第20話 sideクラスメイトH 阿鼻地獄の戦い
今日は授業にならないだろうという予感があった。いや、確信と言っていい。
日本にとって一大事となる。
今日ばかりは、仕事も授業も全てが些事となるだろう。
それでも日常は流れるので、一定数はその一大事を目撃できないわけだけど。
そんな一定数である僕は、教室で机に突っ伏していた。スマホを眺めながら。
画面には、日原琴羽のライブ配信の予定時刻が表示されている。もう待機人数は800万人と信じられないくらいの値になっている。
しかしこれでも少ない方だ。世界中で異層空間が攻略されていることと、時間帯的に見られる人間が限定されているからだ。時差がある国は別だけど。
「橋本君おはよう、早いね」
「お、おはよう瀬尾さん……」
学年でも男子の人気がトップクラスに高い、我がクラスの女子生徒に挨拶される。
他にも男子のファンの多い、張本さんと安藤さんの二人がいてそれぞれ挨拶してくれた。
この子たちはフレンドリーだし、男子と話していても女子特有の空気をあまり作らないので話しやすいけど、如何せん顔面偏差値が不足している身としてはお近づきになり辛い。
三人は荷物を置いてから集まって何やら話している。
まだ人も少ない時間で静かなので、話し声が耳に入ってくる。決して盗み聞きをしているわけではない。
「いよいよだね……青野君、大丈夫かな」
「前回にしても、とんでもない場所で、とんでもない敵と戦ってたし、それ以上になるともう想像もつかないよ」
「二人とも息が合ってたよねぇ~。由佳ちゃん的にはどうだったぁ~」
のんびりした口調で割と際どい話題を安藤さんが言った。クラスメイトが気になっている話題だ。
日原琴羽さんと青野君の関係は色々と取り沙汰されている。
彼女の言動や行動がただのからかいなのか本心なのか謎なのだ。
命を預け合う戦友の間柄だから、気安いしお互いを大切に思うというのは分かるけど、それが愛や恋に結びついているのかは明らかになっていない。
青野君の方は塩対応なので、全くそんな気がないのは良く分かるけど。
「青野君の助けになる人がいて良かったよ。日原さんは最近メキメキ強くなってるし、頼りになるよね」
「ふーん……」
「へぇ~……」
「な、なにその眼は。何か言いたいことでもあるの?」
何とも教科書通りの回答だった。そういうのを聞きたいわけではなかったであろう張本さんたちは、ジト目で瀬尾さんを見詰めている。僕はそっと彼女たちから目を逸らした。
徐々に生徒が集まり出したが、皆は到着するや否や今日の攻略の話で持ち切りだった。
担任の先生が来ても興奮冷めやらぬ様子で、気もそぞろだ。
「ホームルームは以上だ。それじゃあ次の授業に遅れるなよ」
「せんせー、今日は授業どころじゃないですよ、配信見せてくれないんですか」
「青野君が戦うんですよね、気になってしょうがないですよ」
担任の犬木先生は頭が痛そうに眉間を揉む。
「他のクラスが授業受けてて、お前らだけに見せるわけにはいかないだろ。俺だって見たいさ、でも授業が入ってて見れないんだよ。裏切りは許さん」
いや本音。
先生も見たいらしい。
最初の頃は大して興味もなさそうだったが、青野君の配信限定でよく見ているそうだ。もう立派なファンと言えるだろう。
「隣のクラス担任は朝早くにプロジェクター設置してましたよ」
「は?あいつマジかっ、俺の次の授業は隣のクラスだぞ。ちょっと見て来る」
クラスメイトの一言で犬木先生が教室を飛び出して教室がざわつく。
何やら声が聞こえるがよく分からない。
数分して犬木先生が戻ってきた。
「……よし、時間割を変更して隣のクラスと合同授業だ。授業内容は映像鑑賞、後で感想文出してもらうからそのつもりでいろ」
その一言に教室が湧く。犬木先生、一生ついていきます!
