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01 He is who he is=しょうがない

 未来は未知数だ。


 誰もが夢を持てる世界。


 さほど遠くもない未来、必ず出会わなくてはいけない予言。


 彼等はじき現れ世界を塗り潰していく。


 出会いは必然で、別れは運命か。


 応える者はいない。


 探す者すらも。


 過去へ向かう者、未来へと進む者。


 その両者とも違えた彼ら。


 人になびかず、社会には納まらず、信じる道を歩いてきた者たち。


 あなたは、「nightmare」を知っていますか?




 ────────




 桜の木には花がなく、太陽の光も地熱を帯びるにはまだ足りぬ四月。

 校庭の桜並木には依然蕾すらなく、入学式を控えた高校としては些か物足りぬ景色だった。

 不満気に枝を見つめる少女の隣では、ニットキャップをかぶった少年が幹に寄りかかり、まだ整っていない芝生の上に腰掛けていた。

 風が強く、木々のざわめく音が辺りを通り過ぎてゆく。

 立ったまま少女は、チラ、とニットに目をやるが、未だ動く気配は感じられなかった。

 もしかして寝ているのだろうか。少女の角度からは顔の表情までは見えない。

 校庭に出てから小一時間が経過していた。口をつぐんだままの少年から視線を校舎に移す。

 ほとんど生徒は残っていない。本日は始業式。翌日には入学式を控えている。新入生と入れ替えに明日在校生は休みだった。

 校内に残っている生徒は、明日の準備をしている生徒会役員と放送局員、と、あと一人。

 少女の視線の先にあったのは化学準備室。通常は化学教師のたまり場となっているそこは放課後の人気はほとんどなく、一部の生徒の隠れた休憩所となっている。

 いぶかしげな瞳で見つめる先の窓辺から、一筋の煙が出ていた。風に混じった煙草の匂いに眉をしかめ、少女は唐突に口を開く。


「まだ逃げてるのかしら」


 枝から漏れた陽の光が生まれつきの栗色の髪を一層明るく染めた。

 少年は顔を上げず少女を見たが、逆光に目を背けたのか帽子をさらに深くまで下し、いや、とかぶりを振った。

 依然少女からは帽子しか見えず、真意を読み取ることができない。

 ゆっくりと立ち上がった少年は、スウッと息を吐き、パンッ、と音を立てて合掌してみせる。それを見つめる少女は寂しそうな笑顔を見せていた。


「さて、あいつを説得しないとだ」


 帽子を目深に被ったまま、少年は校舎へと歩き出す。小走りで続く少女の胸元まである髪を小気味良い風が梳いていった。



 過去も、未来も、一度しかないのだ。無論、今も。

 一度しかない時を彼らは一緒に生きると決めた。決して諦めず、逃げ出すことなく、共に立ち向かうことを誓った。たとえ傷つき倒れても、独りではなく、仲間と一緒に、最期まで。

 だからこそ彼らはこの世界を生きているのだ。



 ため息がその空間を埋めるのに、時間はかからなかった。

 さほど広くはない化学準備室。窓辺に寄りかかる学生服は、右手に煙草、左手に缶コーヒーを持っていた。

 口元まで伸びている前髪に煙草の火がつかぬよう、器用に吸うその姿はかなり手馴れたものだった。足もとに延びる自分の影に視線を落とし、深く、溜め息を吐き出す。紫色の毒素と供に。


「Well, spring is here again. (また、春が来たぜ?)」


 煙と共に漏れた独白はその室内に響くことはなく、壁にかかる時計の音が鳴き続けるだけだった。椅子から投げ出された足を戻し、吸殻を缶に詰め込んだ。表情は明るくない。

「空き缶」を分別ゴミ箱に捨て、窓を閉めた室内には、薬品とアルコールの匂いが残り、少年がいた形跡は何一つ消えていた。

 一歩ずつ歩く両足が、鉛のように重くなっていく感覚が少年の脳を侵食していた。

 準備室を出ると校舎の端まで伸びた廊下があり、放課後の誰も通らぬそこを、影と一緒に歩いているうち、そこが異様に長い、永い道にみえてくる。

 後ろに戻ることもできず、先に進めど出口はなく。ただ永い道だけが、永遠と続いているように思えてきてしまう。

 息をつめた表情のまま、足が止まった。

 呼吸ができないわけではなかった。

 肺が、空気を感じていないような、渇いた喉が掠れた音を奏でているのがわかった。


(ああ、またかよ)


