025 ゴールドラッシュ
迷宮都市ラビリスは、未だかつてない程の活気に包まれ、その様子はまさに『ゴールドラッシュ』と言ったところか。通常であれば銀貨10枚、金貨1枚の1割程の価値しかないような運搬の仕事でさえ銀貨50枚から金貨1枚。遠い地域からの運搬ともなれば3枚以上。護衛費用も同様に10倍以上が支払われ、商人ギルドか冒険者ギルドに所属しているなら半額を先払いという特典まである。土木建築双方にも求人がかかり、鍛冶屋に家具屋にとありとあらゆる方面にも発注がかかり続けている。
今のラビリスは途方もない程に莫大な金額がどこから出てきたものなのかで都市中が騒然としている。では、このゴールドラッシュ中のそれぞれの様子がどんなものなのか、まずは金の発生源であるアシェルとヨーコ達の様子から見てみよう。この会話の時間軸としては、計画が決まって動き出したばかりの頃の様子だ。
「――――せやけど、アシェルはんの持っとる金は、正直このままでは使えまへん!」
まず金の発生源であるアシェルの持ってきた金だが、ヨーコ曰くこのままでは使えない金だと言う。この言葉の意味が理解出来ないのはアシェルだけでなく、アイヴィもまた理解出来ずに首を傾げていた。
「どうしてこの金が使えないんですか? 粗悪品……ですか?」
「逆や逆! 質が良すぎる上、サイズも大きすぎやね! まず純度100パーセントの金、これはあってはならん金なんでありんす」
「え? 今使われている金貨は、全部が金じゃないってことですか?」
「どういうこと~?」
「これが国で発行しとる金貨、シェルナー金貨って言うんやけど、これの金の純度は80から85パーセントで品質がバラバラ。挙げ句形状も悪うて、しっかりと丸くて綺麗な形になってまへん。正直、粗悪な金貨として嫌われとります!」
「なるほど……。知りませんでした……」
「そうなんだ~!」
実は、一概に金貨と言っても、作られた国や組織がバラバラで、金貨の品質もまたバラバラなのだ。迷宮都市ラビリスはシェルナー王国の領土で、主に流通している金貨は3種類。王国が発行しているシェルナー金貨と、中央教会が発行している聖金貨、そしてもう1つが……。
「もう1つが教会、これもまあ質がバラバラなんでどうでもええわ。それでこれが!」
「あ、なんだかちょっと綺麗」
「キツネさんのお顔だ~!」
「わっちの商人ギルドが発行しとる、キツネ金貨でありんす! 純度は88から90パーセント、高品質やし流通も多いって、かなり信用されとるんよ」
「…………もしかして、私達の金が市場に出るのって、その辺りの信用問題に関わるってことですか?」
「せやせや! それに、正直今の技術やと純度100パーセントの金は作れへんねん。仰山努力しとっても、95パーセントがええとこ。でもそんなに品質上げる必要がないねん。国が85なんやから、ちょっと上ぐらいでええねん」
もう1つが、ヨーコが立ち上げた商人ギルドが発行しているキツネ金貨である。それ以外は『鑑定するのも無駄なぐらい信用なし』として、そもそも取り扱って貰えない金貨となっている。
つまり逆に言うと、アシェル達が純度100パーセントの大きな金貨を流通させてしまうと、それ以外の金貨の価値が暴落してしまうということなのだ。それはヨーコ的には非常によろしくないことで、これまで築き上げてきた商人ギルドの地位が少し脅かされることになってしまう。
「アシェルはんの金はざっと見て30000枚分はあるで。せやけどこれは100パーセントで作ったらの話やね? これにわざと混ぜものを入れれば、33000枚に増えるっちゅうわけ」
「その話を聞かなかったら、純度の高い金に混ぜものをするなんて、正直許可出来なかったかもしれないです」
