21
半地下のすりガラスの窓には昼近くになると雨がぽつぽつと当たるようになる。
昼過ぎから服を買いに出かけた七瀬はビニール傘をさし、帰りのことを少し心配していた。マンションから徒歩で三十分ほどかけ、小規模のショッピング施設に入ってジャージとスウェットを何着か買う。それからスーツを買おうかと思ったがどこに行っても何を買っていいのかわからず、あきらめて黒いパンツを二本買うことで落ち着いた。靴とリュックも購入してファーストフード店で休憩を取る。
コーラを飲みながら無表情で窓を見つめる。それから、自分の足元と椅子に置いた買い物袋の山を見つめた。
帰れない。
例え帰ったとしても、買ったものがずぶぬれになるのは確定だった。それほどの土砂降りだったのだ。
ポケットから携帯電話を取り出し、瑞希に送ってもらった住所を確認する。しばらく悩んでから窓から見えるタクシー乗り場を窺ってみたがタクシー待ちの人の列と、タクシーの台数が反比例していることにまた表情を固まらせた。
どうしようかと迷っているところに着信が入る。通緒からだった。
「ナナピオ?買い物に出てるんだって?雨ひどいだろ、迎えに行ってやるから場所教えろ」
「みっちゃんせんぱーい!」
半泣きの状態で七瀬はすぐにショッピング施設の名前を教えた。待っている間に頼まれたてりやきバーガーセットも購入して、タクシー乗り場近くで通緒の車を発見するとすぐに走って車に乗り込んだ。
「ったくよー。天気予報ぐらい見てから出かけろよ」
ぶつくさと文句を言いながら通緒は帰路にはつかなかった。はて、と七瀬は首をかしげる。
(みっちゃん先輩はお使い帰りでキャンブ先輩が迎えに行くはずジャン?)
「で?買い物はできたみたいだけど、ちゃんとした服買ったのか?」
ちゃんとした、の意味は分からなかったが、確実にスウェットなどではないとは思った七瀬は首を振った。
「俺の予定までまだ時間あるからちょっと付き合え」
そういっててりやきバーガーをくわえる通緒は、さらに家から離れた大型ショッピングセンターの地下駐車場に入っていく。
七瀬はワクワクしながらショッピングセンター内を歩いていたが、しばらくして少し通緒と距離を置いて歩くことになる。
紺色のダブルのスーツを着て歩く通緒と、ラフなジャージ姿の自分が隣で歩いているのが、少し恥ずかしくなったのだ。
ふと振り返った通緒が七瀬を呼び、服を身立てる。それでもあまり近寄らない七瀬の肩を抱き何店かのショップを回り、最後にスーツとまではいかないが、ある程度のフォーマルシーンには着ていけるような服を買ってそれに着替えさせられてから、コーヒーショップに入った。
「こーゆーカチッとしたの着てると肩こらないんスかー?」
シャツの襟もとに指をひっかける七瀬の表情には疲れが見える。
「俺はこれ着慣れちゃってるからな。でも、普段着はデニムとかはくぜ?ジャージよりスウェットのほうが好きだけどな」
「そーなんスか?ジャージ楽っすよ。風通しもいいし、すぐ乾く」
七瀬が話す間にスマートフォンで時間を確認した通緒が立ち上がった。
「あ、時間っスか?」
「まぁな。行くぞ」
荷物を持って通緒の黒いワンボックスカーの後部座席に乗り込んだ七瀬は、通緒に呼ばれ助手席に移動する。
通緒は運転しながらワイパーやウインカー、ギアの使い方とアクセルとブレーキの踏み方を教えた。七瀬が興味深そうに身を乗り出して聞いているうちに目的地に着いていた。車で待っていると提案をしてみたが、肩を掴まれ車から降ろされ、初めて七瀬は聖龍社の建物内に入っていく。
「Hey! He’s my companion. (おい!俺の連れだ)」
重役専用エレベータに向かう途中、七瀬を止めた警備員とは別の背広の男共を睨み、通緒は七瀬を手招いた。
「ちゃんとついてこい。めんどくせーから」
エレベータで最上階に出ると、門番のように構える男と紺のチャイナ服の男が待っていた。
