008 ダンジョンへ・4
ステイタスを知り、レベル上限の撤廃に成功した興奮も束の間。アシェルは妙な感覚に襲われていた。
「なんか、息が……。く、苦しい……」
「ええ!? 大丈夫~!? 病気!?」
「体が、締め付けられるような……。全体的に苦しくて……」
全身を締め付けられるような違和感。どうして急にと困惑していたが、泉の代償というものを思い出して青ざめた。
「泉の代償で、もしかしたら……」
「体を、潰されちゃう!?」
「い、いや。なんだか、逆な気がしてきた……!! まさか!!」
ここでアシェルは遂に気がついた。体が締め付けられているのではなく、服に収まらなくなっているということに。
スレンダーだったはずのアシェルの体は、アイヴィに負けず劣らずの豊満な体へと変化していたのだ。これが、泉の代償ということなのだろう。
「わあ……? アーシェって、僕と一緒ぐらいの体型を隠してたんだ~!」
「か、隠してない……。元々、もっと細くて……。ありえない……」
アシェルは体の変化に恥ずかしがっているのではなく、途轍もなく焦りを感じていた。以前のように素早い身のこなしが出来るか、それがとても心配だったのだ。
「……は、はぁっ!!」
「わっ!? どうしたの、急に~!?」
「胸が、凄く邪魔……!!」
案の定弊害が出ていた。これまでは斬り払いの動作になんの支障もなかったが、胸が邪魔で動作の妨げになっていた。体を捻って右手を前に出す構えをすると、今度は思ったように力が入らないようだ。
「この体型に合った新しい武器が必要……」
「泉にお願いする?」
「駄目よ、絶対。ステイタスの腕輪を貰っただけでこれだけの変化なんだから、武器なんて貰ったらどうなることか……」
泉に武器を願った場合、今度は恐らくアイヴィすらをも凌駕する、サキュバスもビックリの大変な体になってしまうことだろう。アシェルはもう泉に願いを申し出ることはなさそうだ。
「……とりあえず、済ませることを済ませて、ここから脱出するよ」
「何か済ませること、あるの~?」
「その、排泄……とか……」
「僕、おトイレいかないよ?」
「え?」
「え? だってサキュバスだもの」
「え?」
「え?」
アシェルの脳内は大パニックに陥った。実はアイヴィは……いや、サキュバスという種族は排泄行為が必要ない。体に取り込んだものは全て、有害なものでない限りは魔力へと変換してしまう体質なのだ。これにはしっかりと理由があり、どんな時でも清潔な体であるようにと進化した結果なのだ。
「え、サ、サキュバスって、そんな体質なんだ……!?」
「あ! 僕と同じ体質に、アーシェのことも出来ちゃったりして!」
「まさか。そんなことまで出来ちゃったら、分け与える者が便利過ぎて……」
「僕と同じ体質になぁ~れ!!」
アイヴィは気軽に考えて行動しているが、まさかそう簡単に体質が変化するはずがない。サキュバスが築き上げてきた進化の過程で、ようやく確立された体を清潔に保つ進化なのだから。人間とサキュバスの進化には大きな差があり、人間がこの体質に到達するには大きな壁がある。壁が、あるのだ……。
「…………」
「どう? どう?」
「いや、よくわかんない。なんか驚いたせいなのか、お花摘みをすべき状態なのかどうかすら判断出来ない……」
「そっかぁ~」
現在のアシェルは尿意も便意も感じていないので、変化したのかしていないのか、この場で確認出来る手段が存在していない。種族でこれほどの差があるのかと困惑しながら、ここから脱出する方法を捜索する作業へと戻るしかなかった。
「あった。あの石板だと思う」
「また右手だね~」
「ここが上層だと嬉しいんだけど……」
「あ……! もっと下にいっちゃった可能性もあるってこと!?」