 ─────・・チオ・・・


 目を閉じ両の足に力を入れる。


(まだ、大丈夫だ)


 ふらつく身体を立て直し、ゆっくりと肺から息を吐き出した。

 まだ、倒れることはできない。約束は果たされていないから。

 ぽっかりとあいた暗闇を睨みつけ、再び大気を吸い込んだ。大きく、全てを呑み込む勢いで。

 誰でもたまにはあるだろう、自分のつくりだした闇に落ちるときが。落ち込み、這い上がることもできず、永遠と沈み続ける感情。

 たいがいの人はソレが片足くらいで立て直す、我に返り日常を取り戻すだろう。そしてそれ以上すすまないように、追われるように日々を過ごす。

 彼はすでにソレが全身に渡っている。全身を暗闇に侵食させ、融けた細胞のまま進んでいるようなものだ。

「形のある状態で腐った現実を生きるよりはマシだろ」と、彼は以前言っていた。傍らで、「そうだね」と寂しそうな声がしていた。


 ─────・・・ミチ・・オ・・・


通緒(みちお)?」


 ハッとして見上げたところに二人がいた。声をかけたのはニットキャップの少年の方だった。

 向き直った少年、「通緒」は、相手が再度口を開くより先に答える。


「ああ、大丈夫だ」


「そ?じゃ場所移して話し進めるよ」


 少女は一歩下がったところで黙っていた。


「必要ねぇよ。考え直せ、瑞希(みずき)


 長い前髪の間からニット帽を見る目つきは穏やかではない。

 わざとらしく「瑞希」は溜め息を漏らしてみせる。


「通緒、お前、いつまで」


「ああ、引きずってるよ。悪いかよ!」


 憤りを隠すことを知らぬ右手が、廊下の壁に打ち付けられる。だが、その瞳はすがるように瑞希を見ていた。

 口を出そうと一歩踏み出す少女の足は、瑞希の片手で止められる。


「目の前で、手が、届いたのに、・・・俺は、何もできなかった。・・・なにも」


「上杉」


 急に名前を呼ばれた少女は、顔を上げ真直ぐに瑞希を見るが、出された合図は「席を外せ」だった。「上杉」は言いかけた言葉を呑み込み、音を立てずその場から離れた。

 残される者の痛みは、知っているから。


「お前が言ってることは正しい。けど、俺はまだ自分を許す気にはなれないんだ。俺は・・・まだ、怖いんだ」


 通緒は瑞希の顔を見ることができずに、頭をうなだれた。伸ばした左手で通緒の後頭部を包み、瑞希は自分の肩へと誘導する。頭に乗せられた熱のある重みに、通緒は素直に従った。


