「もっ、もーぅ!」
マッシュ様が戻った後で僕たちも華樹の建物を後にする。
建物の階段を降りたところで母さんが振り返る。
「マッシュ様はどうだった?」
「んー……。キレイな男の子だったね。透明の羽もキラキラでシイ様とエリンちゃんと一緒でさすが樹妖精って感じだったね、カイト」
素直に感心したように母さんに返した後に僕に顔を向ける。それに「うん」と相槌を打つと、姉ちゃんはニッ笑って返してくれた。でも少ししてから不思議そうな顔をしながら顔を少しうつむけた。
「……でも、なんだか零れそうな感じだったね」
「零れそう?」
姉ちゃんのつぶやきに母さんが聞き返す。
「壊れそう? 崩れそう? ……いや、やっぱり零れそうなのかな。手ですくった水みたい」
「……そう」
僕も同じような事を思っていた。手ですくった水はどんなにすき間を作らないようにしても零れてしまって手には何も残らない。
マッシュ様がとっても優しそうで穏やかそうなのはわかる。でもそれだけに怖い。そんな人が気がつけばすぐにでも消えてしまいそうというのが、とても怖かった。
「言い得て妙だね。今日初めて会ったばかりなのに。……いや、だからかもしれないね」
エボシおじさんの声を後ろから聞こえた。
エボシおじさんの言い方だと何か含みがあるような気がするけども、マッシュ様は何かあるのかな?
「エボシおじさん――あっ」
マッシュ様について聞こうと思って振り返ると、エボシおじさんの隣にさっきお茶をマッシュ様に出した女の人が居た。僕はあわてて会釈すると女の人もニコリとしながら返してくれた。華樹の建物の中ではあまり良く見てなかったけど、母さんより少し年上くらいに見える。
「それはそうとして、ソーラちゃんとカイトくんにはまだ紹介していたなかったね。私の奥さんのミキ。君たちのおばさんと言う事だね」
「ソーラちゃんとカイトくんですね。アズサからさっそく話は聞いています。アズサと仲良くしてあげてね」
「もうあたしはもうすっごい仲良しなんだからっ!」
姉ちゃんはニカッと笑って返す。
うん、姉ちゃんはね。と、思いながら僕は少しだけ左の口角を少しだけ上げて苦笑いをすると右頬を姉ちゃんに軽く引っ張られる。
「あいぃ。ねえひゃんなんへー?」
「うーん。なんとなく? カイトが苦戦してるから? えへへ」
「えー?」
えへへじゃないよっ! 僕は「もうっ」って言って姉ちゃんの手を振り払った。
「かわいい姪と甥ですこと。ワタクシの事は遠慮せずミキおばさんって呼んでくださいね」
ミキおばさんの言葉に僕と姉ちゃんも頷いて了解する。母さんがクスクスと笑いだした。
「チハヤさん。どうしたんです?」
「いえ、私たちもおばさんって言われるようになるんだなぁって。結婚してるんですもの自然ですわよね」
「そう、チハヤさんはそうなんですね。……ソーラちゃん、カイトくん。ワタクシの事は遠慮せずにミキおねいさんと呼んでくださいね」
「まあっ!」
「ミキ。そう言う意味じゃないよ」
「てへっ」
エボシおじさんに手の甲で軽く叩かれるミキおばさんだった。
◇◆◇
夜中になって口の上まで布団の中にくるまる。日が落ちて雪が降り始めて一層寒くなる。シンとした清んだような静けさは寒い空気が強調させる。それは良く耳を澄ませば雪が降り落ちてくる音さえも拾えそうだ。夜はこういうものだと思う。ウルブ村でも夜はおそらく同じくらい静かになる。でも、そんな事は気にした事がなかった。
なぜ今そんな事が気になるんだろう。その答えはわからないけれど、気になったから仕方がない。隣には姉ちゃんが寝ている。父さんと母さんはたぶんまだおじさん達とお酒でも飲んでるのかまだ部屋には居ない。
僕は暗い暗い部屋の天井を見つめる。だけど見えないものに焦点が合うはずもなく、しだいに目を開けてるのか閉じているのかわからない感覚に落ちていく。隣には姉ちゃんが寝ているはず。だけどそれもあいまいになって闇に呑まれていく。今の今まで噛みしめていた何もかもをも呑みこんでいく。
……僕はひとり?
