「いいんだよ? 隠さなくて。あたしにはわかるんだから」
駆け出していた僕は華樹の社の外に出たところで速度を落とすして立ち止まった。
マッシュ様が……?
自分自身、姉ちゃんとギガントベアの時や、この前のアズサちゃんと崖から落ちた時とかでソレは確かに身近に迫っていた。だけど、どこかでそれらは無我夢中過ぎて現実感が無かった気もしたからソレはどこか他人事のような気もしていた。
だけど今度は身に迫る危険って言うのがないだけにひどく冷静にソレが胸を貫く。
風がないのに木の葉の擦れる音が聞こえて僕は社を振り返って華樹を見上げた。
「ねぇ、本当なの?」
華樹はもう一度葉擦れの音を僕に聞かせた。
それは悲しげな音だった。
◇◆◇
姉ちゃんとアズサちゃんの居る部屋の前。中から二人の声が聞こえてきた。
「うーん、何でこうなったんだろう」
「……事件は迷宮入りですの」
そっと障子を開いて部屋の中に入る。
姉ちゃんとアズサちゃんは装飾に装飾を重ねてゴテゴテになったものを見て首をかしげる。
あれはかつて眼帯だったものだ。
二人とも部屋に入った僕の方を振り向いた。
「おかえり」
「……ただいま」
姉ちゃん声に答えながら振り返って障子を閉める。
「ずいぶんトイレ長かったね?」
「……あ、うん」
言うべきか、言わないべきか。決心が固まらないまま姉ちゃんとアズサちゃんの顔を見れず背を向けたまま俯いていると、姉ちゃんが肩をポンと叩いてきた。
「……なんか、スッキリしないって感じね?」
「そ、そうかな?」
僕はあわてて取り繕うように顔をあげて振り返る。
「いいんだよ? 隠さなくて。あたしにはわかるんだから」
「え? そっか、さすが姉ちゃんだね」
姉ちゃんはそう言って微笑んだ。
すごいなぁ、なんでもお見通しなんだ。
だけど、これで言う決心が付いた。
「姉ちゃん。あのね――」
「大丈夫、わかるよ。出なかったんでしょ?」
「うん、そうなんだ。出な――。え?」
勢いでそうと言ってしまったものの、ちょっと僕の中で心当たりのないワードが出てきてキョトンと姉ちゃんの顔を見る。
姉ちゃんは何かを納得したように腕を組んでうんうんと頷いている。
「わかる。スッキリしなくて辛いもんね」
「えっと……、え? 何が?」
「何がって、出なかったんでしょ?」
「出ないって、何が?」
「だから、うん――」
「言わせないですのっ!」
突然アズサちゃんが横から間に入って姉ちゃんの言葉を遮る。
なるほど、トイレが長くてしかもスッキリしないってそう言う事だったのか。
「ふぅ、危なかったですの。それは乙女が言ってはいけない禁止ワードでもトップスリーに入りますの。月刊乙女マガジン水月号に書いてましたの。ワイルドなお姉さまは確かに私もステキとは思いますの。しかしそれを発するにはいささかワイルドにすぎますのっ!」
「そ、そっかっ!」
姉ちゃんの方に振りかえって一気にまくしたてるアズサちゃんに姉ちゃんもたじろぎながら返事をする。
その様子に満足してうんと頷くとアズサちゃんは僕の方を向いた。
「で、カイト。ツウジツツジの種でも飲むですの?」
「ちっ、違うよっ! そう言うのじゃないんだよっ!」
「じゃあどういう事ですの?」
「えっと、それは……」
トイレの事じゃなくてもここまであったら何かあった事がもう二人にはばれている。今更黙っていられる事でもないだろう。
だけど……
「アズサ、いいかい?」
下唇を噛んで俯きかけた時後ろの障子がエボシ伯父さんの声と共に開いた。そこにはエボシ伯父さんとタマグシおばあさんが居た。
「お父様、おばあさま。どうしたんですの?」
「……マッシュ様が起きたから、マッシュ様の所まで行こう」
「マッシュ様起きたんですの? わかりましたですのっ! いっぱい話したい事がありますのっ。何から話したらいいか」
アズサちゃんは嬉しさのあまりに飛びあがると、笑いながら両手で口元を隠す。
マッシュ様が本当に大好きなんだね。
「そんなに話せるかどうか――」
エボシ伯父さんの呟く声が僅かに僕に届いた。
その意味は僕にはわかる。今のマッシュ様を知っている僕は、嬉しそうなアズサちゃんを見て胸が締め付けられそうになった。
「さ、お姉さまもカイトも行きましょう」
「いや、ソーラちゃんとカイトくんはここに居ていて欲しい」
