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「全員まずは上杉の車で移動ね。いったん離れた地点で、通緒はタクシーで現地へ、俺と七瀬は地下鉄で移動」
そういった瑞希に対して野原が、僕は隠れてるね、とブイサインをした。
午後九時全員が目的地に向かって動き出す。
千尋は聖龍社の社長からプレゼントされたアイビスホワイトのアウディQ5(中型のSUV車)で一足先にホテルの地下駐車場に着いた。
黒のハイヒールを車から降ろし、すらっと伸びる足にフレアラインのネイビースーツ、ホワイトのハイネックシャツを着た千尋は右手で髪をサイドに撫でおろした。黒ぶちの細い眼鏡をかけ助手席から鞄を取り上げると、一度後部座席を確認し、ドアを閉めた。
ホテルの受付を済ませるとラウンジの窓側に座りノートパソコンを広げ本日の「仕事」を始める。パソコン上で広告のデータとメール画面を開く千尋の今日のテーマは印刷会社の営業。パソコン画面にプライバシーフィルターをセットし、ドリンクを取りに席を立った。
今のところリストに載っていた人間は現れていない。
紅茶を入れてゆっくりと席へ戻って足を組みメールを送る。「お忙しいところ恐れ入ります。まだ原稿の校了が終わっていませんが本日中にお返事をいただけるでしょうか?」。
地下鉄でそのメールを確認した瑞希は野原にSNSでメッセージを送った。「まーだだよ」。
千尋のアウディQ5の後部座席の足元からひょこっと顔を出した野原はメッセージを確認すると、椅子の下から真ちゅう製の指示棒を出して先にチョークを巻き付けた。静かに車から降り、指示棒の長さを最大限に伸ばしてしゃがんだ状態でぐるっと駐車場を一周するとまた静かに車内に戻る。
時刻は九時三十分になり、千尋は再びメールを送る。「お忙しいところ恐れ入りますがTシャツのデザインが出来上がりましたので確認をお願いいたします。デザインの種類は6パターン用意いたしました。よろしくお願いいたします」。
地下鉄出口に立ち止まる瑞希は右手にアタッシュケースを持ち、左手でスマートフォンを操作しメッセージを送る。「Tシャツは6枚」。
それからややしばらくして千尋がメール画面を開く。「ご確認ありがとうございます。さっそく印刷に入らせていただきます。納品予定日の20日ころには出来上がりますので今後ともよろしくお願いします」。
「ターゲットは二十人くらいだって、頑張ってナナピオ」
メールを確認した瑞希は隣にしゃがむ七瀬の持つ竹刀袋をつま先で小突いた。それからSNSで野原にメッセージを送る。「もーいーよ」。
SNSのメッセージを既読に変えて、スマートフォンを座席のポケットに入れると静かに外の様子を窺う。予想通り入庫した時間から車の台数が増えている。駐車場内に人気がないのを確認して今度は大きな黒いナイロン袋を持って車から降りると、先ほどと同じように駐車場内を回りだす。後輪タイヤにチョークの跡がない車の横で素早くそこにタイヤロックを取り付けていく。台数は全部で八台になった。
余ったタイヤロックを車に戻し耳に小型通信機をつけてスイッチを入れてから、座席のビニール袋を持って今度はホテルの非常階段へ上がっていった。
ラウンジで紅茶を飲む千尋はかかってきた電話に出た。
「はい、佐藤です。今からですか?わかりました、なるべく急いで向かいます」
ノートパソコンを片付けすっと立ち上がり、ラウンジを出ると受付で今日の宿泊予約をキャンセルし、足早に車に向かった。
千尋と入れ違いでホテルのロビーに到着した瑞希と七瀬がエレベーターホールに出ると昨日見たガタイのいい男が四人、二人を囲むようにして現れ非常階段へ案内する。
「アレ?今日の場所は最上階だよね?階段で行くの?」
わざとらしく言ってのける瑞希の腕を掴む男の手に必然と力がこもった。それを感じ取り瑞希はさらにおしゃべりを続けた。
「昨日は災難だったね。昨日の人たちは病院通いに忙しくてここには来れてないのかな?」
男は懐から鉛色の銃を取り出すと瑞希と七瀬の背中にしっかりと銃口をあてがった。
「昨日の続きをしようじゃないか?なぁ、小僧」
そう言って男が非常階段のドアを押し開けると隙間から黒の背広が滑り倒れてきた。
男たちに驚く隙を与えず瑞希が扉を開き切ると同時に中から野原が飛び出してくる。かがんだ瑞希の上を野原の左足が通過する。瑞希の腕を掴んでいた男がそのまま床に倒れこんだ。
七瀬は竹刀袋を背部から回し男たちの銃を払い落とす。一人目の腹部を付き、二人目がつかみかかってくるのを避けて非常階段に押し入れた。
竹刀袋の端で前後の男の喉と股間を正確に狙い、声の出ない状態にしてからもう一人のネクタイを引っ掴み強引に非常階段の中へと引き込んだ。男はそのまま階段の手すりに頭を打ち付け倒れこむ。
床に転がる銃を拾い上げ瑞希が続いて中に入ると野原も蹴り倒していた男を引きずって非常階段の扉を閉めた。
中にはすでに野原が倒したであろうSネットバンク側の人間が二人、壁に寄り掛かり口元からよだれを垂らして寝ていた。
「ノンタ」
銃の弾倉を床に落としてから瑞希は野原の顔を見る。
「ごめんなさい。でも、邪魔だったんだもん」
野原は顔を下げたまま謝罪と言い訳をつないだ。ため息の後に、Tシャツさっさと片付けろ、とだけ言い残して瑞希は階段を駆け上がっていく。七瀬もそれに続いた。
野原は非常階段から出ると、エレベーターホールへ向かう。
通緒は一階の喫煙ブースで静かに煙草をふかしていた。
千尋がラウンジを出て、瑞希たちがエレベーターホールへ向かうところを見届けて、まだ、動かずに、ゆっくりと。
それからしばらくして、野原がエレベーターに乗るところまでを見届けてから時間を確認する。
時刻は二二時。頃合いの時間だ。
煙草を巨大な灰皿に滑り入れると胸ポケットの煙草の残り本数を確認してから喫煙ブースを出る。
野原の乗ったエレベーターが九階で止まったのを確認して別のエレベーターで最上階を目指す。
七瀬がトントンと息も切らさず階段を駆け上がっていくのを後ろから瑞希は羨ましそうに見上げた。ため息なのか深呼吸なのかわからない呼吸をつく。
「このホテルって十四階建てっスよね?そこまで一気に駆け上がるんスか?」
速度を落として登り続ける七瀬は振り返らず質問する。
「大丈夫だよ、上までいかなくてもアッチが勝手に降りてきてくれる。あんまり上に行きすぎたらまた脱出まで時間がかかる」
ふぅ、と息をついた瑞希の右側の扉が勢いよく開く。相手を確認もせず瑞希はドアにかかる腕を掴み捻り上げた。背広の男が低い悲鳴をあげる。
「いたぞ。四階だ」
その声を聞いて、あれだけ急いで登ってもまだ四階分しか登れていなかったことに瑞希はがっかりする。
ねじり上げた男の後頭部を七瀬の日本刀の鞘が叩き落し、向かってくるもう一人を無視して瑞希はまた階段を上った。非常階段の上から数人の男の足音と声が聞こえてくる。
後ろに一人を残したのは銃撃戦をなるべく避けるためだった。挟み撃ちにされれば逃げ場はないが相手の余裕から油断を招くことができる。