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小さな教会の後ろからは潮風が気持ちよく吹いてくる。
セント・マリアルージュ教会は海岸の小さな町の丘にポツンとたたずんでいる。
今はもう、牧師もいなく、毎年五月に行われていたイースターのお祭りも今年は執り行われる予定はない。日曜のミサも今は行われてはいないが、町のボランティアの手によって毎日掃除は行われているようで、扉を開ければ小さな十字架に縛り付けられているイエスの後ろからステンドグラスを通った色とりどりの日の光が行く道を照らしている。まるで四ヵ月前の出来事などなかったかのように壁も床のタイルも透き通るほどきれいな白だった。
紺色のダブルのスーツを着て、しっかりとネクタイを締めた通緒はタイルの上をコツコツと音を立てて歩きながらステンドグラスの光の道を歩いていく。煙草の代わりにオレンジ色のガーベラの花束を持って一番前の木製の長椅子に腰かけた。
ゆっくりと顔を上げ、見上げた天井にはまだ一部焼け焦げた黒い炭の色が残っている。
(町の奴ら、天井分の修繕費くすねやがったな・・・)
日光が傾き、自分の座っていた座席をゆっくりと温め始める。まぶしさに目を瞑りしばらくそこで夢を見たかった。
いい夢は見れないだろうな、見れるわけがない、そう思って立ち上がり、祭壇に花束を捧げ胸ポケットからJPSを取り出し、ジッポで火をつける。
煙草の葉が燃える音がしてその向こうからかすかに波の音が聞こえてくる。
煙を吐き出し、色がなくなった道を歩いてドアに向かった。
あの時、クリスマスイベントが終わり静かに新年を待つ教会を選んだのは、彼の提案だった。自分のよく知っている牧師が世話をしてくれると自信満々だった。
教会から二キロほど離れた孤児院出身の彼は牧師のことを信頼していた。孤児院では毎週日曜日にその教会まで歩き、礼拝に参加するのが決まりだった。孤児院を出てからも毎年のお祭りやイベントごとには参加して手伝っていた。仕事が終わった後は教会の大掃除をして、孤児院の年越しの手伝いがてら年越しそばにもありつく予定でいた。
彼ができなかったことを通緒は何とか続けようとはしたが、孤児院はすでに経営難で、今年の四月からは保育園に鞍替えする予定が決まった後だった。経営者も変わり、出資する意味ももうなかった。
それでも、彼の愛していた教会と孤児院を形だけでも守ろうと、匿名での寄付を続けていたのは少しでも報いにはなればと思ったからだった。
教会から出ると海からの風が強くなっていた。
目の前に止まるタクシーの運転手が通緒に向かって手を振っている。
「墓参りは済んだのか?」
「墓参りは、今日はやめとく。たぶん嵐が来るんだろ?」
運転席の窓に手をかけ、通緒はカーステレオを指さした。
「そーなのか?」
「八郎さん、少しはそーゆー情報にも耳傾けといたほうがいいぜ。雨はタクシーの味方だろ」
八郎は、がははと笑い、勉強しておくよ、と告げてタクシーのドアを開けた。
通緒は車のボンネット側を回り煙草を足元に落として後部座席に乗りこむ。
「他の奴らは来なかったのか?」
「新人教育で忙しいんだ」
タクシーは教会の前の道路を軽く回りUターンをして街中に向かって走り出す。
通緒の言った通り、海岸線には春の嵐が近づいており、高波に注意を促す天気予報がラジオから流れてきていた。
「おはよーございますっス!」
元気よく挨拶をしたのは七瀬で、千尋は笑顔で返事を返した。ソファではすでに昨日とは違うゲーム機を使っていた野原がぴょこんと立ち上がり挨拶をしてくる。
朝ごはんは食べた後のようで一人分の食器が台所に片づいていた。
「カンブは起きてきた?」
千尋の問いに野原と七瀬は首を振って答える。
