13 the fear of knowing=知ることの恐ろしさ
「That's why I told you! Let's not talk about that anymore. (だから言っただろ。この話は、もうやめようぜ)」
小さく震える背中を見て、通緒が静かに呟いた。
だが次の瞬間振り向いた千尋のすがるような、睨むような目つきで通緒は後悔する。
「約束、したよね?絶対に幸せにするって」
突然の告白にむせる通緒から、煙草の煙が間欠泉のように途切れ途切れに吹き出した。
「私を幸せにするって意味、わかってるわよね?」
かすかに滲む涙声で、千尋は通緒をさらに窮地へ追い込む。
「この先、誰か一人でも欠けたら、それは、裏切りと見なすわ」
通緒の喉がゴクリと鳴る。
「そーだな。通緒の責任も重大だ」
「私、この約束はカンブともしてたわよね」
「わかってる」
いつもはこの後瑞希もたじろぎ二人が千尋の怒りを買うのが定石だったが、瑞希の声は落ち着き払っていた。
「通緒、いい?」
一度目を閉じ、肺の奥から空気を吐き切ると、まだ喉の調子が整わない通緒を呼びつける。
「もう、いいだろ?今はあの時とは違う。俺たちも成長したし、仲間も増えた。このままだとノンタが暴走する。先延ばしにしても、後々面倒になるだけだ。それに、月龍の粘着具合はお前が一番よく知ってるだろ」
「でも」
そういって通緒は先ほどとは態度を変え、腕組をしている千尋を見る。視線はなるべく合わせないように、胸元にかかる栗色の髪筋に視点を合わせる。
「何?」
あからさまに何かを隠しているその態度に怪訝な表情を浮かべた千尋は、今度はしっかりと通緒を睨みつける。それが見えないのをいいことに、瑞希は通緒に説得するように話を続けた。
「諦めろ、上杉はすでに当事者だ。意思の硬さはたぶんこの中では一番だろうし。それに、あの日も、お前が抜けてた間も、一緒に乗り越えてきた。大丈夫だ」
見上げた通緒はただただ千尋を見ているだけだった。それは、恋焦がれるような激しい眼差しではなかったが、とても慈愛に満ちた悲し気なものだった。
「信じるしかないんだろ?俺が言ってるんだから」
辛い選択をさせているのは重々わかってはいた。だが、瑞希の意志もすでに決まっていた。
ここで立ち止まるわけにはいかなかった。
二年前に交わした「男の約束」はここで反故されることになる。
だが、その「約束」はすでに違う形でここに生まれている。
失うことを怖れて立ち止まっている期間は終わった。
これからは「掴み取るために」前に進むと誓ったのだ。
諒の墓の前で。
「わかった」
意を決したように通緒は背筋を伸ばした。
それからもう一度千尋を、今度はしっかりと瞳の奥までを見据えてからソファに座らせた。
太一と七瀬にも椅子を準備し、煙草とジッポをガラステーブルの上に置く。
それから、部屋の隅にあるオレンジ色のスツールからガーベラの入った花瓶を下ろし、部屋の中央に持ってきて、トン、と音を立てた。
(ああ、そうだった。あの時はこんな雰囲気だった。ソファに瑞希が座ってて、俺はダイニングテーブルの椅子、あいつはこのおもちゃみたいなスツールにまたがって座ってた。それから言ったんだ)
「これから、大事な話をする」
─────「これから、大事な話をする」
珍しく諒から、ビール抜きで、と集められた瑞希と通緒の二人は面倒くさそうにいつもの定位置に着いていた。
「なんだよ、だから」
「ビール冷やしてあるんだからさっさと済ませてよね、諒」
「まず、通緒は、もくもくやめて、煙草はテーブルに置く!瑞希君!ブーブー文句を言わない!」
右手の人差し指で指差し確認をしながら二人をおとなしくさせた諒は、ふぅ、と息を吐いた。
パン!
