「ほんとに恥ずかしいやつじゃ」
「シイ様はお父さんのこともよく知ってるの?」
姉ちゃんが首を少しだけ横に倒してシイ様に聞いた。
シイ様さっき父さんの事、「バカでスケベでポンポコピー」ってずいぶん親しみを込めて言っていたもんね。
「そういえばそうですわね。リックの話は私もよくしましたけど、直接シイ様とはあまり縁はなさそうですが……」
母さんがほっぺに手を当てながら首を少し傾けた。
母さんも父さんとシイ様が付き合いがあったことは知らなかったみたいだね。
うちの村のしきたりでシイ様とか樹妖精に会いに行くのは村の村長さんとか、長老会の人しか会いに行っちゃいけないってよく言われてた。だから村を出て喜樹の森に勝手に行ったらいけないよって。
そう考えると父さんはシイ様とあんまり会うことなさそうだよね。
ただ東法術士とは切っても切れない関係だから、母さんは別だけど。
「あぁ、よう知っとるよ。リックはたまに会いに来よるからな。
いつもバカみたいな話をしてから帰りよるよ」
シイ様はあっけらかんと言った。
えっ? そんな気軽に会ってるのっ? 村長さんとかから聞かされたあれはなんだったんだろう。
そう思っていると、シイ様がニヤッと一瞬だけ母さんの方を見る。
「そういえば、やつからは昔求婚されたこともあったのぅ。わしは見目麗しいしの。無理からんことじゃな」
そんな事をいいながらくるっと背を向けてニッシッシっと笑って肩を揺らす。
シイ様が今スゴいことを言った気がする。僕は姉ちゃんと顔を見合わせてから、同時に母さんの顔を見る。
母さんは口許に僅かな微笑みを残してるけど……。これは……
僕は姉ちゃんの方に寄ると、僕たちは少しだけ母さんから距離をとった。
「いや、しかし。あんなやつがチハヤのような嫁をもろうてソーラとカイトを立派に育ててるとはの。あのやんちゃ坊主も立派になったもんじゃ。……チハヤ?」
シイ様は話ながらまた振り向き返すと、凍りついた微笑みを残した母さんはうつむくと肩を少し揺らしだした。
異変に気が付いたシイ様は頬を少しひきつらせてちょっと身動ぎした。
あたりに風のようなものが舞い始める。
「ウフフフフ」
母さんが笑いだすと、ものすごく不安定な力が竜巻のようにうねりだす。同時に尻尾が激しく扇状にたなびきながら二本から五本増えたり減ったりして見える。
「ぐぬぅ、これは法力が漏れとるのか。
チハヤ! 手順を踏まずに法力を開放する奴があるか! でたらめな奴め!」
シイ様が飛ばされないように空中で踏ん張る。
この状態の母さんは父さんと喧嘩し始めた時によく見るから、僕たちは慣れたものなんだけど。やっぱり異常なんだね。
不安定な法力に押されながら抗議するシイ様に、母さんは氷の微笑みを向ける。
「シイ様、リックからの求婚の話。……くわしくきかせていただけますね?」
その問い方は静かに。だけど地の底から響くような声でシイ様に投げ掛ける。
「あほたれぇっ! リックがまだ幼い時の話じゃ! やつとてもう覚えておらんっ!」
シイ様は小さな体で大きく叫んだ。
ピタッと嵐がやんだ。
「あらやだ、お恥ずかしい。オホホホホ」
母さんは口に手を当てて笑いながら取り繕う。
まったく、母さんってば……
僕も姉ちゃんもシイ様も大きく息を吸ってため息をはいた。
「ほんとに恥ずかしい奴じゃ見境をなくしおってっ。
お主とリックが仲睦まじいことはお主の話からよーくわかるがここまでとはな。
まぁ、からかう気がなかったと言えば嘘になるがさすがに肝を冷やしたわ。確実に寿命が十年は縮んだわ」
寿命があってないような人がそう言った。
それにしても母さんも何も知らなかったみたいだね。なんかそれも不思議。
「今まで父さんと一緒にシイ様に会いに来たことはないの?」
「うーん、無くはないんだけど。初めてお母さんがシイ様にご挨拶に伺った時は、お父さんと一緒に村長さんも一緒だったわねぇ。村長さんはお父さんに「失礼なことの無いようにな」って釘を刺されていたけども……。
そういえば村長さんもお父さんがシイ様と顔見知りなのを知らなさそうだったわねぇ。
それにあの時のリックの顔もとても顔見知りに会いに行くような雰囲気は出してなかったし、シイ様と会った後なんて声も出してなかったし……」
母さんもますます首を捻る。
考えるほど不思議が深まるばかりだ。父さんはまさかの演技派だったんだろうか。
……いちいち大袈裟ではあるんだけど。
そう思っているとシイ様が口に手を当ててプッと吹き出した。
「それはのう。リックがわしのことを喜樹付きの樹妖精のシイとは知らんかったからじゃ」
そう言いながらニシシと歯を見せる。
えー? どういう事?
