14、それでも世界は絶えず回り続けているし、繋がっているⅣ
「人の命は短いし、記憶や伝達など簡単に劣化してゆくものだからな。その中で、記録と口伝が都合の良い物語に書き換えられて行った……そういう事だ」
「こっちに伝言ゲームってあるじゃん?あれとおんなじ感じ。どんどん内容変わっていっちゃうの」
カリドバーンとサタナティアが、それぞれ口にした。
そうして生まれたのが、勇者が魔王を倒し、世界に平和をもたらした……という英雄譚だったそうだ。
魔族との戦いで、挫けそうになる人々の心を奮い立たせる意味合いもあったのだろう。
本や、吟遊詩人たちの言葉を借りて、そちらの物語のほうが瞬く間に人族の間で広がって行ったらしい。
「でもって、こういうズレが生じた場合に訂正する役割がカルーだった訳なんだけどねぇ……」
「言っても言っても直らんのだ。いい加減修正するのも面倒だろう」
「これだよ……」
サタナティアは、半眼で半笑い。カリドバーンはそれがどうしたと言いたげに鼻で息を吐いた。
人にしては稀有なほど強力な魔法の力を持ったカリドバーンは、その力が高まると同時に、魔族に近い寿命を得たそうだ。
そして、これ幸いとばかりに、世界の理から伝道師の役割に任命された。
表向きの職は祝福を受け、神様の声を聞く大神官。
……が、本人はそのポジションに至って遣る気が無いという。
らしいと言えばらしいが……。
それでいいのか、大神官。
「いやまぁ、本来は勇者が選定されたら、聖剣と共にその使命も勇者本人にちゃんと告げられるから、そこは全然構わないんだけどさ」
「本来……そっか、イルセイドさんは記憶が……」
言われて思い出した彼女の呟きを捉えて、サタナティアが「ははっ」と、声を上げた。
「イルセの様子で、もしかしたらって思ってたけど……やっぱり知ってたか」
「ええと……そちらの世界に行った日に、直接イルセイドさんから伺いまして……」
「あー、あのイルセが朝帰りした日ね〜」
「朝帰りって……それ、こっちではよからぬ意味になってしまうんですが……」
彼女の言葉に、サタナティアは「大丈夫、こっちでもそんな感じによからぬ意味だよ〜」と、言って来る。
それは、勇者様の名誉的にちっとも大丈夫じゃないと彼女は思った。
案の定、旅の仲間……特に女性陣が大騒ぎだったと聞いて。彼女は、あの朝のご一行様訪問の理由を理解すると同時に、心の中で平謝りに謝った。
(あれは退っ引きならない不可抗力です。お許し下さい)
そんな彼女の心中を知ってか知らずか、サタナティアが「というかさ」と、続ける。
「それもあって、こうしてキミにイルセの事をお願いしようと思っておれとカルーだけで来た訳なんだけど」
「お願いって……縁も所縁もなくて、住む世界すら違う私に何をお願いする気なんですか?」
彼女が言うと、サタナティアは目線を上にやり、うーんと唸った。
「縁も所縁もないって、本とにそう思う?」
「私はそちらの世界に住んでる訳じゃないですし、世界を救う使命も負ってませんし、それが事実かと……」
「じゃあさ……使命とか世界が違うとかは一先ず抜きにして……キミ自身は、イルセ自体をどう思ってる?」
「えっと……」
色々な体験をさせてもらったし、たくさん話した様な気はするけれど、彼女とイルセイドは出会ってからそんなに期間は経ってない。
何だかほとんど毎日の様に会ってはいるけれど、それは炬燵という回復ポイントとミカンという回復アイテムで勇者が癒しを図っているからな訳で。
イルセイドとしてはいわばここは宿屋とか休憩所的な役割で、彼女は彼にとってそこの女将の様なポジションなんじゃないかと思っている。
では、彼女自身はイルセイドをどう思うのか?
