02 Face to face=対面
その日は朝から珍しく通緒が起きていて、瑞希を起こしたのは目覚ましではなくコーヒーの香りだった。
キッチンテーブルにタブレットを持ち込み、煙草片手にメールをチェックする通緒の耳にスリッパを引き摺る音が聞こえていた。
「コーヒー飲むか?」
ソファの上にしゃがみ込んだ三角帽が頷くと、立ち上がった通緒が動き出す。黄色いコーヒーカップに熱いブラックを注ぎ、枕を抱いたままの瑞希の前へ差し出した。
「早起きだね」
「まぁな」
テーブルからタブレットを持ち上げ画面を瑞希へ向ける。煙草は二本目になっていた。
「依頼がきてるけど、受ける(やる)のか?」
画面に視線を投げ、瑞希はコーヒーを啜る。
「まぁ、上杉に任せるかな。返事はいつまで?」
「確実に受けるな、今の経済状況からいって。期限は零時。で、ひよこは?」
「餌の獲りかたは実戦で教えないとでしょ」
溜め息が長い前髪の間から漏れる。眉間の皴が濃くなっていくのが手に取るようにわかった。
「十八時な」
時間だけを確認する通緒に再度うなずく瑞希。
夕方まで時間が空いているのを見計らい、通緒は愛猫を連れてペットショップへ向かい、瑞希は行き先を言わずに外へ出た。
瑞希の向かう先はメールの贈り主の会社。通緒もそれをわかっていた。
タクシーが到着したのは銃機会社、聖龍社の自社ビル。裏口に着いたタクシーから瑞希は降りた。中に入ると既に迎えが来ており、千尋より少し短めの黒髪を一本に束ねたチャイニーズが無表情で口を開く。
「You do what? (何しに来た?)」
「Nothing. You don't need to come pick me up, Fay-Rong. (別に、迎えに来なくても良かったのに飛竜)」
平然とした表情で答えた瑞希を見る顔が曇った。「飛竜」は舌打ちをし、瑞希を監視する形であとに続く。
ずいずいと私服姿の高校生は社内に入り込み、重役専用エレベーターで最上階を目指す。勿論紺色のチャイナ服もセットで。
最上階で扉が開くと金箔で装飾が施されたきらびやかなフロアが用意されており、エレベーターの入口には黒服の男が二人、仁王像のように待ち構えていた。
そこを素通りし、瑞希は更に奥へ。
「Come;Mizuki. I didn't know that you were early riser so much. (いらっしゃい、瑞希。貴方がこんなに早起きだとは知りませんでしたよ)」
最奥の金の屏風が開き現れた物腰柔らかな男が語りかける。白銀のチャイナ服に身を包み、男と思えぬほど綺麗に編まれた髪を肩から腰元まで下げ瑞希を室内へ誘うその姿は妖艶の美を称えていた。
「Yes. Though it is the last matter, intend to decline it. Our problem child is noisy unless I come to here. (ん、こないだの件だけど断ろうと思いまして。ここまで来ないとウチの問題児がうるさいからね)」
「Fu-fu. I expected it. But it is the thing which is lacking when said face-to-face. May I ask you about your intention? (フフ、予想はしていました。けれど面と向かって言われると寂しいものですね。貴方の意向を伺ってもよろしいですか?)」
切れ長の鋭い眼光が朝の光のせいか少しやんわりと見える。
「I will keep the status quo for the time being. At last Michio returns and causes it and thinks that I can receive a request than before from now on. (とりあえず現状維持で。やっと通緒も戻ったし、これからは以前より依頼を受けれると思います)」