「Well…It's raining. It's unusual for you to come punctually. (へぇ、雨が降ってるのか。お前が時間通りに来るのが珍しいから)」
「I agree. You ok? You don’t have to take care of him? (そういえばそうだな。お前大丈夫かよ?月龍の子守はしなくていいのか?)」
チャイナ服の男との慣れた、実に面白くはなさそうな、やり取りを後ろで聞きながら七瀬は二人の後に続いて奥へ歩いていく。壁や床の金箔を珍しそうに眺めながら歩いていると通緒の肩にぶつかった。
「我们带了我们的客人。(客人をお連れしました)」
「谢谢。飛竜。(ありがとう、飛竜 )」
金の屏風の奥に藍色に染められた衣を纏う切れ長の目つきの男がいた。その手前には瑞希も立っていたのだが、漆黒の腰元まである編まれた髪を肩に下げ、扇子を片手に持つ男の圧倒的な存在感にまず目を奪われた。
「I did not think that you will come, Michio. I'm glad that you are fine. (貴方が来てくれるとは思いませんでしたよ、通緒。お元気そうで何よりです)」
「Thank you so much for the wonderful gift, Yuen. Today I brought a samurai. (長い間自由にさせてくれて感謝してるぜ、月龍。今日は新人の侍を連れてきた)」
「This is nice to meet you. My name is Wang Yuen-lung. I am holding the president of this company and their boss. I’m looking forward to working with you. (これはこれは、初めまして。私、王月龍と申します。この会社の社長と、彼らの上司をやらせていただいています。どうぞよろしく)」
舌打ちをした通緒が瑞希のそばに歩み寄り囁きかわす。
「あの隠し玉のことは聞いたのか?」
「うん、ある程度はね」
「じゃあ、仕事の報告してさっさと帰るぜ」
月龍は静かに七瀬を見つめ、品定めをする。それが終わると今度は通緒たちとの会話を聞き取り、通緒を隣の部屋へ案内した。
「あーあ」
瑞希が残念そうに声を出す。通緒はひと呼吸おいてから瑞希に、先に帰ってろ、と告げたが瑞希は従わない。
「下で待ってる」
「帰ってろよ」
「待ってるよ」
言い残して瑞希は七瀬の腕を掴み飛竜の案内するまま部屋を後にする。
「え?みっちゃん先輩大丈夫なんスか?」
不穏な空気を感じ取った七瀬は後ろ髪を引かれる思いで瑞希について歩く。飛竜は無表情のまま、金箔のエレベータへ二人を案内し、車まで誘導する。
瑞希は助手席に、七瀬は後部座席に乗り込んだ。
「どーゆーことっスか?」
助手席の横に身を乗り出し、七瀬は瑞希を問い詰める。瑞希が何も答えないことにまた疑問を抱きさらに続けた。
「ここってスポンサーやってくれてる会社っスよね?もしかして俺の刀とか勝手に持ち出して怒られたりしてるんスか?」
方向性の違う指摘に瑞希は吹き出した。
「そーゆーことじゃないと思うけど。まぁ、大人の話し合いだから、口出さなくていいんだよ。あんまり詮索するなって。みっちゃんは大丈夫だから」
「アレ?キャンブ先輩もみっちゃんって呼ぶんスね」
またもあらぬ方向から入る指摘に瑞希は少したじろいだ。
「通緒には言うなよ。あいつ俺がみっちゃんって呼ぶのは絶対に許してないから」
「めんどくさいっスね」
瑞希は笑って、そうだよなー、と相槌を打ったが七瀬は窓から聖龍社の入り口に立つ飛竜を眺めながらぽつりぽつりと話し出す。
「キャンブ先輩のことっスよ。心配なら一緒に行けばよかったのに。あの飛竜って人も、気にしてるんスよね、絶対。大人になるってことはめんどくさいことを受け入れなきゃいけないってことなんスかねー」
