6. レウルとケットシーの引っ越し
「バラッハだ!」
「オーランだー」
ケットシーふたりは鼻をちょんとくっつけて挨拶をし、ふたりしてこちらを振り向いた。
「バラッハ、なんでいるの?」
「なんでオーランいる?」
「うむ……」
ここはこちらの家であるから、互いの疑問はもっともだろう。二対の瞳に見つめられながら、髭をピンと伸ばした。
「バラッハには絵を教えている。オーランには文字と魔術を」
「ふーん」
「ふうん」
ばちくりと目を瞬かせ、ふたりは頷いた。まあ、このふたりは相性が悪くないし、喧嘩することもないだろう。
オーランはバラッハが描いている絵を見て、「にゃん!」と声を上げた。
「色がある絵ー」
「塗ってる。色、作る」
「作るの?」
「混ぜるよ」
絵の具の各色を混ぜた見本を作ってやると、バラッハはそれを見て自分で調色するようになった。そしてこだわりが強い。ぺろりと舌を出したまま、満足がいくまで調色している。
オーランはしばらくそれを眺めていたが、飽きたのかこちらに向き直った。
「レウルは何してるの?」
「バラッハの寝床を作っているんだ。家に引っ越しするから」
「引っ越しするんだ」
今はチクチクとクッションを縫っていた。かごいっぱいの黒蒲公英の綿毛をぎゅうぎゅうに詰めて、ふかふかのクッションを作るのだ。
ケットシーの手は細かい作業には不向きだが、慣れれば縫い物くらいはできる。編み物レベルになると魔術を使ったほうが楽だが。
「オーランも、何か作る」
「では暖房の魔法陣を作ろう。オーランもそろそろ作れるはずだよ」
「うん!」
木のうろは通年で暖かいが、家に住むとなると暖房が必要だ。特に夜は寒くなる。毛皮があっても寒いものは寒い。
「では、魔法陣を設計するのに必要な要素を考えてみようか」
「魔力が必要!温める、熱の魔法陣でいい?」
「そうだね。温めるのは空気だけど、その空気はどれくらいの大きさか考えてごらん」
「大きさ……」
簡単な算数は教えてあるが、体積の計算は教えていない。オーランはこてんと首を傾げて、固まってしまった。
「たとえばこの部屋の大きさだけど、まずは面積を測る必要がある。四角形の面積はどうやるんだっけ?」
「縦かける横!」
「うん、じゃあ部屋の縦と横を測ったとして」
紙に部屋と見立てて四角を描く。
「今はここの大きさを測っただけだな」
「そうだねー」
「でも空間は平らじゃない。紙みたいにペラペラじゃないんだ」
言いながら四角の四辺にから線を引き、立方体の展開図を描く。オーランはきょとんとしていたが、展開図通りにナイフで紙を切り、折っていく。
「こうすると立方体――箱になるだろう?」
「おー!なった!」
「この箱の中にどれだけ空気が入るか。つまり、どれだけの空間があるか、というのを計算するんだ」
高さの辺を指さす。
「ペラペラの面積がこの高さの分あるということだから、縦かける横に高さをかけると、体積になるというわけだな」
「面積、かける、高さ……」
オーランは持ち歩いている紙束にせっせとメモをしている。文字を一通り覚えたので、今はなんでも書きつけるのが楽しいらしい。
「で、計算した体積は魔法陣のここに書くわけだ。ここには空気を熱するように書いて、循環させることも忘れないように」
「循環?」
「一部の空気だけがあたたかいだけだと部屋全体が暖まるのに時間がかかるからな」
「んー……、空気の流れは風属性?」
「正解だ。火属性だけではこの魔法陣は完成しないからね」
「複合魔術!火属性と風属性の重ね方は、風属性が外になる?」
オーランはやや歪な円を描き、火属性の天上文字を内側に、風属性の天上文字を外側に書いた。以前に見せた二属性魔法陣のことを覚えていたらしい。
「よく覚えていたね。そう、外側が風属性だ」
そう広い部屋ではないから、空気の循環の方式までは指定しなくてもいいだろう。こちらが書いていく文字を、オーランが真似して自分の魔法陣にも書いていく。
そうして出来上がった魔法陣に、オーランは肉球をぽむぽむ叩いて喜んだ。
「できた!」
「うにゃん。できた?」
バラッハも真似して肉球を合わせている。そういえば、ケットシーはあんまり拍手ってしない気がするな。オーランのこれはこちらが褒めるときに肉球を叩いているのを覚えたらしい。
