01 Alarm=アラーム
けたたましいスマートフォンのアラームが鳴り続いていた。
手が届く場所にあるのはわかってはいたが、止めることが出来なかった。
(あれ?もう朝だっけ?)
────一人が出来ることなんて限られてる
(わかってるよ。そんなこと)
────もうちょっと周りのこと信用しよーよ
(うるさいなー)
しばらくすると誰かの声が聞こえてくる。
約束、覚えてる? 通緒。失うことを怖れて前に進まないのは、死んでるのと同じことだよ。
誰が言った「約束」だったかな。
意識はだんだん薄らいでいく。
ここではないどこかヘ行きたい。
本当はそう思っていたのかもしれない。
アノ日に戻れたら、なんて、少し感傷に浸ってみたりもした。
だけど、全ては動き出していたから……
止まらない急行に乗って走り出してしまったから。
置いて行くわけじゃないよ。
先に行って待ってるだけ。
ちょっと前乗りして下見でもしておくからさ、あとからゆっくりおいでよ。
その時にいろいろ土産話でも聞きたいな。
ビールでも飲みながらさ。
癇癪持ちの世話は任せたぞー。
それと、そろそろお前も信じられるようになれよ。
金縛りにあったかのような重い息苦しさに安彦通緒は目を覚ました。
ゆっくりと首から上を動かして原因を見つけると溜め息を吐く。
ナァン……
あばらの上に乗る12kgもある赤茶の毛玉が何食わぬ顔であくびをしてみせる。数年前に拾った元野良猫が今はすっかり主をベッド代わりに寛ぐようにまで成長した。毛脚は長く顔つきも上品で捨てられた国が違えばこうも違うのかと通緒は日本に帰ってきてから思った。獣医曰く、大形猫のメインクーンかノルウェイジャンの血を引いているのではないかという意見だった。そのような血統の猫ならばきっとこの国では捨てられたりはしないだろう。
「You're heavy. (重いっての)」
喉の奥から何とか声を絞り出すが、元野良猫はお構いなく寝返りを打ってみせる。
呻き声をあげ通緒はベッドから這い出した。
カーテンを開けるとすでに朝日というよりはだいぶ真上に差し掛かっている陽光が薄茶色の眼を刺激する。光を遠ざけるように鼻先まである黒紫色の髪をくしゃくしゃとおろし、ベッド横のスタンドテーブルからくしゃくしゃの煙草と鈍く光るジッポを拾い上げ前髪が焦げないように火をつける。
「寝起きタバコは良くないんじゃなかったのか?」
ノックもせずに寝室のドアを開けた学生服が声をかける。綺麗に染められたのアッシュベージュの、どう見ても前髪が長すぎるメレブにしか見えない髪型で目元が隠れ、いまいち表情が見えないその少年に対して通緒は煙草の煙とともに溜め息を吐き出した。
「Bull shit.…When you there? (うるせぇよ・・・いつからいたんだ?)」
「今入ってきたとこ。そろそろ行く?遅いから迎えに来たんだよ」
少年は返された英語に何のためらいもなく日本語で答え、その学生服の足元を元野良猫がいち早くすり抜けていった。
「Got it. Want to be alone. (わかったからいったん出てけよ)」
「あーはいはい」
煙草を咥えたことで空いた両手で少年を部屋から押し出し、通緒は来ていたパジャマから学生服に着替えた。リビングからはテレビの音が聞こえ出し、同時にカリカリとドアを爪で引っかく音が耳に入る。
「My bad. (ごめん) 瑞希!悪い、姫に餌やってくれる?冷蔵庫の横、カップ一杯」
リビングでテレビを見ていた斉藤瑞希は鼻歌を歌いながらキッチンへ移動し、言われたとおりの分量で元野良猫=姫の食事を用意する。
通緒がタイを首に引っ掛け煙草とジッポを胸ポケットにしまい、その隣にあった輪ゴムで伸びすぎた襟足を縛りながらリビングに出ると、朝ごはんをおいしそうに頬張る姫の横でしゃがむ瑞希が目に入った。
「だいたい鍵持ってるからって勝手にひとの部屋入ってくるなよ。不法侵入って言葉しらねーの?」
「俺のマンションは俺のモノ―」
このマンションのオーナーである瑞希は口を尖らせ抗議するように言ってのける。瑞希は大手IT企業社長の血縁で一人暮らしをする代わりにマンションの管理運営を任されている。七階建てのマンションの最上階がプライベートフロアになっているのだが、本人は1階と地下の部屋がある管理人用ルームがお気に入りで肝心の最上階を自分の仲間に低価格で貸している。
最上階フロアに住んでいるのは通緒と同じ高校に通っている上杉千尋と野原太一。もう一人の七瀬京は部屋は使わずに一階の管理人ルームの一部屋を間借りしている。
学年は通緒と瑞希と千尋が二年生で、太一と京が今年入ったばかりの一年生だった。千尋と太一は優等生で朝寝坊で遅刻をするなんてことは決してなかった。そして瑞希も基本的には朝は早起きで毎日しっかりと支度はしているのだが、ほぼ毎日通緒を起こしてから行くため遅刻の道連れとなっていた。
「通緒ってさー基本バカだよねー年留年してるんだから今年はちゃんと単位取らないとダメでしょ」
「だーからうるせーっての!行くぞとりあえず」
言いながら玄関に落ちていたカバンを持ち上げ見送りにきた姫のからだを一撫でし、I’m going.とキスを投げて家を出た。
後に残った元野良猫が、ナァンと返事をしたのは隣の鼻歌のせいで通緒の耳には聞こえずじまいだ。
完全に遅刻確定の二人は急ぐこともなくゆっくりと学校へ向かって歩き出した。
学校へは徒歩十分ほどで着くが都心部にあるため曲がり角が多い。通緒たちの住むこの街は、昔刑務所があり囚人が逃げた時にすぐには遠くへ行けないようにわざと迷路のように入り組んだ地形にしてある、との噂もあるくらいだった。
二人が二本目の角を曲がるその時、後ろからガチャガチャとやかましいチェーンの音が聞こえてきた。
「ちょっ・・・まっ・・・っだっ!!!」
財布から延びるチェーンを鳴らしジャラジャラとストラップをつけたスクールバッグを手に追いついてきた学生服の少年は、薄茶色の髪の毛から水滴を滴らせ、構うことなく歩き続ける通緒と瑞希の間に勢いよく割って入った。おかげで右手に持つ鞄のストラップが通緒の横顔にヒットし、瑞希の左頬には水滴が飛んだ。
通緒はあからさまに眉間に皺を寄せ、瑞希は無言で肘鉄を入れた。おかげで怒りをどこにもぶつけられず未消化のまま通緒は学校へ向かうことになる。
涙目で訴える京を視界に入れず歩く二人の前にめげずにまた飛び出していく。
それでも二人は足を止めない。
「ちょっとせんぱーい!行き先一緒なんだから起こしてくれてもいいじゃないっスかー!なんで起こしてくれないんスか!」
「相変わらずうぜぇ」
呟いた通緒はハッとして口元を抑える。まずい、と思い瑞希を見たが柔らかく笑って返される。なんとなくだが、お互いに思うことは同じだったようだ。
瑞希に肩を軽く叩かれ、通緒はうるさい後輩の胸ぐらを掴み引きずるように学校へ向かった。




