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竜の物語

作者: 平なつしお

 遠い遠い昔。どこかの国の活火山。

 絶えずマグマを吹き出して、熱気と硫黄の匂いをばら撒く楽園の真逆。――そこに、一匹の竜が住んでいました。

 力強い腕は山をたやすく砕き、

 雄叫びは嵐を彷彿とさせ、

 吐く息は海を沸騰させます。

 神々にもっとも近い天竜。火山に住む彼は、そう呼ばれていました。

 竜の日課は、日の出と共に火山の麓にある湖へ水浴びに出かけることです。

 家よりも大きな翼を広げて、ひとっ飛び。

 湖の直前で宙返りして、頭から飛び込むのが竜は好きでした。

 この日も同じようにして、湖に大きな波を起こします。

 跳ね上がった水は、湖を囲む森のそこかしこに雨となって降り注ぎ、木々や動物たちの喉を潤すのです。

 竜が水浴びをしている時間、湖に近づく動物たちはいません。

 動物たちにとって、この竜は神様にも等しい絶対存在です。同じ時間に水を浴びるなど、とても許される行為ではありませんでした。

 竜自身も、間違って動物たちを傷つけてしまうことがないように、寂しいけれどここは我慢しています。

 白銀色に輝く鱗を水で浸し、竜は心地良い朝の風に身を任せてしばらくを過ごしました。

 やがて、竜は翼を広げて森の奥へと飛んでいきます。そこには、彼の友人である森の長が住んでいます。

 いつもは夕方頃の夕飯を食べるときに合うのですが、今日ばかりは聞きたいことがあるので、真っ先に向かっているのです。

「おやおや竜殿、今日はお早いですな」

 森の奥の大きな木の枝に、長は住んでいます。

 竜と比べるとかなり小さいですが、それでも立派な体つきをした白いフクロウです。

 竜はあいさつもそこそこに、長に聞きたいことを訪ねました。

「ほうほう。竜殿の瞳のように真っ赤な果実」

 先日、火山の近くにある村の上を通ったときに、竜は樹になった真っ赤な果実を見つけたのです。

 天の秘石と言われる竜の瞳に負けない真紅色をした、まんまるの果実。

 竜は、一目見ただけでその果実を気に入りました。

 そして、こう思ったのです。

 食べてみたい。

「それは、人間たちがリンゴと呼んでいる果物ですな」

 さすがは森の長です。竜が知りたかったことを、簡単に答えてくれます。

 だから竜は続けて聞きました。

 食べたいのだけれど、どこで手に入るのかと。

「それは、困りましたな。リンゴはこの森では手に入らないのです。あれは、人間たちが栽培用に外から持ってきた品種ですからな。

 いやはや、人間たちの活動範囲には恐れいります。そのうち、この森にも手を出しかねません」

 長の言っていることが難しくて良くわからない竜でしたが、食べられないと言うことはかろうじて理解できました。

「どうしても食べたいのでしたら、やはり人間からもらうのが一番でしょうな。なに、竜殿ならひとっ飛びして木になっている果実をつんでくればよろしかろう」

 確かにと竜は思い、けれどと翼を広げた直後に思いとどまります。

 リンゴを観察していた竜は、あの果物がなにか光るものと交換されているのをしっかりと見ていました。

 ここは人間の流儀に乗っ取り、交換してもらうのが一番いいと考えたのです。

 けれど、光るものがなんなのかわからない竜は、やっぱり長に訪ねます。

「うぬ、ここから西に言ったところに洞穴がありましてな、そこにキラキラ光る石がございましたな」

 詳しい場所を長に聞いた竜は、翼を広げて飛び立ちました。

 目指すは西の洞穴です。






 あっ、という間に山肌の洞穴にたどり着いた竜ですが、いきなり困ってしまいました。

 洞穴は雲よりも高くに昇った山頂にあったのですが、そこまではひとっ飛びだったのでなんの苦労もありません。

 問題は、洞穴の入り口が小さすぎて竜では入れそうにないのです。

 仕方なく中を覗いてみましたが、確かに奥の方にキラキラと光なにかが見えました。

 竜は考えます。自分でもあまり頭は良くないと思っている彼ですが、必死に考えます。

 これも、単にリンゴを食べてみたいがためにです。

 日が暮れるまで真剣に考えた竜は、結局は力技に頼るのが一番だと気が付きました。

 吐息では、奥のキラキラも溶かしてしまうかもしれないので、手で洞穴を広げるのです。

 幸いにも、竜の腕は山をも砕く力を持っていました。

 二度、三度と腕を振るえば、みるみるうちに入り口は大きくなっていきます。

 簡単に掘り進んでいるように見えますが、竜の身体が入るまでの大きい穴となると、かなりの広さが必要となります。さすがの彼の腕力を以てしても、すぐには終わりそうにありません。

