大山鷹一郎の不思議捜査シリーズ第2話
地方の小さな町に怒る不思議な事件を捜査する警察のお話です。
この物語は一部実際の地名や歴史上の人物名を使用しておりますが、ほとんどの人名地名は架空のものです。
大山鷹一郎・・・九州のとある県警川北署刑事。連続猟奇殺人事件を追う内に、様々な神秘体験をする。副署長に昇進。
汐田・・・九州のとある県県警川北署鑑識。
山内・・・川北警察署長。
白水かおる・・・大山のパートナー。私立探偵。北条政子転生
羽間賢信・・・九州のとある県県警川北署刑事。大山の部下。剣道3段、柔道4段
空手2段の猛者。
小野道子・・・『ラ・クア・クチーナ』ママ
馳川竜太・・・オート九州社員
熊笹五郎・・・オート九州現場監督
熊笹光・・・捜索依頼者 五郎の孫
熊笹親太郎・・・光の父親
熊笹二朗・・・五郎の息子 行方不明
クン・セーンカム・・・タイ人の仏教学者
春道・・・まほろば堂の堂主
良橋亀子・・・謎の老婦人 馳川の子供 光の大叔母
熊笹八郎・・・殿猪村にいる五郎の親戚
嵯峨野ウメ・・・為朝伝説口伝者
伏見銀次郎・・・高原組組長の従弟
高間荘俊・・・川南神社宮司
岡島啓介・・・川南署刑事 大山の高校同級生
1
昭和34年当時の日本は、戦後の混乱期からようやく立ち直り、高度成長期にさしかかった頃だった。地方都市にも国産自動車が道路を走り、次々に国道県道が整備され初めていた。家庭でもそれまで高級だった牛肉や牛乳が安く購入できるようになり、テレビが普及し始め、世界中のニュースが見れるようになった。キューバ革命、フランスのドゴール大統領就任、第一回日本レコード大賞、力道山や大鵬、長嶋と言ったヒーローが世間で通用していた頃のこと。
九州にある川南地方では市町村が合併して川南市が誕生していた。全国レベルの工場を誘致したりして、県内では未曾有の発展地域だった川南市において、あるニュースがローカル新聞紙上を騒がせた。それは川南市に完成した自動車工場「オート九州」内での事件だった。ここは主にバイクを清算していたのだが、大量の労働者を必要としていたため連日多くの人々が職を求めて面接にきていた。
当時の工場環境はまだ悪く、エアコンもない中で人手による生産が行われていた。近隣県に炭鉱もあったことから、労働者たちは荒っぽく、しょっちゅうケンカがあっており、当然ながら現場監督としては屈強な男が就任し、腕力で統率しているような状況だった。個々のロッカールームに一歩入ると奥にはその部屋のボスが椅子を独り占めして座っており、服を脱げば入れ墨入れた男がゴロゴロしていて、まるで刑務所のような感じですらあった。
しかしこの当時では普通に極道と一般市民が共存していた時代だったので、普通よりも荒っぽい、そういう感覚で就労していた。よそ者には厳しいが、身内には優しい、そんな風土が生み出した風景でもあった。
「おい馳川!」
突然怒号が響いた。
身長190センチはあろうかと思うくらいの巨漢の男が、ロッカールームに入ってきたのだ。室内に緊張が走った。室内の人間の視線はほぼその男に向けられていたが、半分くらいは男と反対側を見ていた。そこには顔に切り傷が数本入った目つきの鋭い男、馳川竜太が窓を向いて座っていた。
馳川は面倒くさそうに顔だけを声の主にのけぞって向け、ドスの効いた声でうめくように応えた。
「俺に用ってや?なんね。」
大男はゆっくりとその男に歩を進めた。
「お前・・・またやらかしたろうが。」
「へえ?何のことや?おやっさんよ。」
監視係、現場監督のことはここではこう呼ばれていた。おやっさんこと熊笹五郎は馳川の近くにまで来て、止まった。
「とぼくんな!」
言うが早く、熊笹は馳川が座っていた椅子を、柔道の足払い、相撲の蹴返しのように蹴って吹っ飛ばした。馳川は転げ落ち、鼻血を出した。
「立て、オラ!」
熊笹は馳川の襟を掴んで引きずり起こした。熊笹は元柔道九州王者であり、相撲の世界にいたこともあった。数々の武勇伝を持っていたが、刑務所に入れると囚人が暴動する勢いで反対するため、かろうじて免れたとも言われていた。悪事だけは決して許さない正義感だっただけに、悪党からは死ぬほど恐れられていたのだ。その腕っぷしを認められてこの工場に勤務しているのだが、唯一馳川だけはとことん熊笹に逆らっていた。
馳川もまた並みの悪党ではなかった。熊笹とは別の意味で、全ての悪党から忌み嫌われるほどに腐っていた。仁義を全く守らず、自分の手を汚さずに悪事を働くので、いつか悪党から消されるのではないかと噂されるほどだった。こうして会社にいれば殺られずにすむので、のうのうとのさばっていたのだが、さすがに熊笹にだけは対抗できなかった。
しかし頑として従わず、あれこれ悪さばかり仕掛けていた。熊笹に引きずり起こされた馳川は、端正だが男臭い熊笹の顔を見てニヤリと笑った。
「ふん・・・俺が何やったってんです?」
「ふざけんな!お前、瀬高の女、やっただろうが!」
瀬高は同じ工場で働く工員であり、近々結婚すると言っていた。
「さあねえ。俺は知らんこってすが、ねえ。」
「お前・・・まだシラ切る気や?お前があの娘の家に忍び込んでやりやがったことは、もうとっくにバレとったい!あの娘はなあ、進んで訴えて、お前が夜中に侵入したこつは近所からも見られとっとたい!そっだけじゃなか!!瀬高はなあ・・・瀬高は、たった今首括ったんだ!お前のせいでな!」
部屋の外にも社員が大勢集まり、全員が声を出さずにいた。それだけ馳川竜太という男の怖さが浸透していたのだ。馳川はふたたびニヤリと笑った。
「なんだ、それくらいで死ぬようじゃあ、生きてたってロクなことにゃならんたいなあ。しっかしまあ、あの女、いい具合だったのになあ。結構いい度胸してんじゃねえか。じゃあとっととマッポさんにお世話にならんばいけんのう。入ったところで、3年ってとこか?」
馳川の目がギラリと光った。
「放せよ、木偶の坊。」
「ふ・ざ・く・ん・な!」
熊笹は馳川を壁に激しく打ち当てた。
「警察の前に、お前にごつい一発食らわさんと、俺の気がすまんとたい!」
熊笹は馳川の横っ面を凄まじい相撲仕込みの右張り手をかました。馳川の口から奥歯が飛び出し、血が噴き出た。馳川の顔は歪み、花と口から血がこぼれ出し、すでに左目は見えないほどに腫れていた。
「俺はな、女房と一緒に瀬高の仲人やる約束だったんだ!あいつ、嬉しそうに楽しみにしてたのに・・・お前なんかに・・・お前なんかに・・・大切な夢を奪われて・・・さっきのは瀬高の分だ。今度は俺の分だ!」
熊笹は再び右手を振り上げて、渾身の張り手を打ち込もうとした。しかしその腕は止まったままだった。部屋の人間が何ごとかとざわつきだすと、熊笹の手から馳川が滑り落ちた。その右手には短刀が握られていた。そして熊笹の腹部からは大量の血が溢れ出してきていた。
「おやっさん!」
腹を押さえて倒れそうになる熊笹を、数人の工員が支えた。
「ぐぬ・・・く、くそ・・・。」
馳川は顔の血を拭うと、歪んだ顔でニヤリと笑った。
「へっ・・・どうせ入るなら、ちっとでちゃハクつけておかんとな。傷害罪であと10年・・・いや、足りんな。ずっと入ってるのもいいかもなあ!どうせこんなくだらん日本にゃ未練はなかけんなあ!お前のかみさん、妊娠してたな。ガキの顔見れんで残念よなあ・・・死ね!」
馳川が再び熊笹を刺そうとしたとき、一発の銃声が響いた。馳川は激しい喚き声をあげて転がった。
「馳川!動くな!」
警官と刑事が人をかきわけて入ってきた。熊笹が手配していたのが、今到着したばかりのようだ。銃弾は馳川の足に命中していた。悶え苦しむ馳川に手錠が掛けられ、簡易的に損傷した足に処置が施された。
「おい、君!大丈夫か!」
刑事が熊笹に駆け寄った。熊笹は工員たちに支えられながらも、自分の足で立っていた。
「だ、大丈夫、です。」
「そうか。すぐ救急車呼ぶからな。おい、君たち、すぐ横にしてやれ!おい!すぐに医者呼べ!」
薄れゆく意思の中で、熊笹は馳川が何やら自分に言っているのを見た。声は聞こえなかったが、その口は間違いなくこう言っていた。
「お ぼ え て ろ」
2
今日も川北市は暑かった。もうこれで連続10日も猛暑日が続いている。この日は37℃で、おまけに湿度86%という最悪の日だった。仕事や学校で外出しなければならないので人は出ていかざるを得ないのだが、かなりの確率で大型ショッピングモールに逃げ込んで涼んでいたようだ。ここ川北市にはこういうモールはないので、人々はすぐ近所でも自動車移動していた。
農業の川北、商業の川南という感じで別れていたので、川南ではモールや複合施設などもあった。この日は気象庁からも危険なレベルと発表されていたほどだ。そしてここでも愚痴ばっかりこぼしながら歩いていた男がいた。
「ぐわあ・・・先輩、ちょ~っとでもいいから涼んできません?ね?ね?」
「うるさいっ!夏は暑いって地球誕生から決まってんだ。ガタガタ抜かすな!」
先輩と呼ばれたのは大山鷹一郎で、愚痴っていた後輩は羽間賢信だ。川北署の刑事2人は常にコンビで行動していた。そもそも穏やかな農業地域なので、やることはコソ泥かペット探しとか家出とか、そんなものばかりだった。
川北市はやっと市に昇格できたレベルの地方都市なので、ほとんどが一次産業で成り立っていた。住民はほとんどが顔見知りというこの町で犯罪など活性するのかとさえ思っていたのだが、先だっての猟奇殺人事件は大いに市民を騒がせたものだ。その担当だったのが大山と羽間だった。
結果的に緑山小百合は一連の犯罪には関わっていないと判断され、国際犯罪の方向へと移っていったのだが、大山の尽力は大いに評価されることになった・・・のはいいのだが、結果として多忙になってしまい、ストレス溜まる毎日を送る羽目になってしまった。元来が体育会系で動いてナンボというのが信条なので、お偉いさんの仲間入りすることは本当に嫌だった。
そういうことでこうして、大したこともないのに嫌がる羽間の首根っこを掴んで炎天下に連れ出していたのだった。羽間にしては本当にいい迷惑なのだが、普段から借金したり奢ってもらったりしている大山には逆らえなかった。もっともそれ以前に相当にリスペクトしていたのではあったが。
大山にしてもこの猛暑はきつかったのだが、こうして汗をかいていると生きているという充実感が全身を包む。あの連続猟奇殺人事件を本当は完全に解明したかった。子九村まで行ったのにな、と悔やむこともあった。おまけになんで最後は全く覚えていないのだろう。おぼろげに女性の姿が残像として残っているが、それが何なのかさっぱりわからない。いずれ解き明かしてやると、密かに誓っていた。
俺って根っからのデカなんだよなあと悦に入っていた大山だったのだが、ポケットに入れていたガラケーが鳴って我に返った。スマホしか認めないという風潮に逆らって、このガラケーは未だに使用していた。
「おう、なんだ?」
電話の主は、大山のパートナー白水かおるからだった。私立探偵もやっており、相互協力関係でもあった。
『今ね、ちょっとややこしい依頼が来てんの。手伝ってくれない?』
「おいおい、一応仕事中なんだぞ。」
『いいじゃん。事件性もありそうよ。』
「なに?」
『とにかく来て。あたしの事務所に、2時に来てくれることになってるから。』
かおるは一方的に切った。いつものことだが別に悪気はないので、とりあえず言う通りにしておかないとえらいことになる。急な仕事もなかったので、大山はまだ嫌そうな羽間を引きずって、かおるのオフィスに向かった。
かおるのオフィスは、川北市にまだ3棟しかないマンションの最上階にある一室だった。オフィスの横に自室があり、えらくセレブだった。かおるに言わせると、父親が鎌倉の何とか言う会社の役職にあって、えらく待遇がいいらしい。そんなことは大山には何も関係ないことだったのだが。
大山と羽間はエレベーターを降りてすぐにあるオフィスのドアを開いた。かおるはえらく勘のいい女で、いつくらいに訪れるのかがちゃんと把握していて、その時間にはロックを解除するのが通常だった。
「入るぞ・・・おっと・・・。」
2人を出迎えたのはかおるではなく、歳の頃20代後半くらいの若い男だった。
「あ、失礼しております。刑事さん。」
「あ、ごめんね。ちょっとお湯湧かしてるの。」
かおるの声がキッチンから聞こえてきた。
「あ、初めまして、大山です。こちらは羽間です。」
2人は警察手帳を見せ、さりげなく男を観察した。きちんとしたサマースーツを着ており、地方生活者には少ない洗練された雰囲気を醸し出していた。
「初めまして。熊笹光と申します。」
大山は熊笹に座るように促した。大山と熊笹はイタリア製の深々としたソファに座り、羽間は立っていた。いつもの風景だったのだが、熊笹は気になるようだった。
「ああ、お気になさらず。この男も刑事です。」
熊笹はほっとしたように頷き、大山の顔を見た。
「あの・・・刑事さん、実は・・・。」
「あ、刑事じゃなくて、大山でお願いします。肩書きで話したくないんですよ、俺は。」
熊笹は驚いたような、安心したような複雑な表情を見せた。
「あ・・・ありがとうございます。話しやすいです。」
「はい、コーヒーどうぞ。」
かおるがコーヒーを持ってきた。自慢のオーストリアコーヒーなので、かおるが入れるコーヒーは実にうまい。出し方も絶妙なタイミングだった。色んな意味で、かおるには逆らえないなと大山は改めて思った。
「で、どうされました?」
「あ、はい。私は東京の板橋に住んでおります。山江オートサービスという会社に勤務しております。名刺と免許証はこれです。」
「はい、拝見します。」
出された免許証には、平成5年生まれとなっていた。しかし本籍には驚かされた。
「川南ですか?じゃあご実家はこちらに?」
「いえ、もう実家はありません。祖父が川南の出でした。父の太郎が上京して以来、後継ぎもなくなったと聴いております。叔父がいるはずなんですが、行方がわからなくなっていて。」
「で、こちらにご相談に来られたことについてですが・・・白水さんは事件性あるようだと仰ってましてね。どういうことなんですか?」
どこか気弱そうな熊笹は、もじもじしながらぽつぽつと語りだした。
「実は・・・この失踪してしまっている叔父の行方捜査をお願いにあがったんです。」
「はあ・・・どう言った要件で?」
「ええと・・・。」
熊笹は横に座っているかおるをチラ見した。
「話していいですよ。この人なら大丈夫。こうした事件専門ですから。」
こうした事件って何だよと言いかけたが、大山は訊ねた。
「まだ警察の出番かどうかわかりませんのでね。なんでも話してください。」
熊笹は意を決して顔を上げ、話し始めた。
「実は、祖父の五郎がつい先日他界いたしました。九州から上京してきてずっと東京にいて、95歳まで生きました。生前より祖父は父とはそりが合わず、ほとんど絶縁状態でした。しかし僕にはよくしてくれていました。祖父が他界する前に、なぜか僕だけ呼ばれまして。そして弁護士の立ち合いの元に遺書を渡されたんです。で、その遺書が問題でした。」
「どう・・・問題だったんですか?」
「はい。その遺書には、すべての財産は僕と、孫たちにと記されていました。」
「ではご兄弟がいらっしゃるということですね。」
「いえ!それが問題なんです!僕はまず一人っ子です。そして失踪した叔父には男子の子供がいましたが、子供の頃に事故で死んでいます。しかし・・・遺書には男女の孫たちと書かれていました。それで・・・。」
なるほど、奇妙な話だった。
「で、その調査をこちらにと言うことですね。」
「はい、そうなんです。まさか従妹がいたなんて、知りもしませんでした。」
「ではいないはずの女子の従妹を探したいということなんですね。では、特に警察では現段階では用はなさそうですけど?」
熊笹はそれでも何か言いたそうにしていた。
「熊笹さん、全部話してあげて。心配いりませんから。」
かおるが口を挟んできたため、熊笹はため息をついて話し出した。
「大山さん、実は祖父が死んで初めてわかったことがあります。祖父はB型でした。祖母はO型です。そして・・・。」
熊笹は絞り出すように言った。
「父はA型でした。そして僕もそうです。」
「なんですって?」
大山も仕事上血液型は熟知していた。
「ということは、お父さんはお祖父さんの実子ではない、と言うことなんですか?」
「それだけじゃあないんですよ!祖父は最後には口もきけなくなっていて、何とかワープロで書いたものを僕に手渡しました。それがこれです。」
熊笹がバッグから出したものはA4版にプリントアウトした紙だった。そこにはこう書かれていた。
「アマビコ」
大山は羽間を見た。
「お前、知ってるか、これ。」
「知りませんねえ・・・。」
「それはね、妖怪なのよ。」
かおるが口を挟んできた。
「よ、妖怪?」
「九州の妖怪でね、猿みたいな多足妖怪なんだって。アマビエとも言うわ。」
「それじゃますます警察じゃ・・・。」
「それがね・・・どうやら、失踪した叔父さんって、そのアマビコに会ってたらしいのよ。手紙が残ってたみたいね。アマビコってね、預言する妖怪だって言われてるの。いいことも・・・死ぬことまでね。」
大山と羽間は顔を合わせた。
「妖怪はさておき・・・死んでるかもしれないってなると・・・そりゃ俺らの出番かもな。」
3
「んーと・・・どう調べても、アマビコって悪い印象は出てこないなあ。」
羽間はただでさえむさ苦しいボサボサの頭髪を搔きむしりながら、分厚い本を持って来た。川北署の資料室では、大山が呆れた顔で羽間を睨みつけた。
「お前なあ・・・普通に妖怪調べてどうすんだよ。これ、カタカナで書いてあるじゃねーか。妖怪かどうかもわからねえだろうが。アマビコを変換したら、天彦、雨彦、尼彦、甘彦、海女彦、亜麻彦、海人彦、安馬彦・・・まだまだ出てくる。そこだろ?」
「あ、さすがっすね、先輩!」
仕事はできるけど、どうにも頭を使うことに慣れていない羽間なので、大山はとりあえず心から今のやりとりを削除した。
先日から散々検索しているところだけど、どう見てもヒットしない。図書館でも、普通の妖怪としか記述されていない状態では、羽間のようになるのも無理はない。大山は頭を切り替え、光が持ってきて、あるいは口頭で示したことを整理してみることにした。
開いていたパソコン画面をワープロソフトに切り替えて入力した。
一 熊笹五郎が光の祖父であり、かつては川南の炭鉱で現場監督として勤務していたらしい。五郎の妻は豊子で、もう15年くらい前に他界している。
二 五郎には2人の子供がいて、1人は光の父親太郎だが、五郎とはそりが合わなかった。もう1人の名前は二朗。妻は夕子で存命。二朗は失踪しているが、長男は早くに事故死しているが、女子の子供がいるらしい。
三 熊笹五郎の血液型はB型で、太郎と光はA型。つまり血縁関係はなかったということになる。
四 五郎の遺書には孫たちへ遺産を相続させること、と記されている。加えて『アマビコ』という謎のメッセージを残している。かおるの説明によると、アマビコというのは九州ではアマビエ、江戸にも出現したことがあって、ここではアマビコと言われていて、様々な預言をする妖怪らしい。
「とまあ、こんな具合だな。となると、我々が追えるのは・・・失踪事件のみってことか。ちょうど捜索願いも出されている。まあいい。シンプルで面倒くさくない。」
大山と羽間は、川北市にある旅館『魚鱗荘』に向かった。ここに熊笹光が宿泊していたのだ。この地域の民芸品が土産として陳列されたロビーにある喫茶コーナーで、大山たちは光と相対した。
「熊笹さん、とりあえずこのくらいの情報量しか現在のところありません。他になにかありますか?」
大山の切り出しに、光は少々引いていた。
「え・・・あ、あの・・・。」
「はい?」
「あ、あの・・・僕はそもそも警察のお世話になる気はなくて。」
「ですが20年くらい前に、お母さまから叔父さんの二朗さん失踪届が出されています。これはいまだに有効です。となると、我々にも責務があります。これはあなたの意思以前の問題ですよ。」
光はこの事実を知らなかったようで、大層に仰天していた。
「そんなものが出されていたんですか?知りませんでした。」
「というわけで、熊笹二朗さん失踪についてお伺いします。よろしいですね?」
光は観念したようで、軽く首を振ってから頷いた。
「はい、わかりました。そういうことでしたら喜んで。」
「ありがとうございます。まず、二朗さんが失踪されたのはどのような状況だったんですか?」
光は記憶を探り出すように、時おり眉間に皺を寄せながら話し出した。
「正直、叔父さんがいなくなったってことだけは記憶にあります。父親も祖母ちゃんも大騒ぎしていましたから。その頃の僕はまだ小学校にあがったばかりで、全く詳細についてはわかりません。両親や親戚から聴いた情報のみです。」
光が話した内容は次のようなものだった。
そもそも太郎と五郎は親子でありながら仲が悪く、結婚式に出た以外は全く会おうともしなかった。しかし五郎と二朗とは本当に仲が良かったようだ。
二朗が失踪したのは、五郎の家に寄った帰りの夜以降と思われる。翌日になっても戻らなかったので、二朗の妻の夕子が警察に失踪届を提出して捜査が行われたが、駐車場で目撃された以外は情報は手に入れられなかった。
大山は軽く頷いて質問した。
「これは届出にあった通りのことですね。まあ、これだけだと本当に雲を掴むようなお話ですので、警察で調べた結果をお伝えします。失踪されて最後に目撃されたのがご自宅近くにあった有料駐車場で、時間は夜の9時。このときの二朗さんはグレーのスーツ姿で、黒いハンドバッグを持っておられた。これは国産のメーカーものですね。この当時は奥さんとは離婚されていらっしゃった。細かいことなのですが、離婚の原因は・・・直接的には二朗さんのDⅤとなっていますね。二朗さんは鳥回組という建設会社に勤務されておられ、課長になられてました。この会社は、社長がこちらのご出身だということから、何かで知り合われて就職されたとなっています。警察は当然会社からも聞き取りは行っていますが、社内評判は悪くなかったようです。不倫や暴力などのトラブルも全くなく、部下からも上司からも信頼あったということです。板橋の周辺や、二朗さんが普段立ち寄っていたらしい地域も捜索しています。しかし決定的な手がかりもないまま現在に至っております。どうでしょう。何か引っかかるところはありませんでしたか?」
熊笹は黙って聴いていたが、ゆっくりと首を振った。
「いいえ・・・実はその鳥回組ってところが、そもそも川南から起こったそうなんです。それでひょっとしたら何かあるかもと思って、こちらに来てみたんです。」
大山は身を乗り出した。
「それで?何かわかりましたか?」
「いいえ・・・あったのは鳥回山という名称の山があったくらいです。」
「鳥回山?知らないなあ。おい、お前知ってるか?」
「先輩、それたぶん、木根栖山のことじゃないですか?」
羽間からちゃんとした答えが返ってきたので、大山はちょっと驚いた。
「何でそう思うんだ?」
「だって自分、あそこの麓出身ですもん。あそこは昔の偉い侍がどうとかいう伝説があったんですよ。」
大山は首をすくめた。
「じゃあお前、そんな人がいるとか聞いたことはないのか?」
「はい!残念ながら!」
そこは元気に答えるとこじゃないだろうと思ったが、熊笹の前なので黙っていた。
「他にはなにか?」
熊笹はちょっと考えてから、ゆっくりと話し始めた。
「あの~・・・こんなこと言っていいのかどうか・・・。」
「何です?」
「いやあ・・・どうせ鼻で笑われるのがオチですから・・・やっぱり、いいです。」
「何です?」
「えと・・・お願いですから聴き流してくださいね。叔父は趣味で小説を書いてたんです。それがこれなんです。」
熊笹はバッグからA4版のファイルを出した。
「これは叔父が持っていた原稿をコピーしたものですけど・・・この『乱派梁山泊』というものの中に、鳥回衆って名称が出てきてまして。これによると鳥回衆というのは代々男子に秘密を伝える一族ってなってます。その秘密とは鳥を自分の周りに集めるもので、刀でも銃でも鳥で防ぐことができる術だと。それで・・・。」
熊笹はまた黙り込んだ。大山は多少苛ついた。
「何です?」
「あ、あの~・・・僕も父も・・・よく鳥が近寄ってくるんです。気味悪いくらいに。だから余計に・・・あ、わ、忘れてくれますよね?」
「・・・いえ・・・信じますよ、私は。」
「え?」
「せ、先輩?」
羽間も熊笹も驚いた。大山の脳裏には、あの連続猟奇殺人事件のことがあったのだ。肝心のことはほとんど覚えていないが、熊笹の話にはこれと同じ匂いが感じとれたからだ。
また奇妙な事件なのか?