瑞希がそう語る目の前には長い木製のテーブルが置かれ、椅子が両端に一脚ずつ、どれも細部に渡る堀が美しい。壁一面の窓ガラスからは眼下に広がる街並みが見え、遠くビルの間からは太陽が顔を覗かせていた。
窓際に移動する白銀のチャイナ服には見向きもせず、瑞希はテーブルにワザトらしく置かれたA4封筒を見下ろしていた。
「Oh, You seem to have forgotten Fay-Rong uncommon cleaned up. I'm glad when someone clear me. (ああ、珍しく飛竜が片づけ忘れたようですね。誰かが片づけてくれると嬉しいのですが)」
「…. I clear it up. (・・・俺が片付けておくよ)」
嫌味な言い回しを即座に理解した瑞希は封筒を手に取りニコリと笑う。
「Then I leave in this today. In future thanking you in advance. (では、今日はこれで失礼します。今後もよろしくお願いします)」
声を出さずに笑うチャイナ服の狐のような眼には既に先が見えているかのようだった。
「追赶后边吗?(後をつけますか?)」
瑞希が退出したのを確認した飛竜が頭を下げたまま判断を仰いだが月龍は春陽に包まれる街を見下ろし微笑むだけだった。
数年前、日本には銃器を扱う海外企業が侵入し始めた。
戦争に参加し大国に圧され非武装国家をやめた日本は今や警察でさえマフィアを黙認している。いや、支えられている、と言った方がいいかもしれない。首都圏や一部での抗争が激化する一方で、他はほぼすんなりとそれらを受け入れていた。
そしてそれらは、使い捨ての駒として、あるいは手足としての若者を育てているのだった。
その一つがこの聖龍社だ。バックにはチャイニーズマフィアでここ数年頭角を現してきた王家がついている。
代表取締役、王月龍、この男こそ現在中国で名を上げている王家の3代目である。幼い頃より帝王学を学び10代で中国、香港のギャングをほぼ制圧した彼は組織を拡大しEUやアメリカの組織と手を組みさらに事業を広げていた。事実上今の王家を動かしているのはこの王月龍だった。
「おはよー千尋ちゃん」
帰ってくるなり部屋に香るハーバルエッセンスの香りに反応し通緒は声をかけた。
「おはようみっちゃん、今日は早起きだったのね」
階段を下りる通緒が抱く猫と手に持った買い物袋を見て千尋は微笑んだ。が、完全に視線は猫に向けられている。
通緒たちが集まるこの部屋は1階に通常のリビングとUT、六畳程の部屋が二部屋入っているが、玄関から伸びる階段の下にさらに十畳ほどのダイニングキッチン、階段を下りた横にさらに一部屋ある作りになっている。
「おはよう姫ちゃん、お出かけしてきたの?」
喉をゴロゴロ鳴らす「姫」の胴輪を外し千尋に預け通緒は買い物袋をソファに投げるとキッチンへ向かった。
「コーヒーまだある?お昼は?」
言いながらキッチンで紫色のマグカップを洗いコーヒーメーカーに残る濃いめのコーヒーを遠慮なく注ぎきる。
「食べたわ。カンブ知らない?」
「ちょっと散歩に出てるよ。そういえばお仕事依頼来てますが、どうします?」
朝から置きっぱなしのキッチンテーブルのタブレットを千尋が座るソファ前のガラステーブルに差し出した。腰を曲げ画面を指でなぞり立ったままメールを開く。
千尋は猫をそっとソファに下ろし、しばらくメール本文を見て時間と日付をチェックしそのままメールを削除した。
「ねぇ」
白いワンピースから伸びる黒レギンスが足を組み、横に立つ長身に声をかける。反射的に息をのむ通緒はすかさず視線を宙に浮かせた。
「今日の予定ってどうなってるの?」
「十八時にここ」
「だけ?」
「だろ?」
半信半疑な二人は目を合わせてため息をついた。今回の件はお互い瑞希に振り回されている身だ。
「なぁ、瑞希と俺、どっちがまともだと思う?」
「まともな高校生はスーツを着てペットショップには行かないと思うわ」
唐突に放った質問をバッサリと切られ通緒はがっくり肩を落とす。が、即座に顔を上げ意気揚々と切り返した。
