19
コンビニで通緒を拾った後、車を聖龍社のガレージに返し、そこからタクシーを拾った二人が家に着いたのは深夜二時を過ぎていた。
玄関を開けると階段を駆け上がってきた千尋に抱き着かれた。瑞希がそっと千尋の腕を外すと抱き返そうとした通緒の腕をすり抜け千尋は少し怒った顔で二人を睨み、それから微笑んだ。
千尋はすぐに半地下へ降り、瑞希に自分の飲んでいたアールグレイを入れる。
通緒もそれを所望したがすでにティーポットは空になっており、仕方なく冷蔵庫から缶ビールを出してプルトップを開けた。
「ひよこは?」
煙草をふかしながらスーツの上着をソファの背もたれにかけ、ビールを煽るとそのままソファにどっかりと腰を下ろした。
「ひとまず手当だけして部屋に返したわ。カンブは怪我はない?お風呂、沸いてるわよ」
質問をしたはずの自分を飛び越え、瑞希に話が回っているのを通緒は寂しく思う。
瑞希は紅茶を飲み干しすぐに一階のバスへ向かっていく。
「みっちゃんは今回怪我はなさそうね。ノンタとナナピオは少しだけ怪我が多かったのを注意しておいたわ。それと、ナナピオのあの武器、私は許可してないわよ」
鋭い突っ込みが入り、通緒のビールの減りが早くなる。
「みっちゃん?聞いてるの?」
「わかってる。俺のほうで今回のは何とかしておくから。俺も、風呂入ってくるかな」
そういって立ち上がろうとすると、左のわき腹に鈍痛が走る。緊張が解けたからだろうか、先程まで痛みには気づかなかったのに。声に出さずに乗り切り、テレビの画面の中の千尋がこちらを見ていなかったことにほっとして、煙草を吸い切ってからビールを飲み干した。それからしっかりと腕で体を支えながら立ち上がり、缶をキッチンテーブルの端に置き、階段を上がって部屋を出る。
エレベータを待つ間、少しだけわき腹をさすりながら外を見た。まだ暗い道を街灯が照らしているのが見える。
部屋に着いてこちらも睨むように出迎えた愛猫にただいまの挨拶をしてからバスタブに湯を張る。湯が溜まるまでの時間を使って行うのは、持って行っていた銃のメンテナンスだ。銃本体からマガジンを抜き、スライドをホールドオープンにしてから弾数を数える。掃除が終わる前に風呂からの合図が鳴ったが、そこを全て片づけてからようやく立ち上がった。
洗濯かごに脱いだスーツとシャツを無造作に投げ入れ、ジャケットを忘れたことに気が付く。
バスルームに入ると頭からシャワーを浴び、鏡に映る脇腹の様子を伺った。傷としては大したことはないが、色がどす黒い赤紫色になっている。もう一度、そこを擦りながらゆっくりと大きく息を吸い込む。肺に痛みは感じないのでどうやら骨は無事のようだった。湿布があったか、と思考を巡らせたが、記憶の限りでは薬局に行くのは決定だった。生傷ではないので染みることもなく、髪と身体をざっと洗い、洗顔フォームを付け最近生えかけてきたヒゲを剃った。カミソリを使うのは電動シェーバーを使う叔父の頬がすぐに青くなるのを見ていたから。
一通り洗い終わりバスタブに浸かって湯船に半分だけ蓋をしてからドアを開けた。待ち構えていたように愛猫の姫が入ってきて蓋の上で上半身を下げお尻と尻尾を高く持ち上げて体を伸ばす。それからわざと通緒に尻を向けてゴロンと寝そべった。
「My bad. (ごめんって)」
呟いてみるが、姫の反応はない。
「You don't have to tell me. My boss got angry at me. Don't get so sore. I'll be more careful. (わかってるよ、今日はカンブにも怒られたんだから、お前まで怒るなよ。ちゃんと次からは気を付けるって)」
