赤鬼⑤
何も出来なかった。
否、何も理解できなかった。
先ほどまで、正門の先に居た。それなのに、どうして目の前に居るのか?
魔法石に組み込まれた魔術式は強固なものだった。それがどうして、ただの剣に切り裂かれる?
理解できない。
意味が分からない。
振り下ろされた剣先を見る。
ああ。死ぬのか。
それは、理解できた。理由は簡単。俺が、オニを怒らせたから。
だから、皆殺しにされる。
単純明快な理由。
俺も、そうしてきたから。
そんな人生を送ってきたから。そんな人生しか、送ってこなかったから。
目の前の光景がゆっくりになる。今までの人生が垣間見えるほど、時間がゆっくりと流れる。
ああ。俺。くだらないことを、してたんだな。
そんな思いごと、今までの思い出ごと、真っ二つに切り裂かれた。
◆
理解できなかった。
おそらく、この場に居る誰もがそうだろう。
魔法を使った様子はなく、距離を一息で詰めたこと。
魔術処理されていない、ただの剣で魔術式を切り裂いたこと。
それを、理解できるものなど、この場には居ないだろう。
例えば、ここに同族である鬼がいるとしたら(これは、空鬼と同じ世界の鬼という意味だ)、ああ距離を縮めたのは、鬼道の第十番台を使ったのだな、と分かったし。人の術など断ち切る、鬼気を乗せた一太刀だ、と理解できただろう。
しかし、そうではない。
ここは異世界。
この場所には、異世界の人々しか、魔族しか居ない。
異世界の技術など、誰も理解できないだろう。
できるはずもない。
だって、空鬼は誰にも何も言っていないのだから。
誰にも、何も話はしなかったし、培ってきた剣術も見せてはいない。氏素性すらも曖昧にぼかしている。
本質を誰にも見せていない。悟らせてはいないのだから。
根底にあるもの。
根本に抱えるもの。
根幹に包んでいるもの。
全て、人などに、見せるものか。
だから、この場で分かるのは、バレンティノールだけ。
彼だけが危うさを知っている。空鬼の怖さを知っている。
寂しい背中を、知っている。
見せている。話している。分かってくれているのは、バレンティノールただ一人。
だから、彼は間に合った。
◆
真っ二つにされた。
薄っぺらい人生ごと。くだらない人生ごと。
真っ二つに、両断された、はずだった。
そう思った。そう感じた。そうなる未来しか、なかったはずなのに。
目の前には黒髪の男。
その先に、切っ先を振り下ろしたオニが居る。
顔を触る。切れていない。
胸元を見る。切れていない。
目の前を見る。俺の仲間を殺したオニが居る。
オニが、俺を、見ている。
視界が暗転した。
◆
「落ち着け」
気を失った男を背中に庇い、右手をクウキに向けて、ゆっくりと語りかける。
「落ち着け」
それは、俺自身にも語りかける結果になった。心臓は爆発するぐらい、高鳴っている。
けれど、クウキを落ち着かせないことには、この状況は変わらない。
きっと、何かあったのだろう。こうなる原因があったのだろう。だからって、こんなことをしていいわけがない。
危険なことは、するべきじゃない。
「落ち着け、クウキ」
その言葉に、クウキがゆっくりと、目を上げた。
切っ先から、目線をあげて、俺を見る。いや、後ろの男を見たのか。それにしても、いやに冷静だ。
冷静な反応。
切ったと思った男は、後ろにいるのに。狼狽えることもなく、困惑することもなく。
淡々としている。
斬り殺せなかった怒りなどなく。逃げられた焦りなどなく。邪魔された不快も感じていないかのよう。
目線はピタリと男にあわせている。次いで、俺に向ける。
男を切る直前まで獰猛に笑んでいたとは思えない、無表情。
紅蓮の瞳に。紅色の二本角。深紅の髪。
赤いオニ。
瞳の色、髪の色共にいつも以上に赤く、紅く、朱くなっている。
魔物の血糊のせいじゃない。元から、この色だったのだと。今までが偽りであったのだと。それは、一目見て分かるほど。クウキに馴染んでいる。
ああ。心臓がうるさい。
停滞が辺りを包んでいる。
誰も、何も出来ない。呼吸さえも苦しいほどの、停滞。沈黙。
俺は、もう一度クウキに声をかけようと、口を開ける。
しかし、言葉は出ず、絶句した。
笑った、から。
俺に目線を合わせて。喜悦を滲ませるように。ともすれば、うっとりと見入っているかのように。俺に向けて嗤った。
絶句。
驚愕。
焦燥。
全てない交ぜになった感情が、渦を巻く。
――ぺろり
赤オニは、獣が獲物を前に舌なめずりするように、下唇を舐めた。
壮絶に。獰猛に。恐悦さえ滲ませて。
ともすれば、色気すら感じるほどの。
止められない。
止めることなど、出来ない。
出来るはずもない。
そう、直感した。
クウキが剣を後ろの男から、俺に向ける。
実際は、剣先は地面に向いたままだったが、態度が、雰囲気が俺に、標準を合わせるように。標的を合わせるように。変わったのが分かった。
敵として、俺はクウキの眼に映った。
「ーーー!」
制止の声をあげようとした。
しかし、その隙を突くように、クウキが俺に向かって、下段から剣を振り上げてきた。
俺じゃ、おまえを止められないのか?