4
「鳥回衆?」
かおるは眉間に大きく皺を作った。
「聴いたことないわねえ。それ、本当にあるの?」
大山はかおるの部屋にある大きなイタリア製ソファに深々と身をうずめ、大きく両手でお手上げポーズをした。
「いやな、こないだのことがあるんで、俺は信じようと思ってるんだけど・・・全く何も情報がない。木根栖山って山は確かに川南にはある。そして源氏の大将の、えーっと・・・鎮西八郎為朝って武将がいて、鳥の群れに矢を射たら、それから鳥が飛ばなくなったって伝説は確かにある。だけどそれだけ。鳥回衆なんてものはどんな文献にも出てきやしない。二朗の創作だろう。」
かおるは立ち上がってコーヒーを飲みながら、窓の外を見つめた。自分のパートナーでありながらも、大山はかおるの抜群のプロポーションにはいつもドキドキしてしまう。
「・・・気になるわね。」
かおるの声は、いつよりの声とはちょっと違って聴こえた。妙に迫力がある。
「今回はそもそもあたしへの依頼なんだし、そっちはあたしが引き受けるわ。なんかあったらすぐ知らせる。いい?」
「あ、ああ。そりゃもちろん助かるけど・・・どうしたんだ?急に何か引っかかったのか?」
かおるは軽く広角をあげて笑った。
「まあね。女のカンって奴よ。」
かおるはパソコンに向かって何やら作業を始めた。これはもう早く出て行けという合図に等しかったので、大山はしぶしぶマンションを出た。
外は相変わらず猛烈な暑さだったが、この日は熊笹と彼の実家に行く約束があった。魚鱗荘で熊笹は待っていた。聴けば、会社に届けた休暇はあと2週間ほどしか残ってないそうなので、急いで調べたいとのことだった。2人は警察車両に乗って川南に向かった。
失踪した熊笹二朗の家があったのは、有明海に面した小さな漁業の街だった。ここにある川南魚市場に勤務しており、ここなら誰か知っているかもしれないとのことだったからだ。
2人は魚市場にある事務所に向かった。大山が熊笹二朗を探していると伝え、受付の女性が所長を呼んで来た。
「熊笹・・・さんですか。」
「はい、こちらが甥の光さんで、探してらっしゃるんですよ、相続問題のことがあるので。それに彼が失踪されたすぐに失踪届が出されてまして。それで調査に伺ったというわけです。」
少々メタボ気味でメガネをかけた所長は、おそらく50歳前後であろう。眉間に皺を寄せてしばらく考えていたが、ため息をついて答えた。
「刑事さん、ご協力したいのはやまやまばってん、こん人んこつは・・・たぶん、わからんと思います。」
「え?どういうことですか?」
「あの・・・こげんこつば信じなはっかわからんばってんが・・・あん人はアマビコんとこに行きなはったと・・・。」
大山と熊笹は、思わず顔を見合わせた。
「すみません、全然意味がわかりませんが。」
所長は汗をハンカチで拭き、茶を一口飲んだ。
「いやあ、だけん信じてもらわるっかわからんとは思うたっですけど、つまり・・・それ以外に何の情報もなかっですよ。あん人は・・・アマビコん落とし子ていう評判でしたけんねえ。」
この人は何を言っているんだ・・・大山は当然そう思った。だが見渡すと、事務所の全員が神妙な表情でうつむいている。これはただの妄想や信仰ではだけではなさそうだと思った大山は、質問を変えてみた。
「その、アマビコというのは・・・足が何本かある、猿のような妖怪のことでしょうか?」
所長は頷くものと思っていた大山だったが、次の展開には驚いた。事務所の全員がクスクス笑い出したのだ。
「え?な、なにがどうしたんです?」
所長も笑いながら、答えた。
「いや、申し訳なかです。すみません、刑事さんが仰るアマビエっていうのはそん通りの海の妖怪ですばってん、アマビコとは違うとですよ。アマビエは疫病退散ですけど、アマビコはもっとこう、狂暴です。」
「え・・・じゃ、じゃあそのアマビコと言うのは、荒々しい神ってことなんですか?」
所長は大山と熊笹を別室に誘った。そこは会議室のようで、壁には大きな本棚があって、ぎっしりと本が並べられていた。所長は彼らに椅子に座るように勧め、本棚から一冊の本を出して2人の前に置いた。
「ええと、まず何からお話しましょうかねえ。この辺りの言伝えからが良かでしょう。お2人は、この川南がどういう歴史だったのか、ご存じでしょうか?」
当然ながら知らないと伝えると、所長は大きく頷いて本を手に持った。
「こん本は『八郎伝』といいます。源平の時代、この地に源為義公の八男、為朝公が為義公に逆らって流されてきました。こん人は今で言うならジャイアント馬場さん並みの体格で、おまけに力自慢だったそうです。ここらに来てたった3年くらいで、ほぼ九州を制してしまった・・・とここまでは、こん本ではなく、『保元物語』などに描かれております。こん本な、そげんこつじゃなく、ここでどう過ごされたか、どう暴れられたか、が書かれておっとですよ。色んな学者さんにもお見せしたとですばってん、誰も信じてもらえませんでした。作者もわからん上に、書いてあるこつがデタラメだと。ばってん、この辺りのモンな皆な信じとっとです。」
所長は本を開いた。するとそこにはまず山と弓と鳥の絵が描かれていた。
「これは、俗に為朝公が山に来る鳥を射て落としたところ、ここには鳥は飛んで来なくなったという伝説・・・。」
「ああ、それが鳥回山ですね。」
所長は先を越されて言われたので、ムッとした表情をした。
「・・・まあそれはそぎゃんばってん、そっじゃあなかとですよ。話はちゃんと聞いてください。一般的にはそういう俗伝承としか思われとらんとですばってん、これは違った意味です。山は天下、矢は軍団、そして鳥は、全国に張り巡らせた為朝公の手の者です。つまりこれは、為朝公の忍のような者たちで、為朝公がいずれ天下を取るということを前提とした本なんです。」
大山は失敗したと思って頭を掻いていた手を止めた。
「なんですって?」
熊笹も、叔父探しがとんでもないことになってきたこの展開に、眼を白黒させていた。
「で・・・これが、どう叔父さんと関係あるんです?」
所長はやっと意味がわかったかという安心感で、顔が少し穏やかになってきた。そして自分も椅子を出してきて、座った。
「為朝公は薩摩平氏と協力して九州を平定し、その後父為義公が解官されたのを機に許されて、再び京に戻られたとなっております。しかしそうではなかったとです。」
所長が言うには、為義は常に武家そのものの棟梁となって朝廷に上らんとする野望があったのだが、勇猛で鳴る源氏の度重なる狼藉失敗によってその夢も危うくなり、源氏一門を力で統べるべく為朝を呼び戻したのが本当だということだった。
「なるほど、それは解釈の違いですね。ではそれとアマビコとの関りというのは?」
所長はメガネを拭いて、また戻した。多少汗をかいていたようだ。
「そうです。そこが問題とですよ。為朝公の配下の忍たちは、さきほど刑事さんが仰った鳥回山、つまり木根栖山を本拠としていた28人の者たちでした。彼らは通称鳥回衆と呼ばれ、九州随一の調べ、暗殺、戦闘、そして変装までも自在にできる者たちで、上京の折には為朝公が全て同伴させたと伝わっています。そして・・・。」
所長はパラパラとページをめくり、そして終盤付近で手が止まった。
「ここです。ここをご覧になられてください。」
そこにはこう書かれていた。
「鳥回衆子孫此地二残ル 来シ時於テ全テ天彦処帰ス」
大山と熊笹は再び顔を合わせた。
「ここに・・・天彦って・・・書かれてますけど・・・これがひょっとして・・・?」
「そうです。鳥回衆を作り出したのがアマビコ、つまり天彦となり、首領は代々そう名乗ったそうです。この辺りではいまだに行方不明になる方がいて、結局見つからないとばってん、私共はそういうときに・・・こう言うとですよ。。」
「アマビコの処に帰る・・・。」
熊笹は呟いた。会議室の窓から見える有明の海は、心なしか荒れているように見えた。
5
「そう・・・そういうアマビコもあるわけね。」
かおるの部屋はここのところ大山のプライベート事務所のようになってきている。相変わらずのゴージャス趣味はどうしようもないにせよ、とりあえず警察並みに資料が多く、調査分析するときには決まってここに来ていた。
「そういうこった・・・あ~疲れた!」
大山はモニターが3台並んでいる大型パソコンの椅子で大きく背伸びした。
「これが正解かどうかはわからんけど、ひとつのヒントではある。源為朝の伝説が川南にあったなんて、まるで知らなかったよ。デカやってると、かえって世間知らずになっとるわ。」
大山はかおるの方に顔を向けた。
「結局のところ、あれから色んなネタを探したけど、為朝に関するものって川南と大宰府にしかないんだな、九州では。為朝に仕えた鳥回衆というのは、伝説だけだと、まるで忍者だ。忍者に魔法使いを合わせたような。でもこうなると、単なる伝説としか捉えられなくなっちまう。他に調べても、何にも出てこない。」
かおるはパソコン台に作り付けの穴に、ホットチョコを入れたカップを置いた。
「あたしもね、ついさっきだけど・・・こんな情報もゲットしたわよ。」
かおるが差し出したのは、一枚のプリントアウトしたコピー用紙だった。
「これはね、実はタイの友人から送ってもらったものを翻訳してみたの。ここにね・・・ほら、ここ。ここにAMABIKOってあるでしょ?」
かおるはコピーにある個所を示すために身を乗り出したのだが、豊かな胸が大山の鼻をかすめた。毎度だが、パートナーなのだが、大山は毎回こういう仕草にはドキドキさせられる。
「お・・・おう・・・え?・・・な、なんだって?」
大山はガバッと身を起こすと、紙をひったくるように掴んで読んだ。
「『・・・かくして、シャム王国客人倭国皇子SINNYOをAMABIKOと称え・・・』これ、どういうことなんだ?倭国皇子?ということは?」
かおるはコピー紙をゆっくりと大山から取り、愛用のダンヒルに火をつけた。
「色々調べてもらったんだけどさ、このSINNYOってのは、どうやら平城天皇の第三皇子だった高岳親王のことみたい。この人は出家して真如って名乗って、比叡山の阿闍梨にまでなった人。彼の甥は有名な在原業平。どうやらシャム、現タイやマレーシアあたりで亡くなったようね。マレーシアには墓標があるそうよ。そしてこの真如さんね、このあたりに来てたみたい。で・・・たぶんだけど、天皇家の男子ってことで、一部ではこう呼ばれていたみたいね。」
大山は頭をガシガシと掻きむしった。
「為朝に天皇家かよ!なんかクソややこしくなってきたぞ!」
大山は、この一件には羽間は絶対に無理だろうと確信した。
「アマビコ・・・これ、どういうことなんだろ。まあ、二朗さんを探せればいいだけなんだけどな。」
「だけど、可能性あることから調べないとわからないじゃない?調べようよ。」
かおるに言われるまでもなく、外に頼るデータもない。
「じゃあ、あたしがこっちの方調べてみる。あんたは鳥回衆のこと調べたら?警察なんだし、地元だから調べやすいでしょ?」
「わかった、そうするか。」
翌日、大山は羽間と共に木根栖山に向かった。羽間は地元だけに、すぐに伝説を知ってそうな人物を紹介してくれた。
「先輩、こちらが俺のご近所で、川南神社の神主高間さんです。自分が子供の頃から、めっちゃ良くしてもらったおじさんです。」
高間神主は白髪オールバックで、白い鼻髭を生やした、一見明治の文豪風の老人だった。
「初めまして。高間荘俊と申します。」
大山は自己紹介し、早速本題に入った。
「高間さん、お伺いしたいことは、源為朝の部下だった鳥回衆と、首領だったと思われる天彦というものについてです。このアマビコという名を探してたいら、為朝に辿り着・・・。」
「為朝公たい!失礼な刑事さんたいな!」
高間は突然激高して大山を怒鳴りつけた。
「あ、し、失礼しました。こちらではそう呼ばれているのですか?」
「当たり前たい!そもそもここは、為朝公が射抜いた鳥らを祀った社じゃ。ケン坊、ちゃんと教えとったとか?」
「おじちゃん、勘弁しといてよ。警察て、そげんとこやけん、な?な?」
羽間は賢信なのでケン坊などと呼ばれていたようだ。正直大山はそちらの方がツボだったのだが、とりあえず謝った。
「それでは・・・為朝公が射抜いた鳥・・・つまり、鳥を祀っている神社何ですか?珍しいですね。なんでまた?」
「お前さん方、ちっとも地元んこつば知らんな!まあよか。こちらへおいでななされ。」
高間は大山と羽間を、小さな川南神社の隣にあるプレハブに案内した。
「貧乏くさかとこでしょうが、ここいらの方々のご厚意で細々と残っとる社じゃけん。我慢してはいよ。」
高間はどうも自虐の傾向があるようだ。頭を掻く大山の前に、高間は巻物を置いた。
「これは?」
「これはな、お鳥様にまつわる話を絵で表した巻物じゃ。先日も大学の偉い先生がいらして、これは相当に古っかもんじゃて言うて帰りよらした。」
高間は巻物の紐をほどいて広げた。それは一人の武将が天に向かって矢を射ている姿と、頭上を舞う28羽の鳥が舞っている姿が描かれた、かなり古い掛け軸だった。
「これが為朝公でな、こうやって御山を荒らしておったお鳥様を射て、その後鳥は舞い降りて人になり、為朝公に仕えた・・・そう言われておっての。」
大山はかおるから教えてもらった、為朝の逸話を思い出した。
気になったのはこの数字だった。
「28羽・・・28騎・・・これって、偶然?」
「ほお。少しは頭が働くようたいな。そん通りたい。このお鳥様が、為朝公に仕えたと言われておる。」
「じゃあ、その28羽の鳥が、いわゆる鳥回衆ってことになるとですか?」
「そうたい。ここはお鳥様をお祀りしておる。お鳥様は為朝公が京に上り、お鳥様らも帯同された。保元の乱にて兄義朝公の坂東武者らと壮絶ないくさをした後に、23人まで死んでしまわれたそうな。残された5名のお鳥様がどうなったかはわからん・・・じゃが、この辺りの者たちはその勇猛さを称え、ここを壮健されたと伝わっておる。」
大山はまた為朝にまつわる伝説が出てきたと、正直驚いた。あまり地元でも話題になることはない為朝なのだが、どうしてこうも伝説が残っているのだろうか、不思議だった。
「そう言えば川南魚市場の事務所で、あの辺りでは失踪者のことを『アマビコの処に帰る』と言っていていました。アマビコは天彦で、鳥回衆・・・お鳥様たちの首領のことだと聴きました。このことと何か関りがあるとですか?」
高間の顔が、急速に無表情になっていった。
「・・・その、行方がわからん5名のお鳥様・・・ここでも、アマビコの処へ帰った・・・そう伝えられてはおる。アマビコが何なのかまではわからんが。」
やはり繋がった・・・大山はこちらのアマビコにはどのような秘密があるのか、心底探りたくなってきた。
6
「それじゃ、真如さんって・・・まるで玄奘じゃない?」
「ハイ、そうデスネ。この人、インドに行こうとしてたネ。デモ、なぜかセメタリー、クアラルンプールにある。」
「クン、それセメタリーじゃないわね。メモリアル・タワーでしょ。」
白水かおるが話していたのは、タイ人の仏教学者クン・セーンカムだった。2人は川北市にあるホテルカスケードのロビーで、コーヒーと紅茶を飲みながら資料を見ていた。もちろん天彦こと高岳親王についてだった。クンとかおるはときどき英語を交えながら、日本人にはほとんど知られていない高岳親王について情報交換していた。
かおるはお気に入りの白いブラウスに黒いスリムデニムといういでたちだったが、美白でボブという姿は、九州の地方都市ではやたら目立っていた。相手のクンにいたっては、イケメンのタイ伝統僧衣である。夏なので涼しそうではあったが、目立ちまくっていた。かおると共にいれば、目立たない方がおかしい。
「真如って人、本来なら皇位継承してもおかしくない人だったようね。平城太上天皇の変で、父平城天皇が上皇となったときに皇太子を廃されちゃって、九州にも来てたようね。それからなぜか唐に渡ってしまった・・・本当に謎だらけね、この人。空海の弟子でもあった・・・か。」
和解が優秀な仏教学者であるクンは、茶を飲んでかおるに応えた。
「ワタシも調べてみました。このシンニョさん、チャイナでは当時ブッディズム追い払われてたね。だからインド目指しました。でもこの人、ジャパンで言う大乗のウソに気がついて、小乗を追っていたら、シャムに来た。16年もかかった。スゴイ人ね。」
「大乗仏教の嘘?それ、どういうこと?」
クンは紅茶を一口飲んでソファの背もたれに背をつけた。
「大乗は、チャイナでエンペラーがツールにしてしまったものですね。ゴータマの教えは、小乗ね。空海さんの密教も、小乗のもの。シンニョさんのデータ、これしか見つからなかった。」
クンが鞄の中から取り出したものは一冊のタイ語で書かれた古い本だった。
「これ、タイのチェンマイで見つけた。ここの書いてある人、シンヨーって書かれてる。たぶんこれ、シンニョさんね。でもね、この人・・・こんな風に描かれてる。なぜかな。」
クンが指さしたページには、確かに僧衣のような服を着た僧侶が描かれており、それは明らかに他の僧侶とは違っていて、日本の僧衣をずっと着ていたと思われる。しかしさらに異様だったのは、真如がはおっていた袈裟の背後に縫われた絵だった。それは黄金色に輝く鳥と、赤黒い蛇が闘っている姿だった。
「これ・・・どういうこと?」
普段クールなかおるにしては珍しく、明らかに動揺していた。
「ドウかしました?」
かおるの顔色は明らかに青くなってきていた。
「ちょ・・・ちょっと・・・クン、失礼するわ。ここの払いはアタシがやっとく。じゃね。」
呆気に取られるクンを残し、かおるは画像を撮影して清算すると、タクシーを飛ばして県北にある康安寺に向かった。
「・・・久しぶりね、ここも。」
かおるが着た康安寺は、林の中にある小さな寺だった。しかし現在では住職はいない。かおるは康安寺の近くにある、小さな庵に近づいていった。玄関の上には黒々と『まほろば堂』と書かれていた。
「春道さん・・・いるの?」
少しの間を置いて、眠そうな声が聴こえてきた。
「ふぁあ?・・・だ、誰じゃい?」
ポリポリと首を掻きながら奥から出てきたのは、小太りの老人だった。
乱れてはいるが、一応僧籍にはいる身のようだった。
「春道さん、お久しぶりね。」