隣のクラスに移動し、机や椅子を廊下に出して、座るスペースを確保。
準備万端の態勢で時刻は九時を迎えた。
プロジェクターで投影されたスクリーンに某配信サイトの映像が流れる。
先生の持ち込んだ映像機器も音響もかなり良いもので見やすい。気合入りすぎだ。
そして映像が切り替わり、直ぐに超有名人二人が映り込む。
日原さんは元々美人だったが、最近益々綺麗になったと噂だ。
特に焦熱地獄の辺りから爆発的にファンが増えていた。
未だ青野君と絡むのが許せないアンチもいるみたいだけど、二人のコンビを肯定する意見の方が多い。
青野君は特に変わらない。
優しい感じの顔で、雰囲気は教室にいるときのような穏やかさだった。
その実、芸能人の日原さんより圧倒的な知名度と人気を誇っているけど、学校でクラスメイトとして眺めている分には普通の少年にしか見えないから不思議だ。
「皆さんおはようっ、日原琴羽です!今日は富士山の麓に来ています」
「おはようございます、青野信也です。今日はいよいよ最後の異層空間に挑戦します。いや~でっかいですね……」
戦装束に身を包んだ彼らの背景には、カメラに納まりきらない黒い球体が映されている。
「東京ドーム何個分かな?」
「知らないよ。そもそも東京ドームの大きさを知らないから……あ、スタッフさん……約10個分だそうです」
「あれが10個か……よく分かんないね」
「僕もよく分かんない」
何とも緊張感のない会話だ。日本最大の試練を前にしても彼らは平常運転だ。それがとても頼もしい。
「んじゃ、そろそろ行っちゃう?」
「ああ、行こう。それじゃあ皆さん、次もまた会えることを願って」
「バイバ~イ」
配信が途切れて映像が止まる。
そして1分もしないうちにライブ配信の通知が出た。
リソース交換の間というものがあり、そこにいる間はライブ配信が待機状態になる仕様の様だ。
ライブ配信が開始されて映し出されたのは狭い空間だった。
今までは近くてもギリギリ肉眼で壁が見えるかどうかだったのに、今回は閉鎖的だ。四方が500mくらいしかない。
岩の壁や天井にはマグマのような赤い線が走り、鼓動のように脈打っている。
「琴羽、気配は分かる?」
「……うん、ボクでも分かる。今までと比べ物にならないくらい強い……周りの鬼も大叫喚地獄の統率個体並の強さはありそう」
「異層空間のリソースを全て自分と配下に集約させた特化型だ。フラグ回収おめでとう」
「あははは、有り難うでいいのかな……」
二人が会話しながら歩いて行けば、鬼の集団と会敵した。
そいつらは襲ってくることなく、青野君たちに視線を向けるだけだった。
一番奥にいた鬼がゆっくりと彼らの前に歩み出てくる。その胸には黄色い石が光り輝いている。
大きな二本角に、腕が四本ある異形の鬼だった。
「お前たちが試練に挑むものか……」
ガラガラとした響きの低い声。聞いているだけで恐怖感が吹き上がって来る。
オムツが必要だった天竜ほどじゃないけど、この鬼も配信越しに死の恐怖を叩きつけてくる。
ていうか喋ってるよ、クラスがざわざわと五月蠅くなる。
「気分が悪くなったものは無理に見るな。戦闘が始まればこれよりヤバいぞ」
犬木先生から注意の声が掛かるが、教室から出る人はいなかった。既に顔色の良くない人もいるけど、我慢するみたいだ。
「ああ、僕たちが試練に挑むもので合ってる。それにしても言葉が喋れるほどの知性を獲得した個体か。いつか出てくるとは思っていたけど、70日の難易度からか……」
喋る鬼に対してリアクションが薄い青野君。
一体彼にはどこまで見えているのだろうか。隣の日原さんにしたって、驚いた様子もなく鬼に警戒を向け続けている。
「我と一対一で戦うなら、こやつらには手を出させない。二人で来るなら全員で対処させてもらおう」
「そうか、なら僕が出よう」
「信也、ボクだってやれる」
「まだちょっと早いかな。あの鬼相手じゃ、勝ち目は3割くらいだろうね。このまま僕が戦ってもそんなものだけど」
何でもなくそう言ってのける青野君にぎょっとする。今この場で彼が死ぬかもしれないなど想像だに無かった。教室に息を飲むような悲鳴が上がる。