「あの時のリックの顔はおもしろかったのう。チハヤのお株を奪うようじゃが、狐につままれたような顔をあの悪ガキにさせることができたのは実に滑稽じゃったの」
「ねぇねぇ、どうしてお父さんシイ様の事知らなかったの?」
姉ちゃんがみんなの疑問を口にする。
「そうじゃな、せっかくじゃからリックと出会おうた時の話からするか」
シイ様が喜樹の根っこに腰を下ろした。僕たちも根っこに座ってシイ様の話を待った。
◇◆◇緑と青◇◆◇
リックと出会おうたのは、あやつがソーラよりも少し下の歳のころじゃったかの? あやつは昔っからやんちゃでの一人でこの森にきたんじゃ。
じゃけど日が落ち始めて黄昏だすと、帰り道がわからんようなっとったみたいでな。あやつはワンワン泣いとった。
それをたまたまわしが見つけての、しょうがないから村の近くの森の外案内してやったんじゃ。
「森は危ない、もう一人でこんなところに来るんじゃないぞ」
って言ってやっての。
それから何回かな。
リックは懲りずに一人でこの辺りまで来てはウロウローウロウローとしとっての。そして何かを探してる風なそぶりをみせては、黄昏よりも前に帰るようになった。
日が高いうちに帰るようになったとはいえこの森は魔物もおるでな、幼いながら身のこなしは大したもんじゃったがまだまだ危なっかしかったしの。
ほおっておいてもよかったんじゃが、子供がむざむざ魔物にやられる様をみるのも寝覚めが悪いと思っての。わしのほうから声をかけたんじゃ。
「お主は何を探しとるんじゃ?」
そしたらリックのやつは。
「あんたを探してた」
そう言いおるんじゃよ。
わしもあやつの探しとるのがまさかわしだとは思わなんだからびっくりしての。
「そうか、しかしここは危ないと言ったじゃろ。そうまでしてなんのようじゃ?」
わしも問うてやったんじゃよ。
そしたらの、リックはの。
「俺は青狼族ウルブ村のリック。俺を助けてくれたあんたの名前を教えてくれ」
っていっての。わしも。
「樹妖精のシイじゃ」
とだけ答えた。そしたらリックは。
「あんたっ、喜樹付きの樹妖精のシイ様なのかっ?」
そう言うと急にあのやんちゃ坊主が畏まりそうになりおっての。
……わしもちょっとだけさみしくなってな。
「いや、違うよ。名は同じじゃし、歳も同じくらいじゃが喜樹付きどころか王樹付きでもないよ」
って、つい嘘をついてしもた。
そしたらあやつの肩の力が抜けたようでの、ほっとしおると持ってた袋から大事そうに布に包んだ物を出して。
「樹妖精のシイ様、俺はあんたに一目ぼれをした。
俺を助けてくれた感謝と親愛の証にシイ様と同じ緑色の石を贈る。
今度は俺があんたを守る。俺と結婚してくれ」
って言いながら包んだ布を解いて緑玉の原石をわしに差し出すんじゃ。
あれにはいささかわしもびっくりしたのぉ。
千年生きても受けたことのない衝撃をまさか子供から受けるとは思わなんだ。
素直にうれしかったのぉ……。
しかしの、半妖精はともかく純妖精が人と生活を同じにするには生きる場所も生きる時も違いすぎるんじゃよ。それに子供の時こそ似たような背丈じゃが人の成長ははやい。あっという間にわしとは背は倍ほど違ってくるからの。
大人になったらわかってくるじゃろうと思ってな。とりあえずその場はこう言い聞かせた。
「リックや、お主の気持ちはこのシイの心を震わさんばかりじゃ。
じゃがの、お主はまだ子供じゃ。わしを守るにはまだ全然力が足りぬ。
……そうじゃな、お主の持ってきた石はなかなか良き石じゃの。じゃがそれは原石じゃな?お主もまた良き原石のようなものじゃ。その石と自身をもっと磨きその石をエメラルドの宝石とできるほどの人物になったときにの。お主の気持ちがまだ変わらぬようじゃったらでいい。
その宝石を持ってもう一度同じ言葉を聞かせてくれぬか?