「お?おおおおおお!誰かと思えばわしの愛人候補か!よー来たのう。」
「残念だけど、そんな候補に立候補したくはないわ。お邪魔するわよ。」
かおるはズカズカとまほろば堂に上がり、囲炉裏で沸いている鉄器を取り、勝手に茶を入れ始めた。
「勝手知ったるこのお堂ってか?はあ・・・どう考えても愛人なんじゃがのう。」
かおるはどうでもいい春道の愚痴には全く耳を貸さなかった。土産に持ってきたカラスミを切り、茶を入れて、ついでに燗も入れていた。
「おおおお!わしの大好物ではないか!では早速・・・。」
「まだよ。」
春道は伸ばした手の先にあったはずのカラスミが抜群のタイミングでずらされ、畳に思いっきり箸を持った指をぶつけた。
「ぎゃあ!・・・な、なんじゃいこの仕打ちは。」
いつもなら、ここでかおるの冷たい反撃があってからのボケ連発というのが、春道が描いていたイメージだったのだが、当のかおるはいたって真剣な表情だった。
「春道さん、ちょっと見てほしいものがあるの。」
かおるは持っていたタブレットの画像を広げた。
「全く愛人にもならんわ、老人を痛ぶるわ、そしてこれ見ろだと?全く・・・うん?」
春道の顔はそれまでのふざけたエロ爺の顔から一転して、真剣そのものの表情になった。タブレットを取り、その画像をマジマジと見つめた。
「おい・・・これ、どうしたんじゃ?」
春道の声は低く、心の奥底まで響くような余韻があった。
「この人・・・真如さんよ。」
「なんじゃとおお!」
「たぶんだけど、9世紀頃のタイで描かれたものだと思うわ。」
「そんなことじゃないわ!どうしてこれが、今ここになければならんのかと聴いておる!」
かおるはこれまでのいきさつを春道に話した。
「・・・その、アマビコという得体の知れないものから、ここまで来てしまったということか・・・。天彦のう・・・迦楼羅と蛇骨は、元々インド神話のガルーダとナーガでな。ここで蛇骨と迦楼羅の永遠の戦いを知った真如は、それを確かめずにはおれんかったのじゃろう。しかし気になるわい。本来であれば、蛇骨めの復活を阻止するときに迦楼羅は姿を現す。この絵は、日本にあってはならん絵のはず。何かがこれを呼んだということになる。さて・・・問題は熊笹とかいう若いのか。叔父の二朗、祖父の五郎からじゃな。」
「それから、馳川竜太とか言う名前も出てはきていたのよ。五郎さんとなんかあったらしいって光さんは言ってたわ。五郎さんは、この馳川って男に殺されかけたみたいね。」
春道は少し考えていたが、何かを思いついたように顔を上げた。
「今思いついたんじゃが、為朝が京に上るときに、鳥回衆を連れていった・・・そうじゃな?何騎じゃった?」
かおるは頷いた。
「28騎を連れていった・・・。」
「それじゃ!」
突然春道は大声をあげた。
「さっきから何か引っかかっていたんじゃ。迦楼羅は天界二十八部衆のひとり。じゃがその二十八部衆の中でも阿修羅、婆藪仙人、摩睺羅伽、夜叉、鬼子母神の五神は、悪鬼から帰依したものじゃ。為朝も28騎を連れていき、5騎の行方がわからないと、そうされておる。つまりこれは、いまだ悪鬼のまま彷徨っている存在がいるということじゃ。そのことを『保元物語』では秘めて書かれておるということじゃろう。」
かおるはみるみるうちに顔色が悪くなっていった。
「じゃあ、もしこの5騎が為朝の元に戻らなかったとしたら?」
春道は首を振った。
「仏法を守護できなくなる。蛇骨を撃退するはずの八神が機能しなくなり、蛇骨が復活してしまう・・・。」
かおるは眉間に皺を寄せた。
「ちょっと待って。熊笹五郎と、長男の太郎は血縁関係がないの。二朗とは親子らしいけど、その子も二朗も行方不明・・・熊笹はそもそも川南の出身・・・ひょっとすると・・・?」
「可能性は、高いのお。」
その可能性については2人とも口にしなかったが、共通認識はできていた。2人が考えていたことが真実だとしたら、これはとんでもない事件だということになる。
7
「そうか・・・アマビコと為朝と28騎、それに行方不明の5騎・・・それと熊笹さんとの関連性があるかどうか、だな。」
大山はかおるの部屋で、これまでのデータを突き合わせていた。
「しかしえらいことになっちまったな。単純な失踪事件かと思ってたら、一体なんだよ、こりゃあ。」
かおるは香りのいいローズヒップティーを入れ、ガラステーブルの上に置いた。
「でもまあ、こんなこと上層部に持っていっても相手にしてくれないでしょ?いいじゃない、あたしたちでやれば。」
「まあな。ケンには失踪事件で捜索中ってことで報告しとけって言ってある。他に大したともないし、これに集中できるけど。」
大山はローズヒップティーを一口飲んで顔をしかめた。
「酸っぱ!なんだこりゃ。」
「健康にいいのよ。黙って飲んで。いっつも肉うどんとカレーと牛丼ばっかじゃ身体に悪いでしょ。」
かおるが用意している健康食品はどうにも大山には合わなかった。
「かー・・・あ、それよっか、戦死しなかった5人の武者のことわかった?」
「ううん、誰が誰だかまではまだ・・・。でもね、この事件、甘く見ない方がいいと思う。」
「なんだい、それ。」
かおるは本棚から一冊の本を出してきた。
「これね、仏教に関することをまとめた本なんだけど、ここ見て。」
かおるが開いたページには、多くの像と千手観音の写真があった。
「これは?」
「千手観音と天界二十八部衆。この観音って仏法のことで、それを彼らが守ってる。ほとんどは元々の善神なんだけど、彼らは違う。元は悪神だったけど、仏法に帰依して善神になったの。」
かおるは阿修羅、婆藪仙人、摩睺羅伽、夜叉、鬼子母神を次々に指さしながら話した。
「つーことは、刑務所からスカウトしてSPにしたようなもんか。」
「・・・例えはどうかと思うけど、そういうこと。」
かおるはその本の別のページを開いた。
「これが県北にある康安寺。ここにこの千手観音と二十八部衆があるんだけど、ここにね、こんな伝説があるの。」
「伝説?」
「うん・・・仏法守護衰えるとき、悪魔が降臨するって・・・それを蛇骨って言うらしいの。」
「じゃ・・・蛇骨?そりゃ一体なんだ?」
「この康安寺には住職さんはいないんだけど、よく知っている人に聞いてきた。蛇骨というのは、この世界全てを暗黒の闇に置き換えてしまうもののようね。蛇骨に対するには二十八部衆、中でも八部衆という最強メンバーが必要。だけどその中に阿修羅、摩睺羅伽、夜叉が入ってる。」
大山は指折って数えていたが、その指が止まった。
「悪神から転向した中で3つが入っているわけか。強力ではないわけか。」
「そう、足りない・・・わね。」
「え?じゃあ仏さん、守れないじゃん。」
「だけど鳥の化身『迦楼羅』がいる。これは元々善神で、最強。迦楼羅がメインで戦うわけよ。戦艦みたいね。他は駆逐艦ってとこかしら。でも、おかしいでしょ?ここで考えてみて。鳥よ、鳥。」
「鳥?・・・、鳥?」
「そう・・・鳥回衆の首領がアマビコを名乗っていたんでしょう?ひょっとしたらアマビコって言うのが為朝だと仮定してみたら・・・どうして鳥の化身である迦楼羅を許すな、なんて言ったのかしら、五郎さんは。」
「え?・・・つまり、五郎さんはその、蛇骨って悪い奴の側だったってことなのか?」
かおるは首を振った。
「それはまだわからない。ひょっとしたら、誰かを庇うとかの意味でそう言い残したのかも。」
大山は残ったローズヒップティーを飲み干した。
「そうか・・・その観点から捜査してみてもいいかもしれんな。五郎さんと二朗さんの関係性・・・ん?ちょ、ちょっと待てよ?」
「どうしたの?」
「おかしくないか?五郎さんの子供は2人いる。一人は長男で太郎さん。次男が二朗さん・・・普通なら『二郎』だろう。字が変だ。」
「そういえば・・・そうね。おまけに兄弟同士で血縁はない・・・ここがポイントかもよ?」
大山は膝を叩いた。
「そうか・・・!五郎さんは当然太郎さんと血縁がないことは知っていたはずだ。でなけりゃ字が違う名をわざわざつける必要がない。問題は太郎さんが誰の子かってことだ。そこから調べてみるか。」
かおるはまだ浮かない顔だった。
「あんたはそっちの方向で調べてみて。あたしはこの迦楼羅とか蛇骨とかの意味なんかを調べてみる。あたし的には、どうもこっちが気になって仕方ないのよ。」
かおるに独特の霊感のようなものがあることは、大山も知っていた。
「わかった。どのみち、本題はこっちだし、その方が警察としても調べやすい。じゃあそういうことで行こう。」
8
熊笹光は川南駅を出て、タクシーを拾って新土御門方面に向かった。新土御門は川南の海よりに位置する場所で、古い町が広がる土御門町より広くて新しい町並みの新興町だった。
熊笹が降りたのは、この街に新しくできた川南パレスという、住居が6階以上でその下は商業施設という複合ビルだった。熊笹はマンションとなっている最上階の一室に向かった。
「ここか・・・。」
エレベーターの前で、部屋の番号を押してコールボタンを押した。少しの間を置いて、目の前のモニターのスイッチが入り、指示が音声で出された。
「あなたの 予約 ナンバーを 入力して ください」
ここでは前もって予約しておかないと入れないシステムになっていた。タッチパネルに入力すると次のメッセージが流れた。
「あなたの 右親指を 所定の位置に 置いて 読み取りを 開始して ください」
熊笹は命じられるままに親指をモニター画面に押し付けた。検索中の文字が一瞬光り、次のメッセージ音声が流れた。
「認証 されました 右手のドアノブに 右手を乗せて ください」
タッチパネルの横にあるドアノブに手を置くと、一瞬軽い振動があったと思うと、カチリと音がしてドアノブが回り、ドアが開いた。
「どうぞ お入り ください 入ったら 部屋番号を 右手のパネルに 入力して ください 部屋に 移動 します」
熊笹が部屋番号を入力すると、その部屋は静かに上昇し始めた。全くエレベーターには見えなかった。相当なガードシステムになっている。間もなくエレベーターは止まり、ドアが開いた。ドアの前には小さなスペースがあり、そこに歩を進めるとエレベーターのドアが閉じた。すると上からやっと感じられる程度のミストが流れてきた。どうやら滅菌のようだ。
ミストが終わると、目の前の壁がゆっくりと開いて玄関が見えた。熊笹は玄関前まで進み、チャイムが見当たらなかったのでノックした。
「どうぞ、お入り。」
老婦人と思われる声が聴こえてきた。玄関を推して見たら、静かに開いていった。そこは洋風のエントランスがあり、どうやら最上階全てが一つの部屋になっていたようだった。
熊笹は辺りを見渡し、太陽光が指している一角に向かった。そこはどうやらフラワールームのようであり、数多くの花が見えた。サンルームのようであり、その中で何か作業している人影が見えた。熊笹はそこに近づいていった。
「叔母さん、いい部屋だね。」
人影はくるりと熊笹を向いてにっこり笑った。
「ありがとうよ。わざわざここまで来てくれるとはねえ。あちらに座ってお待ち。紅茶でも入れるから。」
熊笹が叔母さんと呼んだ老婦人は白髪を丸く結い、痩せてはいたが腰は曲がっておらず、肌艶も良かった。
透き通るような白い肌をしていた。ほとんど外出しないのだろう。
老婦人は居間に紅茶とクッキーを用意し、ゴシック様式の派手なテーブルに置いた。熊笹は言われるがままに座り、紅茶を飲んだ。
「相変わらず美味しいお茶だね。」
「そうかい?もうこれ飲んでくれるのはお前だけだよ、光。」
老婦人はニコニコと微笑みながら紅茶を再び注いだ。熊笹は2杯目の紅茶を一口飲んで、やや緊張した面持ちで語り出した。
「叔母さん、ごめん・・・警察が出てきちゃった。」
それまでの微笑みが嘘のように、老婦人の顔が一変した。
「どういうことだい。」
声は低くなり、目の奥が不気味に光っているようだった。
「叔母さんが警察には知れないようにしろって言うから探偵のとこに行ったら、そいつの彼氏が刑事だったんだよ。」
老婦人の迫力のせいか、熊笹の口はカラカラに乾燥していた。
「・・・まあいい。そこまで調べておかなかった、あたしのミスだね。その女探偵は・・・何て奴だい?」
「えっと、『SKD』・・・白水かおるディテクティブってとこで・・・。」
「白水・・・かおる?知らないねえ。このあたりの探偵なら全部承知してるんだけど。」
「ああ、前からやってたんじゃなくて、最近法人登記したらしいよ。相方が緑川工業事件を担当した刑事で・・・。」
そこまで言ったところで、老婦人は何かを感じたように眉をひそめた。
「ちょっと待っておくれ・・・光、その刑事の顔、覚えているよね。」
「あ、うん。」
「あたしの手を持って、思い出してみてくれない?」
光は老婆の両手を持ち、目を閉じて大山の顔を思い出した。この老婆には不思議な力があり、こうやることでイメージを伝達できる。光がイメージして間もなく、老婆は何か腑に落ちないように首を傾げた。
「おかしい・・・何かある・・・ちょっと待って・・・。」
老婆は光の心の奥底にある、普段は全く感じることがないセンサーに触れた。そして大声を上げた。
「なんだって!」
老婦人はいきなり大声を出した。
「あの人が・・・まさかここにいたとは・・・ということは・・・あいつが・・・あいつもいたのか!」
「あ、あの、亀子叔母さん?どうしたの?何かいけないことでも・・・。」
「うるさあああああいっ!」
亀子と呼ばれた老婦人は、まるで般若のような形相だった。眼は吊り上がり、激しい呼吸で肩が大きく上下していた。
「あいつめ・・・長いこと探していたが、笑わせるわ・・・そうかそうか、そうだったか!でかしたぞ、光!」
亀子は熊笹の両肩を掴んで強く握りしめた。老女とは思えない力強さだった。
「い、痛いよ。どうしちゃったんだよ、全く。」
亀子は熊笹から手を放し、リビング横にある和室に向かった。そして掛軸の前で座した。熊笹も亀子の後で和室に入ったが、考えてみたらこの和室には入ったことがなかったことに気がついた。
和室は茶の湯の用意もあり、主に亀子が茶をたてる部屋のようだった。亀子は掛軸に向かって合掌していた。
「叔母さん・・・?」
熊笹は亀子の後ろまで来たが、亀子の方が小刻みに揺れているのがわかった。亀子は抑えきれない喜びに笑いが止まらなかったのだ。亀子はこう呟いていた。
「ようやく・・・ようやく・・・あの女に怨み晴らす時が来たわ。待っておれ!」
「お、おばさん?」
熊笹には何のことか全くわからなかった。良橋亀子は、まだ笑っていた。
9
「ここか・・・殿猪村って・・・。」
大山と羽間は、県北にある殿猪村に来ていた。
正式には川北市の北部に位置する菊城市に続しているが、この辺りではいまだに『村』と呼ばれていた。地域のほとんどが林業で成り立っているため、山林と竹林ばかりのところだった。
「先輩、よく調べましたね。熊笹姓って、五郎さんがいた川南じゃなく、こっちが本籍だって。」
「たまたまだったがな・・・。」
大山は滅多にない熊笹という姓が気になっており、たまたま由来などを調べていたらここがヒットしたのだった。
「でも殿猪ってのも変な名前ですねえ。」
「それも調べたんだ。昔に、やたらでかい猪がいたという伝説があって、その猪が竹林の中から出てきて襲ったことから、こう呼ばれていた・・・ってなってる。その猪が相当にでかくて強かったんで、殿様って呼ばれてたんだと。」
「殿様っすか・・・センスあるような、ないような・・・おっと、先輩着きましたよ。」
2人がやってきたのは菊城市役所の殿猪出張所だった。小ぢんまりとした小さい建物で、これで通常業務は足りるのだろう。2人を出迎えたのは、支所長の森だった。
「熊笹さんのことでしたね。五郎さんのお祖父さんで、明治初期に肝煎をしていた一郎太という男が、そもそも熊笹性を名乗っていたそうです。この人の息子さんが川南に行って商売を始め、その息子さんが五郎さん・・・それと、この辺りで残っている熊笹姓はもう2軒だけです。ひとつは一朗太さんの丁稚だった人が名乗ることを許されたので血縁関係はありませんね。もう1軒が、一郎太さんの直系になります。現在は八郎さんが当主で、ご家族は5人です。」
「八郎・・・?5人・・・?」
「それがどうかしました?」
「あ、いえ、別に何でもないです。」
大山の脳裏には鎮西八郎と呼ばれた為朝のことが浮かんだが、今は意味ないことだったので慌てて打ち消した。
「よければ、ご案内しましょうか?」
「助かります。よろしくお願いします。」
森支所長に案内され、大山と羽間は山林の間にあるやっと離合できる程度の道を20分ほど、車で移動した。
「着きましたよ。この部落です。」
そこは山間の小さな谷に、20軒ほど程度の古い家屋がある集落だった。林業で成り立っているところだというのは、あちこちに置かれた木材でわかった。そこには作業している者が男女数名いた。森は外部用に作られた広場に車を停め、2人を集落の奥まで案内した。
「八郎さん!おんな!」
いるのですか?・・・という意味である。言いながらすでに森は玄関を開けていた。元々鍵などかけない集落なので、かつて知ったる他人の家という言葉を地で行くところのようだ。もっとも、日本中の過疎地域に行けば似たようなものだ。
「なんな?」
声の主が、奥からのっそりと出てきた。太ってはいないが長身であり、齢70歳くらいであろうか。声にも艶があり、しっかりした足どりだった。
「八郎さん、警察の人が聴きたかこつんあるて。応えてはいよ。俺は茶ば貰うとくけん。」
「警察?警察がなんの用や?」
森はさっさと上がり込んで茶を入れていたので、大山と羽間は仕方なく話した。
「私たちは川北署の者です。熊笹五郎という方についてお話をお伺いさせていただけますか?」
「五郎?・・・あの五郎のことかい?」
「はい、そうです。」
「あん人はな、俺の従弟や。」
「え?でも結構お歳が離れてませんか?五郎さんは最近亡くなられて、そのときがええと、95歳。失礼ですが八郎さんはおいくつで?」
「五郎が?・・・そうか・・・。知らなかったな。ああ、ワシは86になるばってん。」
人を見た目で判断してはいけないという鉄則をつい忘れるほどに、八郎は若かった。
「失礼しました。あまりにもお若いので。で、五郎さんとはどのような間柄になりますか?」
