赤鬼⑩
じっと、空鬼とキメラはお互いに目線を交わす。
表情を無くした、紅い瞳で空鬼はキメラを見据え。
感情のこもらないキメラの赤い瞳は、空鬼を捉えている。
キメラの翼には、魔法陣が浮かんでいた。古語で描かれた精緻な陣。それが、重力魔法陣であると、わかるのものが果たして居るだろうか。
きらきらと、黄金の光をきらめかせながら、展開している。
――キメラが魔法陣!それも、重力魔法を操るとか。なら、あいつ・・・!
バレンティノールは焦るが、精密に描かれた陣、それも強力な魔法の拘束を解くのは容易ではない。
キメラと空鬼が戦闘になれば、地面に縫い付けられているだけの王太子やギルドメンバー、魔族とてただでは済まない。
しかし――――
――ごろり。
キメラが地面に倒れた。倒れ込んだ。空鬼が攻撃を仕掛けた、わけでは無い。
自発的に地面に身を投げ出したのだ。すりすり。すりすり、と背中を地面にこすりつけて、急所である腹部を丸見えにし、ごろごろと喉を鳴らす。
「猫かよ!」
つい、突っ込でしまった。
この状況が一気に緩んだ。
キメラに攻撃の意思はなく、空鬼になつくような仕草をしたのだ。意味が分からない。
意味が分からないが、バレンティノールは、これが、キメラと初めて出会ったときと同じだと気づいた。
あのときも、今みたいに、腹をさらして、頭を下げてきた。
どういうことだ?
全員が戸惑いの中にいるその時、喉を鳴らすキメラを無表情に睨み付けていた空鬼が、ふい、と視線を外した。辺り一面に、叩きつけるような殺意をまき散らしていながら、キメラから興味を無くしたのだ。
襲ってこないと、見極めて。
ここで、バレンティノールの中で違和感が、沸き起こる。
空鬼が攻撃を仕掛けてきたとき、グライブ商会の息子が魔方陣を展開していた。
バレンティノールが、落ち着けと言い聞かせたとき、空鬼の前にかざした手には短剣が握られていた。
サァクスやテッドルが、魔法で攻撃をしなければ、周りの人間を攻撃をしようとはしていなかった。
まるで、反射だ。
放たれる殺意に、敵意を持つ者に、攻撃をする人間に。
――反射的に反応しているだけ、だったのか?もしかして、男を後ろに庇って静かにしていれば、こいつは、空鬼は誰も襲わなかった?
唖然として、地面から空鬼を見上げる。
その顔は、辺りを不審げに見渡すだけで、今や攻撃も防御も何も出来ない、無防備で無害な目の前のバレンティノールは見えていないかのようだ。
声をかければ、返事を返してくれるだろうか?
そんな気持ちが芽生えてくる。
空鬼はしばらく周辺を警戒し、頭に手を置いた。痛みでもあるのか、振り払うように数回頭を振り、目を開く。
「・・・レンさん、どうして地面に這いつくばってるんですか?趣味?」
「なわけあるかあああああ!!!」
つい、突っ込んでしまった!
普通に、いつも通りに話しかけてきやがった!
「はは、すみません。なんか、頭痛くて」
そういって、ふらりと体が傾ぐ。眉間にしわを寄せて、苦しげに笑っている。
足下が覚束ない様子。そして、頭に置いた手を下ろさないところを見ると、アルメスの魔法が効いているのだろう。沈静化の魔法を受けて、意識を失わなかったのは戦闘による興奮によるものだ。空鬼の意識が通常に戻れば、魔法の効力は効いてくる。
現に、ふらふらと体を前後に揺らし始めている。
「おまえ、何があったんだ?」
空鬼は頭の痛みがひどいのか、周りの異常にひどく無頓着のようだ。誰もが倒れ込んでいるにもかかわらず、理解している様子がない。
頭を振って、なんとか意識を保とうとしている。
だから、バレンティノールは平静の時と同じ声音で訪ねる。
これまでの経緯に、空鬼が我を忘れるほどの事があったはずなのだから。
「なに?何、て・・・」
いつもの口調では無く、砕けた物言いで、空鬼は今までの出来事を思い出そうと、辺りを見渡す。それは、正常に現状を認識しようとする動きに見えた。
敵を探しているとは、思えなかった。
「ああ。ころさないと」
心臓が嫌な音を立てた。
気絶している男へ目を向けている。空鬼がはじめに斬り殺そうとした男、グライブ商会の息子が居る方へ体を向ける。
不安定に揺れていた体がぴたりと止まる。獲物を見つけたように、目をつり上げる。下げていた刀の切っ先を持ち上げ、ようとして。
「な~ご」
一歩踏み出す前に、止まった。
「なーごろごろ」
声がした方を振り向く。
キメラが、相変わらず地面にすりすりとすり寄りながら、鳴き声を上げていた。
――お前、そんな鳴き方しないだろうが!?
咄嗟に、突っ込みを飲み込むバレンティノール。
空鬼はつり上げた目で、じっと観察する。それは、敵意の表れか。何か意図があるのかと、探っているようだ。
「なー。にゃー。にゃーごほ!ごへごほ!ごほぇ!!
嘔吐いた。
それもそうだろう。普段使わない声帯を一生懸命使って、猫なで声。文字通りの、猫なで声を出していたのだ。それも、仰向けで。
嘔吐いて当然だ、とバレンティノールは遠い目をする。
――お前の、そんな姿。見たくなかった。
一生懸命、空鬼の意識をずらしてくれることは感謝する。きっとお前のプライドはズタズタだろう。
周りも何だが、ほっこり和んでいる。聡い者ならば、キメラが今は気絶している、泣きわめいていた男に空鬼が向かって行くことを止めたのだと、気がついただろう。
魔族までもが、苦笑いしている。
「・・・どうして、おじさんみたいな咳してるんだ?」
空鬼も興を削がれたのか、キメラをきょとんと見ている。
無意識で言葉が漏れているところをみると、意識を保っているのがやっとなのだろう。
顔色が青白い。殺意で赤く染まっていた瞳も、静かな赤色に変わっている。しばらくすれば、眠ってくれるかもしれない。
しかし、男に目を向けたならば、また殺意を取り戻すかもしれない。
バレンティノールは、魔法を展開するか迷う。ここで、敵対行為になり得る、魔法を使うことが空鬼を刺激しないとも限らないのだ。
逡巡していると、花びらが一つ二つ、降ってくる。
青い花びら。否。
――眠り花か?
これまた、古い魔法を。
花びらではなく、小さな青色の花。小指の先ほどの大きさしか無いが、群生すればどんな生き物も眠りにつかせる香りを放つ魔法の花。
はらはらと、降り落ちる。
一つ一つの大きさは小さいが、空鬼の眼前に舞うように現れる。
それに、ぼんやりと見入る空鬼。
眠りに誘う香りに、体が揺り動く。沈静化の魔法の直撃、これまでの戦闘で疲労は確実に蓄積している。このまま、素直に意識を落としてくれと、誰もが願った。
空鬼が下を向く。それは、崩れ落ちる前の動作だった。
ほっと、息を吐き出したのは、誰だったか。
一閃。
青い花々が、散らされる。それは、優しささえ拒絶する、鋭い斬撃。
しかし、それが最後の力だった。
ゆっくりと、体が傾ぐ。その、空鬼と地面の間に、するりとキメラが滑り込んだ。
まるで、受け止めるように。労るように。
停滞。沈黙。逡巡。
赤鬼を背負い、キメラが立ち上がる。




