第10話 sideルフリア 残された願いのために
あの方が光に溶けて消えた場所を、私たちはじっと見つめていました。
そこには初めから誰もいなかったかのような静寂がありました。
「ううっ……ああああああっ!」
一人、ルーヴィが耐え切れなくなったように泣き出してしまった。
私はそっと彼女を胸の内に抱きしめて頭を撫でる。
ルーヴィから伝わる大きな悲しみの感情が皆に伝播していく。若いものは同じく涙し、年長者も耐えるように顔を歪ませています。
シンヤ様が消えるまで、心の内を漏らさないように我慢し続けていたのでしょう。
涙の、悲しみの別れにならないように。
「よく我慢しましたね。偉いですよ、ルーヴィ」
「ルフリア様……私、シンヤ君に行ってほしく、なかった……ずっと、ここにいてほしかった……これからもあの子はきっと傷付き続けます……それなのに、私は何もしてあげられない……」
「そうですね。きっとシンヤ様は人間の中でも特別な運命を持っているのでしょう。これからシンヤ様が進む先の苦難は、想像出来ないほど過酷かもしれません」
安易な慰めは口にできません。お互いの心が分かってしまうが故に。
「ですがあの方はきっと乗り越えます。希望すら見えない状況から天竜すら下したのです。運命がシンヤ様を苦しめると同時に、運命はシンヤ様の味方をします」
「また、シンヤ君に会えるでしょうか……」
「会えますよ。あの方がそれを望むなら、きっと叶えてしまう。そう思いませんか?」
胸の中のルーヴィはコクリと頷いた。
『我は住処に帰る。ここにいる用事はなくなったからな』
天竜が体を持ち上げ、翼を広げる。
多少気を使っているのか、息が出来ないほどの威圧は感じませんが、それでもそこに存在するだけで自分の存在が消し飛ばされそうなほどの力の波動を感じます。
「あなたにも、開拓の件ではお世話になりました。感謝を申し上げます」
『シンヤに付き合わせされただけだ。それではな……たまには顔を出すから、そのつもりでいろ』
「えっ」
言うだけ言って、天竜は翼を羽ばたかせた。
直ぐに小さな点になるほどの高度に到達し、見えない彼方へと飛び去っていた。
その間、私たちにはそよ風くらいの風しか届かなかった。
あれもシンヤ様が変えてしまったものの一つでしょう。
自分以外の全てを弱者と捉え、顧みる事のなかった絶対強者。
そこに現れた、自分を倒したひ弱にしか見えない人間の子ども。
天竜もシンヤ様と戦い、共に過ごし、何かを感じて人に対しての認識を改めたのだと思います。
天竜まで誑し込むのはいかがなものとは思いますが。
私たち妖精族は開拓を進めながら、他種族との交流の準備も行わなくてはいけません。
シンヤ様から託された拠点を正しく割り振るために。
妖精族の独力では難しく、狐人族に力を貸していただく形となっています。
いえ、寧ろシンヤ様の願いであるならと積極的に力を貸してくれております。
シンヤ様が狐人族の集落で成したことは本人から聞いてはおりましたが、些か矮小が過ぎると思います。
長の娘さんが目の病気だったからポーションで治した。
その後にお礼として集落で一番の刀を貰った。
このくらいの情報だったのですが、話を聞いてみればとんでもなく話が食い違っておりました。
目の治療は激痛を伴う命がけの行為で、体を結晶化された挙句に穴だらけなってまでその身を賭したという話でした。
刀の件も由来や抜くことの行為の意味も情報がまるで抜けていました。
狐人族たちはシンヤ様を称え、長の娘の治療時の話も相まって、人気がとんでもないことになっていました。
シンヤ様の言葉に嘘はないですが、謀られたとでも思えるほどの矮小表現です。
「どうかなされたかな、ルフリア殿?」
「いえ、少しシンヤ様のことを思い出しておりました。失礼しました」
今は狐人族の里の長、ダンクロウ殿の屋敷で、近隣種族の情報を精査している最中でした。私としたことが考え事をして上の空になっておりました。
「シンヤ殿が去って2ヵ月ほどでしたかな。あの方との日々は昨日のことのように思い出されますなぁ」
「ええ、嵐のように周囲に影響を残して駆け抜けて行かれましたから。そうそう記憶が薄れることはないでしょう」
「違いない」
地図に示した近隣種族は交流があるため、そう時間をかけずに拠点の譲渡は行えるだろう。
