精霊の日 ②
ヴァレンティノール。愛称レンさん。空鬼の命名。彼の独白です。ちょっと、最後にシリアスが入ります。
クウキの雰囲気がおかしいと思ったのは、本当に些細な変化だった。いつも通りヘラヘラ笑っていたし、落ち込んでいる風でもなかった。
ただ、数日前に酒場で一騒動があった時に、スイッチが切り替わったように変化したクウキを見ていなかったらわからなかっただろう。
店仕舞いをしている最中、裏へごみを捨てに行ったクウキの戻りが少し遅いように思えて見に行ったのが気づきだった。
一人ぽつんと、独りだけ取り残されたような背中があった。
でも、すぐに俺の方を振り返って「どうしたんですか?」と声をかけられたから、目の錯覚か気のせいだと思った。その時は。
でも、メアリーちゃんを送ったあとで、気になって試にコーラスの森へといった。杞憂ならそれでいい。ただの気のせいだと思って、帰るつもりだった。でも、クウキはやってきた。それも、平然と。いつも通りの雰囲気で。
手には獲物はなく、店を出たときのラフな格好。仕事用で動きやすいような服装ではあったけど、でも夜の森に、しかも危険な魔物が巣食っている森へ来る恰好ではないし、態度でもない。
だから、納得してしまった。
こいつは、本当に怖い奴なんだと。
なんだって、平然と恐ろしいことができる? 自分の命を顧みることなく。どうして、そんなにさらけ出せるのだろうか?
だから、止めに入った。止めても、態度は変わらなかったから、街での行動も禁止した。その時、密かに気配が変わった。だから、駄目押しで何度も駄目だといった。たぶん、こいつは街で人狩りもしている。
このところ、人攫いの連中が三組ほど死体で発見されている。自警団は一連の事件に関係性がないか調べているようだが、犯人の特定には至っていない。その原因は、自警団とギルドの上層部はキメラのことで、そこまで人員が回っていないからだ。
分かっていてやっていたら相当、悪知恵も働く。
見た目と中身が激しく違う。
垂れ目がちな目元に、穏やかなオレンジ色の瞳。くすんだ赤みがかった髪。体系もすらりとして、肌はここらでは見ない薄いクリーム色。鍛えているようには見えないから、優男と取られる外見。
でも、中身は恐らく自己意識が強く、プライドを刺激されたらどんな相手にも問答無用で襲いかかるような、猛獣を飼っている。
そして、誰も信用しちゃいない。
ディルスもメアリーちゃんも、そしてクウキが助けてもらったと言っていた4人に俺。この中の誰もを信用ていない。
例えば、俺がこいつを殺そうとしたら、何のためらいもなく反撃をして殺そうとするだろう。それは結構。自分の命は大切だ。自己防衛大いに結構。
殺されたくなかったら、殺すしかない。そんな状況なら「已む無し」と俺でも考える。
けれど、こいつはそんなところまで考えない。考えず、当たり前のように反撃し撃退し、殺害しても忘れられる。
信じていないから。
裏切られる前提で動いている。
心を置いていない。
なんとも思っていない。
別に悪いことじゃない。信じるかどうかは、本人次第だ。
こいつは無差別に信じようとしないだけ。身を守るためにそうしなければいけない、と捉えることもできる。
でも、優しくされて、会話をして、相手から信用されているのを分かっ上で、それを心の底から拒絶して、それを感づかれないように生活をおくる。
はっきり言おう。
こいつは怖く、恐い。
俺があの日、夜の森の前でこいつを止められたのはただの偶然だ。ストレスがそれほど溜まっていなかったとも考えられるけれど。
でも、いつか爆発したらどうだろう。手当たり次第に襲うやつじゃない。現に、危険な魔物や人攫いどもを相手に憂さを晴らしている。
でも、それでも、こいつの危険な振る舞いはやめさせたい。
そう俺が思うのは―――
「どうしました?レンさん」
こいつが、前の俺だから。
「いいや。それより旨いか?」
「はい!こんなに甘いもの初めて食べました!」
きらきらと本当に楽しそうな笑顔がそこにある。でも、どうだろうか? 本心は楽しんでいるのだろうか? 俺にこいつの本心までわからない。
もし、これが演技だったらと考えてしまう。
もし、本当は楽しくなくて、俺に付き合ってくれているだけだとしたら?