「えーっ! なんでー? あたし達もマッシュ様に会いたいのにっ。ねぇっ、カイト」
「う……、うん」
突然振られて気のない返事を返してしまう。一瞬姉ちゃんが訝しげに僕を見て来た。
「マッシュ様の具合がよくないの。一度に皆で合えば負担になるだろうから、おばあちゃんと待っていましょ」
「ふーむ。じゃあ、しかたないっかぁ」
タマグシおばあさんのフォローに姉ちゃんは納得したように頷いた。
「マッシュ様病気でもしてますの?」
アズサちゃんはエボシ伯父さんを見上げた。
「大丈夫ですの? すぐに良くなりますの?」
アズサちゃんの問いかけにエボシ伯父さんは答えずに微笑んで返すと、アズサちゃんの手を引いていった。
笑っていたのにすごく悲しそうなのが印象に残った。
◇◆◇
「――そこで雉さんは言いました。桃太郎さん桃太郎さん、私はこの戦いが終わったら結婚しようと思っているのです」
「雉さんダメっ! それダメなやつなんだからっ!」
アズサちゃんがマッシュ様に会いに行くのと入れ違いにタマグシおばあちゃんが来て昔話をしてくれていた。
姉ちゃんはその話をいちいち反応しながら興味津々に聞いていたけど、マッシュ様の事が気がかりで僕には全く耳に入らなかった。
「……カイトちゃん、お話つまらない?」
タマグシおばあちゃんに不意に声をかけられて座ったままからだが飛び上がりそうになる。
「いやっ、そんなことないよっ!」
「ちゃんと聞いてなかったから途中でお話がわからなくなっただけじゃない? カイト結構ボケッとしてるからなぁ」
「むっ、失礼なそんなことないよっ! たぶんっ!」
「ふぅん。じゃあどのシーンが面白かった」
この切り返しに僕は冷や汗が止まらなくなる。なんせはじめから聞いてなかったからどのシーンがと言われても一つもわからない。
わからないものは答えようがないから黙っていると、姉ちゃんがズイッと顔を近づけてきて僕にプレッシャーをかけてきた。
「えっと、ジョンが自分の飼ってる犬と奥さんとを間違えたシーンかな?」
……そんなシーンがあるわけないよね。そう思いながら後ろめたさから視線を逸らす。
プレッシャーに負けて僕は何を言っているんだろう。しかもこんなバレバレのなんて逆に恥ずかしい。
「なんだ。結構ちゃんと聞いてるじゃない」
「……うん。聞いてたから」
ほんとにあったの? と思いながらも、つまんないって口を尖らせて顔で語ってる姉ちゃんから察するには本当にあったようだ。
どこでどう話がつながったらジョンと桃太郎がつながったんだろうと、思うとこんな状況じゃなかったらすごく興味があったところだ。
そんな時に静かに障子が開いた。
「あ、アズサおか――」
姉ちゃんの声が途中でピタリと止まる。
出て行った時とは違って顔をくしゃくしゃに泣きはらしながら、エボシ伯父さんに手を引かれてアズサちゃんが戻ってきた。
「お婆さまぁ……」
「あらあら。アズサちゃん」
力なくアズサちゃんは歩いてくると、正座して座っているタマグシおばあちゃんに崩れ落ちる様に膝に顔をうずめて、腰に抱きついてしがみつく。そんなアズサちゃんをタマグシおばあちゃんは背中をポンポンと撫でた。
「母様。アズサの事、頼んだよ。私は今からリック君が父様を連れて戻ってくるまでチハヤと遅延結界で囲んで見ようと思う」
「マッシュ様は?」
「お休みになられた。ただ、樹に戻る力はもう持っておられないようで華樹にもたれかかる様に横たわっておられるよ」
「お目覚めになられたら怒られるかもしれないわね。自然に任せろって言っただろうって」
「正直これでも間に合うかはわからない。だけど、何か出来る事をしたいんだ。むしろ怒っていただけたら本望だよ」
「……そうよね。せめて悔いのないように足掻きましょう」
「そうだね」
そう言うとエボシ伯父さんは静かに障子を閉めて行った。
「ちょ、ちょっとアズサ。えっと、どういう事?」
異様な事態に状況を呑みこめずに居た姉ちゃんが動き出す。
「マッシュ様が……、マッシュ様がもって今日の日没までって。マッシュ様が死んじゃうんですの」
「し、死ぬって……そんな突然何を言ってるの? ちょっと前にあった時元気だったじゃない?」
うろたえる姉ちゃんにアズサちゃんが首を振る。
「だて、えぐ……。ひっく」