「そん前に、なんで五郎のこつば聴きたかとや?」
八郎の表情からはまだその感情が読み取れない。
「はい。実は五郎さんのお孫さんの光さんがこちらにいらしてまして、失踪された叔父の二朗さんを探しておられるとですよ。この方はすでに捜索願が出されておりまして、それで私共が調べているということです。」
「二朗が?・・・そうか、おらんごつなったとか。ワシはもう親戚とは付き合うておらんけん、全くわからんかった。まあよか。熊笹一郎太のこつは知っとるな?」
「はい、熊笹の姓を名乗られた方だとお聞きしました。」
「ああ、一郎太には子が2人おってな。一人は五郎の親父で大志。もう一人はワシの父で太蔵や。親父は家を継いだばってん、五郎はいっときは川南におったが、間もなく上京してな。ワシとはそれっきりや。」
「なるほど・・・では、失踪された二朗さんについてはご存じですか?確かご長男は子供の頃に他界されておられ、長女が紗代さんと戸籍上はなっていました。」
「いや、もう二朗までやな、知っとるんは。それも子供の頃までや。誰と結婚して子供が生まれたかどうかは知らん。」
どうやら八郎からの情報はここまでのようだと、大山は判断した。メモっていたシステム手帳を閉じようとしたとき、大山はもうひとつ聴いておきたいことを思い出した。
「八郎さん、これが捜査に関係あるかどうかはわかりませんが、もうひとつお聴きしても?」
「なんな?まだあっと?」
「どうしてもわからないんです。光さんによれば、五郎さんと太郎さんの間には血縁関係がなかったそうなんです。我々も調べましたけど、確かに太郎さんは戸籍上は養子になっていました。しかしそのことは、親戚が少なかったこともあって、光さんはつい最近まで知りませんでした。それに五郎さん、太郎さん、八郎さんの郎の字は同じですが、二朗さんだけ違います。普通なら血縁関係ある人につけそうなものですけど、なぜなのか?そのあたりを何かご存じありませんか?」
八郎はうつむいて首を振ったが、何かを思いついたように顔を上げた。
「そう言えば・・・。」
「何かありましたか?」
「いや、こらなんも関係ないかんしれんばってん・・・。前に親父どんから聴いたこつんあっとたい。五郎は所帯持った頃にな、そん頃働きよった会社で、同僚の悪っか奴に腹ば刺されたこつんあるて。」
「刺された?」
「ああ、ええと・・・聴いとっとばってんな~・・・こんあたりではあまりなか苗字で・・・あいうえおかきくけこ・・・は、そうたい!馳川言う奴に会社で刺されたったい。そん時にゃ奥さんの腹には子供がおったち言うて、親父がえらい剣幕で言い寄ったこつんあった。なんか変わったこつ言うたら・・・そんくらいたい。」
10
「馳川竜太・・・か。こいつは当時川南にあった『高原組』の若い衆で、抗争相手の組員を刺して、この『オート九州』に潜り込んだ。でも同僚の彼女を犯して問い詰めたところを刺されたらしい。しかし馳川がここにいると通報を受けた警察が駆けつけていて、馳川を発砲して取り押さえた。しかし4年後に出所したとたんに、報復で殺されてる。相当ヤバい奴だったみたいだな。」
川北署では署長の山内が資料をめくっていた。大山と羽間が調べた結果を見ていたのだった。
「しかしなんだ、失踪事件とこの男と関係があるのか?」
大山と羽間は顔を見合わせた。
「まあその・・・血液型なんですが。」
「ほう?」
「太郎さんと光さんはA型です。五郎さんはB型で、奥さんはО型。それはそこに書いてあります。でも・・・。」
「なんだ?」
「問題の馳川なんですが・・・A型なんですよ。」
「え?な、なんだと??」
「まだ詳しくは調査中なんですが、ひょっとしたら太郎さんは馳川が犯した瀬高という自殺した社員の子供なんじゃなかろうかと。」
山内は腕組みをして考えた。
「そうなると、今度はなぜ二朗さんが失踪したかってことになるな。太郎と五郎の仲は悪かったんだろ?」
「そうなんです。ごく普通なら太郎さんがいなくなって当然なんですが・・・。」
山内は深くため息をついた。
「なんかここんとこ、変な事件が多いな。すまんがそっちに集中してみてくれ。」
大山は署長室を出てすぐに、川南署に出かけた。
「オート九州・・・ああ、あの国道沿いの。ばってん、あそこはもうないぞ。」
高校の同級生だった岡島啓介が大山を出迎えてくれた。
「そうか・・・潰れたのか?」
「いいや、あそこはな・・・。」
岡島は辺りを見て小声で話した。
「乗っ取られたんだ。」
「え?それはどういう?」
「いやな、元極道で今はカタギになっとる奴がいてな。そいつがクルマ屋始めて、あれやこれやで乗っ取ったんだ。」
「それひょっとして高原組か?」
「なんや、お前、知ってたんか?」
岡島は拍子抜けしてソファに背をつけた。
「いや、それは知らんかったっとやが、俺が探しているのは、そこにいた熊笹太郎、瀬高宏、そして馳川竜太・・・こいつが元高原組員なんだ。」
「ふーん・・・じゃあ、少し時間くれ。」
「構わん。」
岡島はそれなりに手短かに話してくれた。オート九州は元々、創業者が食い詰め者を何とかしたいということで、当時新興産業だった自動車やバイクに注目して設立した会社だった。つまり、社員の中には馳川だけでなく、それなりに荒れた者が多かったのだ。
それでも熊笹五郎が現場監督に就任してからは風紀も良くなり、会社も大きくなってきていたのだが、そこで起こったのが、五郎が馳川を制裁しようとして刺された障害事件だった。馳川が高原組の組員だったこともあり、高原組はこれをきっかけに会社乗っ取りを企んだ。
しかし極道では会社を運営するわけにはいかなかったので、高原組は解散して、そして退去してオート九州に乗り込んでいった。熊笹五郎は抵抗したのだが、流れには逆らえずに退職し、高浜組残党の報復を避けて妻子を連れて上京した。その後オート九州は不正事件が発覚して警察と組織暴力対策課によって徹底的に洗われ、現在では大手自動車メーカー神海自動車の川南支店となっているらしかった。
「そうか・・・五郎は家族で上京したわけか。4人だったんだ、家族は。」
「ええと・・・いや・・・このときは3人・・・だな。」
「え?」
大山は眉間に皺を寄せた。
「長男が太郎で次男が二朗のはずだ。奥さんはいなかったのか?」
「いや違う。馳川の奥さんの恵子と、長男の太郎だけだ。」
「はあ?」
大山は頭が混乱してきた。
(血縁関係のない太郎と妻を連れて上京しただと?どういうことなんだ?)
「そ、それ以上何か?」
「いいや・・・これで終わりだ。助かったよ。」
大山は本当に混乱してきた。
(つまり、太郎は誰の子なんだ?)
わざわざあのピンチに他人の子を連れて県外に脱出する必要があったのか?よほど考え込んで、しかめっ面をしていたのだろう、岡島がコーヒーを入れてきてくれた。
「まあ、これ飲めよ。なんて面してんだ。」
「あ・・・ああすまん。ほんとに変だな。」
「こっちでわかるのはこれくらい・・・ん?ああ、ひょっとしたらこちらでわかるかもしれん。」
「え?」
「いやな、その馳川の子供が2人いて・・・一人が確か新土御門町に住んでたはずだ。馳川の身内はその人以外いない。手がかりはそれくらいじゃないか?」
「わかった!恩に着る!」
「今度奢れよ。」
大山は岡島と別れ、新土御門に向かった。このあたりは以前は低地の沼地だったのだが、昭和になって軍が演習場確保のために埋め立てた地域である。周囲には江戸時代の宿場があったようで、荒くれた連中が多く住んでいたと言う。しかし現在では公営住宅やマンションが立ち並ぶ、閑静な住宅地となっていた。
「ここか・・・川南パレスの最上階とはな。いい暮らしじゃないか。」
大山はエレベーターの前で、部屋の番号を押してコールボタンを押した。少しの間を置いて、目の前のモニターのスイッチが入り、指示が音声で流れてきた。
「ご用件は なんですか 下の どれかを 押して ください」
ズラっとアイコンが表示され、大山はその中にあったパトカーのアイコンを押した。しばらくして、おそらくは高齢女性と思われる声が流れてきた。
「警察さんが、何の用事ですかの?」
大山は軽く咳をして答えた。
「良橋亀子さん、お父様のことについてお聞きさせてください。」
パッとモニター画面がカメラに切り替わり、70歳くらいに見える、白髪で老婦人の顔が映し出された。
「手帳はありますか。それを画面の右下にある読み取りに置いてください。」
大山は警察手帳を、言われた読み取り機の上に置いた。光りが走り、瞬時に読み込まれた。モニターの向こうではプリントアウトされたようで、白髪の良橋亀子はそれをじっと見て、そしてまた顔を上げた。
「間違いないようですね。ご面倒をおかけしましたね。今から開けますので。」
11
大山は亀子のリビングで飲んだことがない茶を味わっていた。
「初めてでしょうかねえ。これはアルゼンチンのマテ茶です。飲むサラダとか言われておりましてね。身体にすごくいいんですよ。」
温厚で笑顔が魅力的な人だなというのが最初のイメージだった。大山はマテ茶を飲み干すと、本題に入った。
「お父様は馳川竜太さんですね?」
「ああ、そうですねえ。もう随分前にね、逝ってしまいましたが。」
「どのくらい前です?」
「昭和の・・・確か38年くらいじゃなかったかなと思いますねえ。わたしが、まだ小学校にあがる前でした。でもねえ、父はずっと刑務所にいましたから、ほとんど一緒に過ごしたことはありません。」
「では、お父様のことはあまり覚えておられない?」
亀子はイタリア製のソファに深々と身体を埋めて、時おりマテ茶を飲みながら話した。
「ええ。わたしが覚えているのは、写真の中の父と、かすかに残っている腕の強さくらい・・・たぶん抱っこしてもらったんでしょうね。母は間もなく再婚しましたから、わたしが父として認識してるのはこちらの方です。」
亀子が示した先にあるのは、ピアノの上に飾ってある一家4人の写真だった。亀子がまだ若い頃のものだ。
「こちらの男性は・・・弟さんですか?」
「ああ、兄です。血は繋がってませんが。義父の連子だったんですよ。義範と言いましたけど、この人ももういなくなりました。家族で残っているのはわたしだけです。」
「そうですか。では竜太さんについては他に何かわかることあります?実は竜太さんから繋がる情報が欲しいんですよ。」
亀子は大山をじっと見た。写真からも若い頃は相当な美人だったことはわかるのだが、老いた今でさえ魅力的な表情を見せる。どこか人間離れした印象も受ける。
「そうですねえ・・・父は、おそらくご存じとは思いますが、高原組とか言う極道の組員だったようです。母はそれをずっと隠していましたけど、わたしが結婚してから嫁ぎ先で初めて聴かされました。相手には母が全てを打ち明けていて、それでもいいのかと聴いていたようです。まあ・・・随分と母を責めましたけどねえ。悪いことしました。」
「さきほど義父って仰いましたけど?」
「ああ、母は再婚していましてね。その結婚相手の連子が義範です。」
「失礼ですが、お子さんはいらっしゃるのですか?」
「子供は早くに死んで、孫ならおります。」
「孫?」
「可愛い男の子でしてね。私とは妙にウマが合って。いまだに慕ってくれてますよ。おばあちゃんなんだけど、気を遣っておばさんって呼んでくれています。可愛いでしょ?あら、これは関係ありませんでしたね、ごめんなさいね。」
「そのお孫さんと言うのは?」
「養子縁組しましてね。珍しい名字なんですよ。」
「なんという、お名前で?」
「ええ、光って言うんですよ。熊笹光ってね。」
大山は思わずソファから立ち上がりそうになった。まさか、馳川竜太が刺した熊笹五郎の孫がこの老婆の孫だったとは。調査の際には冷静になれるはずだったのだが、さすがにこの衝撃は大きかったようで、表情の違いを亀子はすぐに見抜いた・
「・・・私、何か失礼なこと言いました?」
「あ、いえ・・・どこかで聴いたことがあったようなので。すみません、後で考えてみます。」
大山はここで熊笹二朗について語るのはまずいと察し、話題を切り替えた。
「実は、お父様が所属しておられた『オート九州』という会社について調べているんですよ。色々あって消えたということなんですが、どうやら会社自体が乗っ取られたそうです。その過程でのゴタゴタについて捜査しているところです。まあその、お父様もそこの組員だったということですのでね。お気を悪くされんでください。」
当然この点についても調べる予定ではあったので不自然ではない。亀子という老女に鋭い勘があるようだと感じたためだ。事実亀子は熊笹光の名前に反応した大山を見てから、心にシャッターを降ろしたようだった。明らかに瞳の中が読めなくなってきていた。
亀子はマテ茶を自分のカップに注ぎながら、神経は大山の心中に向いていた。
「そうですか・・・ですが、先ほども申し上げましたように、わたしは父についてはそれくらいしか存じあげません。ましてや会社についてなんて全然・・・お役にたてないで、すみませんねえ。」
もうこれ以上は話さないよ、と言っているのと同じだった。そして大山は逆に、この老女はもっと知っていると確信した。また熊笹光との関係性についてもわかった。
(この点については、かおると話し合ってみよう。)
こういうことに関しては、かおるの勘は相当な力がある。
「わかりました。お邪魔しました。また何かありましたら、川北署までご連絡ください。」
大山が部屋を出ていくまで、亀子は一言も話さなかった。そして亀子はすぐに、奥にある部屋に入り、色々な書類やファイルなどを調べ始めた。やがて一冊の古い冊子を取り出して、ページをめくり、そして手が止まった。
「・・・ありがとうよ、光・・・まさかお前がねえ・・・そしてまた、会えましたね・・・。」
亀子はククク・・・と笑い始めた。その笑いはやがて大きくなっていった。
12
白水かおるは再びまほろば堂の春道の元を訪れていた。
ここは木々に囲まれ、俗世間から離れた安らぎを感じるところでもある。
「そうなの・・・過去にも蛇骨と迦楼羅の戦いはあっていたわけね。」
「ああ、表には出ることはないがのう。」
かおるが春道から聞き出したのは、かつてこの地で繰り広げられた戦いのことだった。春道が言うには、この地はいわゆるパワースポットであり、伝え聞くところでは古代よりずっと神々と悪魔の戦いが続いていた土地だとのことだった。
明治の頭に最終戦争が起こり、56億7千万年後の未来において太陽系崩壊が起きる直前に弥勒が現れて、全ての魂の救済が行われるまでは悪魔はこの世に現れない・・・はずだったのだ。弥勒が何をどうするのかは判らないが、少なくとも悪魔が好む大量の死と流血は行われないとされていた。
しかし現に、真如の絵と共にこの戦いの絵が日本にあるということは、何らかの前兆があるはずだと言うのだ。
「蛇骨というのはな、わしらのこの世界を一切認めない世界の奴らが、破壊のために肉体化したものじゃ。そのためには必ず何らかのきっかけがある。例えば、真如じゃ。このお方は皇家にも関わらずシャムに渡られた。求道のためにな。じゃがこの方は、過去に蛇骨と出会い、しかも蛇骨の因子を体内に入れこまれておる。」
「え?てことは、真如さんって・・・。」
かおるは驚いた。蛇骨の因子を植え付けられたものがいたのか。
「ああそうじゃ。実に驚くべき話じゃが・・・真如導師がそれを悟ったのかどうかはわからんが・・・異国へ渡り、そして果てられた。しかしじゃ、今ここにそのお姿がある!これがどういうことなのか、もうわかるな?」
「何らかの予兆・・・アマビコと真如・・・熊笹光・・・。」
かおるは頭を振った。
「まだ、情報が足りないわね。でも、なんかここに感じてるのよね。」
かおるは自分の眉間を指差した。春道はかおるの顔を見て、ボソッと呟いた。
「第六のチャクラ・・・お前さんの全身の気が反応しとる証拠じゃな。これは危険かもな。お前さんの内側にある魂が反応しとるんじゃろう。」
「あたしの内なる魂・・・政子の魂が警告しているってことなのかもね。」
「それが何かはまだわからん。もうしばらくは、探らねばならんようじゃな。」
春道もかおるもまだ理解できていなかったが、このときすでに、彼らは半分以上真実に近づいていたのだ。まほろば堂を出た後、かおるは自宅に戻り、香を焚き、カーテンも雨戸も全部閉めて完全に暗くなるようにした。部屋の隅に置いてあった水晶を出し、両側に蝋燭を置いて火をつけた。
準備が終わると、かおるは白装束を羽織って頭巾を被った。そして眉間に米を一粒張り付けた。水晶に向かって座し、合掌して般若心境を唱えた。これは誰からも教わったことがない、かおるが無意識に始めたことだった。
本当に気がついたらごく自然に、このセットで瞑想を行うようになっていた。おそらくかおるの魂の根源である、北条政子が普段から行っていたことなのだろうと思っていた。自分では解決できない問題にぶつかったとき、かおるは常にこうして真実を見て、それを証拠立てるようにして仕事を行ってきていた。どんなに困難な調査でも完璧に真実を知ることができた方法だった。
今回はまさにそうだった。そもそもの発端である熊笹光、アマビコ、真如の絵などを思い描き、その後イメージの発想を別のもの、つまり『宇宙図書館』アカシックレコードに任せた。ここには誰でも無意識にアクセスしているのだが、意識的にアクセスできる者はごく少ない。かおるは般若心境を唱えることで、心が勝手にアクセスしてくれるのだ。
般若心境を唱えるうちに、眉間に奇妙な違和感を覚えだした。張り付けた米粒をアンテナとして感じる部分が、これまでにないチャンネルを得たような感覚だった。これまでもこの方法で何らかのヒントを掴んできたかおるだったが、そういうときには決まってまずイメージが浮かんでくるのが常だった。しかしこのときは違った。
まずぼんやりとした光が浮かんできたのだが、その光からは何か異様な憎しみのようなものが感じられたのだ。しかもそれは邪心に満ちたものでもあったのだが、どういうわけか『どこか懐かしい』ものだった。しかしかおるには思い当たるものが全くなかった。これまでの人生を振り返っても、このような奇妙な感情を感じたことはなかった。
(だとすればこれは、北条政子の意識がなせるものなのか?)