「だから、真面目に戦うよ」
青野君はたすき掛けにしていたマサムネをその背中から外した。
来るのか、いよいよ来るのか。
「お、マサムネ来た!これで勝てる!」
「散々勿体ぶってきたからな。今までも使ってたんだろうけど」
「え、斎藤君その話信じてるの?」
「青野って別に俺らと歳も体格も変わんないじゃん。だから強く見えるのは全部マサムネの力だろ」
「でもマサムネの力を使うと体に良くないんだよね……」
「え、なんで?」
思わずそう言葉を漏らしていた。
青野君は日原さんにマサムネを預けた。日原さんよろけてたたらを踏む。
あろうことかマサムネ手放してるよ。
みんなも「はあっ!?」と叫んで驚愕を露わにしていた。
「マサムネを頼んだ。流石に重りありだと厳しいから」
「おっも!鍛えてる私がふらつくなんて、何十キロはあるよ……こんなのずっと持って、走ったり戦ってたりしてたの!?」
『おい、俺っちをこんなのとかいうなよ、金属なんだから重いのは仕方ねぇだろ!』
有名どころの考察では、青野君の驚異的な身体能力はマサムネを持っているからだとされていた。
それに対してアンチみたいな言動をとる人もいるけど、斎藤君を始め内容自体は割と信じている人も多い。彼が技能を何一つ持っていないからだ。
異層空間の内部でも背中に常に帯びているから、命に影響のない範囲で身体強化を使っているのだろうと考えるのは自然なことと言えた。
だけど事実は逆だった。まさか重り代わりにしていたなんて。
青野君は軽く調子を確かめるように肩を回す。
「さて、待たせたね。そちらも準備はいいかな」
「ああ……来い」
いつの間に手下から武器を受け取り、その手には斧、槍、太刀、金棒が握られている。どれも巨大で凶悪な威力を秘めていることは疑いようもない。
そんな鬼に対して、青野君は白鷺を抜き、ゆっくりと歩く。
ずっ、ずっ、ずっと、地面を擦るような歩き方。
鬼に近付くにつれ雰囲気が変質していく。戦いのスイッチとでもいうのだろうか。
穏やかな人らしい雰囲気が消え去り、一本の刀のように鋭い何かを纏っていく。
その画面越しでも感じれるほどの緊迫感に、教室にいる人間は言葉を漏らさず、ただただ食い入るようにスクリーンを見詰めた。
「ごああああああっ」
「シッ」
まだ十分な間合いの範囲で鬼が先に動いた。
踏み込みと同時に砕けた岩が弾け、瞬きの速さで青野君との間合いを潰す。
速度の乗った槍の矛先が繰り出され、青野君を襲う。
迫りくる槍を左手でいつの間にか抜いてた小狐丸で逸らす。
右手の白鷺は次に鬼が繰り出していた斧の柄を切り裂いていた。
だが鬼の腕は四本ある。カニばさみのように左右から迫る得物を防ぐ手段はない。
太刀と金棒の二つの得物が交錯しぶつかり合う。
火花が散る、そこに青野君はもういなかった。
鬼の脇腹、大腿、右上の腕の付け根から鮮血が飛び散る。
鬼の背中に背中合わせで刀を振り切った青野君がいた。まるで見えなかった。
「ぐぎゃああっ、貴様っ」
鬼はがむしゃらに後ろへ金棒を振り被るが、体を捻りながら軽くバックステップを刻んで躱す。
だけど次の瞬間には鬼の眼前に迫り、白鷺と小狐丸で鬼の体を切り裂き出血を強いる。
堪らず鬼は出鱈目に武器を振るい、手下のいる場所まで下がった。
手にした武器はどれもボロボロで、斧や槍に至っては柄しか残っていない。いや、槍を持っていた腕に至っては指が無くなり武器が持てなくなっている。
「二刀流だっ、すげえ……」
「今ので何回切ったんだよ、早すぎて見えないぞ……マジでマサムネ重り扱いだったんだ」
「誰だよ、地獄の試練はマサムネで身体能力してるとか言ってた奴、ガセもいいとこじゃん」
鬼は手下から武器を受け取り取り替えたが、指を失った手には何も持っていない。
「何故仕掛けてこない。情けを掛けたつもりか」
「お前が言い出した一対一のルールだ。武器交換の時に切りかかったら、まとめて相手にする羽目になるだろ」
「……そうか」
短い言葉の応酬から今度は青野君から仕掛ける。スピードというより技術だろう。
