2、「異世界よりこんにちは!」六畳一間は宇宙の広さ Ⅱ
その後、彼女は、勇者・イルセイドのほとんど愚痴に近い身の上話を聴かされていた。
『聖剣を抜けたから、その者は救世主、勇者である。』
それは、よくある物語の展開だった。
ただし、聖剣を抜く事が出来たその人物が、必ずしも『勇』の者であるとは限らない。
目の前に居る、勇者・イルセイドの問題は、正にそれだった。
「信じられない数の魔物に追いかけられるんだぞ?もう正気を保つだけで必死でさぁ……それでもみんなに迷惑かけちゃいけないからって頑張ってた訳だけど、戦闘の途中で別れ別れになっちゃって……魔物は一向に減らないし心細いしで、その場から離れたくて、もう無我夢中で走って、見付けた部屋に駆け込んだらその先がここにつながってたんだよ……」
何とイルセイド、怖がりの小心者だったのである。
それで勇者として、魔物討伐の最前線に立たされてはたまったものじゃないだろう。
そうして、必死に逃げて、行き着いた先が、この六畳一間の炬燵だったという訳だ。
しかし、経緯は判ったが、未だ解せない事もある。
「どうして、その……ダンジョン?的なものが、うちの炬燵と繋がってたんですかね?」
「それは俺も解らないけど……」
そこでイルセイドは、今までとうってかわった和やかな表情でほうっと息を吐くと言った。
「この、こたつとかいうやつはすごく良いな。包み込まれるように温かくて安心する」
愛しそうに天板を撫でている。
正にでれでれのメロメロといった体だ。
「しかしよく電源の入れかたが解りましたね」
呆れ半分感心半分に彼女が言えば、イルセイドは「電源……?」と怪訝な顔をした。
コンセントとスイッチの存在を教えたら、キラキラした表情で「おぉ!!」と歓声を上げられたので、彼は今まで電源の存在を知らなかったようである。
では彼は彼女が帰ってくるまでに、どうやって炬燵で暖をとっていたのか……?
考えると、自分が消し忘れたということに思い至ったので、そうすると当然電気代が………………。
ゾッとしたので、彼女はこの件を忘れる事に決めた。
どのみち来月の引き落とし額で泣きを見るだろうから、それまでは心の平穏を保ちたい。
彼女は、二度と家電の消し忘れはすまいと誓った。
「……まあ……イルセイドさんが快適に過ごせたようで何よりです」
悲しみを越えて彼女が言うと、イルセイドは未だ夢見心地な様子で答えた。
「本当に快適だよ……そういえば、一番初めは、天国に来たんじゃ無いかと思ったなぁ」
「……立場的に、天に召されちゃ不味いんじゃないですかね」
「うん……俺も直ぐにそう気づいたんだ……」
だからこれは夢か現か、自分には実体が有るのか無いのか確かめるために、頬を思い切りつねったのだという。
こちらの世界も、彼の世界も、その制度は同じらしい。
ただし、どんな力でつねったのかは不明だ。
彼の頬にはよく見ればうっすらと最近付いたばかりであろう痣が出来ている。
綺麗な顔なのに勿体ないな……と、彼女は思った。
けれどそんな綺麗な顔は、本人が一番見えていない訳で……背に腹はかえられないから仕方ないのかも知れない。
因みに、他に方法がなかったのかと訊ねたら。
「他には剣の先で指をちょっと切る方法もメジャーだけど」
という答えが返って来た。
それは、頬をつねるのとは痛さが段違いだし、物騒過ぎるので、次に機会が巡って来てもやらないようにと全力で止めておいた。
止められる理由が本気で解らないらしいイルセイドが首を傾げる。
と、同時に、彼のお腹がくぅぅ……と音をたてた。
「あー…イルセイドさん……お腹空いてません?」
「空いてる……」
確認せずとも明確だったが確かめる彼女に、イルセイドも素直に応じた。
それを聞いて、彼女は部屋に隣接した調理スペースへと移動する。
彼と遭遇しなければ、夕食のための食料買い出しに行く予定だったのだ。
(旅は道連れ!食事くらい振る舞おうではないか!……と言っても、うち、パスタくらいしか置いてないんだけど)
ぶっちゃけて独り暮らしの生活で毎日料理をするのは、料理好きとかでもなければ面倒くさい。
故に彼女は料理をめったにしなかった。
なので買い置きには足が早そうな生鮮食品の類いはなく、消費期限の長そうな乾物中心で占められている。
ミカンは例外中の例外である。
因みに、冷蔵庫の冷凍スペースが小さいので、冷凍食品はあまり置けない。
冷凍庫のスペースは専らアイスクリームのために空けてある。
アイスクリームは治外法権だ。
(まぁ、不法侵入者の勇者カッコカリに取り繕ってもしょうがないし、具なしパスタでよろしかろう)
勇者の食生活がどんなものかは知らないが、文句が出たらとりあえず、脳天にげんこつと言う名の拳をお見舞いしておこう……と、彼女は決めた。