七瀬の意見は間違ってはいなかった。だが、間違っていないだけに瑞希の表情は暗く、曇るだけだった。
それぞれに事情があり、そこを詮索しないのが暗黙のルールだったから。
確かに通緒と月龍の関係も通緒と飛竜の関係も瑞希は知らない。だが、それにどこまで首を突っ込んでいいのか、確かに瑞希も模索しているところではあったのだ。心配ならついていく、たったそれだけのことを今まで思いつけなかったのは遠慮があったのかもしれないな、と瑞希は考え始めていた。
「じゃ、あと十分で戻ってこなかったら迎えに行くか」
「そーっスね」
瑞希の表情の曇りが幾分か和らいで七瀬は迎えに行くという意見にほっと胸をなでおろした。
「あのーキャンブ先輩?ちょっと気になってたこと聞いていいっスか?えと、答えもらえなくても結構なんスけど」
深く座席に座り込んだ七瀬が下を向いて話し始めたので、瑞希が今度は身を乗り出す形になる。
「なに?答えれる範囲でなら、話すよ」
瑞希も少しだけ覚悟があったのかもしれない。七瀬はまだ、足を踏み入れただけだ、引き返すことはいくらでもできる。
「あの佐々木って人、片付けたって」
「あーそっち?」
瑞希がここまで先を読めなかった事はなかなかないことだった。わかりやすすぎる問題児を抱えているせいで最近感が鈍ってきているのかもしれないとさえ思った。
「殺したってことっスか?」
足元の視線を上げず、七瀬はつぶやくように話す。
七瀬の様子を見て瑞希は前に向き直った。この世界に入れば誰でも通る壁だ。むしろ、そこを素通りすれば、同じ道から外れることになる。表情を緩ませ、瑞希は窓の外を見た。
「んー。そこは片付けたっていう本人に聞いたら?臭いセリフで教えてくれると思うよ」
七瀬が顔を上げるとちょうど通緒が車の前を横切って運転席に乗り込むところだった。
「待たなくていいって言っただろ」
「俺が待つって決めたんだよ」
心配していた通緒の表情は明るく瑞希が嬉しそうに話すのを聞いて七瀬は安心する。
エンジンをかけ発進させるとルームミラーに社内に戻っていく飛竜の姿が映った。
「あーとみっちゃん先輩?聞いていいっスか?」
「なんだよ改まって」
「あー、えーと、佐々木って人どうなったんスか?」
それを聞いて、通緒は一度助手席を確認する。瑞希がうなづいたことに納得して通緒は七瀬の求めている答えをなるべくわかりやすく話すことにした。
「知り合いに、元刑事がいるんだ。ああいう輩はそのおっちゃんに任せることにしてる。今回は身柄をそのまま引き渡した」
「え?そーなんスか?俺はてっきり」
七瀬はそこで口をつぐんだ。
「殺すと思ったか?」
返事がないのを肯定と取り、通緒はポケットから煙草を取り出す。
「あいつは人を殺したことがなかった。だから殺す必要がなかったんだ。あとは八郎さんが何とかするだろ」
「通緒もたいがい甘ちゃんだよねー」
割って入るのは瑞希だ。七瀬はそのまま話を聞き続ける。
「いいだろ、俺らは子供だし。Nightmareだ。悪夢だったんだよ、全部。あいつに取ったらな」
七瀬は瑞希の言ったことが何となくわかった気がして笑い始める。それにつられて本当に予想通りの通緒のセリフに瑞希まで笑い出すと、通緒は、どういうことだ、と憤慨した。
収拾のつかなくなった車内で一人取り残された通緒は仕方なく煙草に火をつけ、入っていた洋楽のCDを爆音で流し走り続けた。
彼らがnightmareと名乗る由来は二年ほど前にさかのぼる。瑞希が描いた絵と彼の話で決まったお遊びだった。
悪夢のような日々の始まり、いや、悪夢から抜け出すため、どれも違う。彼らのやりたいことはただの遊びで、ただただ楽しむためだけに考え動いていた。
「なんでnightmareなんだ?」
「それはさぁ・・・」
おやすみ001おわりでございます。
「なんでnightmareなんだ?」
「それはさぁ・・・」
の続きはまた今度。




