変化
「じゃあ、いってきまーす」
いつもならないいってらっしゃいは、今日だけ特別にあった。
「いってらっしゃーい!」
それは、明るい希望の声だった。私は幸せ者かもしれない。あー、でも、学校に行ったらいじめとかいうのがあるんだっけー。
めんどくさ。なーんてね。この私がいじめなんか気にするわけないし。いじめとかマジバカ。マジウザ。しかもしつこい。カラス並みにしつこい!
本当にウザいんだから。私は地団太を踏みながらも学校に向かった。逃げるのだけは嫌ですからね! あーあ、本っ当に面倒くさいんだから!
マジでバッカじゃないの!? 普通、そんなしつこくやる?
そう思ってるとき、目の前を私をいじめてる誰かさんが通った。名前も口にしたくないでーす。
いじめるとか、ちょっとヤバいんじゃないの。よっぽど頭がどうかしちゃってるんだろうね、可哀想に。
私は私の前を通り過ぎていくどこかのおバカさんに向けて、憐れむように目を細めた。
残念な性格だね、あぁいう人たちって。って、いじめられてる人がいじめてる人に同情するとか、心に余裕がありすぎじゃない?
少し歩くスピードを速めた。前を歩いている女生徒を抜かして、校門へとたどり着いた。もちろん靴箱の中は空っぽ。
張り紙は日常茶飯事なので、無視してます。どうせ靴箱使わないしね。靴も取られないためにかばんに突っ込んじゃってるし。
靴箱さん、ごめんなさーい。なんて、思ってもないけど。風が吹いて、スカートがふわっとなびいた。周りを見れば、豪快にめくれあがってるような女子もいる。
そういうのを見ると、日ごろの行いが悪いんじゃないのって思う。それは私もなのに、そんなこと起こらない。
じゃあ、日ごろの行いは関係ないってわけだ。それとも、私、風にも嫌われてる? なんちゃってね。
私は一人笑いをすると、靴下のまま階段を駆け上った。今日もまた始まるのかー、面倒な一日が。ま、ぶっ飛ばしてやろうかな。変な事されたら。
私は中庭を通って教室に行くことにした。いつもとは違うルートだ。雲ひとつない晴れた青い空を見上げながら、私は階段を上る。
あぁ、今日は何か、私の気持ちにそっくりの空だな。今私の心の中には、悩み事は一つもないから。
カツン、カツン。
後ろから階段を上る足音が聞こえてきた。振り向こうとしたけど、やっぱりやめる。めんどくさいしね、話しかけられたりでもしたら。私はそのまま教室に滑り込んだ。
後ろにいたはずに人は、いつの間にかいなくなっていて、そこには一枚の紙が風に乗ってとばされていた。
ちらっと見えた文字は“めない? ら、連絡してね!”みたいな感じ。たった2行の、それも端っこのところしか見えなかった。
取ってこればよかったかな……。気になる。でも、席に着いてからもう一度階段の方を見ると、そこにはなにもなかった。
私は気にせずに空のカバンを横のフックにかける。何なのか分からないけど、急に喉は乾くし、アイツらは何も言ってこない。いつものことなのかと言われればそうなのかもしれない。
朝は何もなかったりもする。でも、なんかちょっと違和感を感じた。
べしゃ。
後ろの方で、なにか、どろっとした液体がこぼれたような音がした。後ろを見ると、そこには5・6人の女子に囲まれた誰かがいた。
多分、女子だ。私の他にいじめられてる人なんかいたっけ? 思い出せない……。
何回かべしゃべしゃとさっきと同じような音が聞こえたけど、気にせず本を読んでいた。2週間くらい前に学校の図書館で借りたファンタジーものの本だ。
「あはははっ、なんで抵抗しないのかなぁ。でも、そっちの方がうちらはやりやすいけどねっ!」
香華の気持ち悪い声とともに、下品な笑い声が頭に響く。頭痛くなるんだけど。
下等な人間のくせに、なに迷惑なことしてんの? マジでウザい。
別に上から見てるわけじゃないけど、下等だ。バカなの? 何なの? って感じ。
何がしたいのか知らないけど、いじめとかくだらないことしてるバカと同じ空気なんて吸いたくないし、同じ空間にいたくない。
空気なんて、生きてる人間の共有するべきものなんだろうけどさ。あ、人間だけじゃないか。
バカな香華たちと生きるために人を食べる肉食獣、どっちが悪い?
はい、バカな香華ちゃんでーす。あぁ、私もついにバカになっちゃったよ……。
私は暇をつぶすために、色々やってみたが、やっぱり余計にバカになりそうな気がしてきた。やめたやめたっ。
私は机を思いっきり叩くと、本をそこらへんに投げ捨てた。クラスの人は皆、私の方を向いて、怪訝な顔をした。なんなの? 今まで、私なんてまるでいないみたいにしてたのに、今さら?
ウザい。そういうの、マジでウザいよ。そんな風に扱われるなら、空気でいい。
誰にも何も言われない、いてもいなくても同じ、空気人間になってもいい。面倒なことは嫌いなのに、なんで面倒なことを引き起こすような行動をしちゃうんだろう。
やっぱり、私ってバカ? うん、馬鹿だ、絶対バカだ。
私は立ち上がって本を拾うと、また席に座って、何事もなかったかのように本を読み始めた。
やがて、シンと静まり返っていた教室は、いつものうるさい教室に戻り、教室に入ってきた先生には、それまでの事なんてとても理解できなかった。
後ろのいじめらしきものなんて、いつの間にか音は聞こえなくなっていた。振り向いたりはしなかったけど、先生が何も言わないところを見ると、多分、いない。
洗いにでも行ったのかな? 一つ、席が空いていた。
一番窓際の、一番前。真ん中で前から四番目の私からしたら、普通に見える範囲だ。
しばらくして、後ろのドアが開く音がすると、それと同時に先生がヒステリックな声を上げた。
「どこへ行ってたのっ、上川さん! みんな心配してたのよ! それに、制服がびしょ濡れじゃないの! 何をしてたの?」
先生は同情してるのか怒っているのか、分からないくらい早口で叫んだ。誰も心配なんかして無かったよね?
思い込みにもほどがあるんじゃないんですかー。私は心の中で先生をののしっていた。上川さんとやらは、何も言わずに席に戻った。
上川さんはなぜか私の横を通ってから、自分の席へと戻った。その時、私の方に上川さんの体がぶつかった。
その衝撃で、髪から滴り落ちそうだった水が、私の肩に落ちた。彼女は気付いていなかったようで、そのまま何も言われなかったけど、私の肩には赤の絵の具を水で溶かしたような液体がついていた。
あいつら、何やってたんだろう? 絵の具を溶かしてかけてったのかな?
てか、ターゲット私じゃなくなったりとか、しちゃう系? な、何かそれはそれで嫌なんですけど……。
よし、現実逃避だ。こうして、私は授業中先生の話なんてものは拒否して空を見ていた。やめよう、現実なんて見ちゃだめだぁー。
深呼吸、深呼吸。すーはーすーはー……あぁ、何してるんだろうな、私。
そろそろ、やっぱり私はバカになってしまったようです。