「……マッシュ様はね、だいぶ前から自身の事については察しておられたの。もう寿命だとはおっしゃって自然に任せようともしていたけども。
ダイカクさん、――あなたたちのおじいさんがね。曲島にならなにか解決方法がわかるはずだろうから、自分が行って調べて戻ってくるまでなんとか持たせて下さいとお願いして、それならとナーグルの葉のお茶を飲んで頂いていたの」
それでマッシュ様はナーグルの葉のお茶を飲んでいたのか。父さんがナーグルの葉をとってきたのもマッシュ様のためだったんだ。
「マッシュ様。体が前の半分くらいになってましたの」
「半分って?」
「体の大きさですの。前は私とさほど変わりませんでしたのに、今は私が抱えれるくらいに小さく……」
「……そっか」
かける言葉が無くなったのか姉ちゃんも黙る。
僕は襖越しで声しか聞いてないからわからなかったけど、木のお椀も持てないって言ってたのはマッシュ様の体はそんな事になっていたからか。
「アズサちゃん、マッシュ様はアズサちゃんに何かおっしゃったの?」
「……強く育てって。わしの事で泣けるのなら、アズサは優しい性格に育ってくれたのだろう。ならその優しさが容易く手折れぬように黒檀のごとくの芯を持って、柳のようにしなやかになって言って、小さくなった体で私の頭を抱いて下さったの」
「そう」
タマグシおばあさんの返事を最後に沈黙が始まる。
タマグシおばあさんがアズサちゃんの背中をポンポンと撫ぜる小さな音だけが部屋の音をしばらく響かせた。
「さて、何かお昼用に食べるものでも作りましょうか。チハヤちゃんはエボシちゃんと結界を作ってるだろうし、ミキちゃんもそれのサポートしているから今日はおばあちゃんが腕を振るうわ」
静寂を破るタマグシおばあさん。だけどアズサちゃんは顔を横に振った。
「いいですの、いらないですの」
「ダメよ。ちゃんとご飯を食べなきゃ」
「でも、いりませんのっ! マッシュ様が心配で食べてる場合なんかじゃ――」
「アズサちゃん。マッシュ様はアズサちゃんがご飯を食べなかったらきっと心配されるわ。心配する人に心配されるなんて本末転倒よ? ね?」
「……はいですの」
しぶしぶと言った感じではあるものの返事をしたアズサちゃんを膝からどかせると、タマグシおばあさんは立ち上がった。
「じゃあ、準備してくるからここで待っててね」
そう言うと、タマグシお婆さんは部屋から出て行った。
僕たち三人はみな静かに俯く。
僕と姉ちゃんにとっては日は浅いけど、身近な人の迫りくる死を実感するのは初めてだ。アズサちゃんにとっては生まれた時から知っている人だけにそれを知った時の絶望感はすごかっただろう。
「そう言えばカイト、アズサちゃんが言った時あまり驚いてなかったね」
姉ちゃんがぽつりと口を開く。
「え? 僕トイレに行った時あるでしょ、あの時に変だなって思って華樹の社に行った時に襖越しに聞いちゃったんだ」
「それで様子が変だったんだ?」
姉ちゃんが顔をあげて僕を見る。
「うん……、ごめん。姉ちゃんにも言った方が良かったかな?」
「……ううん。逆の立場だったらあたしもカイトに言えたかわからないよ」
首を横に振って僕に答える。
「何を聞いたの?」
「アズサちゃんの言ってた事からあまりかわりはないよ。体が小さくなってもう持ちそうにないって……」
「そっか」
「ミキおばさんが言ってた、この家の人だけじゃなくて村の人はみんなマッシュ様が好きだって。マッシュ様だってこの村の事が大好きなんだと思う。もう今日中にはって人がみんなの事を気にかけてたよ」
さきほど華樹の社で聞いた声を思い出す。小さな小さな声だけど、優しい声が場を満たしていた。
僕はその場所には直接は入ってないけど、それでも木漏れ日のように漏れた声からはそう感じた。
「でももう、千百歳を超えてるんだもん……」
寿命なのかなぁと続く前に僕は言葉を切る。
……どこかが引っ掛かる気もする。
「うーん。寿命って変だよね?」
そう姉ちゃんが言った。アズサちゃんが顔をあげる。
「変? 変って何でですの?」
「だって、シイ様が純妖精に寿命はあって無いようなものだって言ってたんだから」
「あ、確かに言ってたね」
「それに、最初会った時もシイ様よりも少しだけ体が小さかったし」
