第5話 奈落の受胎とアモン
「クシンッ」
「元町さん、風邪ですか?」
「いいえ、体調は問題ありません。風邪なんて大人になってから掛かったこともありませんし、誰か噂でもしているのですかね」
ここは空の上。プライベートジェットで移動中だ。
琴羽のニュースでの発表や、各国の政府同士の交渉で、日本のみならず世界各国から支援を貰えるようになった。
現地までの移動はジェット機、輸送機、セスナ機、ヘリコプターと空路を使い、最速でなるべく多くの異層空間を巡る。
元町さん曰く大分タイトなスケジュールらしい。
このジェット機はベッドルームがあり、この中でも睡眠が取れる。
僕もさっきまで眠りこけていた。そろそろ目的地に到着なので今は座席に腰かけている。
瀬尾さんに頼んだ手紙はもう春香の元に渡っただろうか。
怒って破り捨てていなければいいけど。もしそうなっていたら三行半を叩きつけられたようなものだ。
日本に戻ってきたときに瀬尾さんに連絡して結果を聞いてみようかな。
「琴羽さん、あなたはご自分の立場というものが分かっているのですか」
「ううう、ボクも一緒に寝ようとしただけじゃないですか」
「同じベッドで、が抜けています。相手は未成年ですが年頃の男性ですよ、まったく」
琴羽は通路を挟んだ斜め前の席で女性から説教されていた。
説教をしている女性は、今回初めて同行する政府の職員で元町さんの部下の人だ。
その正体は前に母さんに対して高圧的にいろいろ言った人物、渡辺さんである。
個人的にはあんまり関わりたくないけど、この人が例の試練対策室の長官が派遣した私兵化の詳細を進める人間で、今回の試練のサポートを行う人物だった。
もっと人選あったと思うけど僕が文句を言える立場に……いや、あるかもしれない。
あんまりあれだとばっさり切り捨ててもらおう。
今のところ寝ている僕に、琴羽が添い寝しようとするのを防いでくれたりと悪くない働きをしてくれている。僕は声を潜めて元町さんに耳打ちした。
「渡辺さんはどういった方なんですか?」
「いわゆる政府のキャリア組ですね。まだ2年目なので実績こそないですが。ただ彼女には気を付けてください」
嘘、30後半くらいだと思ってたけど、社会経験2年目だと大学院を出ていたとしても20代だ。
「私の部下ではあるのですが、スタンドプレイが多いと言いますか……突拍子もないことを平気で仕出かしてきます。運が良いのか問題に上がるほどではないので、お咎めは今まで無かったのですが……」
ええ、何それ怖いんだけど。ナポレオンさんの格言を思い出す。
命懸けなのに背中に注意とか勘弁。
「あの、何もまだしてないんですよね?既に問題を起こしていたりは……」
「流石にありませんよ。渡辺が信也様関係でしたこと言えば、一部の宿や移動手段、スマホの手配くらいです。問題はなかったでしょう?」
「そうですね。それを聞いて安心しました」
元町さん意図的に僕に関わることや重要な仕事は振らなかったのかもしれない。これからもそうして欲しい。問題行動以前に個人的にも関わりたくないし。
ちなみにこのジェットにはテレビクルーもいる。琴羽がドキュメンタリー用の撮影とか言ってたかな。
説教をされている今もカメラが回っているが、こんなところは使われないだろう。
出来るだけ同行はするようだが、同行が難しい場合は容赦なく置いて行く。
配慮している所為で遅れがでて、世界が奈落に変わったら最悪だ。
「始めはフランスのルアーブルですよね。確か異層空間の名前は『アモン』、ヨーロッパ周辺はソロモンの72柱の悪魔になぞらえた異層空間だとか」
「はい、その特徴通りと言いますか、日本の異層空間とは趣が大分異なりますね」
ソロモン関連の異層空間の数は72。
ヨーロッパを中心にユーラシア大陸に西側に広く分布している。
難易度は比較的難しくないらしく、環境耐性や炎熱耐性などの前提条件はほぼないが、統率個体に特徴的な能力があり、その辺りがネックになる場合がある。
難易度が低いと能力がナーフされるので、分からずに倒してしまったりもしているらしい。
今回の攻略を依頼された高難度の異層空間は全部で5つだ。
『オロバス(フランス・カンヌ)・・・・・・・40日
アスモデウス(チェコ共和国・プラハ)・・・・・・・40日