諒が音を立て合掌すると二人とも表情を変えしっかりと諒に目を合わせる。
「俺と通緒が今年で15になる。カンブとちーちゃんは14だな。そろそろ真剣にこの仕事と向き合わなきゃいけなくなってくると思う。こっから先はきっと甘いことは本当に通用しなくなる」
いつもお茶らけて回りくどい言い回ししかしない諒の真面目なトーンは、二人の意識をさらに研ぎ澄ませた。
「それぞれみんな違う理由でこの世界に入って来ただろ。なんでだったか、覚えてる?」
時計の音が響く中、諒はふぅと、小さく息を吐いた。
「俺はね、好奇心に負けたんです。孤児院にいた時、同じ学校の友達んちに遊びに行く途中で、変な格好の髪の長い男の子がいるなーと思ってついてっちゃったんだよねー。月龍さんだったよねぇ、ハハ」
ぺしっ、と自分の額を叩いた手を、次を促すように瑞希に向ける。
「俺はー、警察のパソコンハッキングして遊んでたら、たまったま王家とのやり取りを知っちゃっただけー。みっちゃんはー?」
屈託なく話す瑞希に反省の色は感じられない。
振られた通緒は二人とは視線を外し、床の木目を見つめる。通緒はその時のことを今も鮮明に、まるで昨日のことのように覚えていた。
「俺は、近くで銃声が聞こえたから、見に行って。そこで飛竜に出くわしたな」
言いながら自分の呼吸と脈拍を確認する。大丈夫だ、今はもう、震える必要はない。
通緒が言い終わったタイミングで、諒は突然立ち上がり話し始めた。
「好奇心って怖いねぇって話ですよ!ねぇ?こんな偶然あります?俺たち全員自分の好奇心のせいで新しい世界の扉をノックノックトーントーン!しちゃったわけでしょ!」
わざわざ扉をノックして入る仕草までの下手くそなパントマイム付きだった。
「ちなみにちーちゃんの話知ってる?あの4年前のニューヨークのチャイナタウン抗争の時、突っ込んでった観光バスに乗ってただけですってよ?それで王家に助けられたんですって!」
そこは元気よく話す内容ではないだろうと二人は少し呆れたのと同時に、諒のショータイムが始まってしまったのを実感した。
「わかるかね!君たち!これはね、男とレディの歴とした違いですよ。やっぱり我々男って奴は基本的に本能で動いてしまうんです。悲しいかなそーゆー生き物なの」
力強く右手を握り締めたかと思うと、次はがっくりと肩を落とす。そして最後は腕組をして大きく頭を動かし頷いて見せた。
どこかの劇団の売れない大根役者に居そうな、不自然すぎるオーバーリアクションだった。
黙って二人が終わるのを待っていると、今度は拗ねたようにオレンジのスツールに座り、無理やり膝を抱え込んだ。
「なんか、今日の二人、冷たい。いつもはこの辺で突っ込んでくれるのに。諒ちゃん、泣いちゃう」
それすら完全に無視を決め込む二人の思惑は同じだった。
ショータイムは観客がいなければ成り立たない。よって、黙っているほうが本題に戻るまでのスピードが速いのだ。
それを察した大根役者はきちんと座り直し、咳ばらいをする。
「で、ですよ。これから先は俺たち3人でやっていかないかってこと。もちろんあの子は納得なんてしないから、これはここだけの話になるけど。なるべく俺が直接、月龍とこで仕事の依頼受けてくるから、そしたらまたこーやって3人で話しよ」
「ダメだ」
「うん、ダメだね」
「ちょ!なんで?だってあんなかわいい女の子この世界にいさせちゃダメだって!」
「そっちじゃねぇよ」
通緒は諒を睨み、瑞希はにんまりと笑って見せた。
「俺たちで。直接 月龍のところに行くなら、文句はないよね?通緒」
「そうだな」
「ハイハイハイハイ。ほんっとに君たちはこの無敵の諒ちゃんマンのことが好きってわけですね?常に一緒にいたいと!オーケー!許可しましょう!この無敵の諒ちゃんマンとともに戦うことを!」
面倒くさそうなオーバーリアクションを取りつつ、大根役者はさらに続ける。
「ちーちゃんがこっちのこと気にならなくなるまで。王家の仕事はしない。もちろん、今ある王家と九龍のことも余計なことは考えない、考えさせない。月龍の個人的なことはまぁ、しょうがないとして。あとは、回ってくる仕事にもよるけど、あんまり現場にちーちゃんを連れて行かないようにしよう。オケ?」
「Got it.」
「ん」
そのあと朝方まで飲んで過ごした三人は、翌朝千尋に叩き起こされることになる。─────
通緒は四人を前にして、スーッ、と大きく息を吸い込んだ。
ぱんっ!
