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さあ、家出しましょう!

短編のつもりが、長くなりました。

 エイダ=アッカーソンは、手書きでまとめ上げた報告書を、ご満悦な様子で捲っている。その顔は、幸福そのものだった。

 かさり、と紙面が擦れる音がする。



証言①:商人

「ユージン様でごぜぇますか? はぁ、とても良きご領主様かと思いますけんど。先代と違って税も適切でさぁ。前のままでは、いずれこの領土は屍の山となっておりましたでしょう。ユージン様は救世主のような方ですわぁ」


証言②:門番

「ユージン様は、我々のような下々の人間も大事にしてくださいます。この前も労わりの言葉を掛けてくださいました。領地の見回りもしていらして、あんな素晴らしい方はいませんよ」


証言③:メイド

「いいですよねぇ旦那様! あの隙が無さそうな男らしい顔立ち。特にあの形の良いスッと通った鼻梁なんてワタシ好みですよお。声も低くて腰に響きますよねえ。いいなぁ奥様、あんな素敵な旦那様がいらっしゃって!」


証言④:執事

「幼少はなかなかにわんぱくな小僧でありましたが、歳を重ねるに連れ、領主としての責任と、貫禄が身に付いてきました。誠、喜ばしいことです。奥様、貴方様が嫁いで来られてから、護る者が増え余計に強くなりました。この老いぼれ、命に賭しても、最後まであの御方の傍にお仕えさせて頂きます」


証言⑤:子供

「ごりょーしゅしゃま、しゅきー」


証言⑥:…………


証言⑦:…………


……………………



 全ての証言に目を通すと、ふへへ、とエイダはだらしなく笑った。流石は旦那様だわ、と思う。

 それから羽根ペンの先にインクを付けると、紙の最後に「以上により」と付け加えた。スラスラと迷うこと無く書き進めていく。


『以上により、ユージン様(“旦那様”と書かれた後に二重線を引っ張り、修正されている)の有能さは、これ以上ないほど明白です。

 私・エイダがいなくともユージン様は立派なご領主様。つまり、私はお役目御免と考えます。


 追伸。

 執事様から“妻がいる方が強くなる”とありがたい助言を頂きましたので、ことが落ち着きましたら、後妻をお迎えくださいまし』


 完璧だわ、と自画自賛をしたエイダは、完成した報告書を机の上に置き、万が一にも飛ばされることが無いように、円状の文鎮を載せる。これは以前にユージンが贈ってくれたものであったな、と不意に思い出した。透き通ったソレは、日の光を通すとキラキラと光るのだ。

 後にも先にも、ユージンが物を贈ったことは無かった。そう考えると、持っていけないことは多少惜しい気はしたが、さりとて他に文鎮代わりになるようなものなどないし、想いを振り切るのであれば持っていかない方が正解であるようにも感じた。


 ──別に、贈り物が少ないから家を出るわけではない。


 世の中には、そういう女性もいるだろう。知人の夫人は、旦那から宝石やドレスなどを贈られては、「貴方の瞳に合いそうだからと、甘く囁いてくださったの」ととろんとした表情で語っている。いや、あれは贈り物自体ではなく、言葉に喜んでいる風ではあったが。

 ただ、夫婦の形は人それぞれかと思うし、お互いに納得していればそれで良いのだ。

 少なくともエイダは、高い金をはたいて自分の服飾系の物を購入することは不必要だと考えていた。人間には、“分相応”という言葉がある。この平凡顏に、高いドレスなど到底似合いっこないだろう。安くても装飾が好みなものはたくさんある。それが数着あれば十分だ。

(着替えは……持って行っても良いかしら)

 甘えであるようにも感じたが、実際問題、着替えも持たずに、というのは問題だ。いや、ドレスは要らない。もっと簡素なものがいい。となると市井で手に入れた方が良さそうであるが、いくらくらいするのか、箱入り娘であるエイダには、皆目見当も付かなかった。

 金の準備もできていないような有り様だが、勝手に出て行く身でこの家のものに手を付けることは、いけない気がする。結局エイダは、ほぼ身一つで出て行くことにした。



「奥様、どこに行かれるのです?」

 左の門番に呼び止められ、エイダは笑顔で「城下町まで」と答える。嘘では無い。

「そうですか。ではお供を付けた方が」

「いいえ、平気ですわ!」

 右の門番の言葉を遮り、慌てて首を振る。こんなところで計画が破綻しそうになるとは思わなかった。旦那様ことユージンはいつもの通り夜まで帰って来はしないだろう。「本当に、問題ありませんから」と強く念押しすると、エイダは軽い足取りで町へ向かって歩き出した。

