9、炬燵の暖かい熱源を抜けると異世界であった Ⅳ
理由を問われれば、
『なんとなく放って置けなかったから』
彼女は異世界から勇者を持ち帰っていた。
どちらかと言えば抱えられていたのは彼女のほうなので、『持ち帰られた』というのが正しいかもしれないが、その表現を選択した場合、勇者によからぬ疑いが向いてしまう可能性があるので、それを考慮して『勇者を持ち帰った』のほうを選んだ。
何に対しての配慮かは分からない。
「ちょっとイルセイドさんお借りします」
イルセイドに抱えられたまま帰ろうとする彼女がそう言ったら、状況から察したのか、般若は「よろしく」とだけ言って彼女を送り出してくれた。
他の面子も何か訊きたそうにはしていたが、結局、何も言わずにそれを見送った。
今、六畳一間の炬燵では、彼女とイルセイドが向かい合って座っている。
部屋に着いてからずっと何も言わずに押し黙っているイルセイドの前に、彼女はミカンを二つ置いた。
「今日の取り分です」
「……」
イルセイドがじっとミカンを見つめる。
けれど、何も言わない。
彼女は更に続けた。
「ミカンは一日三個までと取り決めたはずです。そして、そちらの世界で既に一つお渡ししました。……ので、今日の取り分は残り二個です!」
「……こういう時にも適用?」
「当たり前です!」
「厳しいね」
イルセイドが笑った。
ようやく口を開いてくれた事に、彼女はほっとする。
「この前の場所、借りるよ」
そう言ってイルセイドは立ち上がると纏っていた装備品を脱いで、そこに置いた。
彼女はその間にお茶を二人分用意して、片方をイルセイドに渡す。
「ありがとう」
そう言って、受け取ったお茶を飲んだイルセイドはふっと息を吐いてから「あのさ……」と続けた。
「情けないところを見せちゃったな……」
「イルセイドさんは割と最初から情けなかったと思うので今さらです」
「君も最初から容赦ないよね」
「それも今さらです」
彼女がきっぱりと言い切れば、イルセイドが「そうだったね」と苦笑いする。
それから、ポツリポツリと言葉を紡いだ。
「俺さ、聖剣を手にするまでの記憶がないんだ……と言っても、覚えている初めの記憶は、剣を抜いた時じゃなくて、ずっと世話になっていたらしい教会の中で……俺は、剣を抱いて、祭壇を見上げてた」
教会の人の説明によると、彼は孤児として教会に来たのだそうだ。
どうして孤児となってしまったのかは分からないらしい。
ただある人に連れられて、教会にやって来て、そして、その手には一振の剣を携えていた。
「それが聖剣で、俺を連れて来た人いわく、俺が聖地にあったのを引き抜いたものらしい。司祭さまが言うには、俺を連れて来た人と、剣の特性上それは疑う余地がなかったって事だった」
聖剣は救世の勇者のみが扱え、手にする事が出来るもので、魔の元を立つ聖なる力を持つ。
それを聞いた時、彼女は一瞬何かが引っ掛かったが、イルセイドの話を遮ってはいけないと思い、口に出すのを飲み込んだ。
結果、その事を忘れた。
聖剣を手にした勇者は、魔物と戦い世界を救わねばならない。
それからイルセイドは、そうあるように育てられ、彼自身も、不確かな自分が皆の役に立つ事が出来るならばその存在も意味があるだろうと、そう思って戦うための術を身に付けて行った。
らしいのだが……。
「最初にさ……魔物と対峙したとき、身体が動かなくて……」
対人の訓練では全くそんなことはなかったのに、肝心の魔物を前にして、イルセイドは恐怖を覚えたのだという。
「初めに戦ったのは、そんなに強い魔物じゃなくって害獣退治程度のものだったんだけど、それでも……だめだった」
理由は分からない。
ただ、魔物を前にすれば体が震える。身がすくむ。
「周りに人がいれば、何とかしなきゃって思うから踏ん張れるんだけど、一人になった時は本とにもうきつくて……どうしてなんだろう……どうして俺はっ……」
彼女はイルセイドの側に行き、そっと、優しくその背を撫でた。
「ずっと頑張ってきたんですよね……」
イルセイドの身体がピクリと動いた。
「怖くても……それでもイルセイドさんは戦いたいんですよね……」
イルセイドの首がゆっくりと縦に振られる。
「……トア・モラさんから、魔物討伐の依頼を受けてて、あの村に滞在するって話を聞きましたけど、時間は大丈夫ですか?」
「依頼を受けてた魔物はさっき倒したやつだから平気だけど……?」
怪訝な顔をしたイルセイドに、彼女は笑いかけた。
「じゃあ、あれです!あれ!今日は語り明かしましょう!!愚痴会でも女子会でも付き合いますよっ!!!」
「……じょしかいってなに?」
「女子だけを構成員にして催される会合です!」
「俺……女子じゃない……」
「こまけぇことはいいんですよ!ようはだべって愚痴ってまた次の英気を養いましょうぜ!って事ですよ!!」
イルセイドの表情がくしゃりと歪む。
「ここは勇者も魔物もいない世界のただの六畳一間なんで、壁に耳があろうが障子に目があろうが、弱音吐いたのが聴こえたところで誰も咎めやしないし、困りゃしませんし」
言い終えた彼女の体を、イルセイドが掻き抱いた。
「ごめん……この部屋に偶然来て、君に会ってから、なんか俺、君にすがってばかりだな……君はあたたかいから甘えてしまう……」
「だから気にしませんってば……それに、あたたかいのは私じゃなくて炬燵ですよ」
「いいや、君だ。君があたたかくて優しいんだよ」
彼女を抱くイルセイドの腕に、力がこもる。
近くなったお互いの呼吸のタイミングを、彼女は無意識にイルセイドに合わせていた。
ミカンの残りは二個しかないし、飲み物はお茶しか用意出来ないけれど、今日の女子会はきっと長い。