26 blue moment=ブルーモーメント
通緒たちのいるバンクオブメモリのスタッフルーム内温度が安定したころ、表の騒ぎの原因である銀行強盗は、人質を解放し大人しく身柄を警察官に委ねていた。
交通規制が解除され、赤木の呼んだメンテナンス会社の社員より先に通緒たちの前に現れたのは、月龍の側近である飛竜だった。
一階まで繋がっているエレベーターから現れた飛竜が数名の聖龍社の部下に、寝ている男共とハッカーだった男をそれぞれ階段で地下まで運ぶよう指示した。
それから瑞希を抱えて立つ通緒を一瞥すると鼻先で笑いを落としてから月龍に一礼し、小龍の元へ向かった。
「(おい! 今回の囮、ちゃんと持って帰れよ)」
通緒はそういうと目の前の月龍に瑞希の使っていたノートパソコンを差し出した。
「(これはこれは。大事なデータを守っていただきありがとうございます。表の騒ぎも落ち着きましたし、これでお互い安心して帰れますね)」
「(どーだかな)」
「みっちゃんせんぱーい! どーしたらいいんスかぁ! 千尋さんが激おこっスー!」
涙声で訴えてくる京に遮られ、パソコンを受け取った月龍を逃がしてしまった。
「はぁ? なんでだよ」
「みっちゃん? さっきからずっと、通信切ってるわよね? 故意に」
右耳に無理やり当てられたスマートフォンから千尋の低い声が聞こえる。
「えー? そんなことないぜ? 調子悪いだけじゃないのか?」
「見えてるのよ? モニターで。マイクオフにしたのも、もちろん右腕撃たれてるのもね。ぜーんぶ。見えてるの」
頭上にあるモニターを恐る恐る見上げた。
「フフ、そうよ、元気そうねぇ」
「……あー、とりあえず仕事は終わった。ここを出るぜ?」
「ええ、待ってるわ」
スマートフォンを京に押し返して深くため息を吐く。
「(どうやら彼女を怒らせてしまったようですね。ここの後始末は飛竜に任せてあるのでご安心ください)」
通緒の反応を見て会話の内容を察した月龍がにっこりと微笑むのが腹立たしかった。もとはと言えば元凶はこの男なのだ。
怪我人を優先させましょう、と先にエレベーターに乗せられ、最後に乗った小龍が閉じるボタンに手をかける。
「(瑞希、本日は私の我儘のせいで貴方にご迷惑をかけてしまったこと、お詫びいたします。このお詫びと通緒たちの活躍に対する報酬を用意しますので後日社までお伺い願います)」
一階に着いたエレベーターから降り、振り向き軽く会釈を添えて厚かましいその狐が去っていくのを通緒、瑞希、京はそれぞれの気持ちを胸にしまい込み、見送る。
ビルの裏口を出ると空はまだ明るかったが、周辺のビルや街頭はちらちらと明りを灯しつつあった。
月龍が乗った白い乗用車が走り去った先から通緒の黒いステップワゴンが向かってきていた。運転する千尋が微笑んで会釈したのを見ると、どうやら月龍がわざわざ車のパワーウィンドウを開けて愛を囁いていたようだった。
「乗って」
止まったワンボックスカーの助手席の窓が開き、太一の横顔越しに千尋からの声がかかる。
開いたオートスライドドアから三人は暖房で温まった車内の後部座席におずおずと乗り込んだ。
千尋はまず太一が使っていた軽自動車の場所まで行き、そこで太一と京を降ろし、聖龍のガレージから瑞希の車に乗り換えて帰ってくるように伝え、そのまま帰路に着く。
黙ったままの千尋の後ろ姿を見る二人は、お互いに千尋を怒らせている自覚があるからか静かだった。通緒はポケットから出したよれた煙草に火をつけその重い空気をなんとか耐え忍んだ。
車が街中を通り過ぎ、マンション前に着くころには空はちょうどブルーモーメントに差し掛かっていた。
車を停車位置につけ、それから千尋はルームミラーで瑞希の容態を確認する。後部座席のオートスライドドアを開け静かに口を開いた。