「そうね……。最悪、金級冒険者も未開の下層部かもしれない」
ここがその未開の地、東塔のダンジョンの下層部なのだが、アシェル達にそれを知る方法は存在していない。この石板に右手をかざして飛ばされる先が何処なのか、死への恐怖を乗り越えて、前へと進むしか選択肢は残されていないのだ。
「この体だから、さっきみたいに素早くは動けないかもしれない……。あまり私に期待しすぎないで」
「う、うん……。僕、頑張ってみる!」
警戒度を最大限に引き上げながら、アシェル達は石板へと右手をかざす。ダンジョンに入場した時と同様の光が発せられ、瞬きをする間にアシェル達の姿は泉の階層から消え去っていた。
「…………ッ!!」
「は……う……!」
転移後すぐに、2人は緊張から呼吸を止める。転移した場所は非常に大きな空間で、泉の階層と同様に神殿の内部のような場所だった。素早く背中合わせになり、周囲の警戒を開始する。
『グルゥゥゥウ…………。グアアアアア…………』
「~~~~ッ!?」
「…………!!」
そしてすぐに、叫び出しそうになったアイヴィの口をアシェルが抑えた。アシェルの見た方向とは逆側、アイヴィが見た方向には……巨大な寝息を立てて眠る、山のように大きな生命体が鎮座していたのだ。巨大な羽に尾を持ち、鮮血のように赤い鋼のような鱗を持つ生命体……。
――――ドラゴンだ。
アシェルは実物を見たことがなかったが、自身が持ち得る情報と、冒険者としての直感が『この生命体こそがドラゴンだ』と告げていた。
「……落ち付いて。小さい、声で」
「んっ……! んっ……!!」
アイヴィはパニックを起こして居たが、アシェルの必死のフォローによって、徐々に落ち着きを取り戻すことに成功した。
幸いにもドラゴンは眠っている。小さな物音程度では起きる気配がなく、この部屋の外なのかまではわからないが、遠くから金属がぶつかり合うような音も聞こえている。
「この音……。金属の、ぶつかる音……。これに、合わせて……。この部屋を、出るよ……」
「う、んっ……!」
このドラゴンがもしも目覚めてしまったら、アシェル達に勝ち目は存在しないだろう。ドラゴンの炎の吐息に飲み込まれて灰すら残らないか、家すら簡単に踏み潰せそうな剛腕で原型すらないミンチにされるか……。万が一にも起こしてしまえば、死の未来が決定してしまう。
「…………そ、こ。気を、つけて」
ドラゴンの財宝だろうか? 無造作に積み上げられた金塊は今にも崩れそうであり、綺羅びやかな武具や装飾品も、金塊の山を転げ落ちてきそうな物がある。それらを刺激しないように細心の注意を払い、遠くに見える出口らしき場所を目指して忍び足で進行する。
「…………!?」
「わ――――」
またも、アイヴィの口をアシェルが塞ぐ。アシェルでさえ声を出しそうになったのだから、アイヴィが声を出すのを我慢出来なくても仕方のないこと。なんせ彼女達の目の前に……見たこともない大きな宝石が大量に散りばめられた、白金製の宝箱が4つも現れたのだから。
「…………い、くよ」
「ん、うっ……!」
これに手を出したら、間違いなくドラゴンは目覚めるだろう……。そう考え、アシェルは一切触らずの方針で立ち去ろうとする。アイヴィもそれに同意して離れることにした。
「…………」
だが、こんな時に。いや、こんな時だからだろうか。アシェルの中に、ある考えが浮かび上がってきた。
「…………勇気ある者を、試す、ダンジョン」
「……え?」
「ここ、は……。勇気を、試す、ダンジョン……。よね……?」
東塔のダンジョンは、一貫して『勇気』を要求してくるダンジョンだった。ことある毎に右手を差し出せと要求し、挑戦者達の勇気を試すようなコンセプトのダンジョンだ。