「じゃっ黄色の三角帽で寝るのもまともじゃないよな?」
起死回生の言葉を見つけ煙草に手を伸ばすが、そうやすやすと状況は変わりそうもなかった。
ふぅ、とため息をついた千尋の表情がまるで園児に話しかける保育士のように優しく微笑んだから。
「お酒とタバコはハタチになってからなのよ?」
カチリと鳴らしたジッポのリッドが微かに動きを止めようとしたが、グッといつも以上に力を込めて通緒はフリントを削り火をつける。
ね、と横に座る猫に声をかけ置き去りにされている買い物袋をチェックする。
「あら、今日マタタビは買ってこなかったのね。おやつとご飯だけ?」
ナァン
「こいつマタタビ食べすぎると酔うからダメなんだよ。しかも酔った勢いで遊び噛み激しくなるし」
不満そうに鳴く猫を睨みつけ通緒は少し呆れたように答えた。
「へぇ、酔い方も似るものなのね」
「え?俺噛んだりしないだろ。てか酔わねーし。もしかして酔ったら噛んでも・・・」
「いいわけないわよね」
全く表情を変えずに答えた千尋からは殺気が滲み出ていた。
買い物袋だけを受け取った通緒は気配を消すように階段を上がる。それを慰めるように付いていく猫を見て千尋は優しく笑っていた。
予定の集合時間まで十分と迫った夕方、インターホンに移ったのは黒い前髪をピシッと揃えた坊っちゃん刈りの少年だった。
「こんばんは。野原です」
「どーぞ上がって」
迎え入れたのは千尋。ぺこりとお辞儀をする「野原」は差し出された客用スリッパを履き、階下へ行く千尋の後に続く。室内をきょろきょろ見回し、ソファへ座らされると少し首を傾げ、口を開く。
「おねーさんはこの部屋に住んでないんですか?」
「住んでねーよ」
不機嫌そうな声で現れた通緒を一瞥し少年は、なるほど納得です、と頷いて見せる。
言い返そうとした通緒の視界に入ったワンピースがじっとこちらを見ている気がして言葉を発する代わりに音を立てキッチンテーブルに腰掛ける。
呼び出した本人がいないまま約束の時間は過ぎて、客人に差し出されたコーヒーは半分になっていた。無言の空間に耐えきれなかった通緒がテレビのスイッチを入れていた。流れてくるのはありきたりなニュース。それを見ない少年はリュックから取り出した携帯ゲーム機でゲームを始めている。手持無沙汰でキッチンとダイニングを行ったり来たりしていた千尋も通緒の向かいに座りようやく落ち着いたころ、玄関に賑やかな声が響いた。
「だー!そーっスよね!初めから電話したらよかったんスよね!ばかジャン、オレー」
お世辞にも礼儀正しいとは言えなさそうなしゃべり口調に通緒の機嫌はさらに悪くなる。
「俺メールしたよね?ここの住所。なんであんなとこに居たの?」
「いやー道に迷った時は交番かなーと思いましてー」
パっと手を合わせ、すみませんっス、と頭を下げるしぐさに懐かしさを感じる。いつものニットキャップを少し上げすでに集まっているだろうメンバーを確認する瑞希はすぐにそれを引き下げた。
いかにも不機嫌そうに待つ通緒の視線は予想通りだったが、その奥から完全に怒りの色を表すオーラのようなものが見えたからである。
「えーと・・・」
「遅れてすみませんジャン!オレっ!七瀬京っ!十五歳っス!今日からここでお世話になりまっス!」
びしっと右手を高く上げ勢いよく現れた黒ジャージ姿に限界を感じた男が一人。ため息とともに煙を吐き出し視線を瑞希から「七瀬京」に切り替える。
「お前を信じたのは間違いだったのか?瑞希」
無礼な若造を睨んだまま問いかけるが、いつもなら制止にかかる千尋も意見としては一緒だった。
信頼できる者以外をこの部屋に通すことはスパイに情報をリボン付きでプレゼントするようなものだ。
瑞希が連れてきた赤茶の短髪の無礼者と、先に部屋を訪れたこちらも礼儀正しいとは言えないゲーム少年。双方とても誠実さを持っているようには見えなかった。
「こんなんだったら最初から月龍の話を聞いといたほうがよかったんじゃねーのか」
「そうよ、カンブ。あたしたちは遊びでやってるわけじゃないのよ」
ぱんっ!
