「ソーラ。それはとっても大変な事になるから絶対ダメよ」
閉じた窓の隙間から朝日が流れ込んでくる。切れるような寒さは部屋の中でも白くなる息が教えてくれた。
「……寒い」
朝の気配にすっかり目が覚めてしまったものの、寒くて動く気になれない。
頭から布団をがばっとかぶって丸まる。
――そこは最も暗き楽園。
包まれるような優しい暖かさ。布団の中に光は一切差し込まないけども、丸まる僕は安心感という不思議な湖の上の小舟にいるかのようにたゆたう。
そこで目を閉じると、僕の意識はしだいに不確かなものになっていって、二度寝の誘惑へと――
「カイト起きろーっ!」
「ぎゃあああああ、寒いいいいっ」
布団という楽園を追い出された僕は氷結地獄へと突き落とされる。
「姉ちゃん。……さ、寒い」
「あたりまえでしょ、雪積ってたんだから」
「えっ! 雪っ?」
僕は急いで起き上がって窓を開けて外を見る。
少し冷たい風が僕の顔に触れた。息もとっても白い。
だけどそれよりも白い光景が僕の目に飛び込む。
窓から見える村が薄く雪に覆われていた。
「姉ちゃん、雪だねぇっ」
「そうよっ、だから早く起きなさい。昼になるとほとんど解けちゃうってお父さん言ってたんだから」
「うわっ、それは急がなきゃだねっ」
寒いのは嫌だけど、雪はまた別物だもんね。
◇◆◇
「母さんっ! 雪だよっ」
「そうねぇ。おはよう、カイト」
「おはようっ」
朝ごはんを食卓に並べる母さん。
父さんはもう席についてて今朝来た手紙のチェックをしていた。
「さ、ソーラもカイトも雪遊びはご飯を食べてからよ」
「「はーい、いただきます」」
朝ごはんをがっつく僕と姉ちゃん。早くいかないと雪が解けちゃう。雪は待ってくれないもん――
「ンググッッ!」
そう思っているとパンが喉に詰まっ――
苦しいっ――
「あー、あー。はい水」
「――んぐんぐ。ブハー、ありがとう姉ちゃん」
姉ちゃんから渡された水を一気に飲み下す。
あやうく雪遊びどころじゃなくなるところだった。急ぎすぎたらいけないね、みんなも気をつけようね。
「あらあら、カイトったら焦りすぎよ。雪が本当に好きなのね」
「うんっ! 雪、好きだよっ。母さんは好きじゃないの?」
「うーん、お母さんは小さい頃に見飽きちゃったな」
母さんは少し困ったように答える。
母さんは見飽きちゃったのか。雪は真っ白でほわほわしてて母さんによく似てると思ってたんだけど。触ると冷たいのも、母さんこの時期は手とかちょっと冷たいからそっくり。
僕は何となく残念に思ってると姉ちゃんが突然立ち上がった。
「えっ! お母さん雪見飽きちゃったのっ? 見飽きるってどういう気分?」
えっ、どういう気分?
うーん、姉ちゃんその聞き方はどうだろう。
僕はひと事ながら首を傾げて考えていると、母さんも同じ角度で首をかしげる。
「お行儀が悪いわよソーラ。お座りなさいな」
母さんに言われて姉ちゃんが座ると母さんは続けた。
「どういう気分かは難しいけど、お腹一杯って感じかしらね。ウルブ村と違ってお母さんの育った村は冬になれば雪がどんどん積もったから」
「お腹一杯って事はお母さんの育った村は雪が山盛りなの?」
「ふふ、そうね。いっぱいの山盛りね」
そういうと母さん少し懐かしむように笑う。
雪がいっぱいかぁ、それってなんて贅沢なんだろう。それはきっと夢のようなところに違いない。
ウルブ村は雪は降る事があるけど積っても足首までもあまりない事が多い。だから、遊んでるとすぐなくなっちゃう。
そういえば母さんが前に言ってた気がする。母さんの村では大人の人よりも大きいサイズの真っ白の雪だるまが作れるって。ウルブ村でその大きさを作ろうと思ったら泥だらけの泥だるまになっちゃうもんね。
「母さんいいなっ! それいいなっ!」
「うーん、雪も結構善し悪しなんだけどね」
母さんは少しだけ困ったような顔をして笑う。
僕は雪に悪い所なんてないと思うけどなぁ。雪はいっぱい遊べる。
例えば、雪玉作って投げ合って姉ちゃんに一方的にぶつけられたり。あと、僕の投げた玉はひらりと避けて姉ちゃんに一方的にぶつけられたり。最後に雪がかなりとけてほとんど泥玉になったのを姉ちゃんに一方的にぶつけられてドロドロになったり……
……あれ? 実は悪いところばっかりなの?