「ギルドは高品質のキツネ金貨さんがいっぱい作れて、僕達は30000枚分の金で33000枚に増やせて、ヨーコさんは扱えるお金が増えて嬉しい~……って、こと~?」
「せやで~♡ アイヴィはんも賢いなぁ~♡」
「えっへへ~♡」
なので、ヨーコがアシェル達に『金貨は増えるし、ギルドは信頼ある金貨が増えるしでお互いにハッピーやろ?』と説得していたのだ。これにはアシェル達も納得し、預けた金を溶かして混ぜものをして再発行するという行為に同意することにした。
「あの、それだと私達が今持っている金も使えないので、キツネ金貨と取り替えてくれませんか? 計画の件もあって女将さんの宿にはいけないし、でも他の宿に泊まるには使えない金貨ですし……」
「今ある分と交換してもええで~。あ、手数料分はキッチリ引くで~?」
「ええ、大丈夫です。それと、おすすめの宿ってありますか? 出来れば誰にも邪魔されないようなゆっく」
「あるであるで~!! うちが直々に経営しとる高級宿~!! 遮音完璧、サービスばっちり、余計な心配がな~んも要らへん宿やで~!」
ついでに、当面の資金繰りにも困っていたアシェルがその旨を伝えると、資金面の面倒から宿の手配まで何から何まで手配してくれると言う。ヨーコの性格上必ず何かがあると見て間違いないのだが、残念ながらアシェル達にその何かを突き詰めることは出来なかった。なんせヨーコは『これはわっちの取引やから、手元に純度100の金を1枚ぐらい残してもええことになるな!』という、純粋に金への欲望で動いていただけだからだ。もちろん、アシェル達と別れたこの後、純度100パーセントのミダス金貨に頬ずりして家宝にするところまでキッチリやった。
「――――ほな、金貨79枚と銀貨2000枚でええなぁ? 金貨1枚は手数料や~。あ、宿の方はキツネのおあげ亭やで。うちが話を通しておくけ、名前を出せばすぐに入れると!」
「ありがとうございます。南東地区……高級商業区では……?」
「あんたらがそこらの宿に泊まってゆっくり寝てられると思っとる? 冒険者の押しかけ、中央教会の報復、仰山変なのが寄ってくるで? そこなら絶対に心配要らん。そこで問題を起こすん、商業ギルドに喧嘩売るのと変わらへんもん」
「なるほど……」
「ほな、なんかあったらギルドの職員が向かうわ。久々にゆっくり羽休めしたいやろ? ゆっくりしとき~! 計画はわっちが完璧に進めたるで」
「重ね重ねありがとうございます。では、よろしくお願いします」
「ばいば~い♡」
「ばいばぁ~いアイヴィはん♡ 今度は美味しいお菓子用意して待っとるで~♡」
「わぁ~い! またくるね~!」
用事が済んだ後、アシェル達はキツネのおあげ亭という高級宿へ向かい、ヨーコは早速預かった金を溶かして増やすという作業を開始するため、職人を招集しにギルドへ戻っていった。当然この後、商人ギルドを中心に『慌ただしい』という言葉が可愛く見える程の仕事が発生するのだが……。
◆ ◆ ◆
では、時を少し進めて『慌ただしい』という言葉で済んでいる頃の様子を見てみるとしよう。これは都市全体の様子であるため、誰の様子という限定的なものではないことに留意して貰いたい。
「なんだ? 石材に木材に鉄やら銅やら、ありとあらゆる資材の手配がかかりまくってるぜ」
「風の噂だが、北区の再開発が始まるんだとよ。新店舗とかそういう話じゃなくて、もう丸ごと綺麗に作り変えるとか」
「そんな金がどっから出てくるんだよ」
「とりあえずは商人ギルドが主導でやってるみてえだぜ。俺達冒険者もあやかりてえなぁ~」
「……お、おい。この護衛任務、銀貨10枚だってよ!!」
「はあ? 運搬するやつの報酬が銀貨10枚ならわかるけど、護衛が10枚なんて話が……。あ、ある……!!」