妖精族の集落のように土地の性質に悩まされる種族たちなので、彼らにしても渡りに船となる。
他の種族に対しても接触する足掛かりとなるかもしれない。
「話は変わりますが、アオイとはどうで……。あれは相変わらずですかな」
「相変わらずですね」
「……申し訳ない」
ダンクロウ殿の悩みの種の一つ、娘のアオイさん。
狐人族と共同で拠点譲渡を進めている。
必然的にアオイさんとは顔を合わせる機会があります。
私は彼女に嫌われています。長の客人である私に対して露骨に態度に現れるほどに。
いえ、寧ろ態度で私を嫌っていることを示しているのでしょう。
彼女の中では私はシンヤ様を奪った憎き敵、なのでしょうか。
シンヤ様はアオイさまの思いを「多少好かれている」くらいに捉えていましたが、とんでもない勘違いです。
読まなくても強制的に叩き付けられるほどの巨大な思慕。
全てを捧げたいと思う盲信。
自分だけのものにしたいという執着。
それらの思いがシンヤ様に絡みついていました。
どうしたら短い間であそこまで思いを持たれるのか、シンヤ様の話だけでは分かりませんでしたが、当時の話をダンクロウさんに聞いて納得できました。
「私は構いません。特に不利益があるわけではありませんし、彼女はまだ子供です。感情に振り回されているのでしょう」
「そう言っていただけるのは有難いが……すまない、この後にでも話をしてみるので」
「ご無理はなされず。自然と落ち着く場合もあります。それで近隣の集落を訪れる予定ですが……」
お互い脱線したが、私は話を元に戻すことにしました。
特に意見が食い違うこともなく、狼人族の集落に訪れる日程を確認したところでお開きとなりました。
今日はダンクロウさんの屋敷に泊めてもらうことになっています。
私たちが家族水入らずにお邪魔する形です。
当然アオイさまと顔を合わせます。
「「…………」」
はて、夕食とはここまで殺伐としていましたでしょうか。空気が重いです。
勿論原因は承知しています。
どうやらダンクロウさんの説得は上手くいかなかったようです。
ちなみにですが、この場にはダンクロウさん、タツキさん、ハチクロさん、アオイさん、キリカさん、ルーヴィが同席しています。
ルーヴィはシンヤ様の願いを叶える手伝いをしたいという事で、他の集落に赴く際は私と共に行動することが多いです。
アオイさんとのことは教えていませんし、ダンクロウさんとの話し合い中は町で植物の種や苗を見て回って貰っていましたので、何故このような状況になっているのか良く分かっていないようです。
キョロキョロと顔色を窺っています。
事前に触りだけでも説明していた方が良かったと後悔しています。
「そちらの妖精族の方はルーヴィ様とおっしゃいましたか?」
「ええ、そうよ。確かアオイさんだったかしら、宜しくね」
アオイさんは私の方は無視して新顔であるルーヴィを観察しています。
お世辞にも友好的とは言えない目です。
ダンクロウさんはいよいよ頭が痛そうにしています。
「私のことをご存じだったのですか?」
「シンヤ君から聞いていたわ。目の病気をポーションで治したって。それでお代に武器を貰ったんでしょ?」
まずいですね。ルーヴィがあまり触れたくない話題に触れてしまいました。
私はあまり広めるのもどうかと思い、ダンクロウさんから聞いた話は胸の中に収めていました。
「ええ、その通りです。シンヤ様には大変お世話になりました」
「シンヤ君は優しいから。でも戦いの前にポーションを使っちゃうなんて思いもしなかったわ」
空気が冷えていきます。読心の力を限界まで下げていても分かります。
いえ、そもそも読心が使えなくともこの空気は読めます。
「シンヤ様は見事に試練を果たしたのです。元々必要だとは考えていなかったのでは?」
「それはないわ」
ルーヴィは冷たい声で断言する。アオイさんは強い言葉に肩を揺らした。
ああ、なるほど。アオイさんが私を嫌うように、ルーヴィもアオイさんに対してよくない感情を持っていますね。
他種族で、おまけに戦いには関係ない場所で命を繋げられる薬を消費させられたのです。
シンヤ様を心から心配していた彼女からしたら、それだけで負の感情を持つ理由にはなります。