わしの寿命は長い、お主の生が終を迎えるくらいまではちゃんと待ってやるからの」
ってな。それでもあやつもなかなか頑固でな。やつも。
「わかった、でもその石はシイ様が持っていてくれ。その石はまだ宝石ではない。
でも、確かな俺の気持ちの証だ。俺は力をつけてその石を絶対に宝石にしにここに来る。
必ず来る!
……だから待っていてくれ!」
そう言いおったよ。あの強い意志のこもった眼は忘れられん。
……じゃがな、やはり人の子が幸せになるには人の子と結ばれるのが一番じゃ。
わしは帰り際のリックに忘却のまじないをかけたよ。
とはいえ、わしがかけれるようなまじないはそんな強力なものではなくての、なんかの拍子に思い出したりすることもある。そういった意味では石をこちらに渡してくれたのは僥倖じゃった。
石を見るたびに思い出すための呼び水になりかねんからの。
……それでもな、どこかで覚えててくれたらいいのにとわしもおもっとったのかもしれんなぁ。
そこから5年ほどたった時じゃな。リックは力強く成長した。
それからリックはちょくちょくわしに会いに来るようになってな。
リックのやつも十分強くなったし森に迷うようなこともないほどにはなっとった。
だから、わしとてあやつを追い返す必要はなくての。わしにいろんな事を話に来るようになったんじゃ。昨日はなになにを倒したーだの、バカ話だったりくだらん話じゃったりしたが。
……わしはその時間が好きじゃったの。
そして、2、3年たった後じゃ。
「シイ様、俺は旅に出る。俺は自分の力を試したいし、いろんなものを知りたい。」
って言い出しおっての。
まぁ、リックのことじゃから大概の事では死なんじゃろうし。近くの村の名の聞く腕利きのもんと一緒に行くっていってたからの。わしもな。
「そうかそうか、じゃったらついでに嫁も見つけてこい」
ってかるーく言って送ってやったんじゃ。そしたら。
「シイ様よりいい女がいたら連れて帰るよ」
なんて言い放ちおってな。わしも。
「あほたれがっ! ぬかしおってっ! お主一生結婚できんぞっ!」
って言ってやったらリックのやつカッカッカって、いつも通りに笑いながら旅立ちおった。
ふふ、ほんとうにあほじゃのぉ……
じゃが、そのあほが数年後に帰ってきたときにな。
「ただいま、シイ様。俺、結婚するから嫁さんになる人連れて帰ってきたよ。よかったら今度会ってくれ。」
いきなり第一声にそう言いおるんじゃ。
わしもびっくりしてのっ!
それでどんな娘か聞いたんじゃっ!
そしたら白狐族でしかも腕利きの東法術師じゃって言いおるからな。
……ここでな、わしは一計を案じたんじゃ。
「そうか、本当にめでたいの。わしとしてはすぐにでも会ってやりたい。
じゃがな、東法術師の娘じゃと喜樹の世話にならんといかんじゃろう。
わしではない喜樹付きの樹妖精のシイに会ったりして、いろいろやることが山積みじゃろ。
わしのような遊び人のシイさんが会うのはそれからでええ。落ち着いたら連れてこい。
……いつでも会うてやる」
ってな。
んで、いざわしが喜樹付きの樹妖精のシイじゃーって言うた時のあのあほたれの間の抜けた顔。
ニッシッシッシ
……今思い出してもへそで茶が沸くわ!