アスタロト(イタリア・フィレンツェ)・・・・・・・・40日
アモン(フランス・ルアーブル)・・・・・・・40日
バエル(バチカン市国)・・・・・・100日』
日本と違いバランスが悪い。というか日本悪い意味で贔屓されていないだろうか。
72の異層空間は多いが、それはヨーロッパ周辺での話だし微妙に納得がいかない。
試練の終わりに僕を呼び出すあの存在が、何かしてないか疑いを抱いてしまう。
ついでに言うとヨーロッパは多くの犠牲者を出したが、自力で50日の難易度の異層空間の攻略に成功している。
だったら何故40日が駄目なのかというと、リソースが統率個体に集中しているためだ。
そういった相手と戦うにはどうしても人の限界を超えるか、初めから大量の死者を出す作戦で挑まなくてはいけなくなる。
この先何があるか分からないので、目先の利益より試練資格者の命を優先したのだろう。
政府の決定というよりは、試練資格者ないし国民が嘆願したのかもしれない。
攻略されていない異層空間でも、一度は挑んでいるので情報はあるが、バエルについてはほぼ分かっていない。
異層空間に入って数分と経たず、何者かの攻撃によって試練資格者は亡くなった。
唯一確かな情報は、嵐が吹き荒れる鬱蒼とした大地が舞台だったというくらいだ。
フランスのパリに降り立ち、そこで軍用ヘリに乗り換えてすぐさま現地に向かった。
目的の異層空間は海岸線に伸びた岬の先に有った。
黒い球体のほとんどが海の上で邪魔にならない位置にいる。
異層空間の近くへ設営された大型のテントがあり、あの中に現地の試練資格者がいるらしい。
プライベートジェットのメンツはこの場に全員いる。
「あーあ、ここまで何処にもよらずに最速だよ。勿体ないなあ……異層空間がなければ信也とパリでデートできるのに」
「異層空間がなければ、そもそも来てないよ。あとデートもしません」
お互い軽口を交わし合い、テントの中に入る。
20名ほどの軍服を着た人たちが一斉にこちらを見た。軍人のようでガタイがヤバイ。
僕のもやしっぽさが際立つ。
歓迎ムードのようで色々声を上げているが、一斉に話されるとちょっと分からない。
化け物退治で以前フランスにも来たことがあるけど、結構昔だし言葉を思い出すのに時間がかかりそうだ。
テントの中で異彩を放つ人物が、僕らの前に来て日本語で話かけてきた。
「はじめまして、青野信也、日原琴羽。私はフランスの試練資格者でメリクール・マーレ。よろしく。こちらは同じく試練資格者のオーギュスタン・リゴーよ」
見事な金髪碧眼の美女だ。ローブのような白い服に鈍色の金属の保護具を取り付けたいわゆるドレスアーマーのいでたちだ。手には金属の棍棒が握られている。
余談だが胸が凄く大きい、余談だが。
外国人なのにかなり童顔に見えるけど、成人してるのかな?
マーレさんを見詰める僕の横顔を琴羽がジッと見てきた。視線をマーレさんから隣の人に移す。
リゴーと紹介された男性は黒髪紫眼で浅黒な肌にガチムチボディーをしていて、口を真一文字に結んでいる。この人は他の人達のように軍服だ。
余談だがこの人も胸が大きい、余談だが。
「よろしくお願いします。早速ですが異層空間内部のことを教えていただいても?」
マーレさんが頷くとリゴーさんがノートパソコンの画面をこちらに見せてくる。
どうやら編集された配信映像のようだ。内部は結構暗いな。
「異層空間内の敵は統率個体が一体。配下の者はなし。暗い神殿の中みたいな場所よ」
「統率個体の詳細な能力は分かりますか?」
「私たちの装備はアメリカから貰った資源で作成したものだけど、硬度や靭性は鉄以上あるわ。その装備でやっと傷付けられるくらいの硬さよ。それ以前に身体能力が人間と違い過ぎて、小さな傷を一つ付ける間に10名が倒され部隊が全滅したわ。好戦的でこちらを視認した段階で接近してくるのが特徴ね。特別な能力は確認できていないわ」
物理方面の特化中の特化なわけか。
映像の中の統率個体の姿は黒い鎧のような外装を持った人型だった。
武器を持っていない。外見と環境の所為で視覚頼りでは見失いそうだ。
「わかりました、今回は僕一人で行きます」
「はあぁ!?」
マーレさんに大きい悲鳴を上げられて耳がキーンとなる。