 けれども、竜はせっせと穴を掘り続けます。あの、赤くて美味しそうなリンゴを手に入れるために。

 そうして、一晩をかけて竜はキラキラのあるところまでを掘り進めました。

 途中、勢い余って山の一部を崩してしまいましたが、キチンと元の形に埋め直しておいたので大丈夫だろうと、竜は自己完結しています。

 とにかく、竜はようやくキラキラ光る物を手に入れました。

 登り始めた朝日にかざすと、それは虹色に輝いて見えます。

 実は、オリハルコンと呼ばれる世界有数の鉱物なのですが、もちろん竜はそんなこと知りません。

 一抱えもあるオリハルコンをもって、竜はリンゴの木がある村まで翼を羽ばたかせます。

 風よりも早く、雲を追いぬいて、竜はこの空の誰よりも速く飛びました。

 竜が村までたどり着くのに、時間はかかりません。

 いつもの調子で飛び込もうとして、水がないことに気がついて慌てて急制動をかけて地面に降り立ちます。

 竜の巻き起こした風に木々が揺さぶられ、一部の家では屋根が吹き飛ばされてしまいました。

 村の人々は突然現れた竜に驚き、皆が皆、這這の低で逃げ出していきます。

 それは、リンゴを育てている農園の娘たちも例外ではありません。

 いえ、ただ一人だけ逃げ遅れた娘がいました。

 農園の一人娘で、村一番の美人と評判の娘です。彼女は、目の前に降り立った竜にたいそう驚き、腰を抜かしてしまっています。

 震える彼女のそばには、収穫したばかりのリンゴが散らばっています。竜は、これ幸いと、手にしたオリハルコンを娘のそばに置きました。

 置いた、と言うよりかは落としたでしょうか。大きな音を立てて、オリハルコンの欠片が飛び散ります。

 リンゴとこれを交換しようと、持ちかけたのですが生憎と竜の言葉は人間には理解出来ないのです。

 なので、娘には竜が大きな光る石を落としたようにしか見えません。

 竜は、少女がリンゴを差出してくれるのを今か今かとワクワクしながら待っています。

 少女は、竜が何をしたいのか理解できずにブルブルと震えています。

 言葉が通じないゆえの、悲しいすれ違いがここにありました。

 しばらく待って、なかなかリンゴをさし出してくれない少女に、竜はもしかしたらと思います。

 これは、リンゴと交換できるものではないのだろうか、と。

 確かに、オリハルコンとリンゴでは全然釣り合いが取れていませんので交換はできないのですが、竜にはそんなことはわかりません。

 仕方なく、竜はオリハルコンをもって再び空へと舞い上がります。別のキラキラ光る物を探しに行くために、まずは邪魔なこれを片付けようと思ったのです。

 突然現れ、不可解な行動をとって消えた竜を、少女は呆然と見送りました。






 自分の巣に戻った竜は、オリハルコンをそのへんに放り投げて、長に相談に行こうと翼を広げます。

 いざ飛び立たんとしたところで、不意に足元から声がかかりました。

「おーい、竜様や」

 ドワーフと呼ばれる種族の国王で、よくこの活火山に鉱石を取りに来る彼が竜を呼んでいます。

 なんだろうと思い、竜は顔をドワーフの王へと近づけました。

「竜様や、どうかこのオリハルコンを私に譲ってやくれませんか」

 竜としても、邪魔なのでそれは別に構わなかったのですが、こんなものを何に使うのかと純粋に疑問だったので、問いかけます。

「そりゃあ、竜様のようにお強い方なら不要でしょうが、私らみたいなのが魔王と戦おってんなら、世界最鉱と名高いオリハルコンで作った武器がありゃあ百人力でっさ」

 詳しく聞いてみると、どうやら魔王と呼ばれる悪いヤツと戦うために、オリハルコンで武器を作りたいと言うのです。

 悪いやつならば自分が倒そうかとも思った竜ですが、昔、邪神と戦った時に大陸の形を変えてしまったため、神様にお前は戦うなと言われたことを思い出し、やめました。

 とりあえず、竜にオリハルコンは必要ないので王に気前よく上げることにしました。

 ところが、一つだけ問題があります。

 オリハルコンの大きさは、竜が抱えられるほどです。いかに怪力でならしたドワーフの王でも、小さな山くらいの大きさがある鉱石を持ち運ぶことはできません。

 だから、竜は王を背中に乗せて、オリハルコンを抱えてドワーフの国まで飛ぶことにしました。

 初めは萎縮していた王様ですが、せっかくのご好意と最終的には思い、竜の白銀の鱗にしがみつきました。

 その時、オリハルコンよりも硬い物があるのだと知り、少しだけ創作意欲がむくむくと沸き立ったのは王だけの秘密です。

 ドワーフの国は、竜の巣からそんなに離れていません。と、言うのは竜の主観であって、普通の馬でも一昼夜走らなければならない程度には遠くにあります。

 もっとも、竜にとってはほんの数十分ていどの旅路ですが。