こいつの真実は、俺にはわからない。
でも、少しでも、ほんの少しだけでも憂さを忘れてくれたらと思う。
この世界は、こんな美味しいものがあるのだと、こんなに楽しいことがあるのだと。そう、知ってほしい。
「次はどの店に行く?」
「あいす、と書いているあそこはどうでしょう」
「じゃあ、行くか」
こいつは、食べ物について詳しいのか、詳しくないのか。ディルスのところでは、食材を普通に扱っているし、食べ物の知識だって普通にある。でも、こと甘味や家庭料理についてはほとんど知らない。
試に果物について聞いたらすんなり教えてくれるけれども、調味料に関しては数種類ぐらいしか知らない。それも、旅に長持ちするものだけ。普通の生活を送る上で知らない方がおかしいものを知らなくて、旅をする連中が重宝するものは普通に知っている。
ちぐはぐ。
生活感がない。いや、知らない。
まるで、普通の生活を知らないような。そんな違和感を持つ。でも、まずありえない。
両親がいないなら、孤児院で育つ。スラム街の連中もいるが、彼らだって生活の基盤に使うものもある。でも、クウキはそれを知らない。
その違和感について聞こうとしても、俺は聞けずにいる。
だって、信用されていないんだぜ? もし聞かれたくないことを聞いたら、俺からさらに距離を取るだろう。そうなったら、聞きだすことだって難しくなるし。何より、俺から逃げるかもしれない。
はは。おかしいよな。数日前に合ったばかりなのに、距離をとられるとか、逃げられるとか、考えて「嫌だな」って思うなんて。
友達ってものを知らない俺に、こいつは普通に接してくれた。
たぶん、クウキが普通に接してくれるから、俺はディルスの店に普通に顔を出せる。この街で、ぶらぶらと歩けている。
今日だって、「聖霊の日」に俺みたいな黒目黒髪、上下黒の服装をしている奴がうろついていてもなんとも言われない。
普通なら、軽蔑や侮蔑の眼差しを向けて、石だって投げられる。それが、何も言われず、普通にすれ違う。多少目線を感じるが、悪意のあるものじゃなくて、ただ好奇心、そして驚きの目線だ。
クウキが隣にいるからだろう。普通に隣にいて、普通に笑って、普通に俺と会話をして、普通に馬鹿なやり取りをしているから。周りの連中もそれを見て、俺を「危険な奴じゃない」と無意識に思うから、攻撃をしてこない。
友達。友情。それなのに、心がこんなに遠い。俺に少しはさらけ出してるのかもしれないけど、俺にはそれがあまりに遠くある気がする。
「レンさん。これは何味ですか?」
「スロールは甘いな、グプレーは酸味がある、ミントはすっきりするし、ティーチは一般的に好かれてるな」
「お勧めはありますか?」
「俺はミントが好きだ」
「ならミントで」
「いいのか?」
「はい」
俺に合わせてくれるのか、それとも選ぶのが面倒なのか。けれど、うきうきとした顔は期待に満ちている。ミントじゃなくて、グプレーを進めてみたらよかったか?味に慣れてないと面白い顔になるし。
でも、こうして好きな味を同じように味わってくれるのは、くすぐったい気持ちになる。
ずっと一人でいて、これからも一人でいるものと思っていた。親しい人々は喪って久しく、また新たに関係を築こうとも思っていなかった。
傷つきたくなくて、失いたくなくて、でも誰かとの繋がりが欲しくて。
彷徨うように旅をして。何かを知りたくて、何か特別なものを見たくて、何かを感じていたかった。
こんなに興味を引かれる人間はいなくて、何か特別なものを見せてくれるんじゃないかと期待をしてしまう。
でも、こいつ自身が一筋縄じゃいかなくて、目を離せなくて、世話を焼いてしまう。
「!?」
「どうだ」
「すーとしました!すぐに溶けてしまうんですね。美味しいです」
何故、ミントを知らないのだろう?
何故、味の種類を知らないのだろ?
何故、普通に食べられる食べ物を知らないのだろう?
「そうか。それはよかった」
何故、すれ違う人々に好奇の目線を送るときがあるのだろう?
何故、草花の種類を知らないのだろ?
何故、文字を読むことができないのだろ?
「ミント美味しいです。前のくっきーも美味しかったですけど、これは、長持ちしないんですね」
「そうだな。すぐに食べないと解けちまうし。うっし。次はどこへ行く?」
「あの半透明なモノはなんですか?」
「ああ。ゼリーだな」
「ぜりー。きれいですね」
何故、家庭でも作れるお菓子を知らないのだろ?
何故、言葉がたどたどしいのだろ?
何故、何故、何故?
「じゃあ、クウキ。次にはどこに行く?」
何故、危険なことをするのだろう?