冒険者ギルドではさっそく護衛の求人が掛かっていた。ここ数年、アシェル達が不在の間に野盗やら魔獣は激減した。なぜなら、アシェル達が死んだと思われた日以降、金級冒険者パーティの黒鉄の剣が大荒れし、周辺の野盗狩りに本気を出して駆逐してしまったからだ。はたから見れば完全なる八つ当たりではあるが、このような野盗達がアシェル達の仕事を奪って追い込み、あのダンジョンで命を落とすきっかけになったのだとハヤトが言い出したため、野盗なり魔獣なりが駆逐されてしまったのである。その結果として、迷宮都市ラビリスの治安が良くなり、ダンジョンが次々に発見されたことも相まって、商人ギルドやら中央教会やらが乗り込んでくることに繋がった。
「久々に街路整備の仕事と思いきや、なんだこの値段? 間違ってんじゃねえのか?」
「いえ、親方! 合ってます! それに、商人ギルドに所属してる職人は報酬が半額先払いって!!」
「全部取りてえが、この量は無理だ……。おい、隣町の俺の弟に手紙を出すぞ。あいつらも呼ばねえと!!」
「あ、はい! 僕も知り合いのところに掛け合ってみます!」
資材が届けば、次はそれを消費する職人達に仕事が出来る。迷宮都市ラビリスは非常に大きな都市で人口も多いが、それでもこの仕事を捌き切れるほどの職人は存在していない。なんせ北側の地区を全て作り直すという計画なのだから、とにかく人手が足りないのだ。
「本当に、この金はどこから出てきてるんだ……」
「最近、ダンジョンからの帰還者がどうとかこうとか……」
「それなら、そのダンジョンに莫大な金が……」
「でも、そのダンジョンはとんでもなく危険で、冒険者ギルドが入場禁止に……」
「噂は眉唾物だが、入場禁止の話と噛み合うな……」
そうなれば今度は、金の出どころについての話になるのは不思議な流れではない。商人ギルドが北区を再開発しても、それに見合った収益が得られるとは到底考えられない。なんせ北区は貧困層が多い地区で、ここに大量投資をしても治安が良くなる以外、特にメリットが感じられないのだ。これは誰もが思っていることで、北区の再開発に関してなぜなのかという疑問が飛び交っている。
「こうして話をしてる間に金が逃げる!! 俺は考えるより先に動くぜ!!」
「だな。俺達がいくら考えても、上の考えることはわからねえ」
「考えるより動けだ。とにかく、莫大な金が稼げるんだ!」
だが、いくら考えても答えは出ず、噂の出どころも複数あってどれが本当なのかわからない。金の出どころを探るより、今は目の前にぶら下げられている莫大な金を得ること。それに夢中で、ほとんど誰も金の出どころを探ろうとする者は居なかった。そんなことをしている暇がないぐらい、とにかく仕事が多かったのだ。
「――――と、いうわけでして。北区の再開発に伴い、女将さんの宿は取り壊し……。この土地に関しても、譲って頂くことになるのですが」
「この宿はね、この都市がまだ村みたいにちっちゃい頃からある宿なんだ。どうしても、譲るわけにはいかないんだよ!」
「いえいえ、話はまだありまして。再開発後、女将さんの宿は建て直します。再開発に伴う建て直しですので、当然これは完全無料ということなのですが……」
「え? あ、あ? あら、そうかい……? でも土地は……」
「もちろん、女将さんにすべての権利を返却致します。もしこの話に同意して頂けるのであれば、建て直す宿についてのご提案とご要望を……」
「ええ? ええ、良いのかい? うぅ~ん、困っちゃうねぇ~! おっほほほ……」