「…………ほっとけない感じ……では、ありますかね……」
初めて会った日も、女子会をしたあの日も、イルセイドを「何だか心配で放っておけない」と思ったのは確かだった。
最近はイルセイドが帰ると、彼が居ない部屋はちょっと寂しいなと思ったりしない事もないような気がしないでもないけれど……。
「うん……まぁ、今はそれでいっか」
彼女の答えに、サタナティアは納得はしていないながらも、仕方ないなといった呈で苦笑した。
「で、それって『縁』ってことにはならないかなぁ?」
「そう……でしょうか……?」
「『ほっとけないから関わりを持った』なら、もう立派な『縁』でしょ」
そう断言してサタナティアは「それで……」と何か続け様としたが、途中で止めてため息を吐いた。
「時間切れ……全く、うちの勇者さまは堪え性がないよね〜」
「え……?」
サタナティアは炬燵をちらりと見た後、カリドバーンを見て言う。
「このままのおれらが鉢合わせすると不味いから別の魔道開いて帰ろう……カルー、ナビは任せた」
「貴様でやればよかろう」
「おれ豪速球は投げれるけどノーコンなのカルー知ってるでしょ」
「…………仕方あるまい」
「じゃあ、そういう事だからまたね〜」
「あの、サタナティアさん??」
彼女の戸惑いなど意に介さず。言うが早いか、二人は炬燵布団の中へと消えて行く。
残された彼女はぽかんとした顔のままその場所を見つめていたが、ほどなくして再び炬燵布団は動き出した。
***
「というか、ねぇ。イルセあれじゃん?ちょっとがっつき過ぎじゃない?」
予定外に訪れの早かったイルセイドと入れ違いに別の魔道を抜けたサタナティアは、呆れ顔で文句を言っていた。
今回、こなしていた依頼は幾つかあったので、本来はもう少し時間がかかるはずだったのだが、勇者は早急にそれらをやっつけて彼女の部屋へとやって来たらしい。
それもこれも彼女に会いたいが故に……だ。
「イルセの方もまだ自分の気持ちに確証は持ててないみたいだけど……ただ、“恋かもしれないな”って思い至った途端にギアのチェンジと踏み込みが急加速過ぎるでしょう」
トラウマ抉らない様にしたおれの気づかいとか段取りとか台無しじゃん!と声を上げるサタナティア。
その愚痴を聞いたカリドバーンは、そちらに一瞬視線をやってから言った。
「しかしそれは奴の預り知らんこちら側の都合でもあるのだから仕方なかろうよ」
「いや、でもさぁ〜」
「そもそも奴が女の元へ行き、こうなるきっかけを作ったのは、貴様の開いた魔道だぞ?」
「うっ……それを言われると……耳が痛うございますぅー…」
カリドバーンの言葉に、サタナティアはがくりと項垂れる。
それから、項垂れついでにもう一つ負け惜しみめいた言い訳も口にした。
「まぁ、でも、そのお陰でイルセが前向きになるきっかけが出来た様なもんだし、おれ偉いじゃん?偉くない?」
「結果論だがな」
長年の連れである大神官さまはこういう時、容赦がない。
ちょっとは優しくしてくれよー…と、サタナティアは口を尖らせたが、今更だと一蹴されてしまった。
「おれの周りには癒しが足りない」
「つい先日、盆栽を集めて育てて戦わせるあぷりの実況動画を見て『これは……癒される……!』と、言っていたではないか」
「わかってない……カルーはちっともわかってない……」
それとこれとは癒しの種類が違うんですー……とか、元は人族なのにカルーは人間的な情緒がない……とか、サタナティアは訴えてみたが。その呪文はカリドバーンには馬耳東風で、効果はなかった。
「かれこれ200年近く付き合いがあるのに、大神官さまは魔王に冷たい……」
ボソリと付け加えた言葉を、当然カリドバーンが拾ってくれる訳もない。
「あーあ。勇者さまとも彼女とも、出会ったのはおれが先なんだけどなぁ」
が、その後の独白に。
「ほう」
という相づちがかえってきたので、サタナティアは「聴いてんじゃん……」と、ボヤいたのだった。
***
勇者イルセイドが、炬燵布団から顔を出したのは。なぜか彼女の座っている位置だった。
そのまましばしお互いに見つめ合う。
ようやく動き出したのは、彼女が先だった。
「あ……お帰りなさい」
イルセイドは、言われて直ぐは彼女を惚けっとした表情で見ていたが。言葉の意味が府に落ちると、少しだけ目を見開いた後、緩やかに甘やかに破顔する。
「ただいま」
今度は彼女が驚く番だったが、直ぐにその顔を同じような微笑みに変えた。
それはお茶の間風景の中には少しだけ溶け込めてない、彼女と勇者の小さく新しい日常の変化だった。