「いらっしゃいにゃーせー」
ねーちゃんは僕と手を繋いでゆっくり歩いてくれた。
ねーちゃんはずっとニコニコと僕に話しかけてきた。だから僕もニコニコとした顔しかできなくなっちゃった。僕はもうすっかり元気になった。
そうして歩いているうちにパルさんのパン屋の入り口をくぐる。
「さすがに、もう結構空いてるみたいだね」
そう言いながら店内を見回す。多分いっぱいパンが並んでたであろう棚はほとんどがスカスカになっていた。まだ日が昇りきってないのに売り切れ状態だ。
うーん、それにしても店の中にパルさんが見えない。
「パルさーんいるー? ソーラだよー?」
ねーちゃんが店の奥の方に声を飛ばした。
飛ばした先から、ひょこっと縦に長い筒状の帽子を被った人が顔を出した。
「いらっしゃいにゃーせー。おや?」
長い帽子を被った人。パルさんが僕らを見た後にきょろきょろ見回して、それと一緒に細長い円の模様のついた尻尾をゆっくりフリフリする。
パルさんは紋豹族で猫耳と猫の尻尾を持った人でこの村の人じゃない。でも、十日ごとに二日間この村でお店を開いているんだ。
パルさんはこんな変わったしゃべり方の人でパン屋さんしているけど、昔はとーさんと一緒に冒険者していて、とーさんと並んで駆ける事ができる一番の相棒だったらしい。
「ソーラとカイトの二人だけでおつかいかにゃ? えらいにゃー」
そう言いながらパルさんが僕とねーちゃんの頭をぽんぽんと撫でてくれた。ねーちゃんはふさふさの尻尾をぶんぶん振る。
「うんっ! パルさんにカイトの誕生日のケーキ頼んでたってお母さんが言ってたから来たよっ」
「うんうん、腕によりをかけて作ったにゃ。奥においてあるからちょっと待っててにゃー」
そういうとパルさんが奥に入っていくと、大きな真四角の箱を持って出てきた。たぶん、僕だと両腕で抱えるくらいの大きさだ。
「おまたせにゃー」
「えっ! すごいっ! そんなに大きいの?」
いつもケーキっていったら僕の両手にちょうどのるくらいの大きさなのに……。
あれはいったいどんなのが入っているんだろう。
「でも、お母さんがあたしに渡したバスケットってとてもそれが入りそうにないんだけど……」
そう言いながらバスケットを見る。それはリンゴがいくらか入るくらいの楕円形の籠だ。あの大きさの真四角の箱だとちょっと入らない。
ってことは、うち用のじゃないんじゃないのかな?
「頼まれたよりちょっこっと盛ってるにゃ。ミーからのカイトへのお祝いにゃー」
「わぁ、ありがとうっパルさんっ」
見た感じちょっこっと盛ったどころじゃないような気がするけどすごく嬉しい。中にはどんなケーキが入ってるんだろう。気になると見てみたくなって、僕の体は落ち着かなくなる。
見てもいい? そう聞こうとパルさんをみたら、パルさんは少し頭をひねっていた。
「うーん、チハヤちんが来ると思ってたからにゃー。君たちにこれを持たすとちょっと危ないかもしれないにゃぁ」
「そんなことないよっ、あたしちゃんと持てるよっ!」
ねーちゃんはパルさんに取りあげられたら困ると言いださんばかりに主張する。だけど、パルさんは顔を横に振った。
「これ見た目よりもうちょっとだけ重たいし、すごく崩れやすいからミーが持っていくにゃ。少し早いけど店じまいするからちょっとだけ待っててくれるかにゃ?」
それならと、ねーちゃんはうんうんと頷いて僕を見る。僕もうんと頷いた。
パルさんが持ってくれるならやっぱりそっちのほうが安心だよね。
「じゃあこのうちのコッペの作ったナッツ入りのクッキーでも食べながら待っててにゃー」