 ドワーフの国に行く途中、竜は地上の街にふと目を向けました。千里先まで見渡せると言われる竜の瞳が、まっすぐにまん丸で赤い果物を捉えたのです。

 それは、人間たちの市場にならんだリンゴでした。

 ほんの少しだけ減速して、竜は眼下の光景に目を凝らします。

 見れば、リンゴと交換にやはりキラキラ光る物が使われています。ただし、それはオリハルコンのように虹色ではなく、金色に輝いていました。

 色が違うのかと、竜は一つ学習します。

 一応の満足を得て、竜は再び加速しようとしましたが、その前にリンゴがなにかフワフワでモコモコの物とも交換されていることに気が付きました。

 竜は、そういえばフワフワでモコモコで金色に光る物があったことを思い出し、王を降ろしたら早速取りに行こう思い立ちます。

 もうすぐリンゴが手に入る。そう思うと居ても立ってもいられず、ついつい加速しすぎて危うく王を振り落としそうになってしまいました。






 王を降ろした竜は、そのまま空高く登っていきます。

 高く、高く、雲よりも高い空へと。

 そうして、昼と夜の境目までやってくると、竜の視界に金色の宮殿が現れました。

 神様の住まうお城です。ずっと昔、竜はここで暮らしていました。

 この宮殿の庭に、フワフワでモコモコした金色の物が置いてあったのを思い出したのです。

 勝手知ったるなんとやら。竜は、さっそく宮殿の中庭に降り立ちます。

 そこでは、たくさんの戦乙女が剣の稽古をしている真っ最中でした。

 歴戦の戦乙女であっても、さすがに突然現れた竜には驚きを禁じえません。

「むっ、竜ではないか」

 その中で、一人の戦乙女が竜に話しかけました。

 彼女は大昔、竜を自分の家来にしようと戦いを挑んだことがあるほど、戦乙女の中でも有数の実力者です。

 戦いの結果は、さすがに戦乙女とは言え神に等しいとさえ言われる竜には届かなかった。とだけ、記しておきましょう。

「お前が此処に来るとは珍しい。どうした、ついに我がものとなりに来たか」

 竜は首を振り、素直にフワフワでモコモコで金色をした物を取りに来たと答えます。

「フワフワで……ああ、不死鳥の羽毛か。なんだ、以前に送られた布団に穴でもあいたのか」

 不死鳥の羽毛布団は、今でも竜の寝床に鎮座しています。ほんのり暖かく、最高の寝心地を提供する彼の愛用の一品です。

 もちろん、大事に使っているので穴なんてあいていません。

 いぶかしげな表情をする戦乙女に、竜は説明します。

「麓の村の女にくれてやるだと」

 代わりにリンゴを貰うためですが、戦乙女は最初の部分だけを聞いてそのまま考え込んでしまったために、竜の話を最後まで確認していません。

 それが後々と問題になるのですが、この時の竜はもちろんそんなことに気がつくはずもありませんでした。

 なにやら考え込んでしまった戦乙女を放り置いて、竜は庭の一角に巣を作っている不死鳥から羽毛を引き抜いていきます。

 不死鳥の羽は、抜くたびに生え変わるので一羽でいくらでも取れました。

 やっぱり一抱えほどを集めて、竜は近くの麻袋に入れて持ち帰ることにします。

 竜の、誰もが畏敬の念を抱く顔は今ではリンゴの味を想像してか、だらしなく緩んでいました。

 帰る前に戦乙女に声をかけようかと振り返った竜でしたが、彼女は未だにブツブツと何事かをつぶやいていて、なんか怖かったので無視して翼を広げて飛び立ちます。

 黄金の宮殿を飛び立って、竜はまっすぐに麓の村へと向かいます。その勢いたるや、今までで最高の速度を出していたのではないでしょうか。

 瞬きをする間に村までたどり着いた竜ですが、昨日はいきなり訪問して驚かせてしまったことを思い出します。

 今日は気をつけて行こうと思い立ち、村の外れに降り立ってそこから徒歩で移動することにします。

 大きな竜の歩みですから一歩ごとに地響きが鳴り、地面が重さに耐えかねて陥没してしまいました。けれども彼は、はやる足を止められません。

 もうすぐリンゴが手に入ると思うと、おもわずスキップが出てしまうほどでした。

 付近に甚大な被害をばらまいて、竜はリンゴ農園までやってきました。今日も収穫で忙しいのか、せっせと娘たちが働いています。

 けれども、地響きとともにやってきた竜に驚いてやっぱりみんなが逃げ出してしまいました。

 竜は、逃げていく娘たちを不思議そうに眺めながら、リンゴの木のそばで蹲っている少女に近づきます。

 先日の、逃げ遅れた少女です。彼女は今日もまた逃げ遅れ、再び竜と相対することとなってしまいました。

 麻袋の中から不死鳥の羽を取り出し、竜は少女に見せます。こんどこそ大丈夫だろうと、心持ち顔がにやけていますが、人からすればそれは、獲物を前にした肉食獣にしかみえません。

