はじまり
ハァ、ハァ。
姉ちゃんを必死に追いかける。
藪のなかを小さい体で真っ直ぐ潜り抜けるように逃げるハシルバジル。
対して、藪をかわしたり飛び越えたりしながらも、尻尾でうまくバランスをとって速度を落とさずに追いかける姉ちゃん。
ハシルバジルにもぐんぐん追いついていっているみたい。
もちろん、喜樹からはどんどん離れていく。
そして僕は藪を抜けるたびにひっつき虫が増えていく。
姉ちゃんの尻尾なんかいっぱいひっつきそうなのに一つもない。
不思議。
「なかなかやるわね! でも、あたしの方が断然はやいんだから!」
前の方そんな声が聞こえる
姉ちゃんはいっそう速くなる。
僕はなんとか見失わないようにヒーヒー言いながら追いかけると、姉ちゃんがピタッと止まった。
どうやら前に黒い壁があって、ハシルバジルに追い付いたみたい。
よかった、これ以上は僕の心臓が破れそうだったよ。
僕はホッと息をもらしながら少しだけ走る速度を落とした。
それにしてもずいぶん真っ黒な壁が森のなかにあるもんなんだね。
なんかもこもこしてるし苔でも生えてるのかな?
そう思いながら姉ちゃんに視線を戻す。
姉ちゃんはハシルバジルの葉の採取もしないでまだボーッと突っ立っていた。
何しているんだろう。
僕はよく見てみると、姉ちゃんは壁を見上げている。
それも、姉ちゃんってば小刻みに震えながらだ。
おかしい。
背中に冷たい汗を一本伝わせながら走って近寄る。壁のもこもこは苔じゃなくて毛皮に見える。
もう少し近寄る。木の枝が邪魔で見えなかった壁の上の方が見えた。
壁には二つの目と突き出た鼻に鋭い牙のはえた口が付いていた。
黒い壁だと思っていたそれは大きな黒い熊だった。
普通の熊でも十分すぎるほど危険なのに目の前のそれは普通の熊よりもさらに倍以上背が高い。
その熊は姉ちゃんをじっと見ては、ニヤリとしながらヨダレを垂らした。
こわい。
僕は全力で走った。
ヨダレが一本地面に伸びる。
「ひぃっ」
姉ちゃんが小さく悲鳴をあげて背中を向けて身を強ばらす。
こわい。こわい。
心臓が爆発しそうだ。構うものか、それでも僕の足は止まらない。止まったら喰られる。
こわい。こわい。こわい。
鋭い爪をカチャカチャ鳴らしてから振りかぶると、それを突き立てようと降り下ろそうとする。
「姉ちゃんっ!」
僕には姉ちゃんが喰られるのがこわいっ! イヤだっ!
僕は姉ちゃんに横から押し倒すように飛び付く。突き立てるつもりでいた爪は僕のせいで一旦空を切る。
けど、そのまま薙ぎ払うように方向を変えてきた。
このままじゃ僕ごと姉ちゃんまで――
【甲は乙の願いにより丁を守る盾】
母さんが僕に持たせてくれたお守りから紙が飛び出すと紙がしゃべった。
紙は光る六角形の盾を作り出すと、熊の爪を受け止める。
いけるのかな?
一瞬だけそう思った。
けどそんな希望と一緒にその盾は陶器の割れるような音を立てて砕ける。
でもすぐにもうひとつ紙が飛んでいった。姉ちゃんが持たされたお守りだ。
【甲は乙の願いにより丁を守る盾】
また紙がしゃべると盾を作る。
今度はいくらか長持ちした気がするけど、やっぱりすぐに高い音を立てて砕けた。
その爪は僕に向かう。
熱っ!