「約束、覚えてる?通緒」


 瑞希の見据える先には光がある。


「失うことを怖れて前に進まないのは、死んでるのと同じことだ。違うか?」


 瑞希の左肩は微量な変化を感じとる。


「お前はあいつを裏切るのか?」


 ゆっくりと息を吐きながら通緒は顔を上げた。通緒の見つめる先、瑞希の背後に光はなく、ただ二人の影が永遠と伸びているだけだった。

 片手で瑞希の肩から身体を引き剥がし長い前髪をばらつかせかぶりを振り答えると、小さな溜め息が瑞希の口元からこぼれる。


「細かいことは、明日、な?」


 無言のままの通緒の背中を叩き、瑞希はスマホに目をやる。連絡がないことにホッと息をついて、[通話]をタップした。


「もしもー?上杉?」


「いるわよ、ここに」


 スマートフォンの音声と生声がダブり、瑞希が目線を投げた先に上杉はいた。紺色のスクールバッグを肩に下げ下駄箱に寄りかかる上杉の足元には二人の鞄が揃っていた。

 少し機嫌の悪そうな少女を見やり、通緒はふと口元を緩めた。


「Thanks. (ありがと)千尋(ちひろ)ちゃん」


「悪いと思うなら、今日の食事当番代わってくれる?」


「Will do. (了解)」


 すんなりと罰を受け入れた通緒の瞳に曇りはなかった。

 奇妙な力関係の三人は「今を一緒に生きること」を誓ったかつて四人だった仲間だ。




 日常会話で英語が出てしまうのは「安彦通緒(やすひこみちお)」の癖だ。幼児期から五年前までアメリカのニューヨークに住んでいた彼は未だに英語のほうが口に出しやすいという。親のいない通緒はニューヨークで一緒に住んでいた叔父の勧めで中学生のころに日本に帰ってきていた。

 日本が戦争に参加してから十数年。憲法第九条を改訂し非武装国家を辞めた日本は二十歳を過ぎて国家資格を取れば銃火器を携帯できるようになり、次第に欧米のような銃火器による事件も増えてきていた。だが、それでも、アメリカにいるよりは健全に過ごせるだろうと親権者である叔父に無理矢理帰国子女にさせられたのだ。

 最初はなじめずにいた日本の生活も、運よく同じマンションに住んでいた「斎藤瑞希(さいとうみずき)」と「上杉千尋(うえすぎちひろ)」のお陰で難なくリスタートできていた。


「千尋ちゃーん、カンブー親子丼できたゼー」


 マンションのダイニングルームに通緒の声が響き渡った。扉を一枚挟んだ部屋にいる「カンブ=瑞希」のうなずいた仕草は通緒に見えるはずもなく、千尋は通話中で返事を返すことはできなかった。

 それでも、まだ姿の見える千尋は良しとして、返事も聞こえず姿も現さない瑞希に対し、通緒の眉間に皺が築かれ始める。

 キッチンテーブルに三人分の丼が並べられ、サラダにお吸い物までついて食事の準備は万端整っていた。ようやく席に着いた千尋は、ごめんね、と手を合わせて謝ってくる。それで少しは和らいだように見えた眉間の皺だが、やはり完全に消えることはなかった。千尋との距離を確認し、通緒はポケットから出した煙草に音速で火をつけた。


「カーンーブー?そろそろ出て来いよ?」


 返答は、ない。

 チッ、と聞こえた舌打ちが、合図だった。ゆっくりと通緒は瑞希の部屋のドアを開け音もなく室内に侵入していった。見ていた千尋が小さな溜め息を漏らすと、がなり声が鳴り響く。


「Hey! How long will you make she wait? Eat it before it gets cold. (てめぇ!千尋ちゃんをいつまで待たせてんだよ!飯が冷めるだろうが!)」


 アメリカ訛りの英語で勢いよく捲くし立て瑞希が掛けていたコンピュータチェアーを反転させる。が、当の本人は表情を変えず、片掌にこぶしを乗せるヒラメキポーズをして見せた。


「そうか、ご飯が冷めるのは二の次か」


 うんうん、と頷きながら立ち上がり居間に向かうドアを引いた瞬間、獲物を捕らえるかのように通緒の腕が瑞希の左肩に掴みかかる。瑞希の身体は動きを止めた。しかし、引き止めた通緒の眼が捕らえていたのは瑞希ではなく瑞希が使っていたパソコン。