ただ二人の認識がすれ違ってもいますが、ここでそれを言うわけにはいきません。
ルーヴィには伝えてよくても、アオイさんには伝えられません。
私はタツキさんに目配せし、タツキさんも意図を汲んで頷きます。
「お二人とも、食事の席ですから積もる話はあとにいたしましょう。折角腕によりをかけて作ったのに冷めてしまいますわ」
「そうですね。知らない料理も多くて目移りしますね」
「あ、ああ、これなんてシンヤが好きだったものですよ。いや、あいつはどれも旨そうに食べてたから、特別どれが好きかはなかったかも。強いて言えば味付けが好きだと言っていたっけ」
「……そうなんですか。興味あるかも」
ハチクロさんの話題にルーヴィが乗ってくる。
後は食事の流れに乗ってしまい、有耶無耶の内にルーヴィに事情を説明してしまえば、アオイさんに対しての態度は軟化できるでしょう。
和やかとは言い難いが、つつがなく夕食を終え、食後は直ぐに席を外してルーヴィにアオイさんの事情を話しました。
「ルフリア様、理由は分かりましたが、私はアオイさんのこと許せそうにないです」
「アオイさんの目のことは仕方がないことです。それについては……」
「違います。私が許せないのはそこではありません。アオイさんは何も知らない。あの子の抱える苦しみも、痛みも、優しさも。シンヤ君を人としてちゃんと見ていませんっ」
声と共にルーヴィの心が伝わってきます。
鮮やかな若葉色の心。複雑に色が揺れるそれは、今の今までなかったもの。
これは……。
「……なるほど、そうなのですか。……どうしたものでしょうか」
「ルフリア様?どうしました」
「いえ、頭痛が痛いだけですので気にしないでください」
「はい?」
私はルーヴィを宥めてから、屋敷の外に出る。歩いて集落を出て、人気のない岩場にやってきた。
そこには巨大な黒い影が存在していた。
『なんだ、もう会談とやらは終わったのか?ここを去るのは明日の朝と聞いていたが』
「いいえ。少しあなたと話がしたかっただけです」
『ぐるるる、暇な奴だ。まあよかろう』
天竜ベリエル。
世界の頂点。孤高の生命。弱者を顧みない強者。
そう定められた存在だったもの。
シンヤ様と出会われて本当に丸くなった。
顔を出してきたときに拠点の譲渡について一度話してみたら、協力してくれることになった。
シンヤ様の願いであるならば、と注釈が付きますが。
「今まで聞けませんでしたが、あなたはシンヤ様のことをどう思っているのですか?」
『……強き者。それだけだ』
「残念ながら、私には嘘は通じませんよ」
『そうだったな。では黙秘する』
「残念ながら、私には心の内側を覗くすべがありますよ」
『……おい』
呆れるというか、嫌そうな雰囲気が伝わってきます。
「覗くというのは冗談です。私にも分別がありますので。ただ答えてくれるなら、あなたの口から聞きたいと思っただけです」
天竜はぐうっと小さく唸り、目を閉じました。
流石に不躾だったかと反省を致しましたが、天竜は小さな声で語り出しました。
『戦いは我にとっての語らいと同じだ。そのものの在り方が見える』
『シンヤの在り方は刃そのもの。鋭く光る、擦り切れる寸前まで尖れた刃だ。戦って、戦って、戦って、それ以外の全てが削ぎ落され、そこには刃以外何もない。何もないはずなのだが、奥底にひどく暖かい何かがあった』
『刃であるはずのシンヤが他者と共に在れるのか、あの暖かなものがなんであるのか、知りたかった。……もう、いなくなってしまったが』
嘘はないが、言葉は抽象的です。
曖昧で、心の内の全てでもないでしょう。
これ以上、私が聞くのは不躾ですね。
「……何故、私と話すようになったのですか?あなたの基準ではとるに足らないものでしょうに」
『シンヤの提案だ。同じく長い時を生きるものと話していれば、退屈しないと言われてな。確かに住処に座して滅びを待つよりは退屈ではなくなった』
私とは違い、余りにも強大な生物へと変性してしまった原初の生命。
力を得た代償は、並び立つもののいない孤高による孤独。
私は原初の生命であった自分をよく覚えていません。
妖精族へと変性した理由も分かりません。
しかし力はなくとも、妖精族たちの御蔭で孤独ではありませんでした。
巨大な生命である天竜の深くにある心が見えかけ、私はそれを読み取らないように目を逸らしました。