あの勇者はたぶん反撃とかしてこないだろうから。
そうして、茹でたパスタをフライパンで溶かしたバターに絡めて、塩胡椒し、そこらへんにあったふりかけをかけて、無事、具なしパスタは完成した。
途中でバターの薫りにつられたのか、「いいにおいがする」と、イルセイドが調理スペースを覗きに来てちょろちょろしていたが、邪魔だったので、大人しく座っておけ!と、言い渡した。
そうして出来上がったパスタを食べて、イルセイドが言った。
「美味い!君は天才だな!」
このレベルの調理では、正直、身に余るお褒めの言葉である。
そして、その言葉がお世辞の類いでない事は、顔を見ればよく判ったので、彼女はいささか気恥ずかしくなった。
「美味い料理くらい他にいくらでもあると思うんですけど……」
「でもこれは俺のために作ってくれた料理だろう?」
「え……?」
「君が俺のためだけにわざわざ作った料理だ……違った?」
「まぁ……ところころどころは違わないですけど……」
なにしろ、「こいつにはこれでよかろう」と言うノリで作られた料理だ。
お腹を空かせた勇者のためにと思って作ったものではあるが、キッパリ「はい」と返答するのははばかられた。
しかし、彼女のその言葉を聞いて、イルセイドはとても満足そうな笑顔で頷く。
彼女はますます訳が分からなくなった。
「えぇ……まぁ……うん……美味しくいただけたようならよかった……です」
「ああ。旅の仲間にも食べてもらいたいくらいだよ」
「それはさすがにちょっと……」
イルセイドはこれで何とかなったが、他のメンバーはそもそも会った事がないのでどうなるか判らない。
この手の物語のセオリー的に、インテリでグルメっぽい奴とかが仲間に含まれていそうで、その人物の票を得られるとは到底思えなかったので、彼のお言葉は丁重に……ではないけれど……ご辞退させていただいた。
「……ここは心地いいけど、そろそろ戻らなきゃな」
少し遠い目をしたイルセイドがポツリと呟いた。
「えっと……そんなあっさり戻れるんですか?」
「うん、魔道はまだ開いてる気配がするから大丈夫だよ」
そういえば、始めミカンを持って炬燵の中へ去ろうとしていたので、それが魔道とか言う場所なのだろう。
……さっき炬燵を普通に使用してしまったが大丈夫なんだろうか?
ただ、それも気になるが、彼女の言いたい、「あっさり戻れるんですか」は、そこではなかった。そこではなくて……。
「魔物……大丈夫なんですか?怖くて逃げて来たんですよね?」
「ん……でもさ、この聖剣でしか倒せない魔物がいるし、これ使えるの俺だけみたいだし」
そう言われて見れば、イルセイドはしっかり帯刀している事に気がついた。
……帯刀?帯剣?
何れにしても軽く銃刀法違反には違いない。
「みんな協力して頑張ってくれてるのに俺だけ……って、どうかした?」
よく考えたら、機嫌を損ねて斬りかかられるとかも十分あり得たんだな……と、気づいて、今までの態度の迂闊さに思い至ると同時に、この異世界の勇者、イルセイドが平和的かつ小心者であった事に、彼女は感謝しつつ、彼の言葉に「なんでもないです」と首を振った。
「そう?ならいいけど……ええと、ご飯とかいろいろありがとう」
「いえ、ほとんどお構いもできませんで……」
「話し聞いてもらえたし、癒されたよ」
「炬燵、ありましたからね」
「それもあるね」
「ほぼ、それしかなかった気がします」
イルセイドがクスリと笑った。
「それじゃ、行くね。ほんとに……ありがとう」
「あ、ちょっと待って下さい!」
炬燵布団を捲り、潜り込もうとしたイルセイドに、彼女は声をかけた。
首を傾げる彼に手を差し出せと指示して、出された手に、炬燵の籠へ残ったなけなしのミカンを乗せる。
「今回は、特別です。次来たときは個数制限設けますから」
「え……」
「RPGの勇者一行にだって回復ポイントがあるんです。本物の勇者が休んじゃいけないなんて理不尽な話はないでしょう。魔物に囲まれて『やっべー俺もうたえられねぇや』って思ったら少し休憩するくらいの場所は提供しますよ……あと、お茶くらいは出します」
彼女は一気にまくし立てる。
魔道がどういう理屈になって自分の家の炬燵に繋がったかは不明だが、そこは……まぁ……何とかなるんじゃないかな……と思った。
「それって……」
「じゃあ、『また』」
彼女の剣幕にイルセイドはしばしポカンとしていたが、やがて言われている意味が府に落ちたのか、破顔する。
「うん、『また』」
そうして、これから世界を救うであろう勇者は、炬燵の中に消えた。
彼女は、空になった籠のミカンを買い足すため、出かける事に決めた。