盾を割った爪は僕の背中を縦に切り裂かれる。それは痛いと言うより熱かった。
僕はそのまま姉ちゃんを抱えたまま地面に倒れる。
爪は僕の背中で止まったみたい。
姉ちゃんに怪我はなかった。
エリンちゃんは姉ちゃんに抱えられてた。
そっか、エリンちゃんも無事だったんだね。よかった。よかったね。
じゃあ。
――姉ちゃん逃げて。
僕はそう口を動かした。声も出したつもりだったけど、なんだか耳がキンキンして自分の声が聞こえない。
でもきっと届いたと信じて、体の力はあまり入らないけど僕が覆い被さったままだと逃げにくいだろうから、少しだけ体をずらした。
その時に姉ちゃんと目があった。
緑色の瞳。
キレイだね。
僕はもう一度口を動かす。
逃げて。
僕は地面にずり落ちた。
姉ちゃんは僕の体の下から抜け出る。
そう、そのままエリンちゃんを連れて逃げるんだ。姉ちゃんの足なら逃げ切れるから。
僕はそう思って一度目を閉じる。
「カイトーーーーっ! あーーーーっ!」
姉ちゃんの泣き叫ぶ声にもう一度目を開ける。
僕の手を握ってへたりこんでいた。
これじゃあいけない。
熊は爪をチンチンと合わせて鳴らしてからペロリと爪に付いた僕の血を舐めている。行儀の悪いやつだ。
もちろん、それだけで満足するわけない。直ぐにでもまた襲いかかってくるだろう。
僕は、この手を振り払って、突き飛ばしてでも逃がさなきゃ。
姉ちゃんにそんな悲しいことはしたくない。
でもっ!
熊が一歩近づいてきた。
猶予がない。
僕は力を込めて立ち上がろうとする。
力が入らない。
せめて手を振り払おう。
ダメだ、力が入らない。
熊がもう一歩近づく。
――最後に一回だけでいいっ! うごけぇぇぇぇっ!
「うちのカイトに手を出してんじゃねぇぇぇぇぇ!」
声が遠くの方から藪を突き抜けてきた。
父さんの声だ。
僕は一瞬気を緩める。
そうすると、今になって血がいっぱい出ている事に気がついた。
……なんだか体がすごく重たくなってきたよ。
そう思っていると、目の前に目をパチクリさせた黒くてまるいのが現れた。
ウサギの耳みたいなのがてっぺんについている。
なんだっけ、これ。
『だい……じょうぶ、おね……むり』
どこからか途切れ途切れに声が聞こえた気がしたら、目の前のが歌を歌うように揺れてから僕に息を吹きかける。
僕のまぶたが猛烈に重たくなる。
……僕、死んじゃうのかな? バイバイも……、言えなかった……、ね。
僕の意識は闇の中に沈んでいった。
◇◆◇
サー、サー
川の音? そして僕の視野に入るのは背の高め草の先。
僕の体は草に埋もれている?
なんでこんなところにいるんだろう。
……でも、見覚えなくもないね。
体は……。
動かない。というか、体に意志が伝わらない?
「あっ! いたーっ!」
少し離れたところで姉ちゃんの声が聞こえた?
そう思っていると何かが飛び出してきた。
「あかちゃんだーっ! かわいいねーっ!」
緑色の目をした二歳くらいの女の子が僕の事を覗き込みながら言う。その頭の先には青い狼の耳。だけど先っぽが白い。
あかちゃん? どこ?
っていうかこの子、姉ちゃんにそっくりだね。でも、姉ちゃんがこんな幼いわけないし。
その子は何かの声に振りかえる。尻尾がふりふりする。僕の目線は勝手にそっちに行く。
尻尾も青色の狐の尻尾で先っぽが白い。
ますます姉ちゃんそっくりだね?
そう思っていると。その子は僕の視線に気がついたのか自分の尻尾をさすりながら僕と尻尾を交互に見る。
「ソーラのしっぽ。みてるのかな?」
え? ソーラ?
そんな、名前まで一緒だなんて。
……不思議な事もあるもんだね。
「ふふふ、ソーラの尻尾を気に入ったのかもね。ほら、手を伸ばそうとしてる。
ソーラのしっぽを気に入るなんて赤ちゃんのうちからなかなか見る目があるわね」
今度は母さんの声が聞こえたかと思うと女の子の横に顔が並んだ。
白い髪に白い狐の耳、母さんにそっくり。しかも目を閉じてるところまで。
でも、少しだけ若いような気がしなくもない――
いや今でも若いお母さんでいいわねって言われてるんだよっ。二十五歳だけど二十前にしか見えないってよく言われてるんだよっ。
別に、何のフォローってわけじゃないけどね。
でもどういうこと?
「そっか、じゃあさわっていいよっ!」
女の子がそう言うと、尻尾を僕の顔の前に差し出す。
僕は僕の意志とは別に勝手にそのしっぽにべたべた触りだす。
あれれれれ?
「あはは、くすぐったいよー。ソーラのしっぽがいいんだ……」
姉ちゃんみたいな女の子がきゃっきゃと笑う。
僕の口はなぜか勝手にあーっと大きく開く。
どうして? どうして?
