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おやすみ の 10話。
あのころの子供だった彼らと、今の彼らは全く別物だが、きっと何も変わっていないのだろう。
ご飯を食べ終わった七瀬がようやく皿洗いを終えるころに瑞希と野原がようやく部屋から出てきた。野原は終始楽しそうにぴょんぴょんはねながら食卓に着いた。通緒は二人の麦茶のコップに氷を入れて台所に移動すると、戸棚の煙草のカートンから一箱取り出し吸い始める。
「通緒用?これ、冷めてるけど」
「You’re late. Eat what you’re served, no buts about it. (お前がおそいからだろ。いいからさっさと食えって)」
珍しいことに通緒が家に戻ってから吸った煙草はこれが一本目だった。車をいつもの聖龍社のガレージに置いてきたときに忘れてきたのもあるが、隣でさんざん腹の虫を聞かされれば食事支度を優先させるほかなかった。
「We’re lacking time. Got it? (時間ないんだぜ。わかってんのか?)」
深く煙草をくわえたまま煙とともに吐き出した台詞に苦笑いを乗せて瑞希を見やる。
自分のスタンスは崩さない。それは瑞希も、千尋も、もちろん通緒も同じだった。
どんなに切迫した状況でも、場に飲まれていてはこの世界では生きていけない。
望んで進んできた道ではなくても、選んだのは自分だから。
「生きたいなら自分で選んで進んでかなきゃ意味がない。誰かに言われてその通り生きてもそれはきっと自分の人生じゃないから満足なんて絶対にできっこない。俺は通緒と瑞希と千尋が好きだからここにいるんだよ。お前だって無敵のヒーロー諒ちゃんマンのこと大好きでしょうよ。ほら、愛がにじみ出ていますよ」真面目なのかふざけているのかわからない言い方は彼なりの照れ隠しだったのかもしれない。通緒はいつも言い返す気力を削がれ、彼の勝ち誇った笑いだけが響いた。
「あのッ!」
食事を食べ終わった野原が、まず先に話しかけに行ったのは通緒だった。
「What the hell? (なんだよ!)」
キッチンのカウンターチェアでコーヒーを飲みながらゆっくりと煙草を堪能していた通緒は急に詰め寄ってくる自分より三十センチ以上も低い身長の野原に困惑した表情を向けた。
ついでに吸っていた煙草の灰も足元に落とした。舌打ちが出る。
「今日の作戦変更について何か事前に言っておくことはできなかったんですか?」
「は?なんだよそれ」
相手にしようとせず、通緒は身長差を生かしてその場を離れようと椅子から立ち上がった。
「待ってください。あの時点での作戦変更は先輩方を見ると慣れているようでした。と、いうことはアレは予測できた範囲内ってことですよね?」
立ちはだかる男児に真上から煙草の煙を吹きかけ、お子ちゃまは黙って指示に従ってろよ、と軽くあしらうが、野原の表情には引き下がる気は見当たらない。
「僕たちは初めてなんですよ?現場で予想なんて立てられない、その場で言われてついていくのがやっとです。事前のフォローはできる限りしてもらわないと」
途中で口をつぐんだのは通緒の表情を見たからだった。怒りでも苛立ちでもない、ただ真っ直ぐに野原を見つめていた。
「俺らがプロ集団だとでも思ってるのか?俺は高校生、お前とは三歳しか違わない。ここは日本で、アメリカのスラム街でもない」
キッチンテーブルにいる瑞希は黙って二人のやり取りを聞く。千尋は瑞希のその様子から安心してソファで雑誌のつづきに視線を落とした。
「俺は俺の居場所を守るためにここにいる。この場所を守るためならなんだってする。そう思って動いてるだけだ。はじまったら予測なんて立てらんねーし、そんな先のことまで俺は考えてない。今、どう生きるかだ。お前が選ばれた理由なんて知らねーけど、自分がここにいたいって思えないんなら無理してここにいる必要はないぜ」
野原はしばらく黙って通緒を見ていたが、なんとなくわかりました、と口にして静かに瑞希の向かい側に座りなおした。
「みっちゃんが素直ね」
そういって雑誌を片付け千尋は微笑んでいる。
「大人になったなー、通緒」
「なんだよそれ。褒めてねーだろ」
悪態をつきながらも通緒も笑っていた。さてと、と瑞希が腰を上げると、それぞれが一斉に動き出す。
「アレ?なんスか?始まります?」
トイレから戻った七瀬は遅れて準備を手伝いだした。
ここにいる理由を探していた、あのころ。ここにいることが不安だったあのころ。ここにいてもいいんだと気づかせてくれた、あの時。かわらないものを守るために。自分たちの信じる道を生きるために、変化を恐れないでいようと思った。
遊びのつもりだった、ふざけただけだった、子供だから許されると思った、そんな言い訳は通用しない世界だった。ひとたび足を踏み入れてしまえば、そこはすでに日常ではなかった。
今までどれほど甘えていたか、どれだけのものに守られていたのかを思い知った。
同時に守りたいもの、守るべきものがみえた。決して奪われたくないもの、失くしたくないもの。
幸い、周りの大人は柔軟な思考を持っていた。使えるものは何でも使う、要らなくなったら捨てればよい。だが、そんな大人の考えを子供だった彼らは真剣に受け止めた。自分たちを必要な存在にするために彼らは大人を使うことにした。欲しい知識を手に入れ、欲しい技術を身に着けた。さすがに才能も少しは作用していたように見えたが、生きることを第一に考えた彼らの努力と行動は間違ってはいなかったのだ。
あの時、彼はただパソコンで何ができるのか試しているだけだった。
あの時、彼は外で聞こえた銃声が本物かどうか見に行っただけだった。
あの時、彼は友達の家に遊びに行く途中だった。
あの時、彼女は何も知らず観光バスに乗っていただけだった。
いくつもの選択肢から生きることを選び、自由を求め、出会い、ともに戦うことを誓った。
子供だった彼らができるのは従うことではなく、抗うことだった。
あのころから、何も変わっていない。いや、常に変わっていっているのかもしれない。変化を恐れず、止まることを知らず、ずっと動き続ける時のように。