周囲の人も何事かと慌てている。琴羽は不満そうに僕をねめつけた。
「え~またボク補欠なの?」
「この相手は一対一で戦った方がやり易いし、あんまり琴羽の経験値になりそうにないし」
「しょうがないなあ。次の異層空間に着くまで膝枕させてくれたらいいよ」
「わかっ……いや、おかしくない?何で僕が戦うのに譲歩したみたいな空気出してるの?」
「ちょ、ちょっと待って、この統率個体は本当に強くて、フランスであなたに何かあったら……」
マーレさんが詰め寄ってこようとするが、琴羽に肩を掴まれ止まる。
力の差があるためガクンと急停止させられていた。
「はいはい、信也に近付かないでね。言っちゃなんだけど、この程度で信也の心配する方が失礼だから」
僕は琴羽に後宜しくというように手を上げてジェスチャーをする。
「元町さん、それでは行ってきます。移動の準備をしておいてください」
「分かりました、ご武運を」
「元町さんっ、日原さんも同行すべきですよ、油断して何かあったら……」
渡辺さんが何か言っている気がするけど、琴羽が相手をしてくれているのでさっさと異層空間に入る。リソース交換の間は直ぐに抜ける。
多少強引だったかもしれないけど、少し妙な感じがするからここから早く移動したい。
マーレっていう人、フル装備だったから同行する気だったように思える。
一目見て琴羽も気付いたようで、警戒しろとでもいうように視線で注意してきたし。
『主様、正面200mからかなりの速度で接近してくる、大きな力の持ち主がいますですっ』
『予想通り見え辛いな。テンマ、距離のカウントお願い』
異層空間の内部に入ればいきなり敵意をぶつけられた。
僕は白鷺を抜き、八相に構えた。
『100、80、50、20、っ後ろですっ!』
音の無い暴力が背後から迫り、僕のわき腹へと突き刺さる。
それは統率個体の左足だった。
特殊能力がないとか嘘だろ、どう考えても姿を消すか超短距離瞬間移動の能力を持っている。
しかし僕のわき腹を捉えた蹴りはその威力を発揮することなく、ボスンとクッションを叩く程度威力しかなかった。
その蹴りが当たる直前、既に統率個体の体は左肩から右の腰にかけて、真っ二つに切り裂かれていた。
蹴りが当たったのは切られた直後で運動エネルギーが残っていたからだ。今は黒い炎によって燃えカスになっている。
意外と強かった。今の琴羽でも1割位の確率で一撃くらいもらっていたかもしれない。
残心を解いて刀を鞘に納めた。
『ふええええ、主様どうやって倒しちゃったのですかっ!?わたくしの合図では間に合いませんでしたのに』
『存在している以上、空気の揺らぎみたいなものがあるからね。条件反射みたいなものだよ。テンマにカウントをしてもらったのは、それに合わせて感覚を集中させたかったんだ』
『まあ相棒がすげぇのは今更だな。こいつは最後の地獄の鬼の10分の1も強くなかったし』
『じゃあ帰ろうか、今日中にフランスは終わらせたい』
僕は黄色い石を拾い上げる。
日本の地獄と同じように空間が罅割れ、砕け散った。
「お帰り~やっぱり特化型だと楽でいいよね」
「楽なのかな?まあ時間は掛からないから助かるけど」
琴羽の出会い頭のハグを躱わしつつ会話する。
僕が異層空間にいたのは正味1分くらいだろう。
移動時間はその何倍だったのだろうか。
「元町さん、移動の準備は……流石に無理ですよね」
「申し訳ありません、カメラクルーの皆さまの準備がございますので、少々お待ちください」
元町さんに動揺はない。いや、分かり辛いけどちょっとドヤ顔してる。
渡辺さんは絶句していた。
フランスの皆さんはポカーンと口を開いて、固まっていた。
折角異層空間が無くなったのに誰も喜んでいない。驚きすぎてリアクションが取れなくなっているようだ。
〈え、今一体何が起きたの?信也が異層空間に入って、配信始まって、終わってた?え??〉
マーレさん、フランス語になってる。
一人ならヒアリングは今でも大丈夫そうだ。
「それじゃあ、僕らは準備が出来次第カンヌに移動しますが、良いですよね?」
「は、はあ……」
本当にいいのだろうか。生返事でも返事は返事だ。
カメラクルーが慌ただしく撤収するのを待って、その日のうちにヘリでカンヌまで移動し、次の異層空間に挑むこととなった。