両掌を合わせたことで全員の意識を手中に収める。
「まずテレビは消そうか、通緒。野原君はゲームを止めて」
ソファに新顔を並べ、瑞希はテレビの前に陣取った。その横に千尋が座っていた椅子を運んで腰かけている。通緒は相変わらず背後で眉間の皺の調整中だ。
「二人には俺たちの仲間として働いてもらう。これから情報はすべて俺が管理する。ある程度のプライバシーは約束する。前に話したように命の保証はない。さて、異論はある?」
沈黙。
「ゲームは自由?」
ぽつりと呟いたのは野原。
「うん、時間があれば」
瑞希の答えに満足し、野原はにっこりとほほ笑んだ。
「えーと、上下関係ってどーなってるんスか?」
質問に答える前にチラッと通緒を確認する瑞希はわざとらしく困ったふりをする。
「うん。年齢・・・ではないよなー」
「おい」
「とりあえず自己紹介をしようか。ね、先輩」
ずるそうに笑うニットの下の口元が嫌みたっぷりに言う。勝手にしろ、とOKの返事が出たところで、じゃ上杉、と隣の少女に先を託す。
「あたしは上杉千尋。あなたたちの一つ上よ。ここでは先輩じゃなく、名前にさん付けでいいわ。経費管理をしているから無駄遣いは一切許さないわよ。それと、散らかってるのとだらしないのが嫌いだから気をつけてね」
鋭い眼光のままジャージ姿の七瀬を見ると口元だけ器用に笑って見せた。
「そして、もう会ってるんでしょうけど、斉藤瑞希、あたしと同い年。呼ぶときはカンブでいいと思うわ。情報管理と指揮をしてくれてるの」
横で聞きながら瑞希はピースサインをして見せる。
「で、あそこの不良が安彦通緒。年は十八で高二」
「まだ十七な」
「大体買い出しと晩ご飯担当よ」
「ごほっ、千尋ちゃんっ」
むせながら訂正を希望したが千尋は、以上ね、と通緒の顔を見ない。
「んじゃ補足ー。上杉は合気道、護身術ができる。あとナイフを握らすと怖いから気をつけて。俺は銃苦手、フルオートなら使える。通緒は銃全般取り扱い可能。スポンサーである聖龍社内ではガンスミスライセンスを貰ってる。まぁ、どっちにしろ犯罪だけどね」
瑞希の話が終ったところで目が合ったジャージは勢いよくソファから立ち上がる。
「オレ!七瀬京です!田舎の道場から家出してきて斉藤先輩に、じゃなくて、カンブセンパイに拾われました。剣道二段。でも実力は師範代くらいいけるんジャン?あと料理はできないっス!すみません安彦先輩」
振り返って頭を下げる七瀬にガン飛ばしながら通緒はコーヒーを入れにキッチンへ立ち、瑞希を手招いた。
「いじょおっス!」
七瀬が座り終わると隣の少年がぴょこんと立ち上がった。
「僕は野原太一。趣味はゲームとハッキングです。カンブセンパイにハッキングがバレてウイルス送りつけられて前のおうちは壊れました」
自己紹介を聞きながら通緒はマグカップにコーヒーを注ぐ。
「おい、カンブ。あれどー見ても小学生だろ。ハッキングされたときに情報改竄されてんじゃねーのか?」
「失礼ですね、安彦センパイ」
声音を抑えるつもりもなかった通緒の抗議に野原は黙っていなかった。確かに、一八三センチある通緒からすると一六三センチある千尋よりはるかに小さい野原は、小学生に見えなくもない。いや、一般的にみても小学生くらいにしか見えないのだ。
「そーゆーあなたは十八歳で高校二年生だそうじゃないですか?サボりすぎて留年ですか?それとも学がなさ過ぎて進級できなかったのでしょうか」
「What?」
「通緒ちょっと待てって」
苛立つ通緒の左腕を瑞希が制した。だが、それをいいことに野原はまだ先を続ける。
「あなたのようなガサツで無鉄砲そうな人がいるとさぞかし周りは迷惑でしょうね。いざという時足を引っ張って仲間を見殺しに」
「野原っ!!」
怒声を出したのは瑞希だ。
通緒の腕を掴む左手に力がこもる。
「憶測でモノを言うな」
それは、通緒の腕を押さえるためではなく、自分自身の怒りを抑えるため。
「度が過ぎる挑発は自分の首を絞めることになる、注意しろ」
ようやく落ち着いた声でその場を収めた瑞希の左肩をたたき「Thanks」と呟く通緒は笑っていた。
「なるほどね、こりゃ俺のやる気を出させるのにいい材料だぜ」
「そーね」
千尋も安心して頷く。
「とりあえずあたしたちの言うことはしっかり聞いておくほうが身のためだと思うわ。上下関係ナシにしてもね。自己紹介はだいたい済んだし、休憩しましょ?みっちゃん今日のメニューはなぁに?」
台所のカウンターに駆け寄り、千尋は二人の表情を確認する。
大丈夫、もう誰も傷付けたりなんかさせない。
「今日はカレー」
数分後、イモの皮むきをさせられる七瀬がキッチンに立っていた。