ありえないのにそんな事が頭から離れなくなる。時間と共に雪だるま式に広がっていく不安。早く寝て朝になれば全部忘れられるはず。だから早く寝ようと思えば思うほど僕は眠れなくなる。このままずっと寝れないんだろうか……。ならいっそ早く朝になればいいのに。……でももしかしたら朝なんて言うのはなくて僕はこの暗いくらい世界に実はひとりぽっちだったりして。
「……カイト? 泣いてるの?」
姉ちゃんが声を殺して聞いてくる。
「え? 別に泣いてなんかいないよぉ」
聞きなれた声にほっと安心しながら姉ちゃんの居る方向に少し笑いながら答える。するとごそごそと姉ちゃんが動く音がすると自分の体に布団を巻きつけてゴロンゴロンと転がってきた。姉ちゃんの手が僕の目じりに手を伸ばして少し触る。
「うそつき。濡れたよ?」
「あれ? えー?」
姉ちゃんに言われて僕も自分の目じりを触ると少し濡れた。どうやら知らない間に泣いていたらしい。
「なんで泣いてたの?」
「僕にもわからない。だけどすごく静かで、すごく暗いなぁって思ったからかなぁ」
「ふーん。ああ、この家広いもんね。うちだとお父さんが晩酌してる時の灯りがドアの隙間から少し漏れてきたり、寝る時も壁越しからベッドの軋む音もなんか聞こえるんだから」
言われてみればそうかもしれない。たんに聞き流したりしてただけだけども姉ちゃんに言われて改めて思い返すと思い当たる節がある。そう思うと少しだけ気が楽になった。それにしても姉ちゃんは今日はなかなか冴えているなぁ。三点を加算しておこう。十点たまると良い事があります。たぶん。
「カイト。抱っこして寝てあげよっか?」
「えっ?」
姉ちゃんは少し嬉しそうに聞いてくると僕の返事を待たずに僕の布団にもぐりこんでくる。
「いや、いいよぉ。大丈夫だよぅ」
「いいからいいから。あはは、思った通りカイト抱っこしたら温かいや。ちんちくりんだからかな?」
「なっ! もっ、もーぅ! 抱っこしてもらわなくても寝れるからっ! はーなーれーてっ」
「いーやでーす。離しませーん」
姉ちゃんの両腕が僕の頭を抱える。僕は両腕で胸のあたりを押して離そうとするけど、両腕どころか足どころか尻尾まで使って捕まってるから逃げる事なんかできるわけがない。諦めて力を抜く事にする。
「あはは、ちょうど良かったんだ。ちょっと寒いなって思ってたんだから。でも毛布を足してもらいにいくには布団の外に出ないといけないでしょ? それは寒いから嫌だなって思ってたんだよ」
「もうっ、便利に使いたいだけでしょ」
「ふふん。おやすみー」
「ちょっ、ちょっとっ」
僕の抗議を全く聞く事もなく姉ちゃんは僕の頭を抱えて寝息を立て始める。
なんて寝つきが良いんだ。そう思うと、僕もそのまま目を閉じる。僕のおでこのあたりにかすかにあたる寝息が少しくすぐったい。耳を澄ませば一定のリズムを刻む姉ちゃんの心臓の鼓動も感じ取れる。視界は相変わらず闇に溶けたままだけど、もうなにも怖い事はなく。むしろ心地よかった。
僕はまどろみの中で思う。何を怖がっていたんだろう。闇の精霊は僕を助けてくれたと言うのにね……




