12. ケットシー集会(前)
ちゃぷちゃぷと水が音を立てる。オーランが水瓶を持って飛び跳ねているからだ。
「いっぱい溜まった!」
「オーラン、こぼすぞ」
「にゃんっ」
ぱしゃっと顔に水がかかり、オーランが悲鳴を上げる。言わんこっちゃない。
「濡れたー」
「ほら、水瓶を貸して。顔を拭きなさい」
「にゃう」
手でぐしぐしと顔を洗う仕草はまるきり猫である。ケットシーなんだけど。
オーランは字と魔術をそれなりに覚え、料理の段階に入っている。今朝は朝露と霞集めに付き合わせていたのだ。
「朝露と魔術で出した水で淹れたお茶、違いはわかりやすいだろう」
「ンー。オーランどっちも好きー」
「……そこは好みだが」
お茶はストレートで、コーヒーはブラック派のケットシーなのだ、こちらは。ケットシーになってからコーヒーを飲んだことはないが。
「違いがわかればいいんだ」
「甘いのは、冷たいのがいいかも?」
「オーランは冷たい薬草茶も好きだものな」
「好き!薬草茶おぼえたー」
「そちらの甘いお茶も冷やしてみるか。冷却の魔法陣だぞ」
「にゃん」
冷蔵箱は中の空間の温度を下げ、一定にする魔法陣を定着させてあるが、瞬間冷却をするならまた別の方法がある。紙に丸く円を描いてもらう。
「冷却はなんの属性だ?」
「水属性!」
「そうだ。瞬間冷却をするから、ここに風属性を加える」
気化熱を利用しつつ、冷やす対象の周りの温度も下げる。熱が溜まっていたらすぐに冷えはしないからだ。
あと、これは我流だが、熱というのは分子の運動だ。この世界の物理法則がどうなっているかわからないが、分子運動を風属性で緩やかにして温度を下げるというわけである。
このあたりの説明はややこしいので、省きつつも簡単に説明して魔法陣を描かせた。そういうもの、という暗記パートも魔術にはある程度あるのだし。
そうして作った魔法陣でお茶を冷やすと、瞬間冷却をしているからか風味が落ちない気がする。温度管理という面では魔術はかなり便利だ。
お茶を飲み、さて二度寝と思ったところで鐘の音が聞こえてきた。オーランと二人で顔を見合わせる。
「新しい仔!」
「そのようだな」
そう頻繁にはない出来事に、さすがのケットシーでも目が冴えてきた。オーランは家を飛び出していき、こちらは食材の在庫を確認することにした。
なにせ、これから始まるのは祭りなのだ。
ケットシーの村で鳴らされる鐘は、ドルイドの木のうろがある大樹の鐘だ。大樹の高い場所には中が空洞になっている実がたくさんついており、それらが共鳴して鐘のような音が鳴る。
この鐘が鳴らされる機会は限られていて、今回のような柔らかい音色は新しいケットシーの発生を意味していた。
さて、妖精が生まれる方法は二種類ある。妖精同士が番ったときと、魔力溜まりから生まれるときだ。ちなみにこの番うというのも、人間や魔物のように生殖器があるわけではないことは明記しておこう。番になり、仔を成すための儀式のようなものがあるというだけだ。そもそも、エルフも含めた妖精に性別はない。
今回がどちらかはわからないが、ケットシーの仔が発生したときには村ではいつも祭りが開催される。普段は好き勝手に暮らしているケットシーたちだが、この時ばかりは集まって仔の発生を祝うのだ。まあ、大規模な猫集会みたいなものである。
そんな祭りでは、各々が勝手に何かをするスタイルだ。歌うケットシーは歌うし、踊るケットシーは踊る。ドルイドは光の玉を打ち上げるが、あれは花火のようなものだろう。
そして、食べ物を作れるケットシーは何か持ち寄り振る舞うことが多い。こちらもこのタイプだ。何をするにせよ、祭りに参加して新たな仔を迎え入れることが重要なのだ。
さて、食材の在庫を見たところ、小麦粉は次のパンを売るために取っておきたいからたくさんは使えない。チーズなんかも全員に行き渡らせる分はないだろう。
一方で、砂糖は大量にあった。ぽむ、と肉球を打つ。
「飴でも作るか」
配りやすいし、苦手な者も少ないだろう。採れたての霞を混ぜてかさ増ししてみてもいい。綿菓子みたいになるんじゃなかろうか?