流れ星の煌めき亭の女将は、この再開発計画の中心として組み込まれている人物だ。『これまで都市を支えてきてくださった功績』や『この宿の重要性と歴史を踏まえて』など、耳障りの良い言葉を商人ギルドの職員に並べられ、最初は『断固としてこの宿は譲らない!』という姿勢だったのが『広くなっちゃうのかい!? わあ、こいつは凄いねえ、綺麗だねぇ。家具も新調されちゃうのかい!?』と、嬉しさを隠しきれない様子で乗り気になってくれた。
「北区の再開発……。これに俺達も、乗っかる」
「商人ギルドが突っ返してくるんじゃ……」
「我がセヴァ商会では、ギルドの資金力にはとても……」
「誰が対抗するって言ったんだ。乗っかるって言ってんだよ! 再開発が終わった北区に、俺達の店を出す! 話題性だけで客は取れるんだ、狙い目だろうが!」
「あ、う~ん……」
「結局、商人ギルドの仕事をあてにしてるなら、商人ギルドに所属したほうが良いんじゃ……」
「い~や~だ~!! これは俺の商会!! あの女狐の下で働くなんざ、死んでもごめんだね!! 本当にキツネみてえな女で、俺はだいっきれぇなんだ!!」
商人ギルドが乗り込んでくる前、この都市の商いを牛耳っていたのはセヴァ商会だった。しかし、商人ギルドが乗り込んできてからはあっという間に商売の主導権を奪取され、今では『あ、昔からあるご飯を出してるところね!』という、飲食店を営んでいる商会ぐらいの認識しかされていない。ポーションも武器も衣服も貴金属も、ありとあらゆる商品が商人ギルドに品質で負け、価格で負け、納期で負け……。セヴァ商会は見る影もないほど衰退していた。
「で、具体的には何をするんです?」
「そりゃあお前、その~……」
「もう開き直って、飯屋専門で良いんじゃないですかぁ~?」
「馬鹿野郎お前、そんなことをしたら、負けたって認めてるようなもんだろうが!!」
「え~? 何か勝ってるんですかぁ~?」
「そりゃお前、お前……。この馬鹿野郎!!」
「馬鹿なところが勝ってるんですねぇ~」
結局、セヴァ商会は北区に飲食店の出店要望を出すことにした。この後、セヴァ商会は『美味しいご飯を出す商会』としての地位を確立していくこととなるのだが、立派な商会として復活したかった会長としては、非常に複雑な心境となったのは言うまでもないだろう……。
◆ ◆ ◆
さて、ここまでは都市全体に溢れる活気、ゴールドラッシュの様子についてを見てきた。しかし、このゴールドラッシュの恩恵を全く得られていない者達も存在しているのだ。今度は、そちらの様子についても見てみよう……。
「――――ふざけるなぁああああ!!」
中央教会の司祭、バチアールの怒声が教会内に響く。彼が何に対して激怒しているのか? それは勿論、このゴールドラッシュの恩恵を全く得られていないことに対しての怒りだ。
『商人ギルドは、中央教会の"不当な"要求に対して拒否する。教会は人々の心の拠り所な"だけ"であり、治安維持等への貢献があったとは考えられない。北区をこれまで管理してきたのは冒険者ギルドと商人ギルドの共同出資による維持であることは明らかであり、住民も完全同意に同意している。よって、教会による治安維持に対する謝礼要求は完全に拒否する。商人ギルド代表、ヨーコ』
『冒険者ギルドはこれ以上中央教会の横暴について口を噤むことはない。すべての悪事をギルド全体、ないし国民全体に周知し、今回の"不当な"要求に関しても暴露する。冒険者ギルド代表、ハヅキ』
元はと言えばバチアールが掘った墓穴なのだが、本人は『北区再開発は教会の治安維持のおかげで出来るんだから、金を寄越せ』という要求が何ら間違えているとは思っていない。なので、なぜ自分の要求が通らないのかが理解出来ず、これに激怒しているのだ。
そもそも、このバチアールのせいで中央教会の信頼は非常に低い。商人ギルドや冒険者ギルドのみならず、関係ない一般人からも信頼されていないのだ。なんなら、私腹を肥やしている寄生虫とさえ言われている始末だ。