「あーっ、たべちゃだめーっ!」
なんと僕は尻尾をあぐあぐしようとしていた。
本当だよ僕っ! 人の尻尾を口に入れるなんてけしからんことだよっ!
口を開けながらそう思っていると姉ちゃんみたいな女の子が必死に僕の口を手で押さえてきた。
「もうっ! しっぽはたべちゃだめっ! メッ、だよ!」
女の子がそう言ってるそばで、母さんみたいな人が立ちあがって目を開ける。
緑色の瞳が覗かせるて周りをぐるっと見渡す。
視線を移すたびに緑色の光を零す。
間違いない、千里眼だ。母さんと同じだ。
じゃあやっぱりこの人は母さんなんだ。
そしたらこの女の子はやっぱり姉ちゃんで、僕は赤ちゃんになっているの?
「おかーさん」
「うん? なぁに?」
「どーして、このこね。ここにいるのかな?」
姉ちゃんは僕の方を向きながら母さんに質問をした。
「うーん、お母さんにもちょっとわからないわねぇ」
今度は姉ちゃんはくるっと母さんの方に向き直る。
「じゃあね、おかーさん」
「うん?」
「このこのね、おとーさんとおかーさんはどこなの?」
姉ちゃんのこの質問? これって……
「うーん。たぶん……、いない……、わね」
「えっ?」
母さんが水にぬれた葉の滴が水面に落ちるかのごとくポツリポツリと答えた。
姉ちゃんもその答えにポタリポタリと涙をこぼしだした。
「この子。いないの? おとーさんとおかーさん。
……さみしくないの? ソーラだったらいやだよ!
……おとーさんもおかーさんもいないなんて、いや! ぜったいいや……
ぜったいだよ?」
「ソーラ……」
姉ちゃんが僕のために泣いている。赤ちゃんの僕もその姉ちゃんを見て泣きだしている。
姉ちゃんは僕をぎゅっと抱きしめた。
「どうして? そんなのいやだよね?
……かなしいよね? おとーさんいないの。
……さみしいよね? おかーさんいないの」
これは、僕の記憶なんだね。
そっか……
「……そっか」
え? 僕じゃないよ?
記憶の中の姉ちゃんがにこーっと笑いながら呟くと僕と向き合った。
「ソーラがおかーさんになる。
そしたら、さみしくないよね。そしたら、かなしくないよね。
だいじょうぶだよ、ソーラがいるよっ!
あはは、なーんだー。もうさみしくからねっ!」
姉ちゃんがそんな事を言う。
あはは、姉ちゃんったらこんな小さい時からおかしなことを言ってたんだね。
もう、おかしくっておかしくって。
……涙が出そうだよ。
「……ソーラ、優しい子ね」
母さんは僕と姉ちゃんの頭をなでる。
閉じた目からはさっきの緑の光とは違う光がちょっとだけこぼれそうだった。
「あれ? おかーさんないてるの? だいじょうぶだよ?
このこはもうさみしくないよ? おかーさんもなかないで?」
姉ちゃんが母さんに向かって言うと、母さんは姉ちゃんのおでこにほっぺたを押しつけてからおでこに軽くチューをした。
姉ちゃんもにぱって太陽みたいに笑う。
「ふふ、うふふ。そうね、だいじょうぶよね。ソーラがいるものね」
「そうだよ、ソーラがおかーさんになるよ」
姉ちゃんは言う。
真っすぐな瞳。
真っすぐな気持ちで。
「いい考えね。さすがはソーラよ。でもね、ソーラがおかーさんをするにはちょっとはやいわ」
「え? じゃあ、なにさんになればいいの?」
「ソーラはね、おねーさんになりなさい」
「おねーさん?」
姉ちゃんは頭をちょこっと斜めにして聞き返す。その頭を母さんがまた撫でる。
「そう、おねーさんよ。
おねーさんはね、おとーさんやおかーさんと一緒にこのこをさみしい思いをさせないようにするための人なの。ソーラならできるわよね?」
「うんっ! できるっ! ソーラ、おねーさんになるよっ!」
姉ちゃんが嬉しそうに笑うと元気よく答えた。
「ふふ、いい子ね。じゃあ、この子を一度おうちに連れて帰りましょうか。
おとーさんにも見せなきゃね」
「うんっ!」
母さんが僕を抱いて立ち上がる。
「ソーラがだっこするよっ! おねーさんだもんっ!」
姉ちゃんがすごく使命感の溢れる目で母さんに訴えかける。