ここでドラゴンを恐れ、目の前の宝に手を出さないというのは…………。臆病者のすることではないだろうか? アシェルは、そう考えてしまったのだ。
「あ、開ける、つもり……?」
「開ける、つもり……」
「正気……!?」
「正気……。それに、このままの装備じゃ、このクラスの魔物に、勝てない……」
そしてアシェルはこうも考えた。このドラゴンをやり過ごしたところで、出口の先に安全なエリアが存在しているという保証はどこにもない。必ず戦闘が発生して、その時太刀打ち出来るカードがなければ、そこには死しかないだろう……と。
更にアシェルは考える。金級冒険者ではこのドラゴンを倒すことは到底不可能、つまりここは未踏破の階層だ。鉄級冒険者程度の装備では、何も出来ずに殺されてしまう……と。
「勇気……ある者……右手を…………」
「~~~~ッ!!」
アイヴィの心臓は早鐘のように鳴り、口から心臓が飛び出てしまうのではないかというほど怯えていた。せめて声を出さないようにと、口の中へ右手を突っ込んでそれを左手で塞ぐ。本能的に、右手を守るという体勢になっていた。
正反対に、アシェルは燦爛たる綺羅びやかな宝箱の石板へと進み続ける。一歩、一歩、また一歩……。そして遂に、例の石板へと右手を伸ばす。
「これで、死ぬなら……。どの道、死ぬ……!」
捨て鉢になったわけではない。未来を阻む壁が壊され、大いなる可能性を見たアシェルは、未来を掴み取りたい一心で右手をかざした。
ガチャリと錠が外れる音がして、上層の宝箱と同様に蓋が独りでに開く…………。
「…………ッ」
――――トラップは、作動しなかった。
「…………!」
トラップが作動しないと確認するや、アシェルは物音を立てないように出来る限り急いで宝箱の中身を取り出す。中から現れたのは、アシェルが求めている新たな武器……。
「……黒い、ドレス」
ではなく、胸や脚の露出が激しい漆黒のドレスだった。落胆するのも束の間、アシェルは次の宝箱へと右手を伸ばしていた。
「ま、まふぁ……!?」
「まだ、開ける……! これじゃ、生き残れない……」
『グルァアアアアアアアアアアアア!!』
しかし、無情。ドラゴンが凄まじい雄叫びを上げ、その衝撃で周囲の財宝の山が崩れてしまう。アシェルはドラゴンが目覚めてしまったことに焦り、こうなればいっそのことと思い立って、残っている3個全ての宝箱へ素早く右手をかざしてしまった。それぞれがガチャリと音を立て、全ての蓋が独りでに開かれる。
「シルフィード……!!」
出来る限り素早く中身を取り出すため、瞬間的に敏捷性を上昇させるスキルまで発動させた。最初に中から取り出されたのは、またもや衣服。パッと見たところ神官が着るようなもののようだが、どうにもデザインが性的なものをイメージさせる。邪教徒の法衣と呼んでも差し支えないような衣服。
次に取り出されたのはまたもや武器ではなく、今度は軽量盾だった。アシェルは軽量盾を以前使っていたことがある。ただ、修理に手が回らず壊れてしまい、買い直すことも出来なかった。それ以降盾を装備したことは一度もなかったのだが、今欲しいのは盾ではなく武器である。
最後に取り出されたのは……。遂に念願の武器であった。しかし、それはアシェルの望むような新しい武器ではなく……。
「なんで、大剣……!」
「あ、ああ、アーシェ……!!」
『グルルルルルルル…………』
アシェルの背丈ほどもある大剣だった。悲しいことにアシェルは大剣を扱えるほどの筋力がなく、完全に宝の持ち腐れ……。この場に置いていくしかないと判断したのだが……。
「…………軽、い?」
大剣の割に、重さが軽かったのだ。これはもしやと思い、アイヴィがそうしたように武器へと魔力を流してみると、取り出した時とはまるで別物のように手に馴染んだのだ。
