第3話 駆け引きとセカンドインパクト
〈青野信也、君は何を考えている〉
〈元々こうする予定でした。少し早まりましたが、もう僕はほとほと日本に愛想が付きましたから〉
莉々と別れを済ませ、日原邸で過ごした翌日の正午、アメリカ政府の人間と思わしき人物が血相を変えて僕に会いにやってきた。
日本のメディアは混乱の渦になっている。
世界の方は全部を確認していないけど反応は様々だった。
発端は昨夜フランスで発表された、青野信也のフランスへの帰化の報道だ。
既に国籍も変更済みになっている。
それに伴いステータスの試練資格もJPNからFRAへと変化していた。
僕と彼が面会しているのもフランス大使館だった。
〈散々いいように利用されましたからね。昨日なんて開口一番で日本国籍を捨てろだなんて言って来る政府ですよ。それに引き換えフランスは良くしてくれましたし、マーレもいますから〉
元町さんは最後まで僕の味方だった。
あの日周りにいた職員は僕の知らない人だったし、どうも元町さんを警戒するような態度を取っていた。
そして彼の言った日本国籍を捨てろと言った言葉が引っ掛かっていた。
伝え方としては悪かったし、気遣いを欠かさない彼らしからぬ言動だった。
莉々と別れてから憂いが無くなり頭が冴えていたのか、そのひっかかりから考えを整理し、今回の行動に思い立ったのだ。
日本国籍を捨てろとは、アメリカに帰属しろという意味合いではなく、交渉が出来ない日本人としての立場を捨て、別の立場になるようにという、監視の中で絞り出した彼の助言なのだと。
この際だからマーレとのゴシップも、この場に限り利用させてもらう。
僕が営利目的で動く人間じゃないのは理解されている。ならば愛が行動理念という事なら辻褄も合う。
オフレコの場でしか使わないから許してほしい。絶対衆人環視の前では硬派を貫く所存。
〈確かに日本政府は我々から見ても、君を頼りにして何の成果もあげていない。しかしただのゴシップかと思っていたが、まさか真実だったとは……〉
あれ、そっちの方が強い動機と思われているのかな?この人の考えだし別にいいか。
〈そういうことです。交渉は日本政府ではなく、フランス政府に行ってください。あなた方がフランス政府に救援を依頼するのであれば、相応しい試練資格者が派遣されるはずです〉
マーレを通じて政府の人間とやり取りしたが、アメリカに対して彼らは何ら譲るところがないとのこと。対等な交渉が可能だ。
ヨーロッパを救った英雄の頼みだからと、思う存分利権をもぎ取ってくることを約束してくれた。
いいぞ、骨の髄までしゃぶり尽くしてやれ。
日本に対して行ったような無茶が効かないと分かれば、アメリカも僕をフランスから帰化させて、アメリカ人にするなんてことは出来ない。
こんな状況でそんなことをすれば、今まで隠していた思惑が完全に露呈することになる。
一番困るのは救援を依頼しなかった場合だが、それについては一つだけ切り札がある。
切った瞬間、物事がどこに着地するか分からなくなる上に死者も出かねないから、使いたくはないけど。
〈僕個人としても、早急に依頼が来ることを期待しています。もう日数は残されていませんから〉
〈……君はフランスの人間となった。ならばなぜ、誰の意志でもなくそう言葉に出来る〉
〈誰かを助けたい気持ちに国境は関係ありませんよ。困っている人を見かけたら助けるものでしょう?〉
その言葉に虚をつかれたかのように固まり、納得の顔を見せた。
硬かった顔が僅かに解れて口角が上がる。
〈……アメリカは交渉相手を間違っていたようだ。今回はフランスに依頼かけるが、今後は君個人に依頼をかけたいものだね〉
〈お待ちしてますよ。そっちの方が僕は楽です。政府が絡むと面倒臭いので〉
その言葉に大笑いした後、彼は真面目な顔で敬礼を返し、急ぎ去っていった。
