5. 絵を描くケットシー
この世界には、写真というものがない。おそらく概念自体がない。なので絵を描くという需要はそれなりにあるようだ。
しかしどの絵も写実的なものであるらしい。デフォルメとかはしないようで、リョーはこちらの絵を見て驚いていた。
「単純化されているけど、わかりやすい。これはオーランだね?」
「うん」
文字表はオーラン用なので、オーランの頭文字の横にはオーランの絵を描いた。レウルの頭文字にはこちらを描いたし、リアハやゴルムも採用させてもらっている。
「これがケットシーの絵か……。なんというか、いいね」
感心したように言われるが、ケットシーが必ずこういう絵を描くとは限らないだろう。まあ、黙っておく。ケットシーの描いた絵なら多少風変わりでもおかしくないはずだ、たぶん。
「今度来たときまた絵を見せてくれる?レウル。できれば買い取りたい」
「構わないよ。素人の絵でいいなら」
「いや。これは……なんか、いい」
リョーはいたくお気に召したようである。それでもこれを欲しいとは言わないのは、オーランのためと事前に伝えているからだろう。横取りしようとか、高いものを払って貰おうとか、考えないのが妖精なのだ。
オーランもこの文字表にいたく喜んでくれた。勉強会は数日に一度、午前中の数時間だけ続けているが、この表を渡した後からぐんと覚える速度が上がった気がする。どうやら家にいるときはだいたい眺めているらしい。
「どうやって眺めてるんだ?」
「どうやって?オーラン床に置いてるよ」
「壁に貼ってみたらどうだ?」
「壁に……?」
手で持つには大きすぎるので、こういうのは壁に貼るものだろう。ペタペタくっつく性質の植物の樹液、つまり糊を採取し、オーランの家に向かう。
そのまま貼ってしまうと剥がす時に文字表本体が破れてしまうので、まずは額縁を作る。と言っても画用紙の四隅を覆えるよう、もう一枚の画用紙を切って工作しただけのものだ。
四隅につけた三角の縁に文字表を差し込み、額縁側の画用紙に糊を塗る。これを壁にくっつけたら完成だ。
「ここを差し込んでいるから、剥がさなくても外れるよ」
「おお〜!レウルすごい!すごーい!」
オーランはなぜか大興奮で、何度か壁に貼ったり外したりを繰り返していた。こんな簡単な工作に、と思わなくもないが、村に住むケットシーの多くは自然体だ。案外工作をしないのだ。
「ここに座ると見やすいねー」
最終的にオーランはクッションやブランケットを持ってきて、文字表が見えるところに寝床をこさえてしまった。寝室に貼ってやればよかったかもしれない。
さて、一枚目はオーランに、二枚目の文字表をトーヤに作ったところで、リョーの依頼の絵を描くことにする。何がいいだろうと画材を持って外に出て、歩き回りながらスケッチすること数日。
「レウル、最近変わったことしてる」
興味を持ったらしいケットシーの一人が声をかけてきた。バラッハという名前の通り、ぶち柄のケットシーだ。白地に黒と茶色のぶちがぽつぽつとある、いわゆる飛び柄である。手足が大きく、ぽってりと丸い体はこちらよりも少し大きい。
「こんにちは、バラッハ。絵を描いているんだ」
「絵?これケットシー?」
「うん。ドルイドだ」
「なる。ドルイドだね」
錆柄は結構難しい。試行錯誤していたが、バラッハにもちゃんとドルイドに見えるようだ。
ちなみにドルイドを描いていたのは、リョーが感心していたのがオーランの絵だったので、ケットシーの絵がいいかなと結論づけたためだ。一応ドルイド本人の了解は取ってある。
「絵の、道具?変な匂いがするね」
「絵の具だな。バラッハも描いてみる?」
「やる。描いてみる」
話しかけてきただけに乗り気だ。バインダー代わりに使っていた板と白い画用紙を渡して、とりあえず鉛筆を持たせてやる。
「字を書いたことは?」
「ない。字を知らないから」