「あ、あ、アーシェ……!!」
「アイヴィ、声が大き…………い…………」
そして夢中になっていてアシェルは忘れていたが、ドラゴンは……起きている。
『…………グルルルル、グァアアアア…………』
と、思ったが、ドラゴンは寝ぼけて起き上がっただけで、何事もなかったかのようにまた同じ姿勢に戻って二度寝を始めた。
間一髪助かったことにアイヴィは泣き出しそうになったが、以前のように弱い彼女ではなかった。ぐっと涙を堪え、アシェルが無事に宝を回収出来たことを確認してガッツポーズを決めた。
「…………!」
そしてこの状況で、アシェルにまた閃きが降りてくる。常に生命の危機を感じている状態だからなのか、生存本能が刺激され、新しいアイデアが次々と降りてくるのだ。
「この、武器も……。ステイタスが、わかるかも……」
アシェルが願いの泉で授かったステイタスの腕輪は、『強さを可視化するもの』という条件を提示して授かったものだ。なんの、誰の、という部分は指定していない。
極限状態の中、アシェルは手に入ったばかりの装備に対して『ステイタス』と心の中で念じ、そしてその目論見は見事成就することとなった。
◆ ◆ ◆
・黒羽の戦姫
┣敏捷性+10
┣敏捷性に応じて幻影を発生させる。
┗日に数回、致命傷を避ける加護がかけられている。
・暗黒教団の法衣
┣精神力+10
┣外見+5
┗魔力の回復を大きく上昇させる。
・龍鱗の軽量盾
┣どんな武器でも収納出来る。
┗衝撃を非常に大きく緩和する。
・龍殺し
┣筋力+5
┣龍族を殺すことに特化した大剣。
┣勇気なき者には触ることすら叶わない。
┗汝、勇敢なる者。我、認めたり。
◆ ◆ ◆
アシェルは確信した。この大剣は間違いなくマジックウェポンであり、そして勇敢さを認められ主として受け入れられている。でなければ、アシェルはこの剣に触れることすら出来ないはずなのだ。
「…………!!」
ドラゴンスレイヤーに認められたアシェルは大剣をドラゴン目掛けて構える。目の前には完全に眠っているドラゴン、寝首を掻くには絶好の機会だ。
だが、アシェルは冷静になってこの大剣を下げる。ドラゴンスレイヤーは強力な武器だが、だからといって自分が強くなったわけではないということに気がついたのだ。
「アイヴィ……。今の服、捨てて。ここで、これに着替えて……」
「えっ……! こ、こここここ、ここで……!?」
「この部屋の外で、着替えられる保証は、ないから……! 今なら、いける……」
「ううう……!!」
更にアシェルの行動は大胆なものとなった。アイヴィに暗黒教団の法衣を手渡し、今すぐここで着替えるようにと指示を出したのだ。アシェル自身もピチピチになってしまった以前の服を脱ぎ捨て、黒羽の戦姫と名付けられたドレスを着用する。極限の状況の中、アシェル達は非常に冷静かつ大胆だった。
着替え終わって、お互いの姿を確認した瞬間……アシェルは思った。そしてそれは、思わず口に出てしまった。
「…………ちょっと、大胆ね」
「アーシェ、凄く、お姉様達みたい」
「エッチってこと?」
「えっ……!? そそ、そそそ、そんなつもりじゃ……!」
「アイヴィの方がエッチなんだけど」
「えっ……!!」
「このドラゴン、趣味悪いわね……」
どうやらこのドラゴンは、随分と良い趣味をしているようだ。
【アシェル (変異後)】
アシェルが泉の呪いを受け変異し、着替えた姿。
大剣を扱ったことはないが、重量的には細剣と変わらず扱えそうだ……。
【アイヴィ (装備変更)】
アイヴィが東塔のダンジョンで手に入れた装備を身に着けた姿。
斧を扱ったことはないが、彼女でも問題なく使用出来そうな武器だ……。