 ワクワクとしながら竜は待ちますが、当然ながら少女は不死鳥の羽をリンゴを交換して欲しいだなんて夢にも思いませんので、ただただ困惑した視線を向けるばかりです。

 何時まで経ってもリンゴをくれない少女に気が付き、竜はこれも違うのかとがっかりと肩を落としました。

 麻袋の中に手にした不死鳥の羽をしまって、竜は長に相談しようと思い立ち、空へと身体を浮き上がらせます。

 あとには、竜を見送った少女と何枚かの不死鳥の羽が残されていました。






 森の長のもとには、先客が訪れていました。長い耳をした種族、エルフの女王です。

「これは天竜さま、お目にかかれて光栄です」

 敬々しく女王はおじぎします。いかに一つの国を支配する彼女でも、天竜と名高い彼には礼節をもって接しなければなりません。

 竜はそのあたりの感覚はよくわかっていませんが。

「おお、竜殿。目的は果たせましたかな」

 長に首を振って、竜は邪魔な麻袋をおろします。中身がこぼれましたが、せっかくなので森の動物の寝床に提供しようかと思い立ちました。

 ところが、反応を見せたのは予期せぬ人物です。

「なんと、これは不死鳥の羽ではございませんか」

 信じられないと言った顔つきで、恐る恐ると不死鳥の羽に触れます。かえってくる感触は最上級の絹やエルフ謹製の織物よりも滑らかで、手に持っても重さは一切と感じられません。

 布製品を作る素材として、もっとも上質なのは間違いなく不死鳥の羽でしょう。

「ほうほう、これがかの」

「天竜さま、どうか私めにこの羽根を譲ってはいただけないでしょうか」

 またかと、竜は思いますが別にいらないのでもちろん、快く承諾します。

「ああっ、さすがは神話に詠われる天竜さま。これで魔王の魔法に対抗するマントを作ることができます」

 不死鳥自身が持つ、強い抗魔力は羽によるところが大きいため、それを元にして作られた防具は当然ながら強力な対魔法装備となるのです。

「ほうほう。確かに、不死鳥さまの羽であれば、この老いぼれよりも素晴らしいものができますでしょうな」

 喜ぶ女王と長に、とりあえず同調して竜も笑みを浮かべます。分かりにくいですが。

「ほうほう。聞けば、ドワーフの王にもオリハルコンを譲ったそうではないですか。やはり竜殿も、魔王は驚異と見ますかな」

「なんと、あの名高いオリハルコンまでも。ドワーフ族の技術があれば、かの鉱石も間違いなく最高の武具となることでしょう。

 ああ、これで魔王との戦いに赴く勇者様の安全は守られたも同然です」

 どこか陶酔した表情をしながら、女王は不死鳥の羽をだきかかえたままに、クネクネと全身をゆすります。

 竜は、若干ひきました。

 それにしても、竜の知らないところで世界の情勢は動いているようです。

「うぬ、竜殿が戦に参加出来ればまさに百人力なのですが」

「ですが、神話に連なる天竜さまの力は正しく神のそれと聞き及びます。たやすく頼るには、いささか大きすぎます」

 強い力は、それが正しく振るわれようとも恐怖を産んでしまいます。エルフの女王も、森の長もそのことは熟知しておりました。

「では、私はこのあたりでお暇させていただきます。さっそく国に帰り、この不死鳥の羽で世界最高のマントを作ってご覧にいれましょう

 森の長よ、このたびは不躾な訪問をお許し頂き、有り難く思います」

 長に頭を下げ後、女王は竜へと向き直りました。

 女王は膝を折、祈るようにして竜へ言葉を紡ぎます。

「天竜さま、本来であれば御身を我が国に招いて礼を尽くさせていただくのが礼儀。しかしなれど、今は戦時の情勢故に貴方様を一所に長らく置いたとあっては、無用な混乱を招きかねません。

