002 最初の朝
アシェルを襲う目的で部屋に侵入してきたサキュバスと二人っきり、隙間風が吹き込み、暖を取る方法はほとんどない。この状況の2人に、当然何も起きないはずがなく……。
「ふにぇえ……んがっ……?」
「アイヴィ起きて、朝だよ」
「あしゃ……?」
何も、起きなかった。間違いがあって当然の状況だったのにもかかわらず、なんの間違いも起きなかったのである。これは由々しき事態であり、この展開には数多くの文句が殺到して当然――。
「冒険者ギルドに届け出をするって言ったでしょ」
「あ~……。あ! うん、思い出した!」
「アイヴィが私の従魔ですって証明して、それを受理して貰わないと。今のところアイヴィの後ろ盾は私しか居ないんだから」
「ぼーけんしゃギルドに、後ろ盾になって貰うんだったよね~!」
「思い出したらそこの桶の水で顔を洗って。冷たいから気をつけてね」
「ふわぁ~い……ちべたぁ!!」
「冷たいって言ったでしょ……」
閑話休題。
現在のアイヴィの後ろ盾はアシェルしか居ない。つまり、アシェルの権利を簡単にねじ伏せられるような相手が現れた場合、アイヴィは簡単に処分されてしまうということだ。そこでアシェルは自身が所属している冒険者ギルドに『アイヴィは私の従魔です。認知してください』と届けることで、【アシェルの従魔】という立場から【ギルドに所属しているアシェルの従魔】という立場に変わる。これで何かあった時にギルドが盾となり、『うちの子になんか用かい?』が出来るようになるというわけだ。
しかしこれは、アイヴィがギルドに有益な人材ということを証明しなければならない。ギルド側も誰彼構わず後ろ盾になってくれるような、千客万来の巨大組織ではないのだ。ギブ・アンド・テイクの関係性を構築する必要がある。
「生命力吸収……あ~、生命力操作だっけ? それ以外に使えるのは魅了と……」
「美容術と、火球が使えるよ~!」
「冒険者としてはファイアボールが使えるなら上出来ね。魔法使いとして役に立てると証明出来ると思う」
「やった~!」
幸いにもアイヴィは、下級魔法のファイアボールを使うことが出来た。最下級魔法の火起こしよりも優れているため、これは大きなアドバンテージとなるだろう。サキュバスの固有魔法として、チャームが使えるのも大きなポイントとなる。男性相手なら大抵効く上、魔獣や魔物相手の大多数にも効いてしまう。これも大きなアドバンテージとなるに違いないと、アシェルは前向きに考えていた。
「顔、洗った~! じゃあギルドにいこうよ~」
「え……。アイヴィ、その服以外に何か、ない……?」
「ないよ~?」
「ええ……」
早速ギルドへ向かおうと思ったが、ここで大問題が発生した。アイヴィの身に着けている服が、かなりの注目を集めそうな服だったのだ。
セクシーランジェリーのような黒い上着、赤いレザーのホットパンツ、ところどころ破れが目立つ白いニーハイソックス、そして桃色の髪にサキュバスの角。目立つ。目立ち過ぎる。
「とりあえずこれでも被って」
「え~」
「命令には?」
「絶対服従です!! 着させて頂きます!!」
とにかくこのままでは目立ち過ぎるので、アシェルが普段使っている雨具代わりのローブを被せることにした。これで少しは無駄にセクシーなアイヴィの容姿を隠せるだろうという考えだったが、これはこれで逆に目立つ。なんせ、明らかに姿を隠そうとローブを被っているのだから。だがこれ以外の方法もないので、とりあえずこれで諦めることにした。
「よし、じゃあいくよ」
「あ、ご飯は?」
「ない」
「え、朝ご飯を食べないと健康に良くないんだよ?」
「お金がないの」
「おかね? それがないと、ご飯が食べられないの?」
「あんたって本当に何も知らないのね……」
「うん、ごめんね……」
アイヴィを従魔にしたところで、お金が増えたわけでもない。金欠のアシェルは朝食にありつくことが出来ない。最悪どうにかする方法はあるのだが、それは最後の手段……。体を売るのは最低最悪、最後の切り札として、未だにその選択をしたことはない。それに、そのカードを切った瞬間から後戻りが出来なくなると考えていた。だから、それだけは選択しないように今日まで行き続けてきたのである。
「あら、もう出かけるのかい? 後ろの子は?」
「あ……。つ、連れ込んだ子で、すみません……。料金、追加で払わないと」
1階に降りると、宿の女将が待ち構えていた。そこでアイヴィが無銭宿泊であることを思い出し青ざめ、すかさず財布に手を伸ばす。しかしそれを遮るように、食堂からここに宿泊している冒険者達から声がかかる。
「おー? なんだ、アシェルもそういうことするんだなぁー! 珍しいこともあるもんだ! なあ女将さん、こういうのはさ、いいだろ?」
