魔女預かりとします
女性は、自分のことを、この森に住む魔女のようなものだと告げた。
「魔女ですか。あの、魔女になるのは、資格が要るのでしょうか」
「あら、魔女になりたいの?」
「はい。貴方はとても幸せそうですので」
正直に話せば、女性は可笑しそうに笑った。それから窺うようにエイダの顔を覗く。
「貴方は幸せではない?」
「いいえ、今も昔も変わらず幸せですわ。でもこれから一人で生きていかなくてはならなくて、住む場所と職を探しているのです」
きりりと顔を引き締め、口をむんと結ぶ。決意に満ちた可愛らしい顔に、あら、と女性は目をぱちくりさせた。
「お家を出てきてしまったの?」
「ええ、そうなのです」
「旦那様は?」
問われ、この方は自分のことを知っていたのかしら、とエイダは戸惑う。しかしまあ、元来嘘を吐くことは苦手な性質である。
「おりますわ。でも出てきましたの」
女性は押し黙ってから、「そうなのね」と神妙そうな顔で頷いた。
「立ち行ったことを聞くようで悪いけれど、何か原因があるのかしら」
「それは勿論」
流石のエイダも、何の理由も無く出てくることはしない。答えにくい質問に対しても、にこっと花が咲くように笑ったエイダに、女性は少々困惑気味だ。
「それは、何かしら。例えば、旦那様が浮気をなさったとか?」
「よくは存じませんが、していないのではないかしら」
誠実な人となりを思い浮かべ、想像で答える。妻といえど、全ての行動を把握しているわけではない。
というよりも、基本的にエイダはユージンの行動を細かく見ていない──大まかに、領土の見回りをしているとか、書類処理に追われているとか、王へと謁見があるとか、そういうことは知っているが──ので、浮気しているかと問われても、よく分からないのだ。
「じゃあ、貴方の心に別の方がいらっしゃるの?」
「とんでもないことですわ! ユージン様ほど素敵な方はおりませんもの」
「……なら、何か許せない癖があったとか、そういうことかしら。それともお互いに引けない喧嘩でもなさった?」
「いいえ、いいえ、私などが我儘を言える立場でもありませんので」
恐れ戦くようにふるふると首を振るエイダに、女性はますます困惑の色を強めたようだった。
「では、どうして?」
その問い掛けに、エイダはにっこりと笑った。これまでで一番嬉しそうに。
「旦那様の幸せのために! 実は──」
そうして胸を張って語られた内容に、女性は初めぽかんとしていたが、やがて上品さからはかけ離れた、楽しそうな声で大笑いしたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ユージン=アッカーソンが戻った時、屋敷は既に落ち着きをなくしていた。聞けば、妻のエイダが城下町に向かったきり、帰ってこないのだという。
途中ですれ違った商人によると、彼女はひどく顔色が悪かったそうだ。しかし帰り道には彼女の姿は無かったので、行き倒れたわけでもない。普段人通りの少ない道だ。山賊だって出ない。だが城下町での目撃情報は一切無い。どこに行ってしまったのだろう。
送り出した門番によると、彼女は少し挙動不審だったようだ。付き添いを断って出て行ったらしい。「まるで夜逃げか、駆け落ちでもするようでした」と宣った門番にキツイ視線をくれてやると、青い顔をして黙った。冗談でも許さない。
「旦那様ぁ、奥様のお部屋からこんなものが!」
メイドがパタパタと駆けてきて、やけに分厚い紙束をユージンに差し出した。急いで持ってきたのであろう紙束は、くしゃりと皺が寄っている。
「…………」
エイダの直筆だった。証言、という名目で、つらつらと、長々と、ひたすらにユージンの評判が書き連ねてある。なんだこれは、と二枚目に入った時には既に辟易──というか、むず痒い気分──としていたが、貴重な情報源かもしれない。難しい顔をしながら、三枚目、四枚目、五枚目に移り、よくもまあここまで集めたもんだと思いながらひたすら読み進め──最後の文章で、ぎょっとした。
「なんだこれは! あの馬鹿は何を考えてる!」
思わず手紙をぐしゃりと握り潰した。いっそ破り捨てようかと思ったが、寸前で理性が働いた。
「大体、貴族の娘が一人で外に出てまともに生きられるわけが……」
「奥様なら、案外なんとかなると思いますよぉ。あの御方、ネジは飛んでますけど運が良いですし、愛嬌があるので今頃誰かに囲われているかも?」
「…………」
ビシッとユージンが固まった。
「メイドぉ! なに傷口に塩を塗ってるんだあんたはぁ!」
普段門の右に立っている門番がメイドに詰め寄り、左に立っている門番が固まったユージンを溶かそうと揺さぶる。
一向に戻ってこないユージンに、いっそ、どついた方がいいかと門番が棒を構えたところに──
「失礼します、大奥様からお手紙が届いております」
──執事がどこからかしゅっと出現した。神業のようだった。
うおお、と驚く門番とは違い、彼の優秀さを昔からよく知っているユージンはようやく魂を身体に収納すると、鬱陶しそうに眉を寄せた。
「薬草を届けるとか、果実を届けるだとか、そんなことだろう。今は構っている暇は無い」
適当に返しておいてくれ。ユージンがあしらうと、優秀な執事は「いえ」と静かに否定すると、いつも通りの穏やかさで告げた。
「義娘のことで、と言付かっております」
「なに!?」
絶妙な位置に差し出された手紙を素早く受け取り、早速封を解き目を通す。
『愛する我が息子へ
何の因果か分かりませんが、貴方の奥さんが我が家へ来ました。
家には帰るつもりはないと言っておりますし、わたくしも話を聞く限り、時を置いた方が良いかと考えます。
しばらくは押し掛けることも辛抱し、領主としてお仕事に精を出してくださいね。
貴方の幸せを願う母より』
「俺の幸せを願うなら、今すぐエイダを返してくれ……」
ずーん、と沈むユージンに、まあまあ大奥様も何かお考えがあってのことでしょう、と冷静な執事が慰める。
思えば昔から思い切ったことをする母である。逆らえばしっぺ返しを食らうだろうし、あの森は母の管轄である。おそらく門前払いで、本人に会わせてはもらえないだろう。
──どこぞの貴族のところにでも逃げ込んでくれたら、多少の無理を通してでも、連れ戻すことができたのに。
「エイダ様がいつ戻ってくるか賭けるか? 俺は三日だと思う」
「お、いいな。俺、一週間」
「一生戻ってこなかったりしてぇ、あははー」
大奥様のところにいるならいいや、という意識が働いたのか、途端に他人事になる部下たちに、「お前たちは俺の味方じゃないのか!」と泣き言を漏らす領主様。「味方ですけどぉ、それとこれとは別って言うかぁ」とやに間延びしたメイドの声が響く。
「執事さんは、エイダ様いつ戻ってくると思いますか?」
話を振られた執事は、表情を崩さないまま、答えた。
「一ヶ月ですね」
「一ヶ月? なんでですか?」
ぽりぽりと頰をかいた門番が、不思議そうに首を捻った。自分たちの予想よりも随分と長い。
「奥様が自ら戻ることはないでしょう。となると我々がいつまで辛抱できるかですが、……旦那様と貴方がたが耐えられるのは、最大でも一ヶ月です」
自信満々の予想は、結論から言うと、正解であった。
読んで頂きありがとうございます。
一話のみに関わらず、予想外にたくさんのブクマ・評価頂き、心臓が口から飛び出そうです。
こうも次話投稿が怖いのは初めてです。
未熟者ではございますが、少しでも楽しんで頂ければ幸いです。