思い立った勢いのまま鍋に砂糖をザラザラ入れる。鍋全体に熱の魔法陣を定着させ、小さな風魔術の竜巻を発生させつつ、霞を混ぜた。適当な棒を突っ込むと霞を巻き込んで溶けた砂糖がふわふわと棒に集った。
「うわ、いっぱいできるなこれ。うわわ」
くるくる巻きながらひとまずあるだけ作ってしまう。すぐに棒がなくなったので、魔術で集めて魔力で覆う力技を使うはめになった。
「レウルー、甘いにおい!」
慌てているとオーランが戻ってきた。新しい仔は見られたのだろうかと思うが、今はそれどころではない。
「あっ、オーランいいところに、すまない外で若い露管草を集めてくれないか」
「いいけど、なんで?」
「この綿菓子を作るのに必要なんだ」
オーランはとてとてと近づき、差し出した綿菓子を受け取った。
「魔力で包んである。レウルの魔力のにおいするー」
「うん、でも全部をこうしてると疲れるから。こうやって茎に纏わせて渡したら食べやすいだろう?」
「あまー。おいしー。かすみのあじ」
ためらいなく口に入れたオーランはにゃむにゃむと食べると、「わかった!」と元気に返事をした。
「肉球ベタベタになるね。茎ある方がいい。オーラン探してくる」
「近くにあるだけでいいからな」
「はーい」
露管草はその辺に生えているまっすぐな草で、中空でストローのようになっている。中に露が溜まるから、露管草というわけだ。若いものはまだ中空ではなく強度もそこそこあるし、集めやすい棒としては十分だろう。
オーランが露管草を集めている間に、こちらは屋台の準備をする。箱の裏に小さな穴を開けて綿菓子を挿せるようにするだけだが。こうしておけばみんな好きに取っていけるだろう。ケットシーの村の祭りには金銭のやり取りは発生しないため、全部無料配布である。
「取ってきた!」
オーランはすぐに両手いっぱいの露菅草を採ってきてくれた。本当にそこら中に生えているからすぐ見つけられたのだろう。
「ありがとう、オーラン。箱と鍋を運ぶのも手伝ってもらっていいかな」
「いいよ!オーラン、いいとこ知ってる」
ノリノリのオーランに場所の指定は任せる。祭りは広場で行われるが、この広場もなかなか広いのだ。その中でオーランは中心からちょっと離れた場所を選んだ。
「真ん中はみんな踊るから、ちょっとすみっこにする」
「それもそうだな。お、ゴルム」
同じように箱を運んでいるゴルムを見つけて声をかける。青い目をぱちぱちと瞬かせ、ゴルムもあいさつを返してきた。
「おはよう、レウル、オーラン。何を出すんだ?」
「こちらは甘い綿菓子を。砂糖を溶かして霞に纏わせたものだ」
「む、想像がつかない」
「ふわふわで甘いの!」
オーランは箱を抱えたままぴょんぴょんと飛び跳ねている。綿菓子を気に入ったようだ。
「あとで渡すよ。ゴルムは?」
「サリェが作った果物のシロップを水で割ったものだ」
「飲み物か。いいな」
「コップがそんなにないから、その場で飲んでもらうがな」
配るほどないのだろう。祭りはいつも突発的だから事前に用意できるものでもないし。
「ゴルム、隣にしよ。サリェくる?」
「サリェもリアハもトーヤも来るぞ」
「やったあ」
オーランは箱を置き、踊りだす。ゴルムもその隣に箱を置いて、布をかけた。サリェが作ったものだろうか、繊細な刺繍がされている。いいな、敷布があるとフリマっぽいというか。今回は箱に直接穴をあけてしまったし、鍋を置くから使えないけど、次があったら真似してみよう。
オーランが踊り始めて、釣られたように他のケットシーも混じり始めたので、とりあえず放置して鍋をセッティングした。家で作ってみた綿菓子はすでに何人かのケットシーが手に取っている。