かおるはここで、白水かおるという人間の殻を一時的にストップした。魂自体で感じるようにチャンネルをセットし直してみた。すると、奇妙な光が徐々に姿を変えて感じられるようになってきた。それは髪の長い女性のようだった。
その姿を見ているうちに、今度はかおるの魂が激しく反応し始めた。こういう感情は、かおる自身は覚えたことがないものだった。それはあまりにもすさまじい『嫉妬』の感情だった。このような激しい感情なんて、どうやったら覚えるのだろうか。
かおるは自分が設定した思念上の部屋にいて、離れたところで冷静に自分の魂を観察していたので、本当に不思議だった。光の影はさらにくっきりとシルエットを描くようになり、どうやらかなり古い衣装を着ていた女性のようだった。
さらにその背後には、愛しい姿も見えた。これは一体何だろう・・・そうかおるが思った瞬間だった。光の姿は消え、それは醜く歪んだ蛇のような姿に変貌していった。
「こ・・・これって一体・・・なに?」
そこから感じられるのは、この世にあってはいけない根本的な破壊のエネルギーだった。その光がなす巨大な蛇は、かおるの魂を見つけるとすさまじい勢いで襲い掛かってきた。
「う、うわああ!」
冷静に見ていたかおるだったが、かつてない激しい恐怖に襲われて、頭巾を脱ぎ捨てて立ち上がった。
「はあ・・・はあ・・・。」
部屋の中は先ほどとは全く変わっていなかった。かおるは大量の汗をかいており、激しい動悸を感じていた。そして心の中に残っていた残像から、意外すぎる名前がこぼれ出してきていた。
「亀・・・?三郎様?・・・」
13
「え?先輩それじゃあ、熊笹光と良橋亀子はそういうことで・・・しかも亀子の父親が馳川竜太?おまけにそれを光は知らなかったんですか!な、なんてこった!」
羽間は川北署で飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになった。
「ああそうだ!まさかまさかだよ。こんな田舎じゃあ人の縁はやたら強い。世間は狭い。でもな、こんな偶然ってあるか?俺はもう頭がどうかなりそうだったわ。で、お前の方はどうなんだ?」
羽間はタブレットと簡易プロジェクターをセットしながら、大山にというよりも自分に言い聞かせるように言った。
「まあ・・・世の中こんな不思議もあるもんですよ、全く。」
羽間は部屋証明を消して、ポインターを右手に持って話し始めた。
「先輩に言われたように、俺はアマビコをとことん探してみました。でも正直何にもなくて。川南漁協や木根栖山にあった伝説くらいしかなかったです。もう諦めかけたときに、本当にたまたまですけど・・・こんなサイトを見かけたんですよ。」
羽間が示したプロジェクター画面には、『為朝蛇伝説』というタイトルの画面が現れた。
「これは有明海に伝わる為朝が大蛇を退治したという伝説を検証した学者のものです。どうせいい加減なもんだろうって思って見ていたら、ここにこんな記述がありました。ここです。」
羽間が示した部分を拡大した。
「平城大王子真如、康安寺を建立するも、空を飛ぶ大蛇天彦にて消失・・・なんだと!」
「先輩、そうなんですよ。かおるさんのお話では、真如って人が現地では天彦って呼ばれてたんでしょ?でもここでは、空を飛ぶ大蛇のことが天彦だってなってます。で、これだけじゃありません。」
羽間は画面を切り替えた。今度は『為朝さん大蛇退治』と書かれたタイトルの、おそらく同人誌系と思われるサイト画面だった。今どきのキャラクターたちが武家の格好で色々説明している感じの、郷土史か何かを扱ったもののようだ。
「これ自体は別に普通のもののようですけど、引っ掛かったのがこのサイト管理している『砂田郷子』っていう人なんですよ。実はこの人、自分の高校の先輩のことでして・・・なんで為朝のことを扱ってるのか聴いてみたんですよ。そしたら、この地域に本当にあったんですよ。為朝と大蛇の伝説が。」
「大蛇・・・天彦・・・為朝・・・つながったな。」
大山は普通ならどうということはない情報なのに、眉間に皺寄せて羽間の言うことを聴いていた。先ほど羽間が言ったように、世の中にはこのような不思議としか思えないこともよくあるものだ。
「はい、そうなんす。俺が探れたのはこれくらいです。」
羽間はプロジェクターのスイッチを切って、照明をつけた。大山はタバコに火をつけ、深く煙を吐き出した。
「これはまだお前には言ってなかったな。かおるから聴いたんだが、県北にある康安寺というところには、天狗と大蛇の伝説があるそうだ。そしてそこには千手観音と天界二十八部衆が安置してある。そしてこの二十八部衆ってものの中には、5つほど元悪鬼がいるんだってさ・・・おまえ、何か気がつかないか?」
「先輩、実は俺も思ってたんです。二十八って、為朝が京に連れて行った侍が28人で、5人が行方不明。漁協で聴いた『アマビコの元に帰る』ってこととか・・・。」
「調べてみたんだが・・・阿修羅、婆藪仙人、摩睺羅伽、夜叉、鬼子母神の五神が、元悪鬼だ。千手観音がアマビコだとすると、そういう意味では納得する。だけどアマビコは大蛇でもある。そして海に現れることもある。この伝説はここまでだとして・・・問題はなぜ熊笹光なんだってことだ。あいつは馳川竜太のひ孫だ。しかもそれを全く知らない。」
大山は顔を軽く振って、たばこをもみ消した。
「しかし、俺らの仕事は伝説の謎解きじゃない。あくまで熊笹二朗失踪解明だ。二朗の失踪とこの伝説の謎がどうシンクロしてくるのかは、これからってことだ。俺はこの鍵は良橋亀子にあると思う。」
「確かに、それもでっかい謎です。どう探ります?」
「あの亀子って婆さん・・・ただ者じゃない。あの高級マンションにセキュリティ・・・そして温厚で好人物な顔の裏にある、鋭い観察力・・・普通の婆さんができるこっちゃない。絶対に何かある。俺はどうやら怪しまれている。お前、そっちを探ってくれないか。おれは光を探る。ついさっきな、えらいことがわかったんだ。」
羽間は良橋亀子の捜査に取り掛かり、大山は市内にある個室カフェに熊笹光を呼び出した。
「熊笹さん、あれから何か進展はありましたか。」
「いいえ。残念ですが、全くもう・・・実は来週火曜日には、東京に戻る予定でいます。会社には2週間って休みをもらっているんで。」
「そうですか、今日が金曜日。後4日・・・できるだけのことはやらないといけませんね。で、今日は熊笹さんにお尋ねしたいことがあります。私共もリミットあるならば急ぎませんとね。よろしいですか?」
熊笹はコーヒーに2杯のシュガーと生クリームをたっぷり入れてかき回した。かなりの甘党のようだ。
「はい、もちろん。」
「ありがとうございます。まず、お祖父さまの五郎さんとお父さまの太郎さんについてです。こちらの捜査では、五郎さんがいらした『オート九州』という会社は暴力団高原組の乗っ取りにあって、真面目だった五郎さんは奥さんと太郎さんを連れて上京したそうです。それはご存じでしたか?」
熊笹は甘いコーヒーをすすりながら、記憶を遡っていた。
「ええと・・・父からはそれは聴いたことはありません。ですが、祖父からは・・・ええと・・・上京したときには一文無しだったとは聴いています。祖父がいた会社がヤクザに乗っ取られていたんですか?それは初耳です。」
「はい、そうです。今ではそれもなくなって、会社はあるんですがすでに大手メーカーの支社になっています。でもまあ、そのこと自体はもう終わったことですから。それから五郎さんの血液型と太郎さんの血液型が違っていましたね。そのことについてですが、DNA鑑定はされましたか?」
「DNA鑑定?い、いえ、まだですが?」
「そうでしょうね。」
「・・・それ、どういう意味ですか?」
「つい先ほどわかったことなんですよ。太郎さん・・・先々月にお亡くなりになられていますね。」
確認のために問い合わせていたのだが、その結果がこうだった。
「熊笹さん・・・いえ、色々とお話していて面倒なので、今後は光さんと呼ばせていただきますね。光さん、あまりにもタイミング良すぎませんか?太郎さんのみならず、お母さまもお亡くなりになられてるじゃありませんか。いくら従妹さんを探す必要があるとはいえ、性急すぎます。四十九日法要も終わったばかりなんじゃありませんか?今回ここにおいでになられた理由ってのは、外にもあるんじゃないですか?」
熊笹光は少しの間コーヒーを持ったまま動かなかったが、すぐに肩をすくめた。
「さすがですね、大山さん。最初に申し上げたように、僕は今回警察のお世話になるつもりはなかった。それは別にやましいことがあるとかじゃあない。僕だって信じれなかったからなんです。」
「信じれ・・・なかったこと?」
熊笹はリュックの中から、一冊の分厚い本を出して大山の前に置いた。
「これは?」
「僕の幼稚園のときの写真アルバムです。父は結構都内を転々としていましたので、これがどこだったのか、僕にももうわかりません。短い時には半年で転園していたそうですからね。で、これを先日偶然発見したんです。」
熊笹が広げたページには、子供たちのお絵かき風景や絵の写真があった。
「これ・・・がどうかしたんですか?」
「大山さん、ここ見てください。」
熊笹は示した写真には子供が絵を持っているものが写っていた。
「これ、僕らしいんです。でも・・・ここですよ、問題が。」
熊笹が示したところを見ていた大山は目が点になった。
「光さん!これ・・・どういうことなんですか!」
「僕にもわかりませんよ!なんでこんな絵を描いたのかさえ全く覚えてないんです。でもこの当時、参観には父が来ていました。僕は父っ子でしたので、父の言うがままに描いたとしか思えません。それにこの当時こうだったなんて・・・。この謎と、叔父の失踪・・・父が他界して色々あったときに見つけたので、僕はすぐにでも来たかった。なんでこんなことを父が書かせたのか・・・今回こんなに早く来たのは、こういう訳があったからなんです。」
大山は改めて写真をマジマジと見つめた。
幼い光は川と山がある絵を描いており、絵の横には名前が書かれていた。
そこにはこう書かれていた。
「たんぽぽぐみ はせがわひかり」
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「つまり、熊笹太郎は馳川竜太の息子だから、こう書かせたってこと?」
「そうとしか思えない。上にかけあって、何とかして五郎さんと太郎さん、それと光さんのDNA鑑定ができるように申し入れてある。それ次第だよな。ただまあ・・・おそらくは確定だろう。」
かおるの部屋でノンアルコールビールを飲みながら、大山は事の顛末を語っていた。
「つまりだ、オート九州って会社が高原組に乗っ取られる少し前に、熊笹五郎はどういうわけか自分を刺して服役中だった馳川竜太の息子太郎を引き取って上京したってことになる。そのことを太郎さんは知っていたけど光さんには伝えていなかったか、もしくはこの写真のときだけ記録として残そうとしたのかもな。」
大山は深くため息をついてビールを飲み干した。
「あーあ、ちゃんと酒飲みたいもんだ。ところで、お前の方は?」
かおるはふかしていたタバコを消し、ロゼワインのグラスに口をつけた。
「・・・今回の事件ね・・・ひょっとしたら、あたしが引き寄せたのかもしれない・・・。」
「え?」
かおるはまほろば堂でのこと、クン・セーンカムから渡された真如と思われる絵が描かれた本のこと、そして止観の中で見えたことなどを大山に語った。
「その・・・最後に見えた女の人って?」
「あたしにもよくわからない。だけど、相当にあたしに対して怨みを持っていることだけは明らかね。」
かおるの妙な勘は至って性格なので、大山は受け入れた。
「でも、それとその真如とかいう坊さんと、光の事件と、一体どう繋がるんだ?なんでお前が引き寄せたってことになるんだ?」
「だからわからないって言ってるでしょ!」
冷静なかおるが珍しく激高した。
「お、おい。どうした?」
「・・ごめんなさい。あたし、本当に自己制御できなくなっちゃってる。なんて言うのか・・・そう、男の人にはわからない感情が、そうさせてる。それだけはわかるの。」
男女の、特に女性の感情で語られると、大山はお手上げだ。これまでも女性の感情には散々振り回されてきているので、こういうときには話題を変えることにしていた。
「まあその・・・女性の感情ってのは俺には処理できん。おいおい解決するだろ。お前に怨みを持つって言ったって、こういう稼業やってりゃそりゃな。わからないと言えば、羽間が持ってきたことも興味深い。大蛇と天彦と為朝、おまけに28と5という謎の数字。前回の緑川事件でも妙なことがあったけど、今度はどうなっているのかなあ。」
少しかおるの気をそらせたので、かおるは正気になった。
「そうね。取り乱しちゃってごめん。でもね、あたしにはどうしてもその女と蛇骨、それに為朝が繋がっていて、絶対にあたしがその中心にいる、としか思えないの。熊笹光のことは、きっとその誘発剤なんだと思うわ。でね、まほろば堂がある地域にもそういう数字がある。あたしはこれからはとことん、そこを追求してみる。」
大山はかおるに相槌を打とうとしたが、携帯のコールが鳴った。羽間からだった。
「おう、どうした・」
「先輩!結果が出ました!やはり熊笹光は馳川の孫でした!」
「そうか!やっぱりな。」
「それから・・・ちょっと気になることがあったんですよ。」
「気になること?」
「ええ。馳川竜太って高原組の舎弟だったんですけど、その高原組の元組長だった伏見勝次ってのがいるんですよ。今でも服役中なんですけど、こいつを調べてたら、何か変なんですよ。」
「変?なんだそりゃ。」
「はい・・・えっと、この伏見ってのは先祖が本州で昔に流れて九州に来たって言ってますけど、時々・・・先祖の財を舎弟に奪われただとか言うんですよ。」
「なんだって?」
「はい。もう相当な高齢ですからねえ・・・認知も出てきてはいるんですけど、うわごとの様にそう言ってます。引退した今でも配下がいて、常に伏見とは連絡とっているようです。」
「おい、そのあたり、もうちょっと言ってないのか?」
「・・・まあねえ。どうにも・・・。」
「いいから言えって!」
「はい・・・じゃあ言いますけど、ただの戯言ですよ。『奴を追え、追って奪え』・・・そんなことです。何のことでしょうね。」
「意味がわからんな。」
大山は途中からスピーカーに変えていたので、会話はかおるにも聞こえていた。
「おい、聞いたか?」
「ええ。まだ何なのかわからないわね。」
「そうか・・・。」
「もうちょっとだけ・・・なにかが足りない。」
かおるは腕組みしながら部屋をうろついていたが、はっと気がついて大山に向かい合った。
「あなたね、こないだ馳川竜太の娘って人を調べてたわよね。名前聴いてなかったわ。なんていうの?」
「ああ、あの婆さんか。良橋亀子っていう・・・。」
大山は途中で言葉を失った。この名前を言った瞬間に、かおるの表情が激変したからだ。眼は吊り上がり、すさまじい憤怒の表情になったからだ。普段はチャーミングで美人なかおるだったが、この瞬間だけはまさに悪鬼だった。
「良橋・・・亀子・・・そうか・・・そうだったのか!」
「お・・・おい、知ってんのか?」
大山はかおるの肩に手を置こうとして、何かに弾かれたように後退した。何か得体の知れないエネルギーが、かおるの全身を覆っているようだった。
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大山と羽間は県外のとある町に来ていた。
「先輩、ここですよ。ここに海坊主がいたらしいです。」
川北市から北西に位置するこの街にも、為朝伝説が残っていた。羽間が驚異的な努力で見つけたわずかな手がかりに、『海坊主』というものがヒットしたのだ。これは為朝がこの地において、七本の角を持つ大蛇と戦ったとされる伝説が残っており、この大蛇伝説を口伝した僧侶のことである。
羽間が気になったのは、この僧侶のイメージとアマビコが一致するような気がしたからだった。
「伝説では普通の僧侶みたいなんですけど、名前がねえ。なんか引っ掛かったし、おまけに為朝でしょ?一回は見ておく必要があるのかもって思ったんですよ。」
「まあ、調べて悪いことはない。とにかく行ってみよう。」
大山と羽間は、この地で伝えられる伝説を語るという人物の元に向かった。この人物は嵯峨野ウメという高齢の女性であり、農業を営みながら語り部として為朝伝説を口伝しているらしかった。嵯峨野ウメの住む家は、山間の小さな一軒家だった。訪問を伝えていたので、嵯峨野ウメは快く大山たちを迎え入れた。
「さて、オレに八郎さんのこつば聴きたかてな。ちいと待ってな。」
嵯峨野ウメは今年でもう90歳になるとのことだったが、腰も曲がっておらず、視力も十分にあった。ウメは茶を入れ、饅頭と共に大山らの前に置いた。畑の手入れをした後らしく、喉が渇いていたようだ。ウメはうまそうに茶を飲んで、大山の顔を見た。
「八郎さんな・・・あたたちゃ、あん人ばどげん思うとっとな。」
大山は特に為朝に思い入れなかったので、こう切り出されるとは思わなかったし、返答もできなかった。
「い、いやあ・・・。」
「まあそうじゃろうのう。あんお人は、いくさで負けちしもうたけんな、悪者にされとる。そら仕方なか。ばってんな、オレたちとこにゃそげん伝わっとらん。なんであんお人が九州やら伊豆やらば制圧できたっち思うな?手勢はおらんかったつばい?あんお人はな、あっちゅ間に人ば味方にできたったい。だけん敵がおったっちゃ、すぐ味方になったったい。」
これは意外な答えだった。大山が聞きかじっただけあと、為朝は相当な乱暴者だったはずだ。
「そうなんですか?私はてっきり乱暴者ばかりだと思っておりました。」
「いくさに負けたら・・・そうされるのが世の常ってもんや。そらしょんなか。ばってん、オレたちゃアマビコさんがおるけんな。」
「え?」、
いきなりアマビコが登場してきた。
「す、すみません。そのアマビコについて私たちは調べに来たとですよ。そこんとこ是非教えてください。」
「なんな、八郎さんのこっじゃなかつな。まあよか。アマビコさんはな、導き人たい。」
「導き人?」
「ああそうや。アマビコさんが八郎さんの口伝えしたち伝わっとるばってんな、ほんなこつはアマビコさんが八郎さんば連れちきたったい。アマビコさんはな、悪かもんが地獄から顔出すときに良か神さんば連れちくっとたい。オレんとこにはな、たいぎゃな昔に蛇のバケモンが出ちきたったい。そんでアマビコさんが八郎さんば連れちきなはったったい。」
「為朝が・・・善神なんですか?」
「ああ。八郎さんにゃ守り神が28もついとらした。そん中の5つは元々悪魔たい。悪魔でちゃ味方にすっとは良か神様だけじゃろうが。そいでな、蛇のバケモンが日の本ば荒らす前に八郎さんが退治しなはったったい。」
大山は羽間と顔を合わせた。まだ漠然とだが、これまで調べてきたアマビコがやっとイメージがつかめてきたような気がしていた。
「で、アマビコですが、この地域では海坊主とか言われていませんか?」
「そらあ、預言ばすっとか言われとるお姿がアマビコで、このあたりじゃあアマビエとも呼ばれとる。ばってん、ここでは預言はなか。だけん、海坊主。ま、同じもんばってん。」
「では、アマビコに帰る、というのは?」
「さっき言うたろうが。悪かモンがアマビコさんの導きで良か人になるっちゅうこったい。ばってんそうなっとな・・・もう元ん姿じゃなか。もう帰れん。」