それに対して、元々この都市に居た教会の神官への信頼は厚く、親切なのは元いた神官、そうじゃないのは中央の神官と一発で区別される程。その元居た神官は大半が改宗してしまい、教会を離れてしまっている。今では冒険者の女神、幸運の女神とされている『女神アドヴェラ』という神を信仰する新しい宗教が立ち上がっている。こちらは冒険者や商人に対して非常に親切であり、運搬の護衛で傷ついた人の治療や、北区再開発での炊き出しなどを自発的に行い、双方のギルドから支援金も得られている。
これら全てにバチアールは納得が出来ず、こうして激怒しているのだ。
「バチアール様……。ご、ご報告が……」
「なんだ!!」
火に油を注ぐが如く、またもやバチアールに悪いニュースが飛び込んでくる。その報告をしにやってきた神官は怖ず怖ずといった様子で口を開く。
「光剣の聖戦士のユウキ殿が、姿を消しました……」
「なにぃいいいいいいいいいいいい!?」
「更に、例のマジックウェポンも見当たらず……! ユウキ殿に、ぬ、盗まれたものかと……!」
「く、か、かかぁあああああああああああ!!」
なんと、光剣の聖戦士のユウキが、とあるマジックウェポンと共に姿を消したという。
「それと……!!」
「まだあるのか!!」
「異端審問官ゼックス殿も、姿を消しました!!」
「が、ぎ、ぐげげげ、ごごごおおおおお……!!」
怒りが頂点に達し、もはや面白いとしか言えないような鳴き声を発しながらバチアールが膝から頽れる。バチアールのちっぽけなプライド、自己中心的なやり方が原因で、中央教会がどんどん力を失っていく。その責任が自分にあるとは微塵も思わず、バチアールは自分以外の全てを責めるように考える。
「どいつもこいつも、私を苛立たせる……!! ユウキを捕らえ、マジックウェポンを回収しろ!!」
「しかし……!」
「しかし、なんだ!!」
「あのマジックウェポンを手にしたユウキ殿はまさに最強、我々では止められません! ゼックス殿もおりませんし……」
「ぐがぁああああああああああああああ!!」
何もかもが上手くいかない。何もかもが悪い方向に転がっていく。一体彼は何処で間違えたのか? 帰還者であるアシェル達への対応か? ユウキ達を話し合いの場に行かせたことか? それとももっともっと前、この迷宮都市にやってきて、冒険者ギルドと敵対関係になった辺りから間違えていたのか? 答えは『その全てが間違っていた』なのだが、バチアールがこの答えに辿り着くことはない。なぜなら、自分は全く悪いと思っていないからだ。
「おのれええええええ!! おのれ!! おのれ!! おのれ!! おのれ、げほっげほ……! げほ……!!」
「バチアール殿、す、少しお休みになられたほうが!!」
「くそぉ……! おの、れぇ……」
そして、バチアールは気がついていない。自分の行いがどれほど中央教会という存在に泥を塗っているのか、どれほどの信者を失わせてしまったのか……。近く、彼に引導を渡す存在が王都からやってくるのは目に見えているが、そんな発想は彼の頭には存在していない……。なぜなら、自分は悪くないのだから……。
◆ ◆ ◆
「――――では、こちらのロイヤルスイートのお部屋になります。清掃やお食事に関しては、当方スタッフをお部屋の魔導具で呼び出して頂ければ、いつでもご提供致します。では、どうぞごゆっくり」
「あ、ありがとう……」
「ありがと~♡」
「で、では……」
一方その頃、アシェル達はキツネのおあげ亭にて度肝を抜かれていた。親しみやすい名前とは裏腹に、この宿は宿というものを超越している大豪邸そのものであった。
「広い……」
「広いね~! ドラゴンは住めないと思うけど!」
「綺麗過ぎる……」
