15
ようやく出番を迎えた野原。満を持して活躍しております。
九階の非常階段の扉を開け階下で騒ぎ立てる音がするのを聞きながら野原は階段を静かに上へあがっていく。十階で一度フロアに出ると廊下を見まわし、またさらに上へ。
十二階に出た時、数人の背広姿の背中がみえた。
各部屋のドアを見回しながら歩いている。明らかに宿泊客とは違う目的がありそうなのは確かだ。
スキップで向かう野原に気付いた男が振り返り、一瞬ぎょっとした顔する。
「おい、なんだお前?」
ドラゴンボールのキャラクターのお面をした少年が楽しそうに背広の男たちの視線を集める。
「おじさんたち、何か探してるの?」
ガキはさっさとお部屋でねんねしてろ、と言われお面の下の頬を膨らまし、野原はふと気が付いた。
「アレ?四人だけ?」
呟きに違和感を覚え男が一人詰め寄ってくる。同時に背後から声がかかる。
「おい、チビ、こんなところで何してる」
そう声をかけた男の視界から野原が消えた。
しゃがみ込んだ野原が男の足を払い男は転ぶ。他の男が襲い掛かる前に、床に手を付き跳ね上がり後ろ側から来たもう一人の顔面に一発入れてから男たちと少し距離を取った。
手に提げてあったビニール袋をポケットに無理やりねじ込んで構える。つま先で軽快に跳ね、ずれたお面を直した。
「お前、どこのもんだ」
立ち上がる男の質問には答えず、お面はぴょこぴょこと跳ね続ける。
無言の野原に対し大きすぎるその男たちは懐からナイフとナックルを出し臨戦態勢に入る。
「ここは俺たちのシマじゃない、静かにやれよ」
銃を使うなという指示だ。
ゆっくりと間合いを計る相手との身長差は三十センチ以上。体重差は相当だろう。柔道家のような体格の男たち六人は静かに野原ににじり寄る。
「相手の動きが鈍る程度」
ぼそっと野原はつぶやくと、大柄な男が仕掛ける前に駆けた一歩で一気に距離を詰める。身長差を生かし男の懐に入って顎、みぞおち、金的を一気に砕く。沈む男の影から突き刺さるナイフを上体を反らしてかわし、バック転でナイフを持つ手を弾いた。手を拳に換え振り下ろすが、野原には掠りもしない。空いた左膝横に三度の蹴りを入れ、崩れる上半身に決めの一撃を入れる。
ナックルをつけた男が一人ステップワークにジャブを入れて徐々に詰めてくる。どうやら、腕に覚えがあるらしく、しっかりと野原の動きを見て間合いを計っている。体格はさほど大きくはないが、リーチは格段に相手のほうが上。
お面の下で野原は笑みを浮かべた。こんなに動くのは久々だった。相手は強いほうがいい。その方が思いきりできる。
ナックル男のストレートを左手で受け流し野原も拳を伸ばす。が、リーチがおよばない。ストレートとジャブを繰り返す相手のナックルに触れないように拳を受け下がる。右ストレートが来る。素早く相手の右に入り腕を抑え空いた右顎に下から正拳付きを瞬時に二発。続く左フックを下げ払い、相手の両腕をクロスで固定し同時に左足で頭部を蹴る。ふらついた男の後ろから来るナイフをかわしてその場で反転し回し蹴りでナイフとナックル男の頭を床に叩きつけた。
小さな体からは想像もできぬ威力に男たちは怯む。だが、野原は休まない。
苛立ちと焦りから声を上げ突進してくる男をナイフを持っていた男の身体で受け止め、腰に重い正拳をねじ込む。倒れ掛かる男に飛び乗り後頭部を膝で突くと、きれいに頭同士をぶつけ男たちは床に転がった。
足元でナックル男が上げた顔を、踵で蹴り上げてから、ようやく拳を下ろした。
ナックルを受けた裂傷が腕に残るのを見てから、深く息を吐いて胸をなでおろす。
「アレ?動きが鈍るって、止めちゃダメなんだっけ?ま、いっか」
お面の首を傾げ、ポケットからずり落ちそうなビニール袋を取り出し、再びスキップで非常階段へ消えていく。
「ホントだ、リンゴ・スターっスね、キャンブ先輩」
耳元から聞こえた佐々木の意見に賛成したナナピオは非常階段から五階のフロアに出ていた。
遅れて非常階段から出た瑞希は持っていたアタッシュケースを力の限り七瀬へ向けてぶん投げる。運よくどこにも当たらず絨毯の床でそれは小さく跳ねた。
「ちょっちょっちょーっ!あっぶないジャンっスかー!」
言って振り向いた七瀬の目には背中から首を絞められる瑞希の姿が映った。