大山は目を丸くした。
「実は私たちは、ある人と娘さんの失踪事件を追っているんですよ。以前ある漁港でもそうなったんじゃないかと言われてました。それはどういうことなんですか?」
大山たちの目的はあくまで熊笹二朗とその娘を探すことだった。
「そうや・・・そんならそうじゃろうのう。もうそ奴は、この世にはおらんかんしれんのう。」
大山らにとってはかなりショックなことだった。今までの苦労が、これでは水の泡だ。
「ばってん・・・。」
「ま、まだ何か?」
「ああ、ばってんがな、まだわからん。そのおらんくなった人は、悪かことばしたつや。」
「いいえ、特に何もないはずです・・・ちょ、ちょっと待って!」
大山は手帳を取り出し、捜査で書きなぐった部分をめくっていき、そして手が止まった。
「あの・・・これがどういうことかわたしたちにはわからないままだったんですが・・・漁港ではこの人のことを『アマビコの落とし子』と呼ばれていたそうです。」
「なんてや!」
ウメは目を見開き、大声で叫んだ。
「そうや・・・そうやったつか・・・お前さん方、もう探さんでええ。」
「それはやはり、もうすでに死亡・・・。」
「うんにゃ違う!死んでもおらんし、行方もいずれわかる。」
大山たちは再び顔を見合わせた。
「どういうこと・・・なんです?」
「そん人はな、名前ば変えてまだ生きとらす。娘もおる。」
「え?それって・・・どういうことです?名前を変えるって・・・。」
ウメは電話台の引き出しから一枚の薄いアルバムを取り出した。
「これは、オレの弟が写っとる。オレの弟は軍で働きよったが、スパイの疑いかけられての。名前を変えて、顔を自分で切って変えて、硫酸で指紋も消して生き残った。名前を借りたんは戦死した身寄りない若者じゃった。そして戦争は終わったばってん、死ぬまで友になりきった。弟はアマビコ様んとこに行ったわけじゃなか。ばってん、そういうモンなぐっさおる。そん人も、誰かに追われとるとじゃなかろか。『アマビコの落とし子』言うんはな、そういう事情があって身を隠しておるモンが使う理由じゃ。かねてより、伏線ば張っとったっじゃろう。周囲もそう思うようにな。」
「追われるって・・・何に・・・?」
「せ、先輩!」
それまで黙っていた羽間が口を開いた。
「どうした?」
「あれじゃないですか?高原組や馳川ですよ!まだ舎弟はいるんですよ!馳川の孫が光で、熊笹の本当の孫がその女性だったとしたら、伏見が奪われたと思っている財産狙いで動いてもおかしくないじゃないですか!きっと熊笹はオート九州時代に何か奪っていったんですよ。奴らは権利が自分たちにあるって思い込んでるはずですよ!」
羽間の言葉には説得力があった。様々な不可思議な偶然に惑わされてきたが、警察としての本分という意味では、失踪事件と脅迫事件の両面から積極的な調査が可能となる。
「そうだな!嵯峨野さん、ありがとうございました!」
ウメは何か言いかけたが、言葉にはしなかった。大山たちは、ウメのこの微妙な態度には気づいていなかった。
16
「良橋亀子?」
「そうなんです。あの女、馳川竜太の娘でもあるんですけど、実は馳川って高原組組長伏見勝次の弟でもあったんです。肉親ですけど、あまりにも乱暴が過ぎたので養子に出されてたんです。でも伏見には子供がいなかった。伏見は以前より馳川を後継者にすると組員には伝えていたそうです。つまり亀橋亀子は高原組の後継者の血筋でもあり、伏見が収監されたときに組の財産やシノギの一部権利をごっそり受け継いだんです。」
川北署長山内は、大山の報告を聴いて絶句した。
「道理で・・・高原組が解散したときに、俺らも散々シノギや隠し財産なんかを調べたんだが、組員たちにもカネはほとんど回ってなかった。ずっと調べてはいたんだが、他の件に追われていてな。」
「汐さんにもお世話になりました。まさかゴミから毛髪探し出して、DNA鑑定してもらったなんてねえ。おかげで確定できましたし。」
ベテラン鑑定士汐田は、署長室のソファに座ってタバコをふかしていた。
「オレらはお前さんたちの後押しすっとが仕事やけんな。」
山内は大山が持ってきた資料を机に置いた。
「それで、熊笹二朗と娘の生存はどうなんだ?これにはそこは書いてないが。」
「はい。実はもう確認しています。しかしそれを確定することはまだできないんです。高原組の残党が目を光らせているんで、安全が確保できないうちはまだ・・・。」
「どこに潜伏していたんだ?」
「それが、殿猪村でした。」
「なに?しかしこれには八郎という熊笹五郎の従弟がいて、親戚付き合いはしていないと証言している。これはどういうことなんだ?」
大山は深くため息をついた。
「殿猪村の一族の間では、鎮西八郎為朝をアマビコと呼んでいたそうです。これは熊笹光が持っていた資料の中からそれが発見されました。八郎為朝の意味もあって、何かあれば面倒を見るというシステムが自然とできあがり、必ず一族には八郎と言う名の者がいるようにしていたそうです。熊笹一族は殿猪村という閉鎖的な世界で育まれてきた一族であって、他の地域に出ていても一族の結束を守るためにそうしていたそうです。つまり、熊笹八郎がアマビコであって、そこに二朗と娘がいると、五郎は光に伝えたんです。ただ・・・その意味を光には伝えていなかった。いや、伝えられなかった・・・こんなドロドロとした過去から離れて自由に暮らして欲しかったのかも。なので八郎は我々にまるで知らないんだというふりをしてみせたわけです。もちろん、森という男も全て知っていました。」
「それは・・・どういうことだ?」
大山は窓の外を見て、その先にかつてあったオート九州のあたりを見た。
「これはまだ推定でしかないんですけど・・・熊笹五郎はオート九州の社員で、当時乱暴者も多くいた会社の現場を仕切っていました。そして父親がムショにいたままの馳川竜太の息子、つまり太郎を引き取ったんじゃないでしょうか。自分の息子としてね。刺された相手であっても、不幸な子供にしてしまったという罪悪感から。ところがオート九州が高原組の乗っ取られるようになると、生まれたばかりの二朗を連れて上京した。五郎は東京で次の仕事をと思ったんでしょう。しかしどうやら太郎にはちゃんと自分の出生を伝えていたんでしょうね。そのためか太郎は東京で散々悪さしていたようです。五郎が太郎に冷たく接した理由は、そのあたりの複雑な心境があったんじゃないでしょうか。様々な事情を殿猪村にいた八郎に伝えていて、何かあったときには匿ってくれと伝えていたと思われます。しかし血縁はない光をどう匿えばいいのか・・・そこは絶対に血縁のない太郎に知らせることはできなかった。もし殿猪村の誰かが動いたとしたら、アマビコの一言で方がつくようにした。そういうことだと思います。」
汐田はタバコをもみ消し、また次のタバコに火をつけた。
「やるせない話たい・・・で、どうする?」
山内は腕組みをして黙っていたが、大きくため息をついた。
「殿猪村については注意で済むだろうな。だがしかし、良橋亀子が高原組員に資金援助していたってことに確証はあるのか?」
大山は頷いた。
「はい。すでに高原組の元組員の愛人から裏は取っています。良橋亀子名義の別マンションがあって、そこが連中のアジトでした。そこにはサーバーがあって、連中とは四重ものパスワードで保護されたグループで会話していました。我々もやっとのことで侵入に成功して、会話記録を確保しました。そこにあったのは、馳川竜二の孫、つまり熊笹光を誘拐して正式に高原組の後継者に仕立て上げることと、熊笹二朗と娘を探し出して殺害することの指示がありました。なぜこうまでしてやろうとしたのかはわかりません。しかし、熊笹光が馳川の孫だと判明したのは最近です・・・俺のミスでした。良橋亀子を調べさえしなければ・・・。光がここから離れるのは今日が最後です。会話にも今日の夕方に光がいるホテルに入れとの指示がありました。これで確定だと思います。」
山内は腕を解き、資料を手に取った。
「それから、これも伝えておこう。昔のことなので明らかではないが、どうやら高原組では麻薬に手を出していたと言う報告もあった。だが一切の証拠は出ていない・
「麻薬・・・あんな昔にですか。では良橋亀子はそのことを知っている可能性がありますね。あの家は半端ない。相当な収入がなければ維持できません。」
「わかった。良橋亀子の捜査を許可する。令状をすぐ書こう。」
山内が令状を手配する間、大山はかおるに電話した。
「そういうわけだ。今から良橋亀子のところに踏み込む。お前の方はどうだ?」
『そう・・・だけど注意して。あの女はたぶん、もういないわ。』
「なんだって?ど、どういうことだ?」
『あの女の正体が分かったのよ。』
「正体?それはもうわかってるが・・・。」
『いいの。これはあたしの問題。今から出かける。その後のことは・・・よろしくね。』
「おい!ちょ、ちょっと待て!かおる!」
『あなたはあなたの仕事をして。あたしは大丈夫。じゃね。』
かおるは一方的に切った。
大山はスマホを持ったまま、立ちすくんだ。
17
熊笹光は、突然のことに茫然としていた。帰る準備をして、晩飯も済ませてくつろいでいたら、いきなり警察が宿泊先のホテルにやってきて身柄を拘束されたからだ。さらに、別の男たちがやってきて警察と睨み合いになったからだ。
「何があったんです?」
光は自分からから離れるなと言われた羽間に尋ねた。
「今のアンタは、宝石と同じってことです!あちこちから狙われとります!」
警察に詰め寄る男たちは冷静で、さりとて激高しているわけではなく、しかし暴力を常に発揮しているタイプの連中のように見えた。それも普通のチンピラではなく、明らかにそれなりの訓練を受けたような動きだった。羽間は防がせながらすぐに大山に連絡し、機動隊の出動を頼んだ。
大山は少なくとも極道らが来るものと思い、待機させていたので、すぐに状況は変わった。男たちの中に明らかに日本語ではない言語があった。他国人なのかと大山は思ったほどだ。羽間は男たちが妙に目が黒くなっているのには気がついていたが、それに気を取られる状態でもなかった。
機動隊は男たちを囲み、彼らの何人かが発砲したがそれでも囲みは解かなかった。羽間は光を裏口に待機させていたパトカーに乗りこませ、中には大山が乗っていた。
「大山さん!これ、何がどうなってるんです?」
「すまない、光さん。訳は後で話す。今回の件、全て中心はアンタだってこった!」
大山は激しくハンドルを切った。横から一台の乗用車が突っ込んできたからだ。川北市のような地方都市ではまるで考えられないカーチェイスが始まった。地方都市では渋滞も発生しにくく、しかしスピードも速くないので、この2台の激しい追走劇は異様すぎた。
大山はひたすら川北署を目指していた。追いかけてきたのは白いクラウンで、これもいい加減な走りではなかった。正確に大山たちを追い詰めてきていた。
「クソっ!なんて走りしやがる!」
大山もかつてはレーシングチームに所属していた経験があり、署内では随一のドライバーだったのだが、クラウンはピッタリとついてくる。考えられるだけの逃げ切りを行ったのだが、全く話せない。大山は山内に連絡した。
「署長、署内に突っ込みます!対処お願いします!」
『わかった!』
大山はスピードを落とさないまま、川北署に突入した。こういう状況を想定して、すべてクルマは格納してあった。大山のパトカーが入るとすぐにクラウンが追ってきたが、すぐに装甲車が前を塞いだ。クラウンはハンドルを切ったが街合わず、装甲車に衝突して横転した。
すぐに機動隊が駆けつけて包囲し、中にいた連中を取り押さえた。大山は光を車中に残して外に出た。機動隊長らと簡単に情報交換した後、大山は連行されてゆく男たちを見た。明らかに日本人ではあったが、どこか生気がなく、こんな奴らがあんなドライビングをできていたとはとても思えなかった。
大山は彼らに近づいた。
「う!」
彼らの一人と目が合ったとき、大山は激しい目眩を覚えた。
生気のない目の奥から、とんでもなく邪悪な気が飛んで来たようだった。
しかもそれは妙に・・・懐かしくもあった。
邪悪なのに懐かしい、全く大山には思い当たるところはなかった。
その邪悪な気はグイグイと大山の目から強引にねじ込んでくるような感覚もあった。
「な、なんだこれは?来るな!」
感覚としては蛇のような感じだったので、大山は何かを掴んで引き離すような動きをしってあたりをくるくる回った。
「大山さん!どうしたんですか?」
機動隊員で旧知の隊員が声をかけてきた。
「うるさい!俺に構うな!」
大山は隊員の手を払った。
「ぐわ!」
隊員は右手首を押さえて崩れ落ちた。
「おい!どうした!・・・うっ!」
他の隊員が駆け付けたが、苦しんでいる隊員の右手を見て仰天した。右手の甲が、右腕についていた。つまりありえない角度に手首から折れていたのだ。大山が常人では出せない力でなぎ払っていた。
「お、大山さん!」
大山は次第に回らなくなり、一瞬立ち止まった後に崩れ落ちた。
「大山さん!おい!すぐ来い!」
隊員が救護班を呼ぶ間、大山は何やらずっと呟いていた。
「どうしました?」
隊員が耳を近づけ、怪訝そうに顔を離した。
大山は意味不明のことを繰り返し喋っていた。
「亀・・・亀・・・。」
18
白水かおるは、川南市にある長命寺にいた。この場所に亀子はきっと来る、そういう直観があったからだ。かおるはしばしばこのような直観を信じてきていた。何となく気まぐれで言った先に必ず何かがあるのだ。
風が柔らかく吹いていたが、境内はどこか寒々と感じられた。この夜は満月であり、あたりは月明りで明るかった。背後には木根栖山があって、鴉の声も聴こえていた。夜なので辺りは暗かったが、境内だけがぼうっと光が感じられるようでもあった。
かおるはずっとここで祈っていた。白装束に頭巾を被り、杖をついていた。ひたすら般若心経を唱えていた。どれくらいの時間が経過したことだろう。かおるの読経の声が止まった。かおるはそのまま、背後にすでにいる人物に声をかけた。
「亀・・・やっと私の処へ来たのか。」
かおるの背後にいたのは、良橋亀子だった。こちらは黒い着物だった。
「待たせたねえ・・・。」
かおるはゆっくりと振り向いた。良橋亀子と目が合った。亀子の顔には表情はなく、仮面のようであった。高齢女性の顔ではなく、皺はなくなっており、肌艶も良かった。確実に若くなっていた。しかしその姿からは、恐ろしいほどの念が感じられた。
「しかし、わたしも待ったんだよ、政子様・・・。」
「その名で呼ばれることも久しぶりです。亀よ・・・ようやくこうやって会えましたね。」
亀子はフッと軽く笑った。
「久しぶり・・・か。そうやってのんびりと時を数えるほどに、お前様には余裕があったと申すのかのう・・・相も変わらずのお嬢様よ。」
かおるの表情は変わらない。
「しかしなあ、お前に受けた私の恨みは尽きぬ。時など数える暇などないわ!」
亀子から強烈な念に向かって放たれた。
かおるは持っていた杖を前に置き、亀子の念をさらりと受け流した。
「お前は何をしておるのだ?」
今度はかおるの表情が険しくなっていった。
「わが夫をたぶらかし、奪おうとしたはお前ではないか!我はお前の毒牙から夫を守ろうとしたにすぎぬ!恨むのなら己自身を恨むがよい!」
かおるからも強烈な念が亀子に向かって放たれた。亀子も受け流そうとしたのだが、かおるの念はさらに強烈だった。亀子は念に押され、ずり下がった。境内の石畳は、亀子の足に削られて深さ4センチほどの溝ができてしまった。
「相変わらず強うございますな、政子様。生きているうちは到底敵わぬお方と思うておったが、もはやそれはない。我が念を拾うてくださった蛇骨様のお力は、お前ごとき相手ではないわ!食らえ!」
亀子は両手を頭の上でクロスさせ。コブラの鎌首のような形にした。
「ぬん!」
クロスした両手から黒い球体が発生し、かおるに向かって放たれた。その黒い球体はありえないほどのスピードでかおるに突進していき、かおるの杖にぶつかった。杖は瞬時に消滅し、強烈な光を放った。あたりには強い瘴気が発生していて、境内周りの木々はあっという間に枯れてしまった。
かおるは黒い球体が杖に当たる寸前に手を離し、両手を目の前でクロスさせて瘴気が当たらないように防いだ。あたりにあった瘴気が薄れると、かおるは両手を下ろした。
「やはりな。すべてのことが、お前に引かれた邪神がこの世に出ることを暗示していた。お前は蛇骨めに乗っ取られたのだな。」
亀子の顔はもはや人間の顔ではなかった。ヌメヌメと光る鱗が全身を覆い、舌は赤く伸びて先端は割れていた。
「そうじゃ。お前からわが愛しいお方を奪うためにな!お前さえいなければ、我こそが御台所になっていたはずじゃ!」
「ふざけるな!」
かおるの怒りエネルギーが頂点に達した。
「わが夫をたぶらかしたうえに、お前が御台所だと?ふざけるのもいい加減にしろ!伊豆の田舎者を取り立ててやった恩を忘れおって!お前の父、太郎は忠義者でおったのに、お前がすべてを壊した!許さん!」
かおるは両手を広げ、眼を閉じた。次第にかおるの両腕に、周囲から白いものが流れ込んできていた。やがて白く光り出した両腕を、かおるは思いっきり前に突き出した。腕からは白い稲光のようなものが発生し、亀子に向かっていった。
「むうっ!」
亀子の背中から鉤爪がついた黒い翼が生え、亀子をすっぽり包んで衝撃から守った。すでに亀子の周囲には黒々とした瘴気が包んでいて、闇の中になおさら黒い闇がある、そんな感じだった。かおるは少々驚いた様子で顔をしかめた。
「フォフォフォフォフォ・・・もうおわかりかのう。蛇骨様の力は神と同じ。お前がいかに俵藤太の子孫であり、毘沙門天の化身とは言え、比ではないわ。」
亀子は不敵に笑った後に長命寺の本殿を見て、切なそうに首を振った。
「頼朝様、こ奴を滅した後には、頼朝様のところに参りまする。しばしお待ちを・・・。」
長命寺は為朝が信奉し、頼朝が再興した僧侶養成所でもあった。この場所をかおるに選ばせたのも、蛇骨の力を得た亀子によるものだった。
亀子が長命寺に向かってつぶやいている間にも、蛇骨の力はかおるをじわじわと痛めつけ、体力を奪っていた。
「おや・・・もうお終いかえ?だらしのうございますなあ。」
かおるはすでに体力を相当に奪われ、立つこともできずにただ亀子を睨むのみ。北条政子の魂ですら動けなくなってしまっていた。
「おのれえ・・・わが夫をお前なぞに・・・。」
「まだわからぬか!」
亀子から強烈な気が発せられ、これをまともに喰らったかおるは気絶した。
「どれ、では政子めを魂ごと滅するとするか。」
亀子は黒い翼を広げ、その上に観ることもできない闇を発生させた。黒い球体ではあるのだが、黒を黒としては認識できない球体だった。黒というよりは、視力すら奪われてしまうような球体だった。
「滅せよ!」
亀子の球体がかおるに向かって放たれようとしたその時だった。長命寺の本殿より強烈な光が発し、亀子の球体に向かって突き進んだ。球体はこの光を受けて、激しく揺れて消滅した。
「何・・・これは?」
亀子は信じられないものを見たような表情になった。そんなはずはなかった。愛する頼朝の魂が本殿にあるはずだったからだ。
「殿・・・三郎様・・・この亀をお忘れか?あれほどに愛しおうたに・・・。」
亀子はこの光を浴びて、急激に元の姿に戻っていった。
「そうか・・・これは殿だけではないのか・・・アマビコまで・・・蛇骨の力を頼ってはいけなかったのか・・・不覚であった・・・。」