「ふわふわー」
「あまー」
「かすみのあじ?」
「レウルの霞飴」
なんか勝手に名前を付けられているし。鍋で作っているところを見られるので、霞を使っていることがわかったのだろう。あっという間にその名称になってしまった。
「レウルのかすみあめー、あまくてふわふわかすみあめー」
客寄せするようにオーランも歌っている。ケットシーは気まぐれだが、興味を持つ者もそれなりにいた。
「こんな飴ははじめてだ。レウルが作ったの?」
「レウルがつくった!」
「レウルは面白いことを考えるね」
のんびりとしたケットシーとオーランがニコニコ話している。こっちは一度砂糖を入れると、とにかく飴を巻くのに必死になってしまうので、客の相手をしてもらえるのは助かる。
そのうちにゴルムの屋台にサリェたちがやってきた。大きなシロップの瓶を籠に入れている。リアハとトーヤはひとつずつ抱えているだけだが。
「あらまあ、レウルさん、オーランさん。お隣なのね」
「こんにちは、サリェ」
「サリェ!リアハとトーヤもこんにちはー」
時間的に昼を食べてから来たのだろう。トーヤはちょっと眠そうだ。
「レウル、オーラン」
「んん……れうる?」
手を振るリアハに釣られたようにトーヤはこちらを見て、ぱあと顔を輝かせた。
「なんかつくってる!」
「はい、トーヤ。霞飴だ。甘いよ」
こちらがサリェの家にお邪魔するときはたいてい食べ物を作った時なので、トーヤはこちらを食べ物をくれるケットシーとして認識している節がある。別にいいのだが。今も菓子を作っているし。
「ふわふわ?」
「リアハもほしい」
「リアハもどうぞ」
ねだられたのでリアハに渡してやると、二人してかぶりついた。トーヤはカッと目を見開く。
「とける!しゅごい!」
「あまー」
「サリェ!しゅごいよぉ!」
なんらかの琴線に触れたのか、トーヤは大興奮で少し舌が回っていない。サリェに「よかったわね」と頭を撫でられている。一方でリアハはマイペースにぺろりと一本平らげた。
「これどうしてるの?レウル」
「鍋全体で砂糖を熱して溶かして、風魔術で回転を作る。そこに霞を入れるんだ」
「おー。リアハもやりたい」
「いいよ」
リアハは器用に風魔術を操り、露管草の棒を突っ込んだ。くるくると霞飴を巻き取るのも様になっている。
「なるほど。わかった」
やりたがったのはトーヤが気に入った様子だったからだろうか。材料も使っている魔術も難しくないので、リアハなら自家製もできるだろう。
それを見ていたトーヤが手を挙げて近づいてきた。
「あ!こちらも!こちらもやる!」
「こっちにおいで」
トーヤはケットシーと暮らしているせいか、自分のことをこちらと呼ぶ。とはいえ、リアハとゴルムは自分を名前で呼ぶ派なので、誰の真似をしているのか不思議なのだが。
幼いトーヤは魔術を使えないのでリアハに風魔術を発動したままにしてもらい、棒を突っ込んで巻き取るところだけをやらせる。形がめちゃくちゃになっているが、ケットシーは細かいことを気にしない。トーヤが何かしているのを見て近づいてくるくらいだ。
「トーヤじょうずだねえ」
「お、トーヤが飴作ってるのか?」
「トーヤの作ったの欲しいー」
わらわらと寄ってくるケットシーたちにリアハとオーランが霞飴をどんどん渡していく。トーヤ、こちらより売り子の才能があるな。やや悔しい。いや、比べる話でもないのだが。
リアハと交代しながら風魔法を使い、霞飴は飛ぶように売れたのだった。