相手の攻撃の機先を制し、自身の間合いまで難なく接近して鬼に向けて白鷺を振るう。
鬼は武器ではなく使えなくなった腕で攻撃しようとしたが一太刀の元、肩ごと両断される。
しかしただやられるだけでなく、上段から既に太刀を持つ手が振り下ろされていた。
青野君は体をコマのように回し、小狐丸で受け流しを図るが、そこにコンパクトな蹴りが迫る。
「うっ、ごああああっ」
だが当たらない。まるで風に吹かれる柳のようにふわりと足の先を躱し、無防備に差し出された膝を、自身の肘と膝を咢のように合わせて砕き折る。
鬼の絶叫があたりに響き渡り空気を震わせた。
悲痛な叫びに鳥肌が立ったが、青野君の瞳は無機質でそこに何の感情もない。
バランスを失った鬼に対して、青野君は白鷺を掬い上げるように振り上げ、下の左腕を切り落とし、さらに扇状の軌道を描き、上の右の腕を薙ぎ払うように切り裂いた。
巨大な腕が千切れ飛び、地面に落ちた腕は黒い炎となって消え失せる。
そして鬼がその事実に気付いたころには、胸を一文字に小狐丸によって切り裂かれていた。だけど僅かに浅く石に届いていない。
もう腕は太刀を持った一本しか残っていない。左足は膝が砕かれ、もう片方の足は大腿を抉られ、もうまともには動けない。
跪き、痛ましい姿になりながらもギラギラと闘志を滲ませた眼で見上げる鬼を、青野君が油断なく刀を構えて見下ろす。
「……強いな。胸の石を狙ってるのに、詰め切れないなんて」
「どの口が言う……石以外の全てを破壊しておいて。だがその賛辞は受け取ろう、強き者よ」
「どうする、まだやるか?」
「愚問だ。我は、まだ死んでおらん……戦いを終わらせるなど……おおおおおおおっ!!」
鬼の咆哮と共に周囲の手下たちが黒い炎に変わる。
その炎が統率個体へと流れ込み傷を癒していった。いや、そればかりでなく手に持つ太刀の刀身が赤々と焼けた鉄のように輝き逆巻く炎が灯っていた。
鬼の体は一層巨大になり、その体はマグマのような血管が脈打っている。一本だけ残された腕には過剰なほど血管が集まり尋常でない力を発散させていた。
身体が人知れず震え、呼吸すらままならい。
目の前に、死そのものが鬼の形をとって現れたかのようだった。
「確信した、お前はもっとも強き挑戦者だ。お前を倒しさえすればこの地獄を顕現させられるっ、全てを賭してお前を倒す!」
「そうか…なら、再開しよう」
「ああっ」
青野君は小狐丸を鞘に戻し、白鷺を両手で握る。鬼は回復した足で堂々と立ち上がり、一本の腕に太刀を構えた。
青野君の踏み込みで一息に間合いが詰まる。
二人は同時に袈裟切りを放った。
刃が触れた瞬間、白い火花と甲高い金属音が鳴り響く。
二人はお互いが武器を振り下ろした状態で静止した。
鬼の太刀は根元から切り裂かれていた。遅れて目にした鬼の胸の石には斜めに罅が走っていた。
いや、胸の石ごと上半身が斜めにずれ、体を分かたれて大地へを倒れ伏した。
「………」
「強き者よ……我は、ど、うし……」
「……僕の勝ちだよ。悪いが地獄を顕現させるわけにはいかない……そちらの事情がどうであれ」
「ああ…我は…負け、た…すま……ない……我が…ど…う………世……子…よ……」
巨大な鬼が黒い炎の中に消える。
黒い炎が消えた場所に残されたのは今までで一番大きな黄色い石と、それとは別に首飾りのようなものが落ちていた。
「………」
青野君は何も言わず、地面に落ちていたその二つを拾い上げる。
異層空間が崩壊し、配信が途切れた。
クラスの誰もが言葉を漏らすことが出来ない。
いつの間にか強く握りこんでいた手は、手汗が凄いことになっている。
胸に去来する気持ちを叫びたいが、ぐっと堪えた。
この沈黙の中で一番槍はちょっと恥ずかしい。
「おっしゃあああああっ!よくやったぞおおおっ、青野おおおおっ!!」
犬木先生が咆哮を上げて、みんなの歓喜の声が爆発する。僕も「青野少年最強じゃあああああっ」と叫んでおいた。
僕らは授業中だという事も忘れて大騒ぎしたが誰も止めに来なかった。
それどころか辺りから似たような歓声が聞こえてくる。おい、どのクラスも授業してないじゃん。