亀子はやがて元の姿に戻り、その場に倒れこんだ。しかしその顔は若く美しくなっていた。
「殿・・・左様にございますか・・・亀は・・・亀は・・・。」
亀子は両手を上にあげ、何かを掴もうとした。そこには光る球体が発生しており、そこに亀子は手を入れた。
「わかりました・・・さらばでございます・・・。」
そして球体は消滅し、同時に亀子も崩れ落ちた。その顔は元の高齢のものだったが、満足したように笑みを浮かべていた。
19
大山が気がついたのは、病院のベッドの中だった。風が優しく吹いており、気持ち良かった。
「あれ・・・ここって・・・?」
最初はどこにいるのかさえ把握でいなかったが、病院のベッドであることを確認して安心した。服は下着とズボンだけ着ており、横にはナースコール用の端末があった。大山はボタンを押して立ち上がり、クローゼットを開けてシャツを着た。
「あら、大山さん!良かった!」
入ってきたのは馴染みの蓑田看護師だった。知人の奥さんで、よく知る間柄だった。
「蓑田さん、俺、何でここに?」
「覚えてない?一昨日に大捕物やっちゃったでしょ?あのときからよ。」
「ってことは・・・俺、2日も寝てたんですかあ?」
「2日半ね。」
大山は眉間に皺を寄せて思い出してみた。
「あ・・・署内に入ってから・・・あの時からか・・・。」
川北書に突入したことと、光を追ってきた男たちを見たところで記憶は途切れていた。
「そうよお。もうね、大変だったんですよ。大山さん、機動隊員の手首を折っちゃったんだから。」
「え?・・・それ、なに?どゆこと?」
「それ、覚えてないの?呆れた!」
蓑田が言うには、突然大山が倒れ、駆けつけた機動隊員を振り払おうとして手首が真逆方向に折れてしまうほどだったらしかった。
「そ、そうだったんだ。そりゃ謝らないと。」
「それは後回し。まずは診察。」
大山はひとしきり診察が終わり、異常ないことを確認した後に病院を出た。まず向かったのは、川北書だった。
「おお、さっき連絡あったとこだ。無事で良かった。」
「署長、申し訳ありません。それから、機動隊にも迷惑かけちゃったみたいで。」
山内は苦笑いしながら、ソファに座るよう促した。
「まああれは事故だ。隊員からも特に苦情などはない。後で個人的に謝っておけばいい。まだ良橋亀子は見つかっておらん。マンションにもどこにもおらん。それにしてもだ。」
山内はデスクから資料を持ち出してきた。
「ここに色々報告されてきているんだが・・・どうにもなあ。」
「どうにもって、どうしたんです?」
山内はメガネを取り出してかけ、資料をめくった。
「まあその、熊笹光を追ってきた元高原組の連中なんだが、全部で24人だったそうだ・・・しかしだ、全員、肉体年齢が80歳だとなっておる。」
「はあ?署長、どういうことです?」
山内は首を降って、メガネをずらして大山を見た。
「あれだけのカーチェイスをやらかした連中だ。報告では当初は相当に若いと思われていたんだが、捕らえて直後から立てなくなったそうだ。おかしいんだよな。機動隊員も羽間も、間違いなく全員が若かったはずだと断定しとる。髪も黒くて・・・だが、これを見てみろ。」
山内が手渡した資料を見て、大山は絶句した。そこには戦闘服を着た、真っ白な髪の、どう見ても老人たちが両腕を警官に支えられて歩いていく写真があった。中には担架で運ばれていく者らもいた。
「署長・・・これ、何かの間違いってことはありませんよね?」
「認めたくはないが、間違いはない。このヨボヨボたちが、お前らを追い詰めたってことだ。全員からではないが、かろうじて会話できる連中から氏名を聞き出して照合してみたら・・・驚くなよ。元組長の伏見勝次直系の舎弟たちだったよ。」
「・・・冗談でしょ?訓練された若いモンじゃないんですか?」
「そうであったら、こんなに悩まんさ。こいつらはどういう訳か、若返った状態で東南アジアかどこか訓練を受けてきたとしか思えん。そして、目的達成できなくなったとたんに元に戻ったってことだ。馬鹿馬鹿しいが、そうとしか思えん。」
「なんで・・・なんでですかね。」
「証拠はないんだが、俺はあの良橋亀子と麻薬が絡んでいるような気がする。」
「麻薬・・・高原組も扱っていましたね。」
「麻薬の中には、催眠と相乗効果があるものもあるらしい。肉体は衰えないということを麻薬摂取状態でやったとしたら・・・あくまで推測だがな。」
大山は唖然としたまま所長室を出て、元高原組員たちの元に向かった。彼らは自力で立つこともできない状態だったので、川北中央病院に収容されていた。男たちはベッドでは足りず、何人かはストレッチャーに寝かされていた。個室ではなく、通路まで使用している状態だった。
大山は病院の許可を得て、老人たちの中で比較的元気な男のベッドに向かった。点滴を受け、呼吸さえ苦しそうだったが、大山が近づくとギロリと睨んできた。
「警部補の大山だ。」
大山は手帳を見せようとしたが、男の声で止まった。
「た・・・助けてくれ・・・。」
大山は手を止めて、ベッドの横にある椅子に座った。」
「助けてくれ・・・とは?今こうして、病院のベッドにいる。充分に助けているが?」
大山は言いながら、枕元にある男の名前を見た。
「伏見銀次郎・・・伏見?オヤジの身内か、あんた。」
伏見は弱々しく頷いた。
「ああ・・・従弟だ。」
「あんたら、急に老けたんだってな。どうなってるんだ。」
伏見は軽く咳き込み、そして宙を見つめた。
「信じてもらえんこつはよう判っとる。ばってん・・・こっから話すこつは全部ほんなこつ・・・。」
大山はそれから少しの間、伏見が語ることについて耳を傾けた。やがて大山は立ち上がり、伏見に軽く礼をして立ち上がった。あたりではナースやドクターらがせわしく動き回っていた。大山は近くにいたナースを呼んだ。
「すみません・・・こうなってますが。」
男に取り付けられた心電図が著しく低下し、血圧がみるみるうちに低下していった。
「ああ!先生、バイタルが!」
バタバタと伏見を数人が取り囲み、必死で蘇生処置を施そうとしている様を見ながら、大山はそっとその場を去った。病院の外に出て、大山は停めてあったパトカーに乗り込んだ。運転席には羽間が座っていた。
「先輩、どうでした?」
「ん?ああ・・・まあな。あいつらはもう、いかんわ。」
「・・・そうですか。しょうがないっすね。とりあえず戻ります。」
羽間は川北署に向かう間ずっと、大山は伏見が残したことを考えていた。あまりにも信じがたいことだったのだ。
「ああそうそう、先輩、良橋亀子が発見されましたよ。」
「なに?」
「川南市の長命寺境内で発見されたそうです。ただ・・・・」
「もうすでに・・・か。」
羽間は黙って頷いた。
「長命寺ったら、あの木根栖山の麓にあったとこか。」
「そうです。」
なぜ良橋亀子がここまで来ていたのか、なぜ絶命していたのかは、これからのことだった。
20
大山は川北署で一通り報告した後、川北中央病院へ向かった。もちろん、全員死亡確定とだけだった。山内でさえ、ここまでしか言わなかった。川北中央には、かおるが入院していたのだ。
熊笹光の攻防戦の中、かおるはマンションのエントランスに倒れていたのだ。大山の意識がなかった間に入院していたようだが、早く回復していたようだ。大山はかおるの病室に向かった。ノックしようとしたが、話声が聞こえてきたので、そっとドアを開けた。
「な・・・なんだ?」
思わず声を上げそうになってしまった。部屋の中に、烏帽子姿の若武者と黒髪を無造作に結んだ色白の女性が立っていたからだ。彼らは楽しそうに話していたのだが、その内容はほとんど理解できなかった。日本語ではあったのだが、ニュアンスといい言葉といい全く聴いたことがなかった。
ところが理解できないと大山が思った瞬間、その会話は現代の日本語として理解できるようになった。彼らはどうやら、恋仲のようだ。男は帯刀していて相当に古い時代の武士のようであり、女は傍らに女性を侍らせていたので、それなりに身分ある女性のようだった。
「三郎様、いい加減に私を貰いなさい。」
「いや待て、わしはまだ流人の身。そなたを娶るなど・・・。」
「我が北条家も三郎殿と繋がることを良しとしておる。決心なされよ。」
「いやいやそう言われても・・・。」
「ええい、まどろい!私は決めたからな!」
「おい、ちょっと待て!」
大山はこの男の煮え切らない態度が情けなくもあり、しかしどこか共感したりしていた。大山の性格なら、もし羽間がこんな正確なら一日中ぶん殴っているところだ。しかしなぜだろう、この共感性はとも思った。そして相手の、この激しい性格の女性などは、本来大嫌いなはずだったのだが・・・どんどん惹かれていっていた。
そして大山の身体はドアのところにあったのだが、目線はどんどん武士に近づいていき、やがて合体した。目の前には気が強い女性の姿があった。そして大山の意思とは全く違う言葉が、武士の姿をした大山の口からこぼれ出した。
「政子、それで良いのか?平家の力はいまだ強い。この東国は源家の威が届くとは言え・・・。」
目の前の、大山が政子と呼んだ女性はにっこりと笑った。
「三郎様、ご心配めさるな。我が北条は俵藤太様の流れ。さらに我は毘沙門天の化身。必ずや平家を滅し、源家と北条の世を築きましょうぞ。さらに申せば、それはすでに決まりしこと。抗っても無駄じゃ。」
政子は大山の、いや三郎と呼ばれた・・・おそらくは歴史で習ったことがある源氏の武士の両手を握った。
「さあ、申されよ。我を娶ると。」
三郎の気持ちはいまだに揺れていたが、大山は三郎が何かを決心したことはわかった。
「わ、わしは・・・そなたを・・・。」
ここからの声がなかなか出なかった。大山は次第にイライラしてきて、今自分の心が宿っている肉体に向かって喝を入れた。気持ち的に背中を強く叩いた。
三郎はその力に押されるように、叫んだ。
「そなたを、娶る!」
大山の心はスッキリしたのだが、同時にものすごい後悔の気持ちも沸き起こってきた。俺はとんでもないことをやってしまったのではないか?激しい後悔の気持ちを持て余し、やがて大山は三郎の肉体を離れ、目の前の2人は消えていった。政子と呼ばれた女性の笑顔はしばらく残っていた。
「誰?」
大山はいきなり目の前が現実的になり、深い眠りから目覚めたような感覚になった。今のは一体何だったのだろうか?
「お、俺だ。」
「ああ、タカちゃん。入って。」
そこにはベッドに横になった、かおるの姿があった。明るくて健康的な感じの病室だった。かおるはボブヘアを後ろで結んでおり、ただでさえ白い肌が窓の光に溶け込んでいるようにも見えた。
大山は、今はもう見えないあの2人がまだどこかにいるのではないかと、部屋をキョロキョロしながら近づいていった。
「どうしたの?」
「あ・・・いや・・・たぶん、あの件のことがあったんで、まだ回復してないんだろう。幻覚見たような・・・。」
かおるは少しだけ口角を上げて、笑った。
「幻覚・・・じゃないわよ。」
「な、なんだって?」
大山は自分の幻覚をあっさりと認め、肯定したことに驚いた。
「お前・・・あれ、見えたのか?」
かおるは身体を起こして、ベッドに座った。
「ここ、座って。」
かおるはベッドカバーをめくってスペースを作り、ポンポンと軽く叩いた。大山はそこに座ると、かおるのお気に入りの香水の匂いがした。銘柄はわからない。
それを察してか、かおるはまた軽く笑った。
「あたしね、病院の匂いって大嫌いなの。これ、いつも持ってるからね。」
かおるはポーチの中から香水を取り出して見せた。軽く乱れた入院服から垣間見える豊かな胸が色っぽかった。
「あれって一体・・・?」
大山は慌てて口を開いた。
パートナーになってから一年もたっていないが、いまだにかおるに色気と魅力を感じてしまう自分が情けなくもアリ、嬉しくもあった。
「あれね・・・詳しくはまだ言えないけど、あたしたちの遥か前の前世よ。」
「ぜ、前世?なんだそりゃ。」
大山はこういうことには全く興味も理解もない男だった。というよりむしろ、超常現象だの幽霊などというものを頭から信じていなかった。しかし最近なぜかこういうことに出くわす。前に会った緑川小百合の一件も、釈然としない猟奇事件だった。
「だから言ったじゃない。まだ詳しくは言えないって。ただ、わかるの。あの女の人はあたしで、お侍さんはタカちゃんだって。」
「へえ・・・。三郎と政子・・・ねえ。」
大山がこういう状態では、かおるはまだまだ真実など語れなかった。いずれ話せる日も来るだろう。
「でも、なんでそれが俺に見えたんだ?」
「さあね。で、タカちゃんの方は?」
かおるが発見されたのは、なぜかマンションのエントランスだったので、かおるが良橋亀子と対決していた事実をまだ大山は知らない。大山は事の顛末を話して聴かせた。
「で、途中で俺気分が悪くなっちゃってさ。機動隊員の手首を折っちゃったらしい。そんな馬鹿力出すなんてなあ。」
「そうなんだ・・・。」
かおるは答えながらも、目線は窓の外を見ていた。そこに誰かがいるかのように。
21
「なんだってえ?」
川北署では山内と羽間と汐田、それと大山がいた。
「まさかお前、それ、信じてるんじゃあるまいな?」
「とんでもない。俺が聴いたことを、ありのまま報告してるだけです。」
山内は今回のことについて、最終報告をしていたのだったが・・・。
「これをどう処理しろって言うんだ・・・黄泉だって?まるでゾンビじゃないか・・・発表なんぞできるか!」
山内は机を激しく叩いて椅子を回し、窓を見た。これが普通の出来事なら一笑に付しておけばいいところだが、襲撃犯人たちが一瞬にして高齢化して死んでしまったという、まるで受け入れられない事実もあった。
「もう一度聴く・・・良橋亀子は、死にかけていた高原組直系組員たちを何らかの方法で若返らせて・・・黄泉からだったな・・・東南アジアのどこかで訓練させ、襲撃させた。そして良橋亀子が・・・心臓破裂で死んだ後で一気に死にかけ老人に戻り、あまりの苦痛で死んだ・・・こうなんだな。」
大山は黙って頷いた。頷くしかできなかった。報告する大山ですら全く信じていなかったのだ。伏見銀次郎が最後の力を振り絞って伝えたことだけに信じてやりたかったのだが、これを信じろという方が無理というものだ。
「伏見銀次郎は、組長身内でもありましたから、一般の組員よりは術にかからなかったようです。それでも逆らえず、こうなったと言っていました。舟橋亀子の術は本当に恐ろしく、組員は常に地獄の業火に晒されているような感覚でいたそうです。しかも一気に老け込んだので、死の恐怖、犯してきたことへの懺悔の気持ちが、自分に語ってくれたことでした。全てを打ち明けた後、銀次郎は・・・。」
沈黙が部屋に流れた。
「署長・・・俺は信じるよ。」
「汐さん?」
同席していたベテラン鑑識官汐田は、ゆっくりとタバコを宙に吹き上げた。
「大さん、その伏見組長の従弟って奴・・・もっと他に言ってなかったかい?」
大山は汐田を、目を剥いて見た。
「汐さん、どうして?」
「おそらくだが、ウワバミの生血とか何とか・・・じゃなかったか?」
「お・・・おい!そりゃあどういうことだ?」
山内も椅子から立ち上がった。
「まあ・・・まずは、これ、見てくれよ。」
汐田はいつも持ち歩いている簡易鑑識道具が入ったバッグを開いた。いつでも何かしらの証拠となるように持ち歩いているものだ。その中から、汐田は2枚の写真を取り出した。
「これ、俺の犬だ。」
最初に見せたのは茶色の柴犬だった。これは山内も見たことがあった。
「こりゃコロじゃないか。」
「ああ・・・それから、これも見てくれ。」
汐田が見せたもう一枚の写真は白黒で、そこには子犬を抱いた男の子が浴衣姿で写っていた。
「これは?」
「この子は、俺だ。戦後間もなくの頃でな。」
「それが・・・どうしたんですか?」
大山は汐田が何を言い出すのかと思うだけで、喉が鳴った。
「この犬がな・・・コロって言うんだ。」
「と言うことは、今のコロは何代目なんだ?」
「何代目だって?・・・ははは・・・初代だよ。」
「な・・・!」
大山も山内も仰天した。何十年もこの犬は生きていたと言うのか?汐田は新しいタバコに火をつけた。
「コロはな・・・一度死にかけたんだ。だけど近所にいた祈り婆さんが、ウワバミの血ってのを持ってきてな。ダメ元で飲ませたら生き返った。でもなあ・・・こげん話、だれが信じる?だけん黙っとった。コロがいるから、俺は信じる。その話は本物たい。」
大山はここで閃いた。
「汐さん、今、ウワバミって言ったよね。それって、大蛇のことでしょ?」
「ああ。元々はオロチと言われてたんだが。蛇は自分よりでかい獲物を丸呑みするんで、食むを上回るってことから言われるようになったとも言われてるが。それがどうかしたのか?」
「いえ・・・何でもないです。勘違いでした。そのうわばみの血って、ひょっとしたら麻薬・・・あ、コロは違うと思いますよ、ええ。」
「催眠で麻薬を飲ませてウワバミの血と思い込ませた・・・それなら信憑性がある。汐さんのコロについてはわからんがな。」
「コロはコロたい!」
結局、警察発表としては真犯人グループが何らかの方法で身元不明老人らを身代わりにして逃走し、現在も捜査中ということで落ち着いた。その背景にはおそらく麻薬が関わっているとの風評も流れ、全国ニュースにも取り上げられたが、すぐさま他のネタが出て人々は忘れていった。
大山はその後、一人で木根栖山に来てみた。あの良橋亀子の遺体が発見された場所を、もう一度見ておきたかったからだ。昼間ということもあったが、境内には誰もいなかった。境内を歩いていると、前方から2人の男たちが歩いてきた。
1人には見覚えがあった。大山はその男に声をかけた。
「お久しぶりです。ええと・・・高間荘俊宮司さん、でしたね。」
川南神社の宮司と会うのは、羽間と木根栖山に聴き取りに来て以来だった。
「おお、刑事さん。今回はここで、えらいことでした。」
「ええ、まさかでしたよ。ところでこちらの方は?」
「ああ、こちらは長命寺の須藤住職。古い付き合いでな。」
大山は須藤に警察手帳を見せた。
「川北署の大山です。この度はとんでもないことで。」
「ああどうも。須藤重隆と申します。いやあ、参りました。長いことここで過ごしておりますが、このようなことは、私は経験なくてですね・・・。」
「ちょうど良かった。もう散々調べられたとは思うんですが、あの亡くなった女性のことでお聞きしたいんです。」
「はて、何でしょう。良かったらこちらへどうぞ。」
須藤が案内したのは、本殿横にある休憩所だった。簡素なテーブルとイスがあり、須藤は茶を入れた。
「ありがとうございます。私がお聞きしたかったのは、通り一遍なことではないんです。」
「ほう、と申されますと?」
大山は許可をもらって、タバコに火をつけた。
「ええ・・・本当に変なことをお聞きしますが、その女性が発見されたあたりで、その女性以外で何か別のものがいたりしませんでしたか?」
「べ、別のもの?」
須藤は高間と顔を見合わせて首を捻った。
「さあ・・・警察の方にも聴衆されましたし、調べもされたはずですが・・・。」
「ええと・・・つまり、蛇みたいなのがいたとか。」
須藤は腕組みをして思い出していたが、何か思いついたように顔を上げた。
「思い出しましたよ。蛇なんざどうでもいいと思ってました。仰るように、ご遺体を発見したのは私ですが、確かに女性の近くにちょっと大きめの蛇がいました。」
