痛めていた。
能力の高さは自分よりも上、だが評判は知ってのとおり、自分にとってその評判に反論できる材料はない。
そして兄に当主就任を望む声の大きさは何も部外に限った話ではないという現実。
先ほどの納得するというのはそういうことだ。
だが兄は兄、自分は自分、その為の道、今まで絶ってきた他人との繋がりをもって、自分の道を構築する一番最初の一歩だった。
だからこそ、今回の出来事は自分にとって痛恨の出来事だった。。
――「飼っている虫に対して、衣食住を全て世話しているという理由で対価を要求するのか?」
これはセルカによればこれ神楽坂の言葉だそうだ。この言葉でやっと後ろ盾の意味を理解したが、だがそれは自分が娘だからだ。
つまり兄がやったことは、後ろ盾という言葉を、言葉以下の意味でしかないことを周囲に知らしめてしまったこと、更に上に自分が個人で動いていることもバレてしまったこと。
ある意味「神楽坂との不仲は演技では?」という可能性が払拭されない状態であったが、それももう無くなる。
それは結果的に連合都市に不利益をもたらす。
だけど神楽坂はそれが分かっているのかいないのか、本来なら敵であるはずのティラーの為に、自分を犠牲にしてまで世話をしているのだ。
(本当に馬鹿よね、お人好し過ぎる人、頼りなくて情けなくて、流石王子の仲間よね、でもそれが分かったのなら、王子の「仲間」であるのなら「大丈夫」ね。となれば私がすることは、原初の貴族というものがどういうものなのか)
(兄ともども、思い知らせること)
「ティラー」
神楽坂がミローユと会った次の日の昼ころ、修道院の廊下、前を歩いていたティラーを呼び止める。
「な、なんだよ」
少しだけ腰が引けたティラー、彼が今から何処に行くかは分かっている。
裏切り先の、経済府所属の監督生。
「話があるの、私たちにとって、大事な人の話」
「え?」
とティラーは、慌てて手に持っていた封筒を隠す。
当然その封筒の中は分かる、その報告大会用のその監督生にもっていくための論文の草稿だ。
「どうしたの? もちろん神楽坂先輩の話よ、私たち2人の大事な先輩、誰の話だと思ったの?」
「あ、ああ、もちろん、先輩の事だって、分かってたよ」
「報告大会への論文はどれぐらい進んでいる?」
「あの、えっと、まあ、まだかな」
「そうなの? 3日後には報告大会だよ? 早い方がいいと思う、私は草稿は完成して、内容を先輩にチェックしてもらうだけよ」
「そ、そうなんだ」
「その封筒は何?」
「え!? その、書きかけの、論文」
「へぇ、そうだ、それだったらちょうどいい、意見の交換をしない?」
「え?」
「私はセルカ姉さまにずっとついて都市運営に関わった、貴方は先輩について駐在官として住民に触れた。私たちは二つの立場から連合都市を見てきたということ、だからそれを合わせることで本当の連合都市の姿が見えてくると思う、だから貴方の論文読ませてよ、私も見せるから」
「い、いや、それは、その、は、恥ずかしいから、その、見せられない」
「そうなんだ、ねえティラー、貴方は神楽坂先輩のことをどう思う?」
「え? どうって」
「頼りないけど、凄いところは凄いよね。先輩が勤めるウルティミス・マルス連合都市もいい人ばっかり、活力にあふれている場所だと思う。私のこれからの人生をどうするか、必死で悩んで、悩みぬいた上での選択肢の一つとしてあげたのは間違いじゃなかった」
「そ、それは、俺も一緒だよ!」
「…………良かった、貴方も自警団員と仲良くしていたものね」
「…………」
ここでようやくユニアが身にまとう何か不穏な気配を感じ、黙るティラー。
「ティラー、私達2人だけでは報告大会で先輩を勝たせることは難しいかもしれない、いえ、たった2人では結果は最下位になってしまうと思う。だけどそんなことは些細な問題よね?」
「え?」
「監督生として一番大事なのは、後輩に慕われていたという事だもの、監督生は実務では申し分ないからこそ仕事とはまた違う形の繋がり、だからこそ先輩と呼ぶのだから」
「な、なにが、言いたいんだよ?」
「あら? 本当に分からないの?」
「わ、わから」
「素直に先輩に謝って欲しいと言っているの、モスト兄様のスパイをしていたと、ね?」
予想はしていたのだろうが、遮るようなユニアの冷たい口調にティラーは青ざめる。
「は、はあ? な、なんのことだよ?」
「…………」
「ねえ、貴方は同期、私達2人が神楽坂先輩についたのは、何かの縁があったのかも。これもウィズ神の思し召しかもしれない、だから正直に言いましょう、神楽坂先輩に、ね?」
「し、しらない!」
「ねえティラー、これが最後よ、このままだと神楽坂先輩は恥をかいてしまう、それは先輩だけじゃない、私も「貴方がスパイだと知っていて何もできなかった」ってことになるから恥をかいてしまう。いい? 貴方が考えている以上に今の状況は良くないの、だからその点はちゃんと理解した上で、もう一度聞くわ」
「私と一緒に謝りに行きましょう。ティラー、そして報告大会、私達2人で頑張りましょう」
笑顔で問いかけるユニア。
それに対してティラーの返答は……。
「いいがかりだ!! スパイなんてしてない!! そこまで言うのなら証拠を出せよ!!」
「…………」
ティラーの放った言葉、それを表情を変えずに聞くユニア。
だがティラーは気づかない、ユニアの笑顔の目に宿る青い炎に気付かない
「おい、誰に対してその口をきいている?」
途端にさっと低くなる温度、思わず視線を上げたティラー。
その冷たい炎の視線に凍り付いて、動けなくなる。
(な、な、なんだ、これ、ユニアの、目、目が!)