 なんだか妙だとは思ったものの、まさかそのまま帰ってこなくなるだなんて思いも寄らなかった左右の門番は、顔を見合わせると、「何かサプライズでもするのかな?」「そうかもな?」とある意味間違っちゃいない憶測をしたのだった。



 さて、若干の冷や汗を流しながら屋敷を飛び出したエイダであったが、城下町に着く前に、はたと問題に直面した。日頃から城下町に遊びに行くことが多々あるエイダなので、既に結構な数と顔見知りだ。エイダが知らなくても、“ご領主様の奥方”だと知っている者が、ほとんどだろう。


 ──そんな中で、どう身を隠すというのか。


 馬車に乗って領地外へ逃亡、というのも難しいだろう。訝しんだ領民が、領主へ連絡するパターンだ。

 それでは駄目だ。エイダの目的のためには、決して連れ戻されてはいけないのである。


 完全に止まった足を、再び城下町方向へ動かす気は起こらなかった。

 うようよと視線を彷徨わせたエイダは、(はた)から見ると結構な不審者だった。その横を、馬車が通り──抜けようとしたところで、止まる。

「あっれぇ、奥方様でねぇか。こんなとこで何やっとんですかい」

 御者の席から身を乗り出した男は、綺麗な身なりをしている。彼は屋敷に出入りする商人である。エイダとも面識があった。

「あ……城下町、に行こうと思って」

「ほうですかぁ。でもちと顔色がよろしくないさな。今日はもう帰った方がいいんでねぇかい。乗せてきんしょう」

 訛り混じりの言葉に、ふるふると顔を横に振る。報告書まで書いて出てきたのだ、この程度の困難に負けるようではいけない。「大丈夫です」きりりと顔を引き締めたエイダに、「ほんならいいけども」と男は首を捻っている。

「無理はせん方がええですけんね」

「ええ、ありがとうございます」

 馬に鞭打ち、再び走り始めた馬車を見送る。しずしずと手を振っていたエイダは、馬車が見えなくなると、さて、と向かって左方向に視線を向けた。


 ──広大な森が広がっている。


 大きな、とても大きな大樹が一本、森の中央から突き出ている。大精霊の化身ともいわれる大樹を取り囲むように木々が聳えるその森は、魔女の森、と称されている。エイダは無言で、大樹を見上げた。

(町が駄目なら、森へ行けばいいのよ)

 もしそれを聞いた者がいたら確実に止めるであろう持論を展開し、エイダは道無き道へ足を向けた。



 静謐な空間を保っているその森では、時折遠くから、鳥の囀りが聞こえてくる。ぴーひゅるるー、とどこか間の抜けたようにも聞こえる鳴き声は、エイダを大いに楽しませた。

 当然、肉食獣や、大型動物が目の前に現れる可能性など、全く考えていない。

 なにしろエイダが知る森とは、絵本の中で見るような、優しい動物たちが集う場所であって、弱肉強食とは全くの無縁であったのだ。

 そんなわけで意気揚々と歩いていたエイダであったが、彼女は大変幸運なことに、食い散らかされる前に、ある一軒家に辿り着いた。

「森にも人がいるのね。私もここで生活できるかしら」

 こてりと首を傾げた彼女は、あくまで楽観的だった。ザアッと強く風が吹き、エイダのスカートの裾をひらひらと揺らす。ガサガサと葉が擦れ合う音がした。

 風の音が奏でたものだと思っていたが、一向に音は鳴り止まない。それどころか近付いて来ているようである。

 特に危険信号も鳴り響かなかったエイダは、音が近付いていることに気付きながらも、のんびりと音の主が姿を見せるのを待った。


「あら?」


 やがて現れたのは、穏やかな雰囲気を纏った婦人だった。年の頃は、エイダの母より幾分か上、といったところか。顔に刻まれた皺が上品さを醸し出している女性だった。

 穏やかな森で過ごす人は、やはり穏やかであるのかしら。エイダはちょこんと礼を執りながら、「こんにちは」と笑った。

「丁寧にどうもありがとう。さて、貴方は何故ここにいるのかしらね」

 女性はくすくすと笑うと、立ち話もなんだから家に寄らないかと持ち掛けた。




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