「では、持ち方はこうだ。線を引いてみて」
「線を引く。うにゃ……」
ガタガタの線を引いて、バラッハは髭をぴくぴくとさせた。
「むずい。どうやるの?」
「ゆっくり慎重にやればいい。絵の具を使いたいなら、今回はこちらが描いてみようか」
挫けそうな気配がしたので、ひとまず塗り絵を試してもらうことにした。その辺の花をモチーフに、簡単な線画を描いてみる。
「この花を描いたんだ」
「全然違うよ」
「まあ、それは置いておいて」
バラッハの鋭いツッコミにややダメージを受けながら、筆を持たせてやる。
「ここが花で、ここが茎。葉っぱがこれ。それぞれの形はだいたい同じだろう?」
「うにゃん。同じ」
「そしたら花の色は黄色だね。黄色の絵の具を筆につけて塗ってみてごらん」
パレットに出していた黄色の絵の具を爪で指すと、バラッハは慎重に黄色を掬い取り、ぺとりと花の部分に載せた。
「そうそう。絵の具は広がるから、筆で形をなぞってみて」
「うにゃ……」
ぷるぷると筆が震えているが、初めてにしては上手い気がする。
「色ないー」
「そうしたら絵の具をまた掬って、塗るんだよ」
「にゃん」
ぺろりと舌を出したまま、バラッハはまた黄色を載せ、広げ始める。ややはみ出てはいるが、致命的ではない。
「黄色なった!」
「なったね。次は茎と葉を塗る。何色?」
「緑。レウル、緑ない」
「出してあげよう」
パレットに緑の絵の具を出し、バラッハに筆を一度洗わせた。それから筆が濡れたままだと絵の具が伸びすぎてしまうので、布で軽く拭わせる。
「緑。緑、少し違う?」
バラッハは緑を茎の部分に載せた後、首を傾げた。確かに、絵の具の色そのものは緑が鮮やかすぎるかもしれない。
「バラッハは目がいいな。どう違うと思う?」
「うにゃ……。黄緑がいい」
「黄緑は黄色と緑を混ぜると色を作れるよ」
「作る?まぜる……。これとこれ?」
「そう、ちょっとずつだ」
絵の具を混ぜると色が変わるのはバラッハにとって新鮮だったらしく、尻尾をピンと立てて興奮していた。
「うにゃ!黄緑なる!」
色の作り方は後でまた詳しく教えてもいいだろう。興奮しつつ、慎重に色を塗るバラッハは幼子のようだ。実際、オーランよりも年下だったはずなので、ケットシーの村の中ではかなり若いケットシーなのだ。
バラッハが塗り終わり、魔法陣で軽く乾かしてから黒い絵の具で太めのアウトラインを引いてやる。こうすれば多少のはみ出しは気にならない。
「ほら、バラッハ。バラッハの描いた絵だよ」
「こちらの描いた絵……」
バラッハは琥珀色の瞳をキラキラさせて絵を受け取った。たしたしと足踏みしている。
「レウル、こちらも絵を描きたい。レウルの道具、どうしたの?」
「行商エルフから買ったんだよ。そうだな、バラッハも欲しいなら一揃い持ってきてもらう?」
「ほんと?こちらも欲しい。交換する」
バラッハはいそいそと首から下げた袋から精霊石を取り出した。これもなかなかの質だ。画材と交換なら問題ないだろう。
「それと交換だな。行商エルフが来るまではこちらの画材を貸すから、うちに来るといい」
「うにゃん!」
「それと、バラッハはどこに住んでいる?」
「西の十七番」
「木のうろか。画材を置くなら家に引っ越しをしたほうがいいな。ドルイドに空き家を聞いてみよう」
ドルイド以外の木のうろは、基本的にはかなり狭い。本当に寝るだけのスペースしかないので、何か買って置くなら家に住んだほうがいいだろう。
若いバラッハはわかっているのかいないのか、「引っ越しー」とぴょんぴょん飛び跳ねている。家に住むなら寝具は最低限必要だから、揃えるのを手伝ってやらないと。
絵を描きたがるケットシーが増えたと聞いたらリョーも喜ぶだろうか。こちらが教えたら似たような絵になるのか、ならないのか。確かにちょっと楽しみではあった。