まぁでもの、あやつの女を見る目はたしかだったようじゃ。
わしがいうのもなんじゃがチハヤはとびっきりじゃ、わし以上のいい女なのは間違いない。
まぁ悪ノリするところとか暴走気味なところもあるがの、それを含めてわしは気にいっとる。
……リックはわしにとっては弟みたいなもんじゃ。
種族は違ってもポンポコピーでも自慢の弟じゃ。
今更いうのもあれなんじゃがチハヤよ。
……リックを好いてくれてありがとうの。
◇◆◇
シイ様が「まっ、こんなところじゃな」って言いながら話し終わった。シイ様はほんのり微笑んでたけど、僕からは寂しそうだったりも、やっぱり嬉しそうだったりも見えた。
僕には、シイ様の気持ちを知るのは少しだけむずかしかった。
「……シイ様」
母さんからそっと溢れる。
母さんの閉じた瞳にはどう見えているんだろう。
千里眼ってやつならわかるのかな? いや、千里眼でもわからないこともあるよね……
グウゥゥゥゥ。
突然僕の横から特大のおなかの虫が鳴き出す。
お天道様は真上。うん、そんな時間だよね。
姉ちゃんの顔を見ると真っ赤にしながらあたふたしていた。
しょうがないなぁ、姉ちゃんは――
「ッ! カイト! こんな時におなかを鳴らすなんてなんて食いしん坊な子なのっ!」
姉ちゃんが突然わめきたてる。
いやいや、あるぇ?
「え? いや、まって今の完全に姉ちゃんだよっ!」
僕は両腕を広げて無実をアピールしながら抗議する。
「カイトっ! 嘘をつくのっ! お姉ちゃんは悲しいよっ!」
姉ちゃんはあくまでもそれで突っ切るつもりだ。
「えーっ! ひどいーっ!」
悲しいのはこっちだよっ! って思うと。
グウウウウウ。
……僕のおなかの虫も賛同した。
姉ちゃんの顔を見ると、ものすごい勝ち誇った顔をする。
ムキーっ!
「ほぉら見なさい、やっぱり鳴ったじゃない! さっきのも全部カイトのおなかだったんだから!」
「ムっ! ムゥっ! ムゥゥゥっ!」
悔しいーーーっ! 絶対姉ちゃんのおなかの虫だったのにぃぃっ!
僕はドシドシと地団駄踏んでいると母さんが割って入ってきた。
「こ、こら二人ともやめなさい。もうっ!」
止めてくれるな母さん。弟には物言わねばならんときもあるのだ。例え、相手が強大であったとしてもっ!
「いやいや、食べ盛りのころじゃしもう日も一番高い所にある。ちょうどええ、昼飯にしたらどうだ? どうせ時間はあるんじゃろうし、お主ら弁当も持って来とるんじゃろ? 東紙の儀式は急いてしなければならぬことでもない。飯を食ってからでもよかろ」
シイ様が提案をする。ことの発端はおなかがペコペコだった事だから、その提案にうんうんと頷く。
そうだね、おなかが減っているのが悪い。
「そうですわね、ご飯にしましょう。じゃあ、ここに適当に広げましょうか」
母さんがお弁当の準備をしようとする。でもそれをシイ様が止めた。
「まてまてチハヤ。実はな前にお主から話に聞いた時よりな興味が出ての、いいものを作ってみたんじゃ。ちょっとだけまっとれ」
そう言ってシイ様は喜寿の中に手を突っ込むと、なんか草を編んだような長方形の板を取り出した。それもかなり大きい。父さんの慎重くらいあるし、厚みもあるから結構重たそうに見える。
なんだか畳っぽいなぁ。
……畳ってなんだろうね?
でもシイ様は片手で持つどころか、指の上に板の角を乗せてくるくるゆっくり回してみたりする。
……ねぇ、本当に妖精さんって弱いの?
「え? シイ様それ、畳?」
あら? 畳でいいんだね。どこで知ったんだっけかなぁ? うーん?
「そうじゃそうじゃ、お主が前にしゃべってくれた畳じゃ。
なかなかうまい具合にできてると思わんか? んー、イグサの匂いがたまらんのぅ。
とはいえ、普段喜樹で生活してると使うことはないからの。今日はぜひ使わせろ。
六畳作ったからの、少しまっとれ今取り出すからの。あ、お主らはそこの平らなところの石とかをのけといてくれんかの?」
「はーいっ! カイトはそっちね」
「う、うん」
僕は畳の事を考えているところを呼び戻される。
まっ、いっか。
「はぁ……、シイ様はほんとすごいわね。私本当にシイ様に認めてもらえるくらいの女なのかしら」
母さんがぼそっと呟く。
シイ様は父さんの事を弟って言ってたから、母さんからすると小姑っていうのになっちゃうのかな?
近所のおばちゃんも言ってた、小姑とは笑って手を握り合いながら戦争しているようなもんだって。
僕にはちょっと難しすぎた。
母さんがんばれ?