 かくなる上は、頂いた羽を用いて魔王に勝利し、世界に安定をもたらした後に、改めましてご招待させて頂きたく存じます。どうか、それまでお待ちいただけますでしょうか」

 竜はお礼をされるほどのことをしたつもりはないのですが、くれるというならば貰っておくのが彼の流儀でしたので、とりあえず了承の意をつたえました。

「有り難く。では、失礼いたします」

 女王は去っていきました。

 それを見送り、竜は改めて長にリンゴを手に入れる方法を問いただします。

「ほうほう、困りましたなぁ。オリハルコンや不死鳥の羽と交換できないとなると、それ以上に価値のあるものでなくてはなりません」

 そもそも会話が成立していないので、交換を持ちかけることすら出来ていないのですが、そのことまでは長も気が付きません。

「しかし、あれら以上の価値となりますと……はて、何かございましたでしょうか」

 長が知らないのであれば、竜ももちろん知りません。

 二人して考え込んでしまいました。竜は長を真似しているだけで、思っているのはリンゴの味ですが。

「そうですな……こうなれば、地道に色々なものを持って行ってはいかがでしょう。物の価値は、求める者によって違うと聞きます。

 竜殿にとって無価値であっても、人の子等には喉から手が出るほどに欲しい物もきっとあるでしょう」

 やはり長は頼りになると、竜はなんどもお礼を言ってから価値ある物を探しに飛び立ちました。






 ある時は東の海で、大きな宝珠を拾いましたが受け取ってもらえず、それはホビット族の長老にあげました。

 ある時は北の氷河で綺麗な宝剣を見つけましたが、やはり交換できなかったので、人の王にあげました。

 ある時は西の砂漠から貴重な黄金の象を持ってきましたが、結局は駄目だったので元のお墓に返してきました。

 ある時は、南の果樹園でリンゴによく似た果実を食べて満たされない欲求を誤魔化していました。






 言葉が通じていないという根本的な問題を解決しないことには交換も何もあったものではないのですが、やっぱり竜は気がつかずに世界中を飛び回ります。

 そんな竜を、戦乙女は天にそびえる宮殿からジッと見ていましたが、ある日、とうとう我慢に耐えかねてリンゴのある村まで愛馬を走らせました。

 空を駆ると名高いペガサスは、竜には及びませんがそれでもかなりの速度で村まで向かいます。

 半日ほどをかけて、戦乙女はリンゴ農園で作業をする娘の前にやって来ました。

「おい、そこな娘」

「はい?」

 かけられた声に何気なく振り返った娘でしたが、相手が豪奢な鎧を着こむ戦乙女とわかるとすぐさまに膝を付きました。

「ここにたびたび竜が訪れていると聞くが、何をしに来ている」

「それが、私達にもよくわからずに困惑しております。突然やってきて、何するでもなく私の前に立ち尽くし、しばらくすると帰っていくのです」

「ほう、おまえの前にか」

 手をかざし、戦乙女は虚空より彼女の愛槍を呼び出します。

 天下無双と名高い名槍が、ただの村娘に突きつけられました。

「答えろ。竜に何をした」

 溢れ返る怒気と槍に怯え、娘はただただ震えるばかり。とてもではありませんが、喋ることはできそうにありません。

「もっ、申し訳ございません。私にはいったいなんのことだか」

 娘が反応を返したことに、戦乙女はいくらばかりか驚きを覚えます。

 戦乙女の迫力は、並の人間では呼吸を行うことすら困難になってしまうほどに、圧迫感があるのです。にもかかわらず、娘は言葉まで返してきました。

(なるほど、竜が気に入るだけはあるということか)

 娘が気を失わずになんとか声を絞り出せたのは、単にここ最近の竜の来訪で胆力が付いたからでしょうか。

「しかし――むっ」

 何も無いはずはないと確信を持っている戦乙女は、なおも言葉を続けようとしますが、その前に来訪者がありました。

 件の竜です。

 今回は、冥府と呼ばれる地で作られた緋色に輝く水晶玉を持ってきました。

 形といい、色といい、リンゴにそっくりなこれならばと選び抜いた逸品です。

 早速と交換してもらおうと思った竜ですが、すぐそばに戦乙女が来ていることに気が付きました。

「竜よ、それは冥府の獄炎を閉じ込めた宝玉と見受けるが、なぜこのような場所に持ち出した」

 竜は端的に、娘に受け取ってもらうためだと答えます。代わりにリンゴを貰うためですが、そのことは戦乙女に話しているので、加えての説明はしませんでした。

「な、に……」

 顔に驚愕の二文字を貼り付けて、戦乙女は竜に詰め寄ります。

「今までの物も、すべてそうだと言うのか」

 もちろん、全部がリンゴと交換するための物でしたので、竜はうなずいて答えました。

「馬鹿な、いずれも人にとっては一生涯をもってしても得られぬ貴重な品々だぞ。それを、なぜただの小娘に贈る。

 いや、まさか……竜よ、それほどまでに気に入っているというのか」

 リンゴのことだと思った竜は肯定します。戦乙女は、娘をさして言ったのですが、それは通じませんでした。

「なぜだ、何がおまえをそこまで惹きつける!」

 珍しく声を荒げる戦乙女に竜は驚きますが、改めて何に惹かれるのかと問われれば少しだけ考え込みます。

 やはり、自分と同じ瞳をしていることだろう。竜は、戦乙女にそう答えます。

「同じ瞳だと」

 戦乙女は娘の瞳を覗き込みます。

 竜のそれが真紅に輝く太陽とすれば、娘のそれは赤く燃える夕日色。

 近しい色といえますが、戦乙女には同じ瞳には見えません。

「いや……」

 同じ色であれば、探せばいくらでもいます。竜が言っているのは、内面的なことではないかと戦乙女は思い直しました。

 だから、さらにジッと娘を見つめます。

「なるほど。たしかに、竜と同じ眼かもしれん」

 まっすぐに戦乙女を見返す瞳には、はっきりと自分の意志が見て取れます。

 さすがに幾らかの怯えはふくんでいますが、それでも揺るがないのは戦乙女をしても賞賛に値するようでした。

「心得た。ならば、いずれかの後に産まれるだろうこの娘の子には、私が祝福を授けよう。迷惑をかけたわびではないが、竜が認めたならばその価値もあるのだろうしな」

 反転し、戦乙女は背中越しに伝えます。

 本来、戦乙女の祝福を受けるのは勇者や聖人と定められています。彼らが来るべき困難や試練に立ち向かえるように、と与えられる物なのですが、そのあたりは竜が気に入っていると言う理由だけで十分なようでした。