「みっちゃんは家に入ったらすぐにお風呂を沸かして。カンブはまず暖かい恰好に着替えておくこと。私は何か暖かいものを買ってくるから二人とも大人しく待っててね。みっちゃん、くれぐれもカンブが部屋に篭ったりしないように見張っててね。カンブ? わかったわね?」
通緒はよれよれと右手を上げ、瑞希は首を縦に振りながら千尋を見送った。それから二人は同時に深いため息をついた。
「カンブのせいだぜ」
「みっちゃんのせいだろ」
「お前があそこで止めなけりゃ俺は怪我してなかった」
「俺があそこで止めなかったら怪我はそれだけじゃすまなかったろ」
マンションのエントランスへ続く階段を上りながら互いに責任を擦り付け合う。
「もとはと言えばお前が月龍個人の頼みなんて簡単に受けるからこうなるんだぜ?」
「じゃー月龍のせいだね」
「違うだろーが! 人数増えてあいつらだって動けるのわかったんだから。これからは単独行動禁止な!」
返事がない瑞希を振り返り、通緒は首をかしげる。
目を合わせた瑞希はまっすぐに通緒を見ていた。
「少しは置いて行かれる気持ち、わかった?」
「What? That…」
通緒は息を呑んでから大きくため息を吐いた。首をもたげ右手で頭を掻きむしる。
この単独行動の目的の一つに自分に灸をすえることも含まれていたのだと確信した。言いようのない口惜しさと腹立たしさが胸を突き上げる。自分の数か月前に起こした行動が、瑞希にここまでさせるほど追いつめていたのかと思うと言葉が出なかった。
「俺も、だけど。上杉も同じ思いをしてたんだ。せいぜいしっかり反省しろよ、通緒」
何も言わずうつむく通緒の肩を叩き、瑞希は笑って見せた。
「千尋ちゃん、もか?」
「いや? 上杉は関係ない。本当に今回のは俺の独断。ここまで大事になるとは思ってなかったし、次やるときは上杉にも相談するよ」
「Hey.」
街灯が車道を照らし、マンションやビジネスビル群の窓に明かりが灯り、コンビニや商業施設、飲食店や飲み屋の看板が街を明るくする。
空からの僅かな明かりはこの時間帯に地上に降りてくることはない。
千尋の運転する車は赤やオレンジの光の中を走り、地下の駐車場に入った。蛍光灯の白さが眩しかった。
エンジンを切りシートベルトを外す。
「あーあ」
畳んだサイドミラーに移る自分の顔を見た。お世辞にも明朗さがあるとは言い難い顔色をしている。
頭の中を空っぽにしたかった。ついでに心も空っぽになればいいと思った。
自分の性別が憎かった。
きっと、男だったらこんな思いはしないで済んだはずだし、もっと最前線でみんなと一緒に戦って、みんなを守ることができるだろうに、と悔しい気持ちが込み上げてくる。
それでもここにいるのは、あの時、守りたいと思ったからだった。
「知ってしまった時点でアウトなんだ」。通緒が言った言葉を千尋は四年前に痛感していた。
インターナショナルプリスクールから一緒だった幼馴染、瑞希の異変に気付いたのは十二歳のころ。何度も問い詰め、口を開かぬ瑞希の後をつけて行ったりもしたが手掛かりは掴めなかった。
千尋が家族旅行でニューヨークに訪れた時に思わぬ事故にあい、目が覚めた時なぜか自分の手を握っていたのが、日本にいるはずの瑞希だった時の衝撃を今も覚えている。そして、その時、廊下に月龍がいたことも。
家族全員が退院し、何もせず日本に帰ると決まった時、なぜか瑞希がニューヨークを案内してくれた。瑞希は親戚がニューヨークに住んでいて車も借りることができるし、せっかく来たのに入院していただけで観光が終わるのはもったいないと言って、断る両親を押し切りニューヨーク中を連れまわしてくれた。千尋と五つ上の姉はとても楽しむことができ、千尋の両親も嫌な思い出だけが残ることなく旅行を終えられた。
だがその旅行で千尋の頭の中の疑問が確信に変わった。瑞希に対し知ることは権利だと訴えた。それでも瑞希は何も話すことはなかった。
その数日後、千尋は月龍と出会う。そして、瑞希の反対を押し切り、この世界に足を踏み入れたのだ。