「そうですか。手伝いもしてくれていますし、話し相手くらい引き受けますよ」
『ふん。殊勝な心掛けだな、ルフリア』
「えっ……今、私の名前を……いない」
振り返れば天竜は消え去っていました。
あの巨体でどういう力が働いているのか、風も音もなく飛び去ってしまった。
明日の朝には帰ってくるでしょうけど。
夜が明け、私たちは集落の門へと見送られた。
「それでは、予定通りの期日に合流いたしましょう」
「ああ、道中お気を付けて……などというと雷でも落とされるかねぇ」
「あり得なくはありませんね。あの竜ですから」
ダンクロウさんに促されたのか、アオイさんもこの場にいる。
一応表情は取り繕えているが、残念ながら私たちは妖精族です。
その中に燻る感情で全てが筒抜けになっています。
「アオイさんもお元気で」
「昨日はごめんなさい。私も大人げなかったわ」
心の中でお子さまに対してと注釈を加えるルーヴィ。
こちらもこちらで私の頭を悩ませる。
「いえ、気にしておりません。またお会いしましょう」
心の中で道中、雷にでも打たれろと思われています。
どうしてここまで嫌われてしまったのでしょうか。頭が痛い。
強い感情に背中を叩かれながら、狐人族の集落を後にしました。
人を思うが故の感情の暴走。制御できない情動。
私だってアオイさんの気持ちは理解できないわけではない。
腐食毒という、長い寿命の中でも群を抜いた苦しみ。
死すら救いに思える状況で、人間のもつ希少な薬で助けられた。
妖精族に不利益がないよう、身を売る覚悟で交渉のため彼の元を訪れたとき、感じ取ってしまった。
読心を持つ妖精族にすら感じ取れない深い場所に存在する、余りにも大きな純白の心と愛。
ただ一つの思いだけで完結されたそれは、あまりに美しかった。あまりに寂しかった。
気付けば私は打算なく身を差し出していました。
いえ、理由を付けて押し付けようとしたが正しいのかもしれません。
シンヤ様からは受け取ってもらえませんでしたが、私は私を差し出したくて堪らなかった。
この身が今日まで生きてきたのはこの方に尽くすためだと、そう魂が叫んでいた。
シンヤ様の在り方は、全てが眩しく、私はシンヤ様の傍にいるだけで満たされた。
ルーヴィのことは言えません。私もずっとシンヤ様と共にいたかった。
ですが、同時にそれが叶わないことだということも分かっています。
シンヤ様の心の底には誰かがいます。
私でも分からないほど遠い時間の彼方に、シンヤ様すら忘れてしまった誰かが存在しています。
シンヤ様の心はずっとその人だけを求めていた。
どれだけ摩耗しても、形が変わっても、求め続ける思いだけが残っていた。
その存在がある限り、シンヤ様の心は純白のまま。色付くことを知らないまま。
美しく、悲しい在り方だった。
私じゃなくてもいいのです。
私が選ばれなくても構わないのです。
私は十分救われています。
いつか誰かがあの方の思いに応えて、あの寂しく悲しい純白を色付かせてくれることを願っています。
『カバーストーリ―:原初』
己に意識はない。
大地を巡り、風に流離い、水に溶け、ただ揺蕩うように世界を巡る。
まだ生まれて間もないこの平面な世界では、あらゆる種族が存在していた。
まだ生まれて間もないこの大地は、多くの命が煌めいていた。
全てが完成した状態で生まれていた。
時折世界を渡り来たるものもある。
この世界が生まれて間もない頃、白銀の流星が大地を貫く様を見た。
知らぬ花の香りを纏った、香しい魂が迷い込んできたこともある。
幾万と繰り返される夜明けの中、私は出会った。
脆弱な人族と呼ばれる種族、その中でも数の少ない心を読むことに長けた種族。
彼らの嘆きは大きく己の存在を震わせた。
己に悲哀などは理解できない。
同情という感情はない。
だが彼らの声は己に届いた。
己は何も持ちえず、何も望むこともなく生き続けた。
他の原初の生命たちは、遥か昔に己の在り方を決めてしまっている。
彼らは強大な支配者の力を有した存在へと成った。
己に力を欲する望みはない。
ならば己は彼らとは別の存在へなろうではないか。
嘆きによって脆弱な存在へ生まれ変わり、救われぬ彼らと共に己を作り上げよう。
哀れな世界の子らが、安寧を得る場所を。
共に歩む未来を。




