「大バーゲンさせるつもりかっ」
「いやなにわしはな、別にカイトが青狼族と名乗らないことにどうこう言いたいわけではないし、そのつもりもない。じゃからお主を責めとるつもりはない、びっくりさせてしまったの。すまん」
そういいながらシイ様は僕の頭を撫でる。
シイ様はゆっくりと優しい声で続けた。
「わしはな、カイトは本当は青狼族と声を大にして名乗りたいのを、必死に圧し殺しとるようにしとるのが気になっての。
……どうじゃ、少し教えてくれんか」
そう、僕だって本当は……
でもね……
「……ぼくは、髪と目の色が違います。
耳が違います……しっぽはありません。
……ぼくはこの世界では人間族です」
そう、僕は青狼族と言うには違いすぎた。
僕は僕に似た特徴の人を知っている。月の終わりくらいに村に来る商隊の人達だ。僕はその人たちとも髪と目の色は違うけど、耳とか尻尾がないのは一緒。
村の人達はその商隊の人達の事を人間族の商隊って言ったりする。だから、たぶん僕は人間族なんだろう。
「そうじゃな、お主は賢そうじゃしすぐに気づいたんじゃろ。その身に一滴も青狼の血は無いことにの」
そう、僕は拾われっ子。僕はちゃんと知っている。水桶に毎朝写る顔に教えられるんだ。
僕は少し泣きそうになると、シイ様は僕より小さな体で僕の頭を抱き締めた。
「カイトやこの賢い頭でもう一度わしと考えてみんか?
……そうじゃな、まず族ってなんじゃろうな?
……わしの考えでは族とは大きく見たら、どこの仲間かという種族のことじゃの。が、小さきことでは家族に行き着く。まず、小さきことから考えよう。
カイトや、お主はリックとチハヤという父母、それにソーラという姉、実に良き家族を持っておるな。
お主もそれを否定すまい。なぜならお主はちゃんと知っとるからじゃ、リックとチハヤがソーラに注ぐ愛情をお前にも同じだけ注いでいるのをの。
ちゃんと知っとる。
気付いとる。
それにソーラからもそうじゃ、ソーラが両親に向ける親愛の情と同じだけのものをお主の手をとりその手に伝えとるじゃろ。の? ソーラ」
ねーちゃんはこくりと頷いた。
その時気がついた。ねーちゃんがいつの間にか僕の手を握っていた事に。
「はい、ぼくはちゃんと知っています……」
知っている。知っているけどどうしたらいいかわからない。
――わからないんだ。
「お主は内にある思いを言葉にまだできとらんようじゃの。
……お主にあるのはな、不安じゃ。
信じられんじゃろ? お主の良き家族はなんの心配もなくそして安心してお主が育つように力の限りを尽くてくれとる。なのにお主は不安なんじゃ。
それはなぜかの?
……わしがみるにはこうじゃ、なんにも知らずに家族の愛情を一身受けて幸せだったお主はある日気づいた。自分は両親とは全く違うことを。じゃがそれを知ってもお主の周りは何も変わらなかった。
しかし、今度はお主はふと考える。
これが壊れてしまったらどうなるだろう。
お主はとてつもなく怖くなったはずじゃ。家族の良さを知っとる分だけの。でもお主はそれをしっかり聞くことも具体的に行動を起こすこともできなかったはずじゃ。そうじゃの?」
僕はただ黙る事でそうだと伝えた。
理由はシイ様の言う通り怖かったから。
ちゃんと知るのが怖かったから。
とーさんやかーさんに自分は違うのだと突きつけられるのが怖かったんだ。
だから逆に僕は……
「そうしてしまうことで壊れてしまったらとか考えたんじゃろ。
お主は賢い。この手の不安は賢き分だけ大きくなるもんだの。そしてさらに賢いお主は今度はこうする。
――心に保険を掛けておくことじゃ」
「……ほけん?」
ねーちゃんが訪ねる。僕はその顔は見てないけども、すごく真剣な声だった。
「保険とはもしものためにしておくことじゃな。カイトの場合は己を認めないことじゃ。