「あらあら、別に良いんだよ。女の子を連れ込んだぐらいでお金を取ったりしないよ! それとほら、昨日シチューを作りすぎちゃってねぇ。この宿の全員に配ってるんだよ。今日だけ特別だよ? 食べておいき」
「今日はラッキーだぜアシェルー! 後ろの子も良かったなぁー!!」
何か事情がありそうなアイヴィについて何も聞かず、追加料金すらも取らず、むしろ作り過ぎたという理由でシチューまで振る舞われた。思いがけない幸運に目を丸くするアシェルだったが、これがただの幸運ではなく、他の冒険者達や女将の気遣いであると悟り、深々と頭を下げた。
「……ありがとう、ございます。皆さん、本当に」
「あらやだ、いいのよ~」
「困った時はお互い様、だろ~? ほらアシェル、そっちに座れよ」
「せっかくのシチューが冷めちゃ勿体ないぜ」
「今日はどうするんだ? 何か仕事あるのか?」
「後ろの子もほら、こっちきなよ~!」
「アシェル~。僕、お腹空いた~……」
「女将さん、本当にありがとうございます。アイヴィ、向こうに座ろう」
このシチューは、最近稼ぎが悪く調子も悪そうなアシェルのために、付き合いの長い冒険者と女将がお金を出し合って用意してくれたものであった。ちなみに、この宿の壁は非常に薄い。アイヴィとアシェルの昨日の会話の一部もバッチリ聞かれている。ただし聞かれたのは、アイヴィが何か訳アリのサキュバスという情報と、アイヴィの絶叫だけである。
「はい、大盛りにしといたよ! いっぱい食べな!」
「ありがとうございます。美味しそう……!」
「ありがと~! う~ん、美味しい~!!」
「最近じゃ野党がそこら中にいやがって、俺達もぼちぼち活動が厳しくなってきやがった」
「魔獣だけじゃ飽き足らず、魔物まで出てくる始末だ。どうなってんだ?」
「俺達みたいな木っ端の冒険者じゃ、この都市での活動は厳しくなる一方だ。ドブ浚いが大人気の仕事で取り合いになってるぐらいだぜ」
「え……」
今日はドブ浚いしかないかと思っていたアシェルにとって、最悪の情報だった。なんとドブ浚いが大人気の仕事らしく、取り合いになっているらしい。
「季節替わりの落葉と、ここ最近の雨でそこら中詰まってるからなぁ」
「緊急性が高くなって、値段も高えって話よ。治安も悪い今じゃ、安全に稼げる最高の仕事ってわけだ」
「アシェル~! この黄色いツブツブなぁに?」
「とうもろこし……」
「で、アシェルはどうすんだ?」
「とうもろこし……」
アシェルの頭の中は絶望色に染まっていた。昨日ですら薬草採集で魔物に遭遇して怪我をしたのに、今日もそれをしなければならないという可能性が大きくなってしまったからだ。ましてアシェルの力は冒険者としては平均以下で、ドブ浚いは力持ちで体力のある冒険者に優先して割り振られる。
「そうか、仕事のあてがねえのか……」
「噂じゃあ、この都市にダンジョンが出現したとかなんとかって話だが、教会が秘匿してるらしくて情報が一向に出てこねえし……」
「そもそも俺達じゃ、ダンジョンに入ってもすぐにお陀仏よ。魔獣より強え魔物がうじゃうじゃ居るんだからな」
「俺達も金級冒険者とかよぉ~! 英雄って言われるような奴らみてえなパワーが欲しいよなぁ~!」
「テンイシャ? テンセーシャだっけか? あいつらは良いよな。なんの努力もなしに祝福だけで最強なんだろ? 羨ましいぜ、人生が簡単そうで」
アシェル達のような鉄級冒険者には、強力なスキルや祝福を持っている者は存在していない。むしろ、それを持っているだけで銀級からスタートだったり、もっと上の階級からスタートとなる特別待遇が取られる。中でも転移者や転生者と呼ばれる、前世の記憶を持っていたり別の世界からきたとされている、人外としか思えないような力を持つ者も存在する。
「シケた話で悪かったな! じゃあ、俺達も仕事を探しにいくぜ」
「じゃあな、アシェル! そして食いっぷりの良い嬢ちゃん!」
「今度その嬢ちゃんと何したかの話でも聞かせろよ~!」
「……じゃあね。ありがと」
「いってらっしゃ~い!!」
「気をつけていってくるんだよ」
世間話が済んで満足したのか、3人の男達は宿を出ていった。彼らもまた生活の厳しい冒険者ではあるが、3人というアドバンテージのおかげもあってか、野党に狙われにくく外での活動もしやすい方だった。アシェル達に一食おごるぐらいの余裕は辛うじてあったのだ。その証拠に、先程女将が『無料で配っている』と言っていたのにも関わらず、最後の男が銅貨を5枚置いていった。料金としては2食分多い枚数である。
「このシチュー美味しい~! 僕、こんなに美味しいの初めて~!」
「まあ、嬉しいねえ~。もう1杯いるかい?」
「うん! おかわ、はぎゃっ!」
