赤鬼⑦
どうして。何故。こんなことになったのか。
目の前の、彼を知っている。知っている、はずだ。
いつも笑っていた。ゆるく、目尻をさげた表情。軽快な掛け合いをして、馬鹿なやりとりをできる仲。意外と抜け目なくて、時に鋭い洞察力を発揮する。
けれど、根は善良で、まっすぐで、素直だ。
血で両手を赤く染め。
獰猛な笑みは、まるで獣のよう。
紅い瞳には、殺意の喜悦を宿して、雄々しい二本角はまるで天を突くように伸びている。
知己の姿も分からず、誰の声も届いていない。ただ殺すために刀を握る。
その立ち姿、その技量、その有り様。全て知らない。
今までの素人のような構えも、技術などありはしない様な稽古の振る舞いも、全て、全て、偽りだったのだろうか?
そんなはずない!
「クウキ!」
カータの傷口を開け、魔族を腕力だけで沈めた男に向かって、バレンティノールは声を上げる。
アルメスがカータに治癒魔法を施している。しかし、簡単に済むはずがない。魔族たちも同族に治癒魔法をかけているが、衝撃全てを癒やすには時間が必要だ。
だから、バレンティノールだけ。彼だけが、今、空鬼の目の前に居る。
呼び声に答えるように、空鬼がバレンティノールに向き直る。空鬼の手に収まっているのは、薄紅色の抜き身の刀。
まるで、計算され尽くしたような攻防だった。カータにわざと刀を上空に弾き飛ばさせ、油断を誘って、カータを昏倒させた。そして、刀が落ちてくる時間を合わせ、魔族が距離を開けるように牽制し、攻撃を防ぐ。
慣れている。
慣れている、その一言で済まないほどの、確かな技量。確実な経験。絶対の自信。
この場にいる誰よりも、修羅場を潜っている。
「クウキ・・・」
続く言葉が出てこない。
逡巡。
恐れ故ではない。どうすれば、空鬼を正気に戻せるのか。その為の手段を、取るべきなのか。
バレンティノールの葛藤が分かったのか、空鬼が刀を横一線に振るう。攻撃のためではない。
これで邪魔者はいなくなった、思う存分殺ろう!
そう、誘っているかのように。
喜悦に目を潤ませ、牙を見せるように唇をつり上げて、楽しそうに、嬉しそうに、殺し合える友を見つけたと、ただ喜んでいる。
命のやりとりを、心ゆくまで刀を合わせよう。出来るだろう?
そう言葉に出すわけではないが。ゆっくりと、刀を構える。
この世界にはない構え。
正眼の構え。
始めて見る構えに、誰もが素人同然の構えだと思った。ただ、正面の敵だけを見据えているだけの姿は、近所の子供が遊び半分で握った、不格好な構えに見えたのだ。
だからこそ、カータやシャルネスのように剣を使う者には、空鬼が武器屋で剣を構えた時も、キメラと戦う姿を見た時も、素人同然で、剣の扱いを知らないと感じた。
空鬼が稽古をつけてほしいと言ってきたとき、疑うことなく「ああ、やっぱり素人なのだな。あのときの戦いは運がよかっただけなのだ」と思った。
知らないから。
異世界のことなど。
異なる世界の剣術など。
ましてや、人を斬り殺すことに特化した技術であると。
思いもしない。
この世界には、魔物が居る。魔族が居る。魔王が居る。
故に、人同士が争い合う事など、滅多にない。国同士の争いがあるとしたら、よほどの特殊な事例だろう。だからこそ、この世界の人々の剣術は対魔物向けなのだ。
反対に、空鬼の世界では、人殺しの為に刀を振るう。
あやかし退治は、陰陽師らの仕事。
人が人を殺す。そのために、人はあやかしを利用する。あやかしも、人を利用する。戦場には、あやかしも人も混在する。
だから、空鬼も絶鬼も戦場を渡り歩いてきたのだ。
人殺しを続けてきたのだ。
正眼の構えから、その事を読み取れる者は、この場には居ない。
素人同然の構え?
そんなはずがない。数多の戦場を、血で血を拭う修羅場を、地獄そのものの戦いを。経験し蓄積してきた空鬼の戦闘勘に、現にこの場の誰もがついてこれていないのだから。
バレンティノールを除いて。
「ーーー」
彼だけは知っている。空鬼と同じような戦場を、修羅場を、地獄を。バレンティノールは経験している。
ゆっくりと息を吐いた。止める言葉が聞こえないのならば。取り押さえるしかない。
短剣を構える。決して届きはしないだろう。しかし、届かせる術がある。手段がある。気が進まないが、やるしかない。
クウキを正気に戻すために。
迷いながらも、覚悟を決める。
――お前を止めてみせる!
友達だから。久しく出来た友を、これ以上傷つけないためにも。この場で、決める。
その覚悟を読み取ったのか。笑った。
まるで誘うように、艶やかに。死線こそが甘美だと。
その笑みに誘われるように、一歩、踏み込んだ。