そう、この視線は……。
本気で、自分を人間だと思っていない目だ。
「私は偉大なる初代国王リクス・バージシナを支えし24人の原初の貴族の始祖の1人サノラ・ケハト、その始祖の血と誇りと遺志を受け継ぐ、当主ドクトリアム侯爵の直系、ユニア・サノラ・ケハト・グリーベルト」
「え?」
「貴方は私の度重なる温情を無下にした挙句、その直系に泥を塗った、これは上流では絶対に許されないこと」
「え? え?」
「ティラー、周りを見てごらんなさい」
ティラーが慌てて周囲を見ると、そこには。
「!!!」
ここでようやく気付いた、ユニアの動向を貴族枠の修道院生と、その取り巻き達が伺っているのだ。
「貴族枠の生徒の言動を把握するのは、修道院生としての基本中の基本、貴方は私の顔に泥を塗り、あまつさえ反省の色すらない、情状酌量の余地なし、ね」
「え、あ……」
「明日にでも上流で貴方の名前が広がる、上流はもう誰も貴方を相手しない、それがどういう状況を生み出すか、言うまでもない」
首を振るティラーだったが、はっと思い出したように叫ぶ。
「モスト息が俺を守ってくれる!!」
そのティラーの言葉を静かに聞くユニアだったが。
「本当にバカね、救いようのないほどに、ねえ」
「兄さま?」
ティラーが―勢いよく振り向くとそこにはモストが立っていた。
「…………」
モストはティラーではなくユニアを見ている。
「お騒がせして申し訳ありません兄様、ですが私は原初の貴族の直系としてとても情けなく、悲しい思いをしているのです。何故なら、兄様が神楽坂先輩に恥をかかせるために、ティラーをスパイとして送り込んだからです」
「…………」
「まさに品性下劣、次期当主としてあるまじき行為、偉大なる始祖、サノラ・ケハト初代当主の顔に泥を塗る行為だと私は思います」
モストはぴくっと動く。
「証拠があって言っているのか?」
「ありません」
「なら、どうしてティラーがスパイだと分かったんだ?」
「女の勘、で納得していただけますか?」
「ふざけているのか?」
「いいえ、繰り返し申し上げます「女の勘」ですわ兄様、そして再度問いかけます、私の勘は、当たっているのですか、当たっていないのですか?」
「…………」
「兄さま、私がここまで言うのは、先ほどティラーが「兄さまが守ってくれる」と叫んでいたからなので、私の女の勘は当たっていると思うのですが」
「っ!」
ここでようやく2人の会話の意図と意味が分かったのだろう、ティラーは勢いよくモストを見る。
モストはティラーの方を見ず、ケロッとした顔でこういった。
「そんなことをするわけがないだろう」
「そ! そんな! モスト息! 約束が違! がふっ!!」
と言い終わる前にモストの裏拳がさく裂して吹き飛ばされて、力なく地面にたたきつけられる。
「おい、近づくな、それよりもお前、我が家を侮辱したな?」
「ぶ、ぶ、ぶじょく?」
「何を勘違いしたのか知らないが、ユニアの顔に泥を塗り、その責任を俺に転嫁するとはな、ユニアとの「個人的な揉め事であるのなら俺も監督生の1人として助けるつもりだった」が、もう不可能だな」
「…………」
余りのことに呆然とするティラーを尻目にユニアが続ける。
「そうだったのですが、スパイの事実はなかったのですか、神楽坂先輩を侮辱する行為は後輩として許せなかったもので、それが誤解である、ならば兄様、今からお詫びを申し上げます」
「なに?」
「私が早合点をしてしまい申し訳ありませんでした、もしスパイ行為をさせていたのが本当なら、気と器が小さすぎると思い、これは上流での兄さまの中傷が流布してしまう危険性を考えてしまった故、私も動転していたようです」
「っ………」
当然言い返せない、今回のことはユニアは「全て分かっているぞ」と周りにいる取り巻き達に宣言し、モストに恥をかかせたのだ。
怒りで顔を歪めるモストの裾を誰かが引っ張る。
「…………」
引っ張るは当然にティラーだった。
「も、もすとそく、おれ、いっしょうけんめい、やって、がんばって」
「修道院生としての立場を活かすも殺すも自分次第だ、どの道スパイなんてのは他人を平気で裏切るような奴の役割、現に他人に責任転嫁をしている時点で、それは知れるといったものだ」
「っ!!」
とあんまりなモストの言葉にポロポロと涙を流す。
「そ、そんな、おれ、おれ、とうさん、かあさん、うわあ、ぐすっ」
泣きじゃくるティラーを一瞥するとユニアはモストに優雅にお辞儀をする。
「それでは兄様、ごきげんよう」
「……ああ」
そんなモストの言葉、白々しさはお互い様かと、この場は何とか納まったかと、心の中で安堵のため息をつくモスト。
そしてそのモストの頭を神楽坂がべしっと思いっきり叩いたのであった。
次回は7日か8日です。