「アイヴィ、これはさっきの人達に奢って貰ったの。図々し過ぎるよ」
「ええ? でもさっき、無料って……」
「あらやだ、よく見てるねえ~……。黙ってて悪かったね? アシェルが最近、何にも食べられてないんじゃないかって、皆が心配してたんだよ」
「こんなにちゃんとしたご飯、久しぶりに食べた。本当にありがとうございます」
「もっとしっかり食べな……って言いたいんだけどねぇ。本当にこの治安の悪さは、どうにかならないのかねぇ」
金銭的に厳しいのは冒険者だけではない。冒険者は経済を回す歯車であり、その歯車が回らないということは周囲の歯車も回らないということ。高額な装備品が売れなくなり、飲食を減らすようになり、修理も最低限。富裕層も情勢を見て財産を溜め込むようになり、更に経済が滞る。悪循環に続く悪循環……。いつになるかわからないが、いずれこの都市には限界が訪れてしまう。どこかが破綻し、一気に崩れる。
「ごちそうさま。アイヴィ、随分綺麗に食べたね」
「ご飯は綺麗に食べないと、お姉様達に叱られるからね~。おばさま、ありがとう! 美味しかった~!」
「あらあら可愛い顔だねえ。隠すなんて勿体ないけど、そんなに可愛いんじゃ、隠して正解だね。気をつけていっておいでね」
「ん、いってきます」
「いってきま~す。アシェル、どうして僕の顔は隠したほうが良いの?」
「ん? 顔を見られたら路地裏に連れ込まれて、バラバラに解体されちゃうから」
「ええええええええ!? 怖い!! 怖いから外いきたくない!!」
「あらあらまあまあ、そんなに脅かしちゃいけないよ? でも、路地裏に連れ込まれるのは本当だから気をつけな?」
「ふえぇえ……!! 連れ込まれて、解体される~……!!」
実際、アイヴィの顔を見てしまったら、その気のある人間なら連れ込んで乱暴な行為をしようとするだろう。ましてや先程の服装では、どうぞ連れ込んでくださいとアピールしているようなものだ。しかし、この『乱暴な行為』についてアイヴィに解説しようとしても、人を襲うという行為が『がお~』な彼女にとっては理解出来ない話だ。だから『バラバラに解体される』という説明で合っている。それほどの脅威と理解させられればそれでよいのだ。
そんな説明をされてビビり散らかしているアイヴィを他所に、アシェルは再度身だしなみをチェックし、冒険者ギルドへ向かって出発する。怖ず怖ずといった様子でアイヴィも後ろをついていくが、その姿はどう見ても不審者そのものである。そうして暫く歩いていると、目の前から衛兵がやってきてすれ違い……。
「止まれ。ん……? ああ、アシェルか。連れか?」
「おはようジャクセンさん。この子は私の連れで、アイヴィって子」
「まあアシェルの連れなら……。一応だが、顔を確認させてくれ」
当然のように止められた。衛兵の名前はジャクセン。アシェルはただの衛兵の1人だと思っていつも接しているが、その実は都市北側を担当している衛兵長である。都市を守る衛兵が、ましてや衛兵長である彼が、見るからに怪しい者を止めない理由がないのだ。しかし、不審人物の側に居たのがアシェルだとわかると、途端に態度が温厚なものに変わる。厳しい検査もせず、とりあえず顔を確認させてくれればそれで良いと言うのだ。
「ん~……。指名手配犯や要注意人物のリストにはない顔だ。アイヴィだったか、手を出してくれ」
「は、はひぃい……!!」
「大丈夫、この人は解体しないから」
「あ、そうなの? はい!」
「解体……? ほれ、いってよし。そのハンコは俺がチェックしたという証だ。他の衛兵に絡まれたらそれを見せれば良い」
「ありがとうジャクセンさん。問題ないってさ、いこ」
「うん! ばいば~い!」
「……元気な子だな。アシェルが変な女に引っかかったかと思って心配したが」
こんなに簡単にチェックが終わって良いのだろうかとアイヴィは疑問に思ったが、それよりも早く冒険者ギルドへ行きたかったのでその疑問は忘れることにした。
その後、別の衛兵に絡まれることがあったが、ジャクセンのハンコを見せてすぐに解放されるという流れが数回あり、アシェル達はどうにか冒険者ギルドの前に辿り着いたのであった。
【アシェル】
細剣を扱う冒険者。魔法は簡単な最下級魔法と、従魔契約魔法が使える。
力は弱いが、素早い身のこなしで戦うタイプの剣士であり、中性的な容姿をしている。
困っている人は放っておけないタイプで、手を貸すべきと判断したら即座に手を差し伸べる。本人は気がついていないが、周囲からの評価は非常に高い。
【アイヴィ】
世間知らずの夜魔。吸い取る力だけではなく、与える力も持っている特殊なサキュバス。
性的な知識がほぼ皆無であり、当然のように処女。アシェルが女性か男性かを見分けられない程度のサキュバスである。