それは個人差って言えるのかもしれないけど、確かにシイ様は二百歳からは見た目の変化は止まって体が少しずつ大きくなるって言っていた。シイ様は千歳でマッシュ様の方が年下だから、普通に考えたらマッシュ様の方が大きいはずだ。
それにシイ様にはエリンちゃんっていう子供が居て、マッシュ様には居ない。エリンちゃんはシイ様が言うにはシイ様の分身のようなもので、あふれ出た妖精としての力が形になった時に子供ができるって言っていた。かたやマッシュ様は体が小さくなっていっている。
「これはもしかしたら、マッシュ様には妖精としての力が足りていないんじゃないかな?」
「妖精としての力? それがあればマッシュ様は助かりますの? どうすればいいんですの?」
「えっと、えっと」
詰め寄ってくるアズサちゃんに僕は頭をフル回転させる。
シイ様とマッシュ様の違いってなんだろう。
女の人と、男の人。
これだけじゃなんとも言えない。
キレイな女の人と、キレイな男の人。
……何も変わって無いじゃないか。
シイ様は僕たちと家族になった。マッシュ様はここでずっと家族。
これは関係なさそうな。
シイ様はひょうきん。マッシュ様はまじめっぽい。
妖精の力が高まるたびにひょうきんさがアップするっておかしい気もするよね。
喜樹と華樹。
これは喜樹の方がすごそうに思える。もしかしたらコレ?
いや、でも華樹ほど生きてる樹だってそこらには絶対ないよね……。もしかしてあるんだろうか?
うーんと腕を組んで唸るも、あまり思い浮かぶ事がない。
「同じ樹妖精のシイ様に聞きけたらいいのにね」
姉ちゃんがポツリと呟いた。
「それだっ! シイ様は無理だけど、マンネさんに会いに行こう」
「それだっ! ってマンネって誰?」
「マンネさんはね、この前崖から落ちた時に僕とアズサちゃんと少しの間一緒に居た樹妖精の子供なん――ンーッ!」
言いかけたところでアズサちゃんに口を押さえられる。
「カイトっ! それは言ってはいけない約束でしたのっ!」
アズサちゃんが小声で僕に耳打ちをする。
「大丈夫だよ、姉ちゃんも樹妖精のおまじない受けてるから」
「なるほどですの」
「ふーん。なんだかよくわからないけど、なんとかなりそうなのね?」
「うん、森の中で名前を呼んだら来てくれるって。……だけど、たぶん僕たちだけでいかないといけないと思う。他の人には言っちゃいけないって約束だったから」
「よくわからないけどOK。善は急げよ、あたしたちだって足掻いてやるんだからっ。さっそくみんな準備よっ」
「はいですのっ!」
姉ちゃんの号令に急いで準備に取り掛かろうとするところで僕は気付いた。
「このまま居なくなったらタマグシおばあちゃん心配するんじゃないかな?」
「でも、約束ですから。お話しすることはできませんの」
それもそうだ、どうしたものかと頭を悩ます。
「じゃあ、書き置きしましょう」
「それは良い案だね。なんて書き置きする?」
姉ちゃんが提案するのに僕はうんと頷く。
すごい、今日の姉ちゃん冴えてる気がする。
「うーん。時間が惜しいからシンプルなのがいいわね」
「探さないでくださいってのはどうですの?」
「いいわね。それ、いただきっ」
姉ちゃんが指パッチンを鳴らしながらアズサちゃんにウィンクをする。
大丈夫かな、それ一番心配しちゃう奴じゃないのかな?
そう思ってアズサちゃんを見ると、アズサちゃんもエヘヘと嬉しそうに照れ笑いする。
僕に異議を言う機会は失われた。
少しばかりの不安を僕が思ったものの、ここは準備を急ぐ事にしたのだった。
--- 図鑑 ---
《ツウジツツジ》
植物。
ツツジによく似た低木の植物で同じく漏斗型の花を付けるが花弁が六つに分かれている。オツウジツツジがツツジと大きく違う点はオツウジツツジは冬に楕円形の黄色い小さな実を付ける点であり、木も低木なこともあり冬の間は魔物、動物両方の貴重な食料の一つとなる。
この実の中に一つある種は食べると消化されず名前の通りお通じがよくなる。
しかしこれはそれほど強力な作用ではないものの、どのサイズの生き物に対しても安定した効果があるためどの生き物にとっても毒とは認識されておらず、ある程度の治世のある生き物に関しては巣にはいくらか貯め込んでいたりもするため、それがあらゆるところで発芽し獣人の森においてもかなり普遍的な植物である。