「綺麗だね~! あ、お風呂あるよ~!! お風呂~!!」
ベッドは天蓋付きのキングサイズベッド、2人が寝てもまだまだ余裕があるサイズ。その巨大なベッドがあるにもかかわらず、この部屋は依然として広さを感じさせていた。ソファやクローゼットの装飾も凝っていて、他の家具も統一されたデザインで洗練されている。隣の部屋には浴場も備わっており、そちらも非常に広い。要望があればスタッフが背中を流してくれるサービスもあるそうだが、アシェル達は気が引けてそのサービスは断った。
「お風呂入ろうよ~! ねえねえねえ~♡」
「そ、そうね……」
「お部屋の中は防音完璧だし、警備の人もいっぱい居るし、安全だって言ってたよ~? アーシェ、そろそろ肩の力を抜こうよ~」
アシェルは未だにダンジョンの中に居る……というのも、ダンジョンでの生活が長く、完全に警戒を解くということが出来なくなってしまっていたのだ。いつも何処かに危険があるのではないかと気を張ってしまい、肩の力が抜けない。後先を考えない行動というものが出来なくなっていた。
「そう、したいのだけど……」
「あ! そういえばアーシェ、ダンジョンの中ではメタモルフォーゼを使っちゃダメって言ってたけど、ここなら良いの~?」
「え、それは……!」
「良いよね? どういう効果なの~? メタモルフォーゼ!!」
アイヴィは既に警戒をすることをやめ、2人だけの時間を満喫するつもりでリラックスしていた。だからだろうか、後先を考えない行動をしてしまったのは。ダンジョンの中であればもう少し、これをしたらアシェルがどうなってしまうかというところまで考えていただろう。だが、何も考えずにメタモルフォーゼを使ってしまったのだ。
「あ……あっ……」
「アーシェ? 大丈夫~? 顔が真っ赤だよ~?」
アイヴィはメタモルフォーゼの効果を完全に理解していない。姿形を変える魔法だとは理解しており、アシェルに対して『リラックスするのに必要なもの』を与えただけなのだ。それを魔法側がどのように処理してアシェルに反映したのか? アイヴィはそこまでしっかりと理解していない。
「…………アイヴィが悪いんだよ」
「え~? なんで、なんで僕が、わっ!?」
「悪いサキュバスは、しっかり躾けなきゃいけないよね? そうでしょ? アイヴィが悪いんだからね」
「え、アーシェ……? ここ、この、これって、なぁに……!?」
ダンジョンでアシェルがあれほど焦っていたのは、アシェルがまだ女性同士ならアイヴィという魅力的な存在に耐えられていたからだ。もし、アシェルにそれが我慢出来なくなるようなことが起きてしまったら、もうアシェルの欲望を止められるものは誰も居ない。
「メガネ先生、他のマジックアイテムにこれから起きることを見せないように。見たら、割るわ」
「あわわわわ……」
「アイヴィ……? お風呂、入ろうっか……。ね? アイヴィ、お風呂に入りたいでしょ?」
「はわわわわわわわ……!!」
――――それから3日間、アシェルとアイヴィがロイヤルスイートの部屋から出てくることはなかった。
部屋の前に運ばれて居た食事がいつの間にかなくなっていることから、2人が生きているというのはスタッフ達の間でも確認出来ていたが、中でどのようなことが起きていたのかについては、誰も知る由もなかった。だが、サキュバスと2人っきりということはそういうことなのだろう、そういうことが出来る特別な何かがあるのだろうと噂になっていたのは言うまでもない。
「…………アイヴィ、水。飲む?」
「ちょ、ちょうらぁい……♡ ぼく、立てなぁい……♡」
「…………じゃあ、口移しでも文句言えないよね? アイヴィが悪いんだよ」
「あ、あ、あっ」
勿論、その噂通りのことが中で起きていたのは、言うまでもないだろう。