「何かこう・・・変わったこととかはありました?その蛇に。」
「そう言われればってレベルですけど・・・その蛇は私が近づいても全く動く気配もなく、じっと本堂に顔を向けていましたね。しかしそれもほんの少しの間で、女性が死んでいることに気がついて大声をあげたら逃げていきました。でもそれが何か?ひょっとして女性の死因って、蛇の毒だったんですか?」
「あ、いえいえ、色々詰めて調べないといけないものですから。」
大山は2人に礼を言い、再び境内に戻った。先ほどから気になっていたことがあったのだ。どこにでもある寺なので当然かもしれないが、大山はいつもとは違った感覚があった。それがどういうものなのかはよくわからなかったが、これだけは確信できた。
(俺は確かに、ここに来たことがある。)
22
その男性は大柄であり、一見したところ格闘技者であるかのような印象を受けた。もう老年であるはずなのだが、腕周りも太い。黒く焼けており、逞しい筋肉の上に薄いTシャツを着ていた。この男性と向かいあっているのは、殿猪村の八郎だった。
焼酎を飲みながら、ボソボソと話していた。
「あたな、もう良かろう?」
「ああ、俺もそう思う。」
「どうやって顔を出すとや。」
「普通に・・・。」
「どこにおったって・・・奴らにゃ聴かるっばい。」
「そのためにこれがある。」
男はバッグから茶色の小瓶を取り出した。八郎は目を丸くした。
「そ、そら・・・いかん!下手したら死ぬぞ!」
男は軽く笑って、小瓶をバッグに収めた。
「八郎さん、それでいいんだよ。俺はDVで離婚して、子供たちを連れて失踪。記憶喪失でどうやって暮らしてたかさっぱりわからない・・・魂レベルまでな。だからこそ安心してこの子をここに置いておける。あいつらに追われることもないはずだ。たとえ死んでも、使命は全うできる。俺はそれで満足さ。」
八郎は深くため息をついた。
「・・・我らの使命か・・・時々な、もうそげなもんどうでもよかて・・・思うばい。ばってん、仕方んなか。」
八郎は男をキッと見た。
「お前さんの覚悟、受け取った。俺かお前かどっちが先に、アマビコの元に還るかのう。なあ、二朗。」
熊笹光が探していた男、奥の部屋では若い女性が寝ていた。
「もうすでに馳川竜二、良橋亀子、太郎が還った。たぶんもう、23人も還った頃だ。後は須藤と高間が還ればこれで終わる。光とこの子にはその因はもうない。鳥回衆の系譜はこれで終われる。長かったな。」
「ああ・・・俺は直系じゃなかけん、見守るしかなか。この子は、任せろ。」
八郎はそう言ってタバコに火をつけた。
「誰にも知られずに・・・終わるか。」
「いやしかし、そうとも言えん。」
「な、なんだと!誰か知っておるのか?」
二朗は南の方を見て、指差した。
「あそこに・・・毘沙門天の化身と、為朝様の魂がおる。」
「な・・・?」
二朗は南を見たまま答えた。
「俺も知らなかった。これも、導きなのかもしれん。光がここに来て、最初に頼ったところが毘沙門天で、その相手が・・・。」
「為朝様・・・。」
「正確には甥の頼朝だがな。毘沙門天は引き寄せたのかもな。その因がために。」
二朗は八郎に向かい合った。
「ここで我らがあの2人に出会うということにどのような意味があるのか、それはまだわからん。俺にはそれを知ることもないし、知る必要もない。八郎さん、この村でそれを見極めてくれ。俺からの最後の頼みだ。」
この会談の数日後、二朗は川南神社に向かった。
本堂の前に立ち、合掌して祈った。
「アマビコ様、ようやくお傍に行けます。わが魂はアマビコ様の元に還ります。後のこと、よろしくお願い奉ります。」
そして二朗は例の小瓶を取り出し、一気に飲み干した。空の瓶を境内の石畳の隙間に埋め、小石を積んで隠した。安堵のため息をついてから、二朗は境内に座して天空を見つめた。熊笹二朗として見る、最後の景色を。
やがて景色が見えなくなり、二朗の意識は次第に消えていった。
23
「・・・そうだったんですか・・・。」
大山は汐田から報告を受けて、深くため息をついた。
「このヤマってさ・・・どぎゃんなとるとや?もう俺には理解できん。複雑すぎる。」
大山は汐田のタバコに火をつけてやった。
「汐さん、俺もそうですよ・・・。」
2人は同時にため息をついた。
デスクに座っていた大山の元に羽間が飛び込んできた。
「せ、先輩!二朗が・・・熊笹二朗が発見されました!」
「なんだと!どこでだ!」
「い、いやあ・・・それが・・・発見されたのは数日前のことで、川南神社の前だったそうです。記憶喪失状態だったので調査していたところ、DNA鑑定で熊笹五郎の身内とわかったんです。それで今まで・・・。」
「どこにいる!」
「川南総合病院です!」
聴くなり大山は飛び出していった。病院に到着し、大山は熊笹二朗と対面した。熊笹二朗はじっと窓の外を見ていた。実年齢よりも老けて見えた。
大山と羽間は医師の許可を得て病室に入った。
「熊笹・・・二朗さん、ですか?」
二朗はゆっくりと振り向いて大山たちを見た。
「ちょっと前にも言われましたけど、その・・・熊笹ってのがわたしの名前なんですか?」
大山は二朗の目を覗いてみたが、そこには一点の曇りも感じられなかった。長い間に犯罪者を見てきたので、大山は目の前のこの男が一切嘘はついていないと確信した。
「はい、そうです。あなたが熊笹二朗さんです。ちょっとよろしいですか。」
大山はそれから通り一辺倒の質問を行ったが、見事に自分の出生と家族に関することだけがすっぽりと抜け落ちていた。まるで施設にいる高齢者のように静かで、自分から語ることはない。大山は調べながら、どこか妙な違和感に襲われた。大山は、この男が熊笹二朗ではない、と直感していた。
「先輩、光さんが来られました。」
事件後川北署内で保護していた熊笹光が、二朗と面会するためにやってきていた。大山は病室内に光を入れた。
「二朗・・・叔父さん・・・なんですか?この人が?」
「はい、そうです。DNA鑑定で確定されました。ですが、記憶喪失になっていて、ご自分のことは一切覚えておられません。まるで別人です。」
光は何度も話しかけたが、二朗は無表情のまま光を見つめるだけだった。
「そんな・・・亀子おばさんも死んじゃって・・・探してた叔父さんまで・・・じゃあ僕の旅はなんだったんだ?」
大山は光をパイプ丸椅子に座らせた。光は両手で顔を覆っていた。大山は光が落ち着くのを待って、病院内にあるカフェに誘った。
ホットコーヒーを注文して、大山は光に向かって・・・自分自身に言い聞かせるように話し始めた。
「さて、光さん。今回の件ですけどね、我々も参りました。」
「・・・どういうことです?」
「光さん、よく聴いてください。まず、つい先ほどわかったことなんですが・・・光さんと太郎さんの間に遺伝子的なつながりはありません。」
光はゆっくりと顔を上げて大山に向けた。
「それ・・・意味がわかりません。」
「つまり、五郎さんは太郎さんの実の親ではなく、太郎さんにとっては育ての親ってことなんです。」
光は仰天して立ち上がり、まるで理解できないようだった。
「なんで・・・なんですか?教えてください!」
コーヒーが運ばれてきたので、大山は光をとりあえず座らせた。
「今回我々は様々なDNA鑑定を行ってきました。その結果判明したことなんです。まずですが、お爺様の五郎さんと光さんは血縁関係にあります。五郎さんと太郎さんには血縁関係はありません。つまり、光さんの実のお父さんは太郎さんではなく、二朗さんなのです。」
「なんですって!それじゃ・・・それじゃ・・・お爺さんの遺言ってどういうことだったんですか?」
大山は顔を軽く振りながら説明した。
「混乱しますよね。当然です。私も今、自分の中で整理しながら話してるんです・・・続けますよ。我々が把握したことだけお伝えしますね。五郎さんはご自身の子供1人と太郎さんを連れて上京されました。そして五郎さんは成人した太郎さんに真実を話され、ご自身のお孫さん、つまり貴方を太郎さんの子供として育てるように命じた。二朗さんは、熊笹の地を引く者の使命として、そうしなければならなかったのです。さらに・・・馳川竜二という人にはもう1人娘がいました。その娘が・・・良橋亀子です。」
光はただじっと聴いていた。整理する間もなく、新事実が続々と出てきているのだから。
「馳川竜二という人は、高原組という極道の組長の弟でした。しかし伏見という組長が衰えて後継者もいない現状だったので、良橋亀子は亡くなった夫の財産を使って高原組を支え、血縁者を探していたようです。ただ、それが長年知っていた光さんだったとは夢にも考えなかったんでしょう。残念ながら、そのことを亀子に知らせてしまったのは私のミスでした。」
「亀子おばさんが・・・それで僕を襲わせたってことなんですか?」
「まあそうなりますね。五郎さんは、非常に男気のある方でした。自分を殺そうとした馳川の息子を哀れに思い、自分が引き取った。しかし様々なことがあって、五郎さん自身も川北に居れなくなってしまった。高原組が組長の身内を探していたためです。それで、いずれは彼らの財産を独り占めにした舟橋亀子の遺産を子孫に預けようとして、太郎さんに光さんを預けた。遺言状にも、孫たちへ遺産を相続させること、とあります。」
光にコーヒーをすすめ、大山もぬるくなったコーヒーを飲んだ。
「結論から言えば、これからまだ調査を進めていきますが、光さんと二朗さんの娘さんには遺産を相続する権利があります。そしてこれは、私の勝手な推測なんですが・・・五郎さんはお孫さん方を守るために、あえて太郎さんや二朗さんに預けたんじゃないでしょうか。」
「・・・その、高原組から、ですか?」
大山は首を横に振った。
「それはまだわかりません。可能性としてはそうでしょうけど。とにかく、今回の件については謎が多すぎて、なおかつ複雑すぎるんですよ。これが解決するにはもうちょっと時間が必要でしょう。また連絡させていただきます。」
24
大山とかおるは、川北城跡地を歩いていた。ここはかつて小さな城があったと言われているが、その面影は全くない。市の予算もないらしく、再興の話も出ていない。もっぱら市民の憩いの場としてしか認知されていないのが現状だった。
大山はいつものブルゾンにデニム、かおるは白いファーのある帽子に白いハイネック、ダッフルコートを着ていた。もう寒さを感じるようになってきていた。
「ウワバミ・・・そう言ったの?汐田さんが。」
「ああ。まあ本人がそう言ってるだけでさ。実は署長も全く信じちゃいない。でもうるさいんで、信じてるふりはしてるけど。」
汐田は山内の高校先輩でもあるので、微妙な関係なのだ。かおるはクスクスと笑った。
「山内さん、かわいそう。ウワバミかあ・・・タカちゃんは信じてるの?」
「俺?・・・信じてない・・・いや・・・うーん、もうわからんよ。なんかここんとこ、妙な事件ばっかり続いたからな。前の緑川事件もそうだし。こんなこと言っちゃアレだけど、まともな事件がないもんかねえ。」
「あたしは信じてるよ。」
「かおる?」
かおるは立ち止まって下を見た。
「前に話したことあるよね。真如さんのこと。」
「ああ、タイに行った皇室の坊さんのことだろ。」
「そのときに、蛇骨って言う悪魔がいるってことも話したかな。」
「なーんか・・・覚えてる。俺はウワバミの話聴いて、為朝の大蛇伝説を思い出したけど。」
「どうもね・・・前の時もそうだけど、今回も蛇骨が絡んでるような気がする。」
「え?」
かおるは顔を上げた。
「タカちゃんはどう思う?今回の件。普通の事件じゃなかったでしょ?」
「ああ・・・まあな。連続して、なんか九尾の狐だとかアマビコだとか為朝だとか。結果的には解決できたことだったけど。」
「そうよね。」
かおるはそう言うと歩き始めた。大山も続いて歩き始めた。
「世界中にね、蛇の伝説が残ってる。中国の長蛇、インドのナーガ、ギリシャ神話のメデューサ・・・日本だって、あの卑弥呼でさえ蛇の化身だったなんて言ってる人もいる。蛇は世界中で嫌われてたのよね。蛇の動きは唯一のものだし、強い毒持ってる種もたくさんいる。だから恐れられてきたわけ。だから蛇の生血って今でも薬として、ときには精力剤として飲まれてる。だから共通して言えることは、蛇は人間にとって恐怖であり、悪であり、時には財をもたらす存在だったのね。」
かおるは公園となっている場所にあるベンチに座った。大山は近くにある自販機から缶コーヒーを買ってきて、かおるに渡した。
「ありがとう。・・・でね、蛇にとっては不幸なことよね。最近ではペットとしても人気ある動物だし。だけど古代ではそうだった。そして古代ほど、人間のマインドエネルギーは強かったの。そのエネルギーを利用して実体化した悪魔がいたとしたら、たぶんそれが蛇骨ってことになるのよ。」
大山は思ったより苦かったビターコーヒーを飲んで、ちょっと顔をしかめた。
「ふーん・・・じゃあアレか?その蛇骨って悪魔がこの事件の親分ってわけ?」
「チャカさないで。」
「あ・・・悪い。」
かおるの反応がいたって真面目だったので驚いたのだ。
「そんなつもりじゃない。」
「・・・わかってるけどね。いまのタカちゃんにはこれで精一杯だってことも。だから黙って聴いてて。いい?」
「わかった、聴くよ。」
かおるはコーヒーを飲んで、一呼吸ついて話し始めた。風が吹いてきていた。
「県北の康安寺ってところがあってね、そこで以前に蛇骨と迦楼羅っていう鴉天狗みたいな神の対決があったのね。明治維新後の頃なんだけど。」
「康安寺・・・聴いたことはない・・・な。」
「まあ、小さなお寺だしね。この近くにいる、よく知っている人に色々聴いたの。蛇は悪魔の化身になりやすくて、鳥はそれを食べる神なわけ。だから鳥は神なので、神様が留まれるように鳥居というものがある。悪魔が実体化したものを、一部で蛇骨と呼んでいた。これが実体化するためには長い時間とたくさんの血が必要になるみたい。」
「大量の血?戦争とか・・・。」
「そうね。でも悪魔はその間にも悪さする。そのひとつがウワバミ。これにも悪魔の血が流れてる。力は小さいけどね。この生血を飲めば、全部とは言えないけど、ほぼ不老不死になるって言われてる。汐田さんのコロちゃんはひょっとしたらそういうことだったのかもしれない。証拠はないけどね。」
大山はかおるの横顔が、いつもと違うことに気がついた。どこか人間離れしたような気がする。
「おい、かおる・・・。」
「そして神は迦楼羅だけじゃない。例えば毘沙門天は、迦楼羅より強い。その魂を継いでいたのが俵藤太・・・藤原秀郷。その系譜上にあるのが鎌倉の北条。北条には色んな役目があった。毘沙門天の役目は、悪魔を排除すること・・・そして消えていくこと。」
「おい!どうした?おかしいぞ!」
大山はかおるの肩を掴もうとしたのだが、身体が動かせなかった。金縛りのようだった。口も動かせなくなってきていた。
しかしかおるは変わらず話していた。
「しかし我にはまだやらねばならぬことがある。三郎様、我と共に!」
「かおる、どうしたんだー!」
かおるの姿が徐々に変化してきていた。粗末な着物を纏い、長い髪を後ろで束ねている女性の姿になってきていた。その女性が大山の方を向いた。目が激しく光っていた。
まるで巨大な力を凝縮したように感じ、大山は声なき声で叫んだ。
「う、うわあ!」
と、急に大山の身体が動くようになった。
「かおる!」
大山は隣を見た。
「ん?どうしたの?」
かおるはきょとんとして、缶コーヒーを握りしめたまま大山を驚いた眼で見ていた。
「ど、どうしたもこうしたもないだろ!体が急に動かなくなって、かおるが・・・え?」
大山は気がついた。かおるは、さっきのまま動いていないことを。
「コロちゃんの話したら急にタカちゃんが叫んじゃって・・・コロちゃんに思い入れでもあったの?」
「ば、馬鹿言え。会ったこともねえよ・・・おかしいな・・・。」
大山は肌寒い気温にも関わらず、大量の汗をかいていた。かおるはバッグからハンカチを出して大山に差し出した。
「あ、サンキュ・・・夢・・・?」
「夢?」
かおるは何かを察したようで、軽くため息をついた。
「そういうこと、か。」
かおるは立ち上がった。
「今日はこれくらいにしとこ。もう寒いし、戻ろっか。」
「あ、いやいや。かおると亀子のこと、まだ聴いてない・・・。」
「今はいいの!」
かおるはきっぱりと遮断し、手を大山に差し出した。
「帰ろ。」
大山は押し切られた形で強引に会話を終え、かおるの手を取って歩き始めた。かおるは大山の腕を取って身体を密着させながら歩いた。そして内心で、呟いた。
(お願いだから、暴れないでよね、政子!)
26
強い風が吹いていた。まほろば堂の雨戸がガタガタ音を立てていた。
「・・・ふーむ・・・。」
中から顔を出してきたのは春道だった。上空を見上げて、誰かそこにいるかのように頷いていた。
「なるほどなるほど・・・面倒なことよの。」
春道は中に戻り、座して酒を飲み始めた。目の前には盃は二つあり、自分の前と、少し離れたところにもうひとつあった。春道はときおり向こうの盃にも酒を注ぎながら、軽く頷いたり首を振ったりしていた。
「亀の前が出てきたか・・・蛇骨め、とんでもないところから侵入してきおる。お前さんが因果とは言え、面倒じゃのう。頼朝殿もたぶらかされおった女御じゃ。女同士の闘いは、さぞきつかったじゃろうな。」
亀の前・・・伊豆の土豪良橋太郎の娘で、源頼朝の愛人だった女性のことである。亀の前は逗子の伏見広綱の宅に匿われ、頼朝と逢瀬を楽しんでいたが、政子の激高に触れて追放となった。
「まあ落ち着け。男女の相性というものは現世のみ。お前さんが闘ったのは亀の影さ。それよりも・・・。」
春道は右手で壁をなぞるように動かした。そこには一人の武将と家来衆が騎馬で駆けていく様が写された。
「須藤家季に高間四郎、為朝二十八人衆の家来じゃったお前さんらに松浦二朗さんも、為朝さん・・・いや、アマビコ・・・千手観音様の元に戻れたか。長かったな。お疲れ様じゃ。」
春道は盃を掲げて酒を干した。どういう訳か、もうひとつの盃も空になっていた。
「熊笹か・・・河内源氏の家紋は笹竜胆・・・さあて、これからどうなるのかのう。」
春道は何かを察して辺りをキョロキョロ見渡し始めた。
「お前?・・・なんでまた出てきたんじゃ・・・え?」
春道は立ち上がった。眉間に皺を作り、何かを凝視している。
「ふーっ・・・致し方ないのう。また、やらにゃならんか。」
風は益々強くなっていった。春道は再び座し、酒を飲み始めた。
「まあいいわ。わしはお前さんが愛人になってもらったらそれだけで・・・。」
春道の顔が変形し、盃から酒がこぼれた。
「冗談じゃ!・・・困った女御じゃのう・・・三郎が手を焼いたはず・・・ま、待てと言うに!」
「何か音がした?」
まほろば堂の前を歩いていた若い男女が立ち止まり、中を覗いた。
「野良猫?やだ怖い。」
「猫くらいしかおらんだろ、こんな廃墟に。」
若い男はおそらく恋人と思われる女性の頭を軽く叩いて笑った。そして再び中を覗いた。
目の前には盃が二つあるだけだった。中にはかつて本堂があったような跡はあるものの、長い間放置されている廃寺があるだけだった。
「とっとと帰るぞ。」
男は、風の音に声が遮られないように怒鳴って家路についた。盃がひとつ、ことりと倒れた。
大山鷹一郎は頼朝の転生。同じく白水かおるは北条政子の転生。彼らの前には、彼らが生前遭遇した事件の当事者も登場します。今回は頼朝の不倫相手と言われた亀の前のお話です。




