7、炬燵の暖かい熱源を抜けると異世界であった Ⅱ
荒い息を吐くと手にした刃が揺れるので、そうならないように細心の注意を払いながら、呼吸を整え、訊ねる。
「えー…と……落ち着いて、いただけましたでしょうか……?」
「……うん」
君の力でむしろちょっと刺さりかかったけど。
と言うイルセイドに、彼女は「そいつはごめんなさいねっ!」と、謝った。
その振動で剣の刃が少し動く。
「……」
「……」
セーフである。
刃を挟んで向かい、相手と無言で見つめ合った。
お互いの頬を伝う汗は、たぶん冷や汗だ。
「いや〜、イルセを止めるために逆真剣白羽取りに挑むとは、キミ無謀だね〜」
あっはっはと笑いながら般若が膠着状態の彼女とイルセイドに近づき、すっ……と、その間から剣を抜き取った。
二人はほとんど同時に安堵の息を吐いて緊張を解く。
そんな三名の様子を周りは唖然として見ていた。
『剣の先で指をちょっと切る方法』という、この世界で頬をつねるに並んでメジャーで、かつ、痛みを伴う現実確認の仕方を実行しようとしたイルセイドを制止するために彼女が起こした行動は、その剣の刃を直接はしっと掴んで止めるという荒業だった。
直ぐ目の前にある剣で、直ぐ目の前の人が、今しも指を切ろうとしていたのだ。
咄嗟の行動で、考える余裕がなかった。
仕方ないと思ってもらいたい。
ただし、その際に、若干の尊い犠牲が払われた。
「えーと、ここで大変残念なお知らせがありまーす。たった今、おれたちの貴重な食料さまが入った袋が転落事故にあいましたー…でー…必死の救命活動を行いましたが、玉子さまがその短〜い一生を終えてしまわれましたー…」
誰かは分からないが、「た゛ま゛こ゛ぉぉぉっっ……!!」という、野太い声が聞こえる。
その悲痛な響きに、ここが外の地面でなければ、彼女はその場でスライディング土下座したい衝動に駆られた。
イルセイドを制止するために、その剣の刃を直接はしっと掴んで止めるという荒業を行った彼女は、その際に、般若から預かった買い物用品一式の入った袋を放り出していた。
直ぐ目の前にある剣で、直ぐ目の前の人が、今しも指を切ろうとしていたのだ。
咄嗟の行動で、考える余裕がなかった。
仕方ないと思ってもらいた…………いや、仕方ないとは割り切れないだろう。
食材には神様が宿っているし、食べ物の怨みは恐ろしい。
「……と、言うわけで〜、キミには帰る前にちょっと一仕事してもらうよ〜」
「…………はい」
般若が彼女の肩を叩いて、ニッコリと……笑っているかどうかは般若面で判らないが……告げた。
是非もなかった。
片道1時間、往復2時間かけて、彼女が、般若と、買い物を済ませて戻って来ると、何やら村の辺りが騒がしい。
「数が多すぎる!根元を絶たないと埒が明かないぞっ!」
「感知!感知はどうなっているの、カルーヴァ!」
「今やっている!」
「急ぎなさいよっ!」
「なら集中出来んから私の所に魔物を寄越すな!」
「無茶言わないでちょうだい!」
遠くから漏れ聞こえる言葉を聞いて、般若が「あっちゃ〜」と、額を押さえた。
「おれらの居ない間に魔物が出たみたい……ちょっと急ぐよ!」
言うや般若は彼女の手を取り駆け出す。
「え?私、連れてくとむしろ邪魔……」
「舌噛むから黙って!」
般若に怒鳴られ彼女は渋々口を閉じて後に続いた。
村に着くと、そこは一面が青に覆われていた。
正確に言うと、青くてゼリー状の生物……。
「ラーイムッ!これたぶん絶対スイムっっ!!」
彼女は思わず叫んでしまった。
そこかしこに溢れていたのは、彼女の世界のRPGという媒体を知っている者には最もポピュラーなモンスターだったからだ。
「ん?なに?どしたの?」
突然雄叫びを上げた彼女に一瞬びくりとして、般若が訝し気に問いかけて来る。
「いえ、よく似たものを見たことあるので……」
「ああ」
しかし流石は『異世界贔屓』というところか、彼女の言わんとしているものに直ぐ思い至ったらしく、その絶叫の意味を理解したとばかりに深く頷いた。