そうすることでもしもがあったときに己を守るためじゃろう。
じゃからカイトはこう名乗る。
己はカイトである、そして己はウルブ村の者である。この二つは紛れもない事実であり見てわかる事じゃからな。
……じゃがの、青狼族であるというのはカイトにとっては目に見えることではない。じゃから名乗れんのじゃの。」
シイ様はすごいなんでもお見通し何だな。
でも、言葉にされたぶんだけもっともっと寂しくなった。涙もその分溢れだす。
シイ様はそんな僕の顔を顎を持ってあげると、ハンカチで涙をぬぐってくれた。
こげ茶色の目が優しかった。
「じゃがのカイトよ、確かにソーラは青狼の血は入っとる。
が、チハヤはどうじゃろうな? チハヤは見ての通り真っ白じゃ、チャキチャキの白狐っ子よ。
のぉ、チハヤや。わしに今のチハヤを教えてくれんか? 簡単にで構わん」
「はい」
シイ様が視線を僕から僕の後ろに向けた。いつの間にか僕の後ろに居たかーさんが僕の両肩に手をかける。
「私は青狼族ウルブ村のチハヤ。夫はリック、子は二人。娘にソーラ、息子にカイト」
かーさんの凛とした声が、僕の頭の上から喜樹の広場を響かせた。
シイ様は一度だけ目を閉じながら深く頷く。
「わかるかカイト、チハヤは青狼族と言いおったの。
真っ白なのに変じゃのぉ? でもな、変じゃけど変じゃないんじゃ。
チハヤはな、白狐族を捨てた訳ではない。チハヤは白狐族としての誇りを持ち白狐族のチハヤとして青狼族のリックに出会ったんじゃ。
それからリックを通じて青狼族を知り、白狐族のチハヤはリックと思いを通わせ嫁に行く。 そして誇り高き白狐族のチハヤは白狐族の誇りを持って今、己は誇り高き青狼族であると名乗っとる。
あれ? 不思議じゃな? 全然変じゃなくなったの?」
確かに、不思議じゃない気がしてきた。僕の涙もいつの間にか止まっていた。
「確かにな、思いというやつはわかりやすくは見えんよ。
いろんな思いの形にこれからも不安になることも多いじゃろ。
それに、お主が青狼族と名乗ることはパッと見は変にも見えるじゃろ。
じゃが、今のカイトはその目に見えて分かりやすく変に思えることが、実は全然変じゃない事もあるって知ることができたの?
わしはな青狼族のウルブ村に比較的近いこの場所で500年青狼族を見てきた。じゃからある程度知っとる。
やつらの仲間意識は強い。
じゃがな、それは血の結束だけを仲間であるとか家族であるとか言うやつは、何代にわたってみても別におらんかったの。
人間族の中にはたしかに血統を貴ぶやつらは少なからずおる。人間族としてはとっくに撹拌されとるくせにの。
じゃがカイト、お主は人間族に育てられた子ではない。青狼族であるバカでスケベでポンポコピーじゃが情の厚さは青狼族でも随一であるリック。そして、同じく青狼族で唯一の東法術士であるチハヤの子である誇り高き青狼族の一員として育てられたカイトじゃ。お主を知るウルブ村の村人にお主の事を『あの子はどこの子ぞ?』って尋ねたら口を揃えてこう言うぞ『あの子はウルブ村の誇り高き青狼族の子、カイトだ。』との」
そっか、いいんだ。僕はそうとだけ思うと、シイ様はニコッと微笑んで僕としっかり目を合わす。
「お主は己を認めろ。
家族の思いを疑う必要もない。
……思いは目に見えんと言ったがな、実は純妖精であるわしにはこの目に見えるんじゃ。
不思議じゃろ? でも生き残るには必要なことなんじゃ。
純妖精は寿命はあくびがでるほど長いが生き物としてはとびっきり弱くてな、お主のような子供にでもその気になれば、正面からでも簡単に組み伏されてあっという間にやられてしまうくらいじゃ。
じゃから純妖精は生来臆病での、身を隠す術と人の思いをより正確に読み取る術をもって生き長らえておる。
いいか? そのわしがこの目に見たままそのまま伝えるぞ?