ふぅ、とため息をつき千尋は階段下の部屋をノックしてみるが反応はない。こういう時、通緒ならずかずかと部屋に入っていって瑞希を起こせるのだが、千尋はそこまではしない。代わりにキッチンに戻ってやかんに湯を沸かし始めた。
野原はその行動に素早く反応し、千尋の横に張り付いて紅茶の入れ方のレクチャーを受ける。
テーブルにティーカップを四つ並べ、戸棚から小さなカップケーキのお菓子を取り出し、食卓に添えた。
部屋に紅茶の香りが広がる頃、スリッパを引きずる音が聞こえてくる。
「アレ?もう朝?」
黄色いストライプのパジャマを着た瑞希がゆっくりと食卓へついた。
「ああ、そっか」
と何かにうなずき、千尋に紅茶のお礼を言うと、カップケーキを二つ食べ紅茶を飲み干してまた部
屋に戻っていく。
「あのー、みっちゃん先輩は起こさなくて大丈夫っスか?」
「ええ、大丈夫よ。みっちゃんにはお使いを頼んであるから。夕方にカンブに迎えに行ってもらうわ」
話しているうちにハーフパンツとTシャツに着替えた瑞希が戻ってくる。野原はそれを見るとすぐにゲームを止め、立ち上がってテーブルの上を片付け始める。七瀬はその野原の行動を見て、急いでキッチンの椅子を二脚ソファの前に運んだ。
「よーし、さっそく今回の反省会始めるよー」
ぱんっ!
「まずはお疲れ様。ノンタもナナピオも今回は初めての仕事よくできました。昨日上杉から聞いたと思うけど、怪我はしないようにねー。特に、血を流すと不利になるからそこは次からは気を付けて。あとはそーだなー、欲しい装備品とかあったら通緒に相談して」
野原は強くうなずき、七瀬は怪我をした拳を握り締めて次への心構えをする。
「仕事は成功。Sネットバンクの合併は防いだし、佐々木も片付けた。夕方に報告して終了かなー。今回の活躍で他にも仕事が入ってきてるからそれも徐々に片付けていこう。報酬については上杉から」
「二人ともお疲れ様。報酬はそれぞれの口座に明日振り込むわ。ただし、口座に振り込まれたお金は自分で引き出さないこと。金額のこともあるけど、出所のわからないお金を持っていると不審がられるから。それ以外の通常のお給料はこっち」
千尋はテーブルに置いてあった茶封筒を二人に手渡した。それから、ちょっと待ってね、と言って立ち上がり瑞希の部屋から札束を二つ持って出てくる。
「臨時ボーナスよ」
「へ?あの?これって本物っスか?」
札束を差し出された七瀬は千尋と瑞希の顔を交互に見て受け取るのをためらった。野原は、わーい、と喜んで次のゲームを買う予定を発表していた。
「ナナピオはいらない?」
「え?いや!いりま、スけどぉ、その、なんというか、これってどー使えばいいんスか?」
両膝をしっかりとくっつけて膝の上に載せられている百万円に恐る恐る触ってみる。向かい側で無邪気に諭吉扇子を作る野原を見てさらに七瀬の目が丸くなる。
「まずはナナピオ、服買わなきゃー。それから家賃ね。月1万。上の部屋買いたいならそこから月々払っていってもいいけど」
七瀬は少し考えてから部屋を買うのはしばらくお預けすることにした。
「はい、じゃあ反省会も終了ってことで。次が決まり次第、また連絡するからそれまで解散ねー」
立ち上がった瑞希はすぐに紅茶のお代わりを作りにキッチンへ向かった。楽しそうにお金を数える野原と、大金に未だにおろおろする七瀬に安心したように微笑んで千尋が話し始めた。
「臨時とは言ってもそれは貴方たちが昨日までに体験したことの保証金みたいなものよ。それだけ大変なことをしているってことはきちんと頭に入れておいてね。それと、この場所はいつでも居ていいことになってるわ。毎日晩御飯は五人分用意されるはずよ、外で食べたりしてくるときはみっちゃんに連絡してね」
「ラジャーっス!」
「はーい」
元気のいい返事が聞こえて千尋は安心する。
部屋には瑞希の入れたカモミールティーの香りが広がり、昨日のことが夢だったかのようにゆっくりと時間が流れていた。
だが、外には少しずつ、春の嵐が近づいてきていた。