そもそも、古の(?)TRPGの時代から、スラム自体はとてもメジャーなモンスターキャラクターなので、そいつが異世界の魔物として出没していても別に構わないが……。
その形状はいただけない。
雫形に尖った頭と、間抜け面。完全アウトである。
彼女は、そっと心の中でスライにモザイクをかけた。
「まぁ、こいつ自体はすっごく弱いし簡単にやられちゃうっちゃあやられちゃうんだけど、こんな感じで徒党を組むから厄介なんだよねー…」
そう言いながら般若はすっと宙に手を差し出す。
般若の手のひらに丸い模様が浮かび上がった。と、同時に、周辺のライムたちが炎に包まれる。
「魔法!?トア・モラさん、これ、魔法!?」
「言ったじゃん、おれ『ただの人』だって」
物語で見る異世界っぽいものを目撃して、興奮する彼女に、般若が得意気にニヤリと笑った……ような気がした。
ただの人凄い。パシリって思ってごめんなさい。
「でもこれきりがないね……」
そんな凄い魔法でも、スイムたちは消した側から、同数かそれ以上に湧いて出る。
般若がため息を吐いた。
彼は、自分の周辺のスラムを炎で散らしつつ、彼女の手を引きながら一人の人物の元へ進んで行く。
「カルー」
「貴様、遅いぞ!」
目的の人物の元へたどり着き、般若が声をかけたら、その人物……いたいけな少年は、数時間前と寸分違わぬ言葉で、彼を怒鳴り付けてきた。
「いや、おれ買い物中じゃん!不可抗力じゃん!」
「いいから私の周りの奴等を散らせ!」
「……」
納得行かない……という空気を張り付けながらも、般若が周辺のスライに火柱を上げる。
「…………ここより南東の方角……半刻ほど行った場所……奴等の栖がある。核も恐らくそこだ」
「分かった」
ややあって口を開いた、いたいけな少年の言葉を合図に、イルセイドが駆け出した。
「え?イルセイドさん一人で行くんですか!?他のかたは??」
「この魔物は物凄く弱いが、攻撃するため体に触れれば武器が腐蝕する。腐らせずに対象を駆逐できるのは、攻撃魔法、若しくは、奴の聖剣だけだ」
「でも、皆さん今立派に攻撃していらっしゃるような……?」
「それは私とトア・モラ(こいつ)の力で武器を覆っているからだ」
言われた般若がこちらへひらひらと片手を振る。
本とに、ただの人凄いな。
「依頼である以上村を守らねばならんし、これだけの魔物の数を対処しながら武器にかける魔法を操作して尚且つ大元を絶つ手伝いに行けとは、貴様は私に過労死しろと言うのか?」
「いえ!なんか!事情も知らないのに余計なこと申し上げてすみませんっ!!」
彼女は即座に謝罪した。
いたいけな少年に過労死とか言われると罪悪感が半端ない。如何せん声は渋いが……。
「まあ、武器腐蝕の厄介ささえ無ければただの弱い魔物だ。数に関しても勇者の実力ならば苦もなく目的を果たせる」
そう言われてそういうものかと納得しかけ、彼女はあることに思い至った。
『信じられない数の魔物に追いかけられるんだぞ?もう正気を保つだけで必死でさぁ……』
それは、一番初めに、炬燵のある六畳一間で異世界の勇者と出会った際に聞かされた、イルセイドの愚痴と弱音だった。
『それでもみんなに迷惑かけちゃいけないからって頑張ってた訳だけど、戦闘の途中で別れ別れになっちゃって……魔物は一向に減らないし心細いしで、その場から離れたくて、もう無我夢中で走って、見付けた部屋に駆け込んだらその先がここにつながってたんだよ……』
そして、彼女のことを小さなゴブリンと呼んで怯えた勇者。
「ダメだ……」
呟いて、彼女は、イルセイドの向かった方角へ走り出した。
「え、ちょ……キミ!?」
般若の慌てる声がしたような気がするが、構わず走る。
青いゼリー状が、彼女目掛けて集まるが、石や小枝や土くれをごっそり手にして投げつけた。
「あー…確かに、使い捨てなら腐っても問題ないねぇー…」
そう言った般若の言葉を、既に見えなくなった彼女の耳が拾うことはなかった。