「ケットシー魔法陣つくる、熱の魔法陣おうちあったかくする」
「うにゃん、にゃん、にゃん」
オーランが歌い出したのにバラッハも合いの手らしきものを入れている。バラッハは絵に興味を持つだけあり、芸術全般に特性があるのかもしれない。こちらは手拍子で参加しておいた。
「ケットシー絵かいて色塗る、パレットの絵の具で色混ぜて作る」
ノリノリのオーランが二番に入ってしまった。実際の魔法陣の敷設は明日になるかもしれない。
そんなわけで、翌日。
ドルイドに割り当てられたバラッハの新居に三人で向かう。わりあい我が家に近い一軒家である。大きさもほぼ同じだろう。
こちらとバラッハは暖房やカーテンのための寸法を測るために一度来ていたが、オーランは初めてなのできょろきょろと見回している。バラッハは玄関のドアを開けると、ふとそこで立ち止まった。
「レウル、靴脱ぐ?」
ちなみにバラッハは裸族だったのだが、こちらの家に出入りするようになってから土足禁止の概念を覚えた。靴をプレゼントしてからは靴だけちゃんと履くようになっている。
「バラッハが決めていいんだよ」
「うにゃん。じゃあ、脱ぐ。でもお掃除さき?」
空き家は朽ちない程度に手入れされているが、入居するとなるとあらためて掃除はしたい。
「いや、靴は脱ごう。掃除しながら足も綺麗にすればいい」
「わかった」
「お掃除〜」
今日はちゃんと掃除用具を持ってきている。箒とちりとりと雑巾だ。バケツというか桶もあるので十分だろう。
そこからは三人がかりで埃っぽい部屋の空気を入れ替え、溜まった埃は一度魔術で巻き上げてしまう。これでたいていの汚れは床に溜まったわけで、掃き掃除をしてから床を拭く。ここも魔術でもできないことはないが、人手があるなら雑巾かけたほうが繊細な制御が要らなくて楽だと思う。いや、あるのは猫の手だが。
「お掃除にゃんにゃん」
「うにゃにゃん」
「ちりとりにゃんにゃん」
「うにゃにゃん」
「水拭きにゃんにゃん」
「うにゃんにゃん」
オーランはもうずっと歌いっぱなしである。こういう作業は静かなほうが身が入る気がするが、飽きて放られるようりはずっといい。バラッハも楽しそうであるし。
「ぞーきんまっくろー」
「汚れいっぱいある」
「バラッハ、一人でもこまめに掃除するんだよ。こうなるからね」
「なる。わかった」
ケットシーの前肢で雑巾を絞り、汚れた水は適当に撒いておく。泉の水は汚してはいけないが、それ以外の排水は適当なのだ。地質を変質させるほどのものはケットシーは扱わないし、魔力の多い土地は浄化作用も強い。
魔術で水をもう一度入れ、二度拭きして床の掃除は終わりだ。オーランと二人で暖房魔法陣を敷設し、カーテンを付けて寝具を運び入れると、生活感が出た気がする。
「部屋できた」
「灯りを付けるときはここの魔法陣を起こすんだよ」
「うにゃん。暗いときつける」
「寝るときは消すように。あとはこれ」
備え付けのテーブルにテーブルクロスを敷いてやる。草原のような緑に、青い花の刺繍がしてあるかわいらしいものだ。
「うにゃ!」
「サリェが引っ越し祝いにと作ってくれたんだ。あとでお礼を言いに行こう」
「言う。サリェ、こちらのお家くるかな?」
「誘えば来てくれるよ」
「お礼する」
バラッハは尻尾をぴんと立てて目をキラキラさせていた。よほど嬉しかったのだろう。
「バラッハ、サリェに絵を描く?」
オーランが尋ねると、バラッハはこくこくと頷いた。
「うん。絵を描く。だから自分の絵の具はやくほしいな」
「こちらから注文したから、もうじきリョーが来てくれるだろう。足りないものがあればリョーに言うんだよ」
「うにゃん」
木のうろ暮らしだったバラッハにはまだそういう感覚はないだろうけど、おいおいわかるだろう。個人的には、絵を描くための作業用机があるといいと思う。机は作ったほうが早いかもしれないから、大工の犬妖精に相談するのもありだろう。
そんなことを考えていると、バラッハとオーランが整えた寝床に丸まって昼寝を始めた。疲れたのだろう。クッションも気に入ってくれて何よりだ。
まあ、ケットシーはどこでも寝られる。こちら眠くなってきたので、寝床の端を借りることにしたのだった。