「後悔はしてない。足手まといになんかならない。しっかりするのよ」
自分に言い聞かせた。
ふと目の前にあるバイクに目が行く。
「あんな二人に任せておけないもの。諒が何とかまとめてくれてたけど。いつも衝突ばっかりだったし。そうよね、あたしがいなかったら、今頃あの二人は魚の餌」
怖いことを言いますねぇ、と、どこからか聞こえてきそうだった。
ふふっ、と笑い、千尋は車を降りる。
「さっ、問題児二人のお世話をしに帰ろっと」
千尋がマンションの半地下の部屋に降りて最初に目にしたのは、ソファに山のように毛布と布団をかけている通緒の姿だった。
思わず、ただいま、を言うことさえ忘れてしまうほどだ。
部屋に入った通緒が一階の風呂を洗い終わると、瑞希の姿がなく、通緒が瑞希の部屋を覗くと、瑞希は案の定着替えもせず震えたままパソコンを使っていたらしい。そんな瑞希をパソコンデスクから引き剥がし、ダイニングのソファに座らせ、家中から集めた寝具で雁字搦めにしたところだった。
「千尋ちゃん、飲み物は?」
黙って見ていた千尋には振り向かず、通緒は声をかけた。
「買って来たわ。カンブ、飲み物なんだけど」
そういってソファの瑞希の前へ回り込む千尋はすぐにソファから目を反らした。
肩を震わせ、途切れ途切れに息継ぎを入れながら買ってきたホットドリンクのラインナップを発表する。
「んっ、とね、ホットレモンっ、と、緑茶っ、ほうじっちゃ、フフッ、コーヒーとっ、コォンス、プ、あははっ、もーだめっ!」
飲み物のラインナップを発表した時点で千尋の我慢は限界に達したようだ。
ソファの上、山のように積みあがった寝具の真ん中にポツンとひとつ、瑞希の顔だけが出ている。しかもその表情は本人の気持ちがしっかりと表されているふくれっ面だ。
通緒はその様子を見て安心したようにキッチンでしゃがみ込んだ。
シンクに背を預け、胸ポケットから出した煙草に火をつける。ワイシャツの中に着ている防弾着が少し窮屈だった。
瑞希にほうじ茶を渡し、まだ少し笑いを引きずる千尋がキッチンを覗き込む。
「みっちゃん、ハイ、ココア。怪我、大丈夫なの?」
目の前に出されたホットココアの缶を受け取り、通緒は煙草をくわえピースサインを作った。
「弾は掠っただけ。血はもう止まってるし、痛みもない」
「そう。今日晩御飯当番じゃなくて良かったわね」
「なんか作ろうか?」
冷蔵庫を開けた千尋を見上げ声をかけてから立ち上がる。シンク下の収納取っ手に防弾着の厚みが引っ掛かった。
「その前に、着替えるか」
「そうね。じゃ、カンブをお風呂に入れてからにしましょ」
ソファの上の寝具が崩れはじめているのを千尋が睨み付ける。
タイミングよく、風呂の沸くメロディが流れた。
ソファから掘り起こされた瑞希は通緒の手によって脱衣所へ担がれていく。
千尋はその間に着ていた防弾着を脱ぎ、それからアンクルホルスターとそこに収められていたベレッタナノを外してキッチンのテーブルに置く。余ったホットドリンクの中から、緑茶を選んで口に運んだ。一口目が少し鉄錆の味がしたのは何度か唇を噛みしめていたからだろうと思った。
「ちーひろちゃん。どーする? 先着替えてくる? 俺、カンブ見張ってるぜ?」
階段の上から降ってきた声に千尋は首を振って答えた。
「あたしがカンブみてるから、みっちゃん先に着替えてきて。姫ちゃんも心配してるでしょ?」
「Will do. Thanks! (そうする。ありがと)」
通緒は瑞希に貸していた上着を持って部屋を後にした。
千尋はため息をつきながらソファに残る瑞希の抜け殻の片づけを始める。
今は動いていたほうがいい。身体が止まると思考の巡りが早くなるから。
ここ二日間の状況の変化に、千尋は心が追い付いていないことに気付いている。
気付いてはいるが、認めることはまだ、できなかった。