転がるケースを飛び越え、走る。
瑞希は男のつま先を踵で踏みつけ、腕を掴み背中から男を壁に叩きつける。男の足が半歩前に出たのを確認して左足を男の股の間に滑り込ませ勢い良く身を屈めた。男の体が宙を舞う。
その瑞希に伸びる別の男の腕を七瀬がつま先ではじき、瑞希の背後に回った。瑞希の投げた男が膝の埃を払い立ち上がる。
「おいおい、ずいぶんと舐められたもんだな。そろそろ領分ってものを教えてやろうか」
ナイフを手に、向かってくる。
瞬時に振り向き七瀬の両肩を掴み、交代、と立ち位置を入れ替えた。
瑞希側には四人、七瀬側にはナイフの男が一人。
日本刀に対し、ナイフの男は立ち止まったが、しっかりと鞘と下緒を握り、鍔に親指をひっかけているのを見てニッタリと糸を引くように笑う。
「それは飾りなのか?それとも怖くて童貞君は一人で抜けないのかな?」
勢いよく男がナイフで突きを繰り返す。鞘で全てを受け止める七瀬は男の顔から目を放さない。
「ナナピオ、童貞じゃないとこ見せたげたら?」
瑞希の指示で七瀬は表情を変える。眼光鋭く相手の目を睨み、緩んでいた口元を固く結んだ。
鞘の小尻で相手の左肩を付き相手がよろけた隙に左手で鞘を引き、はばきからつながる刀身をあらわにした。切先を喉元に向け刀を裏返す。
相手の初動など構いもせず、一歩前に出ると棟で腕を二か所打つ。力任せに振り払うナイフが七瀬の手の甲をかすめた。
瑞希は腰ベルトからおもむろに小型ヌンチャクを出してぐるぐると振り回し始めた。徐々に振りを大きくし、体を反転させ勢いをつけ叩きつけるが先頭の男はしっかりとガードポジションを取っている。相手のパンチを腕で受け止め、ヌンチャクを持ち替え脇腹に入れるが、下から来る拳を避け体制を崩す。その隙に一人がバタフライナイフを取り出したのを視界に入れると瑞希は七瀬を呼びつける。
ふいに鞘を持つ左手を引かれ七瀬と瑞希はまた場所を入れ替えた。
だが、入れ替えても瑞希の目の前にあるのはナイフに他ならない。
「ナイフが怖いのかよ、お坊ちゃん」
男たちが笑う。
七瀬は構うことなく、眼前の男四人の中に切り込んでいく。ナイフが二の腕をかすめたが気にはせず、七瀬が向かったのは一番後ろで拳銃を手にしている男だった。
左から切りつけるナイフを鞘でかわし、刀の棟で拳銃を持った手を切り上げるが、グリップではじかれる。が、そこに左から鞘をぶつけ、小さく回転して柄の頭でさらにもう一撃。落ちた拳銃を足でけり飛ばし、首筋に棟で一本を入れた。白目をむき倒れる男の身体を蹴り上げ反動で背後から走る男の頭上を飛ぶ。着地と同時に鞘と棟で男の首を挟み打ち、瑞希のいるほうを向きなおった。
敵はあと三人。
男が銃を抜くより早く、七瀬は鞘を逆手から順手に持ち替え投げる。そのまま相手の間合いに踏み込むと二の腕と膝を峰打ちし、崩れた頭部にハイキックを入れた。次の間、倒れた男の背後から重く乾いた銃声が耳に届く。
その音に瑞希は振り返らない。瑞希はヌンチャクを振り回すのを止め、左手を腰に回した。
瑞希の肩越しに崩れる日本刀を見ながらナイフを持った男が笑う姿に嫌悪感を抱く。
「お前らが相手にしてるのはマフィアなんだぞ」
そこまで言うとでかい唸り声をあげて男は膝から崩れ落ちる。唸り声の前に甲高い乾いた銃声がフロアに響いていた。瑞希の左手に握られているのはグリップに黄色いビニールテープを巻いたグロッグ18。男は太腿から血を流し喘ぐが、瑞希の背後を見て痛みに耐えながら笑顔を作った。
「銃を下ろせ、お前は後でゆっくりとなぶり殺してやる」
瑞希に銃を突きつける男の背後で布がこすれる音が聞こえた。瞬間、男は左半身を勢いよく壁にめり込ませる。
「よし、駐車場に降りよう」
グロッグを腰ベルトに挟め、瑞希は服の袖を軽くほろう。
「俺のこと心配しないんスか?キャンブ先輩」
「そんだけ動けてれば問題ないでしょ。しかし、実戦初にしては動けるねーナナピオ」
太腿を抑え倒れこむ男の横を素通りし、先ほど投げたアタッシュケースを拾いに行く。男が何か言っているが瑞希と七瀬にはどうでもいいことだった。
あとは、退路の確保だ。
七瀬は刀を鞘に戻し、竹刀袋を被せてエレベーターに向かう。