「ちょっと待ってください先生っ、日原琴羽が配信始めようとしてます、早く待機ページへ!!」
「お、マジか、待ってろっ」
犬木先生は叫ぶのを止めてパソコンを操作してライブ配信の待機ページを開く。
もう直ぐに開始されるようだ。それにしても犬木先生取り繕う気最早ゼロだろ。
「はいはい、日本の救世主の日原琴羽で~す。いやー救っちゃったね、日本」
「青野信也です。無事に戻ってきました」
喜び冷めやらぬ様子でテンション高い日原さん。
激戦の後にも関わらずフラットな青野君。とても対照的だ。
「もっと喜ぼうよ、名勝負だったんだよ!あの鬼滅茶苦茶強かったのに圧勝だったじゃん、お姉さん惚れ直しちゃったぞっ」
抱き着こうとする日原さんを素早く回避して、距離を取る。相変わらず隙が無い。
何とも彼らしい様子にクラスメイトも笑っている。
「それでどうして急に配信始めたの?」
「だって全国のみんなと喜びを分かち合いたいでしょ。信也ってその辺りの機微が鈍いよね」
「なるほど、でもここは富士山だけどどうやって分かち合うの」
「……さあ?」
「……取り得ずストレージでも覗こう。初めてエーテル結晶以外が手に入ったから披露してみようか」
「ボクは遠目で分かんなかったんだよね。どれどれ」
カメラが近付きストレージの説明文が映される。
『首飾り・・・・・1
鬼哭の涙
阿鼻地獄の鬼の力がルビーとして結晶化した金の首飾り。
炎鬼の加護が宿り、持ち主に炎熱耐性、精神耐性を与え、守護、生命術(火)の技能を付与する』
青野君はストレージを操作してその首飾りを取り出した。
日原さんは目の前に現れたその首飾りの輝きに目を奪われていた。僕らも例外ではない。
「わあぁ……凄く綺麗なルビー……それに金細工もアンティークで素敵だし、普通に宝飾品としても相当なものだよ。それに技能の付与なんて箱庭でも聞いたこともない」
「幾らくらいするんだろう」
「うーん、ボクの見立てだと宝石換算だけで最低数十億以上はすると思う。ただ試練に有用な装備としてみれば、数百億でも数千億でもお金出す人いるだろうね。値段を付けられるものでもないけど」
「そこまでいくと逆に価値が分かんないよ。石の値段が一万円でも高いって思っちゃうのに」
僕には宝石の価値は分からないが、ため息が出そうなほど綺麗な赤色だった。
クラスメイト達は日原さんのお値段予想を聞いて吹出した。
値段の規模が庶民じゃ想像できないほど凄すぎる。そんなものがクラスメイトの手にあるなんて。青野君の金銭感覚には激しく同意する。
青野君は首飾りを手に置いたまま、反対の掌を上に向けて「火よ」と呟いた。
すると野球ボール大の火の玉が現れ、空中に留まっている。
「おお、ホントに使えた」
「うわ、魔法使えるの!いいなあ、いいなあ、後でボクにも貸してよっ!」
青野君が手を閉じると、火の玉がシュッと音を漏らして消えた。
「これ私たちも貸してくれないかな、魔法使ってみたい!」
「俺も俺も!」
「今度いつ青野君学校に来るんだろうっ」
みんなが魔法に魅せられている。
フィクションと思っていたものが手を伸ばせば届く距離にあるのだ。
マサムネみたいなリスクがないなら、飛びつきたくなる気持ちは分かる。
でも首飾りが数千億だって分かっているのだろうか。僕は怖くて触る勇気がないし、青野君がいくらおおらかでも貸してくれないだろう。
青野君が首飾りを見ながら考えて、思い出したように日原さんに顔を向ける。
「首飾りで思い出したけど、地獄の攻略終わったし妖精族の首飾り返してもらっていい?」
「今?ボクとしてもちょっと罪悪感あったし別にいいけど……あ、信也が外してね」
後ろ髪をかき上げてうなじを晒している。
唐突なサービスに男子たちの喉が鳴る。
青野君はまるで動揺した様子もなく、首飾りを外して、新たにルビーの首飾りを日原さんに付けた。
「え、早速貸してくれるの?」
「プレゼントするよ、日本の異層空間攻略記念に。妖精族の首飾りの代わりに精神耐性が付与されるみたいだし丁度いい」
はあああああああ!?心の中で叫び、口をパクパクと動かす。
いや、数千億って言ってたのに、そんな気軽にっ!?