これで算段はついただろう。
難しい話はフランス政府に任せて、僕は攻略の準備を進めることにした。
アメリカの異層空間に辿り着けたのは、試練開始から95日目のことだった。
アメリカがフランスの要求をほぼ全面的に飲む形で決定した。
結構な前報酬、成功報酬を支払わされるようだ。
報酬は僕にも一部還元される。
あぶく銭だから報酬は受け取らず、奈落の受胎の被害にあった人たちに全部寄付しようかと思っている。
こういうお金は自分のために使わないほうがいいことは、今までの転生人生でしっかりと学んできた。
唯一フランスが譲歩したのは、アメリカの試練資格者が攻略した場合に限り、アイテムを拾得することの出来る権利だ。
エーテル結晶は他の海外の異層空間と同じく、どう転んでも僕の物らしい。
ほぼ相手に益のない条件だ。一体どんな交渉がなされたのか怖くて聞けない。
異層空間の前は基地のようになっていて、攻略にかけた時間と本気度が伝わって来る。
軍人が多く、空気がピリピリしていて僕の場違い感が凄い。
案内の人に連れられて作戦本部に向かっているが、視線が集まっていることが分かる。
既にフル装備でいるから、僕が誰だか一目でわかるのだろう。
「マーレ、どうして僕と腕を組んでるの?」
「油断しては駄目よ。この国はフランスから信也を奪おうとした相手なんだから。どんな手段に出るか分からないわ。特に色仕掛けでもしてこようものなら返り討ちにしてあげるっ」
ウンディーネクロスを装備した腕の拳を握りしめ、余計密着してくる。
それなら両手は使えるようにしておくべきでは?
後その時点では僕は日本人だから、フランスから奪われようとしていたわけじゃない。
何も感じ取ることが出来ない異性の感触に対して、装備を着るのが早すぎたかという後悔と、これでよかったという安堵が僕の中に渦巻いていた。
何だかんだ、僕の意識も思春期に染められてきたな。
マーレは僕がフランス大使館に滞在中に、日本にやってきて合流した。
よく分からないけど、前の病院の時のように甲斐甲斐しく世話を焼こうとしてくる。
今回の同行はフランス政府のお目付け役なだけで、異層空間に挑む予定はない。
作戦本部に着いたので、腕は外してもらい中に入る。
〈ようこそ、フランスの「水の乙女」、そして「天竜殺し」。お待ちしていました〉
そこにはこの基地の代表の男性と、僅かにお付きの人がいるのみだった。しっかり人払いがされている。
ところで今言った水の乙女とか、天竜殺しって何のことだろうか。ちょっと体が痒くなってくる。世界縦断中もちょくちょく聞いていた気がするけど。
マーレは特に反応していないことから、そう認識されているのを知っているようだ。
何度も言うが、僕は天竜殺してない。
〈早速現状の攻略状況と、判明している情報をお願いします。なるべく早く攻略に移りたいので〉
男性は頷き、手早く端末を準備してスクリーンに投影する。
立体映像が現れ、SF映画みたいだ。日本との、いや世界のどの国とも差というか気合の違いを感じる。
そりゃいくつも異層空間を攻略するはずだよ。
〈摩天楼と名付けられた迷路に対して、我々は400人体制で攻略を進めています。こちらが今現在埋められた迷路の地図です〉
スクリーンに映されたのは膨大な量の複雑な迷路だった。
全て直線ではあるが、道がいくつも分かれている。
ここまで人を投入したのは、その分かれ道を埋めるためだろう。
迷路と聞いて今日は持参してきたが、これでは物臭の地図もあまり頼りにならないかもしれない。
100日かけるなら意味があるけど、5日ではまともな方法は使えない。
〈なるほど、これだけでも相当な広さですね。壁を登って迷路の上を進むというのは試しましたか?〉