「あっ、ありがとうございます」

 どうしてそうなるのかは良くわかっていない娘ですが、祝福を授けられると言うのであれば、それはとても素晴らしいことなので素直に礼の言葉を述べました。

 竜も、やっぱりよくわかっていませんが礼を言います。

「よせ、竜よ。私とお前の仲ではないか」

 薄く笑い、戦乙女はペガサスに跨ります。

「邪魔をしたな、娘よ。さぁ、行くぞ」

 ペガサスはいななきをあげて、翼をはためかせて帰路へとつきました。

 あとに残されたのは、空を舞い上がるペガサスの美しさに魅了された娘と、遠巻きに様子を伺っていた村人たちと、今か今かとリンゴを心待ちにしている竜だけです。

「あの、竜様」

 ついにキタと、竜の心が舞い踊ります。が、娘が発した言葉は彼の望むものとは全然違いました。

「竜様のお気持ちは大変嬉しく思います。ですが、私は幼なじみと添い遂げることを願っております。どうか、お許しを願えないでしょうか」

 別に許すのでリンゴが欲しい竜ですが、残念ながらこの場に彼の言葉を理解できる人はだれもいません。

 つまり、今回もリンゴがもらえないのかとようやく理解した竜は、しょんぼりと肩を落として去って行きました。

 罪悪感を覚えた娘を残して。






 竜が巣に戻り、三日ほどが過ぎました。

 その間には村へは行っていません。目新しい物が見つかっていないからです。

 いっそ自分の鱗でも削ろうかと考えた矢先、巣の目の前に一羽の鳥が降り立ちました。

 森の長の使いです。

「竜様、大変にございます。村のすぐそばに竜様を討伐せんと魔王の軍勢が集結しつつあります」

 なんと、魔王は自分と敵対している者たちに竜が助力をしているとどこからか嗅ぎつけ、これ以上の邪魔立てをさせないように退治してしまおうと軍を差し向けたのです。

 その数、およそ五千。率いるのは、魔王軍揃っての魔法使い。

 魔法使いの力は魔王に並ぶとされ、太古に滅びたはずの魔法すら使いこなすと言われているほどの男でした。

 さしもの竜も、ただでは済まないのではと懸念を抱いた長が気を回して使いを出したのです。

「村の者たちは軒並み魔王軍に捕らえられ、陣を築くために強制労働させられる様子。彼らは我らがお助けいた――りゅ、竜様!」

 陣を築くと言うことは、もしかしたらあのリンゴの木が倒されるかもしれない。そう思った竜は、巣を飛び出して村へと一直線に飛びます。

 もとよりたいした距離もないので、到着は正しく一瞬の間でした。

 村では魔王軍の暴力の前に為す術を持たない村人たちが、一箇所に集められています。

 対面にいるのは魔王軍の魔法使いでしょう。村人たちに向けて、何事かの言葉を発していました。

 そのさらに後ろには、多くの魔物がすぐそばに並び立つ獲物に向けて舌なめずりを繰り返します。

 竜は少し考えて、まず後ろの魔物をなんとかすることにしました。

 まっすぐに、竜は魔物の群れの直前で身を起こして着地します。

 大地が揺れ、

 大気が震え、

 魔物が怯えてすくみ、

 咆哮は高らかに、

 振るわれる腕は山をも砕き、

 踏みしめる脚は鋼の武具をけちらして、

 縦横無尽の尻尾は集団をたやすく吹き飛ばします。

 竜は、ただ現れての一瞬で五千もの魔物の群れを亡き者としてしまいました。

「ほう、さすがは音に聞こえし天竜だ」

 大仰に手を叩き、魔法使いは竜を称える言葉を吐きました。けれどもその音は、けっして敬ってはおりません。

「牽制程度に役立てばと思っていたが、存外と役に立たん連中だったな。まぁいい、俺がお前を倒せばそれで済む話だ」

「やっ、やめて下さい。あなたはそんな人じゃなかったでしょう」

 知り合いなのか、娘が声を張り上げます。

「黙れっ!」

 しかし、半ばで魔法使いは一喝して右手を開いて娘に向けました。

「それ以上の戯言はたくさんだ。俺は、今や魔王軍一の魔法使いだぞ。この力で、俺を見下した連中を踏みにじってやると決めたんだ」

「そんな……」

「ふん。お前たちは最後だ。せいぜい、俺を馬鹿にしたことを悔やんでいるといい」

 村人たちが邪魔をしないように、魔法使いは彼らを拘束してから竜へと向き直ります。

「天竜よ、貴様の神話もここで終焉を迎えるのだ!」

 両手に魔力が迸り、次々と作られた魔法が竜へと襲いかかります。

 氷の矢、雷の雨、炎の剣、風の槍。

 いずれもが並たいての実力者では防ぐことすらかなわない、絶大な威力を持った魔法です。

 恐るべきは、それらを連続で放つことができる魔法使いの技量でしょうか。

 通常では起こりえない現象を引き起こす魔法。本来であれば、呪文を唱えることで引き起こすのですが、魔法使いは先程からほとんどそれを行っていません。

 高位の魔法使いであれば、確かに呪文を飛ばして魔法を扱うことはできます。

 ですが、今の魔法使いのように連続で使えるものは世界広しといえどもそうはいないでしょう。

「ははははっ! どうした天竜、手も足もでないのか」

 次々と降り注ぐ魔法に、竜はまんじりともせずに耐えています。

 反撃をとも思うのですが、下手に攻撃すると後ろの村人やリンゴの木を巻き込んでしまう恐れが非常に強いのです。

 それに、戦ったら怒られるという意識もまた竜に歯止めをかけている要因の一つでした。

 さきほどの魔物の群れのは、着地したところにたまたま敵意を持った相手がいたと、竜的な解釈をしているので大丈夫と自己完結しています。

「竜様」

 村人たちは、ただただ戦いとも言えぬ一方的なやりとりを見守るしかありません。

 魔法の嵐は止むことを知らず、竜を破壊せんと次々に襲いかかります。

 氷の矢は羽に、雷の雨は鱗を、炎の剣は腕に、風の槍は脚を。

 竜に直撃し始めた魔法は、動きを阻害し始めます。

 いかに魔法使いが絶大な自信を持っていても、ただ小規模な魔法を連打するだけでは勝てる相手でないと判断しており、これらはすべて竜の動きを止めるために使っていたのです。