両手を合わせ、合図を送る。
ゆっくりと息を吐き、呼吸を整えてから、確認する。
「太一、京、道連れになる覚悟はあるか?この先、帰り道はない」
新入り二人は通緒の問いにしっかりと頷いて見せる。
続いて一つ年下の二人にも同じ質問を投げかける。
「瑞希も、千尋ちゃんも」
瑞希が頷いた横で、千尋が、大丈夫よ、と返す。
丹田に力を込め、背筋を伸ばして話始める。
「『過ぎたるは及ばざるが如し』ってわかるか?うん、まぁ、そーだろうな」
瞬時に首を傾け始めた京を見て通緒は苦笑いを浮かべる。
「俺らが今いる世界では『知りすぎることは命を落とすことに直結する』んだ。特に王家や九龍のような大きな組織のことに関しては知ってはいけないことが多い。今回の場合、調べる相手は九龍の武器開発チームだ。九龍自体を調査してさらに分析までできたノンタは完全にアウトだ。このことが九龍側にバレた場合、その時点で俺たちはデリート対象だ」
ゴクリと太一の喉が鳴る。
「ある一定の地点から先は踏み込むな、例えその先が簡単に見えてしまっていても、だ。自分の立ち位置を理解して自制しろ。どこまでがセーフティーゾーンなのかわかんなかったら俺たちに聞け」
「正直、2人だけであそこまでできるとは思ってなかった。調べるだけが精一杯かなとも思ってたんだ。ノンタとナナピオはすごいよ」
表情は硬いまま、瑞希がフォローを入れる。
「俺たちナイトメアがなんでどこにも属さないのか、それはさっき千尋ちゃんが言ってくれたことに尽きる。問題なのはそれがどれだけリスキーなことか、だ。王家なり、九龍なりに属していれば後ろ盾がある分、身の安全はある程度は保証される。今の俺たちにそれはない。俺たちがスポンサーって呼んでる月龍が物好きなお陰で俺たちは生かされているだけだ」
先ほどまで硬くなっていた太一が落ち着いているので少し、安心する。
「月龍は、いや、王家は、やろうと思えはいつでも俺たち5人の消息を消すことが出来る。出生から、今までの経歴全てを消し去るなんて秒だ。俺たちが今、この場で九龍につくと決めれば、明日の朝には全員が居ない。きっと、髪の毛1本すら残らない。ここからは命と引き換えだと思って聞いてくれ」
傷つける覚悟はできた。
道連れにする覚悟も。
だが、千尋の顔が見れなかった。
眉を寄せ、怪訝な表情で通緒を見ているその顔を。
「王家が俺たちを生かしているのは、『ナンバーツーの月龍』が俺たちを守っているからだ。王家の先代には子供が3人いた。全部男だった。王家のトップである『王龍』を継ぐのは長男に決まってた。けど、その長男を弟が殺したから王家は狂ったんだ」
千尋は初めて知ることばかりだった。今まで、自分だけ何も知らされていなかったのだと、先ほどの通緒と瑞希のやり取りを思い出し全て悟った。
口惜しさと不甲斐なさで握った両手が冷えていく。
王家の三代目のお披露目会がニューヨークで開かれたのは7年前。通緒が十の時だ。
その頃通緒の父親は仕事の繋がりで中国企業が開くパーティーによく参加していた。
ある日、大手貿易会社の三代目社長のお披露目パーティーに呼ばれた。数週間前に先代が急死し、急な人数集めのため、通緒の父の会社にも声がかかった。ついでに社長の弟の話相手として、通緒が呼ばれることになる。
三代目はまだ二十代と若かったが、経営の評判はすでに先代を上回っていた。