クラスメイト達も絶句している。
「え、いや、ちょっと待って、ボクの話聞いてた?冗談じゃなくて物凄い価値があるんだよっ、信じてなかったの?」
「価値云々は置いておいて、僕が作った流れの所為で前にあげたエーテル結晶を寄付させちゃったし。だからその首飾りは気にせずに受け取ってよ」
「え、でも……これは信也が命懸けで戦って手に入れたものだし、救世主とか言ったけど、ボクは今回何もしてないのに……」
日原さんは断ろうとしつつも、首元に輝く首飾りに心が揺れている。
「僕にとっては、その首飾りが琴羽を守ってくれることが重要だよ。貰ってくれると僕が安心できるから」
優しい顔で言われて顔が熱くなる。
青野君、男前すぎる。僕に言われたわけでもないのに惚れそうになった。
女子たちも顔を赤くしてキャーキャー言っている。勿論全く彼女たちも関係ないけど。
瀬尾さんをチラリと窺ってみると特に反応していなかった。
何も考えていないような、ボーとした様子で静かに配信を見ている。
……何だか見てはいけないものを見た気がして、そっと目を逸らし視線をスクリーンに戻した。
「し、仕方ないなあ。信也はボクのこと好きすぎだよ、全く。しょうがないからボクのファーストキスをお返しにあげちゃおうかな~チラチラ」
「いや、要らないから。そこら辺のワンコにでも、ニャンコにでもくれてやって」
「もぉ~照れちゃって、ほれほれ、大人のベーゼを……あ、ちょっと待って、冗談だから!腕はそっちに曲がらないからっ!いやあああっ」
両肩を正面から掴んで顔を近づけてきた日原さんに対して、青野君は両手首の関節を捻り、そのまま合気で行動を封じていた。甘い雰囲気が一気に茶番になる。
本当に痛めつける気はなく、青野君は日原さんがキスを諦めたところで関節を開放した。
「ううう、信也の愛が痛い。何だかグダグダになってきたから配信終わるね」
「これ見てる人、いったい何を見せられたんだろうね。毎回思うけど、これ意味あるの?」
「あるよっ!あ、それと最後にお知らせですけど、これからボクと信也は海外の異層空間の攻略に動きます。こうやって配信できるか分からないけど、なるべく続けます!」
前にその話題が出来たときは青野君だけだったが、日原さんの同行も決まったようだ。
クラスから、おおっと湧く声と心配の声が同時に聞こえる。心配の声の方が多い。
青野君の圧倒的な強さを見たが、やはり難易度が少し違うだけであれだけ怪物の強さが違っているのだ。
他の国の事情にまで関わって危険な目には遭ってほしくはないだろう。
僕は消極的に賛成の立場だ。
「琴羽の言う通りです。ただし、その異層空間で得られるエーテル結晶や資源は僕ら個人が100%の割合で貰いますので、その辺りは気を付けてください」
「兎に角異層空間を何とかしてほしい国用の救済処置と思っていいよ。エーテル結晶が欲しい国は頑張ってねっ」
世界中の異層空間を全て二人で何とかするなんてできない。
この二人は日本の異層空間のエーテル結晶を、自主的に政府に寄付しているらしいので別に欲しいわけじゃない。
ボランティアで異層空間を犠牲なく攻略して貰えてエーテル結晶まで得られるとしたら、どの国も攻略を止めて二人に依頼するに決まっている。それを防ぐための処置だろう。
ただ世界の現状を考えるに、高難度の異層空間は軒並み攻略できていない。
低難度の異層空間は自国の戦力で攻略し、高難度の異層空間はエーテル結晶が得られなくても青野君たちに依頼するのがベストだろう。