それを聞いて姫は少しだけこちらを見るように首を動かす。
「All right! From now! I will do it from now! I swear. (わかった!今から!今からそーするから!な?)」
小さく高い声で姫は鳴く。それがきっと分かってくれたサインだ。通緒は姫の毛が濡れないように、指の先だけで姫の尻尾の根元を撫でる。すると姫はグルグルと喉を鳴らし、尻尾を高く上げるのだった。
「さてと、じゃあ反省会顔出してくるかな」
そう言って上がると姫もサッと通緒の足元を通って居間に消えて行く。
本来ならバスタブに浸かり愛猫とゆっくりとビールでも飲みながらのんびりと過ごしたかったが、こういう日は仕方がない。
お詫びの猫用ササミをテーブルの上に乗せ、通緒は名残惜しそうにまた部屋を出ていく。
髪は濡れたまま、千尋にもらったヘアゴムでひとつに束ねてごまかすことにした。
瑞希の部屋につくとテーブルの上に湿布が用意されていた。よく見ると使用期限は多少すぎている。用意したのは、たぶん瑞希だ。通緒は少しだけ嬉しく思うと暇そうに一人で雑誌を読んで待っている千尋にビールを差し出した。
「付き合って貰えませんか?一杯だけ」
雑誌を閉じ、千尋はビールを持つ通緒を見下ろす。ソファに座る千尋の前に片膝を立て、頭を垂れてビールを差し出している。
「湿布は貼れたの?アレ用意したのカンブよ。怪我、してないんじゃなかったの?」
ビールを受け取り、テーブルに置いたままの湿布を見つけた千尋はため息をついた。 通緒も深く息を吸い込み、大丈夫、と言いかけたが、立ち上がる時の痛さで声が上手く出なかった。
「脱いで」
「え?」
「脱いでって言ったの」
「え、千尋ちゃん、こんな所で?カンブが来たらどー説明」
「ばか。いいから脱ぎなさいよ、湿布、貼ってあげるって言ってるの」
通緒は両手を前に出し拒否するが、千尋の表情は変わらない。
「その湿布期限切れなんだぜ?」
「おとなしく言うこと聞かないと付き合わないわよ」
何とか千尋を諦めさせようと思ったが、千尋の頑固さはメンバー一なのも知っている。
大きなため息を付いて、通緒は覚悟したように立ち上がりスウェットを脱いだ。
赤黒かった打撲痕が少し紫がかった色に変化している。
「もう!しっかりやられてるんじゃない!なんで早く言わないのよ!」
これじゃ足りないわね、と零しながら千尋は通緒のわき腹に期限切れの湿布を貼る。冷たい湿布と暖かな指先が滑るように腹部を撫でる。目の前の光景から目を逸らし必死で理性にしがみつく。この時ばかりは早く瑞希が現れてくれないかと願った。
「はい、いいわよ。」
ようやく終わった天国での公開処刑を終え通緒が一呼吸置くと、階段下の瑞希の部屋のドアが少し開いていた。
「おい」と、声をかけるのは通緒だ。怒りで声が震えていることに本人は気付いていない。
本当に瑞希には油断できない、と通緒は眉間の皺をしっかりと築き上げ不機嫌な目元で瑞希を見やる。
スリッパを引きずりながら歩く瑞希に駆け寄る千尋を見て表情が緩む。優しくと言うよりは寂しさで自分に笑いかけるようだった。
通緒の気持ちはいつも一方方向でしかない。
「さて、じゃ、はじめるか。通緒、ビール」
「たまには自分で用意しろよ」
拗ねた通緒を面倒くさそうに見つめ、ため息を漏らすのは瑞希。その後、一応形だけでも自分で台所に向かうフリをする。フリ、なのはその後の通緒の行動も読めているから。ぶつくさと文句を言いながら、歩く瑞希の前に割って入って必ず自分で冷蔵庫を開ける、そのまま台所で煙草をふかし、ついでだ、とのアピールも忘れないだろう。
瑞希が思い描いたように行動する通緒を見て、少なからず予想はしていた千尋が笑い出す。
