羊たちと聖域
もの”へと惹きつけられてリアナの村は小さくて――
でも、母の焼きたてパンのようにあたたかい場所だった。
誰もが顔見知りで、誰もが名前を呼び合い、
苔むした石造りの家も、草の道も、
まるで家族のようにそこに“ある”ものだった。
—「おはよう、リアナ!」
中央の井戸で水を汲む女性が、陽気に手を振る。
—「おはよう、ヘルガ! 昨日のパン、美味しかった!」
軽やかなやり取りの後、リアナは風に吹かれる葉のように村を歩く。
年配の人たちと話し、子どもたちが投げっぱなしにしたバケツを拾い、
すれ違う人すべてに笑顔を見せる。
リアナにとって、村の一部であることは――
呼吸のように自然なことだった。
そして、聞き慣れた声が背後から届く。
—「今日も忙しそうだね、リアナ」
振り返ると、そこにいたのは幼なじみのダリエル。
言葉少なだが、誠実な笑顔がいつも心を和ませてくれる存在。
—「おはよう、ダリエル」
リアナは嬉しそうに微笑んだ。
ふたりは村の道を歩きながら、子どもの頃の思い出を語り合い、
くだらないことで笑い合った。
—「…なあ、知ってる? もうすぐ夏の収穫祭なんだ」
そう言いながら、ダリエルは照れ隠しのように後ろ頭をかいた。
—「もちろん! あのお祭り大好き!」
リアナの目が輝く。
「香辛料とお花の香りが辺りを満たして…夢みたい!」
ダリエルはごくりと息をのんだあと、勇気を振り絞って言った。
—「じゃあさ…その…もしよければ……一緒に行かない?
友達として、でいいから!」
リアナは一瞬だけ目を見開き、
すぐにやさしく笑った。
—「うん、いいよ。行こう、ダリエル」
ダリエルの顔はまるで太陽のように輝き、
その幸せそうな様子を、隠しきれなかった。
やがて太陽が少し高く昇った頃、
ふたりは別れて、リアナは家へと戻った。
胸の中には、ほんのりと温かい灯がともっていた。
家の前では、母のエイラがエプロンで手を拭きながら立っていた。
—「ちょうどよかった。今朝ね、パパの羊が何頭か逃げちゃって…
ひとりで探してるのよ」
—「ひとりで? 手伝うよ!」
リアナは即座に答えた。
—「ありがとう、リアナ」
エイラはやわらかく微笑んだ。
「ほんとに助かるわ」
リアナは軽いマントを羽織り、草原へと出た。
風が高い草を揺らし、午後はゆっくりと西へ傾いていく。
景色は金色に染まっていた。
そして、ついに見つけた。
一頭の羊が、茂みの中の葉をむしゃむしゃと食べていた。
まるで自分が騒動の原因だと知らないように。
—「こらっ、逃げるなってば!」
リアナは笑いながら叫ぶ。
当然、羊は逃げた。
だが、草原ではなく――
村人があまり足を踏み入れない、深い森の奥へ。
そこは危険ではないが、
時間が異なるように流れると噂される、忘れられた場所。
深く考える間もなく、リアナは羊を追いかけた。
低い枝、太い根、ひんやりとした影の中。
足元の葉はぱりぱりと音を立て、
差し込む光は徐々に少なくなっていく。
森は、まるでその秘密を守るように沈黙していた。
—「いた…」
息をつきながら、リアナは羊を見つけた。
だがその視線の先に――
何かがあった。
羊の向こう側。
苔むした石。
古代の意匠。
倒れた柱。
時に削られたアーチ。
—「…遺跡?」
リアナの額にしわが寄る。
—「ここ…何? こんな場所、あったっけ?」
心臓が激しく打ち始める。
それは恐怖ではなかった。
**“呼ばれている”**という感覚。
地面から湧き上がるような、
肌をなぞるような、
目に見えない波動。
空気そのものが、ささやいていた。
リアナは、一歩踏み出した。
そして、また一歩。
さらにもう一歩。
気がつけば、羊はいつの間にか姿を消していた。
でも――
もう、羊のことは頭になかった。
彼女の全意識は、
**その眠れる聖域の中心にある“何か”**に向かっていた。いた。
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