〈もちろん試そうとしましたが、この壁は上が確認できないほど高く、壁自体も恐ろしく硬い。表面は油でも付着しているかのように滑り、硬い壁に苦労してハーケンを打ち付けても、数秒もすれば壁が再生し抜け落ちてしまう始末です〉
一番に試すよね。
ハーケンを打ち込めるくらいに固い程度なら、迷路の壁をマサムネで掘りながら真っすぐ進めそうだけど、正解の方角も分からないままじゃ悪手か。
〈アメリカの避難は進んでいるんですか〉
〈いえ、一部のものだけでほとんどの住民は……つい最近までアメリカは混乱の渦にありました。あなたが来たことで多少は落ち着きましたが……我々としても何故もっと早くに救援を寄こしてくれなかったのかと…。すいません、あなた方に聞かせても仕方ない話です〉
表情を顰め、目には苛立ちが浮かんでいた。顔色は良くなく、疲労が濃い。
この人は現場側の人間だろう。どこまで事情を知っているか分からないが、政府の思惑などよりも、早く異層空間を消滅させねばという思いを募らせていたに違いない。
〈分かりました。僕は単独で挑みますので、他の試練資格者の方は引き続きお願いします〉
〈あの、アメリカの試練資格者の人間をお付けします……人員は多い方が〉
〈いえ、僕に付いてこれないと思うので遠慮します。とにかく時間との勝負ですから。早く攻略して、この国の人たちを安心させてあげましょう〉
男性は僕の言葉を聞いて、ガタガタと震えだして顔を赤くしていた。
目がバッキバキに開いて鼻息が凄い。
歓喜という言葉がこれほど似合う表情もないだろう。そんな衝撃を受けるようなこといってないはずだけど。
マーレもそこまでじゃないが両手を握りしめて、僕のこと拝んでいた。なんで?
摩天楼の攻略について、僕なりのやり方を決めた。
話や資料を見ても実現は可能だし、一番早いだろう。
ただし、僕はこの異層空間が、ただ迷路をゴールして終わりのようには思えなかった。
今までの異層空間には全て統率個体という怪物がいたのだ。
仮に統率個体が最奥にいて、時間以内に辿り着けたとしても、そいつに勝てる武力がなくては意味がない。
アメリカもかなりの数の異層空間を攻略しただろうが、迷路に多くのリソースを取られていても、100日という最大難易度の統率個体に勝てる戦力が存在するのだろうか。
この基地に残る全ての人たちの敬礼を受け、異層空間の目の前に立つ。
なんかカメラも勝手に回されてるけど、まさか全米に放送されてないよね。
許可した覚えはないが、安心材料として有用というなら我慢する。
そして何故か手前まで付いて来るマーレ。
装備はウンディーネクロスだけだから異層空間まで入ってこないだろうけど、こんなギリギリまで来なくてもいいのに。
彼女から目を逸らし、巨大な球体を見上げて意識を試練へと向けた。
「マーレ、行ってくるね」
「行ってらっしゃい、私の英雄」
既視感のある柔らかい感触が頬に当たった。
驚いて振り返れば、マーレの顔が近くにあり、何が起きたのか悟った。
意識が異層空間に向いていたため完全に不意を突かれた。
二度目の、しかもこんなに人のいる目の前で口付けをされて、驚いてマーレを見詰めて固まった。
彼女は何を勘違いしたのか満足げに微笑んでいる。
僕らの様子に、周りからは大きな歓声が上がった。まだ異層空間消滅させてないから、それはとっといてほしい。
いったい何を考えてこんなことを……え、なんか今強烈な寒気が走ったぞ。
命が危機な時ですら感じたことのない、超ド級の寒気だ。
不味い事態に陥ったような気がする。
異層空間に逃げよう。そうしよう。
怒り狂ってメッをしようとしていたテンマを優しく手の中に拘束し、『相棒の隙を突くとは、胸のでけぇ姉ちゃんもやるねぇ』と言いながら爆笑するマサムネを伴って、僕は締まらない気持ちのまま異層空間の内部に侵入した。