「え? コッペちゃんの? やったー」
ねーちゃんはそう言いながらパルさんからクッキーの入った袋を受け取る。
コッペちゃんはパルさんの住んでいる村のパン工房に付いているパン妖精。
パン妖精が作ったパンとかクッキーって美味しいんだ。
「はい、カイトっ」
ねーちゃんが早速袋を開けるとクッキーを一枚一口で口に頬張りながら僕にも一枚渡してくれる。僕も同じように頬張る。
「んーっ! はいほふっひーほいひいね (カイトクッキーおいしいね)」
「ほいひいへ、へもはへはなははへふのはほふはいはほ (おいしいね、でも食べながらしゃべらない方がいいかも)」
「あははは、はいほはひいっへふはあはんはひ (カイト何いってるかわかんない)」
僕とねーちゃんは顔をへにゃへにゃに緩ましたままパルさんを待った。
僕らはパルさんにケーキを持ってもらって一緒に家に帰ってきた。
「ただいまー」って言うと奥からかーさんがパタパタと迎えに来た。
「お帰りなさい、遅かったわね。どこで道草く――あら? パルドレオさんいらっしゃい」
「こんにちはですにゃー、ご注文の品をお届けにあがりましたにゃー」
「あら、そうですの? わざわざすみません」
かーさんがパルさんから箱を受け取ろうとして気が付く。
「……あら? ずいぶん大きいんですのね? えっと、これじゃあ前にお支払した分だけじゃ足りませんわねぇ」
「いえいえ、ミーのお気持ち分をデコレーションしただけですにゃ。お気になさらず」
「いいんですの? それはそれは、ありがとうございます」
「あ、後それは食べるまで冷やしてた方がいいですにゃ。と、言っても水にさらすわけにもいきませんからにゃー」
パルさんは冒険者用のカバンからごそごそと鉢に植えた花を出した。藤色と桃色の小さめの花が頭の方にたくさん付いているのが二株。ヒヤシンス?
「あれ? ヒヤシンス? 何で今咲いてるの?」
ねーちゃんも首をかしげながら気がついたみたいだけど。ヒヤシンスは春の花だから、今みたいな暑い時には咲いていないはずなのに。
「うんにゃ、これはヒヤリンスにゃ。似てるけど違うんだにゃー。夏に咲いて周りを冷やしてくれる花なのにゃ。これをその箱の回りに置いとくとちょうどいいですにゃ」
そう言えばパルさんが鉢を出してから涼しくなってきた気がする。
「へー、すごいっ! カイトこれ持っててっ!」
ねーちゃんが跳び跳ねながら僕に持ってたバスケットを押し付けると、パルさんから鉢を受け取った。
「わぁ、ほんとだ。ひんやりするっ! すごいんだねっ、こんなにかわいい花なのにっ」
「後良かったらこれもどうぞにゃ」
パルさんがまたカバンをごそごそするとパンをいくらか僕が持ってたバスケットに入れていく。
「売れ残りで恐縮ですけどにゃー、良かったら食べてくださいにゃー」
「いいんですの? ありがとうございます。至れり尽くせりでなんとお礼したらいいやら」
かーさんがパルさんに頭を下げる。
「かまいませんにゃー、今日は店を閉めし、明日村に帰りますしにゃー。置いとくよりは食べて――」
パルさんが手をひらひら振りながらしゃべってると途中で話を止めた。
そして、パルさんは頭に被ってた帽子を脱いで胸の前に抱えて、パルさんは猫耳をピコピコと動かした後に方耳を後ろのほうに向けると一瞬ニヤリとした。
「気にしないでくださいにゃ、奥さん。それもこれも奥さんに喜んでいただきたくてやらせていただいたことですにゃ」
パルさんが急に芝居がかる。
「そんなっ、私は人の妻。それも貴方の親友のですのよっ」