 本命は、太古の禁術。

 隕石を落とし、竜を消滅させることにあります。

 しかし、この魔法はさしもの魔法使いをしても呪文を唱えずには使うことはできません。

 そのための時間稼ぎにと、部隊はあったのですが、あっさりと全滅してしまったので仕方なく、自分の魔法で行っていたのです。

 いよいよ竜の動きが止まります。

 好奇と見た魔法使いは、即座に両手を広げて空を仰ぎ見ました。

「おお、天に集いし高みの星よ」

 晴れ渡った空に、暗雲が立ち込めていきます。

「我が望みは消滅」

 溢れでた邪悪な魔力は、暗雲を突き抜けてさらなる空へと高く。

「来るべきは究極の破壊」

 広げていた両手を胸の前で組み、魔法使いはさながら祈るように呪文を続けます。

「絶対なる暴力は天を焦がし、地を溶かし、命を燃やす」

 大気が、怯えたように揺るぎ、地割れがそこかしこで起こりはじめました。

「生まれいでよ、我が力」

 組まれていた腕が再び広げられ、ついに呪文が完成します。名を、

「イレイサーッ!」

 叫びと共に、黒い雲を突き抜けて赤く燃え立つ隕石が姿を見せました。

 竜とも比肩する巨大さは、ともすれば小さな国であれば地図の上から消し飛ばしてしまうほどの暴力を秘めています。

 見上げる人々はあまりの力に絶望の吐息をもらし、

 魔法使いはまもなく訪れる勝利に酔いしれ、

 竜はただ空を見上げています。

「竜よ、此奴等ならば気にかける必要はないぞ。私が守ってやろう」

「何ッ!」

 魔法使いが振り向いた先には、ペガサスにまたがった戦乙女が拘束の魔法を解除して、新たに結界の魔法を構築している真っ最中でした。

 戦乙女は、牽制するように槍を魔法使いへと向けて叫びます。

「まったく、森の長から使いが慌てて飛んでくるから何事かと思えば、かような三下に苦戦するなどらしくもない。

 だが、これで憂いもないであろう。

 さぁ、竜よ。お前の真の力を見せ付けてやれ!」

 果たして、竜は答えます。

 開かれた口に溢れ返るは白色の吐息。

 かつて、大陸の半分を消滅させた程の超暴力。

 隕石という、間違いなく訪れる滅びに大して同等以上の力を持った消滅の名を、


 ――ドラゴンブレス


 目を焼くほどの光が周囲を包みこみ、遅れてくる衝撃波が魔法使いの身体を翻弄しましたが、彼は即座にバリアをはって事無きを得ました。

 ですが、ほんの数秒でそのバリアも消えてしまいます。

 隕石の召喚、イレイサーは神にのみ許された大秘術に値します。

 古代の人々がなん百人と集めて行ったそれを、ただ一人で成し遂げたのですから魔力が底をついてしまってもそれは、あたりまえのことでした。

「くっ、どうなった」

 魔法使いは満足に立つこともできず、片膝をついて竜がいたはずの場所を睨みつけます。

 砂埃が立ち込め、そこは不可視の領域となっていました。

「ふん、愚かな。

 ――そんなことをせずとも、お前の未来は決まっておるだろうよ」

 戦乙女の嘲笑に、魔法使いは憤怒を返しますが今の彼には攻撃を加える余裕はありません。

「お前たち人間の言葉ではないか」

 咆哮。

 先の爆発以上の衝撃が、巻き上がる砂埃を吹き飛ばしました。






 冒険者と呼ばれる者たちには、鋼よりもなお強固な掟があります。

 一つに、仲間を裏切るな。

 一つに、殺した相手には敬意を払え。

 一つに、勇気と無謀を履き違えるな。

 一つに、

「竜を怒らせるな、たしか、そういう掟があっただろう」


 白銀に輝く鱗はまばゆい陽光を反射して、

 猛くひびき渡る咆哮は一切の邪を許さず、

 力強い四肢はあらゆる巨悪の天敵であり、

 広げたる翼は千里をたやすく踏破せしめ、

 そして、必殺の吐息は滅びをも滅ぼさん。


 古の伝承。

 遥かなる時を生きる、神に等き竜の伝説。

 天竜は、けして破れない。

 無傷で竜は、立っていました。

「そっ、そんな」