僕が衝撃的な事実に気が付いてしまったところで、父さんが母さんに封筒を渡す。
「チハヤ宛てだ。エボシさんからだな」
「あら? 兄さんから?」
母さんは封筒から手紙を広げて、目を閉じたままふんふんと手紙を読む。
これにはちょっと違和感を感じた。
ほとんどデタラメみたいだけど、母さんは目を閉じててもどこに何があるのかは、自分から自然にちょろっと出る法力の反射でわかるらしい。でも、色とか字はあんまり目を閉じたままだとあまりわからないみたい。
だから、どうしても読まないといけない時は、父さんに読んでもらうか薄眼をを開いて眉間にちょっと皺を寄せながら辛そうに読むかしてもらうんだけど。今日はどうみても目を閉じたまま読んでる。
「姉ちゃん。母さん目閉じたまま読んでるね?」
「修行が足りないわねカイト。それはあたしが十年前に通過したところよ? あれはね、東紙に法術で書いてあるんだから」
「それ姉ちゃん生れてませんよ?」
そうは言うものの、姉ちゃんの言う事にはちょっと感心して僕は頷いて目を閉じてみる。こうすると、少しだけ感覚が研ぎ澄まされる気がするんだ。
目を閉じてそうしてみると、母さんの持つ手紙からは僕にも法力を感じる気がする。
何が書いてあるかまでは全然僕には見分けれないけど、母さんは東法術を使うお札はこうやって見分けてたのかもしれない。
「リック。兄さんったらたまには里帰りもしてみたらどうだって……」
「ああ、結婚してこっちきてからすぐソーラできたし帰って無かったもんな。よっしゃ、カイトも大きくなったし年越したらみんなで行くか」
「まあっ! この子たちに山盛りの雪を見せてあげれそうね」
父さんの提案に母さんも嬉しそうに頬を緩める。
「うわー、他の村に行くのなんて初めて。カイトっ、楽しみだねっ」
「そうだねっ、それに山盛りの雪だって」
目をキラキラさせる姉ちゃん。僕としてもこれは期待せざるを得ない。
「山盛りの雪かぁ。ふわふわでずーっと埋まっていたい気分にさせてくれるんだろうなぁ」
「ソーラ。それはとっても大変な事になるから絶対ダメよ」
ふわふわと浮かれてる姉ちゃんに対して母さんは釘を刺した。
--- おまけ ---
風月の僕の五歳の誕生日のちょっと前の日のお話。
姉ちゃんと一緒に外で遊んでたある日。姉ちゃんがたまたま出会ったミネアさんと話してる間にちょっと遊び疲れた僕は近くの木陰に腰を下ろす。
その時、僕は白い百合の花を見つけた。まっ黒い髪の僕とは真逆の花、母さんにそっくりの白い花。
特に理由はないけれど、僕はその花を母さんにプレゼントしたくなった。
「ねーちゃん。僕、先に帰るね」
「えーっ! もう帰るのっ?」
ぜんぜん遊び足りない姉ちゃんはぶーっとほっぺを膨らましていた。
「うん、ちょっと疲れちゃった。一人で帰るから姉ちゃんは遊んでてよ」
「うんー、……迷子にならないでよ? カイト」
「近いから大丈夫だよ」
遊んでいたところは本当に目と鼻の先。姉ちゃんはそれでも心配そうに見ていたけど、帰る気にはならないみたいだった。
僕は近くに生えてた百合の花を一輪手折って家へと帰った。
◇◆◇
家に帰って扉を開けてただいまって言おうとしたところでふと思いついた。
どうせならびっくりさせてあげたい。
僕はゆっくり忍び込むように足音を立てずに家に入る。
台所から鼻歌を歌いながら料理をする音がする。
この匂い……。今夜はたぶんシチュー。
……じゃなくて。母さんが台所にいるならちょうど玄関から死角を通って近づく事が出来る。
そろそろ洗濯物を取り込む時間だろうし、ちょうど台所を離れた所でびっくりさせてプレゼントしよう。
そう企むと、無性に僕の胸が高鳴っていた。
落ち着け、落ち着くんだ僕。
そう思いながらそろりそろりと母さんのいる台所に近づく。
ゆっくりゆっくり一歩一歩踏み出すけれど、その足の先が緊張で震えて物音をたてそうになっていた。
この時は母さんがどんな顔をするんだろうって胸一杯に思いながら歩いていたから、どういうルートで移動していたかはちゃんと覚えていない。