「Are you serious?(なんだコレ)」


「勿論まだ、お知らせはしないよ?」


 通緒がした曖昧な質問に、瑞希は最も的確な答えを返す。


「Hell Yeah.(当たり前だ)」


 真剣な眼差しの通緒に、少々面倒臭そうに瑞希は視線を投げた。


「今、ここで話してたら、上杉がさらに待つことになるけど?」


 勿論後回しにはできない内容だが瑞希の言うように最優先事項は決まっている。


「後でちゃんと説明しろよ」


 逃げないようにと釘を差し、煙草を消した通緒の視線は鋭かった。




 食事を終え通緒が三人分の洗い物を済ませるころ、テーブルの上には瑞希のiPadとビールが3缶、灰皿と数枚の書類が揃えられていた。

 翌日話す予定だった議題が、通緒の一言で早まったのだった。


「どうやら通緒もやっと納得してくれたみたいだし、明日、ニューフェイスをスカウトしに行きます」


「納得はしてないけどな」


「みっちゃん!」


 悪態つく通緒を一喝して、千尋は瑞希から書類を受け取る。一見して少し戸惑ったように、千尋は口を開いた。


「これじゃどんな人かわからないじゃない、写真はないの?カンブ。野原って子はわかるけど、この七瀬って子は男なの?女の子?」


 写真のない履歴書のような内容に眉を顰める。


「ってか何でもう決まってんだよ!相談なしか!独断で決め・・・」


 決めるなよ、と言おうとした通緒の目の前に出されたのはデザートナイフ。勿論食後のデザートタイムは終わっており、その意味は差し出した千尋の表情を見れば一目瞭然だった。


「みっちゃん?今はあたしがカンブと話してるのよ?」


 ナイフの背がいやに優しく撫でていく首筋がじんわりと冷汗を流す。黙れ、と言わんばかりの千尋の目付きはもはや女子高生のそれではない。ハイ、と大人しく座り直した通緒の態度に対し黙っていられなかったのは瑞希だった。抑え切れなかった笑いが勢い良く飛び出す。


「ブッブフフフフッハハッ」


「てんめっ!笑うなっ!つーか唾かけんなっ」


「通緒ホント丸くなったっつーか、ブブッ、なり過ぎ!」


 パンッ


「イッ」


 瑞希の音速平手ツッコミが入った太股を摩りながら瑞希を睨む目が潤む。だが、楽しそうに笑う瑞希を見つめる瞳はもう一組。瑞希の表情が固まり始める。


「カンブ?いつまで待てばいいのかしら」


 重たい視線を投げつける千尋にたじろぎ、瑞希は書類をかき集め出した。笑顔がひきつるが、アッシュベージュに染めた重たい前髪がメデューサの光線を遮ってくれた。

 ゴホン、と咳払い。


「まず七瀬京(ななせきょう)、剣道部元主将で全国一位の成績を持ちつつ家出?つーか出家?学力はまぁまぁか、家が道場で真剣も扱える、と。でーこっちの野原太一も同い年で金持ち。格闘技全般経験有りで負けず嫌い、通緒のやる気を引き出す係ね。ちなみにこの野原君はココに引越し済み」


「ちょっと待て。ココって!今いるのか?連れてこいよ!」


「だからー通緒はいつも突っ込むところ間違ってんだって」


 口を膨らませて反論する瑞希を見て、諦めたように通緒はため息を漏らす。無言で瑞希のiPadを使い、繋げたのは数年前に日本に進出してきた銃器会社、聖龍社のホームページだった。[今月のスケジュール]をチェックする通緒の横で千尋が通緒の言葉を代弁する。


「カンブ、これはあたし達だけの問題じゃないし、この子達の未来も左右することでしょ?それに今まで普通に暮らしてた人をあの人たちが認めると思う?」


 隣で通緒が何度も頷く。


「第一、会ってもいない子を決める基準がわからないわ」


「俺の見立ては間違ってないよ、上杉。それにもう、あんな思いをしたくないのはみんな同じだ。だからといって『使い捨て』なんてことは絶対に考えない」


「はぁぁぁぁ…」


 深く大きく、あからさまに通緒は溜め息を漏らし、何本目かわからぬ煙草に火をつけた。


「信じるしかねぇか」


 通緒が呟く。


「でも…」


「信じるしかねーよ、瑞希がこういう顔してるときは。で、だいたい間違ってない」


 言葉と表情が噛み合っていないのを、本人も十分知ってはいたが、これくらいは我慢してもらわなければやっていられなかった。

 それを口に出されたら嫌でも気付いてしまうから、彼が本気だということに。全てのことを考え最善の道を選んでいることがわかるから。


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