赤鬼
グロテスクな場面があります。苦手な方はご注意ください。。。
ゆらりと、体を持ち上げた。一歩前に進んだ赤鬼は、額のバンダナを取り外す。
外気にさらされた額には、二本の紅色の角が。
眼前の敵を射抜く瞳は、深紅に。
いつも気の抜けた笑みを浮かべている口元は、獰猛に笑んだ。
直観で動いたのは、枯れた枝のように細い体躯を持つルッツ。彼は、暗殺者としてこの場にいた。
依頼されて金をもらい、人を殺す。これは、ついでだった。もっと、大がかりな前準備のついで。そのために、くだらない男の、くだらない依頼を受けた。
くだらない依頼になる、はずだった。
それが、致命傷になるなど、思いもよらずに。
直観的に後退した。後退し、距離を取り、魔術で攻撃する。
目の前の鬼は、角を生やしただけで、獲物は無く。簡単に殺せるだろうと考えていた。だから、奪った武器を右手に持ち、左手をかがげるように前方に押し出した。
胴体が、がら空きになっているとは考えもせずに。
いつもやっている。当たり前に、人を殺している。変わらず、この技で簡単に殺せるだろうと思った。
そんな当たり前は、簡単に崩れ去るとわかっていたはずなのに。
懐に、鬼が、居た。
後退したのは瞬きの後。しかし鬼は動いていた。飛び込んでいたのだ。
敵の懐に。武器も持たず。
ルッツの動作が止まった。今まで経験したことのない事態に、対処が遅れる。それも、一呼吸程度だろう。右手の武器を離して反撃する。それだけの時間が一呼吸。
しかし、永遠に訪れる事がない時間だった。
「っ」
鳩尾を殴られた。衝撃で、奪った武器を離す。目の前に火花が散った。しかし、意識は失わず。
両足に力を籠める。倒れるわけにはいかない。
腕を戻して、反撃を。
流れるように思考した。
一瞬の停滞もなく。痛みで怯むことはなかった。慣れている。痛みに等。
ただ、遅かった。あまりに、遅すぎた。
赤鬼は、ルッツが取り落とした武器を、刀を掬い取り、上段に構え、振り下ろした。
一動作。
たった、それだけ。
ルッツは反撃も、防御もかなわず、脳天から真っ二つに切り裂かれた。乾いた小枝が、上下に切り裂かれるように。
彼は、己の視界がどうして、左右に分かれているのか、最期まで理解できなかった。
とさり。
軽い音。人一人、落ちた音としては、あまりに軽い。まるで、命など、軽々しい物だと言わんばかりに。
あたりに、静寂が下りた。
あまりにも非現実的で、暴力的なことが起こったことは分かったが。次、何が起こるが誰にも分からなった。次は、我が身だと、誰も理解できなかったのだ。
ふらりと、一歩。空鬼――赤鬼が前に進んだ。
そこには、染めたような赤髪の男が居た。何故、自分の前に歩を進めるのか、分からず、困惑したまま、鬼の動向を見守っていた。
ふと、視界が陰る。そして、ぐるう、と一回転し青空が見えた。
ゆっくりと、落ちていく視界。同僚の驚いた顔、地面に倒れた枯れ枝のような男-ルッツの死体、茶色い地面、赤い血を流す自分の体。
それらを、順繰りに見て、回転する視界に収めて――――
――――ああ。死んだのか。
感慨もなくそう思った。思っただけで、理解できなかった。
今までの人生の走馬灯を、地面を跳ねながら思い返して、首を切られた男ーハンスはその生涯を閉じた。
場が恐慌状態に陥った。
誰が初めに、悲鳴を上げたのかもわからないほど、混乱と恐怖と絶望が小さな孤児院の玄関先で、巻き起こった。
◆
悲鳴が聞こえた。けれど、子供たちは、決して玄関には向かわなかった。
危険な時は、隠れていなさい、とアルメスに言い聞かされていたから。大人がおらず、子どもたちだけのお留守番の時、約束事を守るように言われていた。
だから、クウキが心配だけど、言われた通りにしなくては。
年長者の子供たちが小さいく震えている子たちを放り出せるわけもなく、皆で一塊になって隠れていた。
アルメスが来るまで。アンネが来るまで。
隠れているようにと、約束を守るために。
それが、子どもたちにとって、本当に身を守ることになった。ここで、様子を見に、外に行っていたとしても、きっと、赤鬼は子供たちを正しく認識は出来なかっただろう。
目の前の敵を殺すことに、思考を赤く塗りつぶされた鬼には、声は届かなかっただろう。
哀れなのは、どこまでも、自分勝手に行動した男だった。
逃げ出したことは、何の意味もない。
逃げても追いかける。
追いかけて、殺す。
怒りに染まった赤鬼を止める、止められる青鬼は、側にいないのだから。
◆
「今日は一段と多いな」
討伐に参加して幾日もたっていないが、昨日よりも数を増している魔物を見ると、異常事態の深刻さが増している。
討伐しても、異常なほど増殖し、興奮している魔物ども。
共食いをしている魔物も少なくない。食料が足りないのに、数は増えるのだ。共食いも起きるだろう。
王族たちが、これを大っぴらにしたくないのは理解できる。けれど、もうそろそろ少人数で切り抜けるには限界だ。
増援、もしくは、大規模な魔法攻撃ができれば、事態は改善されるかもしれないのに。
「できる限り、街の人々の不安を煽りたくない」
王太子が言いたいこともわかるが、俺たちが全滅するような事態になれば、深刻さはより増すだろう。
それが分かるからこそ、魔族の言葉を拒絶しなかったのだろうが。
「考えがあるのでしょうね。王太子殿下とて、この状況を座して見るほど楽観視してはいないでしょう」
そうサァクスがそういうのなら、信頼もできるけど。
近日中にどうにかしてもらわないと、俺たちが持たない。
「魔物の群れの減少確認!引いていきます」
王太子の側近の一人が、魔物の動向を教えてくれる。ありがたい。
「今日は、このまま大人しくしててほしいぜ」
「そうですね。連日連戦は疲れます」
狼の森は今以上の魔物がひしめき合っていが、大規模魔術にギルドでも上位パーティーが複数組討伐にあたっていた。だから、ここまで負担もなかったが。
現地の部隊と、王太子府付きの兵士、俺たちのように一握りのギルドメンバーじゃ、立ち行かなくなる。
「ご苦労」
そんな中、どうして王族が居るのか理解もできないが。
「疲れているところすまい。どうも、後方にいた魔物どもの動向がおかしいのだ。協力者の話では、街に向かうのではないかと言われてな」
「ほう。協力者。ならば、協力者は加勢してくれないのですか?」
治癒に当たっていたアルメスが一番に、辛辣な問いを王太子にぶつけた。もちろん、その後ろに居る「協力者」にも向けた問いだ。
おいおい。首が飛ぶんじゃないのか?
「協力は仰いでいるさ。どこまで踏み込んでいいのかも聞かれた。ただ、私の権限では、戦闘行為を認めることは出来ない」
アルメスも予想していたのか、王太子の言葉にそれ以上何も言わなかった。背後にいる紺色のフードを纏った魔族は何も語らずにいる。
「しかし、手をこまねいてはいられません」
「ああ。分かっている。すぐ街に戻る。現地部隊を動かすわけにはいかないから、私の側近たちと、アテナの暁諸君。アルメス。共に来てくれ」