だけど、僕が台所を出てすぐの角のところに潜むまで母さんの鼻歌は止まらなかった。
ここまできたら、あとは母さんが出てきたところに僕が飛び出すだけ。
僕は作戦の成功を確信すると、少し胸の高まりも収まってきてた気がしていた。
だけど、その時ぴたっと母さんの鼻歌が止まった。
「カイト、そんな所でどうしたの?」
「ひぇっ!」
台所の方から聞こえる母さんの声。
僕は心臓が口から飛び出そうになるほどびっくりすると、心臓の代わりに声が飛び出た。
僕の方が脅かされて気が動転して頭が真っ白になってる間に、母さんが台所から出てくる。母さんは僕の前に来てしゃがんで僕と顔の高さを合わした。
「あら? カイト、百合を持ってるのね」
「あっ、えっ? あ、うん」
その一言で我に返って自分の手元の百合を見ると、当初の目的を思い出した。
「僕、この百合をかーさんにプレゼントしようと思ったんだ」
僕は母さんに百合の花を差し出す。
受け取った母さんは百合の花を花に少し近づけて匂いをかぐ。
「あら、そうなの。いい香りね、ありがとう」
受け取ってくれた母さんはにっこりと僕に笑顔を向けてくれる。
「この花ね。とっても白くて、かーさんにそっくりでね。絶対似合うと思ったんだ。ほら、見て。真っ白でしょ? ――あっ……」
僕は受け取ってくれた事がすごく嬉しくて、この時すごく興奮してたんだ。
でも、僕はこの直後に気が付いてしまう。
母さんは両目が千里眼だ。
本来見えざるを見れると言う力はすごく母さんに負担がかかるらしくて、目を開いている時はいつも脂汗を浮かべて辛そうにしている。
だから、特別な事情がない時以外は母さんが目を閉じているのを僕は知っている。
僕は母さんがどう辛いのかは知らない。でも、母さんの辛そうな顔は知っている。
僕は知っていた。僕が父さんや母さん、姉ちゃんの誰とも似ても似つかない事を。
だけど僕は大好きだ。本当の家族ではないのだと、この時は思っていたけれど、僕は本当に大好きだった。
だから母さんのそんな辛そうな顔は僕は見たくはないのに……。
僕は少し泣きそうになりながら見ろと言った事を訂正しようとする。
だけどもう遅くて母さんは目を開いた。
母さんの緑の瞳からこぼれ出る何かが緑の燐光となって散っていた。
母さんは千里眼をもって、僕の渡した白い百合の花の色を見た。
「本当、真っ白ね。とっても綺麗だわ、ありがとう」
そう言いながら母さんは僕の方を見て辛そうな様子もなく微笑んでくれた。
あれ? 平気なのかな。
一瞬そう思うものの、母さんのこめかみから脂汗が一筋流れ出るのを見た。
……平気なわけないんだ。僕のために無理をしてるだけなんだ。
僕は息を呑んだ。
「あ、ごめん。カイト。この目で見たら怖かったかしらね」
僕の様子に気づいた母さんがぱっと目をそらした。
「違うよっ! 僕はかーさんのその目好きだよ。キラキラして綺麗だもの。もっと見ていたいくらいだよ」
「そうなの? ふふ、カイトがそう言うのならお母さん目を開けたままでいようかな」
嬉しそうに笑う母さん。だけど明らかに無理してるのはほんの少し震える百合を持つ手でわかった。
「ダメだよ。もう目を閉じて。辛いんでしょ? 僕はその目は好きだけど、大好きなかーさんが辛そうなのは嫌なんだ。だから、いいよ」
僕は母さんに抱きつきながらもういいと訴える。
「……そう。わかったわ」
ゆっくり目を閉じる母さん。
「ありがとう、カイト。優しいのね」
そう言うと、母さんは僕を抱きしめ返してくれた。
「それにしてもカイト。どうしてただいまも言わずにこんなところでジッとしてたの?」
優しい声で効いてくる母さん。
「……かーさんをビックリさせようと思って」
ばれてしまった事を口で説明するのはなんだかはずかしいけど。聞かれてしまったからには答える。
「え? ビックリ? ああーっ、そういう事なのね。……あらあら、ちょっと修行しすぎちゃって損したかしらね」
母さんは一人納得したように笑うと、僕の事を抱きしめる力がもう少しだけ強くなったのだった。