思い出の中なのに僕に危機が迫る。
二歳の女の子に抱っこされるのは、絶対にいいように転ばない。
むしろそのまま転んでしまいそうだ。
「んー、おねーさんにはまだちょっと抱っこして歩くのは早いわ。
ソーラがもうちょっと大きくなって免許を取ったら抱っこしても大丈夫よ」
「へー? めんきょがないのにだっこしたらどうなるの?」
「えっと……、村長さんみたいに禿げちゃうわ」
「ひぃっ! そ、ソーラにはちょっと抱っこははやいかもっ!」
姉ちゃんが頭のてっぺんをさっと隠す。
村長さんの頭はそれ由来だったんだね。
「ふふ、じゃあおうちに帰りましょうか。
赤ちゃん抱っこしてるからおててはつなげないけど。あんまりはしゃいじゃいけませんよ」
「うん!」
そう言いながら村に戻って行った。
ここで赤ちゃんの僕もうとうと眠りだす。
再び僕の意識も闇の中に沈んでいく。
そっか、これが死ぬ前に見る走馬灯ってやつなんだね。
こんなのみたら……
僕は……
でも、もう逢えないんだね……
この次の話あたりまでが焼き直し分なんで、すでに図鑑にのってますけども。
《ハシルバジル》
魔物の一種。草木型または人型ともいわれる。
普通のバジルとまったく見分けがつかないが、走って逃げるために株はあまり大きくならない。
管理された畑にハシルバジルが生えてると、大地の恵みをたくさん吸いあげるため、回りの作物の生育が少しだけ悪くなる。
他に特に害はなく、その葉っぱは薬草として最高レベルであり、その効果は多岐にわたる万能薬の元である。軟膏にして塗っておくと傷口はすぐにふさがり始める。また、高純度のアルコールにつけておくと特級消毒液にもなる。食べれば微量だが滋養強壮体力回復にもなる。
しかし、葉の取得は困難を極め、見つけにくいだけでなく、葉に触れようとするものとは反対方向に走り出す。
ただし、一直線にしか走らず走った先に飛び越えれない壁などがあった場合、または触れようとしたものに先に回り込まれた場合はピタッと止まる。
もしくは、走る力がなくなったときも止まる。
だが、息切れでハシルバジルが止まった場合は、その葉の効力も極端に落ちてしまうため取得方法としては望ましくない。
ハシルバジルだと断定してる場合はあらかじめ壁に向かう。または板などで敷居で囲んでから触れるとすぐ決着がつく。
ハシルバジルを止めることができた場合は、ハシルバジルが止まってる間に葉を2~3枚貰うことができる。あまりたくさんもらおうとするとハシルバジルの目と思われるところに特別な力をのせて、恨めしそうに葉を摘むものをジッとみてくる。その視線をあびたものは非常にいたたまれないもうしわけない気持ちになってしまうため2~3枚にとどめておこう。
しばらくするとハシルバジルはどっかにスッと消えてしまうか、またその場に埋まってしまう。
その場に埋まってしまった場合は、頭がちょっとみえているので土を盛ってあげて隠してあげるのがマナーだ。
葉っぱは食べることもできるが大変辛い。
その辛さを生かして気付けに使うこともできるが、ほかの用途に使った方が有用なためあまりすることはない。
《ギガントベア》
魔物。獣型。四足じゃなく二本足で立って行動することもあるが獣型。雑食。
まるで壁のように大きなクマで二本足で立つと4m強、大きいものだと5m近くなる。
力が強く、へたな魔獣にも力負けはしないくらいではあるらしい。
爪は刃物のように鋭く得物を裂いたり突き刺したりできる。美食家気取りのものが多く、いきなり直接獲物にかぶりつくのはマナーがあまりよくないと感じているらしい。
人間の育てた畑とか家畜とかでもひとかじりしてほっぽってほかのを食べに行ったりが少なくないので大変癖が悪い。
冒険者ギルドでもよく討伐対象になっている。しかし、そこそこ強いためそれなりの実力がないと大変危険。
ギガントベアの肉は食べることができ栄養満点で捨てるところがあまりない。ただ、ギガントベアが生前よく食べてたものによって風味が大きく変わるようだ。