 魔法使いは腰が抜けたのか、とうとう片膝をつくことすらできずに地べたに座り込んでしまいます。

 竜は、一歩一歩を踏みしめて魔法使いへ向かっていきます。

「ひっ、あ……」

 もはやその怒気に飲まれ、魔法使いは満足に言葉すら紡ぐこともできずに、ただただ後ろへと這いずり回るしかできません。

 いかに竜の歩みが遅いものであっても、巨体の一歩は魔法使いが逃げるよりもなお速くあります。

 とうとう魔法使いは、竜に追いつかれてしまいました。

 これから起こるであろう裁きに、村人たちのある者は息をのみ、ある者は目をそむけ、そしてある者は……

「待ってください」

 ありったけの勇気を振り絞り、立ち上がりました。

 リンゴ農園の娘です。

「竜様、彼は私がかつて婚姻を誓った幼なじみでございます。どうか、どうかご助命をお願いできませんでしょうか!」

 魔法使いを背中で庇いながら、娘は竜へと願います。

「何を言う。コヤツは魔王の手下であるぞ」

「分かっています。ですが、私にとっては誰よりも大切な人なんです。どうか、どうかお願いいたします。

 何と引換にしても構いません。彼を、許してください!」

 神に祈るがごとく、娘は竜へと言葉を送ります。

 何と引換にしてもと、娘は言いました。

「あっ、おい竜! 何処へ行く」

 竜はその巨体を動かして、娘や村人たちを飛び越えリンゴの木へとまっすぐに向かいます。

 くれると言うなら貰うのが竜の信条です。

 だから、竜は魔法使いの命と引換にリンゴを貰うことにしました。

「えっと、リンゴでよろしいのですか?」

 竜は木から一つだけ、良く熟れた真っ赤なリンゴを爪の先で傷つけないように慎重に慎重をかさねてもぎます。

 ついに手に入れたリンゴに、竜は今すぐに食べるべきか巣に持ち帰るべきかと思考を巡らせています。

「このリンゴが欲しいそうだ。良く解らんが、見逃してくれると言うことだろう」

「ありがとうございます!」

 深く腰を折り曲げて、娘は竜へと叫びます。が、リンゴに夢中な彼はおざなりに返事をするだけでした。

「ふん。竜が見逃すと言うならば、私も目を瞑ろう。だが、再び悪事を働くと言うならば次は私が相手になろう。よいな?」

「あっ、ああ」

 魔法使いはついていけず、曖昧にうなずくばかりです。

「ああ、帰るのか。わかった、私も宮殿へ帰ろう。

 それと娘よ、その男はしかとしつけておけよ。お前がしっかりと見はっておけば、そうそうと悪さもしまい」

「はい、必ずや」

 力強く首を縦にふる娘に、戦乙女は満足気に微笑みます。

「ふっ、それでこそ竜の見込んだ娘だ。いずれ子をなしたならば、我が名を呼ぶがいい。以前の約定、しかと果たして見せよう――では、さらばだ」

 戦乙女をのせたペガサスは、大空へと舞い上がっていきました。

「竜様」

 巣にリンゴを持ち帰ろうと決めた竜は、いざ飛び立とうとしたところで出鼻を挫かれ、困ったような顔で娘を見ます。

「どうか、お顔を近づけてはくださいませんか?」

 言われたとおりに竜は、娘に顔を近づけます。

 娘は、自分の身体よりも大きな顔にそっと両手をそえました。

「お礼、としては不十分かもしれませんが、どうかこれも受け取ってくださいませ」

 そっと、竜に娘は口付けました。






 巣に戻った竜は、お気に入りの場所に腰掛けて大事に持ってきたリンゴを顔に近づけます。

 輝いてすら見えるそれを、竜は一息で口の中に放り込みました。

 カプリっと言う音が口内で響いたかと思うと、いっせいに果実の蜜が広がっていきます。

 甘く、ほんのりと酸味の効いた味を竜はその舌で思う存分に堪能し、咀嚼して、飲み込みました。

 リンゴの味は竜が思っていた以上に美味で、そして、

 娘の口付けによく似た味がしたそうです。

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