かーさんもノリノリだ。
「そんなのミーの情熱の前には関係ないですにゃっ! いや、だからこそミーを狂わせてしまったのですにゃっ!」
こういう時って決まって。
「あーれーっ、いけませんわっ。でもっ……!」
「こるぁっ! 俺のかわいいカミさんに手を出そうとする泥棒猫はどいつだぁっ!」
とーさんが居てるんだ。とーさんは口では怒っているけど、顔は笑ってた。
いつも通りだからねーちゃんも僕も普通に「おかえりなさい」っていうと「おうっ、ただいま」って頭を撫でてくれた。
「もー、リックちん緊張感ないにゃー」
「なんで緊張する必要があるんだよっ! 毎っ回三文芝居やりやがってっ」
「しーらないにゃー、そんなんじゃチハヤちん誰かにとられちゃうかもにゃー」
「んなわけねぇって、なぁチハ……ヤ?」
とーさんがかーさんの方を見て急に言葉が途切れた。僕もかーさんの方を見ると顔を少し伏せて斜め下に向けている。少し考えているように見える。
「そうね……。一緒になって八年。あなたとのトキメキも……」
「えっ! なっ、チハヤっ?」
かーさんがそこで言葉を切るととーさんは慌て出す。
「まったく途切れることがありませんわっ」
かーさんが顔をあげてニコっとする。とーさんも気が抜けて頭をわしわし掻いている。
「かーっ、なんだよからかうんじゃねぇよっ」
「ふふっ、ごめんなさい。悪ノリしちゃいました」
かーさんがペロッと舌を出す。
「デヘヘ、しょうがねぇなぁ」
とーさんは顔をだらしなく緩ませる。こういうのをメロメロって言うらしい。
僕はねーちゃんの顔を見ると、ねーちゃんはとーさんの事を少し呆れた顔で見ている。
とーさんは今日もまた、ねーちゃんの好感度を1下げた。
「あらら、子供たちの前でだらしのない顔ですにゃー。しかたがないから、今度はもっと本気で口説き文句を考えてきてリックちんを焦らすことにしますにゃー」
「考えていらんっ! それよりパル、今晩良かったら来ないか?」
「いいんかにゃ?」
「ええ、もちろんですわ。ねぇ?」
僕もねーちゃんもうんうんと頷く。
パルさんなら大歓迎だよっ!
「じゃ、お呼ばれしますかにゃー。店の掃除をして明日村に帰る準備を済ましたらまたきますにゃー」
「またねーっ」
パルさんがお店に帰っていく背中にねーちゃんが声をかけと、パルさんが振り返って手を振ってくれる。
ねーちゃんは手が空いてないから、僕がねーちゃんの分まで手を振って見送った。
「じゃあ、私たちもお昼を軽く済まして今晩の準備をしなくちゃね」
かーさんがそう言うとよしっと気合いを入れたのだった。
--- 図鑑 ---
《ヒヤリンス》
魔物。植物。多年草。
ヒヤシンスによく似た形状の花を咲かせる。雌雄異株。藤色が雄株で、桃色が雌株。
夏に咲く花で、夏になるとヒンヤリと周りの空気を冷やす。この夏の暑さをしのごうといろんな動物が良く寄ってきて花にくっついてきたものに花粉をつける。ヒヤリンスは一日中冷えているわけではなく、雄株と雌株で冷えてる時間が少し違うため、冷気を求める動物は雌雄株間を行き来する事になる。これによって動物を使って受粉をしているようだ。
土によって根付き安さがかなり違うらしく、どこでも咲くと言うわけではない。
冷気を吸収する性質があるらしく、夏の間のヒンヤリは冬の間が寒かった時ほどよく効く。よって年がら年中暑いところでは根がついてもあんまり冷えない。
鉢植えに植えたりして夜中にずっとヒヤリンスの近くで寝ていたりしているとお腹を壊す事も多いので要注意。