表向きは貿易会社だったが裏はチャイニーズマフィア。会場は物々しい雰囲気すらあり一般人である通緒の父親たちは肩身が狭い思いをしていた。
その会場で三代目は就任僅か数時間で射殺されたのだ。
残ったまだ十代の二人の弟と母親は無事だった。捕まった男はその場で自害したが、それだけでは終わらなかった。その時の首謀者として月龍は次期社長の座を奪われ、三男がそのまま継ぐこととなった。
しかし、それはあくまでも王家の内部の極一部だけでのこと。表向きは警察もFBIも自害した男を犯人として扱っていた。そのため、表向きは貿易会社の社長は王月龍となっている。
これはほんの一握りの人間しか知らない、知ることを許されない事実。
「俺たちはそれぞれ才能とその環境に恵まれた。『現 王家ナンバーツー王月龍』がトップに立つために必要な駒になることが出来た。本来ただの駒に過ぎない人間がそれ以上を考えることは、許されないことだ。前回の仕事で佐々木がそれを証明している。だが、俺たちはただの駒以上の働きができる。しかもそれは使う側には強い武器になるが敵に回せば脅威になるほどの力だ。これをみすみす月龍が逃すはずがない。アイツは手に入らないと分かった時点で俺たちを消す。確実に」
柔らかくゆっくりと響く声が、内臓を抉るように体に浸透していく。
京は頭での理解は追いついていないのに感覚だけが張り詰め、全身の毛穴が総毛立ち現実を拒否しているのがわかった。
「なんで」
自分の意志ではなく、声が出た。
なぜ、知ることの許されない情報を自分は知らされているのか、京には理解できなかった。
か細く、ほとんど空気を揺らすことのない、言葉。そして、それ以上先はもう喉に力が入らなかった。
「知りすぎたからだ。お前も、ノンタも、すでに十分すぎるほど知りすぎている。さっきのノンタの分析は当たってる。言っただろ。アウトだって。理解しているかどうかなんて問題じゃない。知ってしまった時点でアウトなんだ。アレがどれほど価値のある情報かわからずにこのまま行動するのは銃口をくわえたまま歩いているのと一緒だ。どこにも所属していないナイトメア(俺たち)は、今、丸腰で敵陣ど真ん中、360度銃口で囲まれてる」
千尋は冬でもないのに自分の吐息が凍るのではないかと思った。手足は冷たく、動かすことはできない。心臓は早鐘を打っているはずなのに鼓動は感じない。体は動かないのに思考だけがどんどん回っていく。
(みっちゃんはなぜそんなことを知ってるの?
カンブと出会う前からみっちゃんは月龍の下で働いていたの?
諒は?どこまで知っていたの?
諒が殺されたのは知りすぎていたから?
なんで今こんな話をしてるの?
私たちは自由になるために頑張っているんじゃなかったの?
しあわせになるために戦ってたんじゃなかったの?
いつから?
いつから私は外されていた?
ずっと守られてた?
温かい温室で、何も知らされず、ぬくぬくと。
私一人だけが)
本当は叫びたかった。叫んで喚き散らして、どうして教えてくれなかったのか、なぜ一緒に戦わせてくれなかったのか、を、問うて攻め立てたかった。だが、凍てついた体がそれを許してはくれなかった。
「俺は、俺たちはこれから、王家につく。正式に、後ろ盾を手に入れる」
停まっていた時計は新たな歯車を得て再び動き出した。