チハヤのお主に対する慈しみはこの喜樹をもすっぽり覆い尽くし、リックなんぞは森の向こうの方で魔獣討伐しとってもその思いはお主に向けて一直線に向いとる。
それにな……」
シイ様は僕から少し離れて視線を一瞬下に落とす。
「それにな、カイト。
お主の目にも確かに見えてわかるものがあるじゃろ。
お主の手をとるソーラの手からの溢れんばかりの真っ直ぐな思いよ。
お主はその手を振りほどくことができるか?」
僕はブンブンブンと頭を横に振る。
そんな事出来るわけがない。
だって、僕は――
そう思っていると先に口を開かれた。
「ダメだよ。もし、カイトが手を離して逃げてもあたしがすぐに追っかけるんだから。
あたしがすぐ取っ捕まえて、グルグルにふんじばってでも手を繋いでやるんだから!」
「もうっ、姉ちゃんっ! それはちょっとどうなの?」
こんな時でも姉ちゃんがいつも通りのむちゃくちゃっぷりを口にする。
でも、泣いてた僕はもういなくて、笑ってる僕がここに居た。
「ふふ、ほんとお主らは面白いの」
シイ様はくるっと一回転すると僕から少しだけ距離をとる。そして、ニッと歯を見せて笑う。
「よしカイトよ。わしにもう一度聞かせてくれんかの?
お主は何者ぞ?」
僕は胸を張って息を吸う。迷うことなんか無いんだ。
「僕は青狼族ウルブ村のカイトっ! 父さんはリックっ、母さんはチハヤっ。そして姉ちゃんはソーラっ!」
みんなに僕の誇りを聞いて貰うように。そして、向こうにいる父さんにまで届くようにって込めた。
母さんが後ろから抱き締めてくれる。スンと一回吸って鼻をならす音が小さくした。
シイ様は目をつむって僕の声を聞くと、うむうむと何度も頷いた。
「うむ、実に聞き心地の良き名乗りじゃ。
今日という日と、お主の名乗り。この喜樹付きの樹妖精シイは、その生涯幾千の時が過ぎようとも忘れることはないじゃろう」
そういうと、シイ様はクスッと笑って僕に近寄ってきた。
僕は少し見惚れてしまった。
「よしよし、滅多にすることではないがお主に樹妖精のおまじないをしてやろう」
シイ様は僕の髪をやさしく両手で撫で上げる。僕は思わず目をつむると、おでこに柔らかいものが触れて「チュッ」って音が小さくした。
はっ! 僕、チューされちゃったのっ?
「わっわっわ!」
僕は何だか嬉しいような恥ずかしいような、やっぱり嬉しいようなでほっぺの温度がすっごくあがる。
「ニシシ、初心で可愛らしいのぅ。」
「カイトずるいっ! あたしもかわいいシイ様にチューされたい!」
姉ちゃんが隣で地団駄を踏む。
「ソーラも本当に面白い子じゃの。どれどれお主もしてやろう。」
「え! やったー!」
姉ちゃんが両手をあげて喜ぶと、シイ様は僕の時と同じようにおでこにチューをした。
姉ちゃんはチューをされたおでこに手を当てるとニヘーっと笑った。
そんな様子に後ろから母さんが僕の頭の上から頭を出す。
「私もっ、私もっ、わーたーしーもっ!」
「あほたれっ! 滅多にするもんじゃないって言ったじゃろうにっ! 言ったそばから大バーゲンさせるつもりかっ!」
母さんに発作にシイ様は両手を腰に手を当てながら激しくつっこむ。
それでも母さんは「でもでも」って言いたげにする。
「それに樹妖精のおまじないっていってもこの辺りの森で迷った時に、現場にいる妖精がちょこっといろんな手段で帰り道を教えてくれるくらいのもんじゃ。お主くらいになるといらんじゃろうに」
シイ様にそう言われると母さんはほっぺをぷーっと膨らました。
もう、母さんってば。
そう思いながらもその様子に、僕も姉ちゃんも笑う。
喜樹の大枝がサワサワ鳴った。
喜樹もきっと笑っているんだと、僕は思った。