実際今の世界のエネルギー消費量では、低難度のエーテル結晶が一つあればどの国でもエネルギー問題はほぼ解決するという。欲をかいて国を潰す必要もない。
将来消費が増えればその限りではないが、その辺りを考えるのは政治家だろうけど。
「あ、信也は何かメッセージとないの?これからどうなるか分からないし、言いたいことがあるなら言っておけば?」
「うーん……別にないかな」
「じゃあ、ボクだけ言わせてもらおうかな。これを見ている信也の関係者の皆々様」
日原さんは青野君の後ろに回って肩に手を置いてその体を引き寄せた。青野君は不思議そうにしているだけで抵抗はない。
「これからは、ボクがしっかり信也のこと守るから安心してね。心配なんて、しなくていいよ……」
その言葉は静かに響いた。
その目は強い意思を込めて、見ているものを射抜いた。
王者の威圧、そんな言葉が頭によぎった。クラスメイト達も息を飲む。
負の感情も正の感情もない。絶対の自信と気概が込められた言葉だった。
「それが言いたいこと?」
「そうだよ。それじゃあバイバ~イ」
「またどこかで」
手を振る二人が少しの間映り、配信が途切れた。
その後は通常通り授業は再開されたが、やはりというべきかクラスメイトの集中力は微妙なものだった。
休み時間になるたびに情報を漁ったりマシンガントークで喋り出す。
僕もお昼休みに色々とまとめサイトを見て回った。
どこも祭りだった。救世主をどこも褒め称えたり鬼との戦いを検証したりしている。
つまり日本は明るい雰囲気に包まれていた。
「最後のあれぇ、何だったんだろうねぇ~?」
「さあ、私たちの知らない事情があるんじゃないの」
「凄い気合いだよね。あれくらいじゃないと試練でやっていけないのかな」
瀬尾さんたち三人組も昼食を食べながら話をしている。話題は配信の最後の言葉のようだ。
「それにしても遠いところに行っちゃたなあ~青野君……箱庭は別世界の出来事だったけど、今は日本を救った救世主だもんねぇ~……世界で助けを求められてるし、凄いよねぇ~」
「うん、そうだね……」
「由佳、なんか落ち込んでる?」
「そういう訳じゃないけど……ちょっと春香ちゃんのことが気になって」
「青野君の妹だったっけ」
「青野君ずっと家に帰ってきてないんだって。全国回って忙しかったのは分かるけど、ずっと攻略し続けてたわけでもないのに」
「う~ん、でもずっと女優さんの鍛錬に付き合ってるって話だったよぉ~。色々な人が試練に関わっただろうしぃ~、時間なんて無かったんじゃないかなぁ~」
「連絡も取れないって言ってたんだよ。まるで避けてるみたいじゃない?青野君に限ってそれは無いと思うけど、なんかモヤモヤするなって」
春香とは青野君の双子の妹さんだったはず。
アイドル顔負けに可愛い上に、スタイルが中学生離れしていたのをよく覚えている。
教室に訪ねて来た時は、クラスメイト達も色めき立って、下心丸見えの顔をのぞかせていた。
青野君とは全然似てない兄妹だとも思った。
「もしかしてぇ、国の人にスマホ没収されたり~女優さんに束縛されてたりしてぇ~……どうしたのぉ?」
「……あるかもしれない」
瀬尾さんが深刻そうに言葉を漏らした。
「いやいや、ないでしょ。どう考えても自然体の青野君だったし、仲良さそうだったじゃん」
「由佳ちゃん、私適当に言っただけだから真に受けないでよぉ~」
なんか、不穏な気がするけど僕が関わり合いになれるわけもない。
そんなことより早く放課後にならないかな。
僕の推しの配信者が推しの配信をしているから、早く帰って視聴したい。
青野少年のお陰で今日も日本は平和だ。