通緒は口を膨らませて怒る野原の真似をした。それには思わず瑞希も吹き出す。
空き缶が三缶キッチンに並び、それから新しいビールがソファの前に用意されると、三人はそれぞれいつもの席に座り出す。
さて、と言った瑞希が両手を合わせ控えめな音をたてた。
「今回の仕事について俺からまず謝るよ、上杉、隠しててごめん。それじゃ、通緒、報告」
「Sure. 佐々木の身柄は八郎さんに任せた。Sネットバンクは予定通り合併はしない。T社は山崎組の奴らをノンタが片付けたし、作戦のお陰で正体がバレてねーから九龍に矛先が向くこともないと思うぜ」
頷いて瑞希は千尋に次を促す。
「弾薬と交通費は予算内に収まってるわ。あとは怪我が多かったのが問題ね。ノンタは両腕に数箇所の裂傷、ナナピオは腕と手の甲に切り傷、みっちゃんはあばら骨粉砕ね、湿布は明日買ってくるわ」
にっこりと通緒に笑いかける千尋から好意は感じられない。
瑞希は通緒から受け取っていたウサギの布袋を千尋に差し出した。
「今回の臨時報酬。通緒の手柄。分配は上杉に任せるよ」
あとは、と言いかけた瑞希の声を遮り、千尋が歓喜の声を上げた。通緒は思わずにやけそうになる表情を何とか煙草を吸ってごまかした。
「秘蔵っ子の取り分だったみたいだぜ。とりあえず、今回は迷惑料ってことでもらってきた」
八郎の取り分のことは伏せたうえで、通緒は経緯を説明する。
「じゃあここから今回のナナピオの日本刀代出しておくわ。あ、それと、月龍から新人を紹介してほしいって言われたけど、どーするの?」
千尋は札束をテーブルに並べながら二人の意見を待つ。
「任せる」
互いに目を合わせ吐いた言葉が重なる。それと同時にため息も漏れた。
「俺が行ったら嫌なんだろ?カンブ。あいつらを選んだのはお前なんだし、俺が行かなくてもいいだろ」
「俺は気に入られてないから通緒から話したほうがまとまると思うよ。それに、あれからお前月龍に顔合わせてないだろ。そろそろ挨拶に行ったほうがいいと思うけどなー」
どちらも譲る気が見られず、千尋が勘定を終えるまでそれは続いていた。千尋はお金を持って瑞希の部屋に入り、それから手ぶらで戻ってくる。言い合う二人の間を通りソファに再び座ると二人の会話も自然と小さくなった。
「じゃあ、あたしが決める。カンブは新人報告に、みっちゃんは今回の仕事の報告に行ってきて。明日の午後にアポイント取っとくわ。返事は?」
二人の手が無言で上がったのを見て千尋はすがすがしい顔で両手を合掌させて音を立てた。
「さ、10時には集合してよ、あたしは一回寝てくるから。二人とも寝坊しないでね」
そうはいっても時刻はすでに午前四時を回っている。半地下の小窓にもうっすらと外が明るくなってきているのがわかる。
仕事終わりはいつもこうだった。
朝まで反省会という名の酒盛りをして、そのあと誰がスポンサーへの報告をしに行くかを決める。だいたいは瑞希と通緒のどちらかがその役割だったが。そしてまた日が高くなり始めるころに集まって、臨時収入があった場合は千尋からそれを受け取り、それからは自由。千尋はだいたい部屋に帰り読書を堪能し、瑞希は報告書を纏めるか、寝るか、通緒は愛猫と出かけ、彼は一人でふらっと海までいっていた。
そんな日々が彼らにとっての日常だった。
あの頃も、今も、それはかわらない。
三人はすごく満足していた。
また、その日常を取り戻せた気がしていたから。
少しだけの寂しさと、少しだけの幸せと、自分の居場所を守ることができた自信。
あの頃を取り戻すことはできなくても、これからを手に入れることはいくらでもできる。だから彼らは生